ストームリーチ・クロニクル
王国暦998年 セレンドールの月 第一週号
トーリという名のストームリーチの新参者が名を上げはじめている。
噂はよく聞くが、誰もその余所者のことを知らない。
断言できるのは、彼は人間の男性で様々な職業の訓練を受けたことがあるということだ。
だが、他はまったくのミステリーだ。その英雄とやらに注目しておこう。
そして、もっと詳しいことがわかったら、ストームリーチの人々に教えよう。
著:キャプショー・ザ・クライアー
ゼンドリック漂流記
3-1.塔の街:シャーン1
「これで審査は終了です。シャーンでの滞在をお楽しみください。
ソヴリン・ホストの導きがあらんことを」
オリエン氏族の《グレーター・テレポート》のサービスによってストームリーチから転移した俺たちは、塔の街:シャーンの玄関口である『ターミナス』と呼ばれる街区へと移動していた。
大陸を結ぶ鉄道網"ライトニング・レイル"の終着駅でもあるそこは、この街へとやってきた外国からの旅行者が集う騒がしい区画だった。
俺達が到着したフロアは鉄道を見下ろすような位置に設けられている。
下に見える列車の発着場からは、今まさに到着した"ライトニング・レイル"の車両から大量の乗客が吐き出されている。
ホームには混乱を防ぐために都市警護団や門衛隊がそこかしこに姿を示しているが、そんな連中のことなどおかまいなしにスリやその他のこそ泥達が仕事に精を出しているのが見て取れる。
氏族による最上級サービスを使用したことによるものか、待たされることなく門衛隊からの審査を受けることが出来たのは幸いだったと言えよう。
今もなお人を吐き出している"ライトニング・レイル"の乗客や、街道を通ってこの街へ入ってきた人の群れに並んでいたら日が沈んでいたかもしれない。
「あ、トーリさん長かったですね。
私たちはすぐに終わったんですけど」
検査を行った個室を通りぬけ、通路へ出るとそこにはエレミアとメイが椅子に並んで腰掛けていた。
エレミアは周囲を通る人たちにある程度注意を払っているようだが、メイはすっかり寛いでいるようだ。
「俺はここに来るのは初めてだからね。
色々と確認したいことが多かったのさ」
重要な荷物の殆どはブレスレットに収納してあり、当たり障りのない品を放り込んだ背負い袋の審査自体には対して時間はかからなかった。
傍目には一切魔力を感じない上に装飾品としても大した価値が認められないブレスレットが全くのスルーだったのは当然ではあるがありがたい話だ。
ただ五つ国の国籍を何れも持たない俺には、他の皆よりも問答や必要事項の通知が細かく行われたのだろう。
ソウジャーン号の図書室でガリファー法典を読んでいなかったら余計な面倒を抱えることになったかもしれない。
「そうか、トーリはコーヴェアの出身ではないのだったな。
では、その旅券を無くさぬよう注意する必要があるな。
この街の警護団は熱心な部類に入るようだが、厄介ごとに巻き込まれた際に身元を証立てるものがなければ一方的な不利を背負うこともある」
エレミアが俺の手にした旅券──先ほどの門衛隊の審査で支給された、外国人用の身分証明を指差しながら助言をくれた。
「まぁ今から向かう上層ではそんな心配はあんまりいらないと思いますけどね。
それじゃ、皆揃ったことですし移動しましょう!」
立ち上がって先導を始めたメイの後ろにつき、オリエン氏族の巨大居留地を外に向かって進む。
やがて建物の外へと出ると、ストームリーチでの居留地同様にロータリーが広がっていた。だが、あちらの街とは決定的に異なっているところがある。
「飛空挺に飛行ゴンドラ……あっちにあるのはフライング・カーペットか。
話には聞いていたけれど、こうして実際に見ると驚かされるな」
そう、ここでこうやって客を待っているのは魔法によって飛行能力を付与された客車なのだ。
ロータリーとは中空に突き出た桟橋であり、それに横付けするように数々のゴンドラが並んでいる。
階下を覗き込むとそこには一般の馬車が並んでいる通常の馬車駅があるが、高度は10メートルほどだろうか。
塔の街、というだけあってここは高所恐怖症には厳しい所のようだ。
「せっかくですし、ちょっと贅沢しちゃいましょう。
そこの飛行ゴンドラを使いましょうか。
まずは食事にしましょう」
俺の反応に気を良くしたのか、メイはロータリーに留っている一艘のゴンドラに向かって歩いていく。
人間サイズの客なら5,6人くらいは乗せられるであろう、周囲を見たところ最も一般的に見えるサイズのゴンドラだ。
外見は普通の小型船だが要所に翼を模した飾り付けが備えられており、オールの代わりに布を張った水掻きのようなものが取り付けられている。
何より目を引くのは、それが水の上ではなく空中に浮いていることである。
「ガルディンズ・ガーデンまでお願いできますか?」
メイが声を掛けると、灰色の髪をした年配の男性船頭が柔らかに微笑んで応えた。
「丁度いい時間ですよ、お嬢さん。
今の時分でしたら、ちょうど昼の混雑した時間が過ぎた辺りでしょう。
幸い今日は天気もいい。屋外のテーブルからの絶景にも期待できると思いますよ」
船頭に言われて天を仰いで見たが、周囲を塔の基部に囲まれたこのあたりからは空の様子は殆ど見えない。
「後ろのお二人もご一緒ですかな?
メンシス高台の上層までですと銀貨5枚になりますが」
飛行ゴンドラの価格は距離による従量制である。いずれにせよ、成功を収めた冒険者からしてみれば大した金額ではない。
「後ろの友人はシャーンが初めてなんです。
少し回り道をお願いできますか?」
メイがそう言いながら船頭に金貨を3枚渡した。その意図するところを察したのだろう、船頭の男は軽く頷くと乗船を促した。
「では、ゆっくりと進みましょう。不慣れな人が落ちないように運転します。
シャーンをご案内させていただきますよ」
乗り込んだ俺達が前甲板の手すりにつかまったのを確認すると、船頭は舵を操作して飛行ゴンドラを動かし始めた。
空中を滑るように動くこのゴンドラは、波の影響を受けない分通常の船よりもよっぽど揺れは少ないようだ。
「上空に進むにつれて風が強くなりますから、気をつけてくださいね」
隣で髪を押さえながら微笑むメイに注意され、緩めていた掌にかけていた力を少し増やす。
周囲に林立する塔の基部はあきれるほど巨大だ。大雑把に見立てても、小さいもので直径300メートル。大きなものはその倍以上のサイズである。
みっしりと詰め込むように建設されたその巨大建造物の合間を縫って、ゴンドラは空を駆け上がっていく。
基部では壁同士が融合して迷路のようになっているが、上へと向かうにつれて塔は細くなりそれぞれを橋で接続するようになっていく。
狭いところでは3メートル、広いところでは10メートル程度の高さで1階層を成している様だ。とはいえこれは居住空間の広さであり、床の分厚さは相当なものだ。
多くの壁面にはバルコニーが設けられており、また塔を垂直方向へ移動するための"昇降機"も取り付けられている。
「今居る辺りは《タヴィックス・ランディング下層》と呼ばれております。
一番大きな塔は、今皆さんが出ていらっしゃったオリエン氏族のエンクレーヴ・タワーですな」
船頭は説明しながらも舵を操り、その塔の周囲を旋回するようにしながら高度を取っていく。
塔の基部、"ライトニング・レイル"が吸い込まれていく大きな口の上にはオリエン氏族のシンボルであるユニコーンの意匠が刻まれている。
「基本的に、下層に向かうほど治安は悪くなります。
玄関口である先ほどの『ターミナス』は例外的にしっかりしてますが、それ以外の下層街区には近寄らないほうが無難でしょう」
確かに、見下ろす街並みはどこも薄暗く混沌としている。塔に遮られて日照が少ないというだけではなく、どこか陰鬱な空気を漂わせているのだ。
倉庫街や難民キャンプのスラム、そしていかがわしげな歓楽街の先には巨大な黒い門を構えた都市警護団の駐屯地がその存在を誇示していた。
都市外縁部からの道は全て一度ここを通る必要があるようで、主要な通路には各所に落し格子が設けられるなどまるで要塞のようだ。
「『ブラック・アーチ』はお客様方のように空路を使わない限り、都市上層に向かうには必ず通過しなきゃいけないようになってます。
あそこの警護団は非常に仕事熱心で、倫理観も高いと評判ですよ」
戦争当時はあそこが外敵を迎え撃つ最初の防衛ラインだったのだろう。
下層の塔は基部ということもあり皆肉厚の壁で構成されているが、あの『ブラック・アーチ』はその中でも特別な堅牢さを誇っているようだ。
「そろそろ街を抜けますよ~」
メイの言葉が耳に届いて間もなく、ゴンドラは塔の森を抜けて中空へと躍り出た。
遮るものがなくなった陽光が目に眩しい。確かに船頭が言ったとおり、今日はいい天気のようだ。
目を瞬かせながら周囲を観察するが、塔の空白地帯に出たというだけで高度的にはまだまだ半ばにも到達していない。
後背にも前方にも壁のように塔が林立している。既に500メートル近い高度になっているはずだが、塔の先端まではまだ倍以上の距離が残っているように見える。
概算で1500メートル級の建築物が寄り集まって都市を形成しているのだ。摩天楼とはまさにこの事だろう。
どうやら今いる地域は、地表の傾斜が急で塔の建築に向かないということで空白地帯になっているようだ。
直下の地表には切り立った崖がジグザグを描きながら噛み合っている様子を見ることが出来る。
おそらくは火山活動によって出来たのであろうこの深い地溝が、シャーンを五つの街域に分けているのだ。
「左手の街域は《ドゥラ》です。
まだ見えませんが、街の南と西はダガー河の本流と支流に接していましてね。
その川沿いには《クリフサイド》という街域がございます」
先ほどの《タヴィックス・ランディング》から繋がるように《ドゥラ》が川沿いに広がっている。
街の入り口が北東、そこから凹の字のように塔が並んでいるがその東側が《タヴィックス・ランディング》、西側が《ドゥラ》なのであろう。
そしてその街域に囲まれるように、中央に三つの街域が並んでいた。
「北から《ノースエッジ》、《セントラル》、《メンシス》と呼ばれております。
《ノースエッジ》は主に住宅街、《メンシス》は娯楽の中心である他にモルグレイヴ大学が有名ですな。
《セントラル》は行政やビジネスが集中しています。シャーンの中心になります」
船頭の説明を聞きながらそれぞれの街域に視線をやるが、そのいずれもがまだ中層にようやく達した程度の高度だ。
この辺りの高度から塔がやや細くなり、それに伴って街の雰囲気が変わっているようだ。
塔の周囲にはバルコニーが多く取り付けられるようになり、まだ幾分立て込んでいるものの随分と住環境は向上しているようだ。
窓すら滅多に見受けられなかった下層エリアとは随分な違いだ。
中空に突き出たプラットフォームには客を待っている飛行ゴンドラが停泊している。
塔の間から時折見える輝きは、『ソアスレッド/飛行橇』と呼ばれる空飛ぶ円盤だろう。
個人用の空を飛ぶアイテムで、1~2メートルの直径をした水晶の円盤がエネルギーの火花を散らしながら飛び回っている。
思考操作型の乗り物だが、そんな小さい円盤の上で直立を保つにはそれなりの"平衡感覚"が要求される。
だが、その小回りの効く機動性は重宝されているのだろう。視界の色々なところで独特の魔力光が輝いている。
飛行ゴンドラや塔の素材同様、『紺碧の空シラニア』の顕現地帯であるシャーンの特性を取り込んだ魔法のアイテムだ。
俺達を乗せたゴンドラはシャーン中央の街域を周回する様に一周しながらさらに高度を増し、やがて市街の上層エリアへと到達した。
当然ながら日当たりは良く空気は清浄だ。群塔の連絡橋、プラットフォーム、バルコニーなどに見える人たちも一目見て身なりが整っているのが判る。
文字通りの空中庭園がそこかしこに設けられ、街の雰囲気も非常によさそうだ。
「あの《メンシス》の中央にある、五つの塔を備えた巨大なドームがモルグレイヴ大学です。
目的地の「ガルディンズ・ガーデン」は大学の隣の街区、『セヴンス・タワー』に御座います。
間もなくの到着になりますよ」
やがてゴンドラは1時間弱の遊覧飛行を終え、メイの指定した店に到着した。
セヴンス・タワーの屋上という、レストランには絶好の立地に建てられた優雅な雰囲気の店だ。
「飛び入りで申し訳ないのですが、3名分の席をお願いできませんか?」
ゴンドラ発着のプラットフォームには、よく訓練されたレストランのスタッフが待ち受けていた。
誘導に従って横付けしたゴンドラから注意深く降りると、既にメイは慣れたもので店員に話し掛けている。
「勿論、歓迎させていただきますよお嬢様。
本日は庭園のテーブルから南の大洋をご覧いただける絶好の日和で御座います。
お席までご案内させていただきます。
お連れの皆様も、手荷物を運ばせていただきます。どうぞこちらへ」
制服を見事に着こなした執事風の店員が合図すると、横に控えていたポーターがやってきた。
彼らの制服は、いずれもブレランドの象徴である青をあしらった上質なものだ。
その挙動の全てが訓練されており、教育が末端まで行き届いていることが知れる。シャーンのレストランの中でも最高の名店の一つに数えられるだけある。
武装をしていない俺達の服装は、どうやらこの店のドレス・コードにも抵触しなかったようだ。
案内された庭園には薔薇や蘭をはじめとする珍しくも香り高い花々が咲き誇っていた。
スタッフの言ったとおり、南の彼方にはサンダー海が見渡せる。あの海の先、2500Kmの彼方がストームリーチだ。
ポーターにチップを渡し、席に着くとメニューが手渡された。
とはいえ、俺には馴染みのない料理名ばかりで大雑把なイメージしか掴むことが出来ない。
「注文はメイに任せるよ」
ここはシャーン出身の彼女に任せるのが良いだろう。そう伝えると彼女もそのつもりだったのだろう、手際よく注文を済ませた。
「このお店はブレランド料理の名店で、香辛料の効いた品が多いですね。
先日ルーちゃんとフィアちゃんが作ってくれたシチューみたいな感じです。
ここシャーンではコーヴェア中の料理を味わうことが出来ますけど、まずはブレランド料理から味わってもらおうと思いまして」
メイが言うには、ここ《メンシス》はシャーンの中でも特に人種の坩堝として知られているらしい。
様々な種族の集うモルグレイヴ大学を擁するだけではなく、ノームやハーフリングが住民の大半を占める街区があり、またシャーン中から人を引き付ける多くの劇場とその周囲の繁華街を持つ。
フィアラン氏族の誇る世界最高峰の大音楽堂『カヴァラッシュ・コンサート・ホール』も大学の近郊にあり、シャーン最高の音楽を楽しむべく各街域上層の住人が飛空ゴンドラに乗ってやってくるとか。
「大学構内のコモンズ広場には毎朝、各地の本場の味を忠実に再現した屋台がずらりと並ぶんです。
学生は皆自分のお気に入りの屋台を見つけて、そこで朝食を済ませるのが殆どですね~」
会話をしている間にも、テーブルには食前酒が運ばれてきている。口当たりの良い風味が胃の空き具合を意識させて食欲を刺激する。
「なかなかに良いキールだな。これは食事のほうも期待できそうだ」
どうやらエレミアの舌も満足しているようだ。舐めるように少しずつ味わっているメイとは対照的に、彼女はあっという間にグラスを空にしてしまった。
何時もの鎧装束ではなく、ヴァラナーの伝統的衣装であるゆったりとした絹のローブを身に纏った彼女の姿はこういった高級レストランにも馴染んでいる。
変わらず胸元で輝くプラチナと貴石からなるアミュレットは、彼女の祖霊と霊的な繋がりを得る"ゼールシン・トゥ"と呼ばれる魔法のアイテムだ。
「このお店はブレランド料理についてはシャーンでも一、二を争うお店ですから。
雲の上にある《スカイウェイ》のセレスチャル・ヴィスタに知名度こそ譲りますけど」
メイの言葉を受けて天を仰ぐと、直上には雲の塊が浮かんでいる。いくつかの飛行橇の輝きが出入りし、飛行ゴンドラが周囲を飛び交っているのも見える。
「《スカイウェイ》って、あの雲の上にあるんだっけ?」
《セントラル》と《メンシス》、二つの高台の群塔のさらに上。天の高みに、シャーンでも限られた大富豪達が喧騒から逃れるように住む天上街があるという。
「そうですね。スカイウェイは固定化された雲の上に築かれた塔です。
シラニアと繋がっているシャーンでこそ成し得る奇跡の技ですね~
雲海公園は一見の価値がありますよ」
そんな話をしているうちに、テーブルの上には料理が並べられていった。
香辛料を効かせた生姜スープ、新鮮な素材の味を活かした色鮮やかなサラダ、魚の包み焼き、ピリ辛豚肉のオレンジペッパー風味……
どうやらそれぞれがブレランドの代表的な料理らしい。
昼ということでそれぞれのボリュームは少なめに、色んな料理を味わえるようにという配慮のようだ。
元の俺であれば淡白な味付けばかりに慣れていたため、この南ブレランド料理は辛すぎて受け付けなかったかもしれない。
だが1ヶ月のエベロン生活でとりあえず香辛料をぶっ掛けて焼けばOK、というゼンドリック屋台で鍛えられた俺の味覚にもはや死角は無かった。
「色々な種類の辛さだな。やっぱり香辛料の豊富な土地柄だけに、こういう味付けが発達するんだな」
庭園とバルコニーから見える眺望を楽しみながら舌鼓を打つ。
食事をしながら、先ほど案内されたシャーンの街並みについての説明をメイから受けた。
街域:崖により分けられた五つの群塔。《セントラル》《メンシス》《ノースエッジ》《タヴィックス・ランディング》《ドゥラ》。
街層:街域を高度によって『上層』『中層』『下層』と分けたもの。例えば《メンシス上層》や《ドゥラ下層》等。
なお《スカイウェイ》と《クリフサイド》はその性質上高度による区分けがなく、街層一つで街域として扱われる。
また、下層の更に下、地下には地底の溶岩流を利用した大規模な鋳造所と溶鉱炉が建設されており《コグ》と呼ばれる街層を成している。
街区:街層をさらに特徴によって分類したもの。
例えばここ《メンシス上層》は『大学地区』『セヴンス・タワー/名店街』『プラチネイト/高級住宅街』『アイヴィ・タワーズ/中流住宅街』『デニヤス/ノーム居住区』の五つの街区から成る。
この街の行政を担う市議会のメンバーは原則として各街層から1人選出され、彼らの指名により市長が任じられるとの事。
「……想像以上の広さだな。噂には聞いていたけれど、実際にこの塔の群れを見ると圧倒されるよ」
何せ、生前見た最も高い建築物は東京タワーだ。その5倍もの高さの塔が林立しているのだ。
空中を飛び交う飛行橇やゴンドラも相まって、まるでここがファンタジーではなく未来都市であるかのように感じてしまう。
「シャーンは20万以上の人口を誇るコーヴェア最大の都市ですからね。
きっとトーリさんがお探しの品も見つかりますよ」
メイの言うとおり、この街であれば金で買えるアイテムであれば殆どの物が購入できる。
他のD&D世界観に比べればこのエベロンは人間社会に高レベルキャラクターが乏しいため、高位呪文の巻物などを入手することは困難ではあるだろう。
だが少なくとも俺が必要とするシベイ・シャードは十分に入手できるはずだ。
「この後にでも早速、店を探してみるよ。
メイは大学に顔を出すんだっけ。エレミアはどうするんだ?」
モルグレイヴ大学には少々興味がある。特にその大図書館はズィラーゴのコランベルグ大図書館には敵わないものの、このブレランドでは最大の規模だ。
そのうち案内をお願いしたいが、今日は研究室に顔を出すのだろうから日を改めたほうがいいだろう。
「そうだな、私はこの街に駐在している祖国の代表のところに顔を出してこようと思う。
先程オリエン氏族に確認したところ、数日後であればヴァラナーまでの転送は行ってくれるようだからな。
その間この街に滞在することになるのだから、一度話をしておく必要があるだろう」
成程。たしか《ドゥラ中層》にはヴァラナーの外交官とつなぎを取れるバザールがあったはずだ。
この国の国籍を持たない俺たちはいざ揉め事に関わる羽目に陥った際には後ろ盾が必要だ。社会的影響力を持つ人物に接触を持っておくことは確かに大事だろう。
俺の場合は……ロクな心当たりがないし、二人の何れかに便乗することになるのだろう。
「それじゃあ一旦別行動ですね。
このレストランの隣の塔がホテルになっていますし、そこに部屋を取っておきましょうか。
集合は七点鐘の頃で構いませんか?
それまでに、知り合いがやっているお店で夕食が取れるように手配しておきますから」
どうやら夕食もメイのコーディネイトのようだ。この店のブレランド料理は確かに見事なものだったし、この分であれば夜の方も期待が出来そうだ。
デザートに出てきたアイスクリーム──この庭園に咲き誇っている花を象った芸術品のような品を食べた後、隣のホテルにチェックインしてから俺は皆と別れて昇降機で《メンシス中層》へと向かった。
目的地は『エヴァーブライト』という魔法街だ。シャーンの中でも最も多くの呪文使いが住んでいる街区であり、俺が求める高価なマジックアイテムの品揃えが一番良さそうなエリアである。
『セヴンス・タワー』の商店街は昇降機がその高度を下げるに従ってその高級な雰囲気を失っていき、やがて『カッサン・ブリッジ』という普通の商店街へとその姿を変えていく。
とはいえそれは俺の常識から考えての"普通"であり、ストームリーチの街中とは比べ物にならないほど整った街並みだ。
両腕いっぱいに荷物を抱えた買い物客がせわしなく道を往来しており、行き交う人々は言うに及ばず建物や売られている商品からも舶来の匂いがしている。
どうやらこの街区はオークと人間が多く住む大陸西部、シャドウ・マーチの文化が多く取り入れられているようだ。
塔の中にも関わらず、建物に下駄を履かせた建築物が多いのは湖沼地帯で占められたかの地の建築様式を忠実に再現した結果なのだろう。
異国情緒漂う建物を眺め、露天に売られている果物を買いながら最も塔が密集しているこの階層の中央へと足を進める。
10分も歩いた頃には再び街はその様相を変えていた。建ち並ぶ塔は魔法によって灯された照明で照らされ、頭上には飛行橇が飛び交っている。
行き交う人達にも魔術師を思わせるローブ姿や、明らかに生物ではない人造を荷物持ちとして連れ歩いている人達が見受けられる。どうやら目的地に到着したようだ。
高速化により音声要素と動作要素を省略し、念じるだけで呪文を発動させる。
5レベルに上昇したことで使えるようになった《アーケイン・サイト/秘術視覚》の呪文は、視界に魔法のオーラを映し出す。
一瞥しただけでアイテムに付加されている魔法の大雑把な強度を知ることができる便利な呪文だ。
双眸がかすかに蒼い光を放つという特徴こそあるものの、ゴーグル越しであれば気取られることもない。まぁ知られたとしても違法性のある呪文ではないので大した問題はないのだが。
流石に魔法街と呼ばれるだけあり、視界は大量の魔法のオーラに満たされている。その大部分を占める、微弱なオーラを意識から除外して大通りを歩く。
魔法によって編まれた不可視の力場の壁──永続化された《ウォール・オヴ・フォース》越しに陳列された魔法の品々を眺めているだけで、色々な想像をすることができて非常に楽しい。
ゲームでお世話になったものやルールブックで見たことしかないアイテムなどを見つけると心が踊るし、知識にないアイテムも付与されている呪文系統とその形状から効果を推測するのは楽しい作業だ。
やはり土地柄か、飛行に関する品を扱っている店が多い。飛行橇や空飛ぶ絨毯を始めとして、《フライ》の呪文を付与されたブーツや外套が様々な模様を与えられて陳列されている。
その中でも最も多いのは青を基調にペガサスやグリフィンといった空を飛ぶ生物をあしらった品々だ。ブレランドの国旗にも描かれている金色のワイバーンが一番人気のようで、どこの店も一種類は独特の意匠を施した品を飾っている。
中には専門店として、飛行に関する品だけを置いた店などもあるようだ。《ドゥラ》では「八風レース」を代表に、様々な空中競技が行われていると聞く。
「風追レース」や「空中騎馬戦」といったスポーツに参加する生来の飛行能力を持たない選手が、命を預ける品を求めて来る店なのかもしれない。
特にこのシャーンではシラニアの顕現地帯であることを利用した独特の魔法具が販売されている。
《飛行アイテム改良》の技術により制作された飛行を可能とするアイテムは、このシャーン市内において非常に高い移動速度を発揮することができる。
制作した術者の技術が確かであれば、その品による移動速度は通常の品の1.5倍にもなるというのだから、競技者達に取っては垂涎の的である。
効果時間についても大幅な増幅が期待でき、24時間その恩恵を受けることも出来る品もあるという。
街の外では普通の品と変わらないとはいえ、この広大なシャーンの街の大半においてそれだけのアドバンテージを得られるのであれば十分だろう。
「お買い上げありがとうございました~」
上機嫌な店主に見送られ、大通りに面した店舗を後にした。
俺の足回りには、タフな使用にも耐えうるしっかりとした造りのブーツが真新しい光沢を放っていた。紅い革に銀色で跳ね馬の姿が刺繍されているのが特徴だ。
無論これはただのブーツではなく、『ウイングド・ブーツ』という着用者に飛行能力を付与する魔法のアイテムだ。
合言葉を唱えると踵部分から羽飾りが浮かび上がって空を飛ぶことが可能になるという効果を持つ。
当然シャーンの顕現地帯のエネルギーを取り込んだ特別製であり、ハイ・エレメンタル・バインダーとして名高い"ダレス・ファスコ"の品だとか。
このハーフリングはノームの国ズィラーゴに変装して潜入し、彼らの精霊捕縛の技術を盗んで逃亡したと言われている伝説の人物だ。今でもズィラーゴのエージェント達はコーヴェア中で彼の行方を探しているとか。
まぁブーツの由来については眉唾ものではあるが、製作者の技量が一流であることは確かだ。既に自前で《フライ》の呪文を詠唱可能とはいえ、リソースを節約するに越したことはない。
それにシャーンの街中であれば、自身で詠唱した呪文よりもこのアイテムによる強化された飛行能力のほうが速度・機動性のいずれをとっても優秀だ。
背中の背負い袋に放り込まれた飛行橇も同じ理由によって購入したものだ。決して物珍しさによる衝動買いではない。
店舗から少し離れたところにあった空き地に到着すると背負い袋から購入したばかりの"ソリ"を取り出す。外観は巨大なベーゴマとでもいえばいいのだろうか?
なだらかな円錐状に加工された1メートル少々の水晶を地面に転がし、込められた魔法の力を起動するように念じる。
すると円盤の下部、下に突き出した円錐の頂点を起点にバチバチと輝くエネルギーの火花が散り始めて水晶が浮かび上がった。
恐る恐るその上に乗ってみるが、完全に体を乗せても僅かに沈んだだけで円盤は浮遊状態を保っている。
そのまま上昇するイメージを浮かべると、体にGがかかり視界が徐々に持ち上がっていく。
続いて円盤を傾けながら横方向への移動を念じる。どうやら円錐の頂点を起点に、足場の傾きはある程度自由に操作出来るようだ。これならばある程度の高速移動も問題なく行えるだろう。
目前に迫っていた塔の壁を舐めるように咄嗟に移動方向を垂直方向に切り替えて上昇、ある程度の高度を稼いだ後で水平移動と降下、上昇の機動性を検証した。
その結果、移動に専念すれば毎秒10メートルほどの横移動が可能ということがわかった。上昇の効率はその半分。降下時は逆にその2倍。
移動方向の切り替えは自由自在で、停止はほぼ一瞬、反転についても1メートルほどのロスで行えることがわかった。かなりのアクロバティックな機動が可能なようだ。
勿論空気抵抗を軽減する仕組みもなければ自分を支えるのは小さな円盤のみという厳しい条件はあるが、慣れてくれば問題ではなくなるだろう。
強風に煽られれば真っ逆さまという危険こそあるものの、この街の住人であれば皆"墜落"への対策は怠っていないだろう。
シャーン市は《フェザー・フォール》の呪文で高所から落下した人を助けた呪文使いには報奨金を支払ったり、上層と中層の主要な橋には永続的に《フェザー・フォール》を定着させるなどの対策を講じている。
そういった点から安全面では折り合いがついてはいるが、一般に普及しづらいのはやはりこの手の飛行アイテムが非常に高価なせいだろう。
この飛行橇は金貨38,000枚、ブーツはその製作者の技量の高さから通常の3倍の値段で金貨36,000枚だ。
金貨4万枚近くを趣味に費やせるのは余程の趣味人か成功を収めた人物だけだろう。
あまり普及しすぎれば空の事故が増えるだろうことから、特にその手のトラブルが問題視されていない現状のバランスがいいのかもしれない。
そんな事を考えながらも空飛ぶソリに乗って『エヴァーブライト』の街を進む。
先程の店で買物をする際に、俺の求める品を揃えている店の位置について聞いておいたのだ。
店の看板商品をキャッシュで買った俺に対して、その店の店長はホクホク顔で色々な店を教えてくれた。
飛行具専門店だから俺の聞いた店が競合足り得ないことも関係していたことは間違いないだろうが、いずれにしてもなんとか今日中に第一目標を達成出来そうである。
わずか数分の飛行で目的地へと到着。やはり空の道は混雑とは無縁だし、何より風を切る感覚と足元から加わる加速度感が素晴らしい。
標準よりは実力のある製作者の手によるものとはいえ、シャーンを離れれば1日30分ほどしか使用できないがお土産としては十分な品だろう。
着地と同時にリフティングの要領でソリを蹴り上げ、頭上を経由して背中の背負い袋へと放り込む。
20キロを超える重量があるはずだが、この程度の操作であれば足から離れた後も思考操作の範囲で行える。
そうやって降り立ったのは大通りから僅かに離れた場所にある塔の外壁部分だ。
塔の重厚な外壁にはくり抜かれたと思われる暗い穴が穿たれており、その穴の脇には斧槍を携えた二体のウォーフォージドが立っている。
一切の身じろぎをしない彼(彼女?)達は、こうしてみるとまるで彫像か鎧の置物のように見えなくもない。
周囲を注意深く観察しながら歩み寄っていくと、そのうち一体のウォーフォージドがこちらを向いて話しかけてきた。
「いらっしゃいませ、お客様。
こちらで武器をお預かりさせていただきます」
ウォーフォージド特有の硬質な声が左手側から発せられた。俺はその声に従って腰に帯びていた長剣をこのバウンサーに預ける。
「確かにお預かりいたしました。
では、私の後に付いてお進みください」
斧槍を相方に渡し、俺の武器を受け取った用心棒は両手で剣を持つとそのまま薄暗い通路へと進んでいった。
もう一体のウォーフォージドは一切身動きもせず、言葉も発さない。俺はそちらを一瞥すると、先行く用心棒の背を追って暗がりへと足を踏み入れた。
「足元が暗くなっております。階段の段差にはお気をつけください」
入り口からすぐ進んだところで通路は左右へと別れており、俺は先導に従って左へと進んだ。
その先は階段になっており、所々に埋め込まれたクリスタルから発する光のみを道標に通路を進む。
1メートルほどの狭い通路に、急勾配の階段。段差も所々妙に高かったり低かったりと均一ではない。
俺のように暗闇でも支障がないように対策をとっているのでもなければ、進むのも億劫になるのではないかと思えるほどに不親切な道だ。
螺旋階段のようにグルグルと上昇していく階段を登った先には僅かに開けた空間が部屋として使用されていた。
中央にはカウンターが仕切りのように置かれており、部屋の反対側にはこちら側と同じような通路の入り口がある。
階段よりはマシではあるが、この部屋の照明も心細い。赤いクリスタルを通してエヴァーブライト・ランタンの光が頼りなく部屋を照らしている。
床に敷き詰められた絨毯は、照明の輝きのせいか正確な色を測ることも難しい。赤と紫が混じり合ったような色彩が光の具合によって蠢いているようにも見える。
バウンサーは部屋の反対側まで進むと、そちら側にもある通路への入口で振り返りそこで立ち止まった。自然俺はカウンターの辺りで足を止めることになる。
「いらっしゃいませ。初めてのお客様かな」
カウンターの影にでも潜んでいたのか、いつの間にかそこにはエルフの男性がいた。
だが、俺の瞳には彼の真の姿がそのエルフの姿に被さるように写っている。
灰色の肌にのっぺりとした顔面。眼球は乳白色で塗りつぶされ、鼻に相当する突起はあるものの鼻孔はない。チェンジリングだ。
「私はここ『トワイライト商会』の店主をしているサイラスと申します。
お客様、よろしければお名前を教えていただけませんか?」
大仰な身振りで一礼しながら自己紹介をすると、彼はこちらの名を尋ねてきた。
「トーリだ。ここはシャーンでも指折りの品揃えを誇る店だと聞いている」
この手の連中に会話の主導権を握らせるのはよろしくない。そう判断した俺は単刀直入に要件を伝えるべく、カウンターの上に背負い袋から取り出した品物を置いた。
ゴトン、という重量感のある音と共に置かれたのは握り拳程の大きさの薔薇色に輝く結晶。シベイ・ドラゴンシャードだ。
「これと同じような大きさの品物を探している。
この店ではどれくらいの数が用意出来る?」
「これはこれは……滅多に御目に掛かれないサイズのシベイの結晶ですな!
戦争が終わったとはいえ、いやだからこそ各ドラゴンマーク氏族の皆様がこの品を求めていらっしゃるようですし、相当なお値段になりますが?」
鋭い視線がシャードを貫く。口を動かしながらも彼は結晶の観察を続け、その価値を推し量ろうとしているようだ。
「俺はいくつ用意出来るか、と聞いているんだ。
金額の多寡は数を聞いてから判断する。それともこの店では取り扱いが無いのか?」
結晶を持ち上げて背負い袋に放り込む。サイラスの視線は一瞬結晶を追うように動いたが、すぐにこちらへと注意を戻した。
今から俺はこのエルフの皮を被ったチェンジリングから望む結果を引き出さなければならない。
シャーンでも屈指の魔法の品を扱う店の店主である以上ある程度の実力者ではあるだろうし、この部屋にいたるまでの通路には魔法の罠も仕掛けられているのが判っている。
あの通りにくい狭い階段も襲撃の事を考えた構造だろうし、目の前の人物を甘く見ることはできない。
そんな事を考えている俺の思考を読み取ったのか、サイラスは佇まいを正すとこちらに向きあって口を開いた。
「結晶一つにつき金貨1万枚いただきます。
今すぐということであれば5つしか用意出来ませんが、時間をいただければ100でも200でもご希望の数を揃えてみせましょう」
ゲームでは非売品ということもあり、プレイヤー同士のオークションでしか売買がされなかったためこの結晶の適正な価格を俺は知らない。
その二枚の皮を被った表情からは真意を読み取ることが出来ない。適正かもしれないしふっかけられているのかもしれない。
だが、条件が金だというのであれば何ら問題はない。
「それは心強いな。
とりあえず150ほど頼もうか」
おそらくは常識外であろう数量を提示する。
言葉通りの意味であれば入手できないわけもなさそうだ。"はったり"の可能性もあるが、商売人として発した言葉の責任くらいは取れるだろう。
1万x150で150万GPといえば相当な金額だが、俺の所持金からすれば1パーセントにも満たない僅かな額だ。
ふっかけられたとしてもこの程度の出費で将来的なレベルキャップのリスクを回避出来るなら安い出費だ。
「……150個、で御座いますか?」
まさか本当にそれだけの数を希望するとは思っていなかったのだろう。表情や顔には現れていないが、気配に動揺が一瞬現れたのを俺は見逃さなかった。
「そうだ。とりあえず今ある5つを見せてもらおうか。
その分とは別に、1週間で手に入るだけの量を掻き集めてくれ」
シャーンがいくら巨大都市とはいえ、このサイズの結晶ともなれば流通している全てを掻き集めても100個にも届かないのではないだろうか?
俺が買い占めのような真似をしてしまっては市場の動きに変調が起こるだろうし、そうなるとさらに入手が困難になることも予想される。
TRPGルールではGP制限以下の品については青天井同然の流通個数だったが、はたしてこの街ではどうなっているのだろうか。
「では、商品の方をお持ちいたします。
ですが、当店ではクンダラク銀行の信用状は取り扱っておりません。
現金かそれに類する品でのお支払いになりますが」
信用状とて偽造は可能である。そういう意味ではこの対応も当然と言えるだろう。
特にいくつもの犯罪結社を抱えるこのシャーンでは偽造の類は比較的容易に利用できるサービスだ。
サイアスのセリフを受けて俺はポケットから1枚の布を取り出した。
フェイズ・スパイダーの糸とエーテルの繊維を星の光で織ったこの布には、一方に異空間へと通じる穴が開いている。
ポータブル・ホールと呼ばれるこの異空間の中には、重量を無視して色々なアイテムを仕舞うことが出来るのだ。
俺が布を広げたままその穴を傾けると、そこからは大量の白く輝く貨幣が零れ落ちた。
「シルヴァー……いや、ドラゴン白金貨ですか!」
ガリファー王国時代に鋳造された最も高価な貨幣である白金貨は1枚で金貨10枚の価値を持つ。
すべてのキャラでカンストするまで貯め込まれた俺の全財産は、ポータブル・ホール一つをこの白金貨で埋めたとしても大して目減りしないほどだ。
「大変だとは思うがここから必要な分だけ数えて持っていってくれ。
現金での支払い限定なんだ、そのくらいはしてくれるよな?」
腰まで届くほどの貨幣の山を一つ作った後サイアスを見ると、彼はその小さな口を目一杯開いて固まっていた。
だがこちらの視線に気づくと一瞬で自分を取り戻し、カウンターの上に置かれていた木製のベルを持ち上げた。
「失礼。確かにこれは大変な作業になりそうですし、従者を呼ばせていただきます」
彼がベルを振りながら《従者よ来れ》と竜語で小さく呟くと、ベルの中にあった白い紐を中心に構成された魔力回路が呪文を発動させた。
それぞれの紐の先から不可視の力場が広がり、やがて人形を取るとこちらへと向かってくる。
《サーヴァント・ホード/従者の群れ》、あるいは《マス・アンシーン・サーヴァント》と呼ばれる秘術呪文だ。
単純作業を行う透明な従者を一定時間創造する呪文であり、従者は術者から一定の距離内で清掃などを行うことが出来る。今回は貨幣を数える仕事を行わせるのだろう。
ゴーグルを通して目に映る人形が白金貨を数えながらカウンターの下をくぐって別の場所へと運んでいくのが見える。傍目に見れば貨幣が宙を舞っているように見えるのだろう。
単体ではなく複数の従者を一度に創造するこれは追加サプリメントの呪文であり、一般的には知られていないと思われる。やはりこの店主はある程度、秘術に通じていると見て間違いないだろう。
「しばらく時間を頂くことになります。
お待ち頂く間、お茶を振舞わせていただきましょう。こちらへお越しください」
彼がそういうとカウンターの一部が音もなく崩れ去り、部屋の反対側へと進む通路が出来た。
幻術には見えなかったし、何らかの技術的な仕掛けがあるのだろう。
「こちらへどうぞ。御掛け下さい」
カウンターの反対側は、客側から見えないところにテーブルが1台設えられていた。
おそらくは、客が居ないあいだはここで何らかの作業をしているのだろう。テーブルの上には何冊かの書物が置かれている。
「どうぞ。粗茶ですが」
差し出されたお茶は、渋みのきつい烏龍茶のような味だった。最初口に含んだときは少々驚いたが、それほど突拍子な味ではない。
「珍しい味の茶葉だな。どこの産なんだい?」
「気に入っていただけましたか?
癖のある味で、眠気を吹き飛ばしてくれるところが私はお気に入りでして。
シャドウ・マーチの産らしく、『カッサン・ブリッジ』でよく並んでいるのを見かけますよ」
サイラスも正面の椅子に腰掛け、烏龍茶モドキを口に運んだ。喉が乾いていたのか、小さめのコップに注いだ分を一気に飲み干した。
「トーリさんと仰いましたか。
シベイ・シャードは実際どれくらい必要なんです?
シャーンは巨大な街です。確かにマーク氏族が大部分のシャードを持っていますが、その輝きに魅せられた上流階級の方々がお持ちの物も多い。
その気になれば1週間でも相当数を揃えることができますが」
やはり気になるのか、サイラスはシャードの事を訊ねてきた。確かにまずそこは確認しておくべき所だろう。
「そうだな、1週間後には2,30もあれば十分だ。
さっきは掻き集めろと言ったが、全部が直ぐに必要ってわけじゃない。
定期的にこの街には来るつもりだし、市場に支障がでない程度に集めてくれればそれでいい」
レベルアップの勢いがこの先どの程度維持出来るか不明なため、シャードを必要とするペースもまた不透明だ。
とりあえず2,3レベル分のストックは常にしておきたいし、今回のシャーン訪問ではそれに少し余裕を持たせた程度の数を得られれば十分だろう。
こういった店にコネを作り、安定供給出来るようになれば今回の訪問は大成功と言っていい。
「ご要望の150個を一週間で全て集めるのは不可能ではありませんが、余計な勘ぐりを招くのは間違いないでしょう。
私の方で定期的に仕入れを行っておきますし、ある程度纏まった数が手に入ればご連絡するように致しましょう」
おそらく用途やそれだけの数を購入する資本についても気になっているのだろう。彼の表情からもこちらに対する並々ならぬ興味を読み取ることが出来る。
「ああ、それならついでに集めておいて欲しい品がまだあるんだ。
『願いを叶えてくれる指輪』なんだが」
『スリー・ウィッシズ』。その名の通り、三つの願いを叶えてくれる魔法の指輪だ。この街の流通上限ギリギリの高価な魔法のアイテムである。
最高位の秘術呪文である《ウィッシュ》の呪文が3つチャージされている。
「これはまた高価な品ですね。
いくつか心当たりはありますし、お取引は可能です。
過分な願いを叶えようとした場合には災いを招くということで『愚者の指輪』とも呼ばれています。
強大な魔力を秘める故に取り扱いには注意を要しますが……貴方は自信がおありのようだ」
どうやらこちらの品も扱いがあるようだ。だが、聞けばどうやら指輪の力で破滅した人物が何人もおり死蔵されているケースが多いのだとか。
確かに高レベルな秘術呪文使いがいないエベロンでは、《ウィッシュ》の制限について詳しく知っている人物などいないのだろう。
『願いを叶える』といっても、それは《ウィッシュ》の呪文で可能な範囲に留まる。
例えば世界で唯一無二のアイテムが欲しいと願った場合そのアイテムの現在の持ち主のところへ連れていかれて戦いで奪い取ることを求められたり、不老不死を望んだら異空間に閉じ込められたり、といったように。
強力な願いには反作用がつきものであり、その見極めを誤ると身を滅ぼす事になるのだ。
その点俺は呪文の詳細なデータを知っているため、失敗する可能性は万に一つもない。チート知識に感謝する点だ。
「使用を敬遠される風潮があるとはいえ、秘められた強力な魔力は誰もが知っています。
1つあたり金貨10万枚といったところですが、先程の様子であれば支払いに問題はなさそうですね」
最高位の呪文だけあって所持しておけばいざという時の切り札足り得る能力がある。ある程度纏まった個数を揃える事が出来れば自力の底上げも可能だ。
どうやらこちらの正体を訝しみながらも、上客として認めてくれたようだ。この指輪の値段はTRPGの設定より割高ではあるものの、ほぼ適正の範囲だ。
白金貨の鑑定にはそれなりの時間がかかるらしく、その間サイアスと話をして時間を潰すことになった。
「シャーンに不慣れなようでしたら、《セントラル中層》の『アンバサダー・タワーズ』に行かれてはいかがでしょう?
この街の事情に精通したガイドを派遣するエスコート・サービスが充実しています。
基本的にはあの街区に多い外交官をはじめとする富裕層向けのサービスですが、成功を収めた冒険者の方々も利用なさっているようですし」
大きな都市だけあって観光客向けのガイドは色々なところで見かけることが出来る。最も多いのはライトニング・レイルや飛空艇の発着場だが、『アンバサバー・タワーズ』はそういった通常のガイドとは一味異なる。
この街区で提供されるガイドは街の事情や魅力に通じているだけではなく、公式な行事や私的な会合に同伴しても恥ずかしくない知性と教養を持ち、さらには別種の"もてなし"もできるコンパニオンを揃えているのだ。
「そうだな、考えておくよ。どこかお薦めを教えてくれないか?」
「有名なところでは『アサーニアズ・コンパニオン』ですね。
その名の通りアサーニアという女性が経営していて、上質な付添い人が揃っているとの評判ですよ」
彼が薦めてきたのは俺でも知っている業者の名だった。だがその知名度はどちらかというと裏側に属するものだ。
ここが他の業者と違うのは、アサーニアズ・コンパニオンがスパイ組織だということだ。
従業員の大多数は知らないことではあるがアサーニアはフィアラン氏族のドラゴンマーク継承者であり、従業員から提出される報告書から情報を選別し、関心のありそうな買い手へと売りつけているのだ。
話術・誘惑・欺瞞の訓練を受けた従業員たちが枕元で顧客から情報を収集する、古典的な手法である。
数ある業者の中からわざわざこの組織を選んだということは、何か含むところがあると思って間違いないだろう。
わざわざ腹を探られるつもりもないし、軽く流しておこう。
「そうか。覚えていたらそこを利用させてもらうことにするよ」
暗に薦めを拒絶しつつ、既に何杯目かとなる茶を口に運んだ。そうして世間話をしていると物陰から不可視の従者が荷物を携えて現れた。
サイラスは中空からつまみ上げるようにその従者の抱えていた小袋を受け取ると、机の上にその中身を並べた。
「お待たせいたしました。鑑定が終わりましたのでご注文の品をご確認お願いいたします」
机の上には不揃いながらも大振りな薄紅色の結晶が並んでいる。俺の目的のドラゴンシャードだ。
手の平に乗せ、意識を集中するとブレスレットに格納しなくてもアイテムの鑑定をすることが出来る。
「確かに、依頼通りの品だな」
5つともが『シベイ・ドラゴンシャード』として認識されている。背負い袋に放り込むフリをしながらブレスレットに格納すると、その中で同じアイテム同士スタックすることも確認出来た。
俺が満足したのを確認してか、サイラスは続けてテーブルの上に二つの指輪を並べた。三つのルビーが嵌め込まれ、強力な魔法のオーラを放つそれは俺の探していた『三つの願いの指輪』だ。
「現在当店に用意出来るのはこの2点のみです。
いずれも保存状態は完全だと自負しております」
彼の許可を得て指輪に触れると、俺の脳裏に先ほど同様アイテムのデータが流れ込んできた。
確かにいずれも《ウィッシュ》の呪文が3回ずつチャージされている。損傷も見当たらないし、文句のつけようもない状態だ。
「一つにつき金貨10万枚だったか。
この二つとも頂こう。支払いはシャード同様さっきの白金貨の山から持って行ってもらっていいか?」
山の感じからして、あと2万枚くらいであれば追加せずとも大丈夫なはずだ。
「はい。そういっていただけると思い、既に2万枚分を数えてあります」
席を立ったサイラスについてカウンターへ向かうと、先ほど俺が積み上げた山が目減りした上で二つに分かれていた。
分割されたその山から指輪の代金のほうを残し、余りのほうをポータブル・ホールに仕舞う。
キャラデータで確認すると、きっちり代金分が減少しているのがわかる。全く、便利な機能である。
「それじゃ、今日のところはこれでお暇させてもらうよ。
纏まった数の仕入れが出来たら連絡をくれ。暫くはここの上層のホテルに宿を取っているから」
ホテルの名前を告げ、案内のウォーフォージドの後について店を辞した。
入ってきたのとは反対側の通路には、同じように狭く暗い階段が続いている。おそらくは先ほどの部屋を中心に対称な構造になっているのだろう。
高級店だけあって、店内で客同士が鉢合わせたりしないように配慮した構造にしているのかもしれない。
そんな思考を巡らせながら歩いているうちに長い螺旋階段も終りを迎え、ようやく出口へとたどり着いた。
外壁から出ると、薄暗く感じていたはずのエヴァーブライト・ランタンの明かりさえもが目に染みるように感じられる。それだけ店内が暗かったということなんだろう。
「お客様。武装をお返しいたします」
道案内をしてくれたウォーフォージドから剣を受け取り、ベルトを用いて腰に鞘を固定する。
その間に用心棒は相方からハルバードを受け取り、再び定位置へと戻っていた。種族の気質もあるのかもしれないが、仕事熱心な事だ。
「結構な長居になってしまったな。良かったら今の時間を教えてくれないか?」
広さ高さからは勘違いしてしまいそうになるが、ここは塔の中であるためにバルコニー等まで移動しなければ外の様子を窺えず、太陽の位置から時間を察することができない。
「三点鐘が鳴ったのは随分前のことです。間もなく四点鐘だと思われます」
俺が店内にいる間、外にいた方のウォーフォージドが顔だけを僅かにこちらに向けて答えてくれた。
この世界の一般的な街では、時刻を鐘を鳴らすことで知らせている。朝の9時から夜の9時まで、時間と同じ数だけ鐘が打ち鳴らされるのだ。
無論個人で利用できる時計もカニス氏族のアーティフィサーを中心に製造・販売されている。水晶の代わりにドラゴンシャードを使用したクォーツ式なんてのもあると聞く。
「ありがとう。またよろしく頼むよ」
彼らにそれぞれ銀貨を渡し、『トワイライト』を後にした。約束の時間まで3時間強。
せっかくなので、シャーンの街を堪能することにしよう。そう考えた俺は、起動させた飛行橇を最寄りの下層へと向かう昇降機へと向けた。
「見えてきました。あれが私の知り合いが経営しているお店です~」
飛行ゴンドラの窓越しに、メイが下方に見える『ノウェン・タワー』の一角を指さした。
塔のバルコニーにあたる部分には、内部から巨大な樹がせり出しているのが見える。
その巨大樹木を中心にまるでバルコニー全体が森になっているかのようだ。常緑の葉に覆われているが、その隙間から垣間見える灯りからしてあそこに店があるらしい。
バルコニーの一角には飛行ゴンドラが発着するための庭園が設けられていた。
気のいい船頭に礼を言って料金を支払い庭園へと降り立つと店の方から一人、エルフの女性が歩み寄ってくるのが見えた。
一般的なエルフの女性の平均からしても頭ひとつ分ほど低い身長は、少女といった形容がよく似合う。
だがそのルーやフィアよりも小さな体からは、信じられないほどの強力な存在感が感じられた。
しかしそれはこちらを圧倒しプレッシャーを与えるようなものではなく、暖かく包み込み安心感を与えてくれるようなオーラだ。
身にまとった衣服は一目で上質と見て取れ、エルフらしく体をゆったりと覆う着心地の良さそうなデザインのローブ。
サークレットやイヤリングなどの装身具は衣服に調和した落ち着いたデザインで、その流線型のラインはそれぞれが自然の事物を象っているのだろうと思われた。
いくつもの宝飾品はすべてそれを身に纏うこの少女のためにデザインされた特注品なのだろう、こちらへと歩み寄る彼女はそれ自体が一個の芸術品のようであった。
そんな彼女は、先立って降りていたメイに駆け寄ると熱烈な抱擁を行った。とはいえ背丈が足りないせいか、彼女の頭部はメイの豊かな双丘に埋もれるような体勢になってしまっているのはご愛嬌といったところか。
「オラドラの御手よ。メイと再びこうして会えることを感謝いたします!
よく無事に帰ってきてくれたわ」
メイの乗った船は、オージルシークスのブレスを受けて真っ二つになり海中に没したと聞く。
周囲の海域が氷結していたことで船長から船に乗っていた冒険者達にコルソス島の調査を行って欲しいとの依頼があり、それを受け小舟で接岸を試みていたために難を逃れたのだ。
封鎖されたコルソスは中位の呪文を使用しなければ外部との連絡はとれない状態だったから、その報を聞いた人達はさぞ心配したことだろう。
「もう、おば様。ストームリーチにあるシヴィス氏族の伝達所からメッセージを送ったでしょう?
大げさですわ」
シヴィス氏族は『刻印のマーク』を有するノームのドラゴンマーク氏族だ。
生来魔術に秀でた彼らは、マークの能力が発現した2,800年前からその能力を発展させてきた。
いまでは彼らはその能力を活かして弁士や公証人のギルドを運営しているほか、大陸間をもつなぐ長距離通信ネットワークを構築している。
即時通信というわけではないが、専用の暗号化された言語によりシヴィス氏族の伝達所経由でメッセージストーンを経由して行われる情報の伝達はあらゆるところで重宝されている。
とはいえ、商売であるため需要の点からコルソスには伝達所が設置されていなかった。
いまのメイであれば占術系統の呪文を組み合わせることで連絡をとることが出来るだろうが、当時の彼女ではストームリーチに到着するまでは伝言を伝える術は無かっただろう。
「貴方の乗った船がサンダー海で消息を絶った時、私がどれだけ心配したことか……。
巨大なドラゴンがあの海域の船を沈めて回っているという噂が流れたのに、あんな短い伝言だけで安心出来るわけないでしょう!」
かつてゼンドリック大陸の巨人文明から逃れたエルフ達はエアレナル諸島で独自の文化を育んでいたが、数百年おきにアルゴネッセン大陸のドラゴンと激しい戦争を繰り返していると聞く。
ドラゴンを敵に回してなお滅びていない、稀有な文明を有するエルフだからこそ年経た真竜の恐ろしさを良く理解しているのかもしれない。
「大丈夫ですわ、おば様。今となっては良い経験になりましたし、お陰でかけがえの無い仲間にも巡り会えたんですもの。
そろそろ私のお友達を紹介させていただけませんか?」
抱擁を解きながらメイがそう伝えると、少女も居住まいを正してこちらへと向き直った。
「こちらはマーザおば様。お母様の遠縁で、小さい頃から良くしてもらっている方。この樫の木亭のオーナーをしていらっしゃるの。
おば様、こちらはトーリさんとエレミアちゃん。二人ともコルソスで知り合った冒険者で、ストームリーチでも助けてもらっているのよ」
紹介を受け、エレミアが胸元のゼールシンに片方の手のひらを当て一礼した。
「偉大なる先達に巡り合う機会を与えてくれた祖霊の導きに感謝を。
我が名はエレミア・アナスタキア。ヴァレス・ターンの末席に名を連ねる身として、砕かれた大地にて英霊の足跡を辿っております」
エレミアに引き続き、俺も挨拶を行う。
「トーリと申します。メイの機転には何度も助けられています。
高名な樫の木亭のオーナーにお会いできて光栄です」
メイが紹介してくれたこの女性は、このシャーンでも有名な人物だ。マーザ・イル=サディアン。ノースエッジ高層の市会議員を務める人物だ。
「初めまして、メイのお友達。マーザと呼んで頂戴。
樫の木亭は皆さんを歓迎いたしますわ。今宵は当店の料理を心ゆくまでお楽しみくださいまし」
マーザがそう告げると奥から一対のエルフの男女が姿を見せた。この樫の木亭の従業員なのだろう。彼らに先導され、座席へと案内された。
店内へと続く通路には両脇にほのかな光を放つ水晶球が埋め込まれていて、中へと進む客達にその魔法の恩恵を浴びせている。
《プレスティディジテイション/奇術》と呼ばれる初級呪文の一種で、ここでは体や衣服についている汚れを落とし清潔にしてくれる効果をもたせているようだ。
ゴンドラの発着場から森へと足を踏み入れると、先程上空から想像したままの光景がそこには広がっていた。
中央の巨大な樹木を取り囲むように多くの樫の木が立ち並び、客席はすべてその木々の枝の上にあるようだ。
それぞれの客席は木々の間に渡された橋で繋がれており、それら客席の床や橋はほぼ全てが木々の枝によって設えられていた。
自然環境に違和感なく溶け込ませることを理想とする、エルフの建築技術がふんだんに発揮されている。
案内された客室では木の実に付与された照明の呪文が天井から降り注ぎ、木漏れ日のようにテーブルを照らしている。
風が吹き込むとそれによって光が踊り、周囲は木の葉のすれあう音で満たされる。森に包まれたようなこの感触、まるで店内は一種のパビリオンのようだ。
「さぞや名のある名工の手による物なのだろうな。
これほど見事なエアレナル風の建築物が見られるとは」
この建築様式のせいか、エレミアは普段よりも幾分リラックスしているように見える。
彼女の祖国ヴァラナーはブレード砂漠と平原に多くの大地を覆われており、王都ティアー・ヴァレスタスは石とデンスウッドで築かれた城塞だ。
それでも彼女が落ち着いているのは、この建築手法がエルフの本質に働きかけているのかもしれない。
「このお店自体も素敵ですけど、マーザおば様の料理はもっと素敵ですよ~
このシャーンで最も経験豊かな料理人でいらっしゃいますし。
議員に選出されてからは息子さん二人にお任せされているそうですけど、今日はきっとその腕を揮ってくださるわ」
あの見た目からは想像もできないが、彼女は300年以上も厨房に立ち続けその叡智と良識で街区全体の尊敬を集めているこのシャーンで最も高齢なエルフだという。
料理人として17レベルというのはこのエベロンでは間違いなく屈指の実力者だ。伝説に残る料理人といっても良いだろう。
「エアレナル料理っていうのは初めてだな。
お昼のお店も美味しかったし、メイのお陰でシャーンを目一杯楽しめそうだよ」
俺がそう言うとメイは少し照れながらもこちらに微笑を返してきた。
普段はアップにしている髪をおろしているために、胸元あたりまで伸びている毛を指先でクルクルとしている仕草は見ていて微笑ましい。
そんなメイを眺めている間に、料理が到着し始めた。見目麗しいエルフの従業員達が、キビキビした動きでテーブルに皿を運んでくる。
新鮮なサラダに冷製のスープ。シャキっとした鮮度の高いサラダはドレッシングなどがなくても次々に口に運んでいきたくなる味わいと歯応えだ。
淡い色のスープは塩コショウとコンソメで僅かに味付けされているものの、これも素材の味を前面に出した品だ。色は異なるがカボチャとタマネギのような食材だろうか?
なんてことはないシンプルな料理に思えるが、スープの絶妙な味わいといい、サラダのカットが客個人ごとに食べやすい大きさに切り分けられていることといい、そこには料理人の隔絶した技量と料理に対する思い入れが感じられた。
一見同じメニューに見えても、その実、客個人個人に対するオーダーメイドのような調理が施されているのがわかる。
漫画の世界では凄腕の料理人は一目見ただけでその客に合った料理を見極めることができるという展開があったが、もはや伝説の領域に達したマーザには同じことが出来るのかもしれない。
テーブルの二人となんてことはない会話をしながら、運ばれてくる食事に舌包みを打つ。
新たな皿がテーブルに運ばれてくるタイミングも申し分ない。ふとした会話の切れ目、舌先に残る味わいが次のメニューに想いを馳せさせる瞬間に新しい料理がテーブルに運ばれてくる。
まるで料理を通じてこのテーブルで起こる全ての出来事をコントロールされているような、それでいて決して不快ではない感覚。
気がつけばコースの料理は全て終了し、最後に運ばれてきた不思議な色合いの飲み物を口に運んでいた。
黄昏を過ぎた薄闇の中に星が光るかのように、暗い色合いでありながらも透明度のある液体の中に反射によって時折光を放つ不思議な木の実が浮かんでいる。
今思い返せば最初に出てきたスープは朝の明け方を思い起こさせる色合いだった。どうやら今日のこのコースは一日の時間の流れをテーマにしていたのではないだろうか。
随分な種類の料理を堪能したにも関わらず、一品一品の量が控えめであったこともありちょうど加減の良い満腹感。
心を穏やかに落ち着けてくれる飲み物の味わいも重なり、このまま部屋に帰ればさぞかし素敵な夢を見れるであろう心地だ。
「その様子だと、料理の方は気に入っていただけたようね」
余韻に浸っていた間に、この時間を演出した偉大なる芸術家がテーブルの脇に現れていた。
一度コック着に袖を通した後着替えたのだろう、先程の出迎えの時とは異なった装いだ。無論、その身から発される魅力にはいささかの陰りもない。
あれだけの料理を生み出すには相当の体力・精神力を必要とするだろうに、その姿からは微塵も疲れている様子は見受けられない。
立ち上がって礼を述べようとする俺たちを軽くジェスチャーで抑え、彼女はメイの隣の椅子へと腰をおろした。
「さて、それじゃあ私に貴方達の冒険を聞かせて頂戴。
コルソスに冬をもたらした白竜の異変の話は、このシャーンでも噂になっていたのよ」
こちらに視線を向けるマーザの表情は好奇心で満ち溢れている。
経験豊かとはいえ、彼女のそれは街での暮らしによるものだ。やはり冒険譚には憧れがあるのかもしれない。
冒険者のような非日常の生活を送る者の話を聞く機会は仕事上多かったのだろうが、身近な存在からともなれば話は別なのだろう。
マーザに従ってついてきていた店員が、テーブルの上に様々な種類の酒のボトルとつまみと思わしき小皿を並べていく。
いつのまに薄暗くなった部屋の中で、時折外部から差し込む光を受けたボトルの輝きがまるで夜空に浮かぶ星のようだ。
どうやらマーザの用意したコースはまだ終わってはいなかったようだ。今夜は長い夜になりそうである。