ホブゴブリンの城塞へと続く地底橋を発見した俺たちは、一旦水場付近まで後退した。
遠目に確認したところでは、橋の中ほどに数名の衛兵、そして士官と思われる大柄な兵士が駐屯していた。
対岸は巨大な門で地下空洞自体を覆うように閉ざされており、迂回するルートは見当たらない。
あの門を突破しなければ彼らの領域、その深きにある『シャン・ト・コーの間』へは辿り着けない様だ。
無論範囲型の心術などで一時的に制圧し、無血で潜入することは不可能ではない。
だが、以前のエピソードからして俺達が目的を果たせば彼らは執拗に追ってくるだろう。それこそ、ストームリーチの地上にまで。
例えスチームトンネルを封鎖しても、この広大な地下空間のどこかから地上へ抜ける道はいくつも用意されているはずだ。
故に俺たちは、『シャン・ト・コーの印璽』を回収するだけではなく彼らの戦力にも十分な打撃を与える必要がある。
そういう意味では戦力を各個撃破できる機会として、あの橋を守る部隊はここで殲滅しておくべきだろう。
基本方針を決定した後、消耗したリソースを回復するためにメイに《呪文持続時間延長》のロッドを使った《ロープ・トリック》の呪文を唱えてもらい、休憩を取ることにした。
この呪文は安全な異次元空間へと接続し、そこでの休息を可能とする。TRPGでも冒険中によくお世話になった呪文である。
異空間へと繋がるロープを格納すると、大きさに関わらず7体までのクリーチャーが休息可能ということで俺達にも丁度いい。
呪文の媒介となった時点でロープも強度が固定され、巨大な鉄の塊である蠍すら支えることが可能になる。
だが、何やら蠍は遠慮しているようで先ほどから俺の視界から逃れるように動き回っている。
「トーリがさっき蟲が苦手って言ったから」
横に立つルーが通訳してくれた。そういえば蠍は甲殻類じゃなくて蜘蛛の仲間なんだっけ?
うーむ、それで気にしてるのか。なんというか、人間味溢れる蠍だな。
少し離れた岩陰に身を隠している蠍に近寄って誤解を解くことにした。
なんと俺が近づくと地面に潜って逃げようとしたので、咄嗟に尻尾を掴んで逃がさないようにすることに。
とはいえ、重さと勢いからして俺が蠍の動きを制止できるわけがない。蠍が地中に引きずり込みかけた俺を慮って動きを止めてくれたといった方が正しい。
「まあ待てって、確かに蟲は苦手って言ったけどさ。
お前のことは頼りにしてるし、心強い仲間だと思ってるんだぜ。
気を悪くしたみたいで悪かった。謝るよ」
それに蟲といっても、昆虫っぽいのは比較的マシなのだ。
人間サイズのクワガタとかが出てきたら話は違うかもしれないが、少なくともこの鉄蠍についてはもはやルーを乗せている姿からしてマスコット感覚。
嫌悪感など沸くはずも無い。
大丈夫ということをアピールするために、クロークに覆われた背中部分に腰掛けてみた。
アダマンティンの装甲が固くてゴテゴテしているのかと思っていたが、確かに表面は固いものの装甲の下のボディ部分にクッションがあるのかサスペンションが効いていて中々の座り心地である。
四対の歩脚を器用に動かし、揺れを感じさせない動きで皆の下まで移動していく。
「仲直り。良かったね」
ルーが戻ってきた蠍の頭を撫でている。蠍も上機嫌なのか、その尾をゆらゆらと揺らしながら撫でられている。
「そういや、こいつに名前ってないのか?」
初対面のときにフィアが『ヴァルクーアの使い』と言っていたが、それは種族名のようなもので固体名ではないだろう。
TRPGでデータ化されていたウォーフォージド・スコーピオンは、ドラウがゼンドリック大陸にある過去の遺跡を利用して彼らの崇める蠍神を讃えるために創り出したといわれている。
俺の目の前にいる個体は通常の人造とは異なる性質を持つようであるが、おそらくその出自自体は同じだろう。
「私達の里には他にヴァルクーアの使いはいなかった。
名前が必要ならトーリがつけてあげて」
ちょっとした好奇心で聞いたつもりが、とんでもない返球が帰ってきた。
MMOでは何時間も考えた挙句、「その名前は既に使用されています」と言われ続けた俺に名前を考えろと来たか。
蠍の背中から降りながら、ルーに一応確認してみる。
「いいのか?
俺は君等の言葉がわからないし、変な名前になっちゃうかもしれないぞ?」
一番の問題はこれだ。俺の知識でどんな名前を考え付いたとしても、エルフの言葉でよくない意味になってしまってはいけない。
「大丈夫。それに、私の役目は名前を祝福することであって名を授けることではないの。
トーリが名前を与えた方が、この子もきっと喜ぶ」
そこまで言われては仕方が無い。俺の知識の中で蠍に関する情報を検索すること暫し。
「……シャウラ。
俺の知っている物語の中で、巨人の勇者を打ち倒して天に昇った蠍、その鋭い毒針を司る名前だ」
蠍座の中で、アンタレスの次に明るく輝く星の名前だ。
敢えて一番有名な星を選ばなかったのは、あの星の赤い色合いがイメージとして合わなかったことと、名前にしては少し呼びづらいかなと考えてのことだ。
「……そう。では貴方の名はこの時よりシャウラとなる」
ルーはそういうとしゃがみこんで掌を蠍の頭に当て、エルフ語と思われる言葉で何事かを呟いた。
おそらく、先ほど言っていた『祝福』だろう。
特に魔法的な効果は無いようで、彼女たちの間に伝わる儀式のようなものだと思われる。『洗礼』のようなものだろうか?
僅かな時間でそれは終了したようで、儀式を終えたルーはシャウラの背に乗るとロープを伝って異空間へと姿を消した。
どうやら俺が最後のようで、既に周囲に皆の姿はない。
念のため足跡を覆い隠す魔法のアイテムを周囲に散布することで皆の痕跡を消去した後、俺もロープを掴んで宙へと身を翻した。
ゼンドリック漂流記
2-9.シール・オヴ・シャン・ト・コー
休憩や準備などで9時間ほどの時間が経過した後、外界に異常がないことを確認して俺たちは再び洞窟内へと帰還した。
短い休憩で事足りるフィアたちが橋の門番達の行動を調べ、間も無く交替の時間であることを掴んでいる。
出来るだけこちらの被害を減らすために、ギリギリまで俺達の襲撃を知られないようにしたい。
そのため、門の外の連中を倒すだけでなくその内側にいる敵兵も倒す必要があるのだ。
交替のために門が開いた瞬間に襲撃し、他へ連絡されないうちに全員を打ち倒す。難易度は高いが、優先順位を間違えなければ不可能ではないはずだ。
敵の士官が敵襲を知らせるために『サークル・オヴ・サウンド』という魔法の指輪をしていることが判明しており、彼らを初撃で無力化するのだ。
この魔法の指輪は最大6組のトランシーバーのようなもので、限られた範囲ではあるが同じ指輪の装着者に思念でメッセージを送ることを可能にしている。
周囲の衛兵は後回しでいい。どうやら周囲には敵襲を知らせる銅鑼のようなものはなく、その指輪による通信に頼っているであろう事が俺達に有利に働く。
士官の装備は高品質なブレストプレートに大きなファルシオン。
一般的には重装甲かもしれないが、一流の冒険者であるエレミアやラピスからしてみれば特に問題のない獲物でしかないだろう。
不可視状態からの攻撃で不意を突くことを考えれば尚更だ。
唯一の懸念は交替の時期を狙うことで敵の物量が実質二倍になるということだが、その程度のリスクであれば許容範囲だと判断しての作戦だ。
交替の部隊が門の向こう側に来たタイミングでメイを中心に陣を組み、彼女の使用する《インヴィジビリティ・スフィアー/不可視球》の巻物により全員の姿を消して移動を開始した。
引継ぎの連絡なのか開かれた門の箇所で二つの部隊が何やら遣り取りをしているのを確認しながら、石造りの堅牢な橋を足音を消しながら進む。
予め決めていた通り、俺とフィアが交代部隊の士官を、ラピスとエレミアが元居た部隊の士官を狙ってメイの作り出した不可視球から飛び出した。
彼らからしてみれば突然瞬間移動でそこに現れたかのように見えただろう。
周囲の衛兵は突然の出来事にこちらに対応できておらず、俺たちは迎え撃ちを受けることなく目標の士官へと辿りついた。
鋭い呼気と共に振りぬかれた刃は、纏っていた金属鎧を紙の様に切り裂きながら士官の指輪をしている方の腕を落とすことに成功した。
続くフィアの攻撃は背後から行われ、鎧と兜の隙間から延髄に差し込まれたショートソードの一撃に哀れな士官は武器を構える間も無く絶命した。
不意打ちの一瞬で、予定通り敵の士官を討つ事が出来た。どうやら、それほどの精兵ではないようだ。
大雑把に敵の戦力に見当をつけた俺は未だ反応できていない衛兵達の真っ只中に飛び込むと、竜巻のように回転しながら横薙ぎの斬撃を放った。
俺の見立てどおり、その一撃で腹部を切られた衛兵達は皆倒れ臥して動かなくなった。死んでこそいないものの、今の一撃で瀕死になったんだろう。
今の攻撃範囲に収まっていなかった他の衛兵たちは他のメンバーによって皆倒されている。どうやら理想的な勝利を得れたようだ。
「どうやら片付いたようだな。思ったよりも手応えのない連中だ」
エレミアの感想も尤もだが、実際のホブゴブリンは普通の人間からすれば相当な強敵である。
彼女のレベルがそれだけ高くなっているということなんだろう。最初に出会ったときの彼女であれば、あの重装甲の士官を2人掛かりとはいえ一瞬で倒すことはできなかったはずだ。
「不意を突いたんだしこんなものだろうさ。
それより後始末をしておかなきゃね」
ラピスの言に従って士官から魔法の指輪を剥ぎ取り、まだ瀕死の衛兵達も纏めて橋の下の地底湖に叩き落す。
重い鎧を着ている彼らは、大きな水飛沫をあげて湖底へと沈んでいった。
派手な血痕こそ残っているものの、彼らのテリトリーからすると辺境に位置するここまでやってくる連中がいるとも思えない。
幸いなことに一瞬で片付いたため、戦闘音は極僅かで増援が来る気配もない。
これで次の衛兵に交替するまでの時間が稼げるだろう。
開かれた門を進むと、等間隔に松明が灯された5メートルほどの幅の通路が続いていた。
足元に転がっていた石を一つ拾い、それに《サイレンス》をかけることで皆の足音を消しながら進む。
突き当りまで進むと衛兵が補給するためのものと思われる装備品が置かれた部屋と、さらに奥に向う通路が分かれている。
《ディテクト・マジック》の呪文を使用して装備品に魔法の効果を持ったものが含まれていないことを確認し、使い物にならないようにメイの《炎の爆発》で粉砕する。
勿論この爆発音も《サイレンス》に阻まれて外へと伝わることはない。
そんな作業を終えてから本命である通路へと足を向ける。
周囲の通路は自然的なものから人工物へと変化しており、そこから感じられる年代から相当古い時代にこの通路が建造されたものだと判る。
やがて通路は曲がり角を迎えた。その角に身を潜ませながら先を伺ったところ、一見何事も無さそうな通路の凹凸に身を潜ませている2体の歩哨を発見した。
「(敵2体を確認)」
ハンドサインで他のメンバーに伝える。
歩哨の立つさらに奥はホールのようなひらけた空間になっており、何人かの衛兵が歩いているのが見える。
確かホールは二つの高台で構成されており、橋で行き来が出来るが対岸側には衛兵が居た筈だ。
無音で目の前の歩哨を倒すことが出来れば、警戒されずに衛兵へも攻撃できるかもしれない。
タイミングを合わせ、出来るだけ通路の壁に身を寄せるようにして敵の歩哨へと突撃した。
まだ続いている《サイレンス》の効果が俺達の足音を掻き消し、それにより目の前の歩哨の反応は遅れることとなる。
こちらを視認した歩哨たちは警戒の叫びを上げようとしたが、もう遅い。
既に彼らも《サイレンス》の効果範囲内であり、その口からは音が漏れることはなかった。
その咽喉に突き立てた刃で絶命した歩哨の体を支えながら、その影に隠れるようにして奥のホールの様子を確認する。
ゲームでの描写どおりホールはこちら側と奥側で二つに分かれており、対岸には士官1名と衛兵2名がいる。
横の衛兵もラピスの奇襲により絶命しているようだが、奥の連中はまだこちらに気付いた様子はない。
おそらく指輪の効果範囲からして、あの士官が門で異常が発生した際の連絡を受け持っているのだろう。
であれば、ここで仕留めさえすれば敵の連携を断つ事が出来るはず。
一瞬でここまでの思考を済ませた俺は、歩哨の死体を振り払いながら姿勢を低くして駆け出した。
十分に助走をつけた勢いで跳躍して断崖を飛び越えると、そのままの勢いでまだこちらに気付いていなかった敵士官に体当たりするようにコペシュを突き刺した。
突撃の勢いも相まって、胴体に柄付近まで突き刺さったコペシュを士官の体を蹴り飛ばして引き抜く頃にようやく俺に気付いた衛兵達が手にした大斧を振りかぶっていた。
彼らは何かこちらに向けて罵りの言葉を口にしているようだが、無論その声も呪文により抑止されている。
自身の声が出ないことに戸惑いながらも斧でこちらの足元を掬う様に攻撃してきたが、狙いが甘く勢いも強くないその攻撃は俺が日常的に纏っている反発の力場と呪文による《シールド》に弾かれて床を削るに留まった。
再度斧による攻撃を行おうとした衛兵達だったが、その時には背後にエレミアとフィアがその武器を振りかぶっていた。
それぞれの攻撃が彼らの急所へと吸い込まれ、2人の衛兵は崩れ落ちる。
俺の耳に衛兵の胴体が地面に当たる音が聞こえてきた。どうやら《サイレンス》の効果時間が終了したようだ。
残りのメンバーはこのホールから伸びている通路のほうを警戒している。背後から襲われる危険を潰しておくためにも、虱潰しに敵を排除しておく必要があるだろう。
通路の中央に立っていた衛兵を遠距離からの矢で仕留めた後、慎重に先を進んでいるとラピスが俺を押し留め、皆へも止まるようにハンドサインを出した。
改めて周囲を観察してみると、衛兵が倒れている床の少し先に違和感を感じる。おそらくなんらかの罠が仕掛けられているのだろう。
ゲームでは無視して進んでいた通路のため、もうどんな罠が仕掛けられていたかは覚えていない。
記憶に残っていないということは大した罠ではないということだと思うが……。
俺が逡巡している間にもラピスは奥へと進んでいき、床の一角を調べるとそこにマーキングとして蛍光の粉によるマーキングを行った。
どうやら床のその部分を踏むと発動するタイプのようだ。
どんなトラップなのか興味が無い訳ではないが、わざと発動させるような危険を冒すまでもない。
ラピスの示した床を慎重に回避しながら、突き当りの壁までたどり着く。
この辺りから通路の横には浅く水が張られた水場が併走しており、正面の壁を迂回するためには一旦水場に入り込んで迂回して回らなければならないという構造になっている。
ゼンドリックのダンジョンでは良く見られる構造だが、その意味は不明である。
壁の部分に何らかの罠が仕掛けられていることが多いことから侵入者対策だろうとは思うのだが。
案の定この壁面にもなんらかの仕掛けがあるようで、ラピスが皆に足を止めるように指示を出してきた。
だが彼女が周囲を調べようとしているところで俺の視界に敵影が映る。先ほどの衛兵が倒れた音を聞きつけたのか、通路の奥から1体のホブゴブリンがこちらに向って歩いてきたのだ。
杖を持ったその術者と俺の視線がぶつかり、お互いが一瞬静止した。
だが、意識を取り戻したのは俺のほうが僅かに早かった。
どの程度の術者かは判断できないが、襲撃を他へと知らされるわけにはいかない。
罠があったとしても反応できると自分のスペックを信じて、一息に敵との距離を詰めた。
「賊か! 焼け死ぬがいい!」
ホブゴブリンの秘術使いが接近した俺に向けて振りかざした杖の先端が赤く輝く。だがその呪文が完成する直前に俺の振るった刃が彼の顔面を襲った。
速度を重視したために浅い一撃に留まり、骨を断つには至らなかったがその傷口には刀身に込められた魔法効果により強酸が湧き出してくる。
炸裂したアシッド・バーストの効果は顔の表面を伝わって術者の目を焼き始めた。
突然の痛みに精神集中を失ったため、発動直前だった呪文は破棄されて空中へと霧散していく。
杖を手放して顔を抑える術者に止めの一撃を放とうとするが、脳裏に走った警報に体を委ねて通路の奥側へと飛んだ。
その直後、通路を遮っていた壁面に飾られていた髑髏の一つがその口から強力な火炎を撒き散らした!
その火勢は凄まじく、炎は5メートルほど水平に伸びて燃焼を続けている。先ほどラピスの警告してくれた仕掛けがおそらくこれだったのだろう。
幸い髑髏は壁面に固定されているようで、火炎の奔流は同じ空間を焼き続けている。一度回避してしまえばもう食らう事はないだろう。
未だにのた打ち回っていた術者をそこへ蹴り込むと、一瞬で焼け焦げて絶命した。
どうやら只の火炎噴射ではなく、粘度のある物質に火をつけながら噴き出しているようだ。
水路側に落ちた術者の死体は、水場にも関わらず未だに燃え続けている。
時間にして30秒ほどの間、髑髏は火炎を吐き出し続けた後に静かになった。
「あんまり無茶するもんじゃないよ。
相当悪質な罠みたいだし、この後も似たようなのがあるかもしれない」
火が消えるや否や、こちらにやってきたラピスから有難い説教を頂いた。確かに先ほどの突入は短慮だったかもしれない。
突っ込んだ自分が罠の対象となるものばかりではないのだ。
「突入しなくても、呪文で対処する手段がありましたからね。
抵抗される可能性があるので確実性は下がっちゃいますけど」
確かに、今のはメイに任せるか自分で精神作用系の呪文などを使って無力化しても良かった。
最近武器を使用しての攻撃ばかりのため、自分も術者であるということをつい失念していた。
アイテムのチャージ品を除けば《シールド》などの白兵戦に活用する呪文しか使用していない。
リソースの節約はいいことだが、少しスタンスを考え直さないとせっかくの能力を活かせなくなるかもしれない。
「だが、今はトーリの判断のお蔭で敵の術者が他へと連絡を行う隙を与えなかったのだ。
連携についてはまだ我々は未熟な点も多い。今後の課題だな」
エレミアの言うとおり、俺たちはチームワークの訓練を全く行っていない。
打ち合わせで各人の役割を大雑把に決定した後はもう実戦の繰り返しだ。そのうちトレーニングの機会を設けるべきかもしれないな。
そんなことを話しながら罠のある通路の先へ進むと、少し歩いた先で行き止まりになっていた。特に隠し扉なども見当たらない。
「ここはさっきの術者の待機場所かな?
有事の際に門へと向うためのものとか……それにしちゃ罠の意図がわからないけど」
確かに良くわからない構造だ。
「まあ行き止まりで敵もいないのであれば用はないだろう。
時間を掛けるわけにもいかないし、次の場所へ向わなければ」
そういって踵を返したエレミアを追ってホールへと戻る。ルーとフィア達は物陰からホール側を警戒していたが特に変化はなかったらしい事を伝えてくれた。
ホールの反対側には格子が下ろされた通路があり、それを開くためのレバーは、ホールに架かっている橋の横に設けられている梯子で下へと降りた先にあるようだ。
その下へ降りた先も通路になっており、別の空間へと繋がっているのであろう自然洞窟へと続いている。
おそらくはそちらが本命だが、ひとまずは格子の先を調査することにした俺たちはそこで3体の術士と遭遇した。
大型のその体に見合わぬ小回りの効いた動きで敵の懐に潜り込んだシャウラが、その鋭い鋏と尾で中央に居た秘術使いを始末する。
突然の奇襲に意識を蠍へと向けた残りの2体の背後を取るのは容易いことだった。
それなりの術者、おそらくその鎧からクレリックと思われるホブゴブリン達だったが囲まれてしまってはその信仰呪文を発動させることも出来ない。
若干の抵抗は受けたものの、結論から言うとこちらは無傷での勝利となった。
「ここも待機部屋か。
行き止まりだし、あの梯子を降りた先が正解のルートみたいだね」
ざっと周囲の様子を確認したラピスの言うとおり、こちらの通路も行き止まりだ。
経路的には手間だったが、敵のクレリックの錬度を測ることができた為無駄ではなかった。
敵襲に際して使おうとした呪文は味方にそれを知らせる通信呪文ではなく、撃退のための攻撃呪文だった辺りが統率の無さを示している。
大陸の鍛えられたホブゴブリンの集団が相手であれば、自身の身の安全は二の次でまずは敵襲を知らせようとしたかもしれない。
そういう点でジューイが言ったようにつけいる隙はあるだろう。
待機部屋ということもあるのだろうが、術者だけで配置されている点も敵襲を意識していないように思える。
このクレリックらは魔法の鎧を装備していたが、流石に鎧を剥いでいく時間は無い。
通路を出ると格子を降ろし、念のため《アーケイン・ロック》で封をした後に残された最後の通路へと進んだ。
どうやら、このホブゴブリンの集落は自然の空洞とそれを繋ぐ洞窟の通路から成り立っているようだ。
空洞部分は生活のためかいろいろと手を入れてあるようだが、お互いを繋ぐ洞窟部分は自然のまま放置されている。
松明が灯されただけのそういった洞窟を進んでいくと、やがて次の空洞が見えてきた。
壁からドクロやスパイクが突き出している点を除けば、このエリアは人間の村と同じような集落に見える。
ぎこちなく縫い合わされた戦の旗印が全ての建物に掲げられている。おそらく『クローヴン・ジョー族』のトレードマークなのだろう。
血の様に赤い布に、鏃を思わせる鋭角的な菱形の印章が描かれている。
ひょっとしたらここは居住区ではなく兵士達の駐屯地なのかもしれない。
壁面を刳り貫いて建てられた建築物に沿って階段が設けられており、それはやがて壁面にそった梯子へとつながり上方へと伸びていっている。
上を覗くと、左右に伸びる壁面を繋ぐように橋が架かっておりその先からは明かりが漏れている。次のルートはあの先になるのだろう。
だが、そちらへ進むためには目の前にいる敵集団を倒さねばならない。
階段の上にクレリックが1体。その下には士官1体と衛兵が3体、そして身を隠しているようだが幅広の片手剣を二刀流に構えた初見の兵種が1体いた。
金属製の肩当と腕甲をしている以外は薄い皮鎧を纏っているだけであり、レンジャーではないかと思われる。
彼らは小型生物、おそらくは奴隷であるコボルドを取り囲んで何やら揉めている様だ。
階段の上に陣取っているクレリックはメイに任せて、俺たちは下にいる前衛たちを担当することにした。
再び《サイレンス》の呪文を展開した後でタイミングを合わせて敵の中心に移動する。
そしてクレリックを含めた全ての敵を《サイレンス》の範囲内に収めた位置で立ち止まると、付近に居た衛兵に斬りつけた。
奇襲に立ちすくんでいたその兵士は急所を切り裂かれて倒れる。その下敷きとなったコボルドが窮屈そうにジタバタしているが、邪魔にならなくて丁度いいだろう。
視界の隅にメイがワンドから放った《スコーチング・レイ》がクレリックに命中しているのが映る。
だが、俺の周囲にいる連中は《サイレンス》の効果か、その事には気付かず目の前にいる俺に対してその手に持つ武器を振り上げた。
しかし、そのうちこちらに武器を向けることができたのは二刀流のホブゴブリンのみだった。
ファルシオンを構えた士官はシャウラに、大斧を振り上げた衛兵はエレミアとラピスによってそれぞれ打ち倒されている。
右手で構えられた巨大な鉈の先端に三つの突起が生えた凶悪なフォルムの剣が、こちらの首筋に向けて伸びてくる。
最低限の見切りで回避したとしても、その後に横へ振ることで突起部分でこちらの頚動脈を狙っているのだろう。
今までに幾人もの犠牲者の血を吸ったのか、その突起の為す凹凸部分には赤い血糊がこびり付いていた。
無論相手の思い通りに回避するようなことはしない。
一歩踏み込むと石を握ったままの左手の甲を使って、ホブゴブリンの体を外へ流すようにその右手を払いのける。
半身となった俺の体の正面側へ、ホブゴブリンが背中を向けるように移動していく。この位置であれば敵の左手の武器が俺を狙うことは無い。
とはいえ追加の攻撃を許すようなことはしない。
ダラリと下げていた右手のコペシュを切り上げ、無防備な脇下から上半身を半ばまで切断した。
刃が通り抜けた切断面からは強酸が迸り、傷口は血を流すことなく焼け爛れる。心臓まで届いていないとはいえ、片肺を切断された兵士はその一撃で命を失い地面へと倒れ臥した。
遠距離からの熱線でクレリックを倒していたメイがこちらへと近づいてくるよりも早く、他の敵兵も倒しきったようだ。
《サイレンス》の基点となっている石をブレスレットに格納すると周囲に音が戻ってくる。
すると、ホブゴブリンの死体に押し潰されていたコボルドがそこから這い出してきた。
「うう、グリーズィクスの命を助けてくれてありがとう。
怪我してないようだな。グリーズィクスはただの召使で、大きな連中のために松明を燈し続けているだけなんだ。お前達の邪魔はしないよ」
小柄なコボルドは訛りのある共通語で話しかけてきた。
「わかった、お前に危害は与えない……もしお前が俺達の役に立ってくれるならね」
少し脅しをかけるように話すと、彼はその小さい体を精一杯使ってこちらに害意がないことをアピールしてきた。
「グリーズィクスは助けるよ。大ボス目的で来たんだろ?
シャーグは本当に悩みの種なんだ……松明の火が消えたら、グリーズィクスを寝させてくれないんだ。
それにグリーズィクスを殴ったりする。奴を殺してくれるんだろ?」
やはり彼はここで使われている奴隷コボルドのようだ。そしてその扱いは決して良いとはいえないことが判る。
「最初にボスのヘルメットを奪うんだ。
大昔のクレリックが祝福を与えたんだ。シャーグの大のお気に入りの品物だ。
いいヘルメットだぞ。ちゃんと脳みそを守ってくれる。
玉座部屋にいるシャーグを探し出し、ヘルメットを奪って奴に剣を突き刺せ。そうすればうまくいくよ」
グリーズィクスは両手でその頭を覆いながら、シャーグの身につけているヘルメットが如何に優れた品であるかを力説している。
ジューイもその兜には言及していた。ゲームで登場した際には低レベル帯のクエストのアイテムにしても使えない微妙な品だった記憶しかないが、少し事情が異なるのかもしれない。
「なるほど。それじゃそのシャーグってのはどこにいるんだ?」
とりあえず色々とゲームと異なっていることを確認できただけでも有用だ。
元は別の場所に安置されているその兜を奪取するクエストをこのグリーズィクスから受けるのだが、どうやらシャーグは既にその兜を身につけているようだ。
「奴は住処の一番上にある玉座部屋にいる。そこの梯子を上って水門を越えていけばすぐだ。
お前たちは運がいい。グリーズィクスが作ったこの合鍵をやる。これで水門も通れる」
そういうと彼は腰に下げていたポーチから、束ねた針金を折り曲げて作ったような歪な鍵を渡してきた。
「あの図体のでかい連中はグリーズィクスの才能に嫉妬して苛めるんだ。
毎回鍵を受け取りに行く手間を省くために合鍵を作ってやったのに感謝するどころかグリーズィクスを殺そうとした!」
どうやら先ほど彼が囲まれていたのはそれが原因だったようだ。そりゃ、防衛の要地の合鍵なんて作られたら怒りもするだろう。
このコボルドは手先が器用だが、どうも抜けている処があるようだ。
「それじゃグリーズィクスはもう行くぞ。お前達には感謝してる」
そう言うと小柄なコボルドは俺達が来た外へと通じる通路の方へと向っていった。この隙をついて脱走するつもりなのかもしれない。
「いいのかい?
あの手合いは放っておいても碌な事にならないと思うんだけど」
投げナイフを掌で玩びながらラピスが聞いてきた。俺の返事次第ではすぐにでもその手首から銀光が哀れなコボルドの背中に吸い込まれるのだろう。
「まあ構わないさ。十分な話を聞かせてもらったし、今は先に進む方が優先だ。
お礼を言ってもいいくらいだよ」
そんな遣り取りをしている間に既にコボルドの背中は見えなくなっている。彼が無事に地上に辿り着ければいいのだが。
最後に通路の方を一瞥したあと、俺を先頭に階段と梯子を登り始めた。
頂上まで登ったところでこちらに背を向けているクレリックを発見したため、《サイレンス》の小石を取り出して駆け寄りバックスタブで始末する。
どうもここの連中は敵襲に備えているというよりは、奴隷としてこき使っているコボルドの監視が主な任務のようだ。
ここ以外にも橋の対岸には2体のクレリックが居るが、両名ともこちらには背を向けている。
せっかくの信仰呪文の使い手を、このように分散して無防備に配置しているのは非常に勿体無く感じる。
こちらとしてはありがたい限りなのだが。
皆が梯子から上がってきたのを確認し、橋の中央を進む。無音で背後から忍び寄る影にクレリック達は気付く様子も見せない。
《サイレンス》の範囲内に囚われて初めて反応を見せるが、そのときにはもう遅い。
主要な信仰呪文は音声要素を必要とするものが多く、回復呪文を使用できなくなったクレリックは貧弱な戦士に過ぎない。
しかも3倍の物量で攻撃されては反撃の暇すら無い。瞬く間に彼らは自身の血の池に沈むことになった。
橋を渡った先の通路はまた天然の洞窟になっていた。途中巡回している斥候に遭遇するが、単体だったためこれも声を出す間も与えず切り伏せる。
怖いくらい順調に進んでいるが、やがて楽には通してもらえそうに無い地点へと差し掛かった。
正面にはT字路となった交差点が見えており、左右の道はコボルドの奴隷や警邏のホブゴブリンも多く巡回している。
「……また《インヴィジビリティ・スフィアー》の巻物を使いましょうか?」
物陰に隠れながら様子を窺っているところでメイが呪文の使用を提案してきた。
「いや、あの往来の激しさでは姿を消すために固まっていては通行人と激突することは避けられまい。
距離を詰めるには良いかもしれないが、そのまま通過するわけには行かないだろうな」
答えたエレミアの見立ては俺と同じだ。残念ながら眼前の通路の道幅は3メートル程度。
シャウラに地中を進んでもらったとしても、ホブゴブリンが来たらギリギリすれ違えるかどうかだ。
連中が道の真ん中を歩いてれば、避ける際に球内から出ることになりかねない。
「シャウラに先行してもらって退路を断とう。
ゴブリンの動きを見るに左の通路が水門に繋がっているみたいだし、あっちに敵が逃げないように道を塞いでもらう。
俺たちはその閉じ込められた連中の相手だ。
シャウラ、済まないが頼めるか?」
俺に応える様にシャウラがその尾を縦に振った。
先ほどまでの敵の実力からすれば、このアダマンティンの装甲を抜けることはないだろうし単独でも任せられると判断した。
「待ってよ。どうせなら通路の先を偵察してもらった方がいいんじゃないか?
あの左側の通路が水門に通じてる確証は無い。塞ぐべきは右側の通路かもしれないだろう。
何なら僕1人で《インヴィジビリティ》の呪文を使って偵察してきても構わないんだよ」
ここでラピスが異を唱えてきた。
確かに敵の往来を少し眺めただけで通路の行く先を推定するのはリスクが高いと考えたんだろう。
それは当然の考えなんだが、何分これは俺の持つゲーム知識というチート能力を如何にもな理由でこじつけただけの物だ。
他者に説明するのは難しいし、今のラピスの提案を覆すほどの理屈は俺には思いつかない。
そう考えてラピスの偵察にゴーサインを出そうとしたところで、意外なところから援護射撃が飛んできた。
「いや、あの左の通路が水門に続いているのは間違いないだろう。
右の通路は……確か行き止まりになってたはずだ。トーリの提案で問題ないだろう」
エレミアが瞳を閉じ、何かを思い出すようにこの先の構造を言ってのけた。
確かレンジャー呪文には《レイ・オヴ・ザ・ランド》という周囲の地形を把握することが出来る便利な呪文があった。
今呪文を使用した気配は無かったし、昨晩のうちに使用していたのだろう。
確か基本ルールブックには掲載されていない呪文だったが、ヴァラナーのエルフには伝承されているのだろう。
まさかエレミアにゲーム知識があるわけでもあるまい。
「エレミアまでそう言うなら構わないけど……
まぁどうせ皆殺しにするんだし、順番が入れ替わるくらいの違いかな」
「すまないな。巧く説明することが出来ないのだが信じて欲しい」
どうやら2人の間で話し合いは済んだようだ。ラピスが納得したことで先ほどの俺の作戦を実行することに決まった。
ギリギリまで《インヴィジビリティ・スフィアー》で接近して交差点の見張りを排除後、左右に別れて敵を掃討する。
既にシャウラは地面に穴を掘って地下を進んでいる。通常の陸上移動速度の半分、つまり重装の戦士の戦闘速度と大差ない勢いで地中を進んでいるはずだ。
見張りや巡回に見咎められることなくメイの使用した巻物で姿を消した俺たちは、道行く奴隷のコボルド達に悪態をついているホブゴブリンの見張りを不意打ちで仕留めると左右に別れた。
俺はルーとフィアを連れて左へ進み、シャウラとの合流を目指す。
突然現れた侵入者に警邏のホブゴブリンは唸り声を上げ、コボルドは荷物を捨てて逃げようとする。
「逆らわなければ殺しはしない!」
襲い掛かってくるホブゴブリンの斧兵達を始末しながらコボルドに呼びかける。
おそらくホブゴブリンの指示は共通語で伝えられているだろうから、彼らの大部分はこちらの言葉を理解できるはずだ。
コボルド達は戸惑いながらも、ホブゴブリンたちしか傷つけない俺達の行動を見て恐慌に陥ることも無く大人しく道の端に寄ってこちらを窺っている。
3体の衛兵を討ち、30メートルほど進んだところで通路は緩やかなカーブを描いておりそこでシャウラが道を塞いでいた。
周囲に戦闘の痕跡は見当たらず、水門へ逃れた敵はいないように見える。
どうやら敵の遮断に成功したと判断した俺は、蠍を怖れて立ち止まっていたコボルドらを率いて道を引き返した。
交差点まで戻ったところで、同じようにコボルドを集めて何やら話をしているエレミア達に合流した。
「ヤーッ! シャーグは私が箱みんなこわした思うだろ!
お前なおしに行け、じゃなきゃかみつくぞ!」
「ヤーッ、ヤーッ!何?お前はドラゴン語が話せないのか?」
「お前食べ物くれるか?
ワシ、ホブゴブリンに言わない。ワシ約束する!」
コボルドらは口々に何事かを喋っており、情報収集は上手く言っているとは言い難いようだ。
このままでは埒が明かないと判断した俺は、武器をコペシュからグレートアックスへと持ち替えて注目を集めるように眼前の足元へと叩き付けた!
「俺達の聞いたことにだけ答えろ!
それが終わったらどこへなりと去るがいい。既に外へと通じる通路に連中の姿はない。
だが、あまりに手間を掛けるようであればこの場でドルラーへと旅立ってもらうことになるぞ!」
脅しの文句を述べた後に、連中に向けてギロリと"威圧"を行う。
気圧されたのか、コボルド達はその騒がしかった口を閉じて俺のほうへ向き直った。
それを見た俺は頷くと、続けて口を開けた。
「よろしい。
ではお前達がここのホブゴブリン共について知っていることを教えろ。
あるいはここ最近で起こった変わった事でもいい」
『シャン・ト・コーの印璽』を手にしたことで何か動きに変化が訪れたのであれば事前に確認しておきたいと思ったのだ。
「シャーグはコボルド食べるって前に聞いた、私は食べないでほしい!」
「私、昔はコボルドの老酋長が好きだった、でもあの男は私をホブゴブリンに売った!」
「俺、ドラゴン友達。あいつきっと助けに来る、たぶん……」
彼らは口々にそんな無関係な愚痴も吐き出しつつ、この先にある水門の防衛状況について話してくれた。
常時10人以上の士官率いる衛兵達が詰めており、そこから奴隷に荷運びの指示を出しているらしい。
何やら地下水路を使って他のホブゴブリンの集落と交易を行っているとか。
「そんなところか。よし、それじゃあ行っていいぞ。
運が悪くなければストームリーチまで辿り着ける筈だ」
コボルド達に俺達が街から障害を排除しながらここまで来たことを伝えた。暗視能力を持つコボルド達であればあの道行を越えて街まで辿り着く事も出来るだろう。
もっと時間を掛けて丁寧に話を聞けば有用な情報も手に入ったかもしれないが、ここで時間を掛けていては偵察隊に発見される恐れがある。
それよりは早期に水門を突破し、玉座に奇襲を掛けるべきだろう。立ち去っていくコボルド達を見送って意識を切り替える。
「よし、それじゃ先に進もう。
水門では俺とエレミアで離れた場所にいる敵を処理しよう。
他の皆は今までどおり士官と司祭を優先して倒してくれ」
本来であればメイの《ファイアー・ボール》の呪文が遠距離攻撃には適しているのだが、洞窟内で使うとおそらくその爆発音が伝わってしまうだろう。
そこで俺とエレミアによる弓攻撃を用いるというわけだ。
念のため、俺は他の皆の《不可視球》とは別に透明化の呪文を使用して先行偵察を行った。
呪文による不可視は俺とルーの《トゥルー・シーイング》には通用しないため、この2人がバラけていれば姿が消えていても連携は可能なのだ。
水門周辺はゲームでの縮尺を10倍くらいにしたサイズであり、小さな港といった風情だ。
ゲーム中では描写されていなかった地底を流れる川が洞窟の中央を流れており、その流れを遮るように水門が設けられている。
現在船は停泊していないが、コボルドが持ち運べるように考えられているのか小さめの木箱が至る所に積み上げられている。
足音を殺しながら積み上げられた木箱の上を移動し、敵の配置を確認。
情報どおり、10を超える衛兵とそれを指揮する士官、そして奴隷に指示を出すクレリックがこの港には詰めている。
広い空間に散らばっていることもあり、奇襲で一掃することはできないそうもない。
作戦を練り直すことも考えたが、不可視化の呪文の効果時間はそう長くない。
それに、そのうち新たな奴隷が俺達が通ってきた通路などに移動すれば襲撃のことが知れ渡ってしまうだろう。
作戦通りに行動することを決意してルーにハンドサインで合図を送り、タイミングを合わせて攻撃を開始した。
ラピスとフィアが手近な位置に居たクレリックに忍び寄り、左右から挟みこむようにその胴体にショートソードを捻じ込んだ。
その攻撃により、彼女達の姿を覆っていた不可視の球体が溶け崩れる。ホブゴブリン達から見れば、彼女達が突然空間から滲み出てきたように見えただろう。
俺も用意していた弓に矢を番え、皆からは射線の通っていない位置に居た敵の士官に射掛けている。
立て続けに放たれた二矢はホブゴブリンの左目と喉を射抜き、弓により込められた聖なる光が鏃を通して炸裂しホブゴブリンの頭部を焼却する。
「敵襲!
地上のモヤシどもが久しぶりにやってきたぞ!」
俺が射殺したのとは別の士官が声を張り上げて衛兵達を纏め上げようとしている。
少し離れたところでは、クレリックが奴隷達を通路へと蹴り飛ばしている。敵襲を知らせに行かせたのだろう。
残念ながら背丈の小さなコボルドたちはすぐに洞窟の岩に隠れて見えなくなってしまい、その足を止めることは出来なかった。
だがそのクレリックも数瞬後にはエレミアの放った矢を受け、額を壁に縫いとめられて物言わぬオブジェと化した。
シャウラがルーを乗せたまま敵の衛兵の集まろうとしているところへと突っ込んでいき、その長い尾と巨大な鋏で敵の隊列を乱したところでラピスとフィアが一体ずつ始末していく。
俺はそんな彼女らの戦闘を横目で追いながらも、水門に近い高台でこちらに向けてジャベリンを投擲してくる衛兵を弓で始末していた。
水門の向こうへと伝令を行かせる事は防いだが、おそらく先ほど別の通路へ散らされたコボルドたちが俺達の敵襲を伝えているだろう。
そちらにもクレリックはいるだろうし、魔法的な手段で水門の奥へと襲撃のことが伝わるのは避けられないだろう。
「ここから先は時間との勝負だな。
皆、水門を超えるぞ!」
衛兵達を一掃したラピスたちに声を掛け、グリーズィクスから受け取った鍵を使って水門に設けられたドアを開いた。
水門と呼ばれているが、実際には地底に流れる川沿いに設けられた関所のようなもので水の流れをコントロールしているわけではない。
皆が水門を通った後に《アーケイン・ロック》で扉に魔法的な鍵を掛ける。これで増援部隊からの追撃を遅らせることが出来るはずだ。
「もう俺達の襲撃のことは知られただろう。
後は防衛体制を整えられる前に玉座まで突っ走るぞ!」
川沿いの通路を走っていると、やがて前方に広い洞窟が広がっているのが見えた。
やはり俺達のことは伝わっているようで、ジャベリンを構えた衛兵達がこちらを指差しながら何かを喚いているのが見える。
「突っ込むぞ!
本格的に迎撃される態勢を整えられる前に突破するんだ!」
横を駆けるエレミアとラピスに《ジャンプ》の呪文をかけた。
洞窟は手前部分が水の流れ込む浅い池になっており、奥にある水場を見下ろす高台には次々とホブゴブリンが襲撃に対応すべく集まってきている。
梯子が壁面に取り付けられてはいるが、そんなものを使う隙を見逃してくれるほど敵は甘くは無いだろう。
「トーリ、先行するよ。
エレミアは一拍遅らせてついてきな!」
ラピスがそういってギアを上げ、先頭に立って洞窟へと突っ込んでいく。
その彼女に照準を合わせるようにして、敵のクレリックが《フレイム・ストライク》の呪文を打ち込んできた!
上層で死霊術士が唱えた同じ呪文と比べれば構成の練り込みが荒いのか威力も低いようだが、今回は待ち構えていた2体のクレリックによる同時攻撃だ。
頭上から轟音とともに2つの炎の塊が落下してくる。外から見れば天井から火の柱が落ちてきたように見えるのではないだろうか。
叩きつけられた熱により足元の水が蒸発して霧を生むが、同時に信仰エネルギーが転化された打撃力が吹き荒れ、すぐに吹き散らされていく。
今踏みしめている水溜りはこうした迎撃によって掘られたものなのか、呪文の打撃によって洞窟の床面も大きく揺れる。
先制の攻撃呪文としては十分に上等な部類に入るが、俺とラピスはこういった範囲魔法から身を守る術を心得ている。
炎による熱エネルギーだけではなく信仰心による打撃力も備えた呪文ではあるが、卓越した身のこなしで呪文のエネルギーをいなしていく。
ラピスの狙い通り俺達が先行することで後続の皆は呪文の範囲に含まれずに済んだ。あとは乱戦に持ち込めば今のような範囲攻撃を防ぐことが出来る。
洞窟入り口にたどり着いたメイが、敵の密集地帯に向けて《ファイアー・ボール》を放つ。
クレリック1体と数体の衛兵を巻き込んで火球は爆発し、吹き飛ばされたホブゴブリンが焼け焦げながら空中へと投げ出される。
その爆発に敵の意識が一瞬引き付けられた瞬間に、俺は《ジャンプ》呪文により強化された跳躍力で一気に高台へと飛び込んでいった。
衛兵にコペシュを振り下ろして受け止めようとした大斧ごと両断し、《シアリング・ライト/焼け付く光》による光線を回避しながらその呪文を放ったクレリックへと肉薄する。
(使った呪文の威力から見て9Lv程度のクレリック……やや頑強なホブゴブリンだとしてHPは80点程度か?)
要所に詰めているだけあって、この場に居るクレリックはかなりの実力者だ。脳裏に浮かぶTRPGでのデータを反芻しながら戦術を模索する。
正攻法ではすぐには倒せないと判断し、隣接したクレリックの頭部めがけて左手で掌打を放った。敵の意識を刈り取ることを狙った《朦朧化打撃》だ。
脳を揺らすように放たれた打撃を受けて、一瞬とはいえ意識を飛ばしたクレリックは手に持っていたヘヴィメイスと聖印を落とす。
さらに隙を突いて急所である頚部を狙ってコペシュで斬りつける。並みの戦士よりも遥かに鍛えられたその体は流石に一撃で首を刈る事は出来ず、深手を与えたに留まる。
今の一撃は確かに大きな負傷を与えたが、クレリック相手では喉を確実に潰すなどして呪文の発動を防がなければ回復魔法により一瞬で癒してしまうだろう。
その隙を与えぬよう、首筋から血を溢れさせている敵に対して追撃を加えた。
コペシュで切りつけると同時に足払いを加えて転倒させ、転んだところでさらに追撃の蹴りを見舞う。
チートされた筋力により吹き飛ばされたクレリックの向かう先には、ダブルシミターを振り上げたエレミアの姿がある。
今度こそその首を胴体から切り離されながら、敵の死体は水場へと転落していき濁った水面を赤に染めた。
俺が高台に飛び上がってからここまでで20秒ほど。
同じくここまで飛び込んできたラピスは、メイの火球に焼かれたクレリックを早々に始末して既に衛兵の掃討に掛かっている。
最初にここに陣取っていた敵はその後到着した後続の皆の援護もあり、まもなく殲滅が完了した。
僅かに離れた崖上の通路からは、既に衛兵の補充が止まっている。敵はこの位置での迎撃を諦めてさらに奥で陣を布いているのだろう。
あまり時間をかけていると、後ろからやってくる敵の増援に挟撃されることになるため小休止を取る余裕も無い。
衛兵程度であればどれだけ来ても脅威にはならないが、先ほどのクレリック並みの実力者が混じっていると厳しいことになる。
前後から範囲攻撃呪文を打ち込まれると流石に磨り潰される恐れもあるからだ。
そうならないよう、この先で待ち構えている敵の戦力を圧倒的な火力で打ち砕く。その後に後ろからくる連中を相手にすればいい。
通路の影に身を潜めていた敵の斥候を斬りながら洞窟の奥へと坂道を登っていくと、やがて広い空洞へと出た。
深い峡谷に橋が架かっており、大勢のホブゴブリンの集団がその前に陣取っている。
視界に写った敵の集団、その中心に向けてアイテムにチャージされていた《ディレイド・ブラスト・ファイアーボール》を解き放つ。
オージルシークスの口腔を焼いたこの呪文に対し敵からの《ディスペル・マジック》が飛ぶが、チートアイテムに蓄えられている呪文の効果は生半可な解呪など受け付けない。
煌く黄金色の火球はこちらの思い描いたとおりに直進すると、目標の地点で低い轟音と共に大爆発を起こした。
直径にして10メートルを超える範囲を凶悪な熱波と爆風が蹂躙する。
巻き込まれた衛兵は一瞬で絶命し、生き残ったクレリックたちも深手を負っている。そしてそこに間髪入れずメイの放った《ファイアー・ボール》が着弾する。
移動しながらもリングの効果で先ほど使用した呪文リソースを回復させていた彼女のファインプレーだ。
俺の放った初撃の火球に解呪を試みた敵の術者たちは、立て続けに飛んでくる攻撃呪文に反応することが出来ていない。
人間の文化圏では大都市でも数人を数える程度であろう実力を有したホブゴブリンのクレリック達も、この連続攻撃には耐えられず崩れ落ちる。
だが待ち構えていた敵の防衛線はそれで終わるほど薄いものではなかった。
「クローヴン・ジョーの勇士よ。
地上に巣食う住人どもを殺せ!
この地底に踏み込んだ愚か者に、ここで手に入るものが死だけだということを教えてやれ!」
奥に陣取る、立派なフルプレートに身を包んだクレリックが周囲の兵達に檄を飛ばしながら呪文を発動させる。
10名を越える兵士達に炎に対する抵抗力が付与されるのが見て取れる。コルソスでセリマスが使った《マス・レジストエナジー》だ。
さらにその隣に控える術者が何事かを唱えると彼を中心に白い光が爆発的に広がり、その範囲内にいた彼らの信仰する神格の加護が宿る。《リサイテイション/朗唱》の呪文だ。
古代から巨人帝国に仕えていた彼らの間には、このエベロンでは一般的に知られていないマイナーな呪文も多く伝わっているようだ。
最後方に控えていた敵の秘術使いが、先ほど同様突出していた俺とラピスを後続から分断するために《ウォール・オヴ・フォース》を張り巡らせる。
不可視の力場によって構成された、ほぼ全ての干渉を防ぐ壁は敵の狙い通り俺達を分断する。
そして敵の秘術使いはそこにさらに呪文を重ねてきた。
展開された壁面のあちら側の地面が黒い靄に覆われたかと思うと、長さ3メートルはあろうかという烏賊の足に似た大量の黒い触手沸きあがってきた。
《ブラック・テンタクルズ/黒い触手》という名称そのままの、効果範囲に大量の触手を召喚して敵を束縛する呪文である。
触手の組み付きに抵抗できそうな前衛は引き離して物量で押し潰し、後衛は触手で絞め殺すという戦術なのだろう。
確かに並の冒険者であればこのコンボを食らえば分断・殲滅されたかもしれない。だが、俺たちは控えめに言っても並という範疇に収まるチームではない!
力場の壁付近まで到達していたメイの姿が掻き消えたかと思うと、一瞬の後にその姿は壁のこちら側へと現れる。
召喚術に特化した彼女の有する《にわかの移動》という短距離瞬間移動能力だ。
続いて彼女は予め準備していた呪文を解き放つ。
「《リグループ》!」
その力ある言葉と共に発動された呪文は、今まさに触手に囚われようとしていた他のメンバーを"力場の障壁のこちら側"へと空間を越えて呼び寄せた。
これは近距離にいる仲間を自分の周囲へと召喚する効果を持つ呪文である。
彼女達を狙っていた黒い触手は、直前まで確かに狙った獲物がいた空中を虚しく掴んでいる。
そして今や遮る壁を失った敵に対して、旋風となった狩人たちが襲い掛かった。
ラピスとフィアはその身軽さを活かして敵中へと踊りこみ、その連携を断つ。
そしてエレミアとシャウラはその圧倒的な攻撃力で敵を薙ぎ払っていく。
俺は前へと出てきた敵の前列を彼女達に任せて突破し、橋を越えた先にいる秘術使いへと迫った。
メイが念のために呪文相殺を行うべく待機しているとはいえ、先ほどのような広範囲制圧型の呪文がまだ準備されていては厄介である。
橋の欄干を"軽業"により飛ぶように進み接近すると《朦朧化打撃》を加えようとしたところでその術者の体が左右に分かれたかと思うと次々と幻が生まれ、眼前の術士は5体に分裂していた。
《グレーター・ミラー・イメージ/上級鏡像》、言ってしまえば分身の術だ。
ほんの一歩を後退されただけで、既に実像と虚像が入り乱れてどれが本体だったか把握できなくなる……普通であれば。
「残念、それは悪手だ」
分身体の中から1体を選び、呪文を詠唱しようとしていたその口中にコペシュを突き立てた。
俺の装備しているゴーグルには《トゥルー・シーイング》の呪文が付与されており、あらゆる呪文による幻を看破することができるのだ。
コペシュを引き抜き、トドメの一撃を見舞おうとした瞬間に俺の背筋に悪寒が走った。咄嗟の判断で剣を止め、蹴りで術者を蹴り飛ばす。
抵抗する力も無く峡谷を墜落していくと思われたその敵は、俺の足先から僅かに離れた場所で突然爆発した!
彼は自身の死をトリガーとした《デス・スロース/断末魔の爆発》の呪文を発動させて自爆攻撃を行ったのだ。
断末魔の絶叫が洞窟中に響き渡り、物理的な重圧となって俺の体を打ち据える。
通常の範囲攻撃と違い、抵抗することの出来ない攻撃に打ち据えられて俺のHPが大幅に削られる。
怖ろしいことに、この術者は自分達の命をも罠として利用していたようだ。
他の集団と離れて、最後方で術者を狙ってくる遊撃部隊を自分諸共抹殺するつもりだったのだろう。
何らかのアイテムか特技の力により《呪文威力最大化》されていたその自爆攻撃を受けて、俺のHPは一気に半分まで落ち込んだ。
命を引き換えにしただけあって単発の威力だけ見ればあのゼアドの豪腕をも超える破壊力。俺以外の人間であれば間違いなく死んでいる。
だが、ここで足を止めるわけにはいかない。
橋の手前ではクレリック2体に率いられたホブゴブリンの軍勢が蛇のごとき迅速な動きでもってエレミア達に反撃を加えている。
先ほど檄を飛ばしたクレリックが指揮を取り、組織的な戦闘を行っているようだ。
今はその防具の表面を削るに止まっているその攻撃も、持久戦に持ち込まれれば十分に呪文を蓄えたクレリックを擁し数でも勝る敵のほうが有利になるだろう。
苦戦している彼女らを救うべく、橋を取って返す。
見たところ、敵は2体のクレリックを中心としてその周囲を囲む戦士達が少しずつ隊列を入れ替わりながらエレミア達を攻撃しているようだ。車懸りの陣のような、といえば判って貰えるだろうか?
傷を負った戦士が後ろへ下がってポーションやクレリックの呪文で回復し、入れ替わりで常に万全の状態で前線に立つ。
そしてクレリックは隙あらば《ホールド・パーソン》を唱え、《マス・スネークス・スウィフトネス》のワンドで前衛に攻撃を指示するなど効果的な支援を行っている。
流石のエレミア達も、次々に入れ替わる敵をその僅かな時間で倒しきることは出来ない。
戦いが長引いて疲労が積もれば、呪文に抗する意志力も削られる。そこで呪文による麻痺を受ければ待っているのは確実な死だ。
だが、その回転を止めるのは簡単なこと。遊軍となった俺が、その歯車を止める楔となればいい。
俺の生存に気付いてクレリックの片割れが足止めの呪文を放ってくるが、ブーツの加護以前に呪文の構成が甘く、さして意識を向けずとも束縛を打ち破ることが出来た。
そのまま突進し、ホブゴブリンの前衛たちの隊列に割り込みをかけた。
正面にクレリック、左右にファルシオンを構えた兵士が2体と3面を囲まれた状態ではあるが実質の脅威は正面のみである。
左右のホブゴブリンもエレミアと同程度の技量は有しているようだが、その程度では俺のローブに攻撃を掠らせることも出来ない。
逆にこちらへ向けてきた攻撃を回避することで生まれた攻撃後の隙を突いて足払いを打ち込み転倒させるだけの余裕がある。
一方で左右に構えた武器を使い、それぞれのクレリックへ傷を与え俺へと意識を向けさせる。
俺が流れを堰き止めたため敵前衛は交替の機会を失い、足を止めての斬り合いを余儀なくされた。
傷を癒す暇を与えなければ、同等の技量でも装備に優れたこちらが圧倒的に有利。
ホブゴブリンが体格で勝るとはいえ、エレミアはその細身の体に信じられないほどの力を秘めている。
単純な筋力ではなく、体の動かし方が洗練されていると言えば良いのか。
自身の持つ力を最も効率的に作用させることが出来る体の動かし方を熟知しているのだ。
宿敵である巨人を打ち倒すために磨き上げられた戦闘技術が、その双刃に乗りホブゴブリンへと打ち込まれた。
敵のファルシオンが胴体を狙ったその横薙ぎを受け止めるが、エレミアはさらに一歩踏み込むとダブルシミターをそのファルシオンと交差した箇所を支点として逆回転させた。
武器の内側へ潜り込むように振るわれた逆刃が敵の咽喉元を掠めたその直後、敵はその頚部から大量の血を噴き出した。
脱力したその敵の頭部を武器から離した手で掴むと、引っこ抜くようにその体を自分の立ち位置と入れ替える。
たとえ致命傷を与えたとしても、敵のクレリックの触れうる位置に置いておけば治癒される怖れがある。
それを嫌って、自身が敵中に飛び込むリスクを負ってでも敵兵を集団から引き離したのだろう。
エレミアの抜けた穴はフィアがすぐに埋め、敵前衛がルーやメイへ接近するのを防いでいる。
そしてエレミアの両側を占めることとなった敵にはシャウラとラピスがそれぞれ牽制を放ち、挟まれる形になったエレミアへの攻撃を行わせない。
敵のクレリックを挟んで向かい合った俺とエレミアは、視線を交わすとタイミングを合わせて片方のクレリックへと攻撃を集中させた。
挟撃され、立ちすくんでいるクレリックはあっという間に体中に切り傷を負う。
治癒を行おうとするその隣のクレリックへはフィアからのスコーピオン・チェインが飛び、詠唱中に傷を負わせることで呪文の構築を失敗させている。
支援を受けることが出来なくなった後衛など脆いものだ。秘術使いに比べれば接近戦に長けているとはいえ、専門家とは比べるべくも無い。
前後からの4枚の刃に切り刻まれ、クレリックが1体倒れた後は簡単だ。
手を出してくる戦士達をカウンターで転がしながら残ったクレリックを始末し、連携を失った前衛を片付けるのにそう時間はかからなかった。
「少し危ない場面もあったけど、なんとか切り抜けたな」
敵の分断策とまさかの自爆、思わぬ前衛の連携戦術と流石に玉座の直前だけあって敵の防備も固い。
「まさか自爆するなんて思いませんでした。あんな怖ろしい呪文もあるんですね」
メイの驚きも尤もだ。『呪文大辞典』という呪文だけを扱ったサプリメントに収録されている秘術呪文で、俺も使われたのはこれが初めてだ。
この先に遭遇する秘術使いが皆自爆呪文を使っているとすれば、迂闊に手が出せない。
だが秘術使いを放置すれば戦場をひっくり返されてしまう。今後のホブゴブリン達との戦闘でこれは非常に重い枷になるだろう。
幸い爆発半径は10メートルほどであるから、その範囲外から遠距離攻撃で始末するしかない。
「あれだけの呪文の使い手を使い捨てにするなんてね。
連中、後先ってのを考えてないんじゃないか?」
「そのような指示を実行させるという点を見ても、この一族が強力に統率されているというのが見て取れる。
シャーグとやらの力か、ヘルメットの力かは判らないがいずれにしても一筋縄ではいかないようだな」
ポーションを飲んで傷を癒しながらラピスとエレミアがそんな会話をかわしていた。
確かに、《デス・スロース》で死んだクリーチャーは尋常な手段では蘇生できない。それだけの犠牲を強いることが出来るシャーグの統率力は恐るべきものだ。
そのシャーグの玉座もあと僅かの距離まで迫っている。
メイの呪文リソースを今の戦闘でかなり消耗してしまったが、指輪の効果であと1戦闘はフルに戦えるはずだ。
とはいえ、城塞の入り口からずっと戦いながら進んできたのだ。ポーションで疲労を誤魔化す事は出来ても限界はある。
次の戦いでシャーグを討つことができれば敵の統率も乱れ、休憩する余裕が出来ると思いたいが……。
幸い、後方から敵が迫ってくる気配はまだない。解呪の呪文を準備していなければ魔法により強度が上がった水門を破壊して進む必要があるために手間取っているのだろう。
「さあ、玉座までもう少しだ。
さっさと用を済ませてこの陰気な地下からおさらばしよう」
皆にそう声を掛けて橋を渡る。ゲームではもう少し先があるのだが、実際にここでも同じ展開になるかは判らない。
やや駆け足気味に先へ進む。どうやらこの辺りの敵は先ほどの橋の防衛に集中していたようで、玉座へと通じる重厚な扉の前にも敵の姿が見当たらない。
怪訝に思いながらも先へ進むが、行き着いた玉座の間にも敵の姿はまったく見当たらなかった。
「ここが玉座の間で間違いなさそうだが……既に敵はここを放棄したようだな」
注意深く周囲を見渡しながらエレミアが呟く。今までのホールと比べれば天井の低い部屋の中央に小高い玉座が鎮座している。
部族の戦旗を背後に、両側から松明で照らされたその玉座はその頂くべき王を持たず沈黙を保っている。
「……たぶん、敵は『シャン・ト・コーの印璽』を起動しようとしている」
唐突にルーがそう呟いた。
「『シャン・ト・コーの印璽』は、ジャイアントたちがゼンドリックを支配していた頃からの、伝説的な権力の印。
その魔力はとても難解なものだけれど、かつて巨人に仕えていた一族であればその使い方が伝わっていてもおかしくない」
それを巨人から奪い、破壊の時を待っていた彼女の部族にはなんらかの伝承が伝わっていたのだろう。
だが、ルーもあのアーティファクトを使用することで何が起こるのかは知らないらしい。その口伝を継承する前に里は滅んでしまったのだ。
「何にせよ急いだ方が良さそうだね。
どうせ僕らにとって都合のいい事が起こるってわけじゃないんだろうし」
そのラピスの言を容れて玉座の間を出た俺たちは、休憩する暇も無く洞窟のさらなる奥へと足を踏み入れた。
周囲の様子は再び天然の洞窟から人工の遺跡へと移り変わっている。
地下へと降りる螺旋状の回廊を進んでいるとメイが何かを感じたようだ。
「強い大地の力が集まっているのがこの先から伝わってきます。
なんだか少しずつ強くなっているみたい」
彼女に言われたことで俺も意識を研ぎ澄ましてみる。
言われてみれば、足元や壁面の奥に何らかの力の流れを感じる。それはこの遺跡の奥へと集まり、束ねられているようだ。
地のノード……大地を流れる天然の力が集中する、いわば地脈とでもいうべきパワースポットがこの先にあるのだろう。
それが活性化するということは、例のアーティファクトが何か関わっているのだろう。
先導するエレミアを追い、地下遺跡を走りぬける。
途中で何体かのホブゴブリンの衛兵が矢を射るなど足止めを行ってくるが、呪文の使い手は見当たらない。
ゲームでは多くのクレリックが配置されていた要衝すら放棄されていた。
ただ時間を稼ぐだけならば、罠と地形を利用したほうが遥かに効果的な筈だ。
アーティファクトの起動に多くのクレリックを必要としているという事だろうか?
最も激しい抵抗を予想していた、炎を吹き出す柱で埋め尽くされたホールでも妨害らしき妨害は無い。
《ディメンジョン・ドア》の巻物を使用することで何の問題もなく切り抜けることに成功する。
怪訝に思いはするが、足元から感じられる地脈の活動は徐々に強くなってきている。
メイの言うとおり、距離が近づいただけではなくその力強さそのものが増してきているようだ。
先ほどとはうってかわって冷気が吹き付ける回廊を進む。もうすぐ『シャン・ト・コーの印璽』が安置されていた広間だ。
通路の突き当りには3方の壁に巨人の顔が刻まれており、その大きく広げた口は今にも俺達を飲み込まんとしているかのようだ。
その床には階下へと通じるパイプが伸びている。ここを飛び降りればそこがクライマックスの会場だ。
足元から感じられる強い地脈のオーラは、既に熱を持っているかのように体に浸透してきている。
だが、さらに強い力をこの階下からは感じる。もはや一刻の猶予もないだろう。
皆と視線を交わし、覚悟を決めるとパイプへと身を躍らせる。
降りた先のフロアは少し先から開けた空間になっている。大き目の体育館ほどの広さのホール、そこを埋める30を越えるホブゴブリンの軍勢!
中央にはシャーグと思わしき立派なヘルムを身につけた大柄なホブゴブリン。
一回り大きなその体は熊と思われる動物の毛皮をマントとして纏い、この地底に住むなんらかの生物から剥いだのだろう蟲の甲羅によって作られた鎧が暗い輝きを放っている。
その周囲を囲んでいる8体のクレリックは一心になんらかの儀式を行っているようだ。彼らは俺達侵入者に対してなんの反応も見せない。
だが、俺達とシャーグの間に立ち塞がる大勢のホブゴブリン達は勿論違った反応を見せた。
「さあ、4万年越しの復讐の時が来た!
我らから『印璽』を奪ったエルフの末裔達が再びこのシャン・ト・コーの間に現れたのだ。
今度こそその体に我らの武器を突き立て、哀れな悲鳴を上げさせろ!」
そう言って叫んだシャーグの雄叫びと共に、ホブゴブリンの剣が、槍が、矢がこちらへと殺到してくる。
他に何も考えない戦力の一点集中がシャーグの狙いか?
咄嗟に持ち替えた"ソード・オブ・シャドウ"を振るい、こちらの防御を貫く鋭さを持った攻撃に狙いを絞って薙ぎ払う。
俺の隣ではシャウラがその鋼の体を利用し、盾となって皆への攻撃を受け止めているのが見える。
だが、この広間に集められた連中は流石に精鋭のようだ。そのシャウラの硬い装甲をアダマンティン製の武器でもないのに傷つける連中も居る。
ホールの片隅に追い込まれそうになっている俺達のほうへと、天井付近を進む小さな影に気づいたのはルーだった。
「使い魔、上から来てる!」
見れば蝙蝠が2体、その小さな体を隠すようにこちらに進んできている。
特に障害にはならなさそうだと一瞬思ったが、わざわざルーが警告を放ったということから考えられる危険なパターンが一瞬で脳内で連鎖した。
「(秘術使いの使い魔、呪文共有……)
まずいメイ、転移だ!」
細かい事情を説明する余裕は無かった。既に控えている秘術使いが《ファイアー・ボール》の詠唱を終えようとしているのが視界に映ったのだ。
取り出した《ディメンジョン・ドア》の巻物を使用し、近くに居たシャウラとルーを連れてホールの別の端へと転移した。
メイが残りの皆を連れて転移する。その直後、俺達のいた空間を使い魔ごと薙ぎ払うように火球の呪文が炸裂した。
その火球で巻き込まれた使い魔が、《デス・スロース》の呪文による断末魔の爆発を起こす。
本来ならば術者にしか有効ではない呪文を、使い魔とのみ共有できる『呪文共有』の能力を活かした恐るべき戦術だ。
使い魔を失うことは術者にとっても生命力を削られる結果を生む。
無論術者本人が死ぬほどではないとはいえ、一心同体といってもいい使い魔を爆弾に仕立て上げるとは。
しかも、こちらに迫っていた味方数体を巻き込んでである。
その狂気の攻撃を凌ぎはしたが、状況は芳しくない。咄嗟の転移だったためにメイと俺の場所が離れてしまったのだ。
既に自爆に巻き込まれなかったホブゴブリン達は二手に分かれて俺達を分断しようと動いている。
本来であればその固まって突っ込んでくる連中に範囲攻撃魔法を撃ち込むのだが、今はシャーグの儀式を妨害するのが先だ。
転移したことによって敵の遮蔽がなくなった機会を逃さぬ、と俺は手持ちで最強の呪文である《メテオ・スウォーム》による攻撃をシャーグへと放った。
だがしかし、スチームトンネルに潜んでいた悪の死霊術士を一瞬で屠ったその火球はシャーグに到達する前に不可視の壁に激突してそこで大爆発を起こすに留まった。
「《ウォール・オヴ・フォース》か!」
流星雨が直撃しても微動だにしない不可視の力場。先ほど俺達を分断した呪文があらかじめシャーグたちを取り囲むように展開されていたようだ。
貴重な一手をその護りによって失った俺達へホブゴブリンが追いすがってくる。
そしてそのホブゴブリンの頭上に飛び交う数多の蝙蝠たち。
見ればこのホールの天井にはかなりの数の蝙蝠たちがぶら下がっている。無論この全てが使い魔というわけではない。
術者1人につき使い魔は1体しか持てないからだ。だが、そのうちどれが使い魔であるかを見極めるのは困難な事。
先手を打って使い魔を倒しておくのも難しい。
だが、シャウラの背に乗ったルーが《シアリング・ライト》のワンドから放った光線が一体の蝙蝠を貫くとそれは断末魔の爆発を起こし砕け散った。
シャウラに移動を指示し、射程内に入った使い魔を次々と呪文による閃光で葬っていくルー。
どうやらその《アーケイン・サイト》の蒼い輝きを宿した目には《デス・スロース》の呪文が付与されている蝙蝠を見極めることが出来るようだ。
そうと判れば話は簡単だ。俺はシャウラを追おうとするホブゴブリンの集団の前に立ち塞がり、敵を次々と転ばせていく。
普通であれば敵の数が多すぎて迎撃しきれないかもしれないが、チートによって強化された俺の能力値が与える反応速度が敵の軍勢を圧倒する。
次々とこちらに向かってくる連中の足を切り、蹴飛ばし、俺を迂回しようとした連中は《ウェブ》呪文により束縛する。
そうしている間にも断末魔の爆発は続き、蝙蝠の使い魔を一掃したルーは続いて秘術使い本体への攻撃を開始した。
接近してシャウラの鋏と尾で致命傷を与えた後、距離をとって呪文で止めを刺す。
俺は彼女を援護すべくさらに何箇所かに《ウェブ》を放ってホブゴブリンの行動を制限すると、シャーグのほうへと駆け寄った。
戦っている間も地のノードの力は徐々に強まりつつある。いつ臨界を迎えてもおかしくない状態なのだ。
前方を塞ぐ《ウォール・オヴ・フォース》に《ディスインテグレイト》の呪文を撃ち込んで破壊する。これはこの力場の壁を無効化する数少ない手段の一つだ。
「先ほどから鬱陶しい奴め。
間もなく伝説が復活するのだ、貴様も偉大なる巨人の威光にひれ伏せ!」
シャーグがこちらを一睨みすると、そのヘルムからシャーグの瞳を通じて強力な魔法のオーラが叩きつけられた。
俺の意思を屈服させ、シャーグの支配を受け入れさせようと精神を締め上げてくる強力な力を感じる。《ドミネイト・パーソン》の呪文だ。
これが古の巨人が彼に与えた支配の力か。エルフを奴隷として使っていた巨人が得意としていたその呪文が俺に纏わりつくが、前に進む足へと力を込めてその呪文を振り払う。
俺が振るった大剣の刃を、シャーグは周囲を囲むクレリックの体を掴んで盾にすることで避けて見せた。
クレリックは儀式に没入してトランス状態に入っているのか、斬りつけられたのに一切の反応を見せない。
「抗うか。ならば直々に手を下してやろう!」
シャーグはそういうと首に飾っていた人型生物の骨で出来たと思われるネックレスに手を伸ばし、そこにぶら下がった骨を一つ引きちぎると掌で握りつぶした。
その直後シャーグの手のひらからは黒い炎が溢れ出し、それはやがてショート・スピアの形を取った。
「癒えぬ傷を抱いてドルラーへと旅立て!」
攻撃自体は単調な突きだった。だが、その突きを払おうとした剣はシャーグの信じられない膂力によって弾き飛ばされる。
逸らし切れなかった槍の穂先が左肩を浅く抉り、そこから伝わる力が俺の体を錐揉みさせながら後方へ数メートル吹き飛ばした。
その衝撃を受けて転倒しそうになる体のバランスを必死で取りながら武器を構えなおすが、頭では今起こったことを未だ理解できずにいる。
(馬鹿な……あの体格で狂化したゼアド以上のパワーだと!?)
クレリックはその信仰により、神の持つ権能を借り受けて一瞬だけ信じられない破壊力を生む攻撃を放つことが出来ることがある。
だが、今の一撃はそんな範囲に収まるものではなかった。
「ほう、今のでも死なぬのか」
黒い槍を携えてシャーグがこちらへと向かってくる。
傷を治療して向かい合おうとするが、確かに発動された《キュア》の呪文が肩の傷に作用しないことに気づいて愕然とする。
(あの槍、《ヴァイル・ランス》か!)
善人の骨を触媒とし、不浄の力で編まれた黒炎の槍。その槍でつけられた傷は、聖別された領域でのクレリックの呪文でなければ癒えないという。
『不浄なる行いの書』に記載された、悪を超えた『猛悪』呪文の一つだ。
「さぁ、逃げ惑え!」
近寄ってきたシャーグが再びその槍を振るう。今度は手加減なしの一撃のようだ。
攻撃の兆候を掴んでいても、常識はずれの筋力から生み出される槍の速度は視認することすら出来ない。
武器で受けようとしても、それは蟻の力で象の行進を止めるようなもので全く歯が立たない。
回避に専念することでなんとか凌げているのはゼアドとの一戦があったおかげだろう。
だが、シャーグの膂力は時が経つにつれどんどんと増していく。
明らかに人型生物のキャパシティを越えた力だ。何らかの呪文のカラクリがあるはずだが……
攻撃を凌ぎながらもその謎を解き明かすべく注視していると、離れたところでエレミアに切り倒されたホブゴブリンから青白いオーラのようなものがシャーグに吸い込まれていくのに気付く。
そのオーラはシャーグの身の回りを包んでいる魔法のオーラに吸収される。
一段と強さを増したそのオーラに比して、シャーグのパワーはどんどんと強まっていく。
(《コンサンプティヴ・フィールド/消尽の場》か!)
瀕死のクリーチャーの精気を吸い上げ自身の力にする呪文だ。
倒した敵に対して使うものだと思っていたが、まさか自分の仲間を犠牲にしているとは!
「ほう、気付いたのか?
我が槍をここまで凌いだ上に古の禁呪にも通じているようだな」
感心した様子で喋りながらも次々と槍を繰り出してくるシャーグ。
初撃に肩に一発貰ったこともあって段々捌くのが辛くなってきた。
致命傷こそ避けているものの、かすり傷程度からでも体を苛む負のエネルギーを送り込まれているかのように体が重くなる。
それにこの調子で受けに回っていてはジリ貧だ。シャーグの力は増す一方で、呪文の効果時間切れを待つ前に俺がやられてしまうだろう。
援護を頼もうにも、俺以外の皆はシャーグの突きを捌けない。射程距離内に入ったら即死だと考えていい。
「貴様のお仲間が頑張っているおかげで窮地に追いやられる気分はどうだ?
助けを呼んでみるか? それともそれ以上敵を倒すなと叫んでみるか?」
幸い、シャーグは《トゥルー・シーイング》の呪文を使っていないようで呪文による幻術は効果がある。
致命傷を受けていないのも咄嗟に掛けた《ブラー/かすみ》呪文で俺の位置をぼやけさせているからだ。そこにつけいる隙がある。
「馬鹿いうなよ。
こんな穴倉でお山の大将気取ってる程度の雑魚相手に助けなんか呼べるかよ!」
《呪文高速化》により一瞬で《ミラー・イメージ/鏡像》の呪文を発動する。
今の奴には俺が分身しているように見えているはずだ。3体の分身が現れたことにより本体の俺が被弾する確率は25%。
さらに《ブラー》による視認困難も合わさり、敵の槍が俺を捕らえる可能性は激減する。
反転し、攻勢に出た俺の刃がシャーグの体に命中するが、奴の体を包んでいる魔法の力場は筋力だけではなく一時的なHPも与えている。
その全てを削らなければ本体に傷をつけることは出来ない。
シャーグが俺に対して槍を振るい、被弾した分身が消滅する。だが俺は即座に《ミラー・イメージ》を再び唱えて分身を補充し続ける。
俺のHPとSPが切れるのが先か、シャーグの命運が尽きるのが先か。
「猪口才な!
悪あがきをしても無駄だ!」
確かにどんな術士であっても高速化した呪文はすぐに枯渇するだろうし、強靭な戦士であってもこの槍が2発も当たれば倒れ伏すだろう。
だがチートスペックとチートアイテムにより強化された俺のステータスは尋常の数値ではない。
"ソード・オヴ・シャドウ"から無銘の二刀流へと持ち替えを行い、防御を幻術に委ねて最高速度での攻撃を放ち続ける。
間断なく発動させる《ミラー・イメージ》による負荷で脳は沸騰しそうに熱くなり、視界がホワイトアウトしそうになるのを堪えながら二刀を振るう。
シャーグの振るう《ヴァイル・ランス》が俺の体を時折捉えるが、体の痛みは却って意識を保つのに役立ってくれている程だ。
実際には短い時間だったのだろうが、体感的には永遠に思える剣舞もやがて終局を迎えた。
俺の振るった『ヴォーパル』の魔力を秘めた刀身がシャーグの頚部へと吸い込まれ、その首を刎ねたのだ。
この今となっては製法の失われた強力な呪文効果は、対象の首を胴体から切り離すという恐ろしい魔力を秘めている。
発動率はそう高くは無いが、発動したが最後首を切り離されて生きていられる種族でもなければ絶命は必死である。
首を落とされたことでシャーグの手にしていた槍は消え、胴体もやがて力を失って崩れ落ちた。
20体以上もの同胞とその使い魔の命を啜ったシャーグは、HPで削り殺すことは難しいだろうと思った判断は間違っていなかったようだ。
俺も3発ほど被弾したが、なんとか生き残ることには成功した。問題はこの治療不能な猛悪ダメージだ。俺の考えている手段で回復可能ならばいいんだが……。
だがまずはこの儀式を止めるのが先だ。
痛む体を引きずってホール中央の祭壇へと向かう。ホールの反対側からは、残りのホブゴブリン達を倒したエレミアらが同じように祭壇に向かっているのが見える。
「どうだ?
儀式は中断できたはずだが、止められそうか?」
祭壇の周囲のクレリックを全て屠った後、中央にはめ込まれた『シャン・ト・コーの印璽』を調べているメイに声を掛ける。
だが、彼女の表情を見るに状況は芳しくないようだ。
「駄目です~。
周囲から力が集まってくるのは止まりましたが、内部に蓄えられたエネルギーは暴発寸前です!
完全な形での起動は避けられましたけど、何らかの形で動作するのは止められそうもありません」
確かに『印璽』の内部を巡っている力の奔流は恐ろしい勢いで、よほど呪文学に精通したものでなければ今から動作を停止させることは出来ないだろう。
「そもそも、こいつはどんな働きをするものなんだい?
回路が古式な上に複雑すぎて、僕にはさっぱり判らないんだけど」
ラピスがそういうが、俺にもさっぱりだ。ゲームではここに安置されている『印璽』を回収して帰るだけだったし、そもそもどんな力を秘めているのか不明なままだ。
だが、答えは意外なところからもたらされた。
「おそらく、これはゼンドリックに散らばるジャイアント達を結集させるためのものだ。
古い言葉で『巨人を団結させる』というが、実際はこの地脈の流れを通じてこの大陸の別の場所にある地脈から巨人達を呼び寄せるのだろう」
口を開いたのはエレミアだった。
「確かに、この回路は上級の召喚術に近いものがあるかもしれません……。
でもエレミアちゃん、どうしてそのことを?」
エレミアの言葉を受けてメイが『印璽』を覗き込み、彼女の言葉が合っていることを確かめる。
だが、何故そんなことをエレミアが知っているのか?
確かに彼女はこのホブゴブリンの城砦に突入してからは、まるで内部の様子を見知っているかのように行動していた。
内部構造などであれば呪文で知ることも出来るが、今回のこの知識は明らかにその範疇を超えるものだ。
「……私の祖先がこのゼンドリックで上げた武勲、そのもっとも大きなものが大陸を脱出する同胞の船団を追った巨人の軍勢を追い払ったことだ。
今ストームリーチのある浜辺から出発しようとした船団は、地下から無限に湧き出す巨人の軍勢に飲み込まれる寸前だった。
だが少数の精鋭を率いて突入した我が祖先が、地下深くにおいて敵の将を討ち増援を食い止めたことで同胞はエアレナルへ逃れることが出来たのだ。
この場はかつて我が祖先が敵将を討ち、巨人の増援を呼ぶアーティファクトを奪った場所。
私は"過去の守り手"により祖霊と一体化し、その経験をこの身に宿している故に先達の知識がイメージとなり私にも伝わるのだ」
コルソスの酒場でかつてエレミアから聞いた話だ。それであれば彼女が『シャン・ト・コーの印璽』に詳しいことも納得できる。
「これから起こる戦いは私の定めが引き起こしたものだ。
皆は巻き込まれただけに過ぎない。巨人を招くゲートが開く前に、ここを去ったほうがいい」
エレミアはそういって締めくくると、瞳と口を閉じた。話すことは全て話したといわんばかりの態度だ。
神妙な顔をしている彼女のその額に、ありったけの力を込めたデコピンを放つ。
きゃっ、と突然のことに可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をついた彼女に向けて文句を述べる。
「おいおい、これは俺の受けた依頼だぜ。
そこの古臭い『印璽』を持ち帰らないことには報酬が入らないんだ。勝手なことを言われちゃ困るな」
俺に続き、皆も次々にエレミアに対して口を開いた。
「エレミアの先祖も一人じゃなかったんだろ。
だったら僕達が手伝ってもご先祖様とやらに文句を言われる筋合いは無いんじゃない?」
「そうですよね~
それにそのアーティファクトがルーちゃんたちの里に伝わっていたって事は、ひょっとして三人は遠い姉妹ってことになるんでしょうか?」
「そうなるのだろうな。
我が里を起こした先祖は剣と踊りの妙手で、舞いながら瞬く間に10を超える巨人を切り捨てたというぞ。
エレミアに実力があることは認めるが、まだその域には達していまい。
ならばその足りぬ分は姉妹たる我らが力を貸そう」
ラピスがエレミアを諭し、メイの推論にフィアが答えた。
そしてルーは高まっている地のノードの流れに手を触れ、そこから一本の見事な装飾が成されたダブルシミターを取り出した。
緑に輝く優美な曲線を描く二枚の刃には、波を思わせる模様が黄金で象嵌されている。握りの部分に巻かれた柔らかそうな革は染み一つ無い純白の白さに輝いている。
「汝が祖霊、アルクィス・テローラの名を冠する、彼が使った武器。
里の地脈に封じられていたものを取り出した。
貴方がかの英霊の末裔であるならば、この刃に秘められた彼の魂を感じられるはず」
地のノードにアイテムを封じる"隠し場"を利用したようだ。
地脈の力を利用してその中にアイテムを封じ、地脈の流れる場所であればどこからでもそのアイテムを取り出すことが出来る技術である。
エレミアはルーの差し出した双刃におずおずと手を伸ばして受け取ると、まるで旧友に再びめぐり合ったかのようにその武器を抱きしめた。
「おお……何度も夢に現れた輝きそのものだ!
遠き我が姉妹よ、貴方方の思いがこの刃を通じて流れ込んでくるかのようだ。この感謝は私の拙い言葉では伝えきれない……!」
エレミアの目尻に輝くものが浮かんだ。
彼女らレヴナント・ブレードはその守護祖霊の軌跡を踏襲し、ゼンドリックに埋もれた祖霊の振るった武器を捜し求めるという。彼女は今その双方を満たす機会を得たのだ。
「礼ならばその刃に乗せて答えるがよかろう。
さぁ、愚かな獲物たちがやってくるぞ!」
フィアが告げるや否や、周りの空気がパチパチと音を立て始めた。そしてホールの三方、ちょうどここに至るパイプの上に描かれていた巨人の顔のレリーフのあった方向に巨大なポータルが発生する。
直径10メートルを超えるその揺らめく転移ゲートからは、その通じた先特有の匂いが漂ってくる。
熱帯雨林のジメジメとした空気、冷たい冷気、鼻を刺す硫黄の匂い……
これらのポータルは今やゼンドリックに散らばる巨人達の集落に繋がっているのだ。
そしてそのポータルを通じて、『印璽』の呼びかけに応えた巨人族の戦士達がこのホールへと殺到してくる!
「古き盟約が我らを呼んだ。小さき者共よ、それは貴様達が触れてよいものではない!」
「集え、わが同胞達よ!
勝利をストームリーヴァーに捧げるのだ!」
だが、真正直にそこから出てくる連中を迎え撃つようなことはしない。
「《ブレード・バリア/刃の障壁》!」
巻物から発動された呪文回路が完成し、開いたポータルの前に多数の旋回する刃で構成されたカーテンが発生する。
ポータルから進入してきた巨人たちは、まずこの刃の洗礼を受けてその身を裂かれることとなる!
連続して巻物を発動させ、全てのポータルの前に刃のカーテンを発生させるが強靭なジャイアントたちはその程度では倒れるようなことは無かった。
右のポータルからは丘に住まうヒル・ジャイアントが、左のポータルからは雪原に住むフロスト・ジャイアントが、そして中央のポータルからは火山に住むファイアー・ジャイアントが突入してくる!
熱を弱点とするフロスト・ジャイアントを《スコーチング・レイ》のワンドをもったメイとラピスに任せ、最も打たれ弱いヒル・ジャイアントにはフィアとルー、シャウラを向かわせる。
そして最も危険なファイアー・ジャイアントには俺とエレミアで向かった。
「リーヴァーに栄光あれ!」
ポータルから出るや否や、設置されている刃の壁に切り裂かれた巨人は雄たけびをあげながら突進してくる。
だが《ブレード・バリア》を越えた先にある、エレミアと俺という実体を持った刃の壁。
この二層の壁によりポータルから出現した巨人は次々と切り倒され、ホールをその骸で埋めていく。
「倒しても倒してもキリがないね!
一体いつまでこのデカブツの相手を続けなきゃいけないんだい?」
「不完全な起動でしたから、このポータルは永続的なものではなく不安定です。
『印璽』に蓄えられたパワーが枯渇すれば、全てのポータルは閉じるはずです!」
青白い肌をした巨人、フロスト・ジャイアントに《スコーチング・レイ》のワンドを振り回しながらラピスがメイに愚痴をこぼしている。
雪原に住まう彼らはポータルを潜るや否や《ブレード・バリア》で切り裂かれ、さらに2人から6本の熱閃を浴びせられてホールを数歩たりとも歩むことなく葬られている。
「貴様らはもはや"力を持ちし者"ではない!
お前達の時代は夢が暗黒に襲われたときに終わったのだ。
サソリの毒針と夜の冷気がお前達を在るべき所へ誘うだろう!」
迫りくる巨人の集団の足元をフィアが駆け抜ける。通り抜け様にアキレス腱を切断され、うずくまった巨人達の集団に対してシャウラがその尾から酸を噴射した。
円錐形に広がったその酸霧の中で、巨人たちは苦悶の叫び声を上げながら融けていく。
微かに息のあった巨人には、ルーが《シアリング・ライト》のワンドから光線を放ちその命脈を断った。
「どうやら他の皆は上手くやってるみたいだな。
俺達も負けてられないな、エレミア」
二体同時に飛び出てきた巨人を相手取るために背中合わせになっていたエレミアに声を掛ける。
俺達を囲んでいた炎の巨人は既に致命傷を受けて崩れ落ちている。
「先祖よ! あなたの息子を受け入れてくれ……」
無念の言の葉を呟きながら絶命するジャイアント。
気配から判断するに、エレミアも危なげなく敵を倒しきっているようだ。
「私が求めるのは遥か古代の伝説。4万年の昔にこの地に立った我が祖は瞬く間に10の巨人を切り伏せたという。
だが、この者たちは古に詠われた巨人のつわものではない。たとえ同数の首級をあげたとしても、誉となることはない」
確かに今相手にしているのはその種としての能力に胡坐をかいて個としての強さを鍛えていない、いわば素のジャイアントに過ぎない。
遥か古代にこのゼンドリックを支配していた巨人の実力はこんなものではなかっただろう。
「奴隷を殺しても勝利とはいわぬ。
だが貴様らの亡骸に火を灯し、我らが再びこの大陸を取り戻す狼煙とせん!」
再びポータルを潜り、炎の気配を纏った巨人が現れた。彼らの部族の長なのか、今まで見たどのジャイアントよりも大柄で左右に2人の巨人を従えている。
だが、その姿を見てもエレミアの気配は一切の動揺を見せない。寧ろこの逆境にあってますます闘志を燃やしているように感じられる。
「だが、20の首級であれば良かろう」
緑と金に染め上げられた鋼の残光を残して、エレミアが突撃する。
巨人の周囲を踊る様に舞い、移動しながら斬りつけている様はまさに剣舞と言える。
エレミアの守護祖霊の武器には、"巨人殺し"の能力が宿っているようだ。
それに加えて対巨人に鍛えられた彼女の剣旋は、重量差にして何十倍もある巨人を容赦なく切り裂き屠っていく。
通常二刀で攻撃する際になる弱点となる、力を十分に乗せることが出来ないという点を彼女のダブルシミターは見事に克服している。
俺も彼女の援護をすべく、半周遅れて巨人の周囲を回り始めた。
中央の巨人をエレミアに任せ、俺はその脇に控える従兵達がエレミアに手出しできないように注意を引き付けていく。
だがその心配は杞憂だったようだ。10秒もしないうちに敵の巨人はその全身を切り裂かれて崩れ落ちた。
その後も《ブレード・バリアー》とエレミアの剣舞という二枚の剣の壁を越える巨人はついに現れず、大勢の巨人を屠った後についに『印璽』に蓄えられた地脈のエネルギーが尽きたのかポータルが閉じた。
あれだけ広かったホールはもはや巨人の死骸で埋め尽くされ、戦いの激しさを物語っている。
「ようやく終わったか……」
最後の巨人をその剣舞で葬ったエレミアに話しかける。
「どうやらそのようだな。
この刃に宿る祖霊の声も収まったようだ」
戦闘態勢を解き、周囲を見渡す。他の皆も怪我はあるようだがどうやら無事なようだ。
メイがこちらに手を振っているのに返しながら、ホールの中央にある『印璽』の元へと足を向ける。
先ほどまでは周囲の空気を振るわせるほどの力を宿していたこのアーティファクトも、今は既に力を失ったのか大人しくしている。
床に嵌め込まれたその『印璽』を取り出そうとしたその瞬間、直観が危険を告げると同時、臓腑を抉る衝撃が体を貫いた。
体勢を保てず、崩れる下肢に力を込めることも出来ずに倒れる俺の視界に映ったのは頚部を切断されたクレリックの体に乗ったシャーグの首の姿。
「最初にボスのヘルメットを奪うんだ。
大昔のクレリックが祝福を与えたんだ。シャーグの大のお気に入りの品物だ。
いいヘルメットだぞ。ちゃんと脳みそを守ってくれる。
玉座部屋にいるシャーグを探し出し、ヘルメットを奪って奴に剣を突き刺せ。そうすればうまくいくよ」
グリーズィクスの声が今更頭に木霊した。あれはヘルムを奪わない限りシャーグが死なないということを言っていたのか?
だが、既にその機会は失われている。
シャーグの腕に握られた黒炎の槍は、幾重にも展開されている護りを貫いて俺の横腹に突き刺さり反対側へと抜けている。
脳裏に浮かぶキャラクター・シートは俺のHPがマイナスに突入していることを示している。
「残念だったなヒーロー。
お前も、お前の女どもも皆ここで死ぬのだ。
偉大なるシャーグの道を阻むことは誰にも許されぬ!」
薄れゆく意識に、シャーグの声が高笑いと共に聞こえてくる。
その発言を聞いて少し力が戻る。ここで俺が倒れては、まず間違いなく全滅だ。
メイが呪文で皆を連れて脱出してくれれば良いが、おそらく彼女はその手段を取らないだろう。
だからここで倒れるわけには行かない。
奴の高笑いを聞き、俺が倒れたのを見て皆が駆け寄ってくる気配を感じる。
このままでは数秒後には、俺の大事な女性達がドルラーへと送られることになるのは間違いない。
さあ、立て。
この体にはまだやるべきことが残っているはずだ。
薄れ行く意識の中で、キャラクター・シートのボタンを一つ押し込む。
さあ、立ち上がれ。
俺の足元からレベルアップ時の白い翼のようなエフェクトが立ち上がってくる。
その白い光に包まれた俺は、あらゆるステータスがクリーンアップされていくのを感じた。
猛悪ダメージに侵されていたHPも全快、SPと気ゲージも勿論最大値だ。
そう、俺は蓄えていた経験点を使用してレベルアップを行ったのだ。
ゲームではレベルアップすることであらゆるステータスが回復する。
クエスト中にレベルアップをする仕様では無かったからどうなることかと思ったが、どうやら無事成功したようだ。
仕留めた筈の獲物が再び立ち上がったことでシャーグはその顔を一瞬驚きに歪ませたが、即座に意識を切り替えるとその槍を振りかぶった。
周囲に倒れ伏す50を超える巨人の死体。その大半から力を奪ったとするとシャーグの筋力は100を超え、HPも200程度増加しているだろう。
だが、その程度だ。
僅かな残滓として残る地のノード、その力を発動する呪文に上乗せして回路を構築する。
《呪文威力最大化》《呪文威力強化》《呪文エネルギー上乗せ》《呪文二重化》《呪文高速化》……
TRPGで実装されていた呪文を強化する様々な特技が、MMOのシステムによって組み上げられこの世界には有り得ざる破壊力を持った呪文を生み出す!
常識外れな、もはやレイ/閃光ではなく一抱えもある柱ほどの太さに膨れ上がった《スコーチング・レイ》が8本、シャーグの体へと襲い掛かった。
身に着けた装備の効果も含めそれぞれが従来の熱閃の10倍の威力を有する白色の破壊光線は、呪文で強化されたシャーグの体を飲み込んでなお直進し、巨人の死体を焼き払い壁に巨大な穴を空けてようやくその勢いを失った。
床に転がるヘルムも、もはや原型を留めていない。許容量を遥かに超える熱量を浴びせられたそれは、蒸発こそしてないものの完全に融解しもはや床にこびりついたシミになっている。
もはや、かつて感じた魔力はそこからは一切感じられない。クローヴン・ジョー族のシャーグはここで長い歴史から退場したのだ。
「トーリ、無事なのか?」
シャーグに斬りかかる直前だったエレミアが声を掛けてくる。彼女の位置からなら、先ほどの一撃が致命傷だったことが見えただろう。
そんな俺が突然起き上がってシャーグを消し炭にしたのだ。驚くのも無理は無い。
「ああ、お蔭様でね。
なんとかドルラーには行かずに済んだよ」
先ほどのことが上手く行ったのは運に頼ったところが大きい。
何分、事前に瀕死からの回復など試すことが出来ない以上ぶっつけ本番なのだ。
3Lvから4Lvへの上昇で得るものが少なく、逆に取得する経験点が減少するためにゲーム中同様カンストギリギリまでレベルアップを行わなかったことがよい方向に転がってくれた。
「あまり心配させないでくれ。
先ほどのは、本当に死んでしまったと思ったぞ……」
そういうとエレミアはこちらに近寄るとぎゅっと俺に抱きついてきた。
周囲を満たす血臭が薄れ、エレミアの髪から落ち着く匂いが俺の鼻腔を満たす。
薄手の鎧越しに感じられる彼女の柔らかい感触に、戦闘でハイになっていた感情が少しずつ落ち着いていくのが判った。
「心配かけたね。次からはもっと上手くやるよ」
そういってエレミアを抱き返そうと腕を回したところで、後ろからやってきた衝撃に俺はエレミアとくっついたまま地面を転がることになった。
衝撃を感じた腰辺りに視線をやると、左右から双子がくっついているのが見える。
「……一瞬、心臓が止まっていた」
「私も、ルーアイサスからそのことを感じたときは自分の心臓も止まったかと思ったぞ!」
む、さっきのはやはり一瞬とはいえ死んでいたのだろうか?
意識があったとはいえショックで心臓は止まっていたかもしれない。血が巡らなくなっても脳がすぐに死ぬわけではないというし。
しかしルーは《ステイタス》などで俺の状態を確認していたのかな。
ひょっとしたら行方不明になった俺を探し当てたときも、この呪文の効果だったのかもしれない。
「みんな楽しそうですね~
私も参加します!」
遅れてやってきたメイがそんなことをいって俺に向かって飛び込んできた。
残ったラピスはシャウラに腰掛けながら視線だけこちらへ向けている。
「お前は混ざるんじゃないよ。流石のトーリも潰れて死んじゃうだろうしね。
ひょっとしたら潰れても生き返ってくるかもしれないけど」
ラピス、最後の一言は余計だぜ。流石にさっきのような真似はもう出来ないし。
暫く無事戦いを終えたことを喜んだ俺たちは、本来の目的である『シャン・ト・コーの印璽』を回収した。
何本かの光る矢を握っている拳が刻み込まれ、ルーン文字が掘り込まれた大きな石だ。
おそらくこれは巨人族の太古の英雄である「ストームリーヴァー」を表しているのだろうが、D&D標準世界観を知る俺からしてみれば意味深な印章だ。
この光る矢を稲妻と捉えれば"秩序にして善"である武勇の神ハイローニアスを示すし、そのまま矢と捉えれば"秩序にして悪"にして専制の神ヘクストアを示すシンボルとなる。
いずれもエベロンには存在しない神格だが、全ての世界は繋がりを持っているという設定もある。であるならば、これには何か意味があると考えたほうが良いだろう。
その後、周囲に散らばる巨人族が装備していた魔法のアイテムを奪い、文字通り山のような荷物を抱えた俺たちは《テレポート》の呪文を使用してこの洞窟から我が家へと帰還したのだった。