人と妖が共存する幻想郷、その中にて最も種族が偏って生息する地が二つ。
一つは人間達が生み出した集落である人里。幻想郷に生きる人間の多くがここに居住を構え生活している。
そして、もう一方はその人里より離れた地に在る鬱蒼と緑繁る高嶺の山。その地には、人に在らざるモノが数多存在する。
時に群れ、時に独立し。しかし、その山に住まう者達は誰一人として例外なく自身を『山に属する者』として認識している。
何物にも縛られぬ妖でありながら、人間のように群れを作り、生み出された掟(ルール)を遵守し、集合体の一として彼等は行動する。
自由であり、彼等は縛られている。縛られていながら、彼等は自由。
妖として相反する在り方ながら、そのブレイクスルーを遂げた彼等は他の種族達とは一線を画する存在となる。
統率されし妖達、その集団の恐ろしきまでの精悍さ。山を聖域とし、彼等は幾多の他種族を蹂躙し、その地位を古来より高めてきた。
首を垂れる者は生かす。侮り刃を向ける者は殺す。彼等は干渉を嫌う。しかし、不干渉を貫くならば拳を決して振り上げない。
かつて大和にて絶対の地位を築き上げた最強集団、それはこの幻想郷に移り変わってもなお不変。
以前のような絶対的な種族からの統率は無い。それでも彼等の最強は揺るがない。
彼等は自らを最強と認識している。例え一が倒れても、残る九にて敵を仕留める。そして残る九が新たな一を生みだす。
故に彼等に敗北は無い。故に最強。『最強の妖怪』の名など不要、彼等が真に欲するは『最強の集団』。
その統制された最強集団、彼等が属する地を人も妖も口を揃えてこう呼んでいる――妖怪の山、と。
「あー!!もう駄目!!全然駄目っ!!」
年も明け、永き冬も終わりに近づき、春の息吹を感じ始めようかという季節。
妖怪の山…そんな最強集団に属する一員である一人の少女の絶叫がそう広くない室内に響き渡る。
先ほどまで進めていた筆を止め、書きかけの書物を力いっぱい丸めて部屋の隅のゴミ箱へ投げ捨てる。そんな
彼女の行動は今月に入って一体何度目だろうか。以前の月も合わせれば、最早数えることも億劫な程だ。
そんな彼女を見て、呆れるように溜息をつくもう一人の少女。先ほどから言うかどうか迷っていたようだが、
どうやら意を決したらしく、もう一人の少女は机に向かって頭を悩ませる少女に言葉を紡ぐ。
「文さん、いい加減にして下さい。待機時間中に新聞を書かないでって前も私言ったじゃないですか」
「う~…やっぱり外に出ないと駄目なのよ。直接取材しないと、全然記事への輪郭が見えてこない…」
「文さんっ!!」
注意を微塵も耳に入れていない上司に、もう一人の少女――犬走椛は更に二段階ほどギアを切り替えて少女に怒鳴りつける。
その声を受け、机に突っ伏していた少女――射命丸文はようやく反応を示す。勿論、椛とは正反対にローギアのままでだが。
「聞いてる、ちゃんと聞こえてるから。椛のきゃんきゃん吠える声はちゃんと耳に入ってるから」
「入ってるなら行動で示して下さい!それと、私はきゃんきゃんなんて吠えてません!」
「行動で示せと言われても…待機時間に新聞書いてるの、私だけじゃないでしょ?他の鴉天狗の連中もやってるんでしょ?
それなのに、私だけにちゃんとしろって言われても困るわ。他の連中が良い記事を書いてる中、私だけ情報に取り残されたらどうするの?」
「他の鴉天狗の方々は待機時間に新聞書いたりなんてしませんっ!」
「え、嘘?じゃあ待機時間中に他の連中は何やってるの?まさか椛みたいに馬鹿正直に鍛錬とかやってる訳ないでしょ?」
「他の鴉天狗の方々はこの時間を鍛錬に費やされてますよ。交代時間まで修行してくると、外に出られたりしてますし」
「それ絶対サボってるじゃない!この馬鹿椛!貴女馬鹿正直だから他の天狗に騙されてるのよ!
後でそんな理由で外に出て行った連中の名前一人残らず教えなさい。サボるのはともかく椛を騙して仕事を押し付けたというのは流石に見過ごせないからね」
「…あの、その方々の名前を教えろって、文さん何かするつもりですか?」
「するわよ。可愛い椛に仕事を押し付けた連中を一匹残らず反省させてやるわ」
真剣にそう話す文に、椛は困った様子で押し黙ってしまう。
普段は適当で自分をからかってばかりのくせに、こういうときだけは強く格好良く在る。そんな文のことが椛は大好きだった。
…けれど、正直彼女の今の内心としては、『文さんも十分私に仕事押し付けてます』なのだろうが。
「分かりました、その話はまたの機会にするとして…いい加減、真面目に待機任務に励んで下さいよ」
「ええ~…それはちょっと…だって、妖怪の山に侵入者なんてそうそうあるものじゃないでしょ。
幾ら当番制とはいえ、こう一日を暗い部屋でボーっと過ごすのも如何なものかと。それなら無駄な時間を記事制作に回す方が効率良いじゃない」
「無駄な時間じゃありません!山の守護は私達の大事なお仕事です!そもそも私達天狗の仕事とは…」
「う~ん…やっぱり直接取材に行くしか。でも、上の連中から接触するのは厳禁だと言われてるし…でも、そうなると…」
「文さんっ!!」
説教を相も変わらず右から左に聞き流す文に、椛も二度目の咆哮を上げずにはいられなかったようだ。
射命丸文――この妖怪の山に所属する鴉天狗にて、その種族に恥じぬ実力を持つ少女。
鴉天狗の中でも千年程度の年齢ながら、その実力はかなり上等な部類に入る。同年齢の者達ならば、彼女に触れることすら叶わない程だ。
本来なら妖怪の山の中でも、幹部相応の扱いを受けてもおかしくない程の力を持つ少女だが、彼女の扱いは普通の鴉天狗そのものである。
その理由は、射命丸文の在り方にある。彼女は鴉天狗の中でも自由と風を愛する少女であった。自分の楽しみに生き、自分の望むままに生き、
世の面白きに全力を尽くす実に『妖怪らしい』妖怪だった。故に、彼女は誰かの上に立ったり他人を拘束したりすることを嫌う。
望むなら後数百年もすれば大天狗に為れただろうが、彼女は妖怪の山での地位など気にすることもない。無論、彼女とてこの山の住人。
山を愛しているし、山へ忠義を抱いているが、結局のところそこまでなのだ。山を自分がどうこうしよう、などという事は微塵も考えず、
山に属するままに自分が楽しいと思うことを第一に優先する。それが彼女、射命丸文の生き方だった。
そんな実力者である先輩を、椛は心から尊敬しているし、他の誰よりも心許している。
他の者が文のことを馬鹿にしていれば、彼女は心から激昂するし、最悪手を出してしまいかねないだろう。
そのことは文には恥ずかしくて言ったことは無いのだけれど、それでも椛は思う。確かに心から尊敬する先輩だけど、やっぱり普段の
こういう適当なところは少しでも改善して欲しい、と。身回り警備の待機時間中に新聞を書くなんて、もっての他だろう、と。
文も本当の根っこでは真面目な人物なのだが、椛ほど根から茎、あげくには葉までガチガチ一色という訳ではない。他の天狗の連中は
そんな文と椛のコンビだからこそお似合いなのだと思ってはいるのだが、知らぬは当人ばかりなりという訳だ。
うーうーと不満を漏らす椛を尻目に、文は先ほど同様記事のことを考え続けている。
彼女がここまで頭を悩ませる理由、それは彼女が心惹かれる取材対象にあった。文は趣味で新聞を書いているが、そんな文が
ここ数年心から興味引かれる人物、取材対象が存在していた。その人物の名前はレミリア・スカーレットだ。
それは紅魔館という館に棲む吸血鬼の名前であり、最早幻想郷に住まう者で彼女の名を知らぬ者は誰一人いないだろうという程の存在。
ここ数年の幻想郷において、彼女は今誰よりもその存在を示し続けている妖怪なのだ。
彼女は最近引き起こされた異変…それも幻想郷を揺るがしかねない規模の異変の全てに関与している人物であり、
その武勇は噂好きの天狗達の間では耳にタコが出来る程に聞いていた。レミリア・スカーレットの名を轟かせた理由は数多にある。
紅霧異変の元凶、春雪異変の共犯、永夜異変の関与。それらのどれにも興味を惹かれる内容だが、彼女の名をこの妖怪の地に強く轟かせた
理由はそれ等ではない。レミリアの名をこの地に知らしめた一番の理由は、彼女達の元頂点の一人である伊吹萃香の鬼退治である。
彼女達天狗をはじめとした妖怪達の頂点に君臨していた種族、鬼。その中でも指折りの実力者であった伊吹萃香をレミリア・スカーレットは
打倒したとの話を八雲紫から告げられたとき、この妖怪の山に大きな衝撃が走った。それまでは紅霧異変や春雪異変など、異変を起こして
幻想郷を引っ掻き回す蝙蝠程度の認識だった天狗達に、初めて『レミリア・スカーレット』という吸血鬼の強大さを知らしめたのだ。
それも当然のことで、天狗達は長年の間伊吹萃香の下に在り続け、それ故に彼女の強さ、恐ろしさを誰よりも理解していた。
その彼女が打倒された。八雲紫と伊吹萃香の関係から、八雲紫が空言を並べたとは考えられない。鬼が誰かに打倒されたなどという嘘を
耳にすれば、どうなるか知らない彼女ではないだろう。ならばそれは事実であり、レミリアは本当に伊吹萃香を打倒したことになる。
加えて、その伊吹萃香はレミリアを友と認め、現在彼女の館に棲んでいるという話にも衝撃を与えられた。あの伊吹萃香に友として認められ、
共に並んで生きることを許された存在…それだけで最早天狗にとってレミリア・スカーレットは簡単に触れて良い存在では無くなった。
天狗達にとって、最早レミリアは八雲紫と同等。下っ端の天狗達ではなく、天魔が直々に交渉しなければならない相手なのだ。
故に、天狗の幹部達は下の連中にレミリアに関する一つの指示を出した。レミリアに許可なく接触するな、と。
彼らにとって、レミリア・スカーレットとは最早それほどまでに大きな存在となってしまったのだ。
そんな上の決まりに、殆どの天狗達が納得していたし理解もしていた。誰が好んで鬼と親交のある存在に近づくだろう。
天狗達にしてみれば、レミリアは興味の対象ではあるものの、それだけだ。決して近づこうとも思わないし、山から出ようとも思わない。
彼等は山に属する者、山での生にレミリアなど何の関係もない。本来ならそれで終わる話の筈だった。そう、例外の天狗さえ存在しなければ。
そんな彼等から例外に位置する天狗、その名こそ彼女、射命丸文なのだ。彼女は上に命を下されてもなおレミリアに対する知的好奇心が
捨てられなかった。むしろ、上からの規制をされて俄然やる気が昂ってしまっていた。彼女のジャーナリズム精神に油を注ぐ結果となってしまったのだろう。
叶うなら、今すぐにでも山から飛び出してレミリアに取材を行いたい。けれど、レミリアに取材をしたところで、新聞になど出来はしない。
もし直接取材したことがばれてしまえば、天魔達から罰を下されるだろう。山の掟は絶対、それを破る者に連中は容赦をしない。
だから文の今出来ることは、レミリアのことを想像し、手前勝手な想像図を記事にして三文ゴシップ新聞を作ることだけ。だけど、そんな風に
作られた新聞に一体何の価値が在るだろう。取材は身体を張ってこそ意味があり、直接取材をせずに記事を書くなど三下以下でしかないと文は考えていた。
書きたい。この幻想郷で最も熱い存在であるレミリア・スカーレットに関する記事が書きたい。
でも書けない。山に属する者としての制約が文を強く縛りつける。レミリアに接触することはご法度、許されざる禁忌。
故に彼女は悩み続ける。悩んで悩んで悩んで、答えの出ない迷路をぐるぐるぐるぐる。それがここ最近ずっと続いてしまっていた。
そんな文に、椛は溜息をついて言葉を紡ぐ。正直仕事以外の話をしたくはなかったが、元気の出ない文を見るのも椛は嫌だったから。
だから敢えて文の興味を引きそうな話を口にする。そしてその後、彼女は大きく後悔することになってしまう。
何故なら全ての引き金は此処に存在した…そのことを、椛は後で理解することになってしまうのだから。
「そんなに良い記事が書けないなら、待機任務が終わった後で取材に出ればいいじゃないですか。いつものように」
「それが出来ないから悩んでるのよお…はあ、取材したくても出来ないジレンマ。一体どうすれば…」
「出来ないって…そんなに今回の異変は触れたくないんですか?文さん、異変が起きてもずっとこんな調子だし」
「異変なんて今はどうでもいいのよ…私が取材したいのは異変じゃなくて…って、異変?」
椛の言葉に、文は突っ伏した身体を上げ、目を丸くさせて椛を見つめる。
当然の反応に驚くものの、椛は首を小さく傾げながら口を開く。
「あれ、知らないんですか?今、幻想郷で異変が起きてるんですよ。といっても、今回はそんな被害が出るようなものでもないんですが…」
「いや、全く知らないんだけど…え、いつから?」
「二日くらい前ですよ。もうすぐ春だっていう季節なのに、桜やら向日葵やら四季折々の花が開花しちゃってるんです。
もう天狗達の中はそのことで持ちきりですよ?号外で新聞書いてる方もいらっしゃったみたいで…文さん、そのことを記事にするかどうかで
今まで悩んでいたんじゃないんですか?」
「そんなの全然知らなかったわよ…ううう、完全に出遅れたあ…今更記事にしても仕方無いじゃない…
大体そんな大事なのにどうして私は気付かなかったのよ!?この幻想郷最速のブンヤであるこの私が!」
「いや、だって文さん最近ずっと家に籠ってたじゃないですか。記事書いてるから邪魔しないでって」
「そ、そんなあ…別の記事作成で悩んでいたら、こんな特ダネが舞い降りていたなんて…」
再び机に突っ伏して燃え尽きる文に、椛は打つ手なしとばかりに肩を落とす。
そんな椛を余所に、文は自分の迂闊さを呪い嘆く。レミリアのことばかり考えていたら、まさかこんな大魚を逃すなんて。
レミリアの件に比べれば小粒な記事だけど、それでも上手く立ち回れば次の新聞大会の良いネタになったかもしれないのに。そんな己の失態を
嘆きつつ、文は本当にどうするべきかを考え始める。今からその異変を調べたところで、他の天狗達に取り残されてるのは目に見えてる。ニュースは
鮮度がモノを言う世界、唯でさえ負けている他の天狗達の新聞に、今から勝負したところで結果なんて目に見えている。
今更異変に関して調べたところで…そこまで考え、文はふとレミリアに関する事柄を思い出す。
(そういえば、レミリア・スカーレットはここ最近の異変全てに関与してるのよね…紅霧、春雪、萃夢、永夜…)
異変在るところレミリア在り、それほどまでにあの吸血鬼は異変に絡んでいることを文は思い出す。
その流れ通りであるのなら、今回の異変も間違いなくレミリアが関与してるのではないか。すなわち、この異変に関する取材を行えば
レミリアと接触する可能性があるということではないか。加えて言えば、文が行うのはあくまで『今回の異変の取材』であって、
『レミリアへの取材』ではない。異変の取材を行っていたら、『偶然』レミリアに遭遇し、『たまたま』彼女に接する機会があるかもしれない。
他の記事内容を調べていたら、『予期せず』レミリアと出会ってしまった。それならば上の連中も文を処罰出来ないのではないか。
そう、文とレミリアの出会いはあくまで『偶然』なのだから。すなわち、レミリアのことを調べる為に今回の異変は利用出来る。
「…ふふっ、うふふふっ、うふふふふふっ」
「ひっ!?あ、文さんどうしたんですか急に!?」
「勝てる!!今度の新聞大会、私の勝ちがここに確定したわ!!
異変?お花見?そんなの幾らでも貴女達にくれてあげるわ!でも最後に勝つのは私!この私、射命丸文なのよ!!
待ってなさい!私の恋焦がれた取材対象!貴女の全て、隠すところ一つなく私が白日のもとに曝け出してあげるわ!!」
「あ、文さんが壊れた…だ、誰か医者を呼んでえええ!!」
ケタケタと大笑いする文と涙目で救助の声を発する椛。
その光景を身回りを終えた他の鴉天狗が発見し、手に持つカメラにて写真に収めたことは言うまでもない。
待機任務を終えた翌日。
文はカメラを携え、朝一番に山を飛び出し大空を滑空し続ける。
善は急げとばかりに、彼女は早速『異変取材』の名目でレミリアの情報を集めることにした。異変を調べるついでに、何か
レミリアに関する有益な情報探し、そして偶然を装ってなんとか本人に接近する。それが今の文の第一目標だった。
ただ、取材を始めるにあたり、文は何より先に向かっておきたい場所が在った。それは彼女が取材対象とする人物、
レミリア・スカーレットの居城、紅魔館の確認だ。勿論、中に入ったりすることはないが、遠目からでも彼女の棲む場所を自分の目で
確かめておきたかった。そして、遠くからでも写真が取れれば、新聞記事にするときに悪魔の居城として載せることも可能だろう。
体当たり新聞記者の文としては、何を取材対象にするにしても、まずはその『空気』『風』に触れてみたいと思っていた。故の行動…だったのだが。
「あやや…人の気配、全くしないわね」
全体を見下ろせる程の距離まで近づいた文ではあったが、紅魔館に住人の気配が全くしないことに少しばかり驚いてた。
これだけの館なのだから、門番の一人や二人いるだろうと思っていた彼女だが、その予想は呆気なく裏切られることになる。
門もそうだが、何より庭を見て住人の気配が在るかどうか一目で分かってしまう。全く手入れされていないその庭は、春先を迎えるというのに
雑草だらけで折角植えられた花が台無しになっている。少し前までは入念に庭いじりされれいたであろうに、今ではそれが見る影も無くなっていた。
「…少し、近づいてみようかな。出来れば庭の中まで忍び込んで…っ」
門に近づき、そのまま門を潜り抜けようと飛行していた文だが、門に侵入する寸前で停止する。
そして何もない門を睨みつけ、徐に足元に落ちていた小石を拾い上げ、その門の方へと放り投げる。
すると、小石は何もない空間から反射されたかのように音を立て舞い戻ってくる。それは壁にでも当たったかのような様相で。
「…結界防壁か。幻想郷の今を賑わす吸血鬼様とあろうものが、なんて用心深くてせせこましい。
どうせなら、こんな小物っぽい結界なんかより、相応の実力者の門番でも置いた方が自分の格を上げるような気がするけどね」
悪態をつくものの、それはこの結界が如何に堅牢なものであるかの裏返し。少なくとも自分の力だけじゃ難しいだろう、そう文は睨んでいた。
何のつもりの結界かは理解出来ないが、この結界により文が紅魔館内部に侵入することを不可能にしていることは確実だった。
門を起点に、館全体を覆うように張られたこの結界を抜けるのは実に至難の業、少し悩んだものの、文は大空に舞い戻り、館を再び見下ろせる場所に立つ。
「誰も棲んでいない廃墟…なんてことはないでしょうけれど、庭が全く手入れされていないのは気にかかるわね。
まあ、どうせ今直接会うことなんて出来ないし、写真が取れただけで万々歳かしら。けれど、それにしても…物寂しい館ね」
その館を写真に収めながら、文は自分の想像と少し異なる館の姿に正直な感想を呟いていた。
ここに来るまでの文の予想では、レミリア・スカーレットの居城はもっと綺麗で妖怪らしい活気気配に溢れ居ている場所だと
思っていたのだが、今文が実際に見たこの場所は生活の気配すらない冷たい場所で。誰かが棲んでいることすら疑わしい程に冷たくて。
やはり物事は直接自分の目で見てみないことには分からないものだ…そう納得しながら、文は一枚、また一枚と景色をカメラに収めて行った。
紅魔館を外側からながら、一通り取材し終え、文は次なる目的地を目指して大空を舞っていた。
彼女が次に取るべきは、今回の異変の元凶探しとレミリアの出現する場所の捜索だ。
前者と後者、この二者は全く無関係の内容に思えるが、文にとってはどちらも最終的な目的は同一のものである。
結局、文が狙いとするのは『如何に偶然を装ってレミリアと接触できるか』なのだ。そのレミリアと出会う為に、文は
この異変と絡めて常に行動しなくてはならない。無論、その理由は上司連中に対する言い訳…もとい、建前作りの為だ。
よって、文は方法の一つに今回の異変の元凶を掴むというものを考えた。異変起こるところにレミリアが現れるならば、その異変に自分も
巻き込まれて流れでレミリアと出会えばいい。もし異変の為にレミリアが動いているなら、ここでレミリアと出会える筈だ。
もう一つの方法はレミリアが紅魔館以外で出没する場所を見つける方法。こちらはレミリアが異変に関し動かなかった場合を想定したもの。
もしレミリアが異変に動かなければ、幾ら異変の元凶の周囲で行動したところで何の意味もない。ならば、レミリアがよく出没する
ポイントに網を張り、レミリアが現れたところで異変に関する取材と称して彼女に近づけばいい。
どちらの作戦もレミリアと無理なく接する為に働かせた彼女の計画で、異変と絡める点こそ重要になる。
理由作りを行ったうえで、レミリアと接触すること。それが彼女の何より遂行すべき任務なのだ。よって今彼女に必要な行動は…
「…情報収集、ね。どちらを取るにせよ、まずは誰かに話を聞かないと」
常時持ち歩いてる手帳に行動指針をまとめ終え、文は両手で手帳を閉じながら次なる一手を打つ。
異変とレミリア、どちらの情報を得るにしても、まずは誰かに聞き込みを行わなければ何も始まらない。何処で聞き込みをしようか、やはり
人が集まる場所に情報ありの原点に戻り、人里に向かうべきだろうか。そんなことを考えて頭を悩ませていると、彼女から数十メートル先の
場所を一陣の風が通り抜けていく。その光景はあまりに速く流れ、常人なら何が横切ったのかを認識することすら怪しいくらいの速度であったのだが、
天狗の中でも最速を謳われる彼女は悠々と認識することが出来ていた。少し考え、文は先ほど通り過ぎた人物に聞き込みを行うことを決める。
「それじゃ、『少しだけ』速く翔けるとしましょうか」
背中の黒羽を大空に広げ、少女は営業スマイルを浮かべた後、そのまま風に溶ける。
見る者が見れば空間移動でも行ったかのような速度で文は飛行し、先ほどの人物を追いかける。大気を斬り裂く風を纏い、二人の距離は
刹那の時間でゼロに留まり、そして――文は浮かべたスマイルのまま、前を飛行する少女に声をかける。
「あの~、御急ぎの最中にすみません。現在、聞き取り取材を行っておりまして、少々お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?
あ、勿論お時間はそんなに長くは掛かりませんので。このまま飛行しながらでは落ち着きませんので、一度止まって頂けませんか?」
「おおおっ!?な、何だお前は!?」
「あ、申し遅れました。私、妖怪の山の射命丸文と申します。清く正しく美しくがモットーの文々。新聞の発行者です、はい。
ちなみに文々。新聞は既に定期購読のご契約はお済でしょうか?今でしたら、新聞に加えて妖怪の山トップアイドルのサイン入りプロマイドが…って、あやや?」
笑顔のまま延々と語っていた文であったが、肝心の話し相手が目の前にいないことに気付く。どうやら少女の方は文が最初に頼んだ言葉を
受け入れてくれていたようで、中空で静止してくれてるらしい。それに気付かず自分は真っ直ぐに飛行し続けたという訳らしい。
それに気付き、『失敗失敗』と頬を掻きながら、文はすぐに空中でターンを描き、少女の元へと疾走する。瞬時に少女のもとに辿り着き、
先ほど同様ニコニコと営業用スマイルで少女に話しかける。
「いやいや、失礼しました。まさか既に停止して下さっていたとは思いもよらず。取材協力に感謝します、はい」
「…お前、速いな。私の飛行速度についてこられる奴なんて、そういないと思っていたんだけどな」
「お褒め頂き恐縮至極。ですが、貴女もなかなかの速さでしたよ?人間にしては十分だと思いますよ。
まあ、今回は相手が悪かっただけなので、私以外の相手になら十分に胸を張っても構わないと思います」
「…その言い方、なんかムカつくな。上から目線バリバリで」
「あやや、これは申し訳ありません。速さに関しては少しばかりプライドがあるものでして」
「ちぇ…まあいいや。それより何か聞きたいことがあるって言ってたっけ。
悪いが私もやることがあるんでな、手短に頼むぜ。私に答えられることなら何でも答えてやるからさ」
「これはこれは何とも暇人…もとい、人の良い。ご協力本当に感謝です。
あ、先ほど名乗ったのですが、一応改めてもう一度。私、妖怪の山に棲んでいる鴉天狗の射命丸文と申します」
「丁寧に自己紹介どうも。私は魔理沙、霧雨魔理沙だ。魔法の森に棲んでる恋の魔法使いとは私のことだ」
「恋の魔法使いですか。となると人の心を操る操心術でも得手にしているとか?」
「いや、そんなもんは使えないぞ?」
「ほう、ならば文字通り百戦錬磨の恋愛達人とか」
「いんや、恋愛なんてしたことないな。自他共に認める未経験だ」
「…あの、それならどうして恋の魔法使いなんですか?」
「その通り名が滅茶苦茶格好良いからだ!自称・恋の魔法使いこと霧雨魔理沙…ってな」
胸を張って答える魔理沙に、文は思わず頭を痛めてしまう。そして内心で一人思う。ああ、コイツは良い奴だけど変な奴なんだと。
思わず素に戻って突っ込みを入れたくなってしまったが、折角手に入れた協力的な取材対象の機嫌を損ねても仕方ない。得意の二面性を駆使して
文は営業スマイルのままに質問を行う。余計なことは聞かず、さっさと自分の欲しい情報だけを取り出してしまおうと。
「それでは早速質問なのですが、ここ最近幻想郷に広がっている異変についてはご存知ですか?」
「異変?…あー、あれか。そこ等で春の花から冬の花まで色んな花が咲き乱れてるヤツか」
「ご存知のようなら話は早いですね。現在、妖怪の山の鴉天狗代表としてその異変について取材を行っているのですが、
異変に関して何か知っている情報はありませんか?犯人から原因から被害から死者から何でも情報は受け付けております故」
「死者って…いや、確かに異変は起こってるけど、別段気にするような異変でもないだろ?人が死ぬ訳でも害がある訳でもないし。
あいつなら仕事で動かにゃならんだろうけど、私は興味ないからパスだな。今回の異変に関しては、私は何の情報も集めてないぞ。
勿論、全く興味がゼロって訳じゃないけど…私には他にやるべきことがあるから。こう見えて魔理沙さんは多忙なんだ」
「あやや…それは残念です。有意義な情報がお聞き出来るかと思ったのですが」
「悪いな、力になれなくて。もし異変のことが詳しく知りたいなら、アイツのところに行ってみな。少なくとも私より情報は掴んでる筈だぜ」
「あいつ、とは?」
「ん、ああ、博麗霊夢…いわゆる博麗の巫女って奴だ。異変解決が霊夢の仕事だからな、嫌嫌でも動いてる筈だろうし。
…ただ、まあ、人当たりとかそういうのは期待するなよ。今のアイツ、本ッッッッッッッッ気で機嫌悪いからな。しかもお前が妖怪だから、尚更…」
眉を顰めながら、魔理沙は文に言い難そうにモゴモゴと言葉を紡ぐ。
魔理沙の話を聞きながら、文は成程と相槌を打ちながら手帳に選択肢を増やしていく。餅は餅屋、確かに異変に関することなら
博麗の巫女は適切だろう。ある意味、人里でむやみやたらに聞き込みをして数を当たるよりも狙い撃ちしやすいかもしれない。
ただ、先ほど魔理沙の語った機嫌の悪さと妖怪相手なら尚更という点が文は気にかかる。今代の博麗の巫女は妖怪排他主義でも何でもないと
聞いていたが、最近妖怪を嫌悪するようなことでもあったのだろうか、と。少し気にはしたものの、別に大した問題ではないと切り捨てることにしたのだが。
話を終え、文は一通りの情報をメモし終えて、魔理沙に営業スマイルで感謝を述べる。そんな文にいいよいいよ、手を振る魔理沙。
その様子を見て、文は一応もう一つの情報も求めてみるかと画策する。その情報とはレミリア・スカーレットに関する情報。ただの人間である
魔理沙が彼女に関する重大な情報を持っているとは思えないが、それでも聞くだけ無料。そんな軽い気持ちで文は口を開いた。
「ところで魔理沙さん、貴女にもう一つだけお聞きしたい情報があるのですが、お願いしても構いませんか?」
「へえへえ、乗りかかった船だ、満足いくまでお話してやるよ。遠慮なく何でも聞いてくれ」
「ありがとうございます。お聞きしたいのは、ある人物に関する情報なんですよ」
「ある人物?う~ん、私の知ってる奴ならいいんだが…そいつの名前は?」
「はい、その人物の名はレミリア。紅魔館の主にして名高い吸血鬼、レミリア・スカーレットに関してです。
もし何かご存知であれば、彼女に関して情報提供を頂ければ…」
そこまで口にし、文は言葉を止める。先ほどまでにこやかに談笑していた相手――霧雨魔理沙の様子の変貌に気付いたからだ。
つい先まで笑顔を見せていた魔理沙は、レミリアの名前を耳にするやその笑みを止め、真剣そのものの表情で真っ直ぐに文の方を見つめていた。
まるで文の思考を読み取ろうとしているように、じっと押し黙って文の瞳を真っ直ぐに見据える魔理沙。その様子に、文は驚きの感情を
押し殺し、営業スマイルのままで言葉を紡ぐ。こちらの変化を悟られるな、変化を伴わずに相手を揺さぶれ、それが文の取った行動だった。
別段、この場は交渉の場でもなんでもない。しかし、レミリアの名を耳にした魔理沙の変化、それは頗る顕著なもので、その様子に文は瞬時に考えたのだ。
『もしかしたら、この少女はレミリア・スカーレットの知人なのではないか。もしかしたら、この少女はレミリア・スカーレットの何かを知っているのではないか』と。
「どうしました、魔理沙さん。そんな急に怖い顔をして。レミリア・スカーレットに関して何か気に障ることでも?」
「…ああ、いや、何でもない。悪いな、少しボーっとしてた。
ところで、レミリア・スカーレットについての情報だったか。悪いが私は何も知らないな」
「へえ…それは本当ですか?」
「本当も何も、ここで私が嘘をつくことに一体何のメリットがあるんだ。私の知ってる情報なんて人里の連中と同レベルだ。
やれ強い吸血鬼だの、やれ妖怪の山の麓の湖の真ん中、その島に棲んでるだの…その程度の情報がお前は知りたいのか?」
「いいえ、そういう訳ではありませんが…分かりました、ここはそういうことにしておきましょう」
少し悩んだ後、文は素直に退くことにする。魔理沙の様子から、ここで押しても大した情報は得られないだろうと推測したからだ。
ただ、目の前の少女が嘘をついていることは明らかだと文は断言出来る。魔理沙が嘘に関して不得手であることを見抜き、彼女がレミリアに
関する情報に口を閉ざした理由…その点をまずは他から探っていく必要があると考えた。恐らく魔理沙はレミリアの知人か何かであり、
彼女がレミリアに関して口を閉ざす出来事が起こったのではないか。その出来事が先ほど観察した紅魔館の状態につながっているのではないか。
短い会話の中で、文は長年の取材記者経験からそこまで予測仮想することに成功する。ならば、最早目の前の少女に用は無い。
文はぱたんと手に持つ手帳を閉ざし、先ほど同様営業スマイルで言葉を紡ぐ。
「以上で取材は終了です。ご協力ありがとうございました、霧雨魔理沙さん」
「ああ、それは構わないんだが…お前、何でレミリア・スカーレットの情報なんて集めてるんだ?」
「あやや、それは黙秘権を発動させて頂きます。記者は情報が命ですから、ネタを易々と他人にお話しする訳にはいきません故」
「…そうか。まあ、他人の行動にどうこう言うつもりはないしな。悪いな、力になれなくて」
「いえいえ、凄く参考になる情報感謝ですよ。もしよろしければ、これを機に文々。新聞の定期購読もご一考頂ければ」
そう笑顔で告げて、手持ちの文々。新聞のバックナンバーを魔理沙に押し付け、文はそれではと笑顔で去って行く。
一瞬にして風に溶ける文の姿を見届け、やがて見えなくなった後に、魔理沙は大きく溜息をつく。
そして、彼女がそっと呟く言葉は誰もいない空に舞って。まるでその言葉を本来受け取るべき主のもとへ運ぶかのように。
「…レミリアの情報を知りたいのはこっちの方だっつーの。
なあ、レミリア…お前、一体何処に消えちゃったんだよ…お前が消えて、もうすぐ四カ月は経とうって言うんだぞ…
霊夢の奴は本気でブチ切れてるし、みんなは神社に集まらなくなっちゃったし…お前がいない幻想郷は、本当に寂し過ぎるんだよ…」
魔理沙の悲しみは誰の耳にも届くことなく風に遊ばれる。
春風の舞い始めたこの幻想郷に、ゆらり、ゆらりと。受取人を只管探し続け、どこまでも遠く。