折角建物も新調したのだし、という事で決めた正式名称は慈恩院。普通の名前だが、別に名称に奇抜なモンなんぞ求めてないのでこれでいい。 ……いいはずだよな? まぁ、いいか。 それはともかくとして。院長を務める恰幅の良い女性と2人してグラウンドに面したオープンテラスで紅茶を飲みつつ、俺はネイの事情をかいつまんで説明していた。 視線の先には、悪ガキどもの挑発に乗って追い駆けっこに興じる(興じさせられている?)ネイの姿がある。「そうかい……。あの娘が例の獣人族の……」「南ヘルミナ騒乱で両親や片親を亡くした獣人族の子供は少なくない。 本来なら彼らの集落で面倒を見られればいいんだが……、残念ながら彼らにその余裕は無い。ネイを連れて来てみて大丈夫そうなら、な」 獣人族の子供という異分子を受け入れ可能なのかどうか。俺自身だけでは判断する自信が無かったから、ネイには目的を内緒でこうして連れて来てみた訳だ。 まぁ、別にそれだけが目的なわけじゃないけどな。 ちなみに、院長を務める女性――というかおばちゃんは、実のところ元々ウチで働いていた侍女長だったりする。 職員も侍女達をそのまま充てている事もあって組織的にその方が都合が良いだろうという事もあったり、俺の行動パターンを読み切ったカーロンがストッパー役兼世話役として推したとかいう事情があるとかないとかという事もあるが。 このおばちゃん、何を隠そう4男3女を育て上げた肝っ玉母ちゃんとしてウチの連中には知られていたりする。その辺りの経験が大きいだろうという期待が人事に篭められている、という裏事情もある。 正直な話、公私に渡って俺を支えてくれているのがカーロンとこのおばちゃんだったりするのだ。 逆に言えば、頭が上がらない人物の一人と言ってもいい。 今回の件にしても、俺は完全にこの人に頼りきりになってしまっている。 まぁ、物の分かった大人の女性はこういう時頼りになるのは有り難いんだけど……。コレでまたさらに頭が上がらなくなっちまったな、こりゃ。「それにしても、見た目に似合わず力持ちな子だねぇ……。獣人族ってのはみんなこうなのかい?」「まぁ、ネイは鍛えてるから。とは言え、種族的には人間に比べりゃパワーもスピードも明らかに上、一対一の同年代同士で喧嘩したらまず勝てないんじゃないかな」「なるほどねぇ……。これ以上やんちゃな子が増えるかもしれないっていうのも、困りものと言えば困りものだよ。 あたしゃともかく、若い娘達が目を回しそうだからね。それに、その子達だって周りに獣人族の大人がいる方がいいだろうに」「一応、獣人族の方からも2、3人まわして貰える事になってるけど、それでは足りないか?」「あたしは大丈夫さ。ウチの娘達が振り回されやしないかと思っただけからね。まぁ、そういう意味ではいてくれるなら助かるわ」「じゃ、決まりかな」 オープンテラスで紅茶を片手にそんな事を話し合う俺達の視線の先には、天然の芝生の上で纏わり付いてくる悪ガキどもをちぎっては投げちぎっては投げしているネイの姿が。 訓練の後だっていうのに元気だな。しかしウチの悪ガキどもの方が元気なわけで、遠からずガス欠する――ってやっぱり潰れたし。「しゃーない、いっちょ助けてやりますか。ボール借りるぞ」「あいよ」 返事をしつつ立ち上がる院長はネイを助けに入るらしい。 自分で見捨てておいて何ですが、ネイを頼みます。「おらお前らーっ! 刹嘩亜すんぞコラー!」「やったー!」「アパーム! ゴール持ってこい!」「了解っ!」「他の奴はその手伝いだ。40秒で支度しな!」「うぇぇぇー?!」「ぜってー無理だー!」「兄ちゃんおーぼーだぞー!」「んじゃあ待っててやるからさっさと行ってこい」「はーい」■ セージと入れ代わる形でオープンテラスの席に座ったネイは、いい感じにギャグ調でボロっていた。 まぁ、ついさっきまで目が渦巻き状態だったのを考えればこれでも随分復活した方だろう。 耳も尻尾も垂れた状態で上体を投げ出すように顎を机に着けている様はまんま猫ッポイのだが、それを指摘しそうな男は天然芝生のグラウンドで子供達と遊んでいる最中だ。「うぅ……。酷い目に遭った……」「大丈夫かい?」「何とか……。くそっ、セージの奴絶対に後で一発殴ってやる」 ネイが本気で殴ったらセージなど一発KOなのだが、わりと自業自得なので院長も止めない。 まぁ、そう言いつつも梅干し3分間クッキング程度で許すつもりな辺り、ネイも甘い――かもしれない。 そっちの方が地味に痛そうだが。「それにしてもまぁ、あの子がこんなに無防備なのは久し振りに見るよ」「はぁ……」「公爵様が亡くなって以来、あの子は子供でいる事を止めてしまったからねぇ……。ウチの子達といる時以外でも気を抜いているなんて、珍しい事なんだよ」「あまり実感は沸かないな」「それだけお嬢ちゃんがあの子にとって身近だって事さ。あの子と同じ年代の子で公務に関わっている子なんていなかったからね」「それはまぁ……」 当たり前と言えば当たり前である。 一般的な貴族であれば15、6歳くらいから政務や軍務に携わりだすのが普通なのだ。早熟でも13歳程度が限界で、一人前とされるまでに数年は掛かる。 10歳で初陣を済ませた上に、その年の内に家内の実権まで全て握って傾いた家を立て直すために奔走するなど、いくらなんでも異常と言えた。 むしろ、それにある程度ついていっているネイも十分普通じゃない。「本当なら、まだまだああやって遊んでいていいはずなのにねぇ……」 そう呟いて子供達の方を見る院長の視線をネイも追う。 天然芝生の中庭では、こちらの会話のタネになっているとも知らずにセージが全く自重していなかった。 具体的には、ハーフライン辺りから「必殺! ドライブシュートッ!」とかほざきながらループシュート打ってたり、当然のようにキーパーにあっさりキャッチされるのを見た同じチームのガキンチョに(主に口撃的な意味で)袋だたきにされてたり。 今貴族社会で最も注目を集めている人物のひとりだとは到底思えない光景ではある。「あれを見るとアホの子にしか見えないんだがな……」「あれくらいでちょうどいいんだよ。あんまり根を詰め過ぎても病気になるだけだからね」「そんなものか」「そんなものだよ。特に、あの子みたいなタイプは内に溜め込んじまうからね。今だって、ヘルミナでの戦いの事を引きずったままのはずさ。 大方、自分が死なせちまったって後悔してるんだろうさ」「そんな……、それはっ!」「あの子のタチが悪いのはね、それがお門違いな感情だと分かっていてもそれを切り捨てられない所なんだよ。 言ってしまえば、この孤児院だってそうさ。皆はやれ慈悲深い領主だとかお優しい方だとか囃し立ててるけどね、それだけじゃないさ。 正義感ばかり強い子供だと言ったら、あの子は落ち込みそうだけどね」 怒りそう、ではなくて落ち込みそうという言葉に、ネイはその様子がまざまざと脳裏に浮かんで妙に納得してしまった。 子供っぽいところがある癖に子供ではないというか……。 大人ぶっているのとはまた違う「子供である事を止めた」という表現はまさしく的を射ているといえた。「しかし、そんなに何でもかんでも抱え込んでいても潰れてしまうだけなんじゃ……」「そうだね」「じゃあ……!」「でも、あの子のそういうところのお陰で上手くいっているところもあるんだよ。それに、やめろと言ってやめるような子じゃないのは分かるだろう?」「それは……、そうだけど……」「だから、これから先お嬢ちゃんがあの子の側にいるのなら、どうしようもない時はお嬢ちゃんがあの子を引っ張り上げてやってくれないかい」 怒っているような、情けなさそうな、心配そうな、そんな何とも言えない表情でそんな事を言う院長に対し、ネイの表情が険しくなる。「……それは、私が女だからか?」 それは質問というにはあまりに厳しい口調であったが、院長は苦笑を微笑みで殺しながら首を振る。 即答だった。「今のところあの子の一番近くにいるのがお嬢ちゃんだから、あたしはこんなことを頼んでいるのさ……。 それに、女だって理由ならウチで働いてる娘達がいる。あの子に助けられた娘の中にはまんざらじゃない娘だっているんだよ」 セージはまだ11歳だが、身長だけなら160センチを越えている。成長期真っ最中で、去年だけであっという間に15センチ以上も伸びたのだ。 顔付きこそまだまだ幼いが、身に纏う雰囲気は既に男のそれだ。 本当に子供だった頃を知る侍女達ならともかく、今の彼しか知らない娘達は彼の事を男としてとらえている節があった。特に、若い娘ほど。「あんな奴のどこがいいんだか……」「さぁねぇ」 とぼけて見せる院長だが、彼女はちゃんと理由を知っている。 今の彼しか知らない侍女というのは、つまるところ盗賊達から助けられた少女達でもあるのだ。 しかも、その後も行き場が無くて途方に暮れているところを拾われた娘達でもある。 本来なら自分達がどうなっていたか分からないほど彼女達は子供では無かったし、セージの恩着せがましくない態度は高い好感度に一役買っていたりもした。 まぁ、本人はそんなつもりがないどころかその辺りの事に気付いてすらいなかったが。「あたしゃ、お嬢ちゃんみたいなちっちゃい子にこんな事を頼む自分が情けないんだけどね……」「私はもう子供じゃない」「そういうところがまだまだ子供だって、あの子ならそう言うだろうね。 まぁ、子供の一人も作って育ててやっと一人前なんだから、あたしからみればあの子もお嬢ちゃんもウチの娘達もみーんな半人前さ」 そう言って笑う院長と納得したような納得していないような表情でいるネイの姿は、母と娘のように見えなくも無い。 一枚の絵画のよう、とまではいかなくとも十分に心温まる情景と言えた。 ……まぁ、その向こうで「コレが俺の全力全壊っ!」とか言いながら高笑いしつつキレキレドリブルをしている男が全てを台無しにしていたのだが。