「どう?」
「人が……いっぱいおる……じゃない。いる」
横を、俺の腹くらいの背丈しかない協君がてくてくと歩きながら、まんまな感想を言う。
雛里も言ってたけど、自分より明らかに背が高い人間がたくさんいるってだけで戸惑うものらしい。まして、協君は今までずっと皇族としての生活をしてきたのだから、なおさらだろう。
生憎、俺は自分がこれくらい小さかった時に人混みに紛れた感想まで覚えていないが。
「一刀、この姿……やはり何かおかしいのか? 見られてお……いるぞ」
「あー……それは多分“これ”だよ」
不安げに言う協君に、首に提げた左腕を揺らして見せる。元々俺の方は顔が割れてるし、この腕じゃ余計に目立つ。
「貴様が目立っては意味がなかろうが!」
「阿斗、喋り方。仕方ないだろ? 他にこんな事やらかしそうな奴いないし。それに、これでも警備隊長だったんだから護衛くらい出来るよ」
「“やらかす”て……。大体、貴様が護衛が出来るというのは平時の話であろ……だよね。今の貴様ではひったくりにすら負けそうだ」
何か、言葉遣いのたどたどしい努力が微笑ましい。
「大丈夫。いざとなったら華蝶仮面が助けてくれるから」
「まことか!? 一度見てみたかったのだ!」
「言葉遣い言葉遣い」
普段から子供らしくない協君だけど、今は明らかにはしゃいでるのがわかる。やっぱり、連れ出してよかったなぁ。
物珍しそうにキョロキョロとしている協君を連れ歩く中で、段々華佗を探すのはついでみたいになってきていた。
「鼻血、か……?」
「ええ」
予想外に簡単に華佗殿は見つかった。今は、負傷者を診て回る途中の食休みの茶屋にいる。
何といっても、華佗殿の横に付いて回っていた卑弥呼が……目立ちすぎる。
「鼻血の頻度は?」
「事あるごとにー」
風……何であなたまでいるのよ?
「事……よくぶつけるとかそういう話か?」
「いえいえー、そうではなく、妄そむっ!?」
勝手に好き放題喋る風の口を塞ぐ。それにしても、雛里に全部押しつけて来たのだろうか。
「鼻腔は血の巡りが特別良いからな。ちょっとした事で出血したりするから………」
「……………」
やはり、無理なのだろうか。
と、思った矢先、
「はああああああっ!」
「ひっ……!」
突然華佗殿が咆哮を上げて、その碧眼が妖しげな光を放つ。
『…………………』
そのまま、茶屋の中全ての空気が凍り付いたように、数秒とも数分ともつかない、沈黙。
一点の曇りもなく凝視されている私としてはかなり怖いのだけど、華佗殿の目は非常に真剣だ。……それがなおさら怖いのだけど。
「………どうやら、病魔の類ではないようだな」
そして、沈黙を経た華佗殿の第一声が、これ。
喜ぶべきか、残念に思うべきかわからない。
特定の病気なら、治療で治った可能性もあったのかも知れない。
「すぐ血が出るって言うなら、郭嘉は見た目によらず少し血の気が多すぎるのかも知れないな」
「そう……ですか」
無念、だ。そんな事がわかった所で、この鼻血が治るわけじゃない。
ポンポンと肩を叩いてくれる風の慰めが、逆に切ない。しかし、それはある意味で杞憂だった。
「まずは日頃の食生活からこつこつ改善していくしかないだろうな。それに、心の方にも原因があるかも知れない」
さすが大陸一と名高い名医。しっかりと対処法はあるらしかった。それにしても………
「心?」
「そっちは、俺よりも貂蝉の方が詳しいかも知れないな。何しろあいつは恋の病も治せるらしいから」
「………考えておきます」
貂蝉は頼りになるんだかならないんだかわからないので、話半分に聞いておく。
「それから程立、ここが鼻血を止めるツボだ。鼻血が出たら押してやるといい」
「おー、ここを押せば稟ちゃんの頑固な鼻血が治ると?」
「治るかは本人次第だが、出た鼻血はそれで止まるはずだぜ」
「さすがはだぁりん、儂が見込んだいいオノコよ!」
モジモジと悶える卑弥呼が気持ち悪い。何故華佗殿はあんなのを連れ歩いているのか理解に苦しむ。
「(恋の病、か……)」
主君として仕える男への、不鮮明な思慕を思って、私は窓の外から見える青空を、遠く見つめた。
「おに、ごっこ~~?」
「そうそう。鬼から逃げて、触られたら交代するんだ」
街中、その中でも人通りの少ない一画に設けられた広場に、子供たちが集まっていた。
「……何故、人間に触れたら鬼が人に戻るのだ?」
「あー……いや、鬼って言うのは仮称なんだ。鬼役の子がずっと追い掛けるんじゃ可哀想だろ?」
そこに、俺と協君もいる。流れというか何というか、街中うろついてたら子供たちが寄って来てしまったのだからしょうがない。
けど、確かに変だよな。触ったら鬼じゃなくなるってルール。
氷鬼とか助け鬼とか、変わらないのもあるけど。
「鬼に触られたら鬼になっちゃうから、皆は頑張って逃げるように。けど、広場から出ちゃダメだからなー」
『はーい!』
元気一杯に返事する子供たちの中、戸惑うように沈黙する子供が一人。
城の文官の子供、という事になってる阿斗こと協君である。
「ほら、阿斗も早く逃げる」
「う……うむ」
もう、鬼の子は十数え始めている。ハッとしたように駆け出す協君。
「(すぐに馴れる)」
何から何まで初めて尽くしで戸惑ってるだけ。逃げるのに夢中になってるうちに、きっと楽しくなる。
ちなみに俺は病み上がりだし、保護者丸出しの監督として座っている。
「ほい、これを頭に巻く」
「おー、カッコいい!」
数え終わった女の子の頭に、渡し忘れていたハチマキを巻く。
何がカッコいいのかよくわからんが、無邪気にきゃっきゃと喜ぶ姿には癒される。
「“タッチ”したらハチマキを次の鬼に渡すんだぞー。目印なんだから」
「えぇー……!」
よほど気に入ったのか、飛び出した女の子はハチマキを押さえて不満を体全体で表現する。
しかし、人間役の子たちに挑発されて、再び勢いよく飛び出した。
「………………」
それからしばらく、のんびりと子供たちが遊び回るのを眺める。
怪我したり、喧嘩になったりする前に注意するのが保護者の仕事だろう。
………………
そんなこんなで、子供たち(特に協君)の微笑ましい姿をぼんやりと眺めている内に、ウトウトと舟を漕ぎだす俺。
「ッ……!?」
……の頭が、後ろから軽く叩かれた。
「怪我人が、こんな所で何をしているのですか?」
振り向けばそこに、風・稟・華佗(+化け物)。
「ああ、華佗を探して……」
「広場で居眠りですかー?」
風の鋭い指摘が飛ぶ。そういえば、風はまだ怒らせたままだった。
って言うか、何でこの四人がこんな所に?
「やれやれ。いくら俺みたいな医者が居たって、結局怪我や病気は本人の気構え一つなんだぜ?」
稟や風の怒り気味な態度も、華佗の意外に小さなリアクションで萎む。
やっぱり、俺はそこまで無茶な事してたわけでもないらしい。
「……あんな戦の後だしさ。やっぱり街の様子とかも気になるから」
左腕の包帯を丁寧に外していく華佗におとなしく任せながら、稟と風には一応の弁解をしておく。
「こうやって民の皆や子供たちと接するのだって、大切な仕事だろ?」
「その仕事を休めと言っているんですよ………」
俺の言葉に、稟は呆れたように額を押さえて右隣に座る。
「よいしょ」
そして、風は俺の膝の上に座った。もう、怒ってないのだろうか?
「色々と、諦めたのですよ」
「……ごめんなさい」
俺の謝罪に風は応えず、俺の太ももをつねる。痛い。
「結構前に、夢を見たのですよ」
「………夢?」
突然何を言いだすのか、俺の視界は風の淡い金髪しか映っていないから、風の表情は見えない。
まあ、表情が見えたからって風が何考えてるのかわかるとも思えんけど。
「大きな日輪を、風が支えて立つ夢なのです」
日輪……太陽か。
何となく真剣な気配を感じて、俺も皆も口を閉ざす。
「強くて、暖かくて、この大陸の隅々にまで命を届ける優しい光。……そんな日輪」
風が、何を伝えたいのかわからない。何かを伝えたいというのはわかる。
もしかして……
「……その太陽が、俺だって事か?」
「まさかー」
これまでの経緯から、風が俺を主君と認めて評価してくれた、とかの話だと思ったが、違ったらしい。何か勘違い野郎みたいですごく恥ずかしい気分になった。
同時に、風の口調が少し悪戯っぽいものに変わる。
「日輪と言うなら、劉備さんや曹操さんの事でしょう」
軽い感じはそのままに、風はハキハキと続ける。
「夢のように、日輪を支えたい。と、そう思っていました」
その言葉に一瞬ギクッとした俺の動きは、膝の上の風には完璧に伝わり、風は楽しそうに少し笑う。
「お兄さんは、雲ですねー」
「………雲?」
風の俺に対する評価に、当の俺は首を傾げる。右隣では、何故か稟が「ああ……」と得心したように頷いていた。
「決まった形も、掴み所もなく、空に広がり浮かぶ雲なのです」
ぴょんっ、と逃げるように、風は突然俺の膝から下りる。
「日輪だけでは、この世の全ては渇いてしまうのですよ」
風は背を向けたまま、そう言った。
「はあっ……はあっ……疲れた」
「おかえり」
思う存分遊んできたらしい協君が、汗だくな……でも満足そうな笑顔で戻ってくる。
協君の格好が格好だからか、今の今まで気付いてなかったらしい風と稟が固まる。
「こんなふうに同い年の子供と遊ぶのは初めてだ。皆元気が有り余っているな!」
「阿斗は体力ないなぁ。皆まだまだ走り回ってるじゃん」
「む……そ、それは違うぞ! 偶然何回も私が狙われたから疲れただけで、別に体力が無いわけではない!」
少し砕けた口調で、協君はよく喋る。前代未聞かも知れないけど、風も稟も、この笑顔を見て反対はしないだろう。
そんな確信がある。
「ほら、皆一度集まれー! 今度は『だるまさんが転んだ』をやろう。このお姉ちゃん達が一緒に遊んでくれるからなー」
「「え゛………?」」
だからそのまま、なし崩し的に遊びに巻き込んでやった。
「おぬしがこの外史の起点だと、貂蝉からは聞いておるわ」
「……やっぱりお前も、“あいつら”と同類か」
俺は怪我人、そして皆が怖がると理由で見学してるもう一人……卑弥呼。
“そういう確信”はあった。まあ、貂蝉の師匠なら左慈たちの味方って事は無いんだろうけど。
「そんな事は良いではないか。とうにそのあたりの事情は納得済みなのだろう?」
「お前が訊いてきたんだろうが」
大体、納得済みって言われると、少し自信が無い。
前の世界と、この世界は別。二度と戻らないのなら、せめて前の世界の皆の気持ちを抱えて、この世界で生きていく。
散々悩んで出した結論が、それだった。だけど……
『同じよん』
「……………」
貂蝉に話を聞かされて、どこか引っ掛かっているのも確かだ。
……なるべく、考えないようにしてたけど。
「認めるも認めないも無い。現実として今ここにある、それが全てだ」
その卑弥呼の言葉、前の世界での貂蝉の言葉、今の俺には、よくわかる。
今の俺は、“ここ”を、新しい居場所だと感じるようになっていたから。