薄暗い冥界の空に舞う桜の花弁(だんまく)。その幻想的な光景は見る者全てを魅了して離さない程に華やかで。
美鈴も、パチェも、魔理沙でさえもその光景に完全に目を奪われてしまっている。弾幕を知る者が見れば、あの弾幕はそれだけの価値があるのだろう。
妖怪も人間も関係ない、その美しさの前では誰も彼もが呼吸を忘れる壮麗さ。あれが冥界の姫、西行寺幽々子の描く弾幕なのか。
その光景に私、レミリア・スカーレットもまた例外無く虜に――なってなかったりする。というか、ぶっちゃけ弾幕見てる場合じゃない。
私の視線の先は、幽々子の描く弾幕の空では無く、庭に力強く自生している桜の木。幽々子が決して咲かないと話していた大桜。
…うん、気のせいだとは思うのよ。多分、私が疲れてるだけだと思うの。だけど、だけど何だけどね、ちょっと話を聞いて欲しい。
勿論、私の気のせいだとは思うんだけど…この桜、さっきから動いてない?風も吹いてないのに、ゆっさゆっさって。
本当、疲れてるのかな、私。何度も目をこすり、私はパチパチと目を瞬かせて、再び桜を凝視。…あかん、メッチャ動いてはるやんこれ…
「ね、ねえ魔理沙、ちょっとお話があるんだけど…」
「んあ、何だ?今すっげえ良いところなんだ。話なら後にしてくれないか?」
「い、いや、私も弾幕観賞を邪魔するつもりはないんだけどね?ちょっと、あの、桜の木がね…」
「桜?桜なんかどうでも良いだろ。今は幽々子の弾幕を見ようぜ。あれだけのモンはちょっと中々お目にかかれないしな」
いやこっちも中々お目にかかれないと思うわよ?だってあの桜、段々動きが激しくなってきてるっていうか、
周波数一体どれだけ高く設定してんのよってくらいの振動数っていうか…桜さんは何で動くのん?天才ですからー。いや、そんなこと考えてる場合じゃなくて。
「め、美鈴…あの…」
「ほえー…いやいや、中々どうして勉強になりますね。あんなに綺麗な弾幕、どうやったら描けるのやら」
「くっ…ぱ、パチェ?」
「…何?トイレなら廊下を突き当たって右よ。今大事なところなんだから後にして頂戴」
ううう…ドイツもインドもジャカルタも全然当てになんない。今は幽々子の弾幕より見るべきものがあるでしょうが。
よし、一度深呼吸をし直そう。美鈴達が気付かないくらいなんだから、やっぱり私の見間違いって可能性も捨てきれないわ。
あんな怪しい木がウネウネ動いてたら流石の美鈴やパチェはすぐに気付く筈だし。すーはー、すーはー、よし、落ち着いたわ。
そうよね、よくよく考えれば、自分で動く木なんてある訳ないのよ。そんな木があったらお目にかかりたいくらいだわ。せーのっ
「って、何か明らかに伸びてきてるううううう!!!!」
「ああもう、レミリアうるさいっ!!」
魔理沙に怒られました。しょんぼり…なんて馬鹿やってる場合じゃない!桜の枝がどんどん伸びてる!
しかもウネウネしてる!キモい!主にその動きがキモイい!何この発禁桜!幽々子の趣味!?趣味なの!?どんだけマニアック嗜好なの!?
一体どんな栄養与えたらあんなワープ進化遂げるのよ!?完全体通り越して究極体じゃない!こんなモンスター映画館で見たら子供達絶対泣くわよ!?
とにかく、このことを美鈴達に知らせないと。この桜、絶対おかしい。普通じゃない。こんな卑猥桜存在してるだけで有罪判決よ。
「ちょっと美鈴!パチェ!魔理沙!幽々子の方を見てないでこっちを…」
「?どうしたんですか、お嬢さ…」
美鈴達が私の方を振り向いた刹那、お腹の辺りをギュッと締め付けられるような束縛感。あれ、何これ。
私の方を見つめる三人は、視線をつつつと下腹部の辺りへと下ろす。それにつられるように私も視線をマイお腹に。
そこには、腰の辺りで見事に巻きつけられた木製のベルトが。何これ、変身アイテム?勿論、それはベルトなんかじゃなくて、変態桜の伸びてきた触手(木)で。
ああね、そういうオチね。やっぱりか。やっぱり私が犠牲者か。私は三人に向けてニコリと良い笑顔。ニ~ッコニコれみりゃ。春です、ちょっくら逝ってきます。
「お嬢様っっ!!!!」「レミィっっ!?」「レミリアっ!!!」
「やっぱりこうなるのねど畜生おおおおおおおおお!!!!!!!!」
捕えた私を一気に引き寄せ、上下左右に大暴れする変態桜さん(35歳 無職)。
あはっ、見かけ通りで元気が良いのねえ。若いって良いわね。よし、お姉さんもう一ラウンド張り切っちゃうぞ。
「…なんて言ってる場合じゃないいいいいい!!!!誰か助けてえええええええ!!!!!」
西行寺さん家の木下桜さんの大暴走に、私は恥も外聞も無く必死に叫び声をあげる。
いや、もう体裁とか紅魔館の主とか気にしてる場合じゃない。本気でヤバい。世界がぐるぐる回ってる。グルグル回る~グルグル回る~。
おうふ、正直気分悪くなってきた。大体今どれくらいの速さで回転運動してるのよ。rpm換算で誰か私に教えて頂戴。うえええ。
出そう。本気で出そう。いや、でも美鈴達が見てる前で主が嘔吐なんて絶対に出来ない。否、一人の女としてそれ無理。
ここで戻しでもしようものなら、私の経歴に一生消えない汚点が残ってしまう。嫌だ、紅魔館のゲロ吸血鬼なんて絶対に嫌。
頑張れ私負けるな私。粘るのよ、そうすればきっと美鈴かパチェが私を助けてくれる筈。…くれるわよね?
もし『レミリア様は強いから私達の力が無くても一人で脱出出来ますよね』とか思われてたら私簡単に死ねる。グッバイマイ人生になる。
あうう…意識が段々遠のいてきた…またなのね、紅霧異変同様、また私一人理不尽かつ不幸な目にあうのね。私ばかり酷い目にあうのね。
ああ、こういうときに咲夜が居ないのはつらいなあ…咲夜だったらすぐに助けてくれそうだもん…さくやさくや会いたいよいやだ君に今すぐ会いたいよ…
畜生、青い空なんか大嫌いだわ。もし生き延びることが出来たら、この先ずっと引き籠ってやる…あうう…
~side 美鈴~
「迂闊っ!なんてミスをっ!!」
「後悔してる暇なんかないわよ馬鹿門番!!今何より先に考えるのはレミィの救出!!」
「そんなこと言われずとも分かってますよっ!!」
パチュリー様の叱咤に、思わず声を荒げてしまう。私が跳躍した場所を、妖怪桜の枝先が深く鋭く貫いてゆく。
唇を噛みしめ、私は視線を妖怪桜の上部へと向ける。そこには、身体を拘束されたお嬢様が必死に何かを叫んでいる。助けを求めているのだろう。
何て無様。あれだけ大口を叩いておきながら、こんなにもあっけなくお嬢様を危険に晒してしまった。何が護るだ、この大馬鹿野郎が。
言い訳をするつもりはない。気を緩めていたつもりもない。どんな事が起ころうと、お嬢様をお守りする体勢は整えていた。
けれど、この妖怪桜の動きに全く気付けなかった。否、この桜が妖怪桜であることすら気付けなかった。気配も妖気も魔力も、何一つ感知出来なかった。
この桜に一体何が起こっているのか、それは私には分からない。けれど、私がすべきことは心得ている。まずはお嬢様を無傷で救出することだ。
「植物如きが調子に乗るな!!はあああああっ!!!」
しなり打つ枝の鞭を回避し、私は一直線にお嬢様を捕えている枝の方へと駆け上がる。
鋭い木々が私の身体を抉っていくが、そんな瑣末なことなどどうでも良い。望むならこの身体を幾らでも好きに削ぎ落すと良い。
けれど、しっかりその代価は払ってもらう。私達の唯一無二のご主人様、私達の生きる意味を取り戻す――獲った!!
右足に気を集中させ、全体重を一気に乗せて私はお嬢様を縛る枝に踵を落とす。並みの妖怪程度なら頭蓋から一気に真っ二つに出来る蹴りだ。
たかが植物如きを破砕するのには造作も無い――その筈だった。私の蹴りは厚く重ねた鉄板を軽くぶち抜く程度の力はあるのだから。
「――ッチィ!!」
鋼を貫く私の蹴りは、更なる頑強な『木材』に止められた。妖怪桜の枝は、私の蹴りを受けて傷一つ負っていない、ふざけたシロモノだったのだ。
私の身体が止まったのを見て、この身体を貫かんと疾走する四本の忌々しい触手に舌打ちし、私はその場から跳躍する。
なおも私の身体を貫かんと宙を奔る妖怪桜の端末。しかし、その猛攻は一人の少女の強大な魔力によってねじ伏せられる。
私に届こうとする木枝を薙ぎ払った極太のレーザー。放たれた場所で笑う一人の魔法使い。成程、紅霧異変では手の内を見せていなかったという訳か。
「やるじゃない。少しは見なおしたよ、魔法使いちゃん」
「どうせ見直すならパーティーでも開くぐらいに盛大に見直してくれ。あと、魔法使いちゃんって言うな!」
「そこまでよ。無駄口を叩き合うのは後にしなさい」
何時の間にこちらに飛んできたのか、パチュリー様が私の傍まで浮遊し、何かしらの呪文を唱え始める。
その詠唱と共に、木の枝に巻きつかれてぐったりしているお嬢様の周囲に球体の障壁が生み出されてゆく。成程、あれならお嬢様が傷つかずに済む、か。
「これで良し…と。さて、ここからどうするか、ね。
美鈴、貴女の攻撃が全く通じていないように見受けられたけれど?」
「ええ、恐らくあの妖怪桜全体が何かでコーティングされているようですね。恐らくは霊力か…どっちにしろ面倒なことになりましたね」
「面倒でも何でもやるのよ。もしこのままレミィの身体に傷一つでもつけてみなさい。咲夜かフランドールに殺されるよ」
「それは怖いですね。精々半殺しで済ませて貰えるように必死に頑張るとしましょうか…何より、このまま舐められっ放しというのもね」
「あら、珍しく感情を表に出すじゃない。そんなに苛立つ貴女を見たのは何時以来かしらね。
頼むから人外になって暴れないでよ、レミィの障壁を無駄に強くしないといけなくなるから柔軟性がきかなくなっちゃう」
「なりませんよ…ただまあ、私の誇りに二度も泥をつけてくれたんですから、それ相応の報いは受けて貰うつもりですよ」
「おいおい、さっきからえらく物騒な話だが…結局アレだろ?レミリアの奴を助けりゃ良いんだろ?」
「そうよ。レミィの救出だけが私達の目的。それ以外はどうでも良いわ」
「実に分かりやすくて素敵です。お嬢様を取り戻したら…その後は容赦無くこの世から消えて貰うよ、妖怪桜が」
互いに顔を見合わせて頷き合い、妖怪桜の禍々しい触手が復活すると同時に私達は散り散りに四散する。
蹴りで砕けないなら、今度は拳で叩き割ってやる。一発で駄目なら何発でも打ち込んでやる。
他の誰でも無く、レミリアお嬢様に害を為したこと、その罪は万死に値する。閻魔の裁きを待つまでも無い、私がこの手で冥府魔道に叩き落してやる。
~side 幽々子~
――冥界の春が西行妖に集っている?
いいえ、むしろ強制的に吸い寄せているという表現が適切かもしれないわ。
確かに妖夢の集めてくれた春は、私が西行妖に与えていた。けれど、こんな風に西行妖の方から春を強引に奪うような真似は今まで一度も無かった。
西行妖が自分から春を求めているというの?自分から封印を解こうとしている?一体どうして…
「よそ見なんて良い度胸ねっ!西行寺幽々子!!」
「…博麗霊夢」
私の弾幕をすり抜け、接近してきた博麗の巫女を、私は新たな弾幕の層を生み出し、彼女を迎撃する。
その圧倒的なまでの物量に、巫女は軽く舌打ちをしてやむなく後退する。賢明ね、ここで無駄にリスクを受け入れるような愚か者ではないか。
博麗の巫女――幻想郷での異変解決を生業とする紫の秘蔵っ子。成程、紫が入れ込むのも理解出来る。それほどまでに秀でた能力を有している。
この若さでこれだけやれるとは、実に彼女の将来が楽しみだ。けれど、まだその段階では私には届かない。そう、一人では――
「――雅符『春の京人形』」
霊夢より少し離れた位置からスペルカードを宣言する人形遣い。霊夢を追撃する弾幕を全て取り除かれちゃったわね。
冷静な娘ね。自分も相応の力がありながら、オフェンスは霊夢に任せて自身は完全にバックアップに回ってる。そして、それが
二人して闇雲に攻めるより遥かに効率が良いことに気づいてる。頭の良い娘だわ、霊夢とのコンビネーションも素晴らしいわ。
けれど、この二人はあくまで煙幕。これだけ集中して攻撃されれば、誰だって本命はこちらだと錯覚する。だけど…
「私の眼はそう易々と欺けないわ。残念でした」
「――っ」
立ち上る煙幕の中から放たれるナイフの嵐を、私は霊蝶を飛ばして迎撃する。
その煙の中から出てきた少女、十六夜咲夜が私の方を見据えながら小さく舌打ちをする。あらあら、品の無いこと。
「完全に気配を消して立ちまわったと思うのだけど。存外やるのね、冥界のお姫様は」
「弾幕戦とは相手あってのもの、言わば最初から最後まで駆け引き続きだわ。
最後に立っているのは強い者なんかじゃない、性根の悪い者よ。如何に相手を嫌がるかを考えてこそ、勝利の道が開ける」
「さてはて、私の勘違いかしら。博麗の巫女の考案した決闘ルールは如何に美しいかを魅せるモノではなくて?」
「勿論よ。だから私はここで舞い踊るのよ。より美しく、より華麗に、そして誰よりも底意地悪く…ね」
私が弾幕を再び展開すると同時に、メイドの身体が宙に溶ける。また霊夢達の弾幕に紛れたわね、本当に人間離れした娘。
周囲を警戒しながら、私は再び霊夢と向き合う。さてはて、これからどうしたものか。霊夢達と弾幕勝負をしている最中に
無粋だとは思うのだけれど、今の私の心は西行妖の変化に在る。一体何故、西行妖に春が流れ込んでいるのか。
幾らなんでも吸い込む量が異常過ぎる。飢えた獣に餌を与えるが如く、周囲の春を次々に根こそぎ吸引しているわね。
いよいよ封印が解けるということなんでしょうけれど…何故かしら、さっきからどうも嫌な胸騒ぎが収まらない。
西行妖の封印を解くのは興味本位から生まれた私の意志だった筈。そして西行妖を花開かせ、レミリアと共に酒を酌み交わすことも私の願いだった筈。
その目的が叶うまであと少し。その筈なのに、私には目的がどんどん掌から零れ落ちていくような、そんな錯覚が感じられた。
何かがおかしい。何かが間違っている。本当にこのまま続けていいのか。本当にこのまま――私が自問自答しながら弾幕勝負を継続していたその時だった。
「…なんて言ってる場合じゃないいいいいい!!!!誰か助けてえええええええ!!!!!」
「!?」「何!?」「え?」「お嬢様!?」
地上から聞こえてきた絹を裂くような悲鳴に、私達は揃って身体を止める。
…今の声はレミリア?どうしてレミリアが悲鳴を…そう考え出したとき、私の中で嫌な予感はどんどん形を形成していって。
「お嬢様っ!!!」
誰より先に行動に移したのは、レミリアの従者である十六夜咲夜。彼女は吹き荒れる弾幕を物ともせずに直進し、
愚直なまでに真直ぐ悲鳴の発生源へと駆けて行った。無茶をする。否、無茶というより無謀かもしれないわ。あれじゃ身体が無事では済まないでしょうに。
次に行動に移したのは私。弾幕を止め、霊夢達の方へ視線を向ける。どうして弾幕を止めたのかは自分でも分からない。けれど、優先すべき順位が違うと感じた。
今、私がすべきことは春を霊夢達から奪う事でも、レミリアに弾幕劇を鑑賞してもらうことでもない。もっと大切な何かが――
「…どういうつもり、西行寺幽々子。弾幕を止めて、降参とでも言うつもり?」
「今はそれで構いませんわ。私には貴女達と遊ぶよりも優先すべきことが出来ただけ。
先ほどのレミリアの只事ではない悲鳴…友が恐怖の声をあげて助けを求めている。それだけで敗北には十分過ぎる理由だわ」
「ハッ、私達に負けたなんて微塵も思ってないくせに抜け抜けと。
…まあ、今アンタの相手をしている場合じゃないってことには同意してあげる。あの馬鹿、何かしでかしてるみたいだし」
「何、さっき子供の悲鳴が聞こえたけれど、霊夢の知り合いなの?」
「まあね。ただの知り合い…いえ、ただの友達よ。ただの、ね。
西行寺幽々子、勝負は少しだけ預けるわ。今はあの馬鹿がどうなってるのか現状を把握するのが先だから」
「英断感謝しますわ。それではレミリアのところに行くとしましょう…この胸騒ぎがただの杞憂で終わってくれれば良いのだけれど」
博麗の巫女に感謝をしつつ、私は地上を眺めながらこれまでの経緯を振り返っていた。
西行妖を咲かせたかった。何者が封印されているのかを知りたかった。久しくぶりに出来た友と西行妖の下で酒を共に酌み交わしたかった。
ただ、それだけの為に起こした異変。ただ、それだけの為に実行した計画。何処を、一体何処を間違ったというのか。
レミリアの悲鳴が聞こえたのは白玉楼から。恐らくは冥界中の春が西行妖に流れている件と関係がある何かが生じているのだろう。
西行妖。その下に何者かを封ぜし妖怪桜。あの桜には…あの桜の木の下には、一体何があるというの。