~side 萃香~
レミリアの軽い身体が簡単に宙に舞い、幾度目となる壁との衝突をする。
最早、レミリアが私に抵抗しようとすることはない。それは抵抗する力が残っていない程に身体にダメージを負っているという訳じゃない。
私はレミリアを極力傷つけないような攻撃手段しか用いていない。殴る、蹴る等を封じ、撫でるようにレミリアを投げつけるだけ。
その理由は勿論、私の目的がレミリアを殺したいからじゃない。レミリアを追い詰めることで、レミリアの本当の姿を垣間見たいから。
だからこそ、見た目こそ派手だが、レミリアは言う程の傷は負っていない。けれど、レミリアは私に抵抗しない。抵抗出来ない。
何故なら今のレミリアは完全に心が折れてしまっているから。生まれてきて初めて味わう本当の殺気、恐怖、そして痛み。それを
何度も何度もその身に叩きつけられたんだ。むしろよくぞここまで持った方だと賞賛したいくらいだ。
一歩、また一歩と投げ飛ばしたレミリアに近づく度に、レミリアの身体が恐怖に震える。ガチガチと歯のぶつかりあう音が聞こえる。あの
純粋無垢で楽しそうに笑うレミリアの笑顔はもう何処にも無い。その瞳はもう恐怖しか映されていない、怯えることしか出来ない。
そんなレミリアの姿を見て、私は確信する。今こそが仕上げの段階に移行する頃合いだと。
「最早抵抗することも出来ない、か。どうなんだい、レミリア」
「許して…もう止めて…もう嫌…」
その瞳は私すら映さず。ただただ許しを乞うレミリアの姿の何と儚きことか。
今にも泣きだしてしまいそうなレミリアに、私は最後の選択を突きつける。言葉に出来ない程の理不尽を前に、レミリアは
どちらの道を選び取るか。羽ばたくか、はたまた羽を休めるか。恐らく、どちらでも構わないと紫の奴は考えているんだろうけど。
震えるレミリアの前に立ち、私は言葉を紡ぐ。さあ、レミリア、選び取れ。お前の意志で、自分の望む道を選ぶんだ。
その上で私に見せておくれ。古来より私達鬼が切望してやまないモノを、お前の持つ本当の強さを――
「…飽きた。つまらない。レミリア、お前はつまらない。実に期待外れで退屈だよ。
いいよ、もう痛いのも怖いのも嫌なら逃げれば良いさ」
「え…」
「見逃してやるって言ってるの。ほら、この洞窟の入口があるだろう?
今は私が霧で覆っているから出入り出来ないようにしているけれど、あれを解除してあげる。
レミリアはあの場所から歩いて逃げれば良い。そうすれば私は追わないし、攻撃だって加えない。
そして私は二度とお前の前に姿を現さないし、危害を加えないことを約束してあげる。どう、破格の条件でしょう?」
私の言葉に、レミリアは信じられないとばかりに眉を寄せる。まあ、それも当然といえば当然か。つらいね、自業自得とはいえ、こういう目をされるのは。
軽く息をつき、私はレミリアの身体を右手で持ち上げ、軽く跳躍をして洞窟の出入り口近くへと運んでみせる。
出口の前でレミリアを下ろし、私は霧を操作して、出口の霧の濃度を下げる。ガチガチの壁状になっていた霧は、人が通ることが出来る程度に薄まる。
「自分の力で洞窟を抜ける程度の余力はあるだろう?さあ、逃げるなら逃げなよ。鬼の名に誓って私は追わないから」
行動に起こすことで、どうやら信じて貰えたのか、レミリアはゆっくりと立ち上がり、身体を引きずるようにして出口の方へと歩んでいく。
…まあ、当然だ。突然、こんな場所に連れられて、これまた意味も分からず知人に暴行を加えられたんだ。ここで残る奴なんて誰がいるもんか。
これでは選択なんて成り立たない。レミリアの奮え立つ姿なんて見られる訳が無い。だからこそ、私は最後の一枚のカードをこの場で切ってみせる。
フラフラのレミリアが、霧に包まれた出口に足を踏み入れようとするその時、私は残りの白霧を一気に大気に霧散させる。靄掛っていた
出口の通路、レミリアの視線の先に、私のとっておきのカードである一人の姿を見せつける。
その姿を見て、覚束ない足取りでも必死に前へ進めていたレミリアの足が止まる。否、止めざるを得なかったのだろう。
何故なら、レミリアの視線の先に現れた人物――それは、彼女が何より愛してやまない大切な一人娘だったのだから。
「さ…く、や…?」
そう、レミリアの呟く通り…そこに居るのは、十六夜咲夜だ。
それもいつもレミリアが見てるような姿じゃない。体中はそれこそレミリアに勝るとも劣らない程にボロボロで、
全身が傷と痣だらけ。無事なところを探す方が難しいくらいに、十六夜咲夜はボロボロだった。
勿論、それは私の仕業だ。レミリアに対するとっておきの切り札とする為に、私が呼び出し、殺し合い、そして私が勝利した。
十六夜咲夜は人間の部類ではハッキリ言って別枠レベルの強さだった。所有する能力も化物のそれと何ら変わりない。だけど、それだけだ。
通常の妖怪なら難なく打倒出来ただろう。上級の妖怪だって屠れたかもしれない。だけど、十六夜咲夜が戦った相手は他ならぬ私。
鬼を打倒するには、十六夜咲夜では届かない。ましてやその中でも最強に属するこの私相手では。
私に敗れ、十六夜咲夜は気を失ったとき、全ての権利を失った。最早、レミリアを助けることも手を貸すこともままならない。
恐らく、今から三日ほどは目を覚まさないだろう。そんな抵抗一つ出来なくなった十六夜咲夜を、私は自分の欲望の為に利用する。利用させて貰う。
そう、コイツこそがレミリアにとって何より有用なカードとなる筈なんだ。レミリアの中で、コイツだけが別格だと私はこの数日間で知っているのだから。
気を失ったまま、私の操る霧で拘束されている十六夜咲夜の姿に言葉を失っているレミリア。そんなレミリアに、私はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そう、アンタの愛娘の十六夜咲夜だ。私に挑み、敗れ去って今はこんな状況にあるけどね」
「さ…咲夜っ!!」
「無駄だよ。死んじゃいないが、声を掛けたくらいで目覚めるような甘い戦いをしちゃいない。
まあ、次に目覚めるのは三日後くらいかな。身体も良く鍛えられているみたいだし、後遺症だって残らないよ」
私の説明に、レミリアは僅かばかりの安堵の息をつく。馬鹿だね、そんな風に安心してる余裕なんて微塵も無いと言うのに。
だって、これからアンタは身を切るような選択を迫られるんだ。そう、それこそこれまでに無い程の理不尽さを突きつけられて。
「す、萃香…お願いだから咲夜を解放…」
「しないよ」
懇願するように乞うレミリアの言葉を私はにべもなく一蹴する。
私の言葉の意味が理解出来ていないレミリアに、私は腹の底に力を込めて声を発する。さあ、レミリア、選ぶんだ。アンタの道を。
「私は確かにレミリアを見逃してやっても良いと言った。だけど、私にナイフを向けたコイツは別だ」
「そ、そんな…お願いよ、萃香…咲夜のことは謝るから、私が謝るから…だから…」
「駄目だね。この人間は私が攫うと決めた。古来より人攫いは鬼の役目だ。
そうさね…この人間には私と一緒に地底に来て貰うとしようか。暗く光の差さない大地の底で、その生涯を終えて貰うとしよう。
何、レミリアは気にすることは無い。コイツのことなんか忘れてさっさと逃げてしまえば良い。決断は一瞬だろう?
今の気持ちを一瞬だけ裏切れば、お前に待つのは望んだ日々だ。平穏で、誰にも邪魔されず、犯されず。何一つ危険の無い未来を約束してやる」
それは間違いない事実だ。恐らく、この決断を紫は覗いている。そしてレミリアが逃げた場合…アイツはそういう未来を歩かせる筈だ。
レミリアの妹達の思惑なんか関係ない。レミリアが心から嘆きただ平穏を望んだなら、紫はその道を与えるつもりなんだろう。ただ、その道は…
いや、もしかしたら、レミリアにとってそれは一番幸せな道なのかもしれない。理不尽な不幸も苦痛も無く、何一つ縛られない好きなことだけをやって
いられる毎日。私はそんな未来等御免だけど、唯の人間と何ら変わりないレミリアにとっては喉から手が出る程に欲しい未来なのかもしれない。
だからこそ、私はレミリアの選択を待つ。どちらを選んでも、私は責めも罵倒もしない。この選択は、ある意味レミリアが自分の足で歩かねばならない決断だ。
いずれ訪れるであろう、今私が与えている理不尽を超える事象に自分の意志で立ち向かうのか、はたまた全てを捨てて逃げるか。
私は大きく息を吸って言葉を紡ぎ直す。レミリアが選ぶ道を知る為に。レミリアが直面しているこのふざけた現実にどう対応するかを知る為に。
「…さあ、選びなよ、レミリア・スカーレット。
このまま逃げて全てから解放されるか、私に立ち向かい自らの意志で全ての理不尽に立ち向かうのか」
~side 魔理沙~
「ふざけるなああああああああああああ!!!!紫いいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
腹の底から憎悪に籠った叫び声。そんな咆哮が耳に届いたとき、私はようやく肢体を動かす方法を学習した赤子のように
身体を動かすことが出来た。叫び声の方向に視線を向けると、そこには紫に向って真直ぐ疾走している霊夢の姿があった。
だが、霊夢の動きはそこで終わりだ。突如霊夢の周囲に現れた小さな隙間から木々の枝のようなモノ…触手とでも表現すればいいのか、
そいつらが現れ、霊夢の両手両足を封じるように縛り付ける。身体を拘束された霊夢だが、アイツは決して進むのを止めようとしない。
まるで鎖に繋がれた獰猛な犬が、必死に解き放たれようとしているかのように束縛の中を暴れまわっている。そんな霊夢に、紫は軽く息をついて言葉を紡ぐ。
「急に大声を出したかと思えば…さてはて、貴女は一体何のつもりかしら?」
「黙れっ!!!それは…それはこっちの台詞よ!!!」
「こっちの台詞、とは?」
「アンタは…アンタはレミリアに一体何をしてるのよ!?自分が何をしてるか分かってるの!?」
視線だけで人を殺すことが出来る、そんな表現が似合うように霊夢は紫を睨みながら声を荒げている。
対する紫の奴は、霊夢の射殺すような視線をどこ吹く風と受け流してる。その態度が霊夢の怒りを更に掻き立てる。
…この野郎。霊夢じゃないが、私も段々苛立ちがコイツに対して大きくなってくる。
「レミリアに対して私は何もしていないわよ?私は貴女達の前に居るじゃない。
…ああ、あの場にレミリアを連れてきたのは私だったわね。だけど、それだけ。レミリアをボロボロにしたのは私じゃなくてアイツでしょう?」
「お前っ…そんな言葉遊びが通じるとでも思ってんのか?アイツが誰かは知らないが、お前とアイツは間違いなくグルだろうが。
直接手を下したかどうかの違いだけで、結局お前が犯人であることは間違いないだろっ!」
「犯人?私が?一体何の?」
「ふざけんなっ!!!レミリアをあんなボロボロになるまで追い詰めた犯人だっ!!!」
霊夢じゃないが、流石の私も我慢の限界だった。気付けば大声を紫にぶつけ、手に持つ八卦炉を脅しに翳していて。
そんな私達に、紫は溜息を一つついて言葉を紡ぎ直す。
「別にそんな物騒なモノを向けなくとも、説明ならしてあげるわ。訊きたいことがあるなら言いなさいな」
「コイツッ、元凶のくせにっ!!」
「…落ち着きなさい、霊夢。それじゃ紫、私の方から幾つか質問させて貰うわ」
「あら、この二人とは対照的に随分と落ち着いてるのね人形遣いさんは」
「私は二人程直情的じゃないだけよ。それに、魔法使いってのは常にクールでいなきゃいけないのよ。
全員がカッカしてるときでも、ただ一人氷のように冷静に戦況を見てなきゃいけない…それが魔法使いなんだそうよ」
「へえ、なかなかどうして。素晴らしい名言ね、一体誰の受け売りかしら?」
「貴女達が今苛めてくれてる私の大切な友人からの、よ。
さて、さっさと質問を初めて構わないかしら。私は二人のように表面に出さないというだけで、いつまでも感情を
抑えていられる訳じゃないから」
「…良いでしょう、答えられるだけ答えてあげるから、お好きなように質問なさい」
紫の言葉に、アリスは頷き私と霊夢に視線を寄こす。
霊夢は…駄目だな、完全に怒りが頭に昇ってる。質問よりもアイツの頭の中は早く紫をぶっ倒してレミリアを助けることしかないんだろう。
…まあ、かく言う私も駄目っぽいが。今の私はどうも感情を抑えられないらしい。きっと紫が少しでもふざけた答えを返せば、
迷うことなく私は魔法で攻撃するだろう。当然だ、だってアイツは絶対に超えちゃいけない線を越えてしまったんだ。
私の大切な友人を…いや、私『達』の大切な友人で、何の戦う力も持たないレミリアを、あんな酷い目にあわせたんだ。
許さない、許せない。私が今幾分冷静になれているのは、間違いなくアリスのおかげだ。だけど、ただ、それだけ。私の感情が
どす黒く煮えたぎってるのは霊夢にだって負けないくらい。だからこそ、私はアリスに視線で答える。『お前に任せる』、と。
このインチキ妖怪相手に駆け引きをするのは、普段の私や霊夢にだって荷が重い。だからこそ、アリスに託す。冷静かつ頭の回転が速いアリスなら、
紫から必要な情報を抜きとることが出来るだろうから。頼むぜ、アリス。
「まず、初めに問いたいのは、レミリアの前に対峙している妖怪の正体」
「あら、意外ね。まずは私達を解放しろとかレミリアのところに連れて行けとか言うのかと思った」
「舐めないで。そんなことを頼んだところで、貴女が頷き協力してくれる訳がない。何故ならこの状況を作り出したのは他ならぬ貴女なんだから。
それなら、レミリアを追い詰めてる敵の正体を知り、レミリアを助ける為の手段を講じた方が有意義だわ。
今は一刻の時間も惜しいのよ、さっさとアレの正体を言いなさい。貴女がアレと本当に手を組んでいないのなら、答えられる筈でしょう?」
「勿論答えてあげますわ。彼女の名前は伊吹萃香。萃まる夢、幻、そして百鬼夜行…彼女を形容する言葉は古来より沢山あるけれど、
そうね、学に通じる貴女には、『酒呑童子』と言った方が話は早いかしら?あちらの世界のお姫様である貴女は、どうやら東洋の神秘にも通じている様子だし」
「――酒呑童子、ですって?」
酒呑童子、その名前にアリスは絶句する。なんだ、そんなに有名な奴なのかアイツは。
説明を求める私の視線に、紫は慌てるなとばかりに瞳を閉じ、ゆっくりと説明を続けて行く。
「魔理沙、貴女は妖怪の中で力強き種族と言えば何を想像するかしら?」
「お前。八雲紫が数多の妖怪の中でも頂点に立つっていうのは、有名な話だろ?」
「私をそこまで買ってくれてありがとう。だけど、私は『種族』という意味で強き称号を得ている訳ではないの。
隙間妖怪、そう名こそ打たれているけれど、私は私の他に存在しない。私は一人で種族なの。この意味、分かるかしら?」
「隙間妖怪って種族は紫一人しかいない、つまりそれは妖怪としての種族の強さじゃなくて紫の強さってことか?」
「そういうこと。私は種族として成り立たない、成り立てない。何故なら私は何処まで探っても一人だから。
仲間なんていない、同種なんていない、親も親族も存在しない、そういう生き物なのよ」
そう笑って紫は話しているが、その言葉は何だか酷く物悲しい気がして。
そんな空気を紫は気にすることもなく『話を戻しましょうか』と断ち切り、先程までの話題へ話を戻す。
「他に力強き種族と言えば?」
「…天狗かな。幻想郷でも一大勢力の妖怪の山、そこを牛耳ってる奴らだ、種族としての強さはあるだろう」
「良い着眼点ね。確かに天狗は力強き種族と言える。群れを為し、テリトリーを作り、上下関係を厳格にし、上には絶対服従。
その人間に近い結束力と天狗の実力が、彼らの種族としての強さであり、群体としての強さでもある。天狗自身、上位の妖怪の強さを持っているわ」
「そうだな…で、結局お前は一体何が言いたいんだ。今レミリアをいたぶってるアイツの正体は天狗とでも言いたいのか?」
「いいえ、その更に先を言いたいのよ。その妖怪として確かな強さを持つ天狗という種族、それを更に統括する最強の種族がこの世には存在するの。
それが彼女、伊吹萃香の正体。彼女の種族は、古来より最強の種族の名を他に決して譲ることはなかった誇り高き妖怪なのよ」
「――鬼。それが伊吹萃香の正体、か」
紫の説明に口を挟んだのは霊夢。その名前に、私は少しばかり聞き覚えがある。
鬼。それは確か、お伽話に出てくる力強き妖怪の名前。子供の頃に親父やお袋から絵本を読み聞かせて貰ったときに何度か耳にした。
それなのに何故私は鬼の種族を先程出せなかったのか。その答えは単純だ。だって、この幻想郷にもう鬼は…
「鬼は幻想郷からも消えたんじゃなかったのかしら。
この幻想郷の風土に合わなかった闘争の塊である妖怪、それが鬼だと昔母さんに聞かされたことがあるんだけど」
「そう、鬼はこの幻想郷から消えた筈だった。他の妖怪とは違い、人間とは人攫い、鬼退治という関係で強い絆に結ばれていた彼らは
この幻想郷でもその関係を成り立たせることは出来なかった。人間を愛するが故に、人間に絶望した彼らに、この世界にも居場所は何処にも無かった。
…まあ、鬼の存在の有無なんて今は関係ないわね。現に今、その鬼はこうして貴女達の前に存在しているのだから」
「アイツが鬼だってことと、強い種族だってことは分かった。だったら、どうしてアリスはそんなに驚いているんだよ。
紫がアリスに教えた名前は鬼じゃなくて『しゅてんどーじ』とかいう名前だっただろ。それが何か関係してるのか?」
「ええ、そうよ。何故なら酒呑童子とは、鬼の中でも別格の存在なのだから。
最強の種族たる鬼の中でも、抜きんでた智と勇と力を持つ最強の鬼達。その四人を人妖達は畏怖と敬意を込めて鬼の四天王と呼んでいる。
その四天王の中でも筆頭として名を上げられるのが彼女…酒呑童子こと伊吹萃香なのよ」
「…そうなのか、アリス」
「…ええ、紫の言うことが全て真実なら、ね」
頷くアリスを見て、私はただただ苦笑を浮かべるしか出来なかった。本当、レミリアの奴、なんでいつもいつもとんでもない奴を引き寄せて
くれるんだ。最強の種族の妖怪のそのまた最強なんてどんな反則だよ。しかし、アイツの正体はともかく、一つの謎が解決してくれた。
「レミリアを巻き込んだ今回の騒気の異変…その犯人も伊吹萃香ね」
「ご明察。まあ、今となってはそんな異変なんて萃香の頭には微塵も残って無いみたいだけど、ね」
「どういう意味?」
「その問いに答える意味なんてないわ。今の萃香の目的は、幻想郷をどうこうすることではなく、レミリアに関する事にすり替わって
しまったのだから。だから、何故萃香がこんな異変を起こしたのか、なんて今更聞いても仕方無いでしょう?
貴女達が訊くべきことは、幻想郷に対する問いかけではなくレミリアに関することではなくて?」
「…正論ね。なら遠慮なく問わせて貰うわ。その最強の鬼である伊吹萃香が、どうしてレミリアを酷い目に合わせてるのよ」
「さあ?私は萃香ではないから、正確な答えなんて返せないかもしれないわよ?唯の推測で構わないなら」
「それでも構わないわ。他ならぬ八雲紫の推測だもの、それはきっと何より『正解』に近い」
アリスの答えに、紫は口元を綻ばせ、それならばと説明を続ける。
それは私達にとって予想だにしていなかった答えで。
「萃香がレミリアを追い詰めているのは、半分は貴女達の責任でしょうね」
「はあ!?ちょ、ちょっと待て!!どうしてそこで私達の責任になるんだよ!?私達はレミリアを護りこそすれ…」
「それよ。そのレミリアを護ろうとする気持ち、それこそが萃香をあんな行動に追いたてたのよ。
正確には貴女達というより、レミリアを庇護しようとする紅魔館の連中ね。レミリアを鳥籠の小鳥のように閉じ込め、
彼女の一切の危険を排し、彼女を護る為に紅魔館の主に祭り上げ、そして彼女を大切な調度品のように扱ってきた」
「それの何が悪いんだよ。咲夜じゃないが、私だってレミリアの家族だったらそうするぜ。
だって仕方無いじゃないか。レミリアには戦う力なんて存在しないんだ。だったら家族なら護るだろう?大切にするだろう?」
「ええ、そうね。それは何一つおかしくない。何もおかしいことじゃない。力無き者を護るのは力有る者の役目だわ。
だけど、それは一面を見た場合の解答でしょう?そのレミリアの危険を排した結果、別の側面を垣間見ることがあって?」
「…どういう意味だよ」
「言葉通りの意味よ。確かにレミリアはそうやって皆に護られ生きてきた。また、そうしないと生きてこられなかったのかもしれない。
けれど、そうして歩いてきたレミリアの生涯を振り返って、あの娘は自分の人生を歩いてきたと果たして言えるのかしら?
これは危険だからと選択を他者に決められ、気付けば紅魔館の主に。気付けば異変の首謀者に。気付けば白玉楼に。さて、貴女達が
レミリアと出会ってこれまでの中で、あの娘が自分の意志で運命を決定付けられた事なんて一体何度あるのかしら」
「…何だよそれ。まるでレミリアが自分の意志で決めた訳じゃないとでも言いたげだな」
「そう言っているのよ、魔理沙。レミリアがしてきたこと、許されてきたことは、他人に用意された道を歩くことだけ。
他人に与えられた理不尽を素直に受け入れることだけ。いわば彼女は何処何処までも裏に支配された意志無きお姫様でお人形。
実力も無いと他人に嘲られ、ただの滑稽な独り善がりのマリオネット。台本を用意され、言われるがままに喜劇を演じる可哀そうな道化。違って?」
ふざけるな。そう叫びたかった。そう言い返したかった。否定して、全力で紫の奴をぶん殴りたかった。
だけど、それは何故か言葉に出来なくて。どうしてかは分からない、分からないけれど、何故か紫の言葉は否定出来なかった。
紫の言葉の意味は良く分からなかったが、それを否定する材料が少なかったから。むしろ肯定する材料が山ほどあり過ぎた。
言われてみて考える。そういえば、レミリアは力も無いのにどうして紅霧異変を引き起こしたのか。力も無いのにどうして冥界に向ったのか。
レミリアの性格は私は理解しているつもりだ。だからこそ考える。レミリアは異変などを望むような奴じゃない。それならばどうして
異変を起こしたり度々厄介事に首を突っ込んでいるのか。最初はレミリアの持つ異変体質というか、不幸体質というか、そういうのが原因なのかと思っていた。
だけど、紫の言葉を受け入れてしまえば全ては一つにつながる。レミリアの背後で『レミリアがそうなるように仕組んだ』奴がいれば、話は
変わるんだ。レミリアの否応などお構いなしに、レミリアに気付かれないように勝手にレミリアの道を作ってる奴…そういう奴が居れば、話は全部つながる。
もし、紫の言葉がその通りなら、レミリアは紫の言う通り、ただの操り人形じゃないか。沢山の理不尽を与えられ、酷い目にあわされているだけの
可哀そうな道化。その行動にレミリアの意志が存在しないのならば、まさに紫の言葉通りじゃないか。
「レミリアは縛られている。それが善意であれ悪意であれ、レミリアは弱き者と決めつけられ、可能性の全てを奪われている。
それはレミリアを監禁することと一体何が違う?レミリアの本当にやりたいことは紅魔館の主で沢山酷い目にあう事なのかしら?
理不尽。実に理不尽。可哀そうなお人形、見えぬ鎖に縛られ、舞台の上で嘲笑されるだけの悲劇で喜劇のマリオネット。
そう考えたからこそ、萃香は行動に移したのではなくて?萃香はレミリアのことを気に入っている、だからこそ誰も出来ない行動をやってのけた。
レミリアが自覚していない理不尽さを恐怖という形にして突きつけ、他ならぬレミリア自身の意志で選択をさせている。
この蕩ける様に甘美な毒が体内に巡り、いずれ訪れる綻びの日を迎える前に、レミリアに突きつける。その選択は――」
『…さあ、選びなよ、レミリア・スカーレット。
このまま逃げて全てから解放されるか、私に立ち向かい自らの意志で全ての理不尽に立ち向かうのか』
「――さぞやこれまでに体験したことの無い程に理不尽なモノとなるでしょう」
そう告げ、紫は視線を背後の隙間へと向ける。そこに映し出されているのは、呆然と立ち尽くすレミリアと、ボロボロになった咲夜。
…馬鹿な。どうして咲夜があの場所に居るんだ。いや、それよりもどうして咲夜があんなボロボロにされているんだ。一体誰が…そんなこと、考えるまでも無い。
あの伊吹萃香とかいう鬼がやったんだろう。ならば、一体何故咲夜を。そこまで考えたとき、紫は解答を口にしてくれた。
「このまま十六夜咲夜を見捨てて逃げるか、十六夜咲夜を助ける為に伊吹萃香に立ち向かうか。それが萃香の提示した選択よ。
前者を選べば、あの娘の背負う全てのしがらみはそこでお終い。これから先、レミリアに対する一切の干渉を私がさせない、許さない。
名を、姿を、記憶を、その一切を変え、私があの娘の安住を約束しましょう。八雲の名において誓うわ」
「それはどういう…」
「紅魔館を離れ、吸血鬼を捨て、ただの一人の少女としての生を与えてあげる。その程度、私には造作も無いこと。
ただし、幻想郷とはお別れね。この世界はあの娘にとって余りに優しく残酷過ぎる。この世界では、どこに行こうとレミリアに救いは無い。
なればこそ、私が与えてあげるのよ。レミリアの望む全てを、この私が惜しみなく与えてあげる」
「ふ、ふざけんなっ!!レミリアが咲夜の奴を見捨ててまでそんな道を選ぶ訳…」
「ない、そう言い切れるのかしら?あんなにも怖い目にあって、あんなにも理不尽な目にあって、それでも萃香に立ち向かえると?
ハッキリ言うわ。戦う力の無いレミリアにとって、萃香に立ち向かうということは、自分の死を意味するも同然の選択なのよ。
そんな選択を今のレミリアが選べるのかしら?ましてや片方の選択は己の望む全てが待っているのよ?ならば悩む必要なんてないのではなくて?
苦しみも、理不尽も無い優しい世界。誰かに縛られることも踊らされることもない、彼女にとってそんな優しい世界。それこそがレミリアの本当の幸せなのではなくて?」
紫の問いに、私は言葉を返せない。この世界は、レミリアを取り巻く現状は本当のレミリアにとってどれだけ過酷なモノか知っているから。
言葉を返せない私に、興味を失したのか、紫は視線を霊夢の方へと移す。私に問いかけたように、霊夢に対して紫は再び口を開く。
「霊夢、貴女はどうかしら?レミリアのことを真に考えるなら、萃香の提示した逃げ道を選ぶことこそが本当の幸せだとは思わない?」
紫の問いかけに、霊夢は答えない。その反応を私と同じだと察したのか、紫は興味を失ったように霊夢に背中を向ける。
そして、私達を放置し、再び隙間に視線を向けようとした時、紫の背中に言葉が投げつけられた。
「…紫、貴女には一つだけ言いたい事があるわ」
「言ってみなさい。しっかりと聞き届けてあげるから」
「ありがとう。それなら遠慮なく言わせて貰うわ。――いい加減、レミリアを馬鹿にするのを止めろ、このクソ妖怪がっ!!」
霊夢の言葉に、私は眼を見開き驚愕する。いや、私だけじゃない。紫もどうやら同じだったのか、驚いたような顔をして
霊夢の方へ振り返っている。対する霊夢は、先程まで以上に苛立ちを込めた表情で紫の方を睨みつけている。
「…私がレミリアを馬鹿にしているですって?」
「そうよ。アンタが誰より一番レミリアの事を舐めて馬鹿にしてんのよ。アイツの事を見下してんのよ」
「あら、それは貴女達でしょう?レミリアを誰も彼もが年端もいかぬ赤子のように扱って、その結果が今の状況よ。理解してる?」
「そしてアンタがその不幸なお姫様を助けようと。解放してあげようと。力を持たないレミリアを幸せにしてあげようと。馬鹿にするなっ!!
その言葉、その態度、そのレミリアに向ける目の全てがムカつくのよ!!さっきから聞いてれば好き勝手にペラペラと…アンタはどれだけ偉いのよ!?
アンタのその上からの視線が全部レミリアのことを舐めてるじゃない!同等と見做してないから救おうとする、そんな考えに辿り着くのよ!!
アンタもあの鬼も、他人がどうこうなんて偉そうな理屈を並び立てながら、結局自分はレミリアの上に置いてるじゃない!レミリアを弱者と見下して!
レミリアを他人に運命を弄ばれてると勝手に決めつけて!私からしてみればその方がよっぽどレミリアを追い詰めてるのよ!」
霊夢の言葉の嵐に、紫は口を開かない。そんな紫に対し、霊夢の言葉は止まらない。
散々感情を押し殺し続けた結果、今の霊夢は極度の暴走状態にあるのかもしれない。だけど、その言葉はどこまでも私は納得出来るもので。
そうだ。紫もあの鬼もレミリアの全てを勝手に決めつけ過ぎている。なまじ自分に力と智があるから、レミリアのことを憶測で決めつけ過ぎている。
仮に紫が本当のことを言っているとしても、私はレミリアから『不満』を聞いたことが無い。現状が嫌だと否定されたことがない。
咲夜にも、門番にも、パチュリーにも、妹にも、紅魔館の誰を相手にもレミリアはいつだって笑っているじゃないか。幸せそうに笑っているじゃないか。
確かにレミリアは何者かに踊らされているかもしれない。道を決めつけられているのかもしれない。だけど、レミリアはそんな奴じゃない。
そんな理由で全てから逃げるような、そんな奴じゃない。だからこそ、私はレミリアに心惹かれた。霊夢だってそうだ。アリスだって、妖夢だって同じだ。
他人の思惑なんて関係ない。周囲の嘲笑なんて関係ない。そんなものは気にせず、レミリアはきっと笑いとばして今の道を力強く歩み続けるだろう。
「…霊夢の言う通りだぜ、紫。あんまり私達の大切な友人を舐めてもらっちゃ困る」
「そうね…霊夢の言う通りよ。レミリアはきっと選び取る。私達は知っているもの、あの娘がどれだけ今を大事にしているか。
他人の思惑だとか、理不尽だとか、そんなものは瑣末な事なのよ。レミリアはそれを知ってなお前に進む強さを持っている」
「…呆れた。妖夢、貴女はどうなの?貴女はレミリアの本当の姿を知らなかったのでしょう?
本当のレミリアはね、自分の力じゃ何も出来ない女の子なのよ。それを取り巻くこんな理不尽かつ過酷な世界に身を置く事がレミリアの望みだと?
貴女ならば分かるでしょう?私の親友である西行寺幽々子の従者である貴女ならば」
紫の問いかけに、妖夢は応えない。何故なら紫の言葉は妖夢にとって重さを秘めているから。
紫の奴は遠回しにこう言ってるんだ。『西行寺幽々子の従者ならば私の決定に逆らうな』と。幽々子を主とする妖夢にとって、それは
絶対の言葉だ。そこに自分の意志など存在しない。させない。本来ならば、有無を言わせない言葉なのだ。だけど…だけど、妖夢、お前はそうじゃないだろう。
確かに紫の言葉はお前にとって絶対なのかもしれない。だけど、私は知っている。例え主の命に逆らったとしても、反逆したとしても、魂魄妖夢は己の
信じる道をしっかりと歩くことが出来る、強き心を持った人間なんだと。
強い意志を宿した瞳。それが顔を上げた妖夢に映し出された本当の心。紫に返答をする前に、妖夢は素早くその場を跳躍する。
跳躍先は霊夢。奔る様に繰りだされた妖夢の剣戟は、霊夢を縛る触手の全てを一瞬にして両断していた。
「何のつもりかしら、妖夢。まさかとは思うけれど、私に『それ』を向けるつもり?」
「…私は以前、幽々子様に言われました。どのような時でも自身の心に従い、己が正しいと思う道をゆけ、と。
例えそれが幽々子様と道を違う事になっても、何よりも優先して実行しろ、と。なればこそ、私は紫様に剣を向けさせて頂きます」
「その理由、訊いても良いかしら?」
「…事情は未だによく飲み込めません。あのレミリアさんが実は弱いだとか、勝手に道を決められてるだとか…
だけど、その中で一つだけ分かる事があります。もし今私達が動かなければ、紫様の意見を受け入れてしまえば、私達はレミリアさんを失ってしまう。
レミリアさんは私にとって尊敬する英雄です。誰よりも心が強く、美しく、気高い人なんです」
「それは貴女の勘違いでしょう?本当のレミリアは誰よりも弱く、情けなく、臆病な人物なのかもしれないわ」
「そうなのかもしれません…だけど、それでも私にとってレミリアさんが掛け替えのない人物であることに変わりはありません。
だからこそ、護ります。レミリアさんは帰る場所があるんです、護る場所があるんです。愛する人々が住まう地があるんです。
そんな想いを勝手な甘言で惑い踏みにじろうとする紫様…いいえ、八雲紫、貴女の行動は見過ごせません。レミリアさんの想いは私が護ります」
「おっと、良いところを妖夢に取られちまったが、その想いは私も同じだぜ。
レミリアの本当の意志を訊くまでは、お前の勝手な憶測に過ぎない。なればこそ、私達は護らせてもらうぜ。大切な友達の為に、な」
「そういうこと。悪いけれど八雲紫、貴女の思惑通りに物事は運ばせないわよ」
妖夢の言葉を皮切りに、私とアリスは笑って臨戦態勢を整える。
霊夢に至っては最初から完全に戦闘モードだ。本当、コイツは凄い奴だと思う。紫の言葉なんかに微塵も惑わされることなく、最初から
レミリアを信じ、レミリアの為に立ちあがる。そのひたむきな想いに感心すると同時に、少しばかり嫉妬してしまう。敵わないな、と。
反抗の意志を見せた私達に、紫はわざとらしく大きな溜息をつきながら、言葉を紡ぎ直す。それは紫の最後の駆け引き。
「貴女達が幾らそうしたところで、結局答えを出すのはレミリア自身だわ。レミリアが萃香の問いに何て答えるか――」
「下らない。レミリアの解答なんて最初から決まってるじゃない。こんな下らない問答をする前に、私が
アンタにレミリアの答えを直接代弁してあげたじゃないの」
紫の言葉を一蹴し、霊夢は口元を歪めて言葉を紡ぐ。
そして、紫に対し、声を荒げて飛びこんでいった。その際の霊夢の声が、巨大な隙間に映し出されたレミリアの台詞と重なって――
「『ふざけるな!!』ってね!!」
そうして私達は、最強の妖怪である八雲紫との勝負へと移行する。
少しでもレミリアを早く救う為に、レミリアの意志を突き通す助力をする為に。大切な友人の為に、私達は。