ローゼンハイム卿を連れて、屋敷まで戻って来た。
当初から、これは予定通りなのだが、卿は完全にやる気になっている。
馬車の中ではご主人さまが卿の質問に答え、私自身は考え込んでいる振りをしているだけだった。
この辺りの対応が難しい。
まだまだ未熟だと自分自身恥じるばかりだった。
館に着くと、取り合えずローゼンハイム卿の着替えと案内を執事付きに任せ、全員で集まる。
私事ゼルマ、ご主人さま、アンジェリカ、そして爺こと家令のルーベルトの四人だ。
「時間が無いから、礼儀は横に置いといて、直ぐに検討するぞ」
ご主人さまが、ローゼンハイム卿との会話の内容を一気に説明する。
「それじゃ、シナリオを練り直す必要がありますね~」
アンがすぐさま答える。
「ああそうだ、だがまずは利点と弱点の洗い出しだ」
ご主人さまが応じる。
こうなると、アンの独断場に近い。
私と爺は只管理解するのに忙しい。
「信頼度が未知数ですか、弱点ですね~」
アンが問題点を指摘する。
これに対しては、ご主人さまは最初から水の秘薬は飲んで貰う事で対応しようと提案。
確かに精霊の守りと同時に、最初から禁制を掛けておけば、話したくても話せないと言う状況を作ることも出来る。
問題は、禁制が入る事で自由な発想もある程度制限が入る点だ。
まあ、別にローゼンハイム卿から新たな発想を得ようと言う訳ではないので問題はないだろう。
また、禁制自体は状況に応じて解除したり出来るので、大きな問題にはなら無いと言うのがご主人さまの意見だった。
「利点としては、交友関係の広さ、押し出しですね、ゼルマでは不足する部分を補強出来ますね~」
それは、確かにそうだろう。
私自身、自分の立場は理解している。
こんな小娘が言うより、ローゼンハイム卿の方が信頼も得られやすい。
「しかし、今までの言動は残っているから、それ程利点として通用するか?」
「伯爵家が盛り返す訳ですから、過去の言動は考えなくても良いんじゃないですか~」
私もアンの意見には賛成だ。
それに、話した感じだと決して愚かな人ではないと思う。
「一旦、身を持ち崩したと言う風評が立つと、それを回復するのは難しいものですが」
爺は少し疑いの目で見ているようだ。
「ああ、それはそうですが~、若い頃の評判はかなり良いですから~」
「何せ侯爵の跡継ぎ候補となっていた位だからな」
「利点や弱点とは違うが、元々お披露目パーティーには出て貰う予定だったのだから、それからの判断で良いのではないか?」
今すぐ決めなくても良いのではないかと思う。
「うーん、俺たちの内情をどこまでばらすかなんだよな」
ご主人さまはチラッと爺を見る。
爺にも、ご主人さまが異国の生まれである事や、あちらの国の話は秘密だ。
確かに、仲間に引き入れるならば、秘密をどこまで開示して良いかは早急に決めておかねばならない。
成程、パーティーまで待てない訳があるのだ。
まだまだ読みの浅さを実感せずにはいられない。
「黒幕がご主人さまって事まで、ばらしちゃって良いんじゃないんですか~」
「うん、私もそう思う。どの道ある程度一緒に居れば、ばれてしまう」
アンと私の二人とも、爺と同じレベルまで秘密を共有すれば良いと発言する。
「じゃ、それで行こう、ローゼンハイム卿を仲間に入れる、俺が黒幕だと最初から話す、後は?」
「あの、アルバート様の魔法についての説明を」
爺がコメントを入れてくれる。
これも、我々だけだと直ぐに忘れてしまう点だ。
転移魔法が使える事は、ゲルマニア、いやハルケギニア全体でも秘密にしなければいけない点である。
これは私達の大きなメリットなのだが、毎日のように使っていると、それをつい忘れてしまいそうになるのだ。
「ありがとう、爺」
私の言葉に爺も嬉しそうだった。
「やあ、中々良い邸宅だな」
取り敢えず風呂に入って貰い、身仕度を整えたローゼンハイム卿が機嫌良く部屋に入って来た。
「ローゼンハイム卿、メンバーをご紹介します」
私は立ち上がり、家令の爺、執事のアルバート、家政婦長のアンジェリカを紹介する。
「ふむ、で、首謀者は君かな、アルバートとやら」
卿は鋭い眼差しでご主人さまを睨み付ける。
「良くお分りで、どこがいけませんでした?」
両手を上げ、参ったと言うようなポーズを取り、苦笑混じりにご主人さまが応える。
「何、あのあばら家に入って来た時から、ゼルマ嬢が君を気にしすぎだよ」
私は、腑甲斐ない自分自身に唇を噛むしか出来なかった。
「ああ、ゼルマ、これからは、呼び捨てさせて貰うよ娘なのだからな」
私は顔を上げて頷く。
思わず、ご主人さまを見てしまいそうになるのを堪えるのに、全ての意志が必要だった。
「うん、今から努力しておくのは良い事だ。」
しかしそんな態度も、卿にはお見通しのようで、恥じ入るばかりだった。
「ローゼンハイム卿、余りゼルマお嬢様をいじめて上げないで下さい、今回が初演なんですから」
ご主人さまのフォローは嬉しいが、更に到らなさを痛感させられる。
「ゼルマ、君は真直ぐな性格のようだな、だがそれでは、あの化け物と渡り合うのは厳しいぞ」
卿の一言一言が更に突き刺さって来る。
「ふむ、アルバートとやら、うん?名前はこれで良いのかね?」
「アルバート・コウ・バルクフォン、爵位は半年前から男爵です、アルで良いです」
「そうか、アル、ホルストと呼んでくれて構わん」
二人が立ち上がり握手をする。
どうやら、男同士通じるものがあったようだ。
この様な関係は、ゼルマには理解出来ない。
あっ、でも、アンやグロリア達との関係みたいなものなのかも知れない。
「ホルスト、一応確認させて貰う」
ご主人さまが改めて話し始める。
自分の役割放棄の様な気もしないでもないが、安堵してしまうのはどうしようもない。
「我々の目的は、ブッフバルト公爵に対する復讐。
具体的にはゼルマの実家ヴェスターテ家の名誉回復です」
卿はウンウンと頷いている。
「ただ、名誉回復だけならば、既に集めた資料を国安を通じて皇帝に上げ、大声で喚けばどうにでもなるでしょう」
「だが、それだと、多分トカゲの尻尾切りで終わるな、どうせ実行犯が別にいるんだろう」
「おっしゃる通りです、アルベルト伯爵、当時ヴェスターテ伯の部下だったものです」
表上は、アルベルト伯が全て行なった事とし、ブッフバルト公爵にはお咎め無し。
そして、皇帝は十二選帝侯の一人の弱みを握る事になる。
「それでは、ゼルマの復讐には相応しくありません」
「そうだな、それは私も面白く無い」
卿が身を乗り出してくる。
「少なくとも、私の爵位を使う必要すらないな、そんなつまらん復讐劇を考えてる訳ではなかろう」
「その通りです。但し、ここから先に話を進めるには一つ条件があります」
そう言ってご主人さまが水の秘薬の小瓶を取り出した。
「これを飲めと?」
卿は小瓶を手に持ち、ご主人さまを見る。
そして、何か言われる前に一気に飲み干した。
「飲んだぞ、さ、続きを聞かせてくれ!」
「あ、あなたは、恐くは無いのですか!」
ゼルマは思わず声を挟まずにはいられ無かった。
「うん?ゼルマ、別に。どうせ裏切れないように、何か制約が掛かるんだろう」
卿は、ニヤリと笑う。
「ゼルマ、覚えておきなさい。開き直った人間には恐いもの等何もないんだよ」
ゼルマは、卿の覚悟を聞かされ、頭を下げるしかなかった。
「あー、一応今飲んだものの説明はさせてくれ」
ご主人さまが、いかにもやりにくそうに説明する。
瓶に入っていたのが、水の精霊そのものである事。
ご主人さまが、人としては唯一人精霊との契約を成している事。
精霊は、ご主人さまの求めに応じて卿の身体の中で様々な事が出来る事。
そう、記憶を消す事や、本人の意志に反してその人物を操る事すら出来る事。
「ほお、すると私は大変な物を飲んでしまったのだな」
「ご主人さまは、それを悪用される様な方ではありません!」
思わず身を乗り出して叫んでいた。
しまった!
周りが固まるのが判る。
「アル…ゼルマが『ご主人さま』と言った気がするのだが、君達はそう言う関係なのか?」
いや、男女の中に口を挟む気はないが、ラ・マンにそう呼ばすのは、人としてどうかと思うぞ。
卿が声をひそめてご主人さまに話し掛けている。
ゼルマは真っ赤になって、俯くしか出来なかった。
結局、全ての経緯を話すはめになり、卿は興味津々聞き入る。
その間、ゼルマは一人居心地悪さを感じるのだった。
この後、アンジェリカも話に加わり計画について説明して行く。
その際に、アンも自分が愛人のメイドの一人である事。
更に、後三人居る事。
更に更に、候補及びお手付きが後十人居る事までばらしてしまった。
おかげで、ご主人さまは、卿のみならず、事情を知っている爺からも白い目で見られるのだった。
「ふむ、そうすると、私が入る事でゼルマの負担をかなり減らせるな」
卿が、自分も参画出来る点を見いだし嬉しそうに言う。
「はい~、もしくは、効果を増幅出来ます~」
アンも楽しそうに応える。
表立って動くのは、私だけの予定だったが、卿の協力が得られるならそれが倍になるのだ。
「しかし、アル、お主凄いな、どうやってボーデ商会に渡りを付けたんだ」
そう、計画にはボーデ商会の協力も含まれているのだ。
「まあ、ボーデ自体、ランマースは気に入らない存在だったのが、一番ですね。」
そう言ってから、ご主人さまがため息を吐く。
調べれば、調べるほど、ランマース商会のあくどさが浮き彫りになって行くのだ。
穀物販売が主な業務の筈だが、裏ではかなり酷かった。
値段の吊り上げの為に、一つの地域の穀物を全て燃やす等と言う暴挙の状況証拠すら出て来ている。。
これがブッフバルト公爵と組み、公爵の領地であるアルトシュタット領のみならず、周辺のオッフェンバッハ領、エアフルト領まで荒し捲くっているのだ。
お陰でゲルマニアの内陸部の公爵領三領を握ったブッフバルト公爵は、言わば十二選帝侯の四分の一の支配権を持っているのだ。
「それと、ボーデの爺さんに気に入られましてね」
ご主人さまはそう言って肩を竦め、話を戻そうとする。
「こんな大馬鹿者見た事ないそうです~」
アンジェリカが横槍を入れた。
卿の眉毛が興味深そうに釣り上がる。
「実はですね~、ボーデ様は、良くお屋敷に遊びに来られるんですよ~」
確かに、ボーデ商会の当主、ディートヘルム・ボーデ様はご主人さまを気に入っておられる。
ゼルマ達以外のメイドを雇う時に、大量の候補者を送り込んできて以来、様々な分野でその権力を無駄に使われているのだ。
態々女性の庭師を養成までして送り込んできたり、女性の傭兵を集めて、警備に使えと送り込んで来る。
金を払うのは俺なんだけどなあと、ご主人さまが文句を言っても、面白がっているとしか思えない。
今では、屋敷の客間の一室をまるで自分の部屋の様に使っており、月に二三回は泊まりに来るのだ。
ちなみに、ルーベルト爺が、家令としてあの屋敷にいる事も気に入らないようで、アンジェリカには家令としての仕事を教え込もうとすらしている。
その後も計画の問題点、今後の進め方について検討を加えた。
新たに参画した、ローゼンハイム卿の視点からの様々な指摘は、私達の計画に改善を加えより確実なものとするであろう。
ご主人さまを弄って遊びたがる人が、また一人増えたような気もするが、それは実害の無い事だと思いたい。
ここに、改めて当屋敷の新しい主人に、ホルスト・グラーフ・フォン・カーリッシュ・ローゼンハイム卿が復帰される。
そして、私、元伯爵令嬢 ゼルマ・グラーフィン・フォン・ベークニッツ・ヴェスターテが消え去る。
そう、今日から私は、ゼルマ・グラーフィン・フォン・カーリッシュ・ローゼンハイムとして生まれ変わるのだ。
伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイムとして、成すべき事をやり遂げてみせよう。