「ぐぶっ……!」
「……………」
城門の兵の喉に突き立てた双鉄戟を、無造作に引き抜く。
「じゃ、手早く開門しちゃってください」
『応!!』
威勢よく叫んだ自警団の屈強な若者が、門の開閉を司るデカい歯車に集まる。
「……さて、あたしも次、行きますか」
「開いた、な」
「……はい」
城門の前で攻めるフリをしていた星の部隊の前で、橋兼城門が下りてくる。
そして、それを後ろから眺めてる俺、雛里、そして恋。作戦の時も蚊帳の外だったし……俺、今回号令以外何もしてないぞ。
「散もうまくやってくれたみたいだし、ここでヘマ出来ないな」
俺の言葉にコクリと頷くのは、恋。結局の所、今回の俺の仕事は、散の勧誘で終わっているらしい。
「行ってくる」
騎馬隊を連れて、天下無双は駆け出した。
「何事かっ!?」
「わかりません! 内側から城門が開けられたようです!」
「(裏切り……いや、住民の反乱か……!?)」
慌ただしく、否、混乱する城門の内側から、開門と同時に雪崩れこむ北郷軍を遠く見据えて、青年は忌々しげに爪を噛む。
名を韓遂。現在における西涼の太守である。精悍な顔つきと綺麗な菫色の短髪という、神秘的なまでの容姿ではあるが、キツく寄せられた眉間の皺とその神経質な振る舞いが台無しにしている。
「おのれ、冬まで持ち堪えられればまだ勝機もあったものを………」
いや、あまりにも敵に都合良く事が運びすぎる。何かを内に仕掛けられたか? と、勘ぐる韓遂に……
「わが君! もはや一刻の猶予もありません! 敵兵数は我が軍の倍以上。開かれた東門と逆の、西門から逃げましょう!」
部下の一人、成公英が叫ぶ。どこか、懇願にも近い悲鳴だった。
「この西涼を捨てろと言うのか!?」
「もはやこの場での勝ち目はございません! しかし、わが君さえ健在なれば、再起も可能。何とぞ!」
成公英はひれ伏し、地面にその額をこすりつける。 残りの数人の部下が、その様子に驚愕の眼差しを向けているが、成公英はその頭を上げようとはしない。韓遂の返事を待っているのだ。
そんな中で……
「逃げられると、こちらとしては困るかな、と」
『っ!!』
間延びした声が、頭上から韓遂らの耳に届く。困る、と言いながら、どっちでもいいと言わんばかりの声だった。
ここは城壁の内側、詰所から兵も収集中の状態であり、容易には近付けない。はずなのに……。
「鳳、徳……!!」
石垣の上に、確かにその女は立っていた。黒髪を揺らし、右手に戟を提げて。
「貴様が生きていると聞いた時は、正直驚いたぞ。あの時、炎の中で焼け死んだとばかり思っていたからな。……“これ”は貴様の仕業か、死に損ない」
「さてどうでしょう。ここは敢えて、意味もなく秘密、という方向で」
そのふざけた態度に、今まで苛々を募らせてきた韓遂は、我慢ならないとばかりに怒鳴り返した。
「貴様よりにもよって北郷などと手を組みおって!! どこまで腐れば気が済むのだ!!?」
半狂乱に騒ぐ韓遂の言葉を受け、罵声を受けた鳳徳……散は、
「(これなんだっけ、ああ、あれだ。ひすてりーだ)」
などと考えていた。
なおもぎゃーぎゃーと何事か怒鳴ってはいるが、散は頭どころか耳にも入れてはいない。
「すいませんが、あなたと話し合いをする気はないんですよ。無意味な上に疲れるんで」
散の持つ、韓遂の人物評、それは漢王朝に忠実で、正義感の強い、真っ直ぐな青年。
「ハッ! 言葉で言い返す事すら出来んか! 自分が悪に染まったと認めているようなものだ!!」
そんな人物が“歪んだ”結果が目の前の“これ”だという事だ。
「都と帝を傀儡とする北郷も、漢王朝を見捨てた馬騰も、悪そのものだ! 僕が必ず帝の統治する大陸を取り戻してみせる!!」
「(……まあ、予想通りの主張かな、と)」
憐れみを込めた散の視線に、韓遂が気付く事はない。何故なら、自分に酔っているからだ。
「馬騰を討ったのも、僕の言葉を理解しようとしなかったからだ! 西涼の民を戦火に巻き込んだのも、そのために必要な犠牲だったからだ! 何故どいつもこいつもわからない!?」
つまり“頭が固くて融通の効かない、独善的な男”。そういう事だった。
物事には、視点一つ変えるだけで様々な多面性が存在する。北郷一刀は、まあその意味がわかっただけマシな部類だと言える。
「何度も言わせないでください」
散は、戟を振り上げる。同時に、合図を受けた自警団の男たちの怒声が響いてきた。こちらに向かってくる。
その事に動揺する韓遂陣営の隙を、散は狙い済ましていた。
「あなたと話すつもりは、ないんですよ」
散が石垣から飛び掛かる。韓遂は、慌てて腰の剣に手を掛ける。
しかし、遅かった。鞘から剣が抜けきる前に……
「ぎゃぁああああっ!!」
韓遂の右腕は、戟の一閃を受けて斬り落とされ、ぼとりと地に落ちた。赤い鮮血が噴き出す。
「さようなら」
続けて、とどめと言わんばかりに振るわれた戟は、今度は届かなかった。
重く唸った槍の一撃が、ガキッ! と散の一撃を阻む。
「……閻行」
「させんぞ」
槍の主は、韓遂の側近の一人。熊のような体躯に、黒い髪を乱した男。
「腕が……! 腕があぁー!?」
「わが君! 今はお逃げくだされ!!」
自警団と兵の小規模ながら激しい戦いの中で、韓遂は落とされた腕を庇いながら、数人の部下と僅かな兵を連れて奔走する。
散は追わない。目の前の男と、ただ睨み合っている。
「最初の一撃、わざと許したんですか?」
「いいや、それは単に間に合わなかっただけさ」
買いかぶりすぎだ。と閻行は軽くおどけて、槍を両手で握り、構える。
「韓遂様は、もう終わりだ。逃げ延びたって、大成なんて出来ねぇよ」
「……その様子だと、だからといって投降するつもりもないようで」
「………ああ」
短いやり取り。その間も、互いに互いの隙を狙っている。
「武人らしく、戦って死ぬ。それに、お前さんとは一度、本気で戦ってみたかった」
「……いいでしょう」
閻行は、かなり腕の立つ武人だ。かつて西涼で開かれた武術大会で、あの錦馬超を散々に打ち負かした事もある。
もっとも、当時の馬超はまだ成人もしていない“未成熟な天才少女”に過ぎなかったが。
「お前さんも、随分とあっさり韓遂様を見逃したな」
空気を貫く刺突が、咄嗟に避けた散の首の横を通過する。
「実を言えば、城壁の内側で大規模に戦うつもりは、最初からないんですよ」
それとほぼ同時に繰り出された、掬い上げるような戟の一閃が、閻行の鎧を浅く切り裂いた。
「そういや、東門の北郷軍、いつまで経っても雪崩れ込んで来ねえもんな」
両者、そのままギュルッ! と柄を回した石突きがぶつかり合い、弾かれるように飛び退く。
「韓遂が死のうが死ぬまいが、あなた方が西涼を放棄して逃げるのはわかってましたからね」
世間話をするような口調の中で繰り広げられる、命懸けのやり取り。
両者、同時に踏み込み、激しく、重く、疾く打ち合う。
「よく我慢出来たもんだ。馬騰の仇だってのによ」
「優先事項が変わっただけです」
数合、数十合と刃がぶつかり合う。それは剣舞と呼ぶには荒々しく、しかし相当な技巧と力の攻めぎ合い。
乱舞、とでも称すれば良いのだろうか。
「その包帯は飾りかよ。前に見た時より全然衰えてねぇじゃねぇか」
「本気のあたしと戦いたかったのでしょう? まあ、飾りというか覆面ですから」
「っと、仮にも女に対して無神経だったな」
「お構い無く」
打ち合いながらの互いのそんな軽口の応酬も次第に無くなっていき、刃の衝突音が百を越えたあたりで完全に無くなる。
ただただ無言で、打ち合えば打ち合うほどに感覚が研ぎ澄ませるような奇妙な、あるいは至高の戦い。
その均衡は、数百合目の激突で、唐突に破れた。
(バギンッ!!)
「うっ……!!」
散の双鉄戟の振り下ろしを受けた閻行の槍が、中途から砕け落ちたのだ。
「っ…………!!」
その隙を逃すまいと、戟を振るう散を前にして、しかし閻行の集中力も極限まで高められている。
「(大振り………)」
実際、その散の一撃は、通常ならば大振りと呼べるほどのものではない。だが、その時の閻行には、それすら隙と映った。
「(食らえ!!)」
砕かれた槍。穂先も失い、短くなったそれが、この瞬間のみ、本来の姿以上に役に立つ。
大振りの隙に割り込んで、散の振るう戟の懐に潜り込む。まさに最適な間合いで、柄のみの槍を突き出す閻行。
「「ッ………!」」
それは、首を捻った散の頬を、浅く掠めた。その時、閻行は不思議な感覚を味わっていた。
妙に時間が、遅く感じたのだ。ふと、今の体勢を見て、気付く。自分が隙だと感じた散の一振り、散は左手だけで振っていたのだ。
「(ああ………)」
その事実と、散の右手が彼女自身の背中に回っているのを見て、閻行は悟る。
相手の隙に飛び付いたのは自分の方で、それは誘われたものだったのだと。
その光景自体はゆっくり流れるわりに、自分の体は別に素早く反応してくれないのだから、理不尽なものだ、と閻行は思う。
散は、さらに踏み込む。散の双鉄戟の間合いより、閻行の折れた槍の間合いよりさらに踏み込んで……
右手で、腰に差した短戟を抜き放った。
「(最高の、終わり方だぜ)」
二人の体が、交差するように過ぎ去った一拍後………その首から鮮血を散らして、閻行は倒れた。
その、もう変わる事の無い表情に、満足そうな笑みを張りつけて。
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
布で思い切り縛った右腕から、滲んだ血がポタポタと零れるのにたまらない惨めさを感じながら、韓遂は西門を抜けて荒野を馬で駆けていた。
『手下八部』と呼ばれる彼の勇将のうち、今や傍らに残るは楊秋と張横の二人のみ。そして、成公英と千人程度の小規模の騎馬隊だけ。
「(何故だ………)」
今の自分の惨状を否定するように、韓遂は心の中で呟く。
「(何故、この僕が……正義が破れる)」
世の理不尽に、思い切り剣を突き立てたい。そんな衝動に駆られていた。
間違っているのは自分ではなく世の中であり、それを否定する人間全てが愚者。
韓遂の『真っ直ぐな正義感』は、そういう方向にしか思考を向けない。
「わが君!!」
話し掛けるな。と言わんばかりに成公英を睨むために振り返って、さらに絶望的なものを目にする。
後方から迫る砂煙。響く馬蹄。
「あれは………」
彼にとっては、死神にすら見えただろう。
「深紅の呂旗………呂奉先です!!」
(あとがき)
やっぱり三国志の地図的な物を買った方がいいのかな〜と思いつつ、そろそろ西涼編終幕。
今回何か出てきた閻行。最初は出す気なかったのですが、とある読者様の感想板での言葉で、忘れてた記憶とインスピレーションがむくむくと、ってな具合です。ありがとうございました。