ゼンドリック漂流記
4-9.アーバン・ライフ7
俺とラピスがストームリーチを離れた翌日の昼過ぎ、コルソスの港には一隻の大型船舶が入港していた。埠頭に近い木陰でその様子を見ていた俺とラピスのところへ、日傘をさして歩み寄ってくる女性が一人。
「聞いてた予定より1日遅かったじゃないか。"シャーゴンズ・ティース"でディヴァウラーに飲み込まれたんじゃないかと思ってたよ」
ラピスがその女性、ネレイドに声を掛ける。シャーンで会った時とは違い、日差しから肌を守るためか露出が低めで落ち着いた装いをした彼女はまるで深窓の令嬢といった雰囲気だ。確かにあの様子であれば海神に捧げられるヒロインの役回りとしても充分だろう。
"シャーゴンズ・ティース"はサンダー海をゼンドリックに向けて航海する際の最大の難所であり、最も多くの船を飲み込んでいる海域のことだ。
かつてはゼンドリック大陸の一部であった大地が砕かれて海中に没したその残滓が渦巻いており、取引しているサフアグンの案内人無しではまず無事には抜けることの出来ない複雑な暗礁と海流で満たされている。
その奥底では太古からサフアグンが戦い続けてきたロード・オヴ・ダストやアボレスの奴隷使いといった邪悪な存在が息づいているという噂だ。水面下の世界にも地上同様の時間の流れがあり、そこでは多くの王朝が興亡を繰り返しているという。
「ごきげんようラピス、そしてトーリ様。元気そうなお二人にまたお会いできて嬉しいですわ」
俺達の立っている木陰まで来ると彼女は日傘を地面の上に放り出し、その両手でラピスの差し出した手を包んだ。この二人としては久しぶりの再会になるのだろう、心温まる様子に一歩引いたところから二人を眺めていたのだが、残念なことにその時間が長く続かなかった。
「それに到着はスケジュール通りですわよ。お二人にバカンスを楽しんでいただこうと態と一日開けさせていただいたのですけれど、昨夜は楽しんでいただけたかしら?
ストームリーチでは他のお仲間の皆様もいらっしゃるようですし、なかなか二人きりにはなれないだろうと思って少し演出をさせていただいたのですわ」
その端正な顔にネレイドは悪戯が上手くいったとでも言いたげな笑みを浮かべ、ラピスの手を離すとくるりと大袈裟にターンして今度は俺の方へと向き直ってきた。
「トーリ様にはこちらを。今朝鉢植えから摘んだばかりの小枝をすり潰したお薬ですわ。一週間くらいしか保存が効きませんから、足りなくなったら私どもに申し付けていただければいつでも融通いたしますわよ」
薬包に包まれたその中身からは熟したフルーツのような香りがする。そして手のひらに乗せられたその品物の情報が解析されて俺の脳裏に映し出される──"ベラドンナ"、美しい女性の意味だがこの世界では"狼退治の毒"として知られている──その効能は"ライカンスロピーの治療"だ。
ライカンスロープに接触したことでその唾液などの体液から感染する病、ライカンスロピーに罹患したものが1時間以内にこのベラドンナの小枝を食べることで治療を行うことが出来るというのがこの品の特徴だ。とはいえ本来毒であるがゆえに、暫くは筋力の低下といった副作用をもたらすこともある取り扱いの難しい品物だ。
ネレイドが言ったとおり採取して一週間程度でその効能が失われてしまうこと、そして現在のエベロンではライカンスロープは絶滅していると一部では考えられているほど数が少ないため、入手が難しいことからなかなかに稀少な品である。
「僕をそこらの半端な連中と一緒にするなよな。自分の能力くらいきちんと制御してるし、他人に感染させるようなヘマはしないさ」
馬鹿にされたと思ったのか、不機嫌そうにラピスがネレイドを睨みつける。ライカンスロピーの感染が発生するのは中間形態と呼ばれる半人半獣の姿か、完全な動物の姿となっているときに限られる。後天的に罹患した者と異なり先天的なライカンスロープ達は完全に自らの変身能力を制御しており、満月の影響で望まぬ変身を行うことはない。
そんな事情を知っているはずのネレイドはころころと笑いながら俺の後ろへと回りこんで背中からしなだれかかってきた。俺を盾にしながら肩の上から顔を出し、ラピスの方へ向かって挑発を続ける。
「あら勿論そんな心配はしてないわ、貴方の事は良くわかってるもの。
私のこれは恋人たちへのプレゼントよ。殿方を虜にするには努力を怠らぬことが必須ですし、せっかくの特徴なのだからそれを活かさない手はないわ。
今のうちから色んなことを試しておかないとそのうち愛想を尽かされてしまいますわ──良ければ私が手管を教えて差し上げますわよ」
真横にあったネレイドの表情が一瞬揺らいだかと思うとその直後にはラピスと瓜二つの顔が現れていた。ご丁寧に中間形態であり、猫耳も生えているようだ。スカートをまくり上げてこちらの太腿に絡めるように動く尻尾も艶めかしい。
その唇の隙間からザラついた舌先を覗かせながら彼女の顔がこちらに近づいてくるが──突如その顔は俺の視界から消え失せた。横合いから伸ばされたラピスの指がネレイドの生やした猫耳を引っ張るようにして彼女を俺から引き剥がしたのだ。
「痛い、痛いですわ! ちょっとは加減してくださいませ!」
「自業自得って奴だよ。折角の提案だけれど遠慮させてもらうよ、生憎と間に合ってるんでね」
手を振りほどこうとするネレイドと、器用に立ちまわって絶妙な力加減を加え続けるラピスはくるくるとその場で位置を入れ替わりながら取っ組み合いを続けている。服装まで変化させなかったことで見分けが付いているが、それがなければどちらが本物のラピスか見失ってしまいそうな状況だ。
「再会の挨拶はその辺にして、そろそろ仕事の話をさせてもらってもいいか? 頼んでおいたものは用意出来てるんだろうし、船に案内してもらいたいんだが」
見ていて飽きのこない光景ではあるが、そろそろネレイドに助け舟を出してやるべきだろう。俺の言を受け入れてかラピスはようやく手を話し、ネレイドは元の姿へとその肉体を変化させた。
「そうですわね。それじゃ我々の船に参りましょう。申し付けいただいた用件も済んでおりますし、きっと結果にはご満足いただけると思いますわ!」
先程の妖艶な雰囲気はどこへいったのか、再び子供のような笑顔を浮かべてネレイドは日傘を拾うとラピスの腕に組み付いて引っ張るように桟橋の方へと歩き出した。ころころと変化するその表情は彼女の性向なのかそれともネレイドというペルソナ特有のものなのか。
そんな彼女に慣れているのか、ラピスも先刻の剣呑な気配を消し仕方がないといった様子で付き合っている。ひょっとしたら二人のシャーン時代はいつもこんな感じだったのかもしれない。なんというか、周囲の連中は随分と大変な目にあっていたに違いない。
そのような事を考えながら俺は二人の後を追って歩き出したのだった。
† † † † † † † † † † † † † †
「──この直下で間違いなさそうだ。船を少し離れさせて待機しててくれ」
ネレイドと合流した翌日から俺達はサルベージ作業を開始した。俺が事前に依頼しておいたこの島周辺の海図と沈没した船の情報の精度は非常に優れたもので、指定された位置に船を進ませるとすぐに《ロケート・オブジェクト/物体定位》の呪文に反応があった。
通常であればここから潜水夫達を組織して海中の船へとアプローチを行うのであろうが、勿論そんな普通通りの作業なんて行うつもりは俺にはない。"タイランツ"の用意した猶予期間は1週間で、それを過ぎると出航を足止めしていた同業者たちの船がこの辺りに到着するだろう。
いくら船主から債権として沈没船の権利を購入しているとはいえ、それが機能するのは船を引き上げてからの話だ。沈んでいる間に宝物を攫われてしまっては権利書なんてただの紙切れに過ぎない。彼らが到着してこの海域を荒らし始めるより先に、出来るだけ戦果を挙げる必要があるのだ。そしてその為の用意が俺にはある。
「《レイズ・フロム・ザ・ディープ/深海よりの浮上》!」
《フライ/飛翔》の呪文によって空中に浮いたままの俺が1分の詠唱の後に開放したこの呪文はまさにこんな時にうってつけのものだ。編み上げられた魔法の力場が海面下200メートルに沈んでいた船に絡みつくと、その破損した船体を海上へと引き上げる。
船体中央を竜の吐息によって両断された沈没船が海面から姿を現すと、"タイランツ"の船から歓声が上がった。やはり"呪文大辞典"で収録された呪文は一般的ではないようだ。特にこのような用途の限られるものについては尚更だろう。
舷側に搭載されていた小型船に揺られラピスとラース、アマルガムが沈没船へと取り付いたのを見て俺もそちらへと合流する。
「まったく便利な呪文だなトーリ! 確かにこの効果が何時間も続くのであれば浮上させたまま修理することも出来るな。
飛び散った船の破片も一緒に浮かんでくるところがありがたい。これであれば呪文ですぐに修理してしまえそうだよ」
昨日の午後、工房を訪れた俺がラースに計画を話すと彼はすぐに協力を申し出てくれた。充分な実力を持った"アーティフィサー/秘術技師"であるラースの協力は俺にとって非常にありがたいし、彼も俺の話した新呪文に興味があったようだ。気分転換も兼ねて久しぶりに外へと出たラースは外の太陽を見て随分と眩しそうにしていた。
「警戒を怠るんじゃないよ。沈没船には"アンデッド"が付きものなんだし、船の中に入り込んでた海の生き物がトーリの呪文で一緒に運ばれてきてるかもしれないんだからね。
修理は他の連中に任せて、僕たちはお宝の捜索と安全の確保だけ考えてればいいんだよ」
ラースの浮かれた様子を見てラピスが釘を差した。俺もトレジャーハント気分であったが、彼女の言葉で気を引き締め直す。彼女の言うとおり、沈没船などこの世界ではアンデッドの発生する絶好のシチュエーションと言えるだろう。
「このアマルガムがいる限り、ラース様やご友人方に危害は加えさせません。まずは私が先行いたしましょう」
以前と変わらぬ忠誠心を発揮したウォーフォージドがそういって船体の破損部分から体を滑り込ませた。それに続いてラピス、ラースと続き最後に俺が進む。すっかり水が抜けたとはいえ、長い間海中にあった船体には藻が大量に入り込んでおりまた時折海老っぽい小さな生物が俺達の足音から離れるように飛び跳ねているのがわかる。
サメやウツボのような水中でしか呼吸の出来ない生物であれば脅威にはならないが、サフアグンのように一時的な陸上活動が可能なものが一緒に引き上げられていると厄介だ。それにラピスが言ったように溺死者がアンデッドとなった場合非常に凶悪な存在となることがある。
《ディテクト・アンデッド/アンデッドの感知》の呪文により大部分に危険がないことは判明しているが、この呪文は金属の壁などによって遮られてしまうため探査は完璧ではない。ジリジリと警戒しつつ、俺達は予め入手していた船体の図面に従って部屋を一つずつ探索していく。
沈んでいく船からの脱出に失敗した乗客の死体もその多くは体を海に住むものの養分とされたのか、骨だけの姿となって様々な場所に横たわっている。彼らについては後ほど船の修理を行う作業員たちが身元のわかるものを回収し、目的地だった港に届けることになる。
そんな気の滅入る探索を暫く続けた後でついに最後の部屋、占術対策か壁を薄い鉛で被膜された貨物庫へと辿り着いた。後部区画の下層をまるまる宛てがわれたこのエリアはこの船の中で最も広いが、幸いなことにドラゴンのブレスの射線上から外れていたために派手な損傷はない。
ラピスがあっという間に扉に掛けられていた鍵を無力化すると、彼女と立ち位置を入れ替えて前へと進んだアマルガムが扉を開いた。木箱の並べられた船室の中央、そこには何体かの死体が転がっていた。他の部屋とは違い魚などが入り込まなかったせいか、骨以外も残っているがそれがかえって猛烈な悪臭を放っており鼻孔を強く刺激してくる。
僅かな隙間から水だけが入り込んだのだろう、排水も済んでおらず足場は僅かな厚みのある水で覆われている。果たしてこの船室に閉じこもった犠牲者達は何を思ったのだろうか?
そんな思考も悪臭に混ざって感じられる不死者の気配を受けて緊張状態へと切り替えられた。だが他の皆への警告の声をあげようとしたその瞬間、突如俺の口内は水で満たされた──"溺死者のオーラ"、ドラウンドと呼ばれる恐るべきアンデッドクリーチャーの持つ特殊能力の効果範囲に既に俺達は収まっていたのだ。
自らの死に様を伝染させるべく放たれているそのオーラの範囲内では陸上の生物は皆等しく呼吸器を水で満たされ、間もなく窒息することになる。口内が水で満たされては呪文の詠唱も出来ないし、この水は僅かな動きとはいえ肺へ入り込もうと蠢いてくるのだ。ただ息を止めるだけはこの溺死から逃げることは出来ない。
一刻も早くこのオーラの発生源を排除する必要がある、そう判断した俺の前でいつもと変わらぬ動きを見せたものがあった。アマルガムだ。
ウォーフォージドである彼は呼吸の必要がなく、この状況でも変わらぬ動作で一気に敵との距離を詰めると猛烈な勢いで起き上がりつつあったアンデッドに体当たりを行った。鉄と木から構成された彼の質量は同じ大きさの人間の比ではなく、標的となった溺死体はその勢いをまともに喰らい、水飛沫を上げて船室の奥へと押し込められる。
「よくやったぞアマルガム、そいつから離れろ!」
そのウォーフォージドの稼いだ距離は千金に値するものだった。最後列に居たラースが"溺死者のオーラ"の範囲外となり、自由に行動できるようになったのだ。ラースは手にしたお手製のロッドを振り上げ一言詠唱すると秘術のエネルギーを解放する。
その一動作でロッドに取り付けられた3本のワンドが同時に起動し、それぞれが放つ3本の火線が部屋の対角へと降り注いだ。秘術技師の"鼓吹"と呼ばれる技術により改造を施されたロッドはラースが一振りする間に二度瞬き、都合18本の《スコーチング・レイ》が溺死者の体へと殺到する。
1本あたりの火力は俺の同じ呪文ほどではないといえ、この物量は圧倒的である。小さな村一つなら単体で壊滅させるほどの脅威を持つアンデッドといえどこれには抗しきれず、黒煙を上げながら崩れ落ちた。
「どうやらアイツ1匹だけだったみたいだな。もうこの部屋の中にはアンデッドのオーラを感じない」
俺のその声を聞いてラースが再び振り上げていたロッドを下ろし、アマルガムはなおも室内を警戒しつつ部屋の奥からこちらへと戻ってきた。
「……ケホッ、沈没船を引き上げに来て溺死させられそうになるとはね、連中の仲間入りは勘弁だよ。二人は随分と的確に動いてたみたいだけど、この辺りじゃ珍しくないアンデッドなのかい?」
口の中の水分を吐き出しながらラピスが声を出す。例のオーラの効果範囲は半径6メートルほど。この手の能力は壁等によって遮られるから扉を開くまでは気付かなかったという訳だ。もう少し近くにあのクリーチャーがいたらアマルガムの突き飛ばしでもラースを効果範囲外に逃がすことは出来ず少し面倒なことになっていただろう。
《呪文音声省略》という特技を持つ俺であるが、水を口内に溢れさせながら平静に呪文を行使できたかと言われると若干の不安がある。スペック的には問題ないはずではあるが、一抹の不安は残るものだ。そういった状況での訓練も積んでおくべきかもしれない、と教訓を胸の内に刻む。
「アレは水の深みで命を落としたものが転じる"ドラウンド"と呼ばれるアンデッドだ。土地がら島の浜辺に現れることもあるので、我々が連中を見たのはこれが初めてというわけではない。
村の結界の中に入り込むことはないのだが、漁に出たものが船上で溺死させられる事件が発生することはある。友好的なサフアグン達がこの周辺に住んでいた頃は彼らが対処してくれていたのだがな」
ラースが先程のアンデッドについて解説してくれた。ゾンビのような外見だが動きも普通の人間程度の機敏さであり、疲れ知らずでもあるからまず逃げることは出来ない上に非常に打たれ強い。
先程の《スコーチング・レイ》乱舞も決してオーバーキルではないというのだからとんでもない話である。
「そういえば随分と派手な攻撃だったな。それが研究の成果ってやつか?」
俺の視線は彼の持つロッドへと向けられた。鋼鉄製のそれは革が巻かれた持ち手側と先端側ではっきりと二つの部分に分かれている。持ち手側は丁度握りやすいほどの太さであるが先端側の直径はその2倍ほどはあるだろうか。
その太い棒状の側面には3本の溝が掘られており、そこにワンドが収められているのだ。
「ああ。"ロッド・オヴ・メニィ・ワンズ/ワンド多連装ロッド"といって、最終戦争の際に研究されていたものの一つだ。費用がかかりすぎる上に過剰な火力が不要とされて採用はされなかったのだが、強敵を相手取る際には心強い品だ。
あの白竜のような強力な呪文抵抗を持つ相手には通用しないだろうが、まずは威力を追求しようと思ってな。先程の連射も私の秘術技師としての技術によるものだ。効果は見ていただいた通りだよ」
普通は一度に1本しか起動できないワンドを3本同時に起動させるというこのロッドの威力は確かに絶大だが、その分ワンドに込められた秘術のエネルギーを消費する。今のロッド一振りで金貨1,500枚相当と考えればそのコストパフォーマンスの悪さが解っていただけるだろうか。
確か"魔道師大全"という後期のサプリメントで紹介されたアイテムで、日本語で展開された公式リプレイではさらに極まった使い方が紹介されていたが、その部分は彼の秘術技師としての能力でカバーしたのだろう。
火力という意味では俺が自分で発動させる呪文のほうが遥かに高くはあるが、常識の範囲内で望める高火力としては非常に有効な手段だろう。手札の一つとして持っておくのは悪いことではないと判断し、他にも何か作っているのかと俺は暫くラースと話を続けた。
「まあ世間話はそのくらいにしておきなよ。この船の安全の確保は終わったんだし外で待ってる連中に連絡して次に行くとしよう。今日中にあと2隻は片付けておきたいんだからさ」
会話している間に部屋の中の調査を一通り終えたようで、ラピスが俺たちをせっついてきた。確かにその通り、俺達は次の沈没船へ向かうべきだろう。通路を戻り、甲鈑に出て合図を送ると作業員たちが乗った小型船がこちらへと近づいてきた。
俺の使用した秘術の効果で細かい破片となって飛散した船の部品すら海の上に漂っている。彼らはそれを回収し元の位置に嵌めこむと秘術を使用して修復を開始した。《リペア・ライト・ダメージ/ひび割れ修理》という低位の呪文ではあるが、船体の耐久を投錨して浮かんでいられる程度まで回復させるのが目的なので充分である。
その様子に満足した俺は一度母船へ戻り、ネレイドの海図に記された次の目標地点へと向かうとそこでも同じ作業を繰り返すのだった。
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予定していた一週間は瞬く間に過ぎていった。俺達が引き上げた船は20隻を越え、その中には勿論俺が求めていたシベイ・ドラゴンシャードを満載した船も含まれている。レベルアップに使用できる大型のものだけを選んだにもかかわらず、充分な量を得ることが出来た。今後はドラゴンシャードの入手に頭を悩ませる必要はないだろう。
その他の多くの積荷も回収されたが、その大部分はタイランツへと渡った。いくつか興味深い魔法のアイテムなどは俺に優先的に回してもらったが、芸術品や宝石などの財産価値しかない物は特に必要としていないからだ。
現在コルソスの村では住民達が急ピッチで船の修理を行なっている。大型船舶を収容できる乾ドックはないが、元々寄港地としてある程度の修理が行える施設は持っていたのでそこをフル回転させているのだ。全てではないが、質の良い何隻かの船は修理して販売することで利益が出ると判断されたのだ。
周囲の海域に新たなサフアグンの部族がやってくるまでこのサルベージは続けられるだろう。サフアグンから見れば沈没船は海の神ディヴァウラーに捧げられた供物であり、それを奪っていく行為は許されないからだ。だが幸いこの周辺のサフアグンはセリマスらによって一掃されているため、まだ暫くこの好景気は続くだろう。
サルベージのための呪文はラースが秘術技師の"鼓吹"で再現していたし、この島での作業中に『クウィル・オヴ・スクライビング』と呼ばれる魔法のアイテムで巻物を何枚か準備しておいた。これは魔法の羽ペンで、アイテムの起動と同時に呪文を用意しておけば後は自動でスクロールを作成してくれるという便利な代物だ。
勿論巻物の作成に必要な物質要素やエネルギー──俺にとってみれば経験点──を必要とする点は変わらないが、巻物作成の作業時間中に別の作業が出来るのがありがたい。それこそ寝る前や酒を飲みに行く前にこのアイテムを起動しておけば、あとは羽ペンが勝手に作業をしてくれるのである。
今俺はそうやって準備した巻物のうちの幾つかを鞄に入れてネレイドの元を訪れていた。彼女が連れてきた作業員──大勢のメイジライトと呼ばれる秘術の基礎を修めた秘術職人の大半は食事こそ酒場でとっているものの夜は船の自室に帰っているが、ネレイドをはじめとする数人は"波頭亭"に部屋をとっている。
俺が彼女の部屋の扉をノックするとすぐに内側から扉が開かれた。
「いらっしゃいませ、トーリ様。ちょうどお茶も入れたところですの、どうぞお入りになって」
顔だけを扉の影から出しながら綺麗な笑みを浮かべ、こちらを見上げる彼女はそういって入室を促した。彼女の言ったとおり、部屋のテーブルの上には彼女が船から持ち込んだのであろうガラス製の丸いポットの中で茶葉が舞っているのが見えた。
そのポットを囲むように置かれた2つのコースターの上では、程良く温められたカップが中身が注がれるのを待っている。初めて会ったときの服装のように大きく開けた背中を魅せつけて、優雅にターンした彼女は俺の手を引いて椅子まで案内すると紅茶を注ぎ始めた。
コースターに込められた秘術の力か、適温に温められたカップが黄金色の液体で満たされていく。最後の一滴が波紋を広げるとそこから甘みのある香りが広がってきたように感じられる。勧めに応じて口を付けるとその芳香を裏切らない味が口内に広がった。
《コンティニュアル・フレイム/尽きせぬ炎》を放つ器具に覆いを掛けたことで薄暗く照らされた室内とテーブルの上の紅茶にお菓子。宿屋の一室だというのに非常に落ち着く環境が整えられていることに驚きだ。
「お口にあったようで良かったですわ。シャーンにいらっしゃった際は渋めのものを好まれていたので少し不安だったのですけれど、こういうのも悪くはないでしょう?
ミルクを入れてもとても美味しいんですわよ。あの子は煮出しの時点でミルクをいれたものが好みでしたわね」
子供と女性は甘いものが好き、というのはきっとどの世界でも通用することなのだろう。そしてそれはどうやらラピスにも当てはまるようだ。ネレイドと会話していると必然的にラピスの話題になることが多いのだが、そこでは随分と俺の知らなかった彼女の姿を教えられている。今日のこの件もその一つになるだろう。
「これはシャーンに居た頃私が良くあの子と飲んでいたお茶ですの。いくらか余分に持ってきておりますので良かったらお持ち帰りくださいな」
俺自身は紅茶の入れ方なんて詳しくはないのだが、その辺りはメイに任せれば上手にやってくれるだろう。紅茶の味わいをしばし楽しんだ後、コースターにカップをおくと陶器が触れ合う硬質の音が響いた。ネレイドはそんな俺の様子をニコニコとしながら見ている。テーブルに両肘をついて、頬の両側に掌を添えた姿勢だ。
「随分とご機嫌だね」
「それはトーリ様を部屋にお迎えできたからですわ。こちらに部屋をお借りしてから毎晩お待ちしていたのですけれど、最後の夜まで焦らされてしまいましたわね。
でも今となってはそうやって待っていた時間もスパイスの一つとして感じられますわ」
彼女がそう言って片手で片側の髪を後ろへ撫で付けると、今まで目立たなかった胸元に深く切りこまれたスリットから肌色が広がって見えた。変身能力によるものではなく、その仕草一つで身に纏う雰囲気を変えるその技術は彼女が一流であることの証か。
紅茶よりもさらに甘い香りが彼女から薫ってくるようだ。男の脳を痺れさせるような魅力に飲み込まれそうになるが、ここで主導権を奪われるわけにはいかない。頭の芯に氷のような冷静さを保ちながら会話を続けることを選ぶ。
「それは申し訳ないことをしたな、皆のまとめ役をしていたようだったからきっと忙しいものだと思ってたよ。
せめて気が休まるようにと思って用意したんだけど、せっかくだから受け取ってくれないかな」
そういってテーブルの上に手を伸ばし、掌を返すとその上には手のひらサイズに纏められた可愛らしい花束が現れた。シャーンで会っていた部屋には様々な花が飾られていたが、その様子から彼女の好みそうなものを予めストームリーチで購入しておきブレスレットに格納していたのだ。
たった今手折られたばかりのような瑞々しさと香りを振り撒いているのは収納されている間は時間が止まっているように扱われるアーティファクトの効果のためだろう。コルソスでは栽培していない品種でもあり、《手先の早業》で取り出したようにも見える突然の行動が彼女の思考に一時の空白を作る。
「まあ、ありがとうございます。いつの間に私の好みをお知りになられたのかしら? 素敵なプレゼント、感謝いたします」
紅茶セットが置かれた小さなテーブルの上で俺が伸ばしたその手を彼女の両手が包むように覆った。テーブルが小さいためこのままお互いが身を乗り出せば顔がくっつきそうなそんな距離感ではあるが、俺は指先で浮かせた花束を彼女の両手のひらの上へと運ぶとそのまま背もたれに体重を預けるように身を引いた。
「それ以外にも渡すものがあってね。サルベージに使った呪文の巻物が随分と余ってしまったんだ。今後の作業に良かったら使ってほしい」
そう言って鞄から巻物を出す。今回コルソスに来たメンバーの中には第四階位の秘術を行使可能なスタッフはいない。それは目の前のネレイドも含めてであり彼女たちでは自力で《レイズ・フロム・ザ・ディープ/深海よりの浮上》の呪文を使うことは出来ないが、巻物から発動させるのはある程度の技量があれば可能で、彼女たちなら不都合はないはずだ。
1枚は残しておく必要があるだろうが、他は使い切ってしまってもシャーンに戻れば残した巻物の内容を呪文書に書き写すことの出来る術者に委ねることで巻物自体の生産が可能になるはずだ。少なくともサイラスと同程度の術者を何人か擁しているはずではあるし、その辺りは心配要らないだろう。
「あら、珍しい呪文ですのに。よろしいのですか?」
「別に門外不出の呪文って訳でもないし、既にラースが"鼓吹"で模倣できるようになっているからね。沈没船を引き上げる以外にも航海中に船が破損したときに使えば沈没までの時間を稼げるし、その間に応急修理することだって出来るだろう。
俺としてはこれからも君たちとは仲良くしたから、シャーンとストームリーチを安全に行き来できるようになってくれればそれで嬉しいのさ」
「ありがとうございます、きっと皆も喜びますわ──でも意地悪ですわね、そこは『これからも私と仲良くしたい』と言って欲しかったですわ」
寂しそうに、驚いたように、そして少し拗ねたようにと表情をうつろわせながらもネレイドは俺との会話を続ける
「気が利かなくて済まないね。まあ巻物については実際に余り物だから構わないよ。本当はこいつらを使ってもっと短期間で済ませようかと思っていたんだよ」
ラピスであれば第四階位の呪文を完全に使いこなすことが出来るし、作業員の人数にも余裕があったので実際には俺とラース、ラピスの三人が別行動してそれぞれで引き上げ作業を行えば当初の目標だったサルベージ作業を数日前倒しで終了させることが出来ただろう。
だがその提案は目の前のネレイドによりやんわりと否定された。それどころか彼女は次々と追加のサルベージ計画を提案し、結局予定通りの一週間をこのコルソスで宝探しをして過ごすことになったのだ。確かにドラウンドのような脅威が存在する以上チームを分けることは危険を大きくすることになるが、それ以外にも何か目的があるように感じられた。
俺達に危害を加える事が目的ではないことは彼女の様子から判断できたが、念のため細かい事情を把握しておきたい。今回の俺の訪問はそういった目的があってのことだ。
「……そうですわね、トーリ様にはお伝えしておいたほうがよろしいでしょう。せっかく来ていただいたのですし、無粋な駆け引きで時間を浪費するのは勿体無いですわね」
そんな俺の心情を察したのだろう、ネレイドは僅かな沈黙の後にそう言った。どうやって彼女から情報を引き出したものか悩んでいた俺からすればありがたい事であるが、これも日頃から彼女らと培った友好関係のおかげだろう──俺の態度があまりに露骨だったせいかもしれないが。
「トーリ様はラピスがシャーンに居た頃の話をどの程度ご存知?」
立ち上がった彼女は部屋の隅に置かれた棚へと近づくとその上に置かれていた薄手のヴェールを持ち上げ、そばにある照明の上へと被せた。光が一段と遮られたことで室内はさらに暗くなり、再び正面の椅子に腰掛けたネレイドの顔が滲んで見える。
トーダウンした彼女の声と相まって部屋の雰囲気は一気に様変わりした。やはり場を状況に相応しく整える能力について彼女たちは非常に高いレベルにあるようだ。視覚から与えられる情報が減った分のリソースを思考に回し、彼女の言葉に応える。
「そうだな、以前シャーンに滞在した際に君に聞いたよりは少し詳しい程度には知っていると思う。派手に暴れすぎたせいであの街にいられなくなったって話だけど」
この滞在の間ラピスとは長い時間を過ごした分、いろんな事を話したりはしているがそれはラピス視点のものであるし別方向からの情報を得ておいたほうが良いだろう。ネレイドがこう話を振ってくるということはおそらくこれからの話はラピスの過去に関わるものなのだろうし、彼女の口からも改めて事情を聞いておきたい。
「そうでしたか。では私からも少し詳しくお話いたしましょう……彼女が追われたのはシャーンだけではありません。おそらくコーヴェアの都市であればどこへ行っても彼女は狙われる怖れがあります。
もちろん僻地の町や村であればその限りではないでしょうけれど」
そして放たれた彼女の言葉は非常に重いものだった。ガリファー王国が一つであった時代ならともかく、最終戦争を経て五つ国へと分断された今は国境を超えてまで追ってくる捜査官は非常に数が限られており、その分彼らが追う対象は絞られている。
賞金稼ぎであれば金額次第でどこまででも追っては来るだろうが、それであればゼンドリックだとて同じことだ。彼女がコーヴェア大陸に範囲を限定したのは何か理由があるのだろう。俺は話の続きを聞くべく、ネレイドを促した。
「ラピスがシャーンで私たちのところで用心棒として働いていたとき、ある事件が起きましたの。あの街の下層なら珍しくもない組織同士の小競り合い、そのひとつに帰宅途中の女が一人巻き込まれただけの話。
問題はその女性がラピスと親しくしていた我々の従業員だったことでした──そしてその騒ぎの次の夜からですわ、ラピスが"タイランツ"の職場から姿を消しシャーンの街に一つのニュースが流れるようになったのは。
毎夜街の何処かで鈴の音と共に火柱が上がる。それはある時は大通りの中央、あるいは閑静な住宅地の寝室、そしてある時は上演中のコンサートホールの観客席で。直前まで普通に暮らしていた者たちが当然発火し跡形もなく消え去る。
雲の上から地の底まで街中を震え上がらせたその人体発火現象は二週間ほどで収まりましたが、暫くはシャーン・インクィジティブの紙面はこの話題で持ちきりでしたわ」
なるほど、確かにライカンスロープである彼女の身のこなしは常人の知覚能力を遥かに上回る。証拠の隠滅手段が気にはなるところだが、暗殺を実行すること自体は彼女であれば可能だろう。だからそれ自体はそれほど問題ではない。
「それが彼女の仕業ってことか。だが今の話だとシャーンを含めたブレランド王国で手配されるのは当然だろうが、コーヴェア中で狙われるってことが判らないな」
二週間ということは少なくとも14人を殺害したということだ。だがその程度の殺人犯は命の価値が低いこの世界では珍しいことでもない。まだこの話は続くのだろう、俺はとりあえずの疑問点を口に出してネレイドにさらに続きを話させた。
「勿論その通りですわ、トーリ様。最初はハーフリングばかりが狙われていたこの事件ですが、途中からそのターゲットはドワーフや人間、ハーフエルフなどの多くの種族を含めることになりました。
一見無関係に見えるそれら被害者達にシャーンの当局も動機を測りかねていたのですが、そのまま犯人を見つけることは出来ず事件はお蔵入りすることになりましたの──ですのでラピスを狙っているのは法の番人ではありませんわ」
ここまで話したネレイドは喉を潤すためにか紅茶の入ったカップを持ち上げて傾けた。付与された魔法の効果により未だ適温を保たれたその中身は良い香りを放っているが、俺は彼女の言葉に集中すべくじっとネレイドが話を再開するのを待った。
「ラピスが最初に狙ったのは抗争を起こした犯罪組織──"ボロマール・クラン"という古い歴史を持ち、ガランダ氏族の旗に隠れてシャーンを中心に勢力を広げているハーフリング達です。
ですが彼らを処分していくうちに彼女は間接的にその抗争を引き起こしていたもう一つの組織を突き止めたのです。それは種族や国を問わず、コーヴェアの富裕層の一部で密かに結成されている秘密結社"アーラム"」
"ボロマール・クラン"に"アーラム"。いずれもルールブックやサプリメントで紹介されるほどの巨大な組織だ。特に後者の"アーラム"はゲームの中でも非常に高レベルのクエストにメンバーを送り込み陰謀を企んでいたことが印象的だ。
そして"ボロマール・クラン"とて侮れる存在では決して無い。ガランダ氏族という世界の宿場の大半を牛耳っているドラゴンマーク氏族と深い結び付きを持つこの犯罪組織を敵にまわすということは、宿屋の大半が利用できないのと同義だ。
例えガランダ氏族のトレードマークである『黄金竜の宿り』を掲げない宿であったとしても影響を受けていないとは言い切れない。業界におけるドラゴンマーク氏族の影響力というのはそれだけ圧倒的なものなのだ。
実際には氏族のほとんどのメンバーはそんな犯罪行為には加担していないはずだが、働いている従業員がクランのメンバーかどうかを見分けることは出来ない以上宿を利用するのは無謀だろう。毒や暗殺に怯えるぐらいなら野宿のほうが遥かにマシなはずだ。
「ラピスは"ボロマール・クラン"で事件に関わった幹部をある程度処理した後、シャーンに住んでいたアーラムのメンバーをも狙い始めたのです。
そして最後の夜、アーラムの最高位である"プラチナ・コンコード"に叙されたばかりのボロマール・クランの頭首を殺害しその指輪を奪って彼女はシャーンを離れました。
その失態を問われて後継のボロマール・クランの頭首は降格を受け、"ゴールド・コンコード"に収まっています。組織への発言力を削られ、ライバルである"ダースク"に付け入る隙を与えた彼女のことをハーフリング達は忘れないでしょう。
アーラムについては一枚岩とはとても言えない組織です。でも先代の"プラチナ・コンコード"を殺害した彼女は、他のメンバー達に自分をアピールする良い標的だと考えるコンコーディアンはいるでしょうね」
"アーラム"は金と人脈の力でコーヴェア大陸における影響力を向上させようしている組織であり、一般的には富裕層の情報交換の場を提供したりその豊富な資金で様々な活動を援助したりしているのだがその裏の目的は"秩序にして悪"の組織に相応しいものである。
最上位のメンバーである"プラチナ・コンコード"、彼らによって構成される"影の内閣"がこの組織の活動を統括しており、その目的は裏から五つ国を支配することである。彼らは王族などは体の良い看板に過ぎず、効率的に社会を統治していくのに必要な機知を備えているは自分たちであると考えているのだ。
冒険者にとっては後援者や導き手になるかもしれないが、味方だと思って安心していたら翌日には不倶戴天の敵に変わっていたということも充分にありうる。彼らを支配する金と権力のロジックはとても冷徹なものであり、他者は利用できるだけ利用し、用済みになればお払い箱にするものでしかない。
結束の弱い組織とはいえ、"白金""金""銀""銅"の位階に分かれた彼らの最上位のメンバーを暗殺したとあってはラピスの注目度は相当に高いのではないだろうか。
「なるほど、確かにややこしい話みたいだな。でもそれが俺たちをこの島に足止めした件とどう繋がるんだ?
あとそういう理由なら、例えストームリーチに居たとしても刺客が送られてきそうなものだけどな」
今までの話は前振りで、これからが本題だろう。俺の言葉に頷くとネレイドは再び口を開いた。
「ラピスは彼女の家系に代々伝わる貴重な魔法の品を身につけています。それは多くの占術から彼女の身を隠す効果を持ったもので、派手に動いて人の口に上ることがなければシャーンの"一夜一殺"がどこにいるのか知ることが出来る者はいないでしょう。
それにストームリーチのガランダ氏族は"健全"で、クランの影響を受けておりません。当然ですわね、現在コインロードと呼ばれている5人の領主は皆が元はこの海域を支配していた海賊の首領達なのですもの。
彼らの縄張りに踏み込もうとする愚かな連中は皆あのハーバーの海底に沈んできたのです──先日までは」
"クイック・フット"や"ビルジ・ラッツ"などのストームリーチで活動している犯罪組織は多かれ少なかれ、特定のコインロードとの結びつきを有しており組織によっては実質コインロードの私兵集団でもあるのだと彼女は言う。
コインロードの間でも前述のアーラムのように領主間での勢力争いは行われており、水面下で行われているのがそういった犯罪組織の活動なのだとか。
「ですが港湾地区を支配するロードであるジョナス・ウィルクスが自身の名代として任命した"ハーバー・マスター"ジンは、冒険者を上手く利用することで港湾地区の治安を回復させると同時にそういった犯罪組織に大きな打撃を与えました。
それが中立を標榜するジョナスの指示によるところかは不明ですが、一時的にストームリーチのならず者たちはその大半が下水の暗い水中に沈んで浮かび上がることは出来なくなったのです。
この状況を好機と捉え、先代を暗殺されて以降落ち目が続いた"ボロマール・クラン"は手勢をストームリーチに送り込んできたのですわ」
ジンが冒険者の行動を制限し、港湾地区の治安回復に従事させていたのは確かに有効な手段だったのだろう。そして通行許可を受けて中央市場へと移動した冒険者はそこでも市民生活を圧迫している連中を相手にしていた。その結果が外来の組織を呼び込むことになるとは皮肉なものである。いや──
「"ボロマール・クラン"はハーフリングを中心にした組織だと言ったよな。ひょっとしてハーバー・マスターは彼らと何かの繋がりがあるのか?」
ハーバー・ロードに代わって港湾地区を支配しているあの男は、その威風に反して小柄な体格をしたハーフリングである。彼が"クラン"に所属しており今の状況を狙っていたというのであれば、それは他のコインロードを出し抜いた大した策士ということになる。
「その可能性は否定できません──が、とても低いものだと我々は考えています。確かに冒険者としてジョナスに見出される前の彼の出自は知られていませんが、彼がクランの構成員とここ数年内に接触した形跡はありません。
それに彼がハーバー・マスターに就任してからの行動は一貫して治安回復とそれによる流通の活発化でしたが、彼は主に密輸商人を標的にしていましたし今回のことは彼とその補佐役達にとっても想定してなかった事態ではないかと」
俺の質問に対してネレイドはすらすらと応えた。あらかじめこういった質問が出ることは予想していたのか、それとも敵対組織のこととあって十分な研究を行っているのか。いずれであったとしても彼女たちはストームリーチについても随分と詳しいようだ。
「続けますわね。ストームリーチへ送られたメンバーを統括しているのはタロン・ダルシンという男とその手下です。彼自身もアーラムのシルバー・コンコードであり大きな野心を持っていますわ。
また彼は先代のクランの頭首と近い関係にありラピスの復讐のターゲットの一人でもありましたが、当時シャーンを離れていたため難を逃れておりますの」
なるほど、お互いにとって因縁のある間柄ということか。
「その二人の衝突を避けるために彼女をこの島に呼んだわけか。だが明日には俺たちは街に戻る予定だ……大丈夫なのか?」
懸念を示した俺の問いに対して、しかしネレイドは僅かに口元に笑みを浮かべて返した。
「心配要りませんわ、トーリ様。コインロードの力は充分なものです──特にストームリーチが開かれて以来、代替わりしていく他のロードたちと異なり一人でその地位を保ち続けているヨーリック・アマナトゥの支配力は恐ろしいものですわ。
彼はマスター・ジン以上に冒険者の使い方を心得ていますし、ドワーフの長い寿命で得た200年の治世の間に築かれた人脈や情報網は比類のないものです。
今夜タロンは手勢を失い、自らが糾合しようとしたストームリーチ・ギャングの代表者たちの前で処刑されるでしょう──見せしめも兼ねて。
ですので明日戻られる頃には何も問題はなくなっておりますわ」
そう言って再び紅茶のカップに手を伸ばしたネレイドは自信あり気に笑みを浮かべている。相当確度の高い情報なのだろう。
そういえば"タイランツ"がストームリーチで使用している拠点はロックスミス・スクウェアの一角にあった。あの近辺から奥のシルバーウォールにかけてはクンダラク氏族が強い影響力を持つ区画であり、その地盤はアマナトゥが彼の氏族と提携して作り上げたものだ。
シャーンで落ち目だったボロマール・クランがストームリーチで成功を収め、再び勢いづくようなことがあっては塔の街の勢力バランスに変化が訪れることになる。ひょっとしたら彼女たちはあのコインロードと協力体制にあるか、何らかの形で今回の彼女の語った事件に関わっているのかもしれない。
「なるほどね、そういう理由があったわけか。それならそうと予め言ってくれても構わなかったんじゃないのか?」
聞いた限りでは俺達に特に不利益はない。むしろ聞いていればなんらかの備えを取ることが出来たかもしれない。
「お二人にはせっかくの旅行を楽しんでいただきたかったからですわ。事前に余計なことを話してしまっては気が散ってしまわれるでしょう?
それにラピスに言うと私が怒られてしまうそうなんですもの。あの子は鋭いですからある程度は察しているかもしれませんけれど、私から無理に聞き出そうとはしませんわ。
でもトーリ様にお伝えしてしまえば、例えお話になられなくてもきっと彼女は悟ってしまうでしょう」
確かに知ってしまっていれば言わずとも態度には出てしまい、そこからラピスが何か感づく可能性は高いだろう。そうなるとせっかくのトレジャーハントの気分が台無しになってしまっただろうし、ひょっとしたらラピスはストームリーチに舞い戻っていたかもしれない。
「しかし聞いてしまってから言うのもなんだが、今の時点で俺に教えてしまってよかったのか?
今からでもストームリーチに《テレポート》すればその捕物に横槍を入れられるかもしれないぜ」
今はまだ宵の口といっていい時間帯だ。瞬間移動の呪文をもってすれば、コルソスとストームリーチであれば距離は問題にならない。中位の術者であればその手の巻物は常備しているものだし、ラピスも例外ではないだろう。
だがその俺の指摘に対して、ネレイドは艶然と笑みを返した。
「そうですわね、知られてしまったからには仕方有りませんわ。今晩の内はトーリ様にお帰りいただくわけには参りませんわね」
そういって彼女がパチリ、と指を鳴らすと部屋の隅に控えていた《アンシーン・サーヴァント》がするりと動き出し、扉に取り付くとなめらかな動きで内鍵を下ろした。
「勿論、その間しっかりとおもてなしをさせていただきますわ。先程のお話だけでは頂いた巻物の対価には全く足りておりませんでしょうし」
なんということだ、どうやら俺はこの部屋に閉じこめられてしまったようだ。まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされたネレイドの罠に絡め取られ、身動きを封じられた俺は近づいてくる彼女をただ見つめるのだった。
† † † † † † † † † † † † † †
翌日の朝方、俺とラピスは"波頭亭"で朝食をご馳走になった後でシグモンドに別れを告げ森の広場へとやってきた。昨夜の夕食の際にほとんどの知り合いとは挨拶を済ませているため、見送りに来ているのはラースとネレイドだけだ。
「それではまた暫くのお別れだな、二人とも。研究がある程度の成果を挙げたら今度は私がストームリーチに伺うことにするよ、無論君たちがこの村にやってくるのはいつだって大歓迎だがね。
少し行き詰りを感じていたんだが、久しぶりの冒険とトーリから貰ったアイデアの数々は非常に良い刺激になった。良い知らせを期待していてくれ」
滞在の間、俺はラースに俺が知るいくつかのマジックアイテムの知識を語って聞かせたのだ。俺が知っているのは作成の前提条件として必要になる呪文や術者としての技量、そのアイテムの効果くらいのものだが未訳サプリなどを含む一般的でない組み合わせの数々に彼は非常に熱心に聞き入っていた。
おそらくこの後すぐにでもラボに駆けこんで暫くは篭もりきりの生活を送るのではないだろうか。また不健康な暮らしをさせてしまうことになるかもしれないが、その辺りはカヤとウルザが世話を焼いてくれると信じよう。
「昔使っていた道具を揃えておきましたわ。今回の宝探しでの貴方の報酬の分も上乗せしてありますし、後で確認しておいてくださいな」
ネレイドはそう言いながら抱えてきたアタッシュケース風の大きな鞄をラピスへと渡した。二人の様子からするとそれなりに重さがあるようだが、どうやら重要な品のようで秘術的にシールドされているように見える。造り自体も随分と頑丈そうで、そのまま殴打武器に転用できそうな代物だ。
まあ冒険者の身につける装備は装身具ひとつからしても金貨何千枚という価値がするものが多いため全てが貴重品と言えるのかもしれないし、そういった品であれば厳重な取り扱いをするのも当然といえる。
「本当は私もご一緒したいのですけれど、流石にそういうわけにはいきませんものね。
またすぐにお会い出来るとは思いますけれど、一先ずのお別れですわ。お二人と仲間の方々のご活躍をお祈りしております」
"タイランツ"はまだこの海域での作業を行うとのことで、ネレイドはしばらくの間コルソスに滞在するらしい。その中には修理の完了した船舶をリランダー氏族に引き渡すなどの今回の作業の事後処理的なものも含まれており、彼女には世話になりっぱなしである。
冒険者は敵を見つけて退治しお宝を持ち帰ればそれで終わりだが、そのスポンサー達はその冒険に関わる事前の根回しから後処理まで色々な交渉を行っているものなのだ。大規模あるいは高名な冒険者グループであればその辺りの作業も行っているのかもしれないが、俺達は戦闘能力はともかくとしてそういった面では駆け出しに過ぎない。
名前を売るつもりもないので暫くは依頼主から請け負った仕事をこなしていくことになるだろうから、彼女たちとの縁は当分切れそうもない。良好な関係を続けたいものだ。
最後に二人へと大きく手を振って、俺とラピスはこの始まりの島から住み慣れた我が家へと向かう転移の光に包まれた。
“砕かれた大地”に築かれた人類の橋頭堡、ストームリーチ。そこでの冒険の日々が再び始まるのだ。