咲夜が遠くに行っちゃう。咲夜が私の傍から離れてく。
嫌だ。そんなの嫌だ。一緒に居るって誓ったのに。いつまでも傍に居るって誓ったのに。
駄目。咲夜、貴女が居ないとお母さんは駄目なの。
いつまでも手を繋いであるいていくんだって。貴女の為にこんな情けない私でも頑張れたんだって。
嫌。咲夜がいない未来なんて絶対に嫌だ。
お願いよ、咲夜…いつまでも、いつまでも私の傍に…お願い、咲夜…咲夜ぁ…
「ユニヴァーーーーーーースッ!!!!!!」
気付けば私は絶叫しながらベッドから飛び起きていて。…あれ、ベッド?何で?ここ何処?
寝ぼけた頭で周囲を軽く見渡すと、ここが自分の部屋である事を把握した。何で自分の部屋?私さっきまで確か萃香と…咲夜っ!?
先程までの萃香との壮絶な殴り合い(※レミリアの誇大表現。かなり一方的だったものを曲解)を思い出し、私は慌てて咲夜が傍に
いないか見渡した。慌てふためきかけた私だったけど、それは咲夜の発見によってすぐに収まることになる。
「咲夜…」
私の隣で幼子のように眠る咲夜。その姿を見つけ、私はヘナヘナと情けないばかりに安堵の息を漏らす。
良かった…咲夜はちゃんとここに居る。私の傍でちゃんと生きている。私はそっと咲夜の手に触れ、咲夜の温もりを確かめる。
それはこの娘が子供の頃から確かに持っている温かさで。その温もりこそ、咲夜がここに居るという確かな証。
「このお馬鹿…母さん、本当に心配したんだからね…咲夜が起きたら、母さん久しぶりに説教しちゃうんだから」
心にも無い愚痴を零しながら、私は優しく咲夜の髪を撫でる。
一撫で、また一撫でと獣が我が子の毛繕いをするように愛撫を繰り返し、その度に私は心の温かさが大きくなっていくのを感じる。
先程までの喧騒が嘘のように穏やかな時間。このまま時間が止まってしまえば良いのにと思うくらいの静寂。咲夜が起きてたら頼めるのにね。
本当、この時間が永遠に続いてしまえば良い。咲夜が居て、美鈴が居て、パチェが居て、フランが居て、みんなが居るこんな時間がいつまでも…
「お、どうやら目覚めたみたいだね」
「ひゅいっ!?」
突如、室内に聞き覚えのある声が響き渡り、私はビクンと背筋を伸ばす。ちょっと待って、今の声、まさか…いや、えっと、マジで?
そうじゃないことを祈りつつ、私は錆付いたネジ部のようにギギギと首を必死にそちらの方へと向け直す。そうすると、そこには
なんということでしょう。私の記憶が夢じゃなければ、先程まで私をギッタンギタンにして下さった伊吹萃香様が天孫降臨されているではありませんか。
…って、いやいやいや、冗談やってる場合じゃなくて。嘘、ちょっと何で萃香がここに居るのよ。いや、確かに萃香の家はここだって言ったのは
他ならぬ私だけど、あんなレミリアの泣く頃に~惨劇に挑め~な事件を起こして、即座に登場って…そこまで考え、私は一つの結論に辿り着く。
確か萃香は咲夜をお持ち帰り~するって言ってたわ…ま、まだ諦めてないの!?え、嘘、だって私、勝ったじゃない!?萃香にパンチ入れたじゃない!?
私が勝ったから萃香は咲夜の事を諦めてくれると思ってたのに、なのにどうして…そのとき、私に電流走る。待て、と。冷静になって考え直せ、と。
私は萃香に勝った。しかし、落ち着いて考え直してみると、どうして私なんかが萃香に勝てるのか。
萃香は言ったわ。自分は鬼、それも強い鬼だと。そんな奴に吸血鬼のきの字も力を持たない銀河ギリギリぶっちぎりの弱い奴であるこの私が
何をどうすれば勝利をもぎ取れると言うのか。愛も勇気も誇りも持って戦えない私がどうしてスーパー鬼人である萃香に勝てるのか。
そこまで考えた時、私は理解してしまった。ああ、そう、そういうことか、と。つまり、こういうことなのね。
――私が、萃香に勝利したという事象は、ただの夢に過ぎない。
ええ、解かってる。解かっていたのよ。私が萃香に勝つ、なんてそんな都合の良いお伽話はあり得ないってことくらい。
普通の人間ならこの勝利の美酒の味には勝てなかったでしょうね。だけど、私は違う。こんなまやかしには騙されない。何故なら私は知っているから。
百戦錬磨の私は闘いが安易でないことなど知り尽してるのよ。闘いとは不都合なもの 闘いとは思い通りにはならないものだと。
漫画ならばどんな苦境でも逆転することだって出来る。だけど、この世界は何処までも残酷なものだって私は理解してしまっているから。
ふふ、滑稽ね。たかが一匹の蟻が恐竜に勝てるとでも思っていたの?つまり、萃香に勝ったというのは私のただの都合の良い妄想で。
なればこそ、私が萃香に取り得る行動なんてただ一つじゃない。私が最弱であることは知られ、萃香に戦って勝つことなんて不可能。
助けを呼んだところで、この状況なら萃香が私の頭を吹き飛ばす方が早い。ええ、ええ、良いでしょう。ならば、私が取るは最後の手段。
…ここまで良く頑張ったわね、私。凄かったわよ。咲夜、フランにすまないって言っておいて頂戴。次に会うときはあの世でうんと修業をつんで
私も烈海王拳十倍くらい使えるようになってるかもしれないわよ。…なんてね。さよなら…咲夜…私の冒険はここまでね…
オーケイ、覚悟は決まったわ。いくわよ萃香、私の唯一にして最後の奥義、その身に刻みなさいっ!
「どうか咲夜だけは勘弁して下さいいいいいいいい!!!!!!!」
「へっ?」
ベッドから鳳凰の如く飛び(誇張表現。ただスプリングを利用してぴょんと飛んだだけです)、床に着地すると同時に、私は
萃香に向けてこれ以上ないくらいに頭を床に擦り付けて土下座を実行する。これぞ我が紅魔館聖拳奥義、天翔土下座鳳よ!
フフ…最弱の主、レミリア・スカーレットに必殺技なんてない!敵は全て強者!だが、ハッタリで騙せない敵が現れた時、
哀王自らがプライドを捨てて立ち向かわねばならぬ!すなわち天翔土下座鳳は哀王の全てをかけた不勝の拳!見よ!この極星のきらめきを!
このまま謝り縋り泣きつき靴を舐めてでも咲夜だけは私が護ってみせる!これが紅魔館の主としての私の最後の務めよ!
「萃香が咲夜の事を許せないのは分かってる!ナイフを向けたことは謝っても無かったことに出来ないことも理解してる!
だけど、だけどそれを承知の上でお願いします!どうか咲夜だけは見逃して頂戴!この娘は私の全てなの!この娘は私の希望なのよ!
咲夜の代わりに私を好きにして構わないから!パシリでも靴磨きでもメイドでも夜のお仕事でも何でもするから、だから咲夜だけは…」
頭にドリルがついてたら地下三千メートルは掘れそうなくらいに、私は必死に頭を床に擦り付ける。
こうなったら拝んで拝んで拝み倒すしか私の残された道は無い。頭下げて頭下げて見ない振りして、謝る振りしてこの場を乗り切れって兄貴も言ってたわ。
萃香がウンと言うまで私は醜態を晒すのを止めないわよ。いくわよ鬼娘王、侮蔑の貯蔵は十分か。さあさあさあさあさあ!
私が怒涛の無様攻撃を加え続けてるせいか、萃香もどうやら言葉を失っているようね。多分、私の頭の上で萃香はこれ以上ないくらいに
冷たい視線を向けてくれてるんだろう。ええ、ええ、上等だわ。冷たい目でみられて咲夜が助かるんなら私は幾らでも醜態を晒してやる。咲夜を護る、これが私の…
「…いや、攫わないけど、十六夜咲夜」
「…へ?」
頭上から掛けられた予想外の回答に、私は思わず目を丸くして顔を上げてしまう。そこには私以上に目を丸くした萃香の顔が。あらやだ、可愛い。
…じゃなくて。え、今萃香は咲夜を攫わないって言ったの?何で?…私の聞き間違いかもしれない。もう一度確認してみよう。
「咲夜、攫わないの?」
「攫わないよ。だって私、負けたじゃんか」
「…負けたの?」
「負けたよ。これ以上ないくらいに、完膚なきまでに」
「…誰に?」
「レミリア・スカーレット」
「誰それ?」
「アンタだよアンタ」
びしっと人差し指を私に突きつける萃香。え、嘘、私?私が萃香に勝ったの?あれって私の都合の良い死刑囚式催眠術じゃなかったの?
未だ現状を良く呑み込めていない私に業を煮やしたのか、萃香は大きな溜息をついて、私の右手を両手で包むように握り込む。そして、
「アンタは、この右手で伊吹萃香相手に勝利を勝ち取ったんだ。他の誰でも無い、この私から。
胸を張りなよ、レミリア・スカーレット。私相手に意志と想いを貫き通したお前は、誰よりも美しく、誰よりも勇ある者だ」
「え、あ、うん…あ、ありがとう?」
萃香が熱っぽく語ってくれてるものの、実感の無い私としては上手く言葉なんか返せる訳も無く。
まるで他人事のように礼を告げる私の内心を悟っているのか、萃香は呆れるように息をつき、そして笑みを零す。何だその人を小馬鹿にしたような笑みは。
文句の一つでも言ってやろうかと思ったけれど、その後すぐに萃香が真剣そのものの表情に切り替えたことに、私は口を開く事を諦めた。
「身体、大丈夫かい?」
「身体?身体…って、わ、私そう言えば大怪我してるんじゃない!?左腕とか肋骨とか…って、あれえ!?」
「…どうでも良いけど、レミリアって随分オーバーなリアクションするんだねえ」
やかましっ!どうせ萃香は私が最弱なこともヘタレなことも全部知ってるんだ、今更カリスマなんか取り繕うか!
それよりも、萃香の指摘で私は自分が全身に大怪我を負っていたことを思い出す。打身、擦り傷、そして何より左腕と肋骨の骨折。
特に肋骨なんか露骨な肋骨なんて技でも出そうなくらい見事にへし折られた気がするんだけど…折れてない。というか全身に怪我一つない。
いや、それは私だけじゃない。私の隣で眠っている咲夜にも傷一つ残って無い。洞窟で見たときは言葉に出来ないくらい怪我を負ってたのに。
そこまで考え、私は一つの結論に至る。あの場に居たのは私達の他に誰が居る?ということは、私達を治してくれたのは…
「萃香…貴女、私達の怪我を治してくれたの?」
「ん?まあ、元々の原因は私だしね。それくらい当り前じゃないか。その様子だと痛みは無いみたいだし、良かったよ」
萃香の言葉に私はつーんと鼻の奥がなるのを感じた。な、なんて男前で素敵な女の子なの、萃香って人は。
確かに私達の身体の傷は萃香が原因なんだけど、それをちゃんと癒してくれるって。何というジェントル。戦闘前、戦闘後に
HPを回復してくれたのが昔の妖怪だったのよね。今の妖怪は昔の作法を知らないから困る。
私が無事なのを確認して笑う萃香。本当、良い奴よね…萃香は良い娘だって、私は知ってる。知ってるからこそ訊いておかなきゃならない。
「萃香…貴女はどうしてこんなことをしたのよ」
「ん?こんなことって言うのは、十六夜咲夜を人質にとって、レミリアを試すような真似をしたことかい?」
「…そうよ。貴女、最初から私が本当は弱いってこと、知っていたんでしょう?それなのに、何で…」
萃香は私に沢山の言葉を並べてくれた。理不尽に立ち向かうだとか、本当の強さだとか。
だけど、それは何処までも萃香の中だけで完結している言葉で。結局、私は萃香の意図が何一つ掴み取れなかった。
どうして私に対してこんなことをしたのか。どうして私を追い詰めるようなことをしたのか。
私の問いに、萃香は少しだけ考えるような仕草を見せ、言葉をゆっくりと紡いでゆく。
「そうさね…結局のところ、私のは単なる我儘で己の欲求に従っただけだよ。
私は紫ほどレミリアのことを考えちゃいない。己が望むまま、気の向くままに全て自分の為に行動しただけ」
「はあ…いや、だから、その我儘っていうのは一体何がどういう理由で私を…」
「理由なんて無いさ。今となっちゃ深く考えたり追及したりする程の理由なんて存在しない。
レミリアが知るべきは、今回の結果だけで良い。アンタは、自分勝手な鬼に自分勝手な行動を押し付けられた。
だけど、アンタはそれを強い意志と比類なき勇を持って見事に跳ね除けてみせたんだ。それは誇るべきことだ、古来より数多の人妖が挑み、
為し得なかった偉業をアンタはやってのけたんだ。伊吹童子にも勝る心の強さ、自分自身にはそれがある。それさえ理解していればそれでいいんだよ」
…いや、全く意味が分からない。結局のところ、萃香は『私に勝ったんだから他のことなんかどうでも良いだろ』って言ってるのかしら。
確かに結局私も咲夜も助かったし、終わりよければとも思えるんだけど…萃香の奴、実は紫並に捕えどころの無い奴かもしれない。
納得いかないという表情を浮かべる私に、萃香は楽しそうに笑いながら、言葉を続ける。
「いやあ…しかし、私に挑んだときのレミリアは本当に格好良かったよ」
「へ…?」
「この伊吹萃香相手に一歩も引かず、自分の意志をぶつけてきた雄姿、本当にしびれたねえ。
『どんなに怖くても、どんなに泣きたくても、私の大切な家族(モノ)は誰一人として他人に譲ってなんかやるもんか』ってね」
「ほ、ほーっ、ホアアーッ!!ホアーッ!?」
「『咲夜が居て、美鈴が居て、パチェが居て、フランが居る、そんな未来以外選んでなんかやるもんか』。本当、最高だったよ」
「や、やああめええてえええ!!思い出させないでええええ!!」
萃香がペラペラと語っていく私の台詞に、私は身もだえしながら床を転げまわる。
ヤバい、ヤバイヤバイヤバイヤバイ。ヤバ過ぎる。今思い出せば、私一体何を口にしてるのよ。恥ずかしいどころじゃない、軽く死ねる。
何このレミリア様迷言集ベストヒットパレード。私ってば何萃香に真顔でそんな台詞語っちゃってるのよ。今時の若者だってこんな恥ずかしい
台詞言えないわよ。幾ら微塵も余裕が無かったとはいえ、言葉を少しは選びなさいよ私。熱入ってたとはいえ、私一体何キャラよ。
羞恥で床を転げまわる私に、萃香は一しきり笑った後で、再び口を開く。
「何を恥じる必要があるんだい。あの時のレミリアは誰よりも輝いていたというのに」
「輝いてない!むしろ黒歴史よ!お願いだから私の台詞はマウンテンサイクルにでも封印しておいて!アースクレイドルでも構わないから!」
「はあ…あのね、レミリア、お願いだからあんまり否定しないでおくれよ。それじゃ、そんなレミリアに惚れた私が馬鹿みたいじゃないか」
「…は?え、何?」
「だから、誰よりも強く在ったレミリアに惚れた私が馬鹿みたいじゃないかって言ったんだよ」
「…惚れたの?誰が?誰に?」
「私が。レミリアに」
「…ああ、そう、惚れたんだ。ふーん…って、ええええええええええええ!?え、嘘、私!?」
「ああ、もうバッチリ惚れたね。アンタ程私の心を魅了してやまない奴はこの数千年でただの一人もいなかった。
アンタとやりあってる時、私がどれだけ昂っていたか分かるかい?あんなに脳を揺さぶられたのは本当に初めての経験だった」
萃香の言葉を私はあわあわと震えながら耳にしていた。いやいやいやいやいやいやいやいやいや、惚れたって。昂ったって。え、嘘、ジョーク?
イッツアジョーク?ここはジョークアベニュー?何で?どうして?why?意味が分からないし笑えない。
今の台詞ってどこをどう曲解しても…こ、告白!?じょ、冗談じゃない!私は同性愛の気もなければロリペド(※人の事言えません)趣向だってないわよ!?
いや、確かに萃香は可愛いし…そのくせ格好良いし…豪快で明朗快活なところも心惹かれるけど…って、私は何を言ってるんだあああ!!
と、とにかくノーサンキューでお願いするわ!萃香とはいつまでも良いお友達で!友達友達明日も遊ぼう青い空!
萃香になんて言葉をかければいいのか必死に頭を回転させていた私だけど、そんな行動は結局何の意味も無くて。
微笑みながら、萃香は瞳を私に向け、すっと右手を差し出して言葉を紡いだ。それは萃香から送られた、最後の言葉。
「――だからさ、最後に握手してくれないか?
私がレミリア・スカーレットという最高の吸血鬼に巡り合えた奇跡の証として、さ」
私に右手を差し出した萃香の瞳は何処までも澄んだ瞳をしていて。その言葉はどこまでも真直ぐで、どこまでも清らかで。
だけど、私は萃香の言葉…『最後に』という台詞が理解出来なくて、手をすぐに差し出すことは出来なかった。
その場ですぐに萃香の手を握り返してしまえば、何か取り返しのつかない過ちを犯してしまう…そう思ったから。
「最後って…どういうこと?」
「ん?どういうって、言葉通りの意味さ。これでレミリアとはお別れするってこと。
良い思い出も貰ったしね、地底に帰ってアンタの武勇伝語りでもしてこようかなって」
「お別れって…え、どうして?萃香の家は『ここ』でしょう?何でお別れなのよ?これから先もここに居るんでしょう?」
私の言葉に、萃香は鳩が豆鉄砲でも食らったかのような表情を浮かべる。え、何、私変なこと言ったかしら。
だって、萃香の家はここじゃない。いつまでもウチに居て良いって私、約束したじゃない。それなのに何で出ていこうとするの?
「本当、呆れる程に真直ぐな奴だね、レミリアは…私がアンタと十六夜咲夜に何をしたのか忘れたのかい?
あれだけのことをやったんだ。私がアンタの傍に居続けられる道理も理由もないだろう?謝るつもりは毛頭ないが、そんなことは許されないさ」
「え、いや、確かに萃香メッチャ怖かったわよ。泣くかと思ったわよ。咲夜を人質にとったことは正直頭にきたわよ。
でも、『それ』は全部終わったんでしょう?よく分からないけれど、萃香の目的も果たせたし、私達にもう危害は加えないんでしょ?」
「いや、まあ、そうだけど…」
「だったらここに居れば良いじゃない。結局、萃香は悪意で私をどうこうしようとした訳じゃないでしょう」
私の言葉に萃香は呆然と私を眺め続ける。いやいやいや、そんなにおかしいこと言ってないじゃない。
というか、正直なところ、萃香には是非紅魔館に残って貰わないと困る。何故なら萃香は私の秘密を知る唯一の人物だから。
それは勿論、萃香が誰彼に言いふらすから、という意味じゃない。萃香はそんな奴じゃないことは、この数日で理解してる。
萃香は本当に気持ち良いくらい良い奴で、私に色々としたこともちゃんと理由があって、萃香はそういう奴だから。
では私が萃香を引きとめる理由はというと…だって、折角友達になったんだ。その友達は、私の秘密を知っても、何一つ『変わらなかった』。
私が弱くても、萃香は私を認めてくれた。私がこんな情けない奴だと知っても、萃香は真直ぐにぶつかってくれた。
だからこそ、萃香には私の傍に居て欲しい。臆病な私が手に入れた、掛け替えのない秘密の共有者。きっと萃香なら、これから先、私の秘密を
一緒に支えてくれる気がした。臆病で情けなくて、この館の誰にも秘密を未だに話せない、そんな『本当』の私の唯一の友達として。
私の言葉に、萃香は応えないまま、思考し続けている。…もうひと押し要るかしら。よし、押そう。萃香には何がなんでも私の傍に居て貰う。
「何よ、萃香はさっき私に惚れたって言ってくれたじゃない。あの台詞は嘘だったの?」
「いや、嘘じゃないけど…そもそも私達鬼は嘘が一番大嫌いだもの。
そうじゃなくて、レミリアはそれで良いのかって訊いてるんだ。私はアンタに自分の欲求の為に不当な暴力をぶつけたんだ。それでも…」
「だから!さっきから気にしないって言ってるでしょう?大体、そんな小さい事で私が大切な友人を手放すとでも思ってるの!?
理不尽で不当な不幸なら紅霧異変でも春雪異変でも十分味わってきてるのよ!?霊夢に殺されかけたり変態桜に殺されかけたり…
むしろ今回の件は萃香が私を殺さないって分かってる分、楽勝だったわね!余裕だったわね!大体ね、萃香は思ってる事を言葉にするから
全然大丈夫なのよ!むしろ何考えてるか分からない紫や幽々子の方が億万倍怖いのよ!分かった!?分かったわね!?」
「あのねえ…そもそもレミリア、私は…」
「大丈夫!ウチに新しい住人が増えるって私がみんなに説明するから!萃香は良い奴だから、咲夜も美鈴もパチェも喜んでくれるわ!
フランは少し気難し屋だから難航するかもしれないけど、私が絶対何とかしてみせるから!だからいい加減ウンと頷きなさい!」
く…なんて強情な。良いからさっさと頷きなさい。鬼のくせに何を小さいことを気にしてるのよ。
私は気にしないし、咲夜はこんなことで根に持つような娘じゃないし、私達さえ良ければ万々歳じゃないの。他に何が必要だっていうのよ。
私がそうしたい、そうありたいと思うから萃香にお願いしてるのよ。私はただ…
「…お別れするなんて嫌だ、折角知り合えた貴女とこれからも一緒に居たい。私の気持ちを伝えるのに、それ以外に言葉は必要なの?」
ただ、それだけが本当の気持ち。こんなに気持ちの良い友達と別れるなんて嫌だから。だから私は無様に縋りつく。
萃香が一体何を気にしてるのかは分からない。どうしてそこまで私から離れようとするのかも分からない。だけど、そんな未来は嫌だ。
私が求める未来はみんなが一緒に居る未来。そのみんなの中には、勿論萃香だって入ってる。その萃香が一人だけ何処かへ消えるなんて絶対に許さない。
私は強情だ。私は我儘だ。何時からだ、一体何時からこんな私になったんだ。かつての私はただ与えられるモノ、与えられる役割だけを淡々と受け入れるだけの
お人形だった筈なのに…今ではこんなにも失いたくないモノで世界が溢れてしまっている。私の手の中はこんなにも大切なモノで埋まっていて。
本当、私は我儘だ。だけど、今はそんな私が誇らしく思える気がした。力も無い、胸を張れるような能力を何一つ持ち得ない情けない吸血鬼だけど、
私は決して譲れないモノをこの胸に持っている。だから、今回も譲れない。譲らない。そうでしょう、萃香。私の我儘っぷりは貴女が一番良く知っている筈よ。
私、貴女に言ったもの。声を大にして、私は貴女に告げた筈よ。世界一弱い私が世界一強い貴女に通してみせた世界一の大きな我儘。
「どんなに萃香が否定したって、私は絶対に譲らない。私は貴女に言ったでしょう?
『どんなに怖くても、どんなに泣きたくても、私の大切な家族(モノ)は誰一人として他人に譲ってなんかやるもんか』って。
この数日間、萃香が私に沢山のモノを与えてくれたこと、知ってるから。だからこそ、私は貴女を離してなんかやらない。
貴女と一緒に居たいから、だから私は最後まで我儘を貫き通すわ。だって、それがこんな弱い私でも、私らしく生きるということだから」
言いきった私の言葉に、萃香は軽く両の瞳を閉じる。…まだ駄目なの。もう私の説得ボキャブラリはゼロよ。HA・NA・SE。
ええい、こうなったら実力行使でも…いや、待った、そんなの三秒で殺されるに決まってるじゃない。だったらどうする…こ、こうなったら
私も女だわ。覚悟を決めて萃香に身を委ね…るのだけは嫌あああ!!幾ら惚れられてるとはいえ、好きだとはいえ、萃香とは永遠にお友達止まりでお願い!
それ以外の方法を探すのよ!あとはもう天翔土下座鳳くらいしか…そんなことを考えていた時、萃香はゆっくりと瞳を開けた。
そして、私に再び差しだしてくる右手。っ、だから、そのお別れは受け入れられないって何度も…!
「――握手だよ、レミリア。別れではなく、始まりの握手だ。
この私、伊吹萃香がこの先レミリア・スカーレットにとっての永遠の友である誓いの証として、ね」
「え…」
「鬼の盟約は永遠の誓い。レミリアが許すなら、これから先、私はお前を決して裏切らぬ莫逆の友として共に道を歩むことを誓おう。
お前の勇ある決断を尊重し、お前の信ずる道を歩き、お前の迷うる心を断ち切り、お前の背を支える一人の友としてレミリアの傍に」
私に手を差し出す萃香の瞳は何処何処までも決意に満ちた真直ぐな瞳で。
きっと、萃香の言っている事は全て真実。萃香は弱い私が相手でも、そう言ってくれてるんだ。対等の友と見てくれているんだ。
思わず涙が出そうになる。こんな私が受け入れられた。こんな私を認めてくれた。こんな日が来るなんて思った事などなかった。
私は強くなければレミリア・スカーレットではなくて。私は強くなくちゃ何処にも居場所なんて無くて。そんな風に思っていたのに。
私は首を振って涙を堪える。まだ泣けない。まだ泣かない。だって萃香が求めているのは、そんな表情の私じゃないって分かってるから。
だから笑う。私は心から笑って手を差し出す。萃香の温かい手の温もりを何度も何度も確かめ直しながら、私は萃香に言葉を返すのだ。たった一言、ありがとう、と。
~side 美鈴~
「あのさ、美鈴…一つ訊きたいことがあるんだが…」
「訊かないで」
「いや、訊かないでって…」
「だから、訊かないで。あんまりしつこいと、魔法使いちゃんの帽子を紅魔館の地下深くに隠すよ。絶対見つからないような場所に」
「酷っ!?お前、この帽子が一体どれだけ私にとって思い出深いモノだと…いや、そうじゃなくて!」
何度も何度もしつこく食らいついてくる魔理沙に、私は溜息をつくことでしか応えてあげることが出来ない。
どうやら魔理沙は私が意地悪で答えを返さないようにしていると思ってるみたいだけど、それはとんだ勘違いだ。
私が答えないのは、意地悪している訳じゃなくて、純粋に返す言葉が思いつかないから。だって、そうじゃないか。こんな馬鹿な話があるか。
私の視線の先には、お嬢様と先日お嬢様と咲夜を酷い目にあわせてくれた張本人、伊吹萃香の姿が。唖然としてる霊夢達に、お嬢様は
嬉しそうに紅魔館の新たな住人として伊吹萃香を紹介している。そのお嬢様の姿は何処までも喜びに満ちていて。その姿が実に私には許せなくて。
何故だ。何故にお嬢様はアイツを許した。それどころか、紅魔館の住人として迎え入れた。いや、問題なのはお嬢様では無い。その後ろの二人だ。
「いや、だって、なあ…折角久々の宴会に呼ばれて、来てみればレミリアがあの鬼っ子を友達だって紹介してきたんだぜ?
そんなの普通驚くだろ?だってレミリアの奴、少し前にアイツにボロボロにされたんだぜ?それなのに何で…」
「だから、訊くなって言ってるでしょ。事情なんて知らないわよ、私だって気付いたら『ああ』なっていたんだから」
「…私は反対だぜ。レミリアはアイツがどれだけ良い奴かを嬉しそうに語ってくれたけど、それはそれじゃないか。
結果だけを見れば、アイツはレミリアを酷い目にあわせた。下手をすれば命の危険だってあった。それをどうして…わぷっ」
「…それ以上は言わないで。紅魔館の中で魔法使いちゃんと意見が合うのは、私一人しかいないだろうから」
魔理沙の帽子を引っ手繰り、言葉を続けられないように顔に押し付ける。私の言葉に、魔理沙は渋々押し黙る。
結局のところ、魔理沙の意見は全て私の意見に等しい。いくらお嬢様が許したとはいえ、あの鬼は私達の絶対の領域を踏みにじった。
私達の一番大切な場所を土足で踏み込み、自分勝手に汚してみせた。それがどれだけ大罪なのか、私はこの館の住人の誰もの共通意見だと考えていた。
…そう、それは私が考えていただけで。実際には異なっていた事実。何故ならフラン様とパチュリー様はあの鬼を受け入れたから。
馬鹿な、と思う。レミリア様に危害が及んだ時、その者を断罪すると鼻息荒く語っていたのは他ならぬフラン様ではないか。
レミリア様の身を護ることこそが私達の全て、その絶対を破った奴には死を持って制裁を与えるのではなかったのか。
八雲紫が私達の前に姿を現すとき、私は伊吹萃香への処遇をそう提案した。だけど結果は…分からない。何故、お二人は伊吹萃香を…
無論、私とて伊吹萃香がお嬢様の友となることのメリットを理解して無い訳ではない。だけど、だけどその判断はあまりに機械的過ぎる。
確かにお嬢様と萃香のことは終わったことだ。そしてお嬢様は萃香のことを心から許している。なればこそ、お嬢様の望み通りに
付き従うが我らの役目だろう。だけど…だけど、それで萃香のやったことが許されるのか。お嬢様を酷い目にあわせても、終わりが良ければ全て良いのか。
八雲紫、西行寺幽々子と今回の件はあまりに内容が違い過ぎる。二人は最初からお嬢様を害する気が無かったから良い。だが、伊吹萃香は…
分からない。フラン様とパチュリー様の考えが分からない。こんなことがこれからも続くのか?異変の度にお嬢様は過酷な目に合うのか?
否。断じて否。そのような目に合わせない為に、私達がお嬢様の傍に仕えているのではないのか。そもそも、その苦はお嬢様が受け入れなければ
いけないモノだと誰が決めた。お嬢様はそんな苦しみなんて知らなくても良い。お嬢様には咲夜が居る。魔理沙が居る。霊夢が居る。アリスが居る。妖夢が居る。
背後には私が、パチュリー様が、フラン様が、八雲紫が、西行寺幽々子が居る。ここまで手数は揃っているんだ。ならば、今回のような
過酷な目にあうような理由など何処にも無いじゃないか。お嬢様は何も知らないまま幸せのままで居てくれればいい。それなのに…
「…どうしたんだ、美鈴?ちょっと怖い顔してるぜ」
「…ねえ魔法使いちゃん、世の中って本当にままならないモノだとは思わない?」
「今更気付いたのか?そいつは世間の荒波への揉まれ方が足りないな。世の中はいつだってこんな筈じゃなかったことばかりだ」
「そうねえ…もう少し社会のこととか勉強しとくんだったよ。二人の上司の板挟み、本当、働くってことは大変だ」
「ならお前もフリーランスになるか?厳しい事も沢山あるけど、悠々自適で楽しいぜ」
「止めとくわ。護る場所の無い門番なんて何の価値も無さそうだし」
苦笑しながら言葉を返し、私はテーブルの上に置かれている自分のワイングラスを口元に運ぶ。
…あんまり美味しく感じないのは私の気分のせいか。情けない、これじゃちょっと咲夜のことを未熟だって笑えない。
心は何時でもニュートラル。どこまでも冷静で、どこまでも中立で。それが私の紅魔館の役どころ。熱するのは他の人に任せればいい。
伊吹萃香のこともさっさと飲み込んでしまう。幾ら不満を溜め込んでいようと、それは決して顔には出さない。態度には出さない。
お嬢様は伊吹萃香とみんなが仲良くすることを望んでいる。ならば私はそれに従うだけだ。お嬢様が悲しまない、そんな未来を築くだけ。
「酒が拙い、そんな顔をしているね。折角の酒が勿体無いねえ」
「…いえ、そんなことはありませんよ。美味しく飲ませて頂いてます」
「お前…」
部屋の隅で飲んでいた私と魔理沙に掛けられた声。それが誰か、なんて瞳を開かなくとも簡単に理解出来る。
まさかあちらから接近してくるとは思わなかった。向こうにとって、私はただの門番でしかないと思って気にしないと思ったんだけれど。
「私から近づいてきたのがそんなに意外だった?」
「まあ…否定はしませんよ。一介の門番などに用件など無いでしょうし」
「用は確かに無いんだけど、興味はあるんだよねえ。だってそうじゃない?
この一週間、紅魔館の連中の中でお前が一番私に溢れんばかりの『殺気』を向けていたんだからさ。興味を持つなって方がおかしい」
「へえ…バレバレでしたか。本当、私もまだまだ未熟ですね」
苦笑しながら、私は魔理沙の肩を優しくトントンと叩く。『この場から離れろ』、そういう意志を気に乗せて。
私の意志を感じ取ったのか、魔理沙は少し考える仕草を見せた後、自然に霊夢達の輪の中へと戻って行った。本当、頭の良い子だ。
機転や発想に関しては咲夜より優秀かもしれない。そんなことを考えながら、私はグラスをテーブルに置き直してその人――伊吹萃香を見つめ直す。
「さて、そんな瑣末な興味を持たれた伊吹萃香様が、私に一体何のご用でしょう?」
「堅苦しいね。ここに居るのは私だけだ、本当の顔で喋りなよ。生憎とこっちは偽り事が嫌いなんだ。別にレミリアに告げ口なんてしやしないよ」
「…ああ、そう。ならば改めて言い直させて貰うけど、何の用?こっちはお前に用なんて何一つ無いんだけど」
「くふふっ、一番大人びて冷静そうに見えて、一番子供のように反発するか。大蛇の忌み子も実に人間らしくなったもんだよ」
「…貴様」
「紅髪に全身を包むその特徴的な闘気。この館に来た時から気にはなっていたが、お前、二千年くらい前に私達の住処を襲った妖怪だろう?
星熊の奴との決闘に負け、あれからどうしたのかと思っていたら。成程成程…いやいや、見違えたよ。小娘がよくぞ大きくなったもんだ」
「お褒めに預かり光栄…なんて言うと思ったか。何、惨めに生きながらえてる私を笑いにきた訳?」
「笑うもんか。星熊の奴が珍しく人を褒めてたんだよ、アイツは将来面白くなるって。アンタもレミリアと一緒だね、光るモノを持ってるくせに
胸を何一つ張ろうとしない。それは美徳であるかもしれないけど、勿体無いことだろう。主従っていうのは似るもんなのかね」
「…さっきから何の話がしたい訳。私、お前が心から嫌いなのよ。さっさと消えてくれると嬉しいんだけど」
「そうだねえ…用は無かったんだけど、今出来たよ。私の事が気に入らないのは、私がレミリアに対して酷い目に合わせたからだろう?
そして、そんな私に何の処罰も下されず、のうのうと紅魔館の住人になろうとしてる。それが気に食わないって訳だ」
…このクソ鬼、よくもまあいけしゃあしゃあと。お嬢様がこの場にいなかったら本気で一発殴ってたかもしれない。
今回の件は全てが唯の結果論でしかないと理解しているのか。たった一つのもしもが、お嬢様の命を奪う結果になっていたことを分かっているのか。
否、それは私も同罪だ。お嬢様の傍に何者かが居ると分かっていた、それなのに私は何処か楽観視していたんだ。博麗霊夢や八雲紫、
西行寺幽々子のときのように、今回もまた何とでもなると。運命が都合よく回ってくれると。その結果がこれだ。
ああ、そうだ。私は苛立っている。それは行動を起こさないフラン様やパチュリー様にでも、全ての元凶であるこの鬼にでもない。
私は無力な自分自身に苛立っている。お嬢様を護るだとか何だとか偉そうな誓いを立てて、その役を果たせていない情けない自分に苛立っているんだ。
無様。ああ、実に無様だ。咲夜ですら、お嬢様の危機に力になれたというのに、私はどうだ。結局、お嬢様の危機に外側から指を咥えて眺めている
ことしか出来なかった。護ると決めたのに。この人に生涯を賭すると誓ったのに。結局私は未だ力を持つだけの唯の愚か者だ。
「…そんなに私が気に食わないか、蛇の子。私としては、これから先に同じ釜の飯を食う相手とは仲良くしたいと思ってるんだけどねえ」
「うるさい…その名で呼ぶな。私には紅美鈴という名前があるのよ。
ええ、気に食わないわ。気に食わないけれど…私はお前よりも自分自身に腹が立って仕方が無いんだ」
「ふぅん…私に苛立ちを向けているなら、好きなだけ殴らせてやろうと思っていたんだけど」
「舐めるな。お前如き殴ろうと思えば真正面からぶつかって叩き潰してる。そんな下らない情けなんか要らないわよ」
「なら止めとくよ。とりあえず、私はお前を含めて紅魔館の連中は気に入ってるんだ。やり方は気に食わないが、お前達のレミリアへの想いは本物だからね。
願わくば、いつかアンタや全ての元凶ともやりあってみたいもんだね。気が向いたら誘ってよ、相手になるからさ」
「私が誘う時は、お前の死ぬ時だよ、伊吹萃香」
私の吐き捨てる言葉に、伊吹萃香は『そいつは楽しみだ』と言葉を残して私の下を去って行った。
本当、憎たらしい奴。どこまでも真直ぐで、お嬢様に危害を加えた事を少しも悪びれないで…そんなアイツにお嬢様が心を許している事が、少しだけ悔しい。
伊吹萃香と入れ替わる様に、私達の方を遠くから眺めていたお嬢様が心配そうな表情を浮かべてこちらに近づいてくる。
…少し、心配かけちゃったか。私は息を吸い直し、いつもの平常心を取り戻してお嬢様に向けて笑みを浮かべ直す。
こんな歪な私の笑顔が、少しでもお嬢様の心に安心を取り戻せますように。そんな陳腐な願いを、心の中で唱え直しながら。
~side 妖夢~
「先日は誠に申し訳ありませんでしたっ!!」
私は何度も頭を下げて謝罪を繰り返す。その謝罪先は勿論、八雲紫様だ。
突然謝罪を行う私に、紫様は不思議そうに首を傾げた後、ようやく心当たりに気付いたのか、クスクスと上品に笑われた。
しかも、その笑いは伝播してしまったようで、私の背後では幽々子様の笑い声が。ううう…私、完全に晒し者だ。でも、こればかりは仕方無い。
「その謝罪は先日の件に関するものかしら?」
「は、はい…その、自分の意志とはいえ、信念を貫き通す為とはいえ、私は紫様に刃を向けてしまいました。し、しかも紫様のことを、その…」
「『八雲紫』、そう呼んだわねえ。まさか妖夢に呼び捨てにされるとは想像すらしていなかったけれど」
「っ!?ももも、申し訳ありません~!!!」
そう、私は紫様相手に刃を向けるどころか呼び捨てにまでしてしまったんだ。あの最強の妖怪、しかも幽々子様の親友に。
紫様の言葉に、私は全身の血の気が差っ引いていくのを感じた。ど、どうしよう…仕方ないとはいえ、私、本当に取り返しのつかない事を…
ガクガクと震える私に、軽く息をついて紫様はゆっくりと口を開く。それはどこまでも優しい口調で。
「…なんてね。謝る必要なんてないわよ、妖夢。私は少しも怒っていないから」
「へ…?」
「むしろ私に今、謝罪をしている貴女を怒りたいわね。貴女、今一体自分が何をしているのか分かって?」
「え、えっと…ゆ、紫様に謝罪を…」
「謝罪をする、ということは己の過ちを認めるということよ。自分のやってきた行動に非礼を詫びるということ。
貴女はあのとき、私に刃を向けた事を恥じているの?私に刃を向けず、望まぬままに霊夢達の敵に回り、レミリアの意を無視することが正しかったと?」
「い、いえ!私は…私は、あのときの選択を間違いだとは思いません」
「ならば頭を上げなさいな。そして誇りなさい、己が掴み取った選択が、何よりも正しく胸を張れるものであったと。
あの時の貴女は、幽々子の従者としてではなく、一振りの刀として自分の信ずる道を自ら切り開いた。それは何処までも正しく、美しい在り方だわ。
なればこそ、謝罪など不要。私が望むのは、私相手にもちゃんと刃を誤ることのなかった一人前の武人の姿。そうは思わない、幽々子」
「ふふっ、紫の言う通りだわ。妖夢、胸を張りなさいな。貴女は私達に委ねるのではなく、ちゃんと己の決断を持って未来を切り開いたのよ」
紫様と幽々子様、お二人に励まされ、私は思わず言葉に詰まってしまう。
怒られると思っていたら、何故か褒められたのだ。言葉を発せなかったのは仕方が無いことだとは思う。
口を噤む私を余所に、お二人は言葉を続ける。ただし、今度の会話は私に関係しない、お二人だけの会話で。
「それに、私に刃を向けたのは正確には妖夢じゃないものね」
「あら、それはどういう意味かしら?」
「妖夢も連れて行けと幽々子が頼むから、何事かと思えば…まさか、あの場面で懐刀を切ってくるとはね。フランドールと取引でもしたの?」
「さあ、どうかしら。ただ、お友達が困った時には手を貸すように言われた記憶はあるわねえ」
「それでもう一人の親友を裏切る、と。酷いわねえ、悲しみで胸がいっぱいになってしまいそうですわ」
「ふふっ、それも含めて計画の内だったくせに。それで?貴女は何処まで道化に身をやつせば気が済むのかしらね」
「私の気が済むまで、ですわ。何、慣れぬおめかしもそんなに悪いものでもないわ。
嘘が続けば真実となり、真実も続けばまやかしとなる。嘘に塗れた蛇の道に、日差しを遮る流雲が千切れ偏在しても良い。
それじゃ、幽々子、この仰々しい喜劇を今は共に楽しむとしましょう。空だけは~昔と変らぬ美しき蒼~♪国~破れて~山河在り~♪」
そう言い残し、紫様はこの場から去って行った。足を向ける先は、どうやらレミリアさんのところのようだ。
そんな紫様の後ろ姿を見届けている時、私の傍でポツリと幽々子様が楽しげに言葉を紡がれる。
「紫は本当に相変わらずね。周囲を動かすだけ動かして、結局レミリアには何一つ手を差し伸べようとしない。それが不要だと知っているから」
「そう、ですか?レミリアさんに対して、紫様は積極的に行動なさってますけれど…」
「紫は臆病だから、本当に手を差し出すことなんてしないわよ。
紫は他人に道なんて作れない、作らない。誰かの為に動くなんてことはない。けれど、自分の為に動くなんてこともない」
「ええ…じゃ、じゃあ紫様がレミリアさんに対してあのように行動を起こしたのは…」
「空が晴れていたからじゃない?空が晴れれば、八雲の影が地表に現れる、それが自然と言うモノだから。
子供なのよ、紫は。あの娘はただ歪な積み木が完成するのを見たいだけ…それを行動に移すのは天気次第。実に紫らしいでしょう?」
…ごめんなさい、幽々子様。全く、これっぽっちも、微塵も理解出来ません。
そんな私の気持ちが伝わったのか、幽々子様は軽く微笑みながら、私の頭を優しく撫で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「紅霧、春雪、そして鬼輝…ふふっ、舞台劇はどんどん加速していくわ。けれど、それは貴女の選んだ道、貴女の選んだ未来。
さて、レミリア…貴女は私達に次は何を見せてくれるのかしら。どんな輝きを見せてくれるのかしら。私達にどんな可能性を…ね」
幽々子様の呟きに、私はレミリアさんの方に視線を向ける。そこには、紫様に抱きつかれてもがき苦しむレミリアさんが。
そんな紫様から解放しようとする霊夢に魔理沙と咲夜。そして、それを見て呆れるアリス。その光景を見ながら、私は小さく思うのだ。
レミリアさんを待つ未来がどのような未来であったとしても。この光景だけは、この温かい光景だけは決して奪われたりしませんように、と。