夜の闇が幻想郷を包む時刻。私は半分魂の抜けた状態で、大広間の玉座に腰を下ろしていた。
十九回。それが先ほどまで私が紅魔館から必死で脱走を試み、失敗に終わった回数。
美鈴と別れた後、一度部屋に戻って作戦を練り直し、時間をおいて部屋を出た私を待っていたのは最早妨害としか思えない出会いの数々。
窓の外へ出たところで7回咲夜に、2回妖精メイドに見つかって誤魔化しながら部屋に逃げ帰った。
これは駄目だと思い、廊下から大回りして外に出ようとしたところで、4回咲夜に、3回パチェに、2回フランに見つかって誤魔化しながら部屋に逃げ帰った。
仕方ないので、紅魔館のテラスから外に飛び降りようとしたところ、やっぱり咲夜に見つかった。
そんなこんなで必死に脱走を試みていたら、気づけば外は暗くなり、とうとう巫女が紅魔館にいつ訪れてもおかしくない時間帯になってしまったという訳。
つまるところ、紅魔館のみんなが巫女を追い返してくれない限り、私の人生\(^o^)/終了確定。
私が明日の朝日を拝む為には、みんなの勝利を願うほかにないのだ。いや、朝日拝むと灰になっちゃうけどね。
いやでも待てよと私はふと思う。もしかしたら、巫女が急に都合が悪くなり、今日は来れなくなった、なんて可能性も無くは無い筈だ。
もしそうなれば最高だ。口約束とはいえ、フランには『紅霧を出すのは今日まで』という約束を取り付けた。
あとは、私得意の口先であの小悪魔(パチェの使い魔のことじゃないわよ)を上手く丸め込められれば…
「――レミリア様、どうやらとうとう来客がお越しのようですわ。現在、美鈴がその迎撃に当たっています」
はい終了。終わった。私の儚い希望が即座に消えた。
背後に控える咲夜の報告に、私は『そう』とだけ答え、それ以上は言葉を紡がない。いや、本当に自分の死が間近に感じられるようになってきたわ。
何ていうか、死神の鎌を喉元に突き付けられた気分っていうのかしら。本当、全身が恐怖で震えて仕方がない。
そんな私に気づいたのか、咲夜は笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「レミリア様、ご自分で巫女のお相手をなさりたいお気持は分かりますが、どうか御自重下さいますよう。
いくらお嬢様がお強いとはいえ、もしもの事がございます。仮にお嬢様のお美しいお顔に傷でもつけられたならば、
私達従者共は全員腹を掻っ捌いてお詫び申し上げねばなりません故」
いやいやいや、誰が化物ハンターなんかを直接相手したいなんて言ったのよ。
私今めっちゃ全身が震えてるじゃない。お母様めっちゃ恐怖に打ち震える生まれたての小鹿じゃない。
それともあれか?咲夜にはこの震えが武者震いに見えるというの?歓喜に打ち震えてるように見えるというの?
頼むから眼科行きなさい眼科。良い病院紹介してあげるから。しかし、腹を掻っ捌いてお詫びって…貴女、一体何に影響受けて育ったのよ、本当。
「…そんなこと、お前に言われずとも理解っているよ。
私のことなど気にかけなくとも良いわ。私が貴女に求めるのは結果。
十六夜咲夜、貴女は今宵、私の望む結果を導いてくれるのかしら?」
「愚問ですわ。主の期待に応えられぬ従者など決して従者足りえない。
そんな屑は狗の餌にでもしてしまった方がまだ利用価値があるというもの」
怖っ!咲夜の台詞怖っ!いや、正直そこまでの回答は期待してなかったんだけど…
でも、裏を返せば実に頼りになる台詞よね。今のはつまり、『私は絶対巫女を防いでみせます』ってことだもの。
流石は咲夜、お母さんはこんな時の為に貴女を大事に大事に育ててきたのよ。がんばれ咲夜!いけいけ咲夜!
こんなに強く育ってくれて、母さん嬉しいわ。え、強く育ったことを後悔してただろですって?そんなことはどうでも(以下略)。
まあ、そんな咲夜には悪いけれど、冷静になって考えればこの娘の出番なんてないかもしれないわね。
だって、巫女が相対している相手は、この紅魔館が誇る鉄壁の門番こと紅美鈴だもの。
さっきは寝覚めが悪くなるから無理はするなって言ったけれど、美鈴くらいのレベルなら、手を抜いたところで
人間に勝てる訳がないもの。あー、心配して損したわ。そうよ、美鈴に勝てる人間なんてこの世に存在する訳…
「…レミリア様、私に何か?」
…あー、居たよ。居ましたよ。超身近なところに居ましたよ、美鈴に勝てる人間が。
本当、さっきから咲夜は人の心に冷や水をぶっかけてくれるわね。何か私に恨みでもあるのかしら、ぷんぷん。
まあ咲夜は別格として、並の妖怪とは一線を画してる美鈴だもの。人間の巫女なんてちょちょいのちょいで…
「――レミリア様、どうやら門が突破されたようです」
やられちゃってるよ!ちょちょいのちょいでやられちゃってるじゃない!どういうことよ美鈴!?
確かに無理はするなとは言ったけど、もうちょっと頑張りなさいよ!どうしてそこで諦めるのよ!貴女はやれば出来る娘でしょう!?
あー、拙い。非常に拙い。ちょっとばかり軽く三途の川が見えてきた。船の上で死神が居眠りしてるの見えたもの。
今まで一度足りとも突破されたことのなかった門を抜けられたことで、正直私も段々諦めの境地になってきたわ。
…って、駄目!駄目よレミリア!貴女は一体何を諦めようとしてるのよ。まだ慌てるような時間じゃないわ。
美鈴が抜かれたのは確かだけれど、私には最強のカードが残っているもの。それは美鈴すらも倒してみせる最強メイド。
私は笑い(頑張って必死に作り笑いしました)、咲夜に言葉を投げかける。発破をかけることで、少しでも勝率を高めようと。
「さて、門番が突破された訳だが…咲夜、主の期待に応えるのが従者だったかしら。
私の寵愛を受けし従者か、はたまた唯の狗の餌に過ぎぬのか。貴女の導き出す解答を楽しみにしているわ」
「お任せ下さい。必ずや満点以上の解答を結果で示してみせましょう」
私の嗾けた言葉にも動じず、ただただ柔らかく微笑んでみせる咲夜。
素敵よ咲夜。もし貴女が男だったら母さん正直惚れそう。今の貴女となら一緒にケーキ屋を営んで幸せな家庭を築いても良いわ。
そうよそうよ、考えてもみれば咲夜に勝てる奴なんている訳がないのよ。
だってこの娘、時間止められるのよ?超絶チートな能力者なのよ?しかも相手は人間なのよ?勝てる訳がないじゃない。
咲夜に勝つには、きっと相手も時を止め返したり出来ないと無駄無駄無駄に決まってる。
当然、そんな反則と指を差されて罵倒されてもおかしくない芸当は咲夜以外に出来る筈もなく。
私は笑みを零し、咲夜に見えないように小さく拳を握り締める。そうよ、このジョーカーがある限り、私に敗北の二文字はないのよ。愛してるわ、咲夜。
「…どうやらパチュリー様もやられてしまったようですわね。それではレミリア様、私も客人を出迎えて参ります」
「フフッ、この紅魔館の門を初めて突破した大切な賓客だ。せいぜい丁重に持て成してあげなさい」
私の言葉に頷き、室内から姿を消す咲夜。貴女の実力をみせてあげなさい咲夜!咲夜の『さ』の字は流石の『さ』!
咲夜が向かったとなると、これで私の出番は終了ね。咲夜の事だもの、適当に巫女をボコボコにして
紅魔館の外にでも放り捨てるでしょうし。私のすべきことは、ここで咲夜という私の勇者様の帰りを待つだけ。
そうね、今日は頑張った咲夜の為に私も一肌脱いであげるとしましょう。巫女と戦い終えて疲れ切った咲夜に、
ご褒美として紅茶を用意してあげましょう。言わば頑張った咲夜へのご褒美。どうせならスイーツも用意してあげましょうか。
ふふん、こう見えて私はお菓子作りにはちょっとした自信があるのよ。お菓子作りに定評のあるレミリアとでも呼んで頂戴な。
でもまあ、今から私がお菓子を作り始めると時間が掛っちゃうから、咲夜には缶に残ってるクッキーくらいで我慢してもらいましょう。
そうと決まれば行動は早い方が良いわね。咲夜のことだもの、あまりに圧倒的過ぎて、早々に決着をつけてしまっているかもしれないわ。
そうすると、咲夜を無駄に待たせちゃうことになるし。ああ、そんな気配りも出来る私はなんて素敵なご主人様なのかしら。我ながら最高過ぎる。
私は今、神様という存在を最高に信仰しているわ。私の下に十六夜咲夜という最高の娘を授けてくれた運命の神様にね。
という訳で、私は大広間からキッチンの方へと足を向けて部屋から出て行った。
そういえばさっき、咲夜はパチェがどうこう言ってた気がするけど気のせいよね。図書館で本を読んでるパチェが巫女となんて遭遇する筈がないし。
神様なんか嫌い。死ね。死ね死ね死ね死ね死んでしまえ。私は来世でも生涯無神論者をつき通すことをここに宣言するわ。
紅茶とクッキーをトレイに載せて、大広間に戻ってきた私が目にしたのは、宙に浮かんで周囲をきょろきょろと観察している巫女の姿。
というかね、これだけは訊かせて。咲夜は一体どうしたのよ。何で巫女がこの部屋にいるのよ。咲夜がボッコボコにしたんじゃなかったの。
…分ってる。本当は分かってるのよ。咲夜がこの場に居らず、あの巫女がこの場に居るという事が何を指すのかくらい。
つまるところ、あの巫女は咲夜に勝ち、咲夜はあの巫女に負けたということ。
もうね、勘弁してほしい。何であの咲夜に勝てるのよ。咲夜に勝てる人間がなんで存在するのよ。馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの?
貴女が人間なんて呼称するのもおこがましいわ。今度から妖怪の一種で『ミコ』って種族で登録されなさいよ。
さて、そんな文句を言ってても当然何も解決しない訳で。私の目の前に付きつけられるは確実な死。現実となってきた死の形。
――そうね、逃げましょう。うん、まだ向こうも私がこの紅霧事件の犯人だとは知らない筈(何度も言うけれど本当の犯人はフラン)。
どうせ巫女もこの化物屋敷である紅魔館の主がこんな幼女みたいな形をした奴だなんて知らない筈。
むしろ思いもしない筈。とりあえず、部屋から荷物を取って、如何にも『私は無関係者なただの幼女です』みたいな
感じで堂々と紅魔館から出て行けば案外ばれないんじゃないかしら?仮に巫女に捕まっても、
ただの幼女の振りをして『うー!うー!』なんて言ってれば、気にせず放置してくれるんじゃないかしら。
よし、それでいこう。その作戦に全てを懸けよう。私は生きる。生きてケーキ屋になって愛する人(まだ未定)と添い遂げるのよ。
という訳で一旦部屋に戻る為、トレイを床に置いて回れ右をしようとした刹那――
「――そろそろ姿を見せても良いんじゃない?お嬢さん?」
空に浮いてる巫女がそんな台詞を口にして下さいました。アイヤー、紅魔館の主がお嬢さんって巫女にばれてるネ。
ガッデム!ええい、何処の誰よ自分達の主がお嬢さんだなんて大事なことをばらした馬鹿は!
間違っても美鈴やパチェや咲夜じゃないとは思うけど…ええい、ともかくそいつのせいで作戦が台無しよ!馬鹿!
となると、今更部屋に戻っても無意味。どうせすぐに追いつかれて捕まるわ。
…だったら、取るべき方法はあと一つか。私の最大の武器にして、か弱いこの身をここまで生き延びさせた最高の技術。それは勿論『ハッタリ』よ!!
私はパタパタと空を飛び、巫女の前に現れる…というのに、巫女ったら、登場した私に背中を向けっぱなし。
これはあれかしら。お前如き雑魚な存在に向ける顔はねえって奴かしら。だったらさっさとそのまま帰って欲しい。
というか、そもそも咲夜が頑張ってくれれば、私もこうして命の危険を曝してまで頑張らなくても良かったのに。
ああもう、咲夜の馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿。何が満点以上の解答よ。こんなの赤点以下の留年確定よっ。
「やっぱり人間って使えないわね」
私の声に驚いたのか、巫女は即座に振り返り、私に向って護符を付きつける。いや、怖いって。危ないって。
というか、巫女ったら驚き過ぎ。何よその顔。まるで今私の存在に気付きました的な表情を浮かべちゃってる。
私、こういうワザとらしい態度って大嫌いなのよね。きっとこいつは『え?居たの?存在感薄いから気付かなかった~』
的な苛めを私にやろうとしてるのね。何て陰湿な巫女なのかしら。私みたいな弱いなりにも日々頑張って
日向を歩いてる吸血鬼に向ってなんて酷い事をするのよ。いや、日向を歩くと死んじゃうけどね、私。
「…さっきのメイドは人間だったのか」
巫女の言葉に同情する私。そうよね、誰が見たって咲夜は人間とは思えないわよね。強過ぎるもの、あの娘。
でも、咲夜を倒したコイツが言う科白じゃないと思う。ちょっとイラっとしたので、私は少しばかりからかってやることにした。
「貴女、殺人犯ね」
「一人までなら大量殺人犯じゃないから大丈夫よ」
怖っ。何こいつ、発想が危険思想過ぎるわよ。本当に人間かしら?
しかもニヤニヤと笑いながら言ってるし。というか思うんだけど、何でコイツや咲夜が人間で私が吸血鬼なのよ。
二人に比べたら、私の方が絶対人間らしいと思うわ。一人までなら殺してOKって…駄目だこいつ、早くなんとかしないと…
「で?」
「そうそう、迷惑なの。あんたが」
迷惑って…私の一体何処が迷惑だと言うのだろう。
少なくとも私は一人までなら殺していいなんて非人道的なモラルを持ち合わせてもいないし、実行したこともない。
500年間を私はなんとか生き延びる為に、それこそ引き籠り倦怠ライフを送ってきたのよ。
むしろ私ほど迷惑をかけなかった妖怪なんて他にいないんじゃないかとさえ思うわ。
少なくとも目の前の殺人巫女に比べたら、私は自信を持ってお天道様に顔向け出来るわよ。まあ実際にお天道様に(以下略)。
「短絡ね。しかも理由が分からない」
「とにかく、ここから出ていってくれる?」
出て行けと。人の館に土足で上がり込んで出てきた台詞はここから出て行けと。何このDQN。
ちょっと巫女のお母さん、この娘に一体どんな教育をしてきたのよ。ハッキリ言って私、かつてこれほどまでに理不尽な人間を見たことがないんだけど。
こんな娘じゃいくら容姿が良くても嫁の貰い手がいないでしょうに。ああもうヤダヤダ。
力がある上に心根が最低なんて私が一番嫌いなタイプだわ。本当、神様って不公平過ぎる。
私がこの巫女くらい力を持っていたなら、お仕置きとしてこの娘を矯正してあげたのに。
まあ、それはさて置き。巫女の言う通り、別に出て行っても構わないんだけど…どうせ紅霧事件の原因はフランだし。
でもこんな常識知らずの女の言葉に従ってみすみす逃してくれると思わない。だってそうでしょう?
『金を寄こせ』とナイフを突き付けられ、金を差し出したら許して貰える訳じゃないでしょう?次に相手が狙うのは目撃者の始末よ。
ちなみに今、金を渡せば許して貰えるだろと思った人はとても恵まれた世界に居るのね。ここは幻想郷、警察や刑法なんて存在しないモヒカンヒャッハーな世界。
強者に優しく弱者に厳しい世界で弱者が出来ることは、他人に頼るのではなく自らの足で立ち上がることなの。あ、今私凄く良い事言ったわ。
「ここは、私の城よ?出ていくのは貴女だわ」
「この世から出てってほしいのよ」
前略、あの世にいるお母様へ。レミリアは今日、物凄く衝撃的な言葉を聞きました。
今、私の目の前にいる巫女はずかずかと他人の館に押し入り、私に向ってこの世から出て行けとのたまうのです。
私は今日、世界の広さを知りました。世界にはこんなに恐ろしい言動をする人間が存在するのですね。レミリアはびっくりです。
この世界にはレミリアの知らないことがまだまだ沢山です…というか、この娘、もしかして本当に頭がヤバいんじゃ…
そんなのを相手に何時までも問答してても仕方がない。そう判断し、私はこの手に残された最後の手段に打って出る。
先ほども述べた通り、私に残された武器は500年という月日をかけて鍛え抜かれた『ハッタリ』だけ。
つまり私の作戦はこうよ。私がとても強い強い妖怪だと勘違いさせる→巫女ビビる→私、巫女を見逃す→完全勝利。
…まあ、正直勝算がほとんど無いんじゃないかとは薄々感じてる。だってこの娘、明らかに話が通じそうにないんだもん。
ヤンキー相手にハッタリかましても逆切れされる未来しかない。かといって、私に残された手はそれだけ。
巫女を騙して逃げかえらせれば私の勝ち。それ以外は私の死を持ってゲームセットというなんとも理不尽なゲーム。
ああもう、どれもこれもみんなみんなフランのせいだ。もし失敗して殺されたら、絶対に化けて出てやるんだから。
覚悟を決め、私の一世一代の舞台劇が幕を開ける。見せてあげるわ!私が500年間で築き上げた美しきハッタリの世界を!
「しょうがないわね。今、お腹いっぱいだけど…」
まずは軽いジャブで開幕を飾る。人間に限らず、生物が恐怖を感じるのは対象が捕食者であると認識したとき。
目の前の頭のよろしくない巫女に、自然界の食物連鎖において、私(吸血鬼)が巫女(人間)より上位であることを示す。
これで普通の人間なら少しは動じてくれる筈なんだけど…
「護衛にあのメイドを雇っていたんでしょ?そんな、箱入りお嬢様なんて一撃よ!」
駄目だこの巫女、全然妖怪(捕食者)に恐怖を微塵も感じてない。
しかも私にとって実に痛いところを突いてくる。うん、まさにその通りです。
護衛じゃないけれど、咲夜や美鈴のおかげで私は今を生きているほどの超がつくほど箱入りお嬢様です。
箱入りというかむしろ引き籠りお嬢様です。だけど、当然それを巫女に気づかれる訳にはいかない。
表情を取り繕ったままで、私は淡々と巫女の言葉を否定する。いや、ウソを並べるだけなんだけど。
「咲夜は優秀な掃除係。おかげで、首一つ落ちてないわ」
ここで並べ立てた二つのうち前者のハッタリは、咲夜を知る相手だからこそ響くハッタリ。
あれだけ化け物染みた強さを持つ咲夜が、目の前の奴にとっては掃除係でしかないと嘯くことで、
私の実力はその更に遥か高みに位置してると勘違いさせる。彼女のメイド姿もその信憑性を増加させる効果を持つ。
そして、後者のハッタリは、私の実力に直接作用するハッタリ。首が落ちていないのは、咲夜が片づけたということ。
それはつまり、この大広間で過去に何人もの人間の首が刎ねられたという事実に基づいているに他ならない言葉に聞こえるだろう。
そして、その首を刎ねたのは一体誰か。今までの話の流れからそんなものは考えるまでもない。
案の定、私の言葉が効果を生み始めたのか、巫女は眉を顰め、私にこんな疑問を投げかける。
「…貴女は強いの?」
ここで『勿論』などと口にするのはNG。相手が私に疑問を口にしだしたというのは、私の正体が掴めていないということ。
人は自分の知らない、理解出来ないものに出くわしたとき、その対象に恐怖を抱く。人は未知に対し、好奇心と共に恐怖を感じる。
だからこそ、人は知りたがる。知って、安心を得ようとする。目の前の巫女も、その例に漏れず、私という存在を測ろうと必死に暗中を掻き分けている。
ここで私がするべきは、その闇を更に広げてあげること。不知という暗部を拡大することで、人は心に更に怯えを抱くのだから。
「さあね。あんまり外に出して貰えないの。私が日光に弱いから」
「…なかなかできるわね」
予定通り、巫女は私の実力を測り損ねた。私自身ではなく、巫女は私の背後に生まれた虚構の巨人に視線を向けてしまったのだ。
巫女の言葉に、私は心の中でガッツポーズをとらずにはいられない。流石私。伊達に500年もハッタリを続けてきた訳じゃないわね。
私に残された仕事は、ここまで順調に積み上げてきた積み木に対し、最後の仕上げを施すだけ。
レミリア・スカーレットという彼女の空想に生きる化け物に、私自身が直接色彩をつけてあげるのだ。
論理も要らない、小細工も必要ない。最後に重要なのは、『生きた』私の言葉。私自身が巫女に向ける、純粋なまでの『殺意』。
「こんなにも月が紅いから――本気で殺すわよ」
王手。チェックメイト。これはもう完璧に捻じ込んだ。
初手から投了まで一切の無駄を省いた一世一代の大ハッタリ。普通の人間なら恐怖のあまり精神を
どうにかしてしまうかもしれない程の手応え。…そうね、相手が『普通の人間』だったらね。目の前の巫女、普通の人間じゃなかったのよね。
私のハッタリを聞き、巫女は笑っていた。正直気持ち悪いんだけど、私に向って巫女は笑みを零していた。
しかもゆっくりと私に手に持ってた御札をまた私に向け直してる。何よ、少しも怖がってないみたいじゃない。
どうやらこの巫女はあれらしい。『おめえ強えな。オラ、ワクワクしてくっぞ』の人らしい。正直さっさと自分の星にでも帰って欲しい。
…って、そんな冗談を言ってる場合じゃなくて。私の最大の武器である『ハッタリ』が通じなかったということは、
それはつまり、私の命の灯も試合終了ということ。諦めても諦めなくてもそこで試合終了。まあ、最初から予感はしてたけどね。
私は大きく溜息をつき、この世に別れを告げる準備をする。どうせ数秒後にはこの身体を巫女の弾幕が貫くんだもの。
別にそれくらいのことはしたって構わないでしょう。ああ畜生、本当は死にたくないのに。
とりあえず美鈴、パチェ、咲夜、先に逝ってしまう弱い私を許して。こんな弱い親友、ご主人様で本当にごめんね。
それとフラン、お前は迷わず地獄に堕ちろ。最後の最後まで、しかも姉を死に追いやるような真似までしてくれて。
…まあ、お姉様は心が広いからね。謝罪の言葉はあの世で受け付けるとしましょう。地獄でのんびり待っててあげるから、せいぜいゆっくり幻想郷ライフを謳歌しなさい。
そして私の代わりに紅魔館の主としての心労を死ぬまで背負うといいわ。ばーかばーか。それがお姉様に悪戯ばかりした罰よ。
「こんなにも月が紅いのに」
巫女の言葉に、私はそっと瞳を閉じる。さあこい。いつでもこい。本当は嫌だけど。死にたくないけど。
弾幕が私の身体を貫くまで残り少し。せめて最後の時まで私は私らしく欲望を垂れ流すとしましょう。
ああもう一度でいいからケーキ屋さんになりたかった素敵な人と結婚したかった温かい家庭を作りたかった
静かに余生を過ごしたかった子供にシュトルテハイム・ラインバッハ三世と名前をつけてあげたかった
シルバーニアンファミリーを完結するまで読みたかったもう少しくらい紅魔館で過ごしてあげてもよかった
もっと美鈴やパチェや咲夜と一緒に過ごしたかったもっとフランの憎たらしいけど誰よりも可愛い笑顔を傍で見ていたかった――!!
「楽しい夜になりそうね!!」「永い夜になりそうね!!」
ああ死んだこれ死んだ間違いなく死んださようなら私の人生儚くも短い(吸血鬼基準)人生だったわ。
そんなことを考えていたとき、私の耳に飛び込んできたのは二人分の声。――はて、二人分?
一人は分かる。それは間違いなく私の目の前に居る巫女のもの。ではもう一人は一体誰か。
恐る恐る目を開いた私の視界に移ったのは、スペルカードを展開し合う二人。一人は巫女、そしてもう一人は…私?
私の目の前で激しいスペルカードを展開するのは一人の少女。ただ、その服装は今の私と何ら変わらない全く同じもの。
それはまるで鏡映し。いえ、鏡に映らない吸血鬼である私が言うのもなんだけど、その表現がピッタリだった。
装いから髪の色、容貌の全てが私と何一つ変わらない。けれど、その人物の正体を、私はすぐに気付く事が出来た。
それは、彼女の背中から生える吸血鬼の羽。私のような蝙蝠の羽ではなく、それは飛行という機能からは大きく掛け離れた異質な翼。
その羽に釣り下がった宝玉は妖しく煌き、視る者全てを魅了する輝きを持つ。そのような羽を持つ人物を、私は知っていた。それは私のたった一人の――
「――フラン!?」
フランドール・スカーレット。私にいつもいつもこの上なく迷惑ばかりかけてくれる、だけど私にとっては誰よりも可愛い大切な妹。
その時の私は何一つ現状が理解出来ずにいた。どうしてフランがここに居るのか。
いえ、どうしてフランは私と同じ格好、それこそ髪を染めてまでしているのか。一体どうして。
けれど、私に許された考える時間はそこまでだった。スペルカードを放つ中、フランは私の方を見てニコリと微笑み、そして
「へ?」
私の襟首を徐に掴み
「ふ、フラン?貴女、一体何を…って、きゃあああああああああ!!!!!!!」
私を力の限り、というか全力で床へと叩きつけて下さった。
突然の行動に、私は当然受け身なんか取れる筈もなく…ごめんなさい、どうせ分かってても受け身なんて取れません。
床に衝突すると同時に意識を混濁させ、そしてゆっくりと気絶してしまった。
世界がぐるぐると回るなか、そんな訳も分からないぶっ壊れた思考の中で、最後に見たのはフランの笑顔。
そのときフランは私にむかってたった一言。『――お疲れ様、私の大好きなお姉様』。そんな一言を呟いていたような気がした。