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No.13774の一覧
[0] うそっこおぜうさま(東方project ちょこっと勘違いモノ)[にゃお](2011/12/04 20:19)
[1] 嘘つき紅魔郷 その一 (修正)[にゃお](2011/04/23 08:52)
[2] 嘘つき紅魔郷 その二 (修正)[にゃお](2011/04/23 08:53)
[3] 嘘つき紅魔郷 その三 (修正)[にゃお](2011/04/23 08:53)
[4] 嘘つき紅魔郷 エピローグ (修正)[にゃお](2011/04/23 08:54)
[5] 嘘つき紅魔郷 裏その一 (修正)[にゃお](2011/04/23 08:54)
[6] 嘘つき紅魔郷 裏その二 (修正)[にゃお](2011/04/23 08:55)
[7] 幕間 その1 (修正)[にゃお](2011/04/23 09:11)
[8] 嘘つき妖々夢 その一 (修正)[にゃお](2011/04/23 09:24)
[9] 嘘つき妖々夢 その二[にゃお](2009/11/14 20:19)
[10] 嘘つき妖々夢 その三[にゃお](2009/11/15 17:35)
[11] 嘘つき妖々夢 その四[にゃお](2010/05/05 20:02)
[12] 嘘つき妖々夢 その五[にゃお](2009/11/21 00:15)
[13] 嘘つき妖々夢 その六[にゃお](2009/11/21 00:58)
[14] 嘘つき妖々夢 その七[にゃお](2009/11/22 15:48)
[15] 嘘つき妖々夢 その八[にゃお](2009/11/23 03:39)
[16] 嘘つき妖々夢 その九[にゃお](2009/11/25 03:12)
[17] 嘘つき妖々夢 エピローグ[にゃお](2009/11/29 08:07)
[18] 追想 ~十六夜咲夜~[にゃお](2009/11/29 08:22)
[19] 幕間 その2[にゃお](2009/12/06 05:32)
[20] 嘘つき萃夢想 その一[にゃお](2009/12/06 05:58)
[21] 嘘つき萃夢想 その二[にゃお](2010/02/14 01:21)
[22] 嘘つき萃夢想 その三[にゃお](2009/12/18 02:51)
[23] 嘘つき萃夢想 その四[にゃお](2009/12/27 02:47)
[24] 嘘つき萃夢想 その五[にゃお](2010/01/24 09:32)
[25] 嘘つき萃夢想 その六[にゃお](2010/01/26 01:05)
[26] 嘘つき萃夢想 その七[にゃお](2010/01/26 01:06)
[27] 嘘つき萃夢想 エピローグ[にゃお](2010/03/01 03:17)
[28] 幕間 その3[にゃお](2010/02/14 01:20)
[29] 幕間 その4[にゃお](2010/02/14 01:36)
[30] 追想 ~紅美鈴~[にゃお](2010/05/05 20:03)
[31] 嘘つき永夜抄 その一[にゃお](2010/04/25 11:49)
[32] 嘘つき永夜抄 その二[にゃお](2010/03/09 05:54)
[33] 嘘つき永夜抄 その三[にゃお](2010/05/04 05:34)
[34] 嘘つき永夜抄 その四[にゃお](2010/05/05 20:01)
[35] 嘘つき永夜抄 その五[にゃお](2010/05/05 20:43)
[36] 嘘つき永夜抄 その六[にゃお](2010/09/05 05:17)
[37] 嘘つき永夜抄 その七[にゃお](2010/09/05 05:31)
[38] 追想 ~パチュリー・ノーレッジ~[にゃお](2010/09/10 06:29)
[39] 嘘つき永夜抄 その八[にゃお](2010/10/11 00:05)
[40] 嘘つき永夜抄 その九[にゃお](2010/10/11 00:18)
[41] 嘘つき永夜抄 その十[にゃお](2010/10/12 02:34)
[42] 嘘つき永夜抄 その十一[にゃお](2010/10/17 02:09)
[43] 嘘つき永夜抄 その十二[にゃお](2010/10/24 02:53)
[44] 嘘つき永夜抄 その十三[にゃお](2010/11/01 05:34)
[45] 嘘つき永夜抄 その十四[にゃお](2010/11/07 09:50)
[46] 嘘つき永夜抄 エピローグ[にゃお](2010/11/14 02:57)
[47] 幕間 その5[にゃお](2010/11/14 02:50)
[48] 幕間 その6(文章追加12/11)[にゃお](2010/12/20 00:38)
[49] 幕間 その7[にゃお](2010/12/13 03:42)
[50] 幕間 その8[にゃお](2010/12/23 09:00)
[51] 嘘つき花映塚 その一[にゃお](2010/12/23 09:00)
[52] 嘘つき花映塚 その二[にゃお](2010/12/23 08:57)
[53] 嘘つき花映塚 その三[にゃお](2010/12/25 14:02)
[54] 嘘つき花映塚 その四[にゃお](2010/12/27 03:22)
[55] 嘘つき花映塚 その五[にゃお](2011/01/04 00:45)
[56] 嘘つき花映塚 その六(文章追加 2/13)[にゃお](2011/02/20 04:44)
[57] 追想 ~フランドール・スカーレット~[にゃお](2011/02/13 22:53)
[58] 嘘つき花映塚 その七[にゃお](2011/02/20 04:47)
[59] 嘘つき花映塚 その八[にゃお](2011/02/20 04:53)
[60] 嘘つき花映塚 その九[にゃお](2011/03/08 19:20)
[61] 嘘つき花映塚 その十[にゃお](2011/03/11 02:48)
[62] 嘘つき花映塚 その十一[にゃお](2011/03/21 00:22)
[63] 嘘つき花映塚 その十二[にゃお](2011/03/25 02:11)
[64] 嘘つき花映塚 その十三[にゃお](2012/01/02 23:11)
[65] エピローグ ~うそっこおぜうさま~[にゃお](2012/01/02 23:11)
[66] あとがき[にゃお](2011/03/25 02:23)
[67] 人物紹介とかそういうのを簡単に[にゃお](2011/03/25 02:26)
[68] 後日談 その1 ~紅魔館の新たな一歩~[にゃお](2011/05/29 22:24)
[69] 後日談 その2 ~博麗神社での取り決めごと~[にゃお](2011/06/09 11:51)
[70] 後日談 その3 ~幻想郷縁起~[にゃお](2011/06/11 02:47)
[71] 嘘つき風神録 その一[にゃお](2012/01/02 23:07)
[72] 嘘つき風神録 その二[にゃお](2011/12/04 20:25)
[73] 嘘つき風神録 その三[にゃお](2011/12/12 19:05)
[74] 嘘つき風神録 その四[にゃお](2012/01/02 23:06)
[75] 嘘つき風神録 その五[にゃお](2012/01/02 23:22)
[76] 嘘つき風神録 その六[にゃお](2012/01/03 16:50)
[77] 嘘つき風神録 その七[にゃお](2012/01/05 16:15)
[78] 嘘つき風神録 その八[にゃお](2012/01/08 17:04)
[79] 嘘つき風神録 その九[にゃお](2012/01/22 11:18)
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[13774] 追想 ~フランドール・スカーレット~
Name: にゃお◆9e8cc9a3 ID:dcecb707 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/02/13 22:53





 求めていたものは、一体なんだったのだろう。


 渇望し続けていたものは、一体なんだったのだろう。




 幾度と転び、幾度と絶望し、幾度と涙を堪え。

 一。十。百。千。大業に言えば悠久とも思える程の凍てついた時間を刻み。

 私は何を追い続け、掌を大空に差し出し続けたのだろう。




 分からない。

 今の私には分からない。

 だって今の私は、きっと大切な『それ』を失ってしまったのだから。

 護ると誓ったのに。

 私が護ると誓った筈なのに。





 欲しかったもの。手にしたかったもの。

 諦めたもの。手放してしまったもの。




 分からない。

 今の私には分からない。








 誰か教えて。お願いだから教えて頂戴。



 本当に正しい道は、一体何だったのか。

 私は何を諦め、何を手にすれば良かったのか。










 ――私は一体どうすれば、大切な人を――
























『おねーさま、きょうもおべんきょう?フランといっしょにいられないの?』





 私がそう訊ねると、お姉様は決まっていつも困ったような笑顔を浮かべていた。
 お姉様の優しい笑顔は大好き。でも、こんな風に困ったような笑顔も好き。だから私はワザとこんな悪い子を演じてしまう。
 そんな私の内心を読んでいるのか、我儘を言う私にお姉様はいつも笑顔のままで優しくこう言うの。

『フランが良い子にしていたら、早く切り上げて戻ってくるから』

 私の髪を優しく撫でながら、そう告げるお姉様。そんなお姉様に良い子で待っていると約束する私。
 ベッドの上で寝たきりの私は、お姉様と過ごす時間だけが幸せな時間。だから、お姉様との約束はとても大切。
 良い子にしてたら、またお姉様が来てくれるから。いつも地下で独りぼっち、誰もいない部屋にお姉様は私に会いに来てくれる。
 だから、私にとってこの約束はとても大切な約束。お姉様は、約束を守ってくれるもの。お姉様はいつだって嘘をつかない。
 お姉様が来てくれるなら、どんなに一人ぼっちでも怖くない。お姉様に会えるなら、どんなに身体がつらくても平気。
 だから私はお姉様に約束をするの。お姉様とまたお話しするために、良い子で待ってるとお約束。


 フランドール・スカーレット。
 それが私の名前、そして大好きなお姉様…レミリア・スカーレットと血を分けた実の姉妹である証明。
 私はスカーレット家という、吸血鬼の中でも有数の実力者であるスカーレットの実子として生を享けた。だけど、私は
生まれたときから先天的な障害を患っていて、自分一人で満足に立ちあがることすら出来ない病気を持っていた。
 なんでも、魔法使いの診断によると、精神と魔力の相関が…とにかく、とてもとても難しい病気で、治るのが難しい病気みたい。
 お父様は、そんな私を後継者として見做すことの出来ない役立たずとして私の存在を無いものとしてる。でも、それは仕方のないこと。
 お父様は力ある妖怪、それも幾多の妖怪達を従えるスカーレット家の頂点。そんなお父様にとって、私なんか唯のお荷物でしかないもの。
 最悪、他者に利用されることも考えたなら、殺してしまった方が合理的ですらある。だから私は命あるだけで幸運なんだと思う。
 お母様は私を生んだときに亡くなったらしい。だから私はお母様のことは肖像画でしか見たことないけれど、とてもお姉様によく似てる。
 髪の色も意志の強そうな瞳も、全部全部お姉様そっくり。きっとお姉様が大きくなったら、あんな風に素敵な吸血鬼になるんだと思う。逆に
私はお父様の血を色濃く受け継いじゃったみたい。髪の色も瞳も全部お父様と一緒。お姉様とお揃いがよかったから少し残念。

 お父様もお母様も接することなく生きてきた私だけど、そんなことは微塵も気にならなかった。気にする必要もなかった。
 だって私にはお姉様がいてくれたから。私のたった一人のお姉様、レミリア・スカーレット。
 お姉様は凄い。お姉様はスカーレット家の長女にして、誇りある名門のスカーレット家の後継者を約束された存在。
 生まれつき駄目駄目な私と違って、お姉様は凄く強くて凄く賢くてスカーレット家の将来は安泰だってお父様の部下達が
話してるのを盗み聞きしたことある。私はお姉様が戦ったりしてるところは見たことないけれど、生まれて百年程度しか経っていないのに
他の妖怪連中にそれだけ褒められるんだから、やっぱりお姉様はとてもとても凄いんだと思う。
 私にはそのことが凄く凄く誇らしかった。大好きなお姉様は、やっぱり世界で一番のお姉様なんだってみんなに言われてるようで。
 もし身体が元気なら、私はお姉様と一緒に館中を回ってみんなに胸を張りたかった。『この人が私の自慢のお姉様なんだ』って。

 物心ついたときから、お姉様だけが私の傍にいてくれた。
 病弱な私に食事を持ってきてくれたり、身体の心配をしてくれたり、ときには沢山のお話をしてくれたり。
 お姉様だけが私の世界の全て。お姉様と一緒にいる時間だけが私の生きている時間。
 優しく微笑むお姉様が大好き。私をそっと抱きしめてくれるお姉様が大好き。忙しいのに、それでも私に会いに来てくれるお姉様が大好き。
 お姉様は私の全て。お姉様だけが私の全て。
 神様がたった一つだけ私に授けてくれた大切な大切な宝物、それがお姉様。
 幸せだった。お姉様と一緒に過ごす時間が。
 幸せだった。お姉様と笑い合う日々が。

 だから、私は少しも怖くなんてなかった。
 自分の命が永くなくて、もうすぐ死んでしまうとしても。そんなもの、微塵も怖くなんてなかった。
 だって私は幸せだったから。お姉様に、幸せな時間を沢山沢山作ってもらったから。

 私はやがてくるであろう自分の死を、半分受け入れていた。
 でも、そんなことは本当に些細なことで。たとえ明日死んでしまうとしても、私は構わなかった。
 お姉様と約束すれば、また会えるから。だから、死んでしまっても、きっと大丈夫。
 もし死んでしまっても、約束すれば大丈夫。お姉様は嘘なんてつかないから、絶対に守ってくれるから。
 だから私は死んでも大丈夫。死んでしまったら、次は今とは違った元気な身体で、またお姉様に会いに行けるから。










 その日は、本当に急に訪れて。



 いつものようにお姉様とお話をしてると、急に体中を激痛が走った。
 毎日出てるような症状だと我慢も出来てお姉様に隠したり出来たんだけど、その日はいつものモノとは完全に異なっていて。
 正気を失う程の激痛と心が瓦解するような感覚に襲われ、私は思わず言葉にして助けを求めてしまった。
 死は覚悟していたのに。いつでも死んであげられると思ってたのに、自分が思った以上に私は弱い存在で。
 だから、私はお姉様に決して口にしてはいけない禁断の言葉を漏らしてしまった。
 酷く狼狽して私に言葉を投げかけ続けるお姉様に、私は助けを求めてしまった。



『助けて…お姉様、助けて…』





 私の身体の症状が悪化して一週間が経過した頃、私はようやく意識を取り戻した。
 けれど、それは一時的なもので、一時間後には…一秒後には、また意識を失うかもしれない。
 そう自分で感じられるほどに、私の身体は最早手遅れな状態へと移行してしまっていた。
 多分、もうこの世に意識を保ったまま存在出来る時間なんてあと僅かなんだろう。そう思うと、私は無性にお姉様に会いたくなった。
 この世に未練なんてない。この世に思い残すことなんてない。それをするには、私には余りに何も無さ過ぎた。
 空っぽのままに生まれ、空っぽのままで生き続け、そして空っぽのままに死んでいく。それが私、フランドール・スカーレットなのだから。
 だけど、そんな私にも一つだけ大切なものがある。
 お姉様。世界でただ一人、私を愛してくれた大好きなお姉様。
 他の何物にも刻まれずとも、お姉様の思い出の中に残れるのならばそれでよかった。
 お姉様の思い出に、私という存在が生き続けてくれるならば、私には十分過ぎる程の幸せだった。

 だから思う。もし、心残りがあるとすれば、お姉様と会話が出来ないままにこの世にお別れすること。
 最期にお姉様に会って、一言だけお礼を言いたかった。『ありがとう』と。『お姉様のおかげで、私は幸せだった』と。
 思い始めれば心は止まらず、己の意識が闇に塗りつぶされていく最中で私は思い続けていた。
 ――最期にお別れ、言いたかったな…と。









 闇。

 どこまでもどす黒く塗り潰された闇色の世界の中で、誰かが私に囁き掛ける。
 それはとてもとても甘い誘惑。私が望むことすら出来ないほどの幸福。
 誰が囁いているのかは分からない。だけど、誰かが私の耳元でそっと呟くのだ。

『フランドール。もし、お前の助かる未来が存在するとしたらどうする?』と。

 その誰かの呟きを、私はお腹を抱えて大笑いする。
 そんな未来は、在り得ない。私の人生はもう終わり。私はこのまま死んでいく、そのことだけは間違いないのだから。
 けれど、そんな私に対して得体のしれない誰かが未だ幾度と耳元で呟き続ける。

『フランドール。もし、お前の望みが叶うとしたらどうする?』と。

 私の望み。そんなことは無理だ。私の望みは叶わない。
 それは私が幼い頃より心の奥底に押し沈めた甘い甘い夢物語。夢見ることすら許されない酷く優しい幸せ。
 けれど、私はそんなものは見ない。それを一度してしまえば、きっと戻れなくなるから。
 その夢は、あまりに優しすぎる。その夢は、あまりに幸せ過ぎる。夢を見れば、必ずその夢は身を焦がす。
 そして甘美過ぎる夢に溺れ、私は心を壊すだろう。それは死よりも残酷な時間。それは死よりも過酷な責め苦。
 必死で否定する私に、誰かは何度も何度も訊ね続ける。
 願い。夢。未来。そんな甘い幸せを、そんな幻想を何度も何度も何度も何度も。
 最初は一笑に付していた私だけど、やがて悪魔の囁きに心惹かれ己の心を制せなくなってしまう。
 いいのだろうか。許されるのだろうか。そんな未来を、幸せを、夢を。私が願ってしまっても、良いのだろうか。
 何度も何度も私を拐す甘い言葉に、私は完全に心奪われ、その言葉を、意志を口にしてしまった。


『…生きたい。死にたくない。生きて、お姉様と一緒に生きたい』


 その言葉を放ってしまった刹那、私の世界は濃泥の黒一色から解放され、何も見えない程の白で塗潰されていく。
 まるで私の中にもう一人の優しい誰かが入り込んでくるように…私の世界を、優しい色に染め上げて。












 困惑。


 私が目を覚まして覚えた感情はそれ一色以外に無かった。
 目覚めたとき、私が存在していたのはいつもの地下室のベッドではなく、紅魔館地上の広大な一室。
 豪勢な飾り付けが施された室内は、私が先日まで居た薄暗く何一つモノのない地下室とは一線を画する様相で。
 そして、私の困惑はそれだけでは終わらない。ふと身体が恐ろしい程に軽いことに気づき、恐る恐る足を床につけて立ち上がってみると、
何の困難もなく己が身体を支えることが出来た。これまでは自分一人では立ち上がれなかったのに、だ。
 加えて身体中を漲る恐ろしいほどの妖気の昂ぶり。これまで鍛錬というものを行ったことがない自分の身体とは思えない程に
力が充実している現象に、私は驚きを通り越して呆然とすることしかできなかった。
 しかし、自分の身体が健康であると理解した時、私は心の底から湧き上がる歓喜を抑えることが出来なかった。
 理由は分からない、けれど自分はこうして生きている。しかも身体の自由すらも手にしている。
 元気になったということは、お姉様とこれからもずっと一緒にいられるということ。それは何と幸せなことなのだろう。なんと至上な未来なのだろう。
 喜び溢れる私は、室内から飛び出して、館中を走りまわってお姉様を探し回った。地下室以外あまり紅魔館の中を知らない私だから、
お姉様をなかなか見つけることは出来ず、道中に様々な妖怪達に出くわした。
 その妖怪達は私を見るなり、嫌な笑みを浮かべて挨拶を口にしていた。『フランドールお嬢様、ご健勝で何よりです』『お身体の具合は大丈夫ですか』と。
 まるで私に取り入ろうという心根を隠そうともしない連中に、私は首を傾げながらもお姉様の居場所を訊ねる。けれど、連中は下種びた
笑みを浮かべて口を揃えるのだ。『レミリア・スカーレットとは誰のことですか?』と。
 連中の言葉に、私は意味を理解することが出来なかった。自分はともかくお姉様を知らない妖怪など、この館に存在する筈がないからだ。
 お姉様は次代のスカーレット家を担う後継者であり、実力も風格も相応の者とお父様の部下達に認識されている。つまりお姉様は
将来の自分達の主になる可能性が高く、その相手を知らないなどという筈がないのだ。そう何度も問い詰めても連中は笑いを堪えて
知らぬ存ぜぬを貫くばかり。あまりにその態度が腹立たしくなり、私は己が身体に漲る力を解放しようとしたその時だった。私達の前に、お父様が姿を現したのだ。

 そのことに、私は軽く安堵する。他の馬鹿どもはともかく、お父様がお姉様の居場所を知らない筈がない。
 私はお父様に一礼し、お姉様の居場所を訊ねるが、そんな私にお父様は信じられない反応を返した。
 何も感情が込められていない、ただただ冷淡な瞳。その瞳で私を見下し、たった一言言葉を紡いだ。

『今日からお前は私の後継者としての教育を受けろ。話はそれだけだ』

 たったその一言だけを言い、お父様はこの場から去って行こうとした。
 そんなお父様に、私は慌てて道を塞ぐように立ち塞がり、必死に食らいついてお姉様のことを問い質す。
 お姉様は何処に行ったの、後継者って何のこと、お姉様が後継者なのにどうして。
 次から次に湧き出る疑問を投げつける私を、お父様は面倒だとばかりに蹴り飛ばした。
 廊下に倒れ、言葉を失う私にお父様は『ゴミなら地下だ。あのゴミもお前が責任を持って廃棄しておけ』と告げた。
 お父様に蹴られたことよりも、私にはお父様の言葉の意味が理解出来ないことが心を占め、ただただ困惑することしか出来なかった。
 どうしてお姉様のことを訊ねたのに、ゴミがどうこうなんて話が出るのか。地下のゴミを廃棄しろとは何のことなのか。
 現状に頭が追いつかない私に、まだ立ち去っていなかった連中がニヤニヤと笑いながら私に話しかけてくる。

『まずは当主様の仰る通り、地下掃除をしてはいかがですか?何なら手伝いますよ?』

 連中の言葉の意味は未だに理解出来なかったが、地下に何かヒントがあるのかもしれない。そう考えた私は、連中と共に
自分の塒であった地下へと足を進めた。大階段を下り、地上とは何十メートルも離れた暗闇の支配する世界。
 何処までも暗く、鬱葱さと孤独のみが存在を許される地下室…その一室に、それは、居た。
 私の存在した地下の一室ではなく、更に闇が支配する牢獄。お父様に逆らった者達が投げ入れられ、ただ死を待つだけの場所。
 その一室に、それは存在していた。まるで投げ捨てられたボロ人形のように床に転がっていて。

『――うそ』

 そのボロボロになってしまった誰か。それを私は最初認識することが出来なかった。
 否、認識したくなかった。だって、そんなの在り得ない。その光景は絶対に在り得てはならないものだったから。

『――うそ、だ』

 地下牢に投げ捨てられた少女――彼女は酷く、自分の知っている誰かに似ていた。
 だけど、自分の知っている誰か…自分が大好きなあの人とは、異なり過ぎる箇所が多過ぎる。
 私の大好きなあの人の髪は何処までも綺麗に整えられていて…だけど、地下牢の少女は、土埃まみれの髪で櫛すらも通されておらず。
 私の大好きなあの人の瞳は何処までも澄んだ美しい瞳で…だけど、地下牢の少女の瞳は、最早何も映すことが出来ない程に濁りきって。
 私の大好きなあの人の身体は何処までも傷一つなく綺麗な肌で…だけど、地下牢の少女の身体は傷だらけで、衣類一つすら身に纏わせてもらえず。

『――嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!』

 違う。違う。違う。この娘は、あの人じゃない。この娘があの人である筈がない。
 必死に現実を否定する私に、共に地下にきていた下種どもが愉悦を零しながら言葉を紡ぐ。
 それは心から愉しそうに。それは心から嬉しそうに。

『嘘じゃありませんよ。正真正銘、この小娘がフランドール様の探していた人物ですよ。
どうです、惨めなものでしょう?スカーレットの後継者として未来を約束されていた小娘が今やこのザマなんですから』

 そう言って、奴等は醜い愉悦を零しながら、あの人によく似た少女の髪を乱暴に掴み引き寄せる。
 力任せに引っ張られる少女は、少しの抵抗もせず連中にされるがまま。止めてよ。その人は、その人はお前達如きが触れていい存在なんかじゃない。
 もしその人が私の愛する人であるならば、お前達のような屑が触れていい人じゃないんだ。
 呆然とするしか出来ない私に、奴等はますます調子付いたように悪臭を伴った唾棄すべき言葉を並べたてていく。

『あれだけ大切に育てられていたくせに、当主の意向に逆らって下らぬ行動を起こす者の末路がこれですよ。
このことは後継者たるフランドール様には重々理解してもらわないといけません』
『そうですよ。貴女様は聡明なお方、こんな屑のような馬鹿な行動は取らないとは思いますが…念のために釘を刺しておきませんとね』
『しかし、残念と言えば残念かもしれませんね。もしこの小娘がもう少し成長していたなら、我々とて別の意味で楽しめたものを』
『違いない。あのスカーレット様の娘を蹂躙出来るならさぞ面白かっただろうに、こんな貧相な小娘ではやる気も起きんよ』

 屑共の吐き気を催すような言葉が私の心を蝕んでいく。奴等の言葉が私の心を追い立てていく。
 ああ、間違いないんだろう。やはり、これは夢なんかではなくて。奴等の言葉がこれほどまでに気分を害する世界。
 …今、奴等にされるがままに力を振われている少女。あの人は…私の愛した、レミリアお姉様なんだ。
 それを認めてしまえば、後は刹那に終わってしまって。感情の堰が壊れ、自分を抑えることなど出来ず。

『…るな』
『ああ?何か仰いましたか、フランドールお嬢様?』
『――お姉様にその汚らわしい手で触れるなと言ったのよ、塵芥共が』

 生まれて初めて行った力の行使。
 それはこれまでずっと寝たきりだった自分からは考えられない程スムーズに行使されて。
 力の開放、それは瞬きをする間も与えることなく終えてしまった。汚らわしい手でお姉様に触れる屑の首を片手で跳ね飛ばし、
隣で下品に笑っていた屑の頭を残る片手で磨り潰し。二匹の妖怪の命を一瞬で絶命させ、私は生まれて初めて他者の命を奪った。
 けれど、そこに罪悪感など感じることは無かった。奴等は私のお姉様に無礼を働いた。奴等は私のお姉様に汚らわしい手で触れた。それだけで万死に値する罪だから。
 私は殺した奴らのことなど微塵も振り返らず、ただ倒れ伏したお姉様をそっと抱き寄せ、その顔を覗き込む。地下牢の一室に投げ捨てられた
お姉様…その表情からは、以前のような輝きは全て失われていた。意志のない瞳、戻らぬ返答。お姉様はまるで生きることを放棄するかのような
様相だった。そんなお姉様を私は抱きしめ、言葉を漏らさず涙を零した。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうして――
 何が起こったのか。どうしてこんな状況になってしまっているのか。眠っていた私には、少しも理解することも想像することも叶わない。
 だけど、今私の目の前に広がる現実はお姉様が壊れてしまった現実(リアル)。いつも私に優しく微笑みかけ、温かい言葉をくれたお姉様は
何処にもなく、今ここには世界のどの光景をも映し出すことが出来ない程に壊れてしまったお姉様が存在するだけ。
 そして、そんなお姉様をゴミのように扱う館の連中…お父様。実の娘であり、後継者でもあるお姉様を、ゴミと言い切ったお父様。

『――してやる』

 あれだけお姉様はお父様の為に尽くしていたのに。
 お父様の名に恥じない後継者となる為に、スカーレットを継ぐに相応しい吸血鬼となる為に日々研鑽を積んでいたのに。
 そんなお姉様を、お父様は…アイツは、ゴミだと。私のお姉様を、ゴミなどと切って捨てた。そして挙句の果てに、こんな場所にお姉様を。

『――殺してやる』

 己の感情の制御、そんなこと今の私には考えることすら出来なかった。
 気づけば私は紅魔館の地上へと上がり、そこに存在する妖怪達を片っ端から屠り去っていた。
 目覚めた自分の力を感情のままに振り回し、一匹、また一匹と妖怪を殺していった。
 私の大切なお姉様をあんな風に扱った連中を一匹たりとて生かしておくつもりなど無かった。私の大切なものを傷つけた奴等に生きる資格などない。私が認めない。
 やがて二十を超える屍を築き上げたとき、とうとう私の目的とする『奴』が私の目の前に現れた。
 力を振う私に、奴は楽しそうに愉悦を零すだけ。その態度が私の癇に酷く障り、迷うことなく力を行使する。
 けれど、目覚めたばかりの私と百戦錬磨で館の頂点に立つ奴では実力があまりに違い過ぎた。呆気なく私を地べたに叩きつけ、私の頭を踏みつけて
奴は私を見下していた。だけど、私の心に灯った憎しみの炎がそんなもので消え果ることなどない。
 私は必死に口を動かし、奴に対して呪詛の言葉を紡ぐ。絶対に許さない。こいつだけは――お父様だけは、絶対に。

『殺してやる!絶対に殺してやる!お前は必ず私がこの手で殺してやるんだから!!』
『お前が私を?ふん、笑えない冗談だ…だが、その下らぬ憎悪の心がお前の成長をもたらすのならば一興か。
いいだろう。憎みたければ存分に憎むがいい。私を憎み、そして力をつけるがいい。今のお前では、私に触れることすら叶わぬ』
『私を殺さないつもり…?舐めるな!私はお前の人形でも玩具でもない!お前に生かされるくらいなら、自分の手でっ!』
『お前が死ねば、レミリアは私が殺す。それで構わぬというのなら、自ら死を選ぶがいいさ』
『なっ…』
『だが、お前が生を選び、私に都合のいい傀儡となり続けるのなら、レミリアを生かしてやろう。
無論、地下牢などではなく以前のような自室を与えてな。さて、どうするフランドール。選ぶのはお前だ』

 奴の提示する条件。それは最初から私が首を横に振る権利など与えてすらいない命令と同じもの。
 あまりに酷過ぎる奴の自分勝手な言葉に、私は気づけば涙を零していた。嗚咽を零し、必死に言葉を紡いだ。
 そんなものは無駄であると知っているのに。そんなものは自分を惨めにするだけだと理解していたのに。それでもそうせずにはいられなかった。

『酷いよ…お姉様の父親なのに…お姉様は頑張ってた、立派な後継者になるんだって…お父様の力になるんだって…
それなのにどうしてこんなことが出来るのよ…お姉様が、お姉様が一体何をしたっていうのよ…こんなのってないよ…』
『何も出来ない、それが今のレミリアの現状だ。そしてそれは私の娘である資格など無いも同じこと。
そして幸か不幸か予備がこうして使えるようになった。ならば予備がレミリアの役目を負うのは当然のことだろう』

 実の娘を娘とも思わぬ言葉に、私は必死に感情を抑えて唇を噛み締めた。そして最後と決めた涙を零す。
 もう私が泣くのは今日が最後。明日からの私は涙を零す暇すら存在しないだろうから。
 拳を握りしめ、己の本心を押し殺し、私はこの日誓った。どれだけ時間がかかろうと、必ず奴を…私達の父親だった者を、この手で殺すことを。























 その日から、私は生の全てを己の研鑽に注ぎ込んだ。
 奴の命じた配下の連中から効率のいい力の使い方、他者を圧倒する技術を学び、
ときには奴に命じられるままに他の妖怪か人間の領地へ向かい、そこで私に刃を向ける連中を惨殺した。
 他の妖怪や人間との戦闘は私にとって奴との来るべき日の予行練習に過ぎなかった。如何に自分の身体を
効率よく使い、如何に他者を殺す為のステップを構成出来るか。新しく体得した力の試し打ちもそこで行った。
 そんな私の自分勝手には、私に刃を向けた連中にのみ付き合ってもらった。恐怖に震え戦う意思を見せぬ者や
無抵抗な連中、力の無い連中には興味を向けず力を振わなかった。それは私の奴に対する小さな報復だったのかもしれない。
 そのことを咎めてくる奴の配下は、指揮者への反逆として即座に殺した。遅かれ早かれ私は紅魔館の連中を殺し尽くす予定なのだ、
むしろ私の命に反逆してくれる連中が多ければ多いほど、奴等を殺す名目が手に入れられて好都合だった。
 だからこそ、私は戦闘の度に歯向かわぬ連中を殺すなと部下に命じ続けた。本当、父の息がかかった奴等は呆れるほどに
単純な奴ばかりで笑えてしまう。命令を無視したとき、私は歓喜に心を震わせながら、連中を殺していったのだから。

 鍛錬と襲撃以外の空いた時間の全てを、私はお姉様と過ごす時間に費やした。
 お姉様は地下室ではなく、私の自室となってしまったお姉様の部屋へと運び、私のベッドの上で日々を過ごし続けていた。
 何があったのかは分からないけれど、お姉様は完全に心を壊してしまっていて。私が何と声をかけても、
お姉様は何の反応も示さなかった。否、示せなかった。だけど、それでも私は幸運だと思っていた。お姉様があの状況下で生きてくれていた。
それだけでも私は喜ぶべきだと考えていた。あの屑達が少しでも気まぐれを起こせば、お姉様はきっともうこの世に存在していなかっただろうから。
 横になったまま身動ぎ一つ出来ないお姉様のお世話を私はし続けた。ときに食事をなんとか喉を通させ、ときに髪を梳き、ときに身体を拭き。
 お姉様の身の回りのお世話をすること、それだけが私の幸せだったのかもしれない。血生臭い世界でしか生きられない私の心を
お姉様との時間が唯一の安らぎだった。そんな日々を繰り返し、幾度もの季節を繰り返す中で、私は一人の魔法使いの女と出会った。

 その出会いは格別驚くようなものでもない。私がお姉様の部屋へ向かう最中、その女と私は廊下で出会った。
 魔法使いである女、彼女の容貌を見て私はそいつが奴の右腕の魔法使い、その妻であることを即座に理解する。長い紫の髪に
妖艶な美貌を持つ女など、この館にそう存在するものではない。奴と近しい人物は私にとって将来殺すべき存在、そして憎むべき存在。
 だから私は舌打ちをし、そいつを見なかったことにして横を通り過ぎようとした刹那だった。その女は横を歩き去ろうとした私に
一言言葉を紡いだのだ。

『壊れた心を取り戻すのは難しいこと。けれど、その上を雪原のような白で上塗りしてしまえば、心は新たな色を描けるかもしれない』

 その女の言葉を耳にし、私は後ろを振り返ったときには既にその女の姿は何処にも存在せず。
 最初は女の言葉を気にも留めていなかった私だけど、お姉様と過ごす時間を重ねる内に魔法使いの呟いた言葉が何度も何度も思い出されるようになった。
 お姉様の心は完全に壊れてしまっている。お姉様が以前のように笑ってくれるのは、きっと時間を待つだけでは解決しないんだろう、それは
私にも薄々と感じ取れていた。このままお姉様を生きる屍のように過ごさせ続けること、それ以外に方法がないのか。否、存在する。それが女の口にした内容。
 違和感は感じていた。どうして奴に近しいあの女が私にそんなアドバイスのような言葉を送ったのか、理解出来なかったから。
 疑うことは何度も何度も行った。だけど、私が選ぶ選択肢を持ちえないのも事実。今のお姉様は全く無風の世界に存在する泉。微動だにしない
水面に変化をもたらす為には、一石を投じることが一番の近道。だけど、お姉様が仮に心を取り戻したとして、あの女に一体何のメリットがあるのか。
 考えても答えの出ない状態に、私は悩み続け、そして決断を下す。お姉様の心を取り戻す為の一手を打ってみる決心を。
 心を壊したお姉様を抱き寄せ、私は真っ直ぐにお姉様の瞳を覗き込む。見つめるはお姉様の瞳の奥に縛られた心、壊れた世界。
 私がお姉様に行うこと、それは吸血鬼特有の能力である強力不可避の暗示。他者を操る為の力を、お姉様の心の再活動の為に利用する。
 幾重にも厳重に暗示を私はお姉様にかけ続ける。かける暗示の内容は唯一つ、一切の記憶の消去。忌まわしきこの館の中での
記憶の全てに蓋をして、新たな生を享受する為に。心を壊してしまった理由は分からない、けれど何も無いゼロの状態からならば
新たな心を描けるかもしれない。…勿論、全てを忘れてしまえば、私のことも私との思い出の全ても忘れてしまうだろう。
 でも、私はそれでもよかった。またお姉様が笑ってくれるなら、私の大好きなあの温かな笑顔を浮かべてくれるなら、私のことなど忘れてくれても構わない。
 私の心なんて関係ない。私の想いなんて関係ない。ただ、お姉様が幸せになってくれるのならばそれでいい。
 一日、また一日と数日かけて深く深く暗示を繰り返して…そしてお姉様は心を取り戻すことになる。この紅魔館での過去の一切を捨て去って。












 お姉様が心を取り戻し、自我を萌芽させてからというもの、私はお姉様と接する際には常に一つの暗示をかけ続けている。
 それは自室から外に足を運ばないこと。理由は言うまでもない、この館は私以外皆お姉様を塵扱いする屑しか存在しない館なのだ。そんな汚れた場所に
お姉様を歩かせるつもりなんて私には毛頭なかった。私が室内にいないとき、お姉様の存在する部屋は私の施錠した強力な魔力結界によって
封鎖されるようになっている。外からは決して開かないようになっており、開くには私が施錠を解放するか内側から開くしかない。
 それくらい厳重にしなければ、私はお姉様を護ることが出来なかった。お姉様に窮屈な思いや孤独を強いているのは痛いほどに理解している。
 けれど、私にはそうするしか出来ないのだ。この館には私の味方なんて存在しない。誰も彼もみんなお姉様を見下し塵扱いする屑ばかり。
 だから私は一人でも守らなくちゃいけない。どんな手を使ってもお姉様を守る。たとえ一人でも、私が必ずお姉様を。




 やがて、私に僥倖とも言うべき転機が訪れることになる。

 奴がいつものように有能な妖怪を引き抜いてきた、その中に一人異彩を放つ妖怪が存在していた。
 紅の髪に色を映さぬ瞳、全身から血の匂いを放つ壊れた殺戮機械。それが私が彼女に感じた初めての印象だった。
 新しく館に来た妖怪の誰も彼もが奴に平伏す中、彼女は一人気にする素振りも見せず頭を下げることもない。そのことに不満を持ったのか、
暴力にて従わせようとした奴の部下を文字通り瞬殺してみせた。その姿に、私は初めてこの館内で奴に対抗出来るカードを一枚見つけたことを確信した。
 アレは決して奴如きに従えることの出来る存在ではない。彼女は必ず奴の配下にはならない。ならば彼女の存在は利用出来る。
 上手くいけば、奴を殺す為の強力なカードに…それどころか、お姉様を守る為の最高のジョーカーに成り得る存在だ。どうにかしてこちらに引き込めないか。
 そこまで考え、私は自分が非常に無茶な考えを並べていることに気づき思わず呆れてしまう。…何を都合のいい話を並べ立てているのか。あれが
誰かに属する存在ではないことは先ほど言った通りじゃないか。彼女はきっと何者にも従わない頭を垂れない。何故なら彼女は唯他者を殺す為だけに存在しているのだから。
 諦めたくはないが、自分に打てる有効打が何一つ見つからない。どうすることも出来ず、ただ淡々と時間が流れてしまう日々。

 そんな最中、私にとってある意味大事件とも言える事件が館内で発生した。
 お姉様が私の暗示に逆らい、部屋の外へと出てしまったのだ。そのことに気付いたのは、部屋の施錠が解放されたことを感じ取った為。
 理由は分からない。けれど、お姉様は私の幾重にも重ねた暗示を跳ね除け、そのまま室外に出たことになる。その危険に顔を青ざめさせ、
私は慌ててお姉様の居場所を必死に探し回った。もしお姉様が館の連中に出会ってしまえば、それこそ非常に恐ろしい事態になりかねない。
 なんとしても先にお姉様と出会わなければ。けれど、お姉様はどれだけ探しても館内にいなくて。もしかして館の外に出たのか、
そこまで考えて私は自分の世界が終ってしまいそうになるのを感じていた。何故なら館外、紅魔館の門の前には彼女が存在しているから。
 彼女は門前に立ち、モノを考えない殺戮機械として館に訪れる侵入者を一人残らず殺している。そんな存在の前にお姉様が
立ってしまえば、そこから先の未来など赤子でも分かる。私は可能な限り全力で駆け、必死に館の外へと踏み出した。
 最悪の可能性は考えたくない。でも、最悪の一歩手前は考えなければならない。あの化物と殺し合う可能性を。
 必死に館外に飛び出し、気配を消して門の前まで近づき――そこで私は予想すらしていなかった光景を目撃することになる。

 月だけが光照らす夜空の下で、お姉様が何度も何度も空を飛ぶ練習を繰り返す姿。
 そして、そんなお姉様をじっと眺め続ける紅髪の妖怪。

 その二人の様子に私は言葉を発することが出来なかった。一体何がどうなっているのか、と。
 お姉様が空を飛ぶ練習をしていることにも非常に困惑したけれど、それ以上に驚きを隠せなかったのが、紅髪の妖怪の姿だ。
 彼女はまるで見惚れたようにお姉様の姿をずっと眺め続け、夢中という言葉が非常に似合う状態で。何より彼女がここまで
近づいた自分の気配に気づかない状態、それこそが以上過ぎた。今の彼女は殺戮機械と表現するにはあまりに。
 そんな二人の姿に、私の中でもう一人の冷静な私が静かに囁いてきた。『これは利用出来るのではないか』と。
 理由は分からないが、お姉様のあの姿に彼女は心惹かれている。すなわち、彼女がお姉様を殺す可能性は現段階では非常に
低いと推測出来る。ならば、もっと二人の距離が近づけばどうなる。もしあの妖怪がお姉様に心を開いたならば、そのときは。
 これは非常に大きな賭けだった。やもすれば、お姉様の命を失いかねない程の大きな大きなギャンブル。けれど、その賭けに勝った時、
私は膨大なリターンを得ることが出来る。私以外でお姉様を守ってくれる最強の剣、その存在がもしかしたら入手できるかもしれないのだ。
 私は悩み、そして彼女に対して賭けを挑むことを決意する。お姉様の深夜の飛行練習を、私は一切止めない。ただ、お姉様が外に向かう際、
お姉様の歩む道に存在した奴の部下連中は無理矢理眠らせてお姉様と接触させないようにした程度だ。そして、いつの日か
彼女と接触したとき、より味方が必要なのだと訴えかけられるように、私に対する印象に『嫌いな妹』という暗示をかけて。

 一か八かというに相応しい賭けであったけれど、その結果は私の望む以上のリターンを手にすることが出来た。
 彼女――紅美鈴はお姉様に心惹かれ、そしてお姉様にその忠誠を誓った。お姉様の為だけに生き、お姉様の為に全てを賭す妖怪へと。
 その結果に私は喜びを隠すことが出来なかった。最高のカードを手に入れたという理由もそうだけど、何よりあれほどの妖怪の
心を奪ってしまったお姉様の凄さに言葉を表現することが出来ない程に嬉しかった。あの妖怪に心許される存在など、私だって出来はしない。
 私は声を大にして館中の連中に叫びたかった。お前達が無能だと屑だと言ったお姉様はこんなに凄いんだと。こんなに素晴らしいのだと。
 そのことを笑いながら、紅美鈴に初接触時に語ったとき、紅美鈴は呆れるように笑って私に力を貸すことを約束してくれた。
 当然だ。私と彼女はお姉様を守る為、その一点において決して互いに壊れることのない誓いを果たしている。だからこそ、私と彼女が
相容れない理由がない。私と美鈴は同胞、お姉様の為に生き、お姉様の為に死ぬ存在なのだから。
 美鈴にこの館の連中を一人残らず消し去る計画を話すと、美鈴もまた乗り気で『私が代わりに今すぐ実行してあげようか?』と提案してきた。
 そんな美鈴に苦笑しながら、私は軽く首を横に振る。まだその時じゃない、私達が行動するのは全ての条件が揃ってから。お姉様が
何の心配をすることもなく、これから先幸せに生きていける為の条件が揃った時…その為には、私達二人だけじゃまだ足りない。














 それから時間が流れ、美鈴が私の代わりにお姉様を守り続け、私がお姉様と距離を置いて
久しくなった頃、紅魔館中を揺るがす一つの事件が発生した。それは奴が部下に研究させ続けていた魔力実験の暴走。
 強大な力を精密操作する大実験だった為か、暴走の規模は酷く、奴の部下が十数人この世から去った。
 その報告を受けたとき、私はどうせならもっと大人数を巻き添えにしてくれればよかったのにと一人悪態をついていた。そう、
一人の人物の死亡報告を受けたときまでは。
 その人物は奴の右腕の魔法使い、その妻。お姉様に暗示をかけることを助言してくれた不可思議なあの女。
 彼女はどうやら、その大事故に巻き込まれて命を落としたらしい。その報告に、私は先ほどまでの最低な考えを少しだけ改める。
 別に死を追悼してやろうとは思わない。あの女も所詮奴の仲間、お姉様があんな扱いを受けても何も声をあげようとしなかった一人。
 だけど、それでもお姉様の心を取り戻すにいたった理由の一つであることに変わりはない。だから私は一言だけ言葉を紡いだ。
 こうして彼女が顕界から去るまで口に出来なかった言葉――『ありがとう』、その一言を。


 事故の報告を受けてから、二月近くの時間が流れ。
 奴の右腕である魔法使いが、一人の少女を奴に紹介した。その少女の姿に、私は少しばかり驚いてしまう。
 容貌こそ幼いけれど、その姿は私の知るあの死んだ魔法使いの女に酷似していて。そして、その夫である男が紹介してきた
という点で、その少女が彼女の忘れ形見であることを理解する。けれど、報告では確か娘も死んだとなっていた気がするけれど。
 そんなことを考えていると、奴は二人を見て、突如笑い声をあげて語る。『お前も随分狂ったものだ』と。
 成程、奴に同意する訳ではないけれど、確かに魔法使いは狂っている。何があったかは知らないが、自分の娘を便利な傀儡、玩具などと
表現するところなんか実に奴そっくりで最高の屑ではないか。最低の下種であると私は称賛してあげたい気分に駆られていた。
 そして、肝心の少女に対する印象は何一つ持ち得なかった。この娘は私同様父親に利用される玩具に過ぎないのだ。憐れむ心も
同情心も持つことなんて出来ない。少女がもし現状から解放されたいと望むのなら、そのとき私は初めて興味を持つかもしれない。
 同じ穴の狢、同じ地獄の釜の中でもがき苦しむ同胞として、少女の力に。

 それから数日後、何を狂ったか魔法使いは少女を私直属の部下にするように奴に進言したらしい。
 それを受け、少女が私の部下となることが正式に決まり、私は自分の後ろを歩く少女に苛立ちを隠すことが出来ずにいた。
 人形――ああ、実にその表現がよく似合う少女だ。言われたことに反応せず反抗せず。ただ唯々諾々と己が運命を受け入れ、諦め。
 ただただ父に言われるままに生きる、そんな姿が私は何より気に食わなかった。自分と同じ立場でありながら、そんなふざけた
世界を受け入れてしまっている少女が私には到底受け入れ難いものであった。だから私は思わず訊ねてしまう。
 お前にとって父親は何なんだと。命令をくれるご主人様か、そんな奴を――お父様などと呼べるのかと。
 だが、彼女から返ってきた答え。その言葉に私は言葉を失うことになる。魔法使いのことを、少女はノーレッジであると…父であると、
認識していない。それどころか一切の記憶を奪われてしまっている。それは恐らく魔法使いが少女に対し、そのような対処を行った為。
 何故そんなことを…そこまで考え、私はこれまでの流れで不可思議な点が線になるのを感じた。
 自身の右腕の妻が死んだと報告を受けた時の奴の表情、そしてあの魔法使いが執拗に奴ではなく自分に少女を近づけようとしている行動。
 全ての点が線になったとき、私はあの魔法使いの考えを理解した。あの魔法使いは守ろうとしているのだと。奴の手から、娘を。
 推測ではあるけれど、恐らく魔法事故は奴が作為的に引き起こしたもの。そして、その事故の為に魔法使いは妻を失い、娘すらを
失いかけてしまった。その状況は非常に奴の境遇と似ていて…奴がどうしてそんなことをしたのかは分からないが、それを
魔法使いはしっかり認識している。だから娘を自分に預けようとしている。たった一人の娘を守るために、自分とのつながりを捨て去ってまで。

 その考えを悟った時、私は魔法使いのもとへ真意を問い質しに向かった。散々沈黙を保ち続けたが、結局彼は口を割った。私の考えが真意であると。
 それを聞いた時、私は彼に力を貸せと訴えかけた。近い未来、私は奴を殺すと。そうすれば、お前は自由になり娘と共に幸せな未来を
歩くことが出来る筈だと。だけど、彼は私の誘いに決して頷くことはなかった。何度も何度も誘っても、彼は首を横に振って
『奴を裏切ることは出来ない』と言葉を返した。ならばここで殺すぞと脅しても、彼は決して首を縦に振らなかった。
 ただ一言、『殺すなら殺して構わない。お前にはその権利も資格もある。だが、私を殺すなら娘の…パチュリーのことは頼まれてくれるのだろう』と
いつも同じ言葉を紡ぐのだ。それを耳にする度に、私はあの少女に嫉妬を覚えていた。私達の父が奴ではなく彼だったなら…そんな無駄な未来を想像してしまうから。



 その魔法使い――ノーレッジを何とかこちらに引き込めないか取引を幾度と持ちかけている最中、奴がふざけた戦争を決意する。
 この欧州から古き妖怪達が住まう地、幻想郷へ転移を行い、その地を力で持って侵攻するなどという馬鹿げた考えだ。
 部下達に命を下し、歓喜に震える紅魔館の中で私は一人冷やかな目で奴のことを見つめていた。愚か過ぎる、たかが欧州を抑えたくらいで
図に乗ったか。幻想郷、その地は私とて噂で聞いたことがある。この顕界から去っていった妖怪達が、幻想が生き続ける隔離世。
 そんな場所に棲まう連中が、私達程度でどうにかなると思っているのか。一世界を生み出せるほどの存在がその地には在ることくらい
考えずとも悟れるだろうに。だが、頭が完全に狂ってしまっている奴には、そんな考えなど微塵も想像すら出来ないのだろう。
 私の他に唯一危険を感じ取ったノーレッジが、奴に対して必死に反対意見を述べていたが、そんなものに耳を傾けるような男か。
 ノーレッジ、本当に愚かな男。お前が信じている男は、お前の考えるような男なんかじゃない。奴の存在はお前から最愛の妻も、
果てには娘すらも奪いかけてしまったというのに、それでもお前は奴を信じるのか。…本当に救えない男。奴にそんな価値など存在しないのに。
 友の為に全てを犠牲にするのか。娘より友を取るというのか。ならば私とお前は決して手を取り合うことは出来はしないだろう。
 …けれど、私は最後までお前を諦めない。お前が娘を私に預ける限り…娘を救う為に尽力する限り、私はお前を。



 紅魔館が幻想郷に転移を終えると同時に、奴の配下達は我先にと幻想郷中で暴れまわり始めた。
 私は奴の『お遊び』に付き合うつもりなど毛頭ない。むしろ、これは私達にとって最大の好機でもある。
 勝手に幻想郷で暴れまわり他者の命を奪い続ける連中を、幻想郷は決して許さないだろう。奴をも超える妖怪が、必ずや
この地に訪れ、連中を一人残らず屠り去る筈だ。ならば私は傍観していればいい。それだけで私の長年の夢が、目的が達成される。
 無論、この手で奴を屠りたい想いは変わらない。けれど、私が何より優先すべきはお姉様。お姉様を害する全ての者を屠り去り、
この紅魔館から下種の輩を一掃し、そしてお姉様が今度こそ幸せになれる場所を築き上げること。
 誰からも害されることもない、私とお姉様が一緒に笑いあえる場所。それが私の何よりの目的なのだから、あいつの首の一つや二つ他の妖怪に
くれてやってもいい。だからこそ、私は幻想郷進行で騒がしい連中の裏をかいて着々と自身の計画を推し進める。
 一つはノーレッジの要望である、お姉様とノーレッジの娘…パチュリーの接触。
 ノーレッジの計画を知った当初より、彼はお姉様とパチュリーをなんとか接触させてほしいと考えていた。最初は何故だろうかと
考えていたが、日に日に変化していくパチュリーの様子に私は納得する。今のパチュリーは出会った頃の人形などではなく、
自分でものを考えものを欲する立派な個として存在している。そんなパチュリーに『心』を与えたのは他ならぬお姉様。
 そのことに私は耐えられず笑みを零さずにはいられなかった。お姉様は本当に凄い。あのパチュリーに笑顔を与えたのは、他ならぬお姉様なんだ。
 私はそのことをノーレッジに何度も何度も繰り返し自慢した。その度にノーレッジは呆れるような溜息をついていたが、彼にそんな風に
あしらわれるのは心外だった。何せこの馬鹿は自分の魔力の殆んどをパチュリーに移植した程の親馬鹿なのだ。幾らパチュリーの体調が
戻らず危険な状況にあったとはいえ、自身の数百年の力の全てを迷わず娘に譲り渡したのだ。それを親馬鹿と言わずして何と云うのよ。
 娘に対する想い、それは私達が決して得られなかったもの。自分が得られなかったからこそ、私は強く思うのだ。
 ――ノーレッジ、お願いだから娘を悲しませるような選択肢は選んでくれないでよ。下らないモノに縛られて、パチュリーを泣かせるような真似は。







 私の目論見通り、幻想郷で好き勝手し過ぎた奴等を処刑する為に幻想郷の強者達がこの館に乗り込んできた。
 館内の連中が次々に屠り去っていく光景を、私は美鈴達と共に地下から笑って眺めていた。
 奴の従者達が一匹、また一匹とたった二人の妖怪に屠られていく様に私は愉悦を零さずにはいられなかった。
 他者を蹂躙し続けた屑達が、因果応報を持って呆気なく殺されていく様、それは実に心躍る光景ではないか。
 待っていた。私達はこのときを数百年も待ち続けていた。呪われし館から解放されるときを、お姉様が本当の意味で
生を紡ぎ始めるその瞬間を。処刑人の強さは言葉にするのも憚られる程で、奴の強大な力を持ってしても彼女には手も足も出ず。
 結論から言うと、奴は生き延びた。処刑人達は奴の部下を片手で数える程度のみを生かし、奴の力を根こそぎへし折った上で
幻想郷での不可侵条約を締結させたのだ。そのことに、私は処刑人に少なからず感謝した。そう、貴女は私に手を下させてくれるのね。
奴をこの世から消し去る最後の決断を、この私に。私は美鈴にお姉様を任せ、私が待ち望んだ最高の瞬間への準備を推し進める。

 けれど、私が奴を殺す前に最後に為すべき仕事がある。それはノーレッジの説得。
 あの男は処刑人に見つかることなく、地下に潜み続けた。私はノーレッジの元に辿り着き、言葉を交わす。
 もう奴は終わりだと。私がこの手で始末すると。だからお前はもう奴に縛られることはないと。
 だが、この最後の最後になってもノーレッジは私の誘いに決して頷くことはなかった。あまりに頑固な男に、私は感情を苛立たせて言葉をぶつける。

『どうしてそこまで奴に付き従う!?お前は奴に妻を殺され、娘も奪われかけたんだろう!?』
『奴をここまで狂わせたのは私の責任でもある。今更一人生き延びようとは思わんよ』
『一人じゃないでしょう!?お前には娘が…パチュリーがいるじゃない!
お前は娘に何も知られぬままにこの世から去るつもりか!?娘を置いて一人楽になろうというの!?』
『そうだ。パチュリーには既に生きる術、私の魔法技術の全てを叩きこんでいる。後は私がいなくともどうにでもなる。
それに、パチュリーにはレミリアが…そしてお前がいる。なればこそ私は安心して地獄への階段を奴と昇ろう』
『っ、ふざけるなっ!お前達はいつだってそうだ!自分勝手な欲望で娘(わたし)達を振り回して!
生きなさいよ!恰好悪くても、無様でも、許されなくても生き延びなさいよ!!パチュリーの為に…娘の為に足掻きなさいよ!!』
『…許せとは言わんよ。私はお前達に対する所業を…レミリアに対する奴の行動を見て見ぬ振りをした。罰されるには十分過ぎる理由だ。
もし私とアイツがもっと心が強ければ、お前達を連れて館から逃げ出すことも出来ただろうに…だからフランドール、私などに同情するな。
私はお前が憎む悪だ。私が存在する限り、レミリアの平穏は決して手に入らない。だから迷うな、迷ってくれるな。
私が死ぬことは最早避けられぬ。私と奴の死を持って、この館は忌まわしき柵から解放される。
…お前はアレの妻に似て優しい娘だからな。私が難しいことを言っていることは重々承知している、だがそれでも――』

 そこまで言われて、結局私はノーレッジの心変わりをさせることが出来なかった。
 彼はもう私の言葉なんかでは動かない、それが痛いほどに分かったから。だから私に出来ることは、彼の最後の願いを聞き届けることだけ。
 彼が私に託した最後の願い。『――どうか、今度こそ幸せになってくれ。お前とレミリアと、そして私の娘と共に今度こそ』

















 来るべき運命の日。全ての準備を終え、私は己が忌まわしき柵を断ちきり運命に終止符を打つ。


 処刑人との戦いで完全に消耗してしまっている奴に、私は最高の笑顔を持って対峙する。
 ただ、私が来ることが分かっていたのか、奴は少しも動揺することなく身体に魔力を通していく。その光景に私は愉悦を零さざるを得ない。

 ――なんて、儚い。なんて、脆弱。

 あれほど強大だった奴の力のなんとか弱いことか。まるで生まれたての雛鳥のよう、それほどまでに奴は弱り切っていた。
 だが、そんなことで私は温情をかけたりしない。奴はお姉様に許されざる罪を犯した。奴はお姉様を裏切った。
 私は軽く瞳を閉じ、己が持つ全ての力を解放する。私がこの数百年間、このときの為に磨き続けてきた復讐の刃を鞘から引き抜く。
 私が得た力、それは奴をも超える程の圧倒的な破壊の力。背中の翅は二対の歪な宝石翼だけでなく、純粋な蝙蝠の羽も生じていく。
 その私の力に、奴は何が可笑しいのかさぞ嬉しそうに歓喜に打ち震えている。だけど、そんな気が狂った奴のことなど今更気にもならない。
 炎の剣と深紅の魔槍、私の愛用する二種の刃を生み出し、迷うことなく私は奴へと翔けていく。そして、奴もまた爪によって私の攻撃を
迎撃する。一度、二度と打ち合う中で私は己が勝利を確信する。勝てる、奴は私の動きにも力にも全く対応できていない。
 やがて私が力で押し切り、奴は肢体を復活出来ぬまでに裂かれ、焼き潰され。力なく床に転がることしか出来ない状況まで追いやられた。
 その光景に、私は我慢することが出来ずに大声で笑ってしまう。そんな私に、奴もまた愉悦を零して言葉を紡ぐ。

『可笑しいか、フランドール』
『ええ、最高よ。もうこれ以上ない程に最高の気分だわ。
あれだけ私達を弄んだお前が、最早私に手も足も出ない。お姉様を穢した罪人がこうして私に裁かれている。
良い様ね、スカーレット。あの時私を殺しておかなかった己の慢心を嘆きなさい?お前は私が殺す、その約束、今宵果たしてあげるわ』
『クククッ、何故私が嘆く必要がある?私の期待通り、お前はこうしてここまでの存在になってくれたというのに』
『フン、負け惜しみを。何、お前は私に強くなって欲しかったとでもいう訳?自分が殺される程に?』
『違うな。私がお前に望んだのは強さではない。お前の心の奥底に眠る『狂気の覚醒』だよ』
『…なんですって』

 何を訳の分からないことを。そう言って笑い飛ばそうとしたとき、奴は突如として狂ったように笑い言葉を吐き出していく。
 まるで雨水が蓄えられて限界を迎えていた堰が完全に崩壊したように、奴は下品さを押し隠そうともせずに言葉を並び立てた。

『狂気だよ!フランドール・スカーレット、やはりお前は他の誰でもない私の娘だ!
お前は私以上に、いいや私など足元にも及ばない程に狂いきってくれた!これを喜ばずして何を喜ぶというのか!』
『…狂ってるのはお前でしょう?私は何処も狂ってなんか』
『いいや狂っているさ!!私を殺そうするお前の表情、実に狂人に相応しい歪み方だったぞ!?
腕を切り落とし、足を焼き尽くし、一歩また一歩と私を傷つける度にお前は欲に溺れた娼婦のような表情へと移ろっていった!
そもそも私のときだけではない、私の部下を一人また一人と殺した時のお前も同様の顔をしていた!
愉しかろう?嬉しかろう?他者を己が欲望の為に蹂躙することは何事にも代え難き程に甘美だろう?
お前が我らを殺す際に感じる絶頂は復讐心が満たされた為などではない、お前が殺戮と蹂躙を愛する根っからの狂人故だ!』

 ケタケタと笑う奴に、私は付き合っていられないとばかりに手に持つ魔槍に力を込め直す。
 こんな奴と最早語る舌などない。最後くらい謝罪の一つでも出るかとは実に甘い考えだった。さっさと殺して全てを終わらせる。
 私が奴に近づき、紅の槍を奴の脳天めがけて突き刺そうとしたその刹那――奴の口から私は最後に最悪の真実を紡がれることになる。

『お前は芸術だよ、フランドール。お前をそこまで育て上げた根本にあるレミリアにも感謝せねばなるまいよ。
奴だけがお前の才能を正しく見抜き、自身の命を糧にしてお前を救ったのだからな』
『…命を糧に?お前、一体何の話を…』
『気づかないか?それとも気づかぬ振りをしているのか?そうよな、気づいてしまえばお前も私達と同罪だ。
最後に一つ教えてやろう、フランドール。どうして昔、病と狂気に蝕まれ死を待つだけだったお前がこうして生き延びられたと思う?
お前の病は決して治癒出来るような生易しいものではなかった。そう、それこそ禁術秘術を持って『生贄』を差し出しても難しいほどにな』

 どうして自分の身体が動くようになったのか。それは私が深く考えるのを忌避した問い。
 深く考えれば、答えなんて呆気なく導かれてしまうから。もしその答えを紡いでしまえば、私は奴等と同じになってしまう。
 言葉を発せない私に、奴は気を良くしたのか畳み掛けるように言葉を続ける。やめろ、やめて、止めてよ。それ以上は、止めて。

『どうしてレミリアは力を失ってしまっている?どうしてレミリアは心を壊してしまった?
どうしてレミリアの持つ魔力と翼をお前が所持している?どうしてレミリアは未だ弱いまま?
滑稽、実に滑稽よな。レミリアの全てを奪ったと私を憎み育ったお前が、その実誰よりもレミリアから全てを奪ってきているのだから』
『…やめて。お願いだから、それ以上は言わないで…』
『レミリアの為?お前がその言葉を使う資格があるのか?レミリアから全てを奪い、奴をゴミそのものに変えた他の誰でもないお前が。
いいかフランドール、お前はあくまで狂人で掠奪者だ。お前は所詮何処まで行っても私と同類、他者から奪うことでしか生きられず、快楽を見出せない。
やがて近いうちにお前は知ることになるさ。自分が大切にするモノ、それを自らの手で壊すことになる未来を、そしてその悦楽を。
零れ出した水の流れは何人足りとて止められぬ。崩壊の序曲は始まった。ましてやお前は私以上の狂気を孕む者、長い未来とて世界が許さないだろう。
狂気に身を委ねよ、他者を蹂躙し尽くせ、その呪われた手で肉親を殺し始まりの鐘の音を打ち鳴らせ、全てを憎悪し全てを殺し尽くせ!』
『…黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!』
『忘れるなフランドール!お前の未来は狂うことしか許されない!私を殺すその手で、お前は必ず大切な存在全てを殺し尽くす!
私がそうであったように、私の中のもう一人の私に狂わされたように、お前も必ず自分自身に翻弄される世界が続いている!
足掻け、もがけ、苦しめ、そして私を超える狂人になるがいいさ!そしてお前もその手で自らの最愛の者達を殺し尽くすがいい!
仲間を、友を、家族をその手で!お前の何より大切なレミリアも、その血塗られた手で――!!』
『――黙れと言った!!』

 これ以上はもう沢山。気づけば私は手に持つ槍で奴の脳天を真っ直ぐに突き刺していた。
 やがて奴は憑き物が落ちたように表情を和らげ、一言残して身体の全てを灰と化し、この世から去って行った。

『――忘れるなよ、フランドール。己が狂気に負けた愚か者の末路、しかとその眼に焼き付けておけ。お前の愛する者を護る為に…な』

 奴の死、それは私とお姉様がこの館の呪いから解放されたことを意味する。
 それは実に喜ばしいこと、心から喜ぶべきこと。それなのに、私は自身から流れる涙を止めることが出来なかった。
 奴がお姉様をあのような扱いにした日から、決して零さないと誓った涙。それがとめどなく私の瞳から溢れだし、止めることなど出来なくて。
 涙の理由、それはお姉様の真実を知ってしまったから。お姉様がああなってしまったのは、私の責任。私を救う為に、お姉様は自分を
犠牲にして、あんな風になってしまった。その真実が痛いくらいに私の心を責め立てている。きっとそう、私が泣いているのはそのせい。

 私が泣くのはお姉様の為。私が涙を見せるのは全てはお姉様の為。
 だから勘違いしないで欲しい。私が泣くのは、決して奴を――お父様を、この手にかけたことが悲しいからではないのだから。











 私がお父様を…奴を屠ったと同様、ノーレッジもまたやはり死を選ぶことを決めてしまった。
 奴を屠った後、私が地下へ戻ると、そこに力なく倒れ伏し、涙を零すパチュリーと、安らかな表情で眠るノーレッジの姿があった。
 パチュリーの様子を見る限り、真実を知ってしまったらしい。ノーレッジが実の父であり、誰よりも自分のことを愛していた真実を。
 涙を零すパチュリーに、私は己が責任を果たす為に言葉を紡ぐ。知っていた。口止めされていた理由はあれど、私は
彼がパチュリーの父親であり、愛するが故の行動であると知っていた。けれど、私は止められなかった。ノーレッジの死を、決意を。
 だからパチュリーに真実を告げる。自分は全てを知っていた、知っていながらに利用したと。私の言葉に、パチュリーは軽く首を横に振って否定する。
『お父様は自らの死を望んでいて、その願いを私は叶えてあげられた。それだけは、誰にも否定されたくない』と。
 …強い娘だと思う。だからこそ思う、ノーレッジ、お前は本当に馬鹿者だと。こんな娘を遺して先に逝くなんて、本当に愚かだと。
 私は彼の遺体の前で帽子を脱ぎ、瞳を瞑り冥福を祈る。誇り高き魔法使い、我が同胞に安らかな眠りが待たんことを。

 心配しないで。お前が託したこの娘は、必ず幸せになるわ。
 最早、この館の未来は幸福以外に存在しない。私がいて、パチュリーがいて、美鈴がいて…そして、お姉様がいる。
 もう私達を縛るものは何も存在しない。私達は幸せになれるんだ。もう何も…私達を脅かすものは存在しない…その筈だから。













 狂人。

 狂ってる。

 奴の言っていた言葉の意味、それを私は涙が出るほどに思い知らされることとなった。





 全てを終え、喜びと心の昂ぶりを感じるままに、私はお姉様に会いに行った。
 もう私とお姉様を遮るものは何も存在しない。奴は消え、私達の世界はあの優しき日々を取り戻せる。
 距離を取る必要もない。誰かに遠慮する必要もない。私は己の望むままにお姉様に想いを伝えられる。
 お姉様の手を取って、一緒に何処までも歩いて行ける。そうなる筈だった。そうなる筈だったのに――私の『狂気』が、それを許さなかった。

 お姉様に最初に会って、私が最初に感じたことは、何処までも純粋な殺意。
 憎むことも、憎悪も存在しない、ただただそうしたかったという欲望による殺意衝動。それが私のお姉様への最初の想いだった。
 ベッドの上で眠るお姉様を見て…血塗れの私とは正反対な、何処までも純白で綺麗なお姉様を見て…私は、強く殺意の衝動に駆られた。
 大好きなお姉様を、世界中の誰よりも愛するお姉様を、この手で穢したいと…殺したいと、思った。その光景は、きっと何よりも綺麗だろうから…
 お姉様の血は一体どんな味がするだろう。お姉様は死の間際に一体どんな声を上げてくれるのだろう。お姉様の死は一体どれほど私の心を揺り動かすのだろう。
 欲望が私の身体を突き動かして、お姉様の細い首に手をかけ、その刹那私は初めて自分の取った行動と感情に驚愕した。


 ――お前は今、一体何をしようとした。
 ――他の誰でもない最愛の人に、一体何を。


 気の迷いだと思った。奴を殺した故の気の昂ぶりによるものだと思った。
 だけど、私の脳裏から奴の最後の言葉がどうしても消せず。身体に溢れる嫌な予感がどうしても拭えず。
 そのとき私は自分の身体に流れる狂気、その忌まわしき身体と数百年ぶりに向かい合うことになる。完治したと思っていた、自身の身体の真実に。
 奴の書斎とノーレッジの書斎を片っ端から調べ尽くし、そこで私は真実に辿り着く。私の身体の症状と、お姉様が私に施した禁術の秘密を。
 私の身体は先天的な魔力と心の欠損によるもの。互いが欠損し合ったモノを埋め合わせるように入り組み、二者が連動するように入り組んでしまっている。
 すなわち、妖力や魔力を行使しようとすれば、それに連動し心も熱を帯びる。その複合作用によって気の昂ぶりを生み、心が冷静さを保てなくなる。
吸血鬼でありながら、その症状は致命的な病だった。存在するだけで妖力を行使している吸血鬼がそんな症状を持てば、どんなに長くとも百年と
生きられはしない。事実、昔の私は百を数えるか数えないかで死を待つ症状に陥ってしまっていた。
 それを抑えつけたのがお姉様の行使した禁呪だった。血を分けた姉妹だからこそ行えた禁術、それは自身の力の全てを私に譲り、その力の全てを
持って私の魔力と心の欠損を力づくで押さえつけて補うこと。これはお姉様が私と姉妹であり、殆んど似通った拒絶反応の生じない力であるが故に出来たこと。
 力の全てを私に流し込めば、私の身体は生を求める為にその力を利用する。けれど、そんなことをしてしまえば、術者は無事でいられる筈がない。何せ
生命器官の維持に必要な力の全てを相手に送り出してしまうのだ。お姉様が使用した禁術の正体を突き止めたとき、私は恐怖に震えた。文字通り、お姉様は
 命を賭して私を救ってくれたのだ。下手をすれば…否、最早そうなってもおかしくない確率、それほどまでに自分の命を捨てる危険を孕んでいるのに、だ。
 お姉様が全てを賭して守ってくれた私の命、お姉様が全ての力を捨ててまで施錠してくれた私の身体。それがどうして今になって。

 その理由は探るまでもなくすぐに想像がついた。私の身体と能力の成長に、お姉様の送ってくれた力が追いついていないこと。
 まだ幼い頃に禁術を使って私に力を与え、私の身体の欠損を塞いでくれた。だけど、それはあくまでお姉様が幼い頃の全ての力。今までの
私の身体の症状を抑えつけていた点で、如何にお姉様が優れた力を持っていたのかが窺い知れるけれど、それでも当然限界は訪れる。
 私の成長が止まることなく続き、お姉様の魔力では欠損を埋めきることが出来ず、その症状が今になって少しずつ見え始めている。
 まだお姉様の力があるから、私が急激に狂い暴走あるいは死に至るということはない。けれど、月日の流れが私の身体を蝕んでいくことは
明確。ゆっくりとゆっくりと症状は進み、最終的には私の身体と心を壊し尽くし、末路は想像に難くない。
 その現実に直面し、私は言葉を発することすら出来ずに立ち竦んだ。どうして。どうして。どうして。救われる筈だった。みんな幸せになれる筈だった。
 お姉様と一緒に笑いあえる日々が始まる筈だった。お姉様とお話ししあえる日々が始まる筈だった。それなのに、どうして。
 何とか治す方法はないかと必死に手当たり次第に考えるも、私が手にするのは絶望という結果だけ。何より、私の知る中で誰より優秀な
ノーレッジが手記にて諦めていた点、これが私にとって致命傷だった。あの魔法使いの智を持ってしても、私の症状は治せない。

 理不尽な現実に嘆き悲しみ涙を零し、ようやく手にした幸せを諦めなければいけないことを無理矢理納得させ、私は自身のことではなく
お姉様のことに考えを向ける。私が死ぬ未来、それはとてもとても悲しいこと。お姉様と幸せになれる日々を夢見てきただけに、
この現実は心折れるほどに苦しい結末。だけど、それでも私は全てを諦めることなどしない。私の一はお姉様の幸せ。たとえそこに私が
存在しなくても、お姉様が幸せになれればそれで構わない。たとえ私が存在せずとも、今は美鈴もパチュリーもお姉様と共にある。
 ならば私のすべきことは何だ。自分の死に恐怖し、見えない明日に怯えることか。否、断じて否。私がすべきはお姉様の幸せの為、幸福への努力。
 考えろ、これから先に自分がお姉様に何が出来るかを。お姉様の歩く未来をより安全に、そして幸福に彩る為に私がすべきことが何かを。
 思考し、まず私が考えたのはお姉様への力の返却。奴が死に、次に考えるべきは如何に他の存在からお姉様を守り通すか。その点を考えた時、
何よりお姉様が以前のような力と才を取り戻してくれるのが一番早い。たとえその結果が私の死につながるとしても、だ。
 その方法を模索したが、結果としては悪手とみなした。私が死ねば、お姉様に自動的に力が帰属する可能性もあるにはあるが、もし
叶わなかった場合のデメリットが重過ぎる。私の死は遅かれ早かれ確定している、ならばお姉様に力を返す僅かな可能性に賭けるのはそのあとでもいい。

 ならばどうする。お姉様を守る為に、私は一体何が出来る。もし自分の身体に問題がなければ、私がお姉様の代わりに
紅魔館の主となって危険の矢面に立ち、お姉様にはお姉様の望むままに幸せを追求してもらうつもりだった。無論、お姉様が望むなら主の座だってすぐに渡すつもりだった。
 けれど、今そんなことをしてしまっても何の意味もない。私がいずれ死ねば、お姉様は何の前準備もなく紅魔館の主として
座に就かなければいけなくなり、幻想郷の他の妖怪達と接さなければいけない。私が存在しない状況でそれだけは非常に危険過ぎる。
 かといってお姉様を今すぐ紅魔館の主の座につけて何のメリットが存在する。幻想郷の連中にとって、紅魔館は最早終わった館。この先数十年は
こちらが何も行動を起こさなければ、不干渉を決め込んでくれるかもしれない。だけど、その後の未来は約束された訳ではない。
 その短い期間でお姉様を主に据えたところで、私達はどうやってお姉様の為に立ち回れる。お姉様が館の主として君臨し、
幻想郷の強者達と面して、それで一体何が…そこまで考え、私は一つの計画を思いつく。それは本当に思いつきで、危険な綱渡りに変わりはない代物。
 …だけど、何もせずに指をくわえて時間が流れるのを待つよりも、行動する意味はある。お姉様は私達のような心汚れた妖怪達にとって
眩しい存在、その在り方に興味を示す奴等は出てくるかもしれない。そして上手くいけば、美鈴のときのようにお姉様が立ち回ってくれるかもしれない。
 はっきり言って、私には未来が存在しない。けれど、美鈴とパチュリーの二人だけに全てを押し付けるのは余りに酷過ぎる。
 最終的に、美鈴とパチュリーがお姉様を連れて紅魔館から去り、人も妖怪も足の踏み入れない場所でゆっくり暮らす選択肢もある。けれど、
それは後にどうしようもなくなった際に取れる一手だ。なら、今は紅魔館の持つ財貨と力をお姉様の為に利用できる一手を打つべきだ。
 全ての迷いを消し、私は一つの計画を推し進める決意をする。お姉様を幻想郷における強者としての名声を集めさせ、そして真なる
強者達と結びつけ、これからの未来を連中を利用することで守り通す一手を。私のいない未来で、お姉様が他者に命を脅かされることのないように。


















 私の計画はまさに順調そのものだった。

 博麗の巫女の代替わり、その時を狙って私はお姉様の名を幻想郷に知らしめる為に紅霧異変を引き起こし、そこから物語は一気に加速した。
 お姉様の在り方、純粋な心に誰も彼も惹かれていく。博麗の巫女も八雲の妖怪も西行寺の亡霊も伊吹鬼も。
 危険な橋を何度か渡ることもあったけれど、私は明るい未来を確信していた。私がこのまま死んでしまっても、お姉様は大丈夫だと。お姉様は
幸せになれると、誰からも命を脅かされることなどないと。
 そして、私は最後の一押しとして、永夜異変に参加を決めた。それが最後となる筈だった。そこでお姉様の名を幻想郷に広げ、
私はお役御免。お姉様に知られぬまま、独り地下で死を待つつもりだった。身体も大分限界を迎えていることを薄々感じ取っていた。

 だけど、私の描いた計画は呆気なく崩れ去ってしまう。
 八意永琳が展開した転移術式、その発動から私をかばってお姉様が消えてしまった。
 私の慢心油断から発生した事態、そして何よりお姉様が『また』私を庇って死にゆく姿に、私は己が感情を抑えることなど出来なかった。
 力の暴走、制御の枷の開放。
 私は何の思考をすることなく、己が力を獣のように解き放った。己が心に溢れる破壊衝動に身を委ねたのだ。
 けれど、思考のない獣に知恵ある者を討つことなど叶わず。私は八意永琳の前に敗北を喫してしまった。
 やがて異変は解決し、お姉様が無事であることに私は心から安堵したが、それ以上に自分自身を殺したい衝動に駆られた。

 お姉様を守ると決めたくせに、私は自分の行動によってお姉様を命の危険に晒してしまった。
 お姉様が全てなどと謳いながら、私はお姉様を殺しかけてしまったのだ。
 
 その結果を見て、思考し、私は決意を固めた。自身の死を受け入れることを。
 最早今の私は、お姉様にとって害悪な存在に過ぎず。私の存在がお姉様の危険を呼びこんでしまっている。
 それに、自分で死を決断しなくとも、そのときはもう目の前に迫っていた。
 八意永琳との戦闘で、私は何の制御もせずに己が感情と力を暴発させた。その代償が、病の恐ろしいまでの進行だった。
 今の私は一日のうち半日を言葉を絶する苦痛との葛藤に消費されている。身体と心が限界を迎えていた。
 このままでは拙い事態になると理解していた。だからこそ、私は地下に誰と顔を合わせるでもなく閉じこもることに決めた。
 やがて訪れる緩慢な死を迎え入れる為に。けれど、私はこの選択を心から後悔することになる。




 最良の一手は理解していた。それは自らの手で自らの命を消し去ること。
 だけど、私はその一手を選べなかった。全てを諦め、この世から去るには私はあまりにも勇気がなくて。
 どんなに上辺を繕っても、本当の私は何処までも臆病な私で。
 死を覚悟したなどとほざきながら、私は誰よりも死の恐怖から逃げ切ることが出来なかった。

 怖かった。お姉様とお別れするのが。
 怖かった。お姉様と二度と会えないことが。
 自ら死を選ぶには、今の私は捨てたくないモノがあまりに多過ぎて。
 結局、私は最後の最後まで臆病だった。
 何がお姉様の幸せにつながるかを理解していながら、最後まで私は『甘い幻想』を捨てることが出来なかった。
 決して訪れることのない奇跡を信じ、決して叶うことのない夢に縋りつき。






 ――結果、私は自らの手で最愛の人を殺してしまった。

 ――勇気のない臆病な私が招いた末路、それがこの結果だった。





 狂気を抑えることが出来ず、お姉様の全てを自らの手で壊し尽くした。
 目の前に現れたお姉様に、私は全ての真実を告げて、そして責め立てた。



 お姉様が私を生き延びさせたから、こんなに苦しい想いをすることになってしまった。

 お姉様があんな選択をしなければ、私は苦しむことはなかった。



 そんな微塵も思っていない言葉を、お姉様にぶつけ責め立て。
 違う。違う違う違う違う違う。私はお姉様のことをそんな風に思っていないのに。
 お姉様には感謝しかしていない。お姉様は私を救ってくれた。私はお姉様に助けてもらった。
 だからお姉様に少しでもお返し出来るように、お姉様が幸せになれるように、それだけを考えていただけだったのに。
 震えるお姉様に、私は自分を律することが出来なかった。まるでもう一人の壊れた自分が私の中に存在しているように、
私の意志とは関係なくお姉様を『壊す』為だけに行動し、そのことに愉悦を零す。
 そして、もう一人の私が取ろうとした行動を察して、私は心の中で必死に悲鳴をあげる。

 止めて。お願いだからそれだけは止めて。
 助けて。誰か私を止めて。美鈴、パチュリー、咲夜、誰でも良いから私を殺してでも止めて頂戴。
 それだけは、それだけは絶対にしてはいけない。それをしてしまえば、お姉様がまた壊れてしまう。また笑顔を失ってしまう。
 だから誰か――お願いだから、私を殺して。お願いだから、誰でも構わないから、お姉様を――お姉様を、護って。










 そして私は、震えるお姉様の瞳を覗き込み、開けてはいけないパンドラの箱を抉じ開ける。



 遥か昔に重ねかけた、暗示の開放。

 お姉様が今のお姉様で在り続ける為に必要だった心の枷。

 お姉様の壊れた心を護り続けた私の楔を、私は自分自身で引き抜いたのだ。






























 求めていたものは、一体なんだったのだろう。


 渇望し続けていたものは、一体なんだったのだろう。




 幾度と転び、幾度と絶望し、幾度と涙を堪え。

 一。十。百。千。大業に言えば悠久とも思える程の凍てついた時間を刻み。

 私は何を追い続け、掌を大空に差し出し続けたのだろう。




 分からない。

 今の私には分からない。

 だって今の私は、きっと大切な『それ』を失ってしまったのだから。

 護ると誓ったのに。

 私が護ると誓った筈なのに。





 欲しかったもの。手にしたかったもの。

 諦めたもの。手放してしまったもの。




 分からない。

 今の私には分からない。








 誰か教えて。お願いだから教えて頂戴。



 本当に正しい道は、一体何だったのか。

 私は何を諦め、何を手にすれば良かったのか。










 ――私は一体どうすれば、大切な人を――








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