「へぷちっ!」
紫からハトシ君人形の如く隙間にボッシュートされた私は、別の場所に転移されて放りだされることになる。しかもまた顔から。
痛い、素で痛い。ばかばか、紫の大馬鹿。女の子の顔を一体何だと思ってるのよ。傷物にしたらどう責任取ってくれるのよ。
確実に真っ赤になっているであろう鼻先を擦りながら、私はむくりと置き上がり、一体何処に転移されたのか周囲を見渡して確認する。
「…何此処」
私の視界に入ってきたのは岩土で出来た壁面。否、壁だけじゃなくて天井部も全部そんな感じ。
分かりやすく言うなら、洞穴っていうか洞窟っていうか、その中でも開けた場所に転移されたらしい。私の居る場所は
洞窟内でも部屋のような感じになっていて、広さ的には半径二十メートルはあろうかってくらい広い。
そして何より驚きなのが、洞窟内にも関わらず一定の明るさを保っていること。もしかしたら洞窟内に照明の固定化の魔法が
かかっているのかも。確か図書館もそんな魔法を使ってるってパチェが言ってたし、似たようなモノなのかもしれない。
…というか、今気付いたんだけど、何かここ出口が無い。周りをぐるっと見渡しても、外に出られるような道が無い。いや、出口らしき
ものは見つけたんだけど…なんか真っ白な霧?みたいなのに覆われててヤバげなオーラをプンプン放ってらっしゃる。
とりあえず、その場所に近づいて、出口を包んでいる霧のようなモノに恐る恐る手を触れてみる。うん、堅い。なんか普通に堅い。
どういう原理かは知らないけれど、どうやらこの霧ががっちり出口をブロッキングしちゃってるみたい。はあ、本当、悪戯もここまでくるとどうなのかしらねえ…
私は大きくため息をついて、呼吸を整えたのち、大きな声を張り上げる。もう充分驚いたから良いでしょう。
「紫ーー!!さっさと私を紅魔館に戻しなさいよーー!!」
私をこの場所に連れてきた元凶こと紫に大声で訴える。返ってきたのは洞窟内に響き渡る私の声だけ。はい無視入ります。
こんな悪戯を実行した紫に私の声が届いていない筈が無い。絶対隙間か何かで私の現状を覗いている筈。それなのに返答を寄こさないという
ことは紫がこれ以上私に接触しようとは考えていないということ。…ああ、最近紫の思考回路が段々理解出来るようになってきた自分が嫌過ぎる。
となると、紫は一体私に何を求めてるのか…変な奴ではあるけれど、私が無様に泣き叫んだり助けを乞いたりする姿を見る為にこんな
馬鹿な事をしでかすような奴じゃないし。紫って何だかんだで実は良い奴なのよね、本当に変な奴だけど。人の事散々好き勝手振り回してくれるけど。
だとすると、私をこの場所に送りつけたのには何か意味が…無いかもしれない。紫、意味の無いこと(というか常人には理解出来ないこと)とかは平然とやるから。
「はあ…考えるだけ無駄かなあ。紫の奴、一体なんで私をこんな場所に送りつけたのかしら」
「それはね、可愛いお前をぺろりと食べちゃう為さ」
「ふぎゃっ!!?」
「にゃーんちゃって。にゃはははは!」
「ななななな…って、す、萃香じゃない!?」
声のした方を振り返ると、そこには数時間前と同様にお子様素敵スマイルを浮かべた萃香が居て。どうして萃香までこんなところに…そこまで
考えて、私は萃香もまた紫の知り合いであることを思い出す。つまるところ、萃香も私と同様に紫に隙間に落とされちゃったのね。
道理で待てど暮らせど何時まで経っても帰ってこない訳だ。本当、紫の行動は理解し難いわね。私だけじゃなく、萃香をこんなところに閉じ込めてどうするのよ。
私は軽く肩を竦め、萃香に口を開く。勿論、こんな状況になったことに対して愚痴を零す為に。
「はあ…本当、紫にも困ったものね。私や萃香をこんな場所に連れ去って一体何のつもりなんだか」
「ううん?この件に紫の意図は関係ないよ、ただ私の手伝いを申し出てくれただけだし。
準備を整い終えてレミリアをさあどうやって連れてこようと考えてたら、紫がその役目は私が引き受けるって言ってくれてさ。実に助かったよ」
「…えっと、萃香、貴女が一体何を言っているのか全然分からないんだけど」
萃香の言い分がさっぱり理解出来ない。いや、だって萃香の言い方だと、まるで私をこの場に呼び寄せたのは萃香みたいじゃない。
そんなことを萃香がする意味も理由も全然分からないし、私に用があるなら紅魔館に戻ってくれば良い訳で。いや、本当に訳分かんない。
情報整理が全く追いついていない私に、萃香は仕方無いといった感じで肩を竦めて口を開く。
「まあ、結論から言ってしまうと、私が犯人って訳」
「犯人か。自首すれば罪は幾許かは軽くなるかもねえ…それで、萃香は何の犯人なの?」
「今回の異変の犯人」
「…今回の異変って何?」
私の返答に、萃香はあちゃあとばかりに掌を額に当てている。いや、だって異変とか犯人とか全然分からないし。
少し考える仕草を見せて、萃香はブツブツ何か一人呟いてるし…あれ、もしかして今のって結構NGな返答だったの?
でも、異変って言っても春雪異変でしょう?あれの犯人は幽々子に間違いない訳だし…もしかして、萃香が今から異変を起こそうと考えてるとか?
私と同じくらいの弱っちい力しか無い萃香が異変?いやいやいや、非常に拙い、拙過ぎる。下手に異変なんか起こして霊夢が解決に
乗り出したら、萃香なんて三秒で殺されちゃう。す、萃香の危険が危ないじゃない!危険が危ないって何よ!いや、それどころじゃなくて!
「駄目よ萃香!悪い事は言わないから、頭を冷やして少し考え直しなさい!」
「へ?」
「いい、この幻想郷で異変を起こすと言うのはね、虎の尾を思いっきり踏むのと同じことなのよ?
異変を起こしたが最後、この幻想郷の異変解決人である最強の巫女が妖怪退治に乗り出してきて、犯人を無慈悲にボコボコにしちゃうのよ?
貴女はまだ若い、異変を起こすチャンスなんて幾らでもあるでしょう?少なくとも、少なくとも今代の博麗の巫女が引退するまでは自重することをお勧めするわ」
萃香の両肩を掴み、私は必死に考え直すように萃香に訴えかける。あかん萃香、まだゴールしたらあかん。
萃香は霊夢の怖さを知らないからそんな命知らずなことが言えるのよ。異変の時に対峙した霊夢、本当にヤバかったんだから。死んだと思ったから。
そんな恐怖をこんな幼い萃香に味あわせる訳には…だからこそ、私はなんとか萃香を翻意させようと必死に説得に走る。
最初はぽかんとした表情で私の話を聞いていた萃香だが、やがて堰を切ったように何故か爆笑。あんれえ?なあにこれ。どういうことなの。
「ちょ、ちょっと萃香!私は本気で…」
「ああ、いや、ごめんごめん。必死なレミリアが面白くてねえ。そうだね、アンタはそういう奴だった。
私のことを心配してくれたんだろ?私が巫女にやられるって思った訳だ。だから止めようとしてくれた訳だ」
「へ?あ、えっと、まあ、そういう解釈の仕方も無きにしもあらずんばあらざるなりみたいな…」
「そーかそーか、心配しちゃったか。にゃはは」
にやにやと笑う萃香の顔に私はつい顔をぷいと背けてしまう。くう、何か知らないけど
全部読み透かされているみたいで悔しい。あと歯に衣一つ着せないストレートな萃香の言葉が恥ずかしい。
そんな私に、萃香は笑みを浮かべたままに軽く息を付く。そして、私の正面に向き直し、言葉を紡ぐ。
「そうだね、まずは一つずつレミリアの勘違いを正していこうか」
「勘違い?」
何よ勘違いって。勘違いを正すなら幻想郷全ての人妖に対する私への勘違いを正して欲しい。
みんなみんなレミリア=異変起こす喧嘩早い吸血鬼なんて勘違いしてるみたいだし。本当の私はこんなにも
ピースクラフトな完全平和主義者だと言うのに。言っちゃえばトーラス一機だって隠し持ってないわよ。
「レミリア、アンタは私のことをどう思ってるんだい?」
「どう…って、萃香は私の友人だろう?それ以外に言葉が必要かしら」
「ああいや、そうじゃなくて。そうだね…レミリア、アンタは私のことをこう思ってるんじゃないのかい?
『伊吹萃香は弱い、だから私が何とかしてあげないといけない』って」
…いや、あとそれに加えて幼い子供妖怪の面倒を年長者として見てあげなきゃっていうのがあるんだけど。
とりあえず萃香の言葉は否定しない。萃香が弱いから私が何とかしてあげなきゃってのは本当だし。
否定しない私に対し、萃香はやっぱりねとばかりに肩を竦ませる。
「成る程ね…つまるところ、これが今のレミリアの現状か。鬼としての誇りを損なわれ、妖怪としての在り方を否定される気分か。
奴等のレミリアに対する心を推し量りゃ仕方が無いと言えなくもないが…コイツは実に反吐をぶちまけたくなる程に最悪な責め苦だ」
「ちょ、ちょっと萃香!?一体どうしたのよ!?」
「これが鬼の名を冠する者に対する仕打ちか。これが誇り高き妖しに対する扱いか。
古来より畏怖の象徴とその名を轟かせた鬼の名――誇り高き我らが同胞を哀れ蔑み、道化よ弱者よと暗き檻に囲うのか」
…やばい。理由は全然分からないけど萃香、滅茶苦茶怒ってる。
その表情こそさっきまでの笑みと変わらないんだけど、幾度の死線(不機嫌爆発してる霊夢)をくぐり抜けてきた私だからこそ分かることがある。
私はこれでもそこそこビビり慣れている。修羅場も幾つか抜けてきた。
そういう者にだけ働く勘がある。その勘が言ってる。
――私はここで理不尽な不幸に合う。
自分の経験則に従ったとき、気づけば私は一歩足を後ろに下げていた。自分よりも幼い相手にも関わらず。
何故萃香から後ずさってしまったのか、その理由は頭ではよく分からない。言うなれば、それは本能だったのかもしれない。
私の知る伊吹萃香が、私の知り得ぬ異形の何かに変わってしまう瞬間を、私の肌が捉えていたのかもしれない。
そして、少し遅れて気づいた現象。それは、萃香の体の周囲に集まる白い霧。それらが萃香の元に集まっては萃香の体へと吸収されている。
霧が萃香の周囲から消失する度に増長していく萃香から放たれる重圧。それは酷く苦しく、呼吸を忘れてしまいそうになるほどに強大で。
知っている。嗚呼、私はこの空気を知っている。この力を知っている。
これは私の妹が、私の友が持つ強大な力と同質のモノ。他者なんて寄せ付けない天蓋の領域に立つ妖しだけが許された無双の力。
…嘘。嘘嘘嘘。だって萃香よ?この三日間、ずっと私と一緒に過ごしてきた伊吹萃香なのよ。
萃香は私と同じくらいの力しか持たない妖怪で。その筈がどうして――どうして今の萃香からは、八雲紫と同等クラスの妖気が生じているのか。
「す、萃香…貴女、どうして…」
「これが一つ目の勘違いの訂正だよ、レミリア。何をどう勘違いしたのか知らないけれど、アンタは私を弱い妖怪と思いこんでいた。
ははっ、例え天地がひっくり返ったところでそんな筈があるもんか。この私は鬼の四天王が一人、伊吹萃香なんだから。
この私が弱者なら、この世に強者なんて誰一人存在しない。古来より数多の人妖が恐怖に打ち震え、名を呼ぶことすら忌避した悪鬼、それが私さ」
絶対強者。生まれながらにして絶望的なまでに分け隔てられた力の差。
萃香に対して上手く言葉が話せない。酷く心が圧迫される、酷く喉が乾いて仕方がない。
私の体を支配するこの感情は恐怖。過去に類を見ない程の恐怖が全身を包み込み、私の感覚器官の全てをかき乱す。
何故私の体が、心がここまで怯えてしまっているのか。力を持つ人間や妖怪ならこれまで幾度と相対してきた。
博麗霊夢、八雲紫、西行寺幽々子、そしてフランドール・スカーレット。その誰もを相手にして、私はハッタリと機転で場を誤魔化し凌いできた。
けれど、今はそんな口先すら回らない。回せない。
萃香の本当の姿にショックを受けている訳じゃない、萃香が相手だからどうこうという問題じゃない。
そう、私は初めてだったんだ。こんな風に他人から、純粋なまでの殺気をぶつけられることが。
萃香は今、確実に私に…レミリア・スカーレットに対し牙を剥こうとしている。
「…悟ったかい。やはりアンタは優秀だよ、レミリア。他人の抱く空気の機微に敏感で、いつだって人の心に配慮を忘れない。
もしアンタが人間だったなら、さぞや立派な聖人君子になれただろう。ややもすれば、歴史に名を残した傑物になれたかもしれない」
「ひっ…!?」
「けどね、それはあくまでもしものお伽話だ。今のレミリアにゃ、それだけじゃ駄目なのさ。
かつぎ上げられただけの幼王に一体何の意味がある。大事に大事に飾られる壷に一体どれだけの価値がある。
そうじゃないだろう?本当のレミリア・スカーレットの価値はそんな塵屑みたいなモンじゃない筈だ。
アンタが持つ本当の強さは、年端もいかぬ子供と同等に扱われるようなモノじゃ決してない筈なんだ」
「萃香、私には何がなんだか…」
「だから私はここに証明してやると決めたんだ。アンタの持つ本当の強さ、気高き我が同族の姿を連中に教えてやろうってね。
そういう訳でレミリア、私と一つゲームをしようじゃないか。ゲームに勝てばアンタを今すぐここから解放してあげる」
「ゲ、ゲームって…」
「いやいやそんなに難しい事じゃない。あるのは至極単純なルールだけさ。
ゲームの名前は『鬼退治』。レミリアが一発でも私をぶん殴れたら勝ち、その前にレミリアが死んだら私の勝ち。どうだい、実に簡単だろう?」
「――っ」
萃香に言葉を返そうとするが、それは声にすることすら出来なくて。
気づけば、私の体は宙に舞っていた。その後、すぐに訪れた体中の衝撃。
その痛みを感じ、私は初めて自分の体に何が起こったのかを理解することが出来た。
殴られたのか、蹴られたのか、投げられたのか、それすらよく分からない。
だけど、一つだけ絶対の事実は、私は目にも留まらぬ速度で萃香に攻撃され、その後地面に叩きつけられたということ。
全身を襲う痛みに、呼吸すら出来ない。痛い。冗談にならないくらい痛い。
気を失わない程度の激痛が私の脆弱な体を疾走する。あり得ない、本当に意味が分からない。
どうして私は萃香にこんな目に合わされているのか。どうして萃香が私にこんなことをするのか。
全身の痛みのせいで非難の声をあげることすらままならない。この状況に文句を言うことすら許されない。
苦痛に呻く私に、萃香は表情一つ変えることはない。大地に横になっている私の胸倉を掴み、無理矢理立ち上がらせる。
「油断しちゃ駄目だよ、ゲームはとうの昔に始まってるんだから。
始まりの合図なんて実際の殺し合いにゃ存在しない、ましてや人肉を貪るだけに特化した低級な妖怪共には。
意識はあるだろ?相応に手加減してるんだ、ここで気を失われちゃ困るからね」
「す…萃香…どうして…」
「言っただろ?私はレミリアの本当の強さが見たいって。そしてアンタを虚仮にする連中に教えてやるんだって。
言ってしまえば、この件はレミリアには何の関係も無い。アンタには私にこんな目にあわされる理由なんてこれっぽっちもないんだ。
だけど、私はアンタを傷つけるのを止めるつもりは無いよ。そしてレミリア、アンタにゃ私を止める術も力も無い。
抵抗出来ないなら理不尽を受け入れるしかない。まだ舞台の幕は上がったばかりだ。肉体的に脆弱なレミリアにゃ大変だろうけど、せいぜい気張っておくれよ」
そう告げ、萃香は大きくふりかぶって力の限りで私を投げつける。
無論、私が対応出来る筈もなく、私は洞窟の壁へとそのまま衝突する。
肩口からぶつかったのが不幸中の幸いだったのかもしれない。私は致命傷に至ることなく、大きく噎せてその場にうずくまる。
――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。体中が焼けるように痛い。言葉にならない悲鳴をあげる私の元に、萃香は今もなお表情一つ変えずに近づいていく。
その萃香に私はどうしようもないほどに恐怖を感じていた。理由は知らない、分からない。
けれど、萃香は今、確実に私を殺しにきている。私の命を狙ってる。亡き者にしようとしている。
それだけじゃない。萃香の先ほどからの言動からして、間違いなく萃香は知っているんだ。
私だけの秘密。墓まで持っていくと決めていた秘密――本当はレミリア・スカーレットが他の誰よりも弱いという真実を。
「ほら、まだ眠るにゃ早いだろ」
「うああ…」
足を進めてくる萃香に、私は必死に首を振って後ずさる。背後は壁で逃げ道がないと知っていてもなお、本能が逃げろ逃げろと行動に移す。
怖い。萃香が怖い。また萃香が私に触れたなら、あの苦痛が全身を襲うんだ。全身を焼くような痛みが私を襲うんだ。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。痛いのも苦しいのも嫌だ。怖い。萃香が何より怖い。
こんな恐怖、生まれて一度も味わったことなんてなかった。こんな怖い経験なんて今までしたことなかった。
何が何度も修羅場を乗り越えた、だ。何が沢山の恐怖を知っている、だ。
本当の私は何も知らなかったんだ。本当に命を狙われる恐怖も、妖怪と対峙する怖さも。
紅魔館という安全な場所で生きてきたこと、それがどれだけ幸せなことだったのか、私は真の恐怖をもって理解することが出来た。
私は何一つ知らなかった。誰かに力を向けられることが、こんなに怖いことだったなんて。
「理不尽だろう?納得できないだろう?
レミリア、アンタは今どうして私だけこんな目にとでも思ってるかもしれない。
けどね、これは今に始まったことじゃないだろう?アンタは誰よりも理不尽な運命に翻弄されてきたんだから。
古より力有る者の象徴である鬼、その名を冠しながら、アンタは何一つ戦う力を与えられなかった。
アンタは生まれながらにして理不尽な運命を叩きつけられたんだ」
「うう…」
「けれど、アンタはそんな世界を恨んじゃいない。誰かに憎悪の念をぶつけることもない。
この理不尽を何処までも享受し、寛容に受け入れ、前を向いて歩いていこうとしてる。
それはなんと強い心の在り方だろう。感心するし、敬意も払う。アンタの心の強さはその辺の連中には決して届かない本当の強さだ。
だけど…レミリア、お前はその理不尽に慣れ過ぎちゃってる。だから現状に声を上げないし、誰に非をぶつけるでもない。
それじゃ、何時の日かアンタは確実に潰れてしまう。何時の日か訪れる今以上の理不尽に、アンタは確実に殺されてしまう。
本当なら腹を決めて立ち向かわなきゃいけない理不尽さえも、アンタは受け入れようとする。それじゃ駄目なんだよ」
震える私の頭を右手で鷲掴みし、萃香は軽々と私の身体を地面から引っこ抜く。
宙に持ち上げた私に対し、萃香は笑みを浮かべたまま淡々と言葉を続けて行く。私は恐怖に震えるだけしか出来ずにいた。
ただただ怖くて、自分の無力さを恨むことすら忘れて、私は――
~side 妖夢~
「すいません、大根と人参と白菜を頂きたいのですが…」
「おおっと、何でも屋なのは確かだが、生憎と野菜は扱ってなくてなあ。
そうだな、不思議なキノコなんかどうだ?大きくなったり半霊が一匹増えたりするかもしれん」
「いえ、キノコは特に…って、ま、魔理沙っ!?」
人里の八百屋に入った筈なのに、何故か魔理沙がそこに居て。
…というか、ここは何処なのか。魔理沙が腰を落ち着けているその場所は、八百屋店内とは明らかに異なっている。
この場所は床も天井も壁も無く、何処何処までも無限の広がりが存在していて。周囲を軽く見渡せば、まるでシャボン玉の
虹色のような歪な色彩で包まれていた。その色彩は時の流れと共に曲がり弛み捻じり歪み。少なくともあまり直視していたいものではない。
そして、気付いた時にはもう背後に私の入ってきた『八百屋の入り口』は存在しなくて。その私の光景に、溜息をついて魔理沙と少し離れた場所に
立っている人物――博麗霊夢とアリス・マーガトロイドが言葉を紡ぐ。
「無駄よ。この空間は入ったら自力じゃ出られないように細工されてるみたいだし」
「博麗霊夢…それにアリス・マーガトロイド」
「アリスで良いわよ、フルネームは呼び難いでしょうし。その代わり私も貴女の事を妖夢と呼ばせて貰うから」
「私も霊夢で良いわ」
「えっと、それではアリスに霊夢と。それで、此処は一体…」
「さあ?少なくとも私の家でも八百屋でも無い事は確かね」
私の問いに、霊夢はさぞつまらなさ気に答える。多少気が立っているのか、彼女の表情は少しばかり険しい。
苛立ち混じりに答える霊夢の代わりに、軽くため息をつきながら、アリスが口を開く。
「貴女と一緒よ。私達も気付いたらこの場所に転移されていたのよ。かれこれ一時間は経つかしら」
「霊夢の家で紅魔館に行く準備を始めようとして、外に出ようと思ったらこれだ。こんな精神衛生上よろしくない場所にいつまでも居たくはないんだがなあ」
「さっき霊夢が言ったように出口は無い…と」
「そういうことだ。私達が調べたところ、この空間は無限の広がりがあるように見えてそうでもない。立方状に見えない障壁みたいなのが存在してる。
そうだな…ざっとで言うなら、一辺が大体私の歩幅の五十個分くらいだな。なかなかに広さのある快適…には程遠い空間だな」
魔理沙の説明に、私は軽く室内を見渡す。成程、この何処何処までも続きそうな空間にも仕切りはちゃんと存在しているらしい。
ただ、それは逆に考えれば、この部屋は完全密室で出口が存在しないということ。抜け道は存在しないということ。
だからこそ霊夢は不機嫌なのだろう。空間が個室という区切りまで最小化出来たけれど、得られた解は脱出不可能という求めたくないモノだったのだから。
「ところで妖夢はどういう経緯でここに?」
「へ?あ、えっと…幽々子様に頼まれて、今晩の夕食の食材を…」
「おお、そいつは丁度良い。何か食べれる物を分けてくれよ、少しばかり小腹が空いて仕方無いんだ」
「残念だけど、八百屋が一店目だったから何も無いよ。まだ買い物を一つも済ませてないし…はあ、幽々子様に怒られちゃう…」
「いや、怒らないだろアレは。むしろ遅れた妖夢を嬉々としてからかうに違いない」
魔理沙の言葉に反論出来ない。幽々子様は怒らないけど、私を使ってきっとお戯れになるんだろう。
私は溜息をつきながら、魔理沙同様その場に腰を下ろす。とりあえずここからの脱出法を考えなきゃいけない。
否、そもそも脱出法も大事だけれど、私達をここに引き寄せた元凶は何か。まずはそこから考えなければいけないのではないか。
「ねえ魔理沙、私達は今こうして、こんな空間に閉じ込められてる」
「ああ、そうだな。息苦しいったらありゃしない」
「となると、私達を閉じ込めた犯人が当然存在する筈。脱出法も大事だけど、まずはそこから考えた方が…」
私との問いに、魔理沙は少しばかりポカンとした表情で私を見つめていた。あれ…どうしたのかな。
そして少し間を置いた後、魔理沙大爆笑。え、え、何で?どうして?私何も変なことは言ってないと思うけど…
うろたえながら周囲を見渡すと、霊夢は呆れるように溜息をついてるし、アリスも少し苦笑気味だ。理由が全く分からない。
そんな現状を全く把握出来ていない私に、魔理沙は人差し指を立てて説明を始めてくれた。
「妖夢は実に馬鹿だな。犯人なんか最初から分かり切ってるじゃないか。
よくよく考えてもみろよ。閉じ込められた私達の面子に関係しつつ、こんな出鱈目な異空間を自在に操る程の力を持つ奴なんて一人しかいないじゃないか」
「それはつまり、犯人は私達の知人の誰か且つかなりの力を持つ妖怪だと」
「じゃなきゃ説明がつかないだろ。霊夢の家に集合してた私達をこの場所に引っ張り込んだだけなら、まだ別の答えに辿り着いたかもしれない。
犯人は今回の異変の首謀者で、私達にレミリアの傍に居て欲しくない奴なのかもなって。だけど、この場所にレミリアの件には何の関係も無い妖夢、
お前まで犯人は引っ張ってきたんだ。お前は紅魔館に向おうとした訳でも無いのに、だ。こうなると、犯人は一人しか浮かばない」
「…別にそこまで深く考えるまでも無いわよ。そもそも、こんな意味の無い馬鹿なことをやってのける変な奴なんて
最初から一人しかいないのよ。――そうでしょう、紫」
「あらあら、変とは心外ね。私の行動が貴女にとって奇異に映るのは、
貴女が私の考えを理解出来る境地に辿り着いていないから。ただそれだけのことですわ」
霊夢の視線の先には、何時の間に現れたのか、扇子を広げてクスクスと楽しそうに笑う紫様の姿が。
その唐突な登場に、私は驚くことすら忘れて息を飲む。動けなかった。気配を察知することも出来なかった。
それは紫様と私が比肩などおこがましい程に力量差がある故なのだろうが、私が驚いたのは紫様の登場よりも霊夢の方。
何故なら霊夢は私達をおいて、ただ一人紫様の気配に気づいていたのだ。博麗の巫女、博麗霊夢。本当に底が見えない。
霊夢の事はさておき、成程、と私は思う。魔理沙や霊夢の言っていた犯人が誰なのか、ここまでくれば流石の私も
分かると言うもの。このような異空間を自在に操り、私達を閉じ込める程の実力者なんて、確かに魔理沙の言う通り、お一人しかいないのだ。
その犯人こそ八雲紫様。我が主、西行寺幽々子様の莫逆の友にして、幻想郷の管理を担う最強の大妖怪。
恐らく今回の事も紫様のいつものお戯れなのだろう。紫様は幽々子様に負けず劣らず『そういう事』が大好きであられるのだから。
「魔理沙の言葉の意味がやっと分かりました…確かにこれ程のことをやってのけるのは、紫様をおいて他にいませんね」
「あら…妖夢、私を買ってくれるのは嬉しいけれど、それは余りに世界を知らないというものよ。
空間を弄って貴女達を閉じ込めるなんて、手慰みも良いところ。手順さえ異なれば、紅魔館のメイドさんだって同じことが出来るでしょう」
「確かにあのクソメイドならやってやれないこともないでしょうね。ただ、アイツはこんな悪趣味かつ無意味な事に力を使ったりしないでしょうけど」
「無意味と決めつけるのは貴女の主観。貴女にとって無意味でも、私にとっては非常に大事な意味を持つかもしれない。
人の思惑とは一方通行では読み切れない。先代の博麗も、妖怪退治の方法だけではなく、もう少し老獪な駆け引きの作法を教え込むべきだったわね」
「アンタの思惑なんかどうでも良いのよ。興味も無いし知る気も無い」
「それは残念。所詮、人間と妖しは相容れぬモノ。私達は互いに殺すか殺されるかの二択でしか道を選べない」
「…いや、なんでそんな物騒な話になってるんだ?つまり、霊夢を含めて私達が言いたいのは…」
「――御託はいいからさっさとここから出せ、それだけよ」
人差し指と中指に術符を挟み、霊夢は紫様の方へ真直ぐ突きつける。
そのあまりに一方的な霊夢の行動に、私は軽く息を吐く。数多の人妖が名を聞くだけで震え恐れる紫様相手なのに…本当に霊夢は色々な意味で凄いと思う。
けれど、今回ばかりは霊夢の言葉が正しい。幾ら紫様が相手とはいえ、このようにお戯れに付き合わされて時間を浪費してしまうのは勘弁願いたい。
そういう訳で、私は紫様が霊夢の言葉に頷いてくれることを願っていたんだけど…どうやら話はそう簡単にいかないらしい。
「フフッ、その問いに対する答えを薄々とは理解しているのでしょう?
私が年端もいかぬ童のように唯々諾々と従うのなら、最初からこんなことはしていない…違って?」
「お仕置きの度合いを確認する為よ。今すぐ解放すれば一発半殺しで許してあげる。もし
これ以上面倒をかけるつもりなら八割殺しで三途の河に片足突っ込ませる」
「…いや、だからなんでそんな物騒な話になってるんだよお前は」
「はあ…霊夢に任せてると話が終わらないじゃない。とにかく紫、貴女は私達を簡単に解放するつもりはないのね」
「YESでありNOでもある。貴女達を解放することに難易度を決めるのは、私でもはたまた貴女達でもないもの」
「いや、全く全然これっぽっちも意味が分からん。お前は一体何を言ってるんだ?」
「私が貴女達をここに連れ去ったのは、ただの純然たる善意に他ならない。
感謝こそされど、非難を受ける理由なんて一つもないのよ?何一つ知らぬままに『後の祭り』なんて状態にならないように、
私が貴女達の為に、こうして特等席を用意してあげたと言うのに」
…駄目だ。今の紫様には何を言っても会話にならない。それは幽々子様を主に持つ私だけが分かる事実。
紫様は私達の言葉なんて微塵も聞き入れるつもりなんてないのだろう。ただ、紫様の用意した双六の上で踊らされてるだけ。
私達に出来るのは、唯只管に賽を振ることだけ。私達が選択出来るのは、一マス進むかはたまた六マス進むのか程度。
結局のところ、どれだけ賽を振って大きな目を出そうとも、その道は紫様が計画し築き上げた道な訳で。私達は紫様の企みに
耳を傾けることしか出来ないのだ。例えどれだけ反発しようとも、最終的に決定権を握るのは紫様ただ一人なのだから。
「あのなあ…ハッキリ言うけど、お前はいちいち言葉が不自由過ぎるんだよ。
人にモノを伝えるときは趣旨をハッキリ伝えるように誰かに教わらなかったのか?」
「人の言葉の端々に垣間見える欠片を集めようともしない愚鈍がよく言う。思考を放棄した人間は獣と同義ね。
…まあ、いいわ。私も別に貴女達をからかって遊びたい訳でも無し。先ほども言った通り、今日は貴女達に特等席を用意させて頂いたわ」
言葉も途中で、紫様は軽くパチンと指を鳴らす。
その刹那、紫様の背後に巨大な隙間が生じた。その開かれた隙間の内部には、水鏡のように室外の光景を映し出されている。
一体何を――そう紫様に訊ね掛けて、私は言葉を発することが出来なかった。それはきっと、魔理沙達も同じだったに違いない。
霊夢も、魔理沙も、アリスも、誰一人声を発さない。誰一人声を発せない。何故なら、この場の誰もが隙間に映し出された光景に驚愕していたから。
「…劇の題目は『鬼退治』。戦う力を持たないか弱い存在(しょうじょ)が、強大な鬼にたった一人で立ち向かうお話」
最早、紫様の言葉は私の耳には届かなくて。私は視線を巨大な隙間から逸らすことが出来なかった。
何故ならそこに映し出されていた光景は、私の理解を遥かに超えている内容で。何が起こっているのか全く理解出来なくて。
その隙間の中では、レミリアさんが一匹の妖怪にボロボロにされていた。
壁に叩きつけられ地面に投げつけられ、それこそ言葉にするのも憚られるくらい一方的に。