「目覚めたのか、一刀」
「…………協君」
俺が横たわったまま、風にあの後の戦いの顛末を聞いていると、部屋の扉を開いて一人の少年が入ってきた(化け物は追い出した)。
風は恭しく一礼し、俺は起き上がろうとしたのを風に止められた。
「……以前から思っていたが、貴様の言う“君”は別の意味な気がしてならんのだが………?」
「……キノセイデスヨ」
長い黒髪をオールバックに後ろで結った、いかにも高貴な感じのゆったりとした白い衣(縁は金色)を着た、小さな子供。
何を隠そうこの子供こそ、亡き霊帝の子・協皇子なのである。
「………いきなりで悪いが、少し聞いてもらいたい話がある。他の者には、席を外してもらいたいのだが」
神妙な様子の協くんは、少し申し訳なさそうに、部屋のあちこちで寝ている皆を見回して、それでも要望を告げる。
「……いいですよ」
身分とか色々無関係に、俺にとっては可愛い弟みたいな感覚の協君である。悩みを聞くのは、俺の仕事だろう。
「大丈夫か? 無理に場所を変える必要などなかったろうに……」
「皆を、起こしたら……可哀想じゃないですか」
気持ち悪い。風によると、何か麻酔みたいなのを受けて左腕の手術を受けた俺は、三日三晩眠りっ放しだったらしい。
桶を片手に、朝霧に霞む中庭に出た俺と協君。悪いけど、キツいから座らせてもらう。
「手短に話そうか。程立が貴様の援軍に出るため、洛陽を出陣した後の事だが………」
ふむふむ。協君は小さいのにしっかりしている。お兄さんも鼻が高い。
「何皇后と弁皇子が、自害なされた」
「………………………は?」
あまりに突飛に過ぎる内容に、俺は数秒フリーズして……
「自、害………ってちょっと待ッ………うっ……!?」
「興奮するな。体に障るぞ」
慌てて立ち上がろうとして、また強烈な吐き気と目眩に襲われる。
「皇后は、兄の何進が殺されて以降、常日頃から見えざる脅威に怯えていた。自分の関与出来ない所で物事が動いていく重圧に、堪えられなかったのだろう」
「……………」
考えてみれば、確かにそうだ。
皇后なんて呼ばれてても、何皇后は元々肉屋の娘。突然兄さんや十常侍が殺されて、不安が無かったわけがない。
「皇帝がいても権力闘争や黄巾の乱が起き、皇帝がいなくても反・北郷連合などというものが組まれた。もはや自分たちに栄光が戻らず、ただ利用されるだけと悟った何皇后は、弁皇子と共に毒を呷ったのだ」
俺自身、あの二人とはほとんど面識は無い。だからだろうか、むしろ………
「『せいぜい踊りなさい、哀れな傀儡』。皇后は、余にそう書いて残した」
協君の、この平然を“装った”態度が気になっていた。
皇子だろうが、聡明だろうが、まだ小さな子供なのに………。
「……要らぬ気を回すな。まだ公にはしていないが、彼らが死去されてもう四日も経っているのだ」
俺が寝てた間の事、か。
その間に気持ちの整理をつけた、と協君は言いたいのだろうけど。
「……………」
「……気を回すなと言っている」
座ったままでも手が届く協君の頭をくしゃくしゃと撫でると、予想通りに憮然とした返事が返る。
全く、歳相応ではない。いや、歳相応ではいられない協君の身の上を考える。
両親は既に亡く、今また、似た境遇にあった弁皇子が死んだ。
そして、この聡明な協君は、今までも、未来に漠然とした不安を感じ取っていたはずだ。
それが、何皇后の行動によってはっきり悟らされてしまった。
「………全く、余にこんな態度を取るのは貴様だけだぞ」
「知ってますよ」
されるがままになっていた協君が、またボソリと呟く。俺も、自分の無礼は理解してるつもりだ(多分、本当に“つもり”だろう)。
「……生まれた時から、皇族として振る舞うように教育されてきた。父上も病がちであったから……それほど一緒にはいられなかったしな」
今度は背中をさする。
「哀れに思ったか? 貴様は余を利用しようとした事は無い。いつも戯れのように接してくる」
今度はほっぺたを……
「人の話を聞いておるのか貴様はっ!?」
怒られた。
「まあ、俺は元々この世界の人間じゃないんで。礼儀知らずなのはその辺の影響ですよ」
「はぁ……その免罪符は聞き飽きた」
呆れたように、わざとらしく肩を竦める協君。少しは元気になっただろうか。
「……一刀。貴様は余が皇帝に即位すべきと思うか?」
「さあ?」
俺の即答に、協君はひっくり返る。つーか、いきなり何を言いだすのか。
「さっきも言ったけど、俺は余所者ですから。悪いけど、漢王朝への忠誠心なんて持ち合わせてないですよ。暴君って噂も、実際間違いってわけじゃない。忠誠心もない俺が、この大陸をまとめ上げようとしてるんだから」
「……なら、皇位を奪おうとは考えんのか?」
俺の意思表示に、びくっと背中を強張らせた協君は、不安げにそう訊いてくる。
ちょっとだけ歳相応に見えた。
「それやっても、“帝の座を奪い取った暴君”って思われるだけですから。正直、あんまり興味ないです」
酷な現実を突き付けるようだけど、事実を俺の都合に合わせて誤魔化して騙すのは………霊帝を利用していた連中と同じだ。
そんな風に扱いたくなかった。
「………もはや、漢王朝は滅んだのだな」
実質的な事実を飲み込んで、協君は苦い表情を作る。
先祖が受け継ぎ守ってきた血と皇位。その重みは、俺には理解してやれない。
「………辛いですか?」
「辛くないと言えば嘘になろう。しかし、こうなった責任は我ら皇帝の血族にある。自業自得というやつだ」
……本当に子供らしくない。こんな歳の子供が、こんな考え方をしなきゃならない事自体が、悲しかった。
「……皇帝に即位した余を擁する事が、少しでも貴様の助けになるか?」
何となく、協君の言いたい事がわかって……また頭を撫でてみる。
「なりますよ」
強い子だ。
「大陸の平穏を守れなかった事も、我欲に溺れる悪官をのさばらせた事も、皆我らが責。ならば、再び民の笑顔を取り戻す事こそが余の償いだろう。だが、事実余は無力だ」
完全な傀儡ではない。“自分の意志”で選択する事に喜びを感じているように見えた。
「貴様に託す。そしてその力となるのなら、余は飾りであろうと皇位を被ろう」
でも、俺としてはちょっと不満。
「大命を賜り光栄至極。………よっと!」
「わぁ……っ!?」
俺は両脇から協君を抱え……ようとして、左腕が痛かったので、頭をくぐらすように、立ち上がり様に肩車に持っていく。
……よし。麻酔の嫌な感じはそれなりに収まってる。
「よっ、よせ! よさんか! 貴様はまだ体が回復しておらんのだろうが!?」
「いやいや、協君軽いし。大丈夫ですって」
若干頭がフラフラして、足取りが覚束ないだけだ。これでこけたら洒落にならんけど、肩車くらい何とかなりそうだった。
「あ…………」
「どうですかね?」
多分、肩車なんてしてもらった事ないと思う。
皇帝の血を引くってのがどういう事なのか、俺には想像しか出来ないけど……やっぱり責任とか使命とか、それだけなのは嫌だった。
「っしょ!」
「お、おぉーー!」
そのまま軽く走ってみる。楽しそうに驚いてるだろう顔が見えないのが残念ではある。
「……………」
俺も、桃香も、“自分がやりたいから”やってる。
まして協君はまだ子供。もっと“自分自身”の事で欲張りになってもいいはずだ。
皇帝ってものを理解してない馬鹿な戯言かも知れないけど、間違ってるとは思えなかった。
「北郷殿! 手術を受けた患者が起きてすぐ遊び回るとは何事だ!!」
「はいっ!?」
そんな感じに戯れていた俺は、見知らぬ赤い髪の兄ちゃんに怒鳴られ、部屋に連行されるのだった。
この後、皇后と弁皇子の葬儀を大々的に行なった後、協君は、献帝・劉協として即位する。
「……………」
戦後処理や、弁皇子の事などもあって大忙しなのだが、俺は絶対安静を命じられている。
「………………」
しかも、暇を見つけては誰かが見張りみたいにやって来るのだ。
今は、寝台横の椅子に座った稟が、無言で林檎をシャリシャリと剥いている。
「……心配、かけた?」
「心配などしていません」
有無を言わさず返す稟。何か怖い。
「貴殿が勝手なのはいつもの事です。今回は毒矢という、ある意味仕方ない要素も含まれていた事を考えると……まだマシな方ですね」
全然、“仕方ない”って感じの声じゃない。皮肉交じりに稟は言う。
「ただ………」
俺の方を見ようともせず、眉間を平静に“保って”、稟は林檎を剥き続ける。
「貴殿が死んでしまった後では、どんな理由も言い訳にすらなりません」
「わかって……」
わかってるよ。そう言い切る事は出来なかった。
稟の平手が、パァンと音を立てて、俺の頬を打ったから。
「わかっていませんよ」
唇を引き結んで、稟はうつむく。……ちょっと、無神経に応えようとしてしまったのかも知れない。
「ごめん……」
「…………ふぅ……。自覚が無いなら、謝罪などしないで下さい。誠意の籠もらない謝罪に意味はありませんから」
「う゛…………」
稟は気持ちを落ち着けるように深呼吸した後、ジト目で俺を睨む。
これは何だかんだ言って、心配してくれたのだろうか。
「……何か、不快な事を考えていませんか?」
「すいません………」
イメージ内で土下座しつつ、自分でも心底情けなく頭を下げる。
「はぁ、その情けない顔で少し溜飲が下がったので、とりあえずは許してあげますよ」
剥き終えた林檎を皿に乗せて、コトンと寝台横の台に置いて、稟は立ち上がる。
「私も多忙ですから、もう行きますよ。つまらない事で時間を取らせないで頂きたい」
「気を付けるよ」
背を向けて、とりあえず許してくれたらしい稟は部屋を出ていく。
「……………」
台の上に残された、ご丁寧にうさぎ形に剥かれた林檎を、俺は一つ齧った。
(あとがき)
今まで居たのに全然出てなかった協君登場。原作では空気でしたが、本作ではオリサブとして登場。