その日の始まりは、いつもと変わらぬ曇り空だった。相変わらずカタコンベ周辺には群衆が集まり、シルヴァー・フレイム教会の司祭たちが人々に陽が沈んでからの外出を控えるように呼びかけていた。墓地における彼らの作戦は滞りなく完了し、さらに街の大部分をも《ハロウ》が覆い尽くしている。少なくともその範囲内で死者が起き上がることは無く、死霊が人を害することは無いとあって街を行きかう人たちの間に不安感は無い。100年に一度の凶事とはいえ、住人の大部分にとっては初めての経験なのだ。エルフやドワーフといった長命の種族においても100年をこの都市で過ごした者は少なく、また街の外でアンデッドが生まれたとしても高い街壁が彼らを護ってくれることを信じていた。
夕方になっても、いつもより薄暗いのは雲が分厚いせいだろうと誰もが思っていた。海から吹き付ける風が熱風であるはずなのに時折体に寒気を感じさせるものであったとしても、それはすぐに周囲の熱に紛れて消えてしまった。街角で叫ぶ狂人の戯言がねじれた狂気ではなく絶望を告げるものであったとしても、誰もが聞き流していた。
──そして太陽がいつものように山脈の影に沈み、夜が訪れた。
ゼンドリック漂流記
7-3. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 1st Night
全身を包む寒気。体の表面だけではなく、内臓までもが直接冷気に晒されたかのような違和感。まるで空気ではなく、世界そのものの温度が下がったかのような感覚だ。だがそれは人体以外には影響を及ぼしていないようだ。その証拠に夕食としてテーブルの上に並べられたスープから立ち上る湯気は変わりない。だが室内を照らす魔法の照明は明らかにその光度を減じており、部屋は薄暗く感じられた。さらに全身に押しかかる重みは、明らかな異常を示していた。
「──トーリさん、これは」
勿論その違和感に気付いたのは俺だけではない。テーブルを囲んでいたメイが警戒を促すように声を掛けてきた。子供たちの幾人かは突然重くなったフォークやナイフを取り落しており、違和感に周囲を見回しているもののその正体が判らなく不安な表情を浮かべている。幸い高重力は生物にはそれほど強い影響はないのか、体の動きは僅かに鈍る程度だが身に纏う衣服や装具はその重量を倍したような重さを伝えてくる。
「全員慌てず、食事を片付けよう。それが終わったら今日は全員大部屋に集まって過ごすようにしてくれ。
俺達は後で外の様子を見てこよう」
重くなったフォークとナイフに違和感を覚えながらも、しっかりと時間をかけて皿の上の料理を片付ける。これはただの食事ではなく、口に入れた者に活力と勇気を付与してくれる特別な晩餐食──《ヒーローズ・フィースト/英雄たちの饗宴》と呼ばれる呪文効果による産物なのだ。これは1時間の儀式にも似た食事を終えれば、毒と恐怖効果に対する完全耐性を与えてくれる高レベルの冒険者御用達の信仰呪文だ。このエベロンではガランダ氏族によって提供される高価なサービスの一つであるが、俺は今回『死の接触』という非常事態に備えてこれをスクロールで用意していたのだ。
初めて遭遇する他の次元界との接触──特に危険極まりないことが予想されるドルラーとのもの──に対して警戒をしていたつもりではあるが、どうやらそれでは足りなかったかもしれない。窓から覗く空の色は墨で塗り潰したように真っ黒で、あれほど大きな月や星の輝きは何一つ見つけることは出来ない。ベランダや庭に出て全天を眺めたとしても結果は同じだろう。どうやら想定を超える事態に巻き込まれてしまったようだ。
「護りのための仕掛けは起動していく。建物の外の事は気にしなくていい、例え俺達が外から呼びかけたとしてもドアも窓も開けないように。
大部屋に集まって、そこから動かないこと。来客が来たとしても相手にする必要は無いからな」
玄関で他の皆の準備を待っている間、留守を任せる子供たちに注意事項を伝えた。屋敷は難攻不落といっても過言ではないほどに俺が手を加えている。立てこもっているのがカルノ達少年少女だけであったとしても、俺のいいつけを守ってさえいれば例えウォーフォージド・タイタンの集団が攻めてきたとしてもびくともしないだろう。それなら俺達も立てこもっていればいいのではないかと思うかもしれないが、現状を把握しないことには待ちの姿勢でいることが正しいかどうかも判らないのだ。占術を行使して得られる情報もあるが、それが全てではない。
「そろそろこいつらにも実戦を経験させても構わないと思うけどね。トーリはちょいと過保護すぎるんじゃない?」
そう言いながら階段を降りてきたのはラピスだ。その体を包んでいるのは動きを妨げない黒く染め抜かれたローブで、要所にはポケットが仕込まれておりスローイング・ナイフが多数仕込まれている。その一つ一つには凶悪な呪文が封入されており、命中と同時に解き放たれるのだ。常日頃からの準備が必要とはいえ、その瞬間最大火力は俺のチート仕込みの秘術呪文と遜色ない。だが真に恐ろしいのはその隠形能力だ。高い技能と魔法のアイテム、そして彼女に宿った種族特性が相乗効果を発揮しているのだ。本気で隠れた彼女は俺が最高の知覚能力を発揮しても見つけることは出来ない。
「まあまあ、ラピスちゃんの言う事も解りますけど、今はそれくらい警戒しておくに越したことは無いですよ。
これから何が起こるかわからないんですから」
ラピスに数歩遅れてやってきたのはメイだ。ラピスとは色違いの竜紋が刻まれたローブは術者であり打たれ弱いという彼女の欠点を補い、またその呪文を相手に通じやすくするという神秘の力を内包している。他にもリングや呪文で強化された彼女の呪文の強度は一般的な呪文ではもはや解呪が不可能な域にまで達している。複数の秘術系統を修める『アルティメット・メイガス』という上級クラスを極め、並の術者に倍する呪文容量を持つメイのその呪文一つ一つがそれだけの精度を有しているのだ。呪文を相殺しあうといった通常の術者同士の戦い方はもはや彼女には通用しない。
「──私が最後か。待たせてしまったようだな、すまない」
そして最後に降りてきたのは言わずと知れたエレミアだ。戦士である彼女が纏っているのは他の二人と違ってレザー・アーマーだが、同様に刻まれた古の竜の刻印が鋼鉄を凌ぐ強度と彼女の体裁きを妨げないしなやかさを両立させている。だが何より目立つのはその武器だ。巨大な刃を両端に有するヴァラナー・ダブル・シミター。祖霊の修めた武技をこの双刃を通じて再現することで、言葉通りあらゆる者を滅ぼす彼女はヴァラナー・エルフの理想を体現した存在だといえるだろう。
俺を含めて、四人。先日までと比べると二人少ないことに少しの寂しさを感じるが、心細くは無い。戦力で言えば過剰なくらいだ。少なくとも文明圏の表舞台に、俺達四人を止めることのできる国家や組織は存在しないだろう。だが世界の影には途方もない脅威が潜んでいることを俺達は身をもって経験している。あれほどの力を振るったイスサランでさえ、『夢の領域』においては権力者の一人に過ぎないのだ。どれほど警戒してもしすぎるということは無いし、油断や慢心は禁物だ。
そう心を引き締めながら玄関の扉を開くと、いつも通り4メートルほどの距離を空けて敷地の境界を示す鉄柵が立ち並んでいる。その向こう側には舗装の行き届いていない荒れた道があり、その先には小さな木立を挟んでほぼ垂直の断崖が10メートルほど下のコロヌー川へ向けて斜面を伸ばしているはずだ。生憎と敷地内を満たしている照明も道路を照らすだけでそこまでは届いておらず、背後にそびえる街壁がカタコンベ頂上のドラゴンシャードの光を遮っているため木立から先は漆黒の闇に塗りつぶされており視認することは出来ない。だが、異常はその範囲内においても十分に観測することが出来る。
色彩はまるで灰色の分厚いフィルターを通したかのように色褪せてぼんやりしたものに映り、建物の輪郭もどこか歪になってしまったかのように見える。時折吹き付ける風によって木の葉の擦れる音が聞こえているが、それはまるで一定の音が鳴り響き続けているような単調さだ。いや、実際には複雑な音として響いているのかもしれない。それを受容する俺の感覚が鈍っているのだ。五感を通して感じられるあらゆる感覚は、まるで無機質な記号のように情報としてのみ処理されていき心に残らない。
肉体を縛り付ける高重力と感情をすり減らす無感動。何一つの望みすらなく、あらゆる記憶が零れ落ち、擦り切れるまで魂が留まる死後の世界。生きている者の魂が死後に向かう異次元、それがこの『死の領域・ドルラー』なのだ。
「やはり、この辺りは今物質界とドルラーの入り混じった『顕現地帯』になってしまっているようですね。
今日からの一週間は二つの世界が最も近づく期間といわれていましたが、まさかここまでのことになるなんて……」
秘術を操るものにとって、物質界を含めた種々の次元界に関する知識は必須と言っていい。その最高峰であろうメイの推論に対してラピスも特に意見を挟んだりすることはない以上同意見ということだろう。一世紀に一度、一年の間ドルラーが物質界と密接に繋がる中でも最も接近する『死の接触』と呼ばれる期間。今回はどうやらこのストームリーチ近辺がドルラーに飲み込まれる事態になっているようだ。
俺が知る過去の『死の接触』にも類似の事例は存在しない。だが現在の人間を中心とした文明が発達してから4千年ほどにしか過ぎないし、その範囲はコーヴェアを中心としたエベロンの一部でしかない。俺の知らない時代、俺の知らない地域でこのような事態が発生していたとしても不思議ではない。そして記録が残っていない理由は他にも想像できる──その中で最悪のものは、飲み込まれた地方が二度と物質界に戻らずゆえにどこにも記録されていない、というものだ。
だがそんな俺の懸念をよそに、ラピスは軽い足取りで前に出ると立ち並ぶ鉄柵を透過するようにすり抜けて敷地の外へと歩み出た。
「特にこのあたりに害になりそうな奴はいなさそうだね──それで、どこへ向かうんだ?」
ここで立ち止まっていても本来の目的は果たせない。彼女が言う通り、目的地を設定して情報を集めるべきだろう。
「そうだな、まずはこのまま街の外周を回ってデレーラ墓地へ向かおう」
街の中で何かが起こる可能性が最も高そうなのは、やはり元来”死”に最も近い場所であった墓地だろうとの推測だ。市街地はシルヴァー・フレイムの警邏隊などが巡回しているだろうし、各街区には自警団も存在する。またアマナトゥの率いるシティ・ガード達は各個人の質は低いとはいえ数は多く、領主たちの潤沢な資金を背景に高品質な装備を支給されているためそれなりの能力が期待できるはずだ。街中で異変が起これば彼らが駆けつけ、大きな騒ぎになることは間違いない。全てをカバーすることは出来ない以上市街の事は彼らに任せ、大きな騒動になるようであればそれを聞きつけてから対処することにしても構わないだろう。
「了解。それじゃ先行するよ」
俺の発言を受けてラピスが先頭を切って歩き始めた。やや距離を空けてエレミア、メイと続き殿を俺が務める。闇をも見通す《トゥルー・シーイング》の効果は36メートルだ。そのぎりぎり内側の距離で、ラピスが気配を殺しながら先行している。街壁とコロヌー川で挟み込まれたこの一角はストームリーチのどの街区にも属さない地区でありそのため道も舗装が行き届いておらず、断崖沿いの木立も手入れがされていないために下ばえが生い茂り彼女が身を隠す場所には事欠かない。
街の北側に向かって伸びているこの道はコロヌー川に架けられた橋を越えて続き、北の山脈に住む友好的なゴライアスの一族などとの交易に主に用いられていた。だが今やその橋の向こう岸は見知った土地ではない。黒い泥のような輪郭すらあやふやな地面がシルヴァー・フレイム教会のシベイ・シャードから放たれる青い光に照らされている。幸い今のところはそこから橋を越えてこちらの領域へ踏み込んで来ようとするクリーチャーの存在は感じられないが、念のため呪文を一つ残していく。本当に脅威となる存在であれば大抵空を飛んでいるため効果は無いが、雑魚がこの橋を渡って市街地に侵入することを防げれば良いという程度のものだ。
橋のたもとからは道路が街中へと伸びている。ここから見る街は静まり返っており、時刻的には夕暮れを少し過ぎた程度であろうにも関わらずまるで真夜中のようだ。市街地を覆う《ハロウ》の呪文は健在で、街壁の内側はシベイ・シャードの輝きに満たされているためいつもと変わりないように見える。だが体に圧し掛かる重圧と心を萎えさせる恐怖が人々から活力を奪っているのだろう。半日ほどドルラーで過ごした生物は、意思が折れればそのまま魂が死の領域に縛り付けられてしまい物質界に戻ることが出来なくなるという。この現象がどれだけ持続するのかは不明だが、長期にわたる様であれば根本的な対策を考えなければならないだろう。だがまだそれは先の話だ。今はまず、目前に脅威が潜んでいないかの確認が必要なのだ。
橋から離れ、もはや道もなく整備されていない荒地を街壁に沿って海の方へと進む。やがて簡素な柵で覆われた、淀んだ不気味な空気に包まれた区画へとたどり着く。この辺りは『ペニテント・レスト』と呼ばれる墓地だ。市民権を失ったものや犯罪者などはデレーラ墓地に葬ることが許されず、こうやって街壁を隔てた街の外へと亡骸を埋められるのだ。遺体を燃やすために積み上げられた薪の山も、薄暗がりの中では不気味な影の塊に見える。土葬が一般的なこのエベロンで、彼らの遺体は焼いたのちに砕かれてそのあたりに掘られた穴へと埋められる。この敷地にはそうやって砕かれた骨がそこらじゅうに埋まっているというわけだ。
それでもなおネクロマンサーと呼ばれる秘術呪文の専門家たちはアンデッドとして蘇ってくることが多いと言われており、そういった者達の死体は大抵の場合は厳重に封印される。常日頃からアンデッドの動力たる負のエネルギーを扱う事から親和性が高く、その傾向が遺体にも影響するということなのだろう。当然ながら死霊術士はそのような扱いを嫌い、生前のうちに人里離れたところに自らの墓所を築き上げそこで死を迎えるのだ。俺達冒険者が墓あらしと揶揄されることが多いのも、こうやって財産を貯め込んで死んだ魔法使いの墓所へ踏み込むことを生業としている者が多いからだろう。先日、デレーラ墓地で打ち倒したヴァラクなどはその良い例だ。
だがこの街に巣食っていたあるハーフリングの死霊術士はそういった方法は取らなかった。彼は予め買収などで根回しを行い、自分の遺体をここペニテント・レストに埋葬されるように手を回していたのだ。俺が近所の治安向上のために依頼を受けて彼を倒した後、予定通りこの区画に埋葬され亡霊として蘇ったハーフリングはデス・シェイドと名乗り、地下に埋められた遺体の残骸から無尽蔵にアンデッドを産み出していたのだ。それが先日、墓地を《ハロウ》で浄化しようとしていたシルヴァー・フレイム教会たちに襲い掛かったゾンビやワイトの正体である。
だが三日間の激戦の後に全てのアンデッドは銀の炎によって焼き清められ、デス・シェイドも真の死を与えられた。そしてここペニテント・レストにも《ハロウ》が使用されたことで、ここに眠る死者たちが再び起き上がることはなくなったはずである。先行するラピスからは敵影なし、のハンドサインが示されている。それを確認し、俺達も”悔悟者のやすらぎ”へと踏み込んだ。
「《ハロウ》は問題なく持続していますね。これなら墓地から死者が起き上がって市街地になだれ込むような事態は起こらないでしょう」
展開されている結界にメイが太鼓判を与えた。墓地特有の恐ろしげな空気こそ残っているものの、今この場を満たしているのはシルヴァー・フレイムの清廉な信仰エネルギーだ。その結界は勿論街壁に設けられた通用門を通ってデレーラ墓地のほうへと連結されており、街全体を覆っている。この護りの内側ではアンデッド達特有の負のエネルギーを媒介とした攻撃が効果を発揮しないため、例え彷徨える亡者が入り込んで戦闘が起こったとしても優位を保てるだろう。そしてコロヌー川によって半島側から切り離されたような形となっているストームリーチの市街地は護るに容易い地勢だ。いくつかの橋を守っていれば、地を這う事しかできないクリーチャーが住宅地に侵入することはない。
だが、勿論脅威はそれだけではない。物質界とは異なる法則を有するこういった異次元界には、その法則に適合した強力なクリーチャーが勢力を築いているのが常だからだ。街壁の内側を偵察しているラピスが異常を察知したサインを送ってきている。その合図を受けて俺達は陣形を変更し、索敵に長けた俺がラピスを追って気配を殺しながら前へと進んだ。その一方でメイとエレミアは側面及び後方を警戒しつつ、範囲呪文で一網打尽にされぬようお互いの距離を保って散開している。
あまり整備が行き届いていない墓地の地面の窪みへと身を隠した小柄の少女の近くまで辿り着き、ハンドサインで彼女が示す方向へと注意を向ける。シベイ・シャードの輝きによって街壁の内側は薄暗い灯りで満たされている状態のため、かなりの遠方まで見渡すことが出来るのだ。俺達から見て左、市街地から見て奥側にあるデレーラ・オマーレンの霊廟の方角に大きな人型の存在が知覚できる。黄金の鎧を着用した巨人のような体格の人型生物──だがよく見るとその体は機械仕掛けの部品で出来ていることが判る。縞瑪瑙のような色合いの肌は固い装甲であり、外に纏った鋼鉄製のフル・プレートの倍以上の固さを有しているはずだ。その正体は『イネヴァタブル/避けがたきもの』。神々がこの世界から去る際に、秩序の執行を目的として産み出した機械仕掛けのクリーチャーである。
そのなかでもこれらの個体は『マールート』と呼ばれる、死の秩序を護る者だ。物質界で出会うマールートは不自然な手段で寿命を引き延ばそうとする者や尋常ならざる手段で死を欺く者達を裁きこのドルラーへと連れ帰ることを使命としていることが多いが、このドルラーにいる彼らは違う役割を担っている。正しい道筋に沿って魂が循環することを妨げようとする者──デーモンやデヴィルといった魂を狙う悪の存在を駆逐する、安息の守護者なのだ。
人造クリーチャーである彼らの能力はその体の大きさからある程度判断することが可能だ。一般的なマールートは人間の倍、つまりトロルやオーガといった大型種と同程度のサイズだが、今遠目に見える人造たちはさらにその倍近い体躯を有している。鎧以外は武器を帯びていないように見えるが、その体から繰り出される叩き付け攻撃はけっして油断できないだろう。なによりも『マールート』は雷の化身とでも呼ぶにふさわしい能力を有している。一方の拳には電撃が、もう一方の拳には雷鳴が宿っており、打撃と共にそれらが叩き込まれるのだ。直撃すれば例え即死しなかったとしても視覚と聴覚がしばらくは使い物にならなくなることは間違いない。
距離を取って戦おうにも、多彩な疑似呪文能力を無尽蔵に放ってくる上に自身は高い呪文抵抗能力と再生能力を有しており、人造故に疲れることなく永遠に戦い続けることが可能なのだ。死者の安寧を護るにあたって、これほど適した存在は他にないだろう。一度定めた目標を永遠に追い続けるしぶとさと、高い叡智を兼ね備えた強力な狩人。敵に回せば厄介だが、幸いなことに今の俺達と敵対する状況ではないはずだ。おそらくこの墓地は彼らのテリトリーであり、魂を収奪に現れるデーモンやデヴィルからこの地を護っているのだろう。
──墓地に他に変わったところはないよ。どうする?
判断をこちらに委ねるサインをラピスが出しており、俺の決断を待っている──彼らに接触するべきか否か。友好的に接触できるかもしれない原住クリーチャーからであれば有益な情報が入手できる可能性がある。一方で彼らはオマーレンの墓所を護っているようにも見え、あの領主一族と何らかの関わりがあるように見える。あの丘に眠るデレーラ・オマーレン一世は魔女として怖れられ、ストームリーチの歴史が始まる際にも大きな役割を果たしたことで知られる近代の偉人だ。ゲームでは彼女の亡霊と相対するシナリオもあったが、その原因となるヴォル崇拝のネクロマンサーは現在コーヴェア大陸にいてここストームリーチにはやってきていないことが確認できているため現時点では俺の知識はあてにならない。
──俺一人で行く。ラピスはそのまま待機、エレミアとメイは連中の索敵範囲外で墓地の外側と空の警戒を続けてくれ。
そう指示を飛ばすといくつか装備を入れ替え、遮蔽物から身を離した俺はデレーラの丘へと歩き出した。ランタンを手に持ちながら暗闇の中を進む俺の姿は彼らの目にもよく見えたことだろう。20メートルほどの距離まで近づいたところで、彼らはその両の拳を胸の前で打ち付けて警告を発してきた。間近で落雷が起こったかのような轟音が通り過ぎた後、硬質な声が墓地に響き渡った。
『生者よ、其方の命運はいまだ尽きておらずこの地にあるべきではない。速やかに自らのあるべき場所へ戻るがいい。
もし我らの役割を妨げるのであれば、肉を纏ったままこの死者の列に並ぶことになることを覚悟せよ』
十分に距離はとっているはずだというのに肌にピリピリとした感覚が伝わってくるのは、この人造が宿している強大なエネルギーを感じさせる。初期の態度は中立か、残念なことに非友好的といったところか。相手が生物であれば精神作用系の呪文によって情報を得ることは容易いが、『人造』種別のクリーチャーは基本的にそういった精神作用に対する完全耐性を有しているためその手段は取れない。
だが、そんな相手であったとしても知性を有しているのであれば会話は通じるのだ。呪文によってではなく、交渉を通じて情報を吸い出せばよいだけの事。今の俺であれば例え相手が敵対的であろうとも、僅かに言葉を交わすだけで相手の態度を激変させることが可能なのだ。
ランタンを足元に置き、武器を持っていないことを示すために掌を開いたまま相手の警戒心を煽らないようにゆっくりと両腕を左右に広げる。まだ何一つ言葉を発してはいない。だがすでに交渉は始まっているのだ。相手の意識をこちらに引き付けて、俺の動きに対するリアクションから詰将棋のように相手の行動と思考の先を読む。あとはその閃きを追いかけるように、言葉を投げかければよい──。