《コンティニュアル・フレイム/尽きせぬ炎》の熱なき光が室内を薄く照らす中、高電圧が奏でる音が響く。室内の中央を占める大型の設備と多数のケーブルに接続された金属的な球体一つに向けて、3対の視線が注がれていた。ケーブルから莫大な秘術エネルギーを注ぎ込まれた小さな球体が微かな変化を見せる。薄く青いヴェールを纏ったように光を放ち始めたのだ。
それを確認し、壮年の人間が手を上げるとその合図に応じて一体のウォーフォージドが、部屋の隅に置かれていた大型のハンマーを両腕で担ぎあげた。彼はそのまま部屋の中央へと移動すると、構えたハンマーを高く振り上げ、そして球体へと叩きつけた。大人の半身ほどもある鉄塊が3メートルほどの高さから打ち下ろされ、金属同士が激突する甲高い音が──発生しない。横から観察していれば、紙一枚ほどの隙間を挟んで2つの物体が接していないことが解ったかもしれない。その隙間は青い光で満たされている。それを人の目に加えて、多数の秘術計測器具が観察していた。繰り返し振り下ろされるハンマーに対し、計測結果が一定速度で送り出される紙の上に波打つ線として描かれていく。それを手に取った壮年の男が顎髭に手をやって思索に耽る。
「成る程……初めて聞いたときは眉唾ものだと思ったものだが、こうして実際に目にしてみれば信じざるをえんな。
情けない話だが、一体何がどうなってこんな結果に結びついているのか、今の私ではさっぱり理解が及ばないよ」
そういって男──ラース・ヘイトンは頭を振った。彼はそう言って部屋の中央の設備に繋がれた球体"ドセント"へと視線を飛ばしている。先程までハンマーを振るっていたアマルガムもその作業を止め、今は周囲の設備の点検を行っていた。
コルソス島の中央部、かつてサフアグンの襲撃に対しラースが籠城していた工房──ここはかつて、『夢の領域』の住人が創りあげた創造炉の一つが設置されていたという。その炉そのものは既にカニス氏族の手により移設され、今はシャーンの地下で管理されているが、広大な工房には"ウォーフォージド・タイタン"の一部と思われる巨大な四肢が、今もなお完成の時を待ち静かに横たわっている。
そんな工房の持ち主であれば、"ウォーフォージド・タイタン"の持つフィールドを突破する手段を発見できるのではないか──そう考えた俺は、レイド・ユニークである"タイタニック・ドセント"をラースの元へ持ち込んだのだ。それが今部屋の中央に置かれている球体の正体だ。これは文字通り"タイタン"撃破後に一定確率で入手できるウォーフォージド向けのパーツで、装備後にアクティヴにすることで一定時間、タイタンのフィールド劣化版を発動することが出来る能力を持ったアイテムだ。人間には装備できないにもかかわらずこのアイテムが俺のキャラクターの倉庫の中に入っていたのは、ゲーム中では性能的に優秀とはいえない効果であったためコレクターズ・アイテムと化していたことが原因だ。だが残念なことにその劣化版フィールドといえども、原理はラースの理解が及ばないもののようだ。
「話に聞いていたよりはフィールドの効果が弱いのは、おそらく供給されるエネルギー量の問題だろう。
巨大なウォーフォージドであれば、生成されるエネルギーの量も人型サイズと比較すれば莫大なものになるはずだ。
そもそも、古代の創造物は現代に作られたウォーフォージドからしてみれば非常に出力が優れている場合が多い。
今の人型サイズのウォーフォージドでは限定的な効果を、それも短時間持続させるだけで精一杯だろう」
いくつかの分析結果を睨みながらラースは推測を述べる。それは理にかなった上に、ゲームでの効果にも合ったものだ。
「複数体のウォーフォージドを連結してエネルギーを……いや、個体差のある生体波長を調律するのは一筋縄ではいかないな。
やはり専用の機能に特化したものでなければ本来の性能を引き出すことは出来そうもない。
それに内側からは自身の攻撃を通すというのであれば、フィールドのコントロールを行う知性が必要だろう。
現在はスローンホールド条約で新たなウォーフォージドを産み出すことが禁じられている事を考えれば、専用機を創るわけにもいかんしな」
最終戦争の終結を証だてるスローンホールド条約は戦争兵器として創造されたウォーフォージドに人権を認めると同時に、彼らを新たに産み出すことを禁じている。それを破ることは条約に調印している全ての国家と、ドラゴンマーク氏族を敵に回すことに等しい。それに必要となる創造炉自体が古代の希少な遺物を利用しており、一個人でどうにかできるものではない。
「──そうか、時間を取らせたな」
俺が知る限り最も高い秘術技工士としての技能を持つラースでも不可能ということであれば、あとはカニス氏族などといった組織の手に委ねなければならなくなる。だがそういった組織にこの技術を提供することは望ましくない。紛争の火種に繋がるからだ。いくつも同じアイテムを所有していればそれぞれにバラ撒くことで独占を防ぐといった事もできたのかもしれないが、流石にこんなアイテムは1つしか所有していない。倉庫代わりにしていたアカウントはウォーフォージドばかりでキャラを作っていたため、1キャラにつき最低でも1つはこのアイテムを持たせていたのだが、今それを言ってもどうにもならない。
だがラースはそんな俺を引き留めた。
「まあ待て。確かに原理はさっぱり理解不能だが、要はこのフィールドを相殺出来ればいいのだろう?
同種のフィールドを干渉させれば相殺できる可能性もある。まあすぐにとはいかないだろうが、ここは私に任せてもらおうじゃないか」
研究者としての好奇心を刺激されたのだろう。ラースはそう言ってフォローしてきた。従者であるアマルガムもハンマーを片付けるとこちらへとやってくる。
「差し支えなければ、私が実際に着用し使用してみましょう。
ゼンドリックで見出されるこういった品には、着用したウォーフォージドとの間に意志を通じ合わせることが可能な品もあると聞きます。
そこから何か手掛かりとなる情報が掴めるかもしれません」
アマルガムが言うとおり、TRPGでのドセントは全てが"知性あるアイテム"として扱われている。だがMMOではそういった処理はなく、単にACを上昇させる鎧相当のアイテムだった。しかし一部にはこの"タイタニック・ドセント"のように特殊能力を有していたり、着用者に呪文使用能力を与えるドセントも存在したことを考えれば、そういったアイテムには知性が存在していたとしてもおかしくない。
「それは最後の手段とすべきだな。知性あるアイテムの中には所有者の意志を歪めたり害を為すものもあるという。
まずは一通り調べるべきことを終えた後、万全の体勢で望むとしよう」
ラースとしても長年の相棒であるアマルガムに危険が及ぶ可能性があるなれば慎重な姿勢を取らざるをえない。ゲームから持ちだされたアイテムだからそういった危険性はないとは思うのだが、それを言った所で理解されるわけもないし保証にもならない。ここは彼らに任せるしかないだろう。
「しかしいいのか? リランダー氏族の仕事もあるだろう。ハザディルが捕縛されたことで大きな動きがあるんじゃないかと思ったんだがな」
この男が一度研究に没頭し始めると、寝食を忘れて一つのことに集中してしまうのは今までの経験上から明らかだ。シグモンドの娘、カヤにもその件で良く愚痴を聞かされたものだ。しかも今のラースはこの島におけるリランダー氏族の船舶に関して重要な立場にある身であり、そうそう長い時間を研究にかまけている時間はないはずだ。
「それがそういうわけでもない。
確かに精霊捕縛船が撃沈されたのは大事だが、動きは慎重だ。対潜戦闘経験など皆無の上、有効な対策もまだ打ち出せていないのだから当然だな。
一方で空の連中は主導権を握ろうと強硬な意見を出しているようだ。偵察のための飛空艇が既に先日ここから飛び立っているよ。
戦争が終わってから配備されただけに空の連中には実績と経験が不足しているのは明らかだからな、貴重な機会だとでも思っているんだろう。
その駆け引きの都合で、今のこの島は海と空に挟まれて宙ぶらりんの状態だ。そういうわけで時間については気にしなくてもいい。
勿論近いうちになんらかの動きはあるだろうが、それまでは好きにやらせてもらうさ」
そう言ってラースは部屋に設けられている小さな窓へと目をやった。その方向には建設が進んでいる飛空艇の係留塔がある。既に外装を残してほぼ完成に近づいたそれは稼働に支障はなく、塔の先端近くには三日月状の桟橋が水平に伸びており、そこには数隻の空船がその身を浮かべている。精霊が呪縛され、リング条となってその船体を包むことで浮力を得ているのだ。
ストームリーチのある半島はスカイフォールという名称で呼ばれており、それはその荒れた気候から名付けられたものだ。マインド・フレイヤー達の拠点たるレストレス諸島も半島の半ばほどに寄り添うように位置しており、その悪天候の傘の元に入っている。緯度的にはレッド・ウィローの発掘していた遺跡のあたりとなり、そこに飛行船で近づこうというのは命知らずな行為にほかならない。どんなに腕利きの船長であろうと、翼をへし折る乱気流と船体を焼き撃つ雷の中を進むなど自殺行為だ。
だが、リランダー氏族の一流の船長達はそんな常識など無視してその空を舞う。彼らの有する《嵐のマーク》は天候を支配する。望めば嵐を凪に、晴天を雷雨へ変えることが出来るのだ。それが空において彼らを不破の船へと為さしめている理由だった。望むのであれば敵にのみ落雷を雨のごとく浴びせることが出来るのだ。コーヴェアの空では彼らを妨げるものは皆無だと言ってよかっただろう。魔法の届かぬ高度を飛ぶ彼らはまさに偵察兵にもうってつけと言える。
だがここはゼンドリック。怪異と不条理、そして伝説が現存する大陸。空には悪天候だけではなく狂った精霊が乱舞し、雲の中にはクラウド・ジャイアントの城が浮かんでいると噂される魔境だ。コーヴェアの常識など通用しない。俺は彼らがせめて無事に帰還することを祈るばかりだった。
ゼンドリック漂流記
6-5.ディプロマシー
コーヴェアにおいて、飛空艇の発着場は見晴らしの良い広場に塔として建てられる。それはこの世界の飛空艇が精霊を呪縛することで浮力を得ており、一度飛び立たせてしまえば後は半永久的に浮かせ続けることが可能であるからこそだ。消費されるようなエネルギーはなく、船体の維持のために定期的にメンテナンスを行う必要はあるとはいえそれも数年おきのことだ。ズィラーゴのノーム達がゼンドリックのドラウの一派、ファイアー・バインダー族から盗み出した"精霊捕縛"の技術は、今やコーヴェアの文明にとって欠かせない存在であるといえよう。
だが、それだけではわざわざ塔を建てる必要はない。積載量は少ないとはいえ運輸にも使われる飛空艇の発着を塔で行うとなれば、荷物の積み下ろしに多くの労力を必要とすることとなる。それは何故か。理由は飛空艇が登場して間もない頃にある。
最終戦争の終末期に登場した飛空艇は、当然戦争目的に使用された。一方的な爆撃、地形を無視した少数精鋭の兵員の輸送、敵陣の浸透突破……それまで陸上戦闘に限定されていた戦局はこの兵器の登場で大きく変化するかと思われた。だが実際にはこの兵器は大きな欠点を抱えていたのだ──それはエレメンタル・リングと呼ばれるこの空船を飛行させている機構そのものにあった。秘術の力で展開されているこの輪は《ディスペル・マジック》によって抑止されてしまい、そうなった飛空艇が揚力を失いあっという間に墜落するという事例が発生したのだ。
勿論、戦場でそのような損害が発生することは当初から予想されていた。だが問題は後方の拠点基地で待機している飛空艇を狙った破壊工作だった。大枚を叩いて建造された飛空艇が呪文攻撃により破壊されればその損害も大きなものとなる。それを防ぐために当時考えられた策が単純なもので、「呪文が届かないほど高空においておけば良い」というものだったのだ。軍属の秘術呪文使いの検証によって決定されたその高度はおよそ250メートル。生半可な術師では解呪呪文が届かない距離を保ち、さらに不審者の接近を感知するために塔の周囲は開けたままにしておく。
そんなことをするくらいであれば地上に降ろし、屋根と壁で隔離すればいいと思うかもしれない。だが一度浮かんだ飛空艇はその船体を包むエレメンタル・リングが邪魔で接地することが出来ないのだ。そのためどうしてもある程度の高度を取る必要があり、その結果、各国の空軍は上で述べた方法を採ったのだ。
従来の軍から文字通り距離をおいたその措置は、結果として彼らに特権意識のようなものを植え付けることとなった。元々が新兵器の運用ということでエリートが集められていたことに加え、高所から俯瞰するその視点があたかも上位者であるかのような錯覚を彼らに抱かせたのかもしれない。やがて彼らはその"高さ"にこだわりを持つようになった。飛空艇が開発されてから6年で戦争は集結したが、今も建設される飛空艇の発着場はその高さを維持したままだ。コーヴェアから離れたこのコルソスやストームリーチにおいてもそれは変わることがない。
今俺はそんな塔の最上階付近に設けられた部屋の一室に来ていた。ここ数日で設えられたばかりである新品の調度品達が雑多な香りを室内に薄く漂わせている。それらはリランダー氏族の隆盛を示すかのように良品ばかりだ。1枚張りの大きな窓が飛空艇の発着場に向いており、そこでは2艇の空船がそれぞれ青と赤のエレメンタル・リングの色を鮮やかに見せながら接舷しているところだった。前者がウォーター・エレメンタル、後者がファイアー・エレメンタルを呪縛している飛空艇であることは言うまでもない。精霊はどの種類でも飛行能力を与え、速度に大きな差もないことで知られている。だが飛空艇の動力とするには巨人よりも大きなサイズの精霊を呪縛する必要があり、それを成しうる術者が少ないことが製造数を伸ばせない原因の一つとなっている。
俺がこうして塔の一室にいるのは、ラースを通じたリランダー氏族からの要請を受けてのことだ。ハザディルを捕えたこと、そしてかつてこの島に手を伸ばしていたマインド・フレイヤーの陰謀をラースと協力して打ち砕いた経験を評価されてのことらしい。今偵察から戻ってきた飛空艇の乗員からの情報を合わせ、今後の対策とするのだろう。ストームリーチの支配を目論んでいたハザディルが捕虜となりエレメンタルサブマリンを一隻失った今、マインド・フレイヤー達がどの程度の行動を起こすかは不明だ。だがヴォイド・マインドとしたハザディルをその自由意志のまま活動させていたからには、その行動が彼らの意に沿うものだったと考えるべきだろう。その場合、ハザディルを失っても新たな傀儡に同じような活動を行わせる可能性が高い。そうでなくとも地下港で俺はヴォイド・マインドを何十体と葬った上でウォーフォージド・タイタンと戦って生き延びている。船を失ったリランダー氏族が彼らに対するのと同様に、自分たちに対して害を成しうる存在に対して干渉を行ってくることは十分に考えられる。そういった意味でリランダー氏族とは利害が一致しているといえるだろう。
「"ウィンドスパイア・スパロー"級の軽飛空艇ですね。少ないクルーでも取り回せると聞きますし、偵察任務には適しているんでしょう」
発着場側の窓を覗きながらメイが口を開いた。その視線の先には青いリングを纏った全長40メートル弱の船が浮かんでいる。これは飛空艇のサイズとしては最も小さい部類に入るものであり、最大の"ストームグローリー・タイフーン"級ともなれば全長は100メートルを超えると聞く。ワンオフものなどを例外とすれば軽、中、重のそれぞれに2つ、計6つの級で飛空艇は分類される。一番小さなこの"ウィンドスパイア・スパロー"級で15人のクルーを運航に必要とし、30トンの積載量で空を時速30キロ程度で飛翔する。ここからレストレス諸島までは片道1,300kmほど。往復に4日かけ、偵察には1日をかけたというところか。
偵察船が往復するその間、勿論俺は何もしていなかったわけではない。ストームリーチではハザディル達からの情報の引き出し、ここコルソスではラースとの共同研究、さらには高額なアイテムの購入にシャーンへと飛ぶなど忙しい日々を過ごしていた。個人的にはフィアやルーから引き出せる情報に最も期待していたのだが、彼女たちは里を襲った脅威については話したものの、その理由については解らないとのこと。
これについては襲撃に参加したハザディルも同様に知らず、ただ彼は取引相手であるマインド・フレイヤーの指示で双子の里を襲ったのだが、返り討ちにあいそうになった所で仲間のうち何体かが突然ウォーフォージド・タイタンへと化身し、ドラウ達を薙ぎ払ったのを見ていただけだという。その後瀕死のところをヴォイド・マインドへと生まれ変わることで命を繋いだのだが、その儀式に時間がかかり、部下に指示して略奪品をレストレス諸島に輸送する前にストームリーチの倉庫に一時保管させていたところに俺がジェラルドからの依頼を受けてやってきた、という流れのようだ。
推測ではあるが取引を重ねている間に徐々にハザディルの組織をマインド・フレイヤー達が侵食していっていたのだろう。そしてフィアとルーの里に手を出させ、そこで何らかの目的を達した──それは俺達が倉庫から回収した略奪品や双子たちとは異なる別の何かだ。あれから半年、特にイスサラン達が積極的な行動をこの街でおこなっていなかったことからもそれは推察される。
そして今現在も、ストームリーチの街も表向きは平静を保っている。裏側ではハザディルから得た情報を元に色々と動きがあるようだが、住民の暮らしに影響が出るようなことにはなっていない。とはいえ全くの無警戒でいるわけにもいかない。そこで、外で行動することは常に二人以上で一緒にいることになっている。今日は外出する俺にメイがついてきた、というわけだ。
だがリランダー氏族からすれば、どちらかというとメイが本命なのだろう。最近名を上げだしたハーフエルフの秘術呪文使い。彼らとしてはぜひとも一族に取り入れたいと考えるはずだ。今日はその接点づくりというところではないだろうか。実際のところ彼女は別種のドラゴンマークを発現しているためリランダー氏族に取り込まれることはないのだが、それを知っているのは彼女自身以外には俺とマーザのみ。傍から見ればフリーの魔術師に見えるのだろう。遠回しといえども指名を受けた以上無視することは得策ではないという判断をし、彼女を連れてくることになったのだ。勿論相手方の意向についてはメイにも知らせてあるが、彼女自身は特定の氏族に所属するつもりはないということ。おそらくは今日の席でその意志を先方に伝えることになるだろう。
そんなことを考えながら外の景色を眺めているとノックの音が響く。応じて声を返すと扉が開かれ、ぴっちりした制服を身に纏ったハーフエルフが姿を表した。海と空を示す青を基調としたブレザーを着こなした少女は室内の俺たちを確認するとその小さな口を開いた。
「トーリ様、メイ様。会議室までご案内させて頂きます」
先ほどの飛空艇が到着して、まだ10分と経過していない。まずは氏族のメンバーのみである程度の話を進めてから俺達にも聞かせられる話へと移るものだと思っていたのでまだ暫くは待たされるものだと考えていたのだが、どうやらその予想は外れたようだ。腰を下ろしていた椅子から立ち上がると、案内に従って廊下をメイと連れ立って歩く。このフロアは廊下の上部に設けられた天窓から太陽の光を存分に取り込んでおり、室内だというのに屋外と変わらぬ明るさを保っていた。ともすれば目を痛めそうな白い建材は不思議と柔らかく日光を受け止めており、反射光で不快になることもない。階段以外にも秘術式のエレベーターが備えられていることなどからも、リランダー氏族がこの塔の建設に随分と力を入れていることが見て取れる。ゼンドリックに対する橋頭堡として、この島は海だけでなく空からも重要な地点だと認識されているということだろう。
正式にはまだ完成していないことから、発着場から繋がるこの廊下を他に歩く者はいない。3人のブーツが床石を叩く音だけが静かに響きわたっている。そうやって辿り着いたのは、フロアの中央部に位置する大きな部屋だ。重厚な両開きの扉が入り口を警護していた衛視の手によって開かれると、中にはラースを含めた8人ほどが中央の大きな丸テーブルを囲んでいた。その上に広げられているのはおそらく偵察部隊が取得してきたレストレス諸島の地図なのだろう。
「初めまして、私はここの責任者を氏族長より任されているオーレリア・ド=リランダーと申します。
高名な冒険者、そしてコラヴァールの同胞を招くことが出来て嬉しいわ。
ゆっくりと友好を深めたいところなのだけれど、ご存知のように今私たちは試練の時を迎えています。
まずはその脅威についての情報を共有したいと思うの。よろしいかしら?」
口を開いたのは正面に立つハーフエルフの女性だ。その円熟を感じされる風貌と物腰は、彼女が十分に経験を積んでいることを察させるに足りるものだ。身に纏ったグラマーウィーヴの衣装は首元から徐々に青さを深めており、その上半身が空を、今はテーブルに隠れて見えないが下側が海を示しているのだと思われる立派なものだ。装身具はいずれも流線型あるいは渦を巻く金属で構成され、嫌味にならない程度に彼女を飾り立てている。白い肌に薄い金の長髪が後ろで束ねられ、コーヴェア大陸で見られる典型的なハーフエルフの姿をそこに示していた。
「私たちの経験がお役に立てれば何よりです」
軽く一礼をし、空いている席へと誘導されるがその間もこの場にいる皆の視線は殆どがメイに集中していた。やはり関心の中心は彼女だということなのだろう。例外はラースと、あと一人の男だけのようだ。俺の右側にラース、そしてその向こうにオーレリアとその副官らしき人物、そして飛空艇乗りと思われる3人、最後に海側と思われる3人というように並んでいるのだが、飛空艇乗りのうち右側に立つ一人が強い視線をこちらに寄せているのだ。俺の記憶に無い、面識の無いはずの男。
俺はその視線に僅かな違和感を覚え、自分の記憶を掘り起こそうとし──その正体に感づいた。即座に脳裏に描いた秘術回路を展開。生み出された火球が小さな光点となってテーブルを飛び越え、飛空艇乗り達を巻き込んで炸裂する──その直前に、3人の中央に立っていた男が手元から何か小さな物を取り出し口を動かした。
「──《ファイアー・ボール/火球》」
男の手元の物質──おそらくは秘術構成要素──は俺が生み出したものより幾分か小さな光点となって飛び出した。そして2つの光点はテーブルの中央で軌道を干渉しあうと、お互いを相殺して消えてしまう。咄嗟のことに周囲の人々はラースを含めて何が起こっているのか理解できていないようだ。唯一メイのみが俺の行動から状況を把握し、腰元に差していた鞘からダガーを抜いて呪文の構築を始めている。だがそれよりも速く、左側の飛空艇乗り──そう見えるように幻術を纏ったマインド・フレイヤー──が呪文を完成させた! 一瞬遅れてメイの解呪呪文が完成するが、異形の放つ"力ある言葉"はその干渉を跳ね除けると効果を発揮した。
「──平伏せよ」
単純な命令が、強烈な意志と共に放たれる。《グレーター・コマンド/上級命令》と呼ばれる信仰呪文。その言葉が脳に浸透するや、周囲の皆は崩れ落ちるように伏せることを余儀なくされた。だがその思念波は不可思議なことに俺とメイには届かず、まるでわざと外したかのように影響を与えていない。勿論〈精神作用〉に対する抵抗は十分に備えているが、それ以前に相手の呪文の攻撃対象に俺たち二人が含まれていなかったのだ。だが問題はそんなことよりもメイの解呪呪文──《グレーター・ディスペル・マジック》が押し負けたことだ。エルフの秘術伝承により強化されたその呪文の強度は術式の限界まで達している。それになんなく抵抗したということは、相手の術者としての実力が22レベル以上であることを示している──オージルシークス以来、見ることのなかった"エピック級"のクリーチャーだ!
「バラーネク、不躾な視線を送るものではない。もう少しこの茶番を楽しんでおきたかったというのに、彼に気付かれてしまったではないか」
「失礼いたしました、猊下。我が未熟故にお楽しみを邪魔したこと、お詫び申し上げます」
そんな言葉を交わしながら彼らは纏っていた幻術の衣を脱ぎ捨てる。体格はあまり変化しないものの、その滑るような紫の肌と顎から伸びる太い4本の触手はハーフエルフには有り得ないものだ。マインド・フレイヤー。その異形を誤魔化していたのは《ヴェイル/覆面》と呼ばれる第六階梯の秘術呪文だが、《トゥルー・シーイング/真実の目》ですら看破できないよう他の呪文が重ねられていた。《クローク・オヴ・カイバー/カイバーの衣》。エベロン固有の、ラークシャサを始めとした悪の存在が秘匿している呪文だ。《トゥルー・シーイング》や様々な占術による正体の看破を防ぐ、嫌らしい呪文である。
おそらく連中は偵察に来たリランダー氏族の乗員達を貪った後、彼らに成りすましてここまでやってきたのだろう。触覚や嗅覚すら覆い隠す高位の幻術を、出迎えた氏族のエージェント達では見抜けなかったのだ。あるいは俺のように《トゥルー・シーイング》を使用していることで別人が成りすましているとは考えなかったのか。《クローク・オヴ・カイバー》はエベロンのサプリメントとはいえストームリーチを紹介した一冊の未訳本の、さらにサイドバーでしか扱われていないマイナーな呪文である。一般的には知られておらず、こうして使われているところを見るのは俺も始めてだ。それにより呪文による看破が出来ず、直接のやり取りが無ければ幻術を見破ることが出来ない。そして中央に立つ猊下と呼ばれたマインド・フレイヤーの呪文は見事な精度だった。俺以外の皆が誤魔化されていたのも仕方がないといえるだろう。
だが、今気にすべきはこの3体の目的だ。猊下、と呼ばれたことからおそらくはハザディルの背後にいたマインド・フレイヤー達の中でも中心となる人物であることは推測される。左側のマインド・フレイヤーは信仰呪文使い、そして右側の視線を咎められたバラーネクと呼ばれる個体は今や強力な思念波を振りまいていることから超能力の使い手であることが見て取れる。中央のマインド・フレイヤーが秘術呪文を使用したことからも様々な方向に技術を伸ばした集団であることは想像に難くない。そんな連中がここに侵入してきた目的は何だ?
その俺の疑問は相手の言葉によって解消される。いくつもの秘術回路を想起し、相手をどうやって効率よく、周囲に被害を出さないように殺害するかと思考を巡らせていた俺へと、中央のマインド・フレイヤーが声をかけてきたのだ。
「高次の秘術使いとの術比べは心躍るものだ──だが、今日の目的はそれではない。
呪文より言葉を交わそうではないか、ヒューマンよ。私はここにお前と交渉するために来たのだよ」
触手に埋もれた小さな丸い口からは先程から流暢な共通語が吐き出されている。猊下、と呼ばれたマインド・フレイヤーはそう言って対話の姿勢を示している。後ろに控えた2体のうち一方は相変わらずの敵意を俺へと向け、もう一方は無関心であるように見受けられる。とはいってもその白く塗りつぶされたような眼球には瞳といったものを見て取ることは出来ず、焦点がどこに向けられているのかを察することは容易では無いため全ては俺の推測に過ぎない。たっぷりと10秒ほどの時間、俺が相手の動きを警戒している間、部屋は無音で満ちていた。服従の呪文で縛られたラース達は今だ床に伏せ、その動きを縛られている。だがそれ以外に相手は一切の動きを見せなかった。どうやら対話の意志があるらしいということは本気のようだ。
「……猊下とやら、生憎とこちらにはアンタ方と交わせるような有益な話題がないんだがね。
それに実は人見知りでね、見ず知らずの化け物と歓談できるような精神は持ち合わせていないんだ」
とはいえ、気を緩めることは出来ない。今の俺には眼前の存在の脅威がどれほどのものか理解できている。3体のいずれもがTRPG基準にして脅威度20を超える怪物だ。呼吸をするように最高位の呪文を操り、精神の力で物理法則を捻じ曲げる超常の存在。その仕草の一つを見逃せばそれが即敗北に繋がるであろうことを考えれば、平静に会話など続けられるはずがない。
さらに憂慮すべきは目の前の3体が写身にすぎないということだ。俺の目には、その頭部からは通常は不可視のはずの薄い糸のようなものが伸びているのが見えている──シルヴァー・コード。実体と霊魂を繋ぐ霊的な糸であり、つまり彼らが生身の体ではなく物質界に投射された仮初の存在であることを示している。最高位である第九階梯、《アストラル・プロジェクション/アストラル投射》の呪文により構成された仮初の肉体は、例え破壊されても霊魂が肉体に帰還するだけでダメージが残らない。だがその呪文は装備品を含めて完全に同一な分身を構築する。つまり戦闘力は一切減衰せずに安全を確保したまま行動することが出来る、そういった状態に彼らがあるということだ。
だがその畏怖を振りまく脳喰らいは、その俺の反応を見て気を悪くするどころか心地よさげにその触手を動かし、表情を緩めてみせる。それは余裕のあらわれだ──高い〈真意看破〉が別種の生物の感情であろうともその心情を理解させるのだ。この世界にやってきて初めて、自分の高い技能と能力に対して否定的な感情が浮かぶ。
「──我々の実力を理解していながらそのような言葉が出るとは、やはり私が見込んだだけのことはある。
今もその精神を屈することなく、状況を打開すべく思考を続けているのだろう──素晴らしい!」
機嫌を良くしたマインド・フレイヤーのヤツメウナギのような口元から、人間でいうのであれば笑い声のような意味を持つ呼気が吐き出される。触手のヒダをその空気が通り抜けることで、不気味な音が室内に鳴り響く。
「──おっと、失礼。私ばかりが一方的に話をしてしまったな。
どうも事前の調査を含めてここ数日はずっと君という人物のことを考えていたために、こうして面と向かった今が初対面という気がしないのだ。
だが、ここ暫くというもの私は今この時を楽しみにしていたのだ。
自己紹介もまだだったね。私はイスサラン──事前にアポイントを取らずにこのように押しかける形になったが、どうか許し給えよ」
語られた名前は俺の想像通りのものだった。レイド・ストーリー《レストレス諸島》において出現する11体のマインド・フレイヤーを束ねる存在。『夢の領域』が残した武器庫を占拠し、その兵器で世界を蹂躙せんとした恐るべき異形の長。先日の戦いで姿を見せた"ウォーフォージド・タイタン"の様子からして、既に彼らはそのクエストにおける目的──武器庫の掌握を果たしている。こうして姿を見せていることを考えれば、戦争を行う準備が整っていると考えていいだろう。
「こちらの自己紹介は不要なようだから省かせてもらおう──だがよく御存知の通り、俺達は今重要な打ち合わせの最中でね。
用があるなら手短にしてくれ。歓迎されていないことくらいは解るだろう?」
例え戦闘になっても、相手に痛手を与えられない以上勝ったとしてもそれは徒労にすぎない。《グレーター・コマンド》で無力化されている他のメンバーも、身動きがとれないだけで精神的に不活性化されているわけではない以上おそらくは念話か何かで応援を呼んでいるはずだ。だがそれはさらなる犠牲者を産むだけだと俺には理解できている。ならば求められている対話の用件を済ませて早々にお引取り願うべきだろう。だがその考えは徒労に終わる。優秀なリランダー氏族のエージェントたちはSOSを受け取って、即座に《テレポート》によりこの部屋へと突入することを選んだのだ。
スリーマンセルによる転移突入。一人が《テレポート》の呪文を制御し、同行する二人が転移直後の硬直をフォロー、さらに敵性対象の排除を行うという洗練されたものだ──だが、そのような"当たり前"の対処は眼前の異形たちには全く通用しない。俺の目はバラーネクの体から伸びる不可視の触手が、転移によりこの部屋へと現れようとする3人を捕えたのを見た。強力な思念波により構築されたそれがアストラル界から顕現しようとするハーフエルフ達へと包み込んだかと思うと部屋の壁を通り抜けて伸び、侵入者達を廊下へと放り出したのだ。
強力な精神が近傍の空間を歪め、転移に影響を与えているのだ。廊下側では数度、硬いものを叩くような音がした後に静寂が戻る。微かに聞こえた足音は人間のものではあり得なかった。固く分厚い体毛が音を吸収していたそれはおそらくはバグベアのもの。いつの間にか扉の前にいた衛視は排除され、俺達はこの部屋に隔離されている。突入を図ったハーフエルフ達は当然腕に覚えのある戦士だったのだろう、だがそれを一息に無力化するほどの存在が外にいる。だがこの部屋の何人がそのことに気づいているだろうか。救援を呼んだ者は突如念話が途絶えたことで事情を察したかもしれない。いつの間にか敵の腹の中にいた──まさに今はそんな状況なのだ。
「ふむ……私としてはもっと会話を楽しみたかったのだが、長居をして騒がしくなることは望む所ではないな。
では残念ではあるがお楽しみは次の機会にとっておくとして、本題に入ることとしようか。
──私の元に来たまえ」
秘術や超能力は一切介さぬただの言葉。だがその言霊が強烈な意志を持って吐き出されたことで、それは俺の心を激しく撃った。堕落に対する欲求。恐怖に対する誘惑。そういった負の精神が理性を押しのけて頷いてしまえと体を動かそうとする。普通に考えればあり得ない選択肢。だが強烈な個性と圧倒的な存在感から放たれた言葉が、心の奥底に沈んでいる感情を暴き立てるのだ──我慢する必要はない、受け入れてしまえ!
「勿論、君の自由意志は尊重しよう──私としては非常に気持ちを揺さぶられる選択ではあるのだが、君が望まぬ限りその脳を味わうような真似はしないことも約束しよう。
だが、人間とはか弱くまた寿命も短い存在だ。われらの秘儀を受けることでそういった制約から解き放たれ、負のエネルギーをも寄せ付けぬ体になることはいずれ君にとって必要になるだろうとは思うのだがね。
望むのであれば君の仲間の同行も認めよう。孤独に慣れぬ身では近しい存在を心が求めるのは当然のことだ。それだけの価値を私は君に認めている」
イスサランは饒舌に言葉を続けた。それはその言葉を信じることが出来るのであれば素晴らしい条件だと言えよう。マインド・フレイヤーの支配の証である意志の束縛をせず、仲間に迎え入れようというのだから。そして望むのであればヴォイド・マインドとなることで寿命や老化といった人間であるがゆえの弱点からも解き放つという。先程から俺に対する殺気を止めないバラーネクとやらの不服な様子からして、イスサランの言葉は本気のように思える。
「それは随分な評価をどうも。だがそこまでしてもらう謂れもないはずなんだがな」
「どうやら君は随分と自己評価を低くしているようだな──いや、そうあるように振舞っているのか。だが君の秘術は他に類を見ないものだ。
私は随分と長い探求の末にある程度秘術を修めたものだと自負していたのだがね、君を見たことでそれが思い上がりであることを思い知ったのだよ。
既存の術式では成し得ない、あるいは遥かに洗練されたその体系は私にとってすら未知のものだ。
それを失うことは惜しい──そして例え脳から知識を得たとしてもそれを我が物と出来るとは限らない。
私はその探求の道を望んでいる。そしてそれには君の協力が不可欠なのだ」
俺の否定的な言葉を押しつぶすかのようにイスサランは語る。そしてその言葉から想像以上に自分のことが知られていることが解る。常に《マインド・ブランク》による占術防御を維持していたつもりだが、相手の調査能力はその上をいったということだろう。サイオニックには《メタファカルティ/天眼通》という、こちらの占術に対する防御など関係なしに情報を入手するパワーがある。それはサイオニックの中でも最高位の能力で、簡易的とはいえアカシックレコードのような概念へとアクセスし、そこから情報を引き出すというものだ。神格ならぬ身ではそこからは直近の薄い表層をさらうことが出来るのみだが、この異形にはそれでも十分な情報だったのだろう。
「私もこのバラーネクがパワーによる調査を行おうとして、君の仕掛けていた《スクライ・トラップ》に引っかかるまでは気づいていなかったのだがね。
本来であればあの呪文で与えうる限界を、遥かに越えた結果を君は残したのだ。私ですら事前に知らなければ一度命を失っていただろう」
「──猊下、その件については……」
「おっと、本人の前で話すような内容ではなかったか。だがその事実を見て、そして今こうして君本人と対面することでさらに私は感じたのだ。
アルゴネッセンの年経たドラゴンが為したというのであれば私は何も思わなかっただろう。
だがそれを行ったのが第六階梯に届いた程度の人間だとは!」
部下の言葉もイスサランの熱を冷ますには至らない。残った一体のマインド・フレイヤーは静かに周囲を睥睨し、ただ《グレーター・コマンド》で制圧した者達の動きを封じ続けている。海と空の支配者を自認するリランダー氏族の塔、その頂上の部屋の中に立つ3体の異形と、向かい合う俺とメイ。伏せたハーフエルフ達とラースはその異様な雰囲気に飲まれたのか、言葉ひとつ発さない。万が一余計な言葉でイスサランの勘気に触れるようなことがあれば、何が起こるかわからない。『狂気の領域』がこの世界に産み落とした闇。この広い室内はその1体が放つ気配だけで満たされてしまっていた。
「──ああ、また私だけが喋りすぎてしまったようだな。だが私の思いの片鱗は解ってもらえたのではないかな?
さあ、答えを聞かせてくれ」
その細い両腕を広げ、イスサランが俺に呼びかける。勿論、俺の返事など決まっている。
「──お断りだ、タコ野郎。人間がお前の足元に這いつくばると思ったら大間違いだぜ。
そんな提案に乗るのは心のイカれた狂信者だけだ。日の当たる所にお前の居場所なんてないんだ、大人しくカイバーへ帰るんだな」
叩きつけたのは決別の言葉だ。仲間の故郷を滅ぼした相手だとか他にも理由はいくらでも考えつくが、最も俺が強く感じたのは『この存在の意を通してはならない』という強い反発心だった。その呼称からしておそらくイスサランは上帝のエグザルフ、まさにこの世界に狂気と暗黒を撒き散らそうとしている悪そのものだ。『世界』そのものを腐食させる存在に下るという選択肢はあり得ない。それはこの世界にとって、そしてやがて帰るつもりである世界を守るためにも当然なことだ。
俺のその拒絶を受け、イスサランはその広げた腕と触手をうち震わせた。
「ククク……カカkakaka……Hahahahhhhhhhhhhh&%#'&%$#$%!%#$"!!!!!!!!!!」
広げた両腕と触手をうち震わせるだけでなく、感情の動きに従って身に纏った《イナーシャル・アーマー》が形を変えることで室内に風を巻き起こした。秘術だけでなく超能力についても極めているとみられるその異形の体から溢れているのは怒りではなかった。驚きと好奇心、喜びがないまぜになってまるで空気に色がついたかのように室内を圧迫している。
ひとしきり哄笑を続けた後、イスサランは伸ばしていた腕をダランと下ろした。その白い眼が変わらず俺を見据えている。
「なるほど、それも良いだろう。ままならぬ故に、手に入れた時の喜びもいや増すというものだ。
ならば私はその再会を劇的にするために趣向を凝らすとしよう──
悲嘆と絶望で熟成された君が、捧げ物として我がもとに献上される時が再会の時だ。
その時私は再び君に問うだろう。その答えを今から楽しみにしてるぞ!」
自らの圧倒的優位を信じて疑わないその言葉は、しかし確かに強烈な能力に裏打ちされていた。だがそれに対して床に這い蹲ったままのリランダー氏族の一人が呻くように声を上げる。
「人類がカイバーに屈することなどあるものか! ソヴリン・ホストと"先覚者"の怒りが必ず貴様達を焼き払う──」
だがその言葉は最後まで発されることはなかった。突然プツリと糸が切れた操り人形のようにそのハーフエルフは突っ張っていた四肢を弛緩させ、べちゃりと床に伏した。
「──囀るな、貴様らの発言は許可されていない。そのうえ猊下に対して直接口をきくなど、万死に値する」
そう声を発したのは向かって右側に立つマインド・フレイヤー、バラーネクだ。その掌にはいつの間にか拳三つから四つほどの大きさのピンク色の塊が乗せられていた──それは脳。強力な超能力が、あのハーフエルフの脳幹を抉り出したのだ。そして脳喰らいにとって好物であるはずのそれを、バラーネクは味わう価値などないとばかりに握りつぶす。血と脳漿が床へと撒き散らされ、静かな室内に水気の音が木霊した。
勿論俺はこのマインド・フレイヤーのことも警戒していた。だが恐ろしいことに、相手はこちらに対する警戒を維持したままでなお今の行動を成したのだ。たとえ俺が《ディスペル》を放っても相手はさらにその《ディスペル》を相殺してきたことだろう。《シズム/分離》、自身の内部に第二の精神を構築し超能力を行使させるパワー。そうやって構築された精神は当然主となる本体よりも弱いパワーしか行使できないにも関わらず、使用されたのは《ディーセレブレイト/除脳》という秘術であれば第七階梯に相当する能力だ。俺もチートにより高速化した呪文を併用して呪文を2つ使用することはできるが、眼前のこの超能力者はそれと同等の結果を素の能力で出している。脅威度20オーバーとは、存在そのものがチートといっても過言ではない。そんなマインド・フレイヤーが11体、さらに"ウォーフォージド・タイタン"を擁しているというのだから、人類社会を蹂躙することなど彼らにとっては造作も無いことに違いない。
「──無知とはかくも醜いものだ。だが、君たちに幸運なことに今の私は寛容さを持ち合わせている。
叡智に触れる機会を与えてあげよう。バラーネク、彼らを少し教育してやりたまえ」
「Yes, Your Holiness!」
哀れな犠牲者を一瞥したイスサランの視線は実に冷ややかなものだった。そして出された指示を聞き、頭を垂れたバラーネクの姿が霞んで消えていく。字面だけとれば確かに悪いことには聞こえない。だが、その言葉を発した存在の感性は狂気によって彩られているのだ。これから起こるのが碌でもない事であるのは疑うべくもない。
「では、私もこれで御暇することにしよう──再会の時を楽しみにしているよ」
だが、その犠牲は状況に変化をもたらした。興が削がれたのか、イスサランが退去を宣言したのだ。彼とその傍らに立つマインド・フレイヤーの姿が歪みながら消えていく。強力な精神力が空間を歪め、転移を引き起こしているのだ。だがその姿が完全に消える前に、イスサランの声が響く。
──ああ、バラーネクは少々教育熱心すぎるきらいがあってね……早めにそこを離れることをお勧めしておくよ
直後、響く爆発音。その方向に視線をやれば、そこには爆発している飛空艇の姿。係留されているうちの一隻が、炎と煙を吐き出して徐々にその高度を落としていく。そしてその艦内から外壁を打ち破って現れたのは忌まわしき"ウォーフォージド・タイタン"だ。その巨体は明らかに飛空艇の中に収まるようには見えず、地下港の時同様あの場で創りだされたのだろうと思われる。奴は沈みゆく船を足場に跳躍すると、塔の先端から突き出した飛空艇の係留所へと着地した。
いかに頑丈に作成されたとはいえ、想定以上の重量が負荷として加えられたことで塔の構造が軋み、音を立てる。それはまるで建物自体が痛みに対して悲鳴をあげているのかのようだ。その原因となった人造の巨人は、左腕の砲門を振り上げて唸り声を上げる。その巨体の上には、先程までこの部屋にいた脳喰らいの姿があった。
──さあ、教えてやろう──お前たちの無力さと、絶望という感情をな!
半年の空白を経て、再びこの島にマインド・フレイヤーの狂気が舞い降りたのだ。