「それで、良いんですね?」
「………ええ」
弱々しく返して、妙齢の美女は、槍を支えに身を起こす。
元々、兵でもない民を戦いに巻き込むのを嫌う人柄でもある。“城門の内側”で起こった戦いを続ける理は無かった。
「全く、義姉弟だからと気を許すから、こういう事になるのでは、と思うんですが………」
「信じたかったのよ。私のために、ね」
後頭で結んだ長い茶髪が、かぶりを振るのに合わせて揺れた。元々赤かった裾の長いドレスは、その裾をさらに赤黒く染めている。
血を流している、裾に隠れた太股は、既に感覚も無いだろう。
「あの娘たちを、守ってくれる?」
「いいでしょう。……と言いたい所ですが、今は動乱の時代ですからね。あたしは出来る自信の無い約束はしません」
そんな友達の、こんな時でも相変わらずの言葉に、深手を負った女……馬騰は、嬉しそうに溜め息をつく。
湿っぽい別れなんて、柄じゃない。
「ただ………」
「?」
このまま言葉もなく別れるのかと思っていた馬騰は、続けられた言葉に首を傾げる。
「胸を張って死ねる娘たちだとは思いますよ。親のあなたも、あたしも、彼女たち自身も」
「……………」
そんな、らしくもない気の利いた台詞に……
「ぷっ……あははははっ!!」
「おや、笑われるとは。やや心外かな、と」
吹き出すように大笑いしてやると、表情一つ変えずに少し顔を朱に染める。
そう、これでいい。と馬騰は思う。
「さて、頼んだわよ?」
「あなたが“ちゃんと”時間をくれれば、大丈夫ですよ」
可愛げのない返事にまた微笑んで、無理矢理足を動かして馬に乗る。
もう、反乱軍の馬蹄や喧騒の音も近い。
「先に行って、待ってるわよ」
「あたしは多分、地獄行きだと思うんですけどね」
「あれ? そういうの信じてたんだ。……大丈夫、私もよ」
「ほぅ……。では、先に行って旦那とイチャイチャしていてください」
「当然。あ〜、独り身は哀れよねぇ〜♪」
「独身貴族と呼んでください」
お互い、これから終わる“いつものやり取り”を、少し未練がましく続けて………
「………行くわよ」
「……了解」
二人、別々の方向に走りだした。
「出てこい、韓遂!! 貴様が首を欲する馬騰はここだ!! 民草をこれ以上戦火に巻き込むな!!」
巨城の前で馬を駆り、槍を天に向けて堂々と名乗りを上げる。
「我が帝への忠義を邪推し、我が娘たちの留守を狙い、我が愛する民を巻き込んだ貴様を私は許しはしない!!」
あっという間に敵兵に囲まれる。その人壁の向こうに、騎乗した義弟の姿も見えた。
「来い韓遂! 私は西涼の王として、貴様に一騎討ちを申し込む!」
その言葉に対する反応は無い。ただ、槍兵や弓兵が取り囲んでくるだけだ。
「(あっそ………)」
何とも意気地のない事だ。昔は気骨だけは一人前だったくせに……と、呆れと落胆を等量に感じて、馬騰は肩をすくめる。
「やれやれ」
そんな仕草から、一瞬。振るった長槍が前方の槍兵十人の穂先を払い……
「っらぁ!!」
二振り目で薙ぎ倒す。
「(さて……散が逃げやすいように)」
矢をつがえた弓兵がそれを放つ前に、一瞬で詰め寄り、斬り倒す。
「せいぜい、暴れますかっ!!」
それは、西涼の雄、馬騰の最後の戦いだった。
「……………」
タンッ、と軽く跳ねて、屋根から屋根へとその女は飛ぶ。
夜の闇に紛れて、彼女は西涼からの逃走を試みる。
馬騰は、もはや足に傷を負い逃げられない、戦って死ぬ道を選んだ。
馬休、馬鉄、一族の者たちの大半も生死すら掴めない。
だが、五胡の撃退に出陣していた馬超、そして馬騰の姪にあたる馬岱はまだ無事なはずだった。
そして、このまま何も知らないまま西涼に帰って来れば、韓遂によって殺されるであろう事も確実。
「(おっと……)」
松明の群れを視界に認めて、民家と民家の間に滑り込むように着地し、身を隠す。
耳を澄まして喧騒を聞いてみると、どうやら馬騰の残兵や、馬騰を慕う民と敵兵との間で争いが起こっているらしい。
「(好都合、ですね)」
加勢したい気持ちもあるが、今の彼女の最優先事項には充たらない。
むしろ、この混乱は自分の存在を隠してくれる、と割り切る。
そのまま、こそこそと城門に向かおうとした所で………
「ッ……!?」
背後に気配を感じて、確認するより疾く戟を奔らせ……
「なっ、いきなり何すんのよ!?」
見知った二人の顔だと気付いて、喉元で刃先を止めた。
「おや、あなた達でしたか。大声は自重してくれると助かるかな、と」
「アンタが出させたんでむっ!?」
懲りずに騒ぐ三つ編み眼鏡の口を塞ぐ。
「悪いのですが今日は少々忙しく、あたしには織物を買っている暇はないようで」
「(んな事はわかってるわよ!)」
口を塞いでいた手を払いのけて、少女は小声で怒鳴るという器用な真似をしてくれる。
「アンタ、馬超の所に行くつもりなんでしょう」
この、何故か自尊心が高い(礼儀知らずな)少女を、彼女は気に入っていた。
「………そちらのお嬢さん、そこそこ腕は立ちますよね?」
この二人に関して、周りの村人はこぞって口を閉ざす。
わけありだという事を、彼女は前々からわかっていた。
実は、調べもついている。隠す理由は知らないが。
「ッ……何言ってんのよ!? そんなわけが……」
「詠ちゃん」
遮るように、今まで黙っていた、というより喋っている所をほとんど見た事のないもう一人の少女が口を開く。
「わたし、もう、誰かを見捨てたり、見殺しになんてしたくない」
覚悟を決めたように言った少女は、持っていた鞘から剣を抜き放つ。
七宝をちりばめた、明らかに宝剣だとわかる鞘、そして鋭い刀身。
「馬鹿な事言わないで! 月は人を殺した事だって無いじゃない!」
「……自分の手を汚さなかった。それだけだよ。人を殺した事、たくさんあるよ」
「……………」
女は、そんな二人の奇妙なやり取りをぼんやりと眺める。
どうやら、普段から隠していた彼女らの暗い部分が、この戦いの光景によって蘇っているらしい。
だが、それを考慮してやる余裕は、今の彼女には無い。
「一つ、頼まれてもらえますかね?」
「よっ、と……!」
敵兵だらけの城門に近づいているのだから、当然いつまでも姿を隠していられるわけではない。
また三人、斬り倒して、馬を奪って駆ける。彼女はここまで来れば、一気に馬で駆けた方が手っ取り早いかと思ったのだが……
「嫌な予感はしたんですよね………」
韓遂軍が雪崩れ込んできた(内側から、内乱者が開いた)城門。それが……燃えていた。
遠くから見た時にやたら戦火が大きいとは思ったのだが、まさか燃えているとは……。
飛び火したのか、開門も閉門も出来ないようにするために焼いたのか知らないが、とにかく燃えている。
「さて、なかなか困った事になったようで」
こんな風に飄々と構えている彼女だが、今この瞬間も敵兵との戦いは続いている。
一気に駆け抜ける予定だっただけに、こうなると当然囲まれてしまう。
「(回れ右している余裕はなさそうかな、と)」
静かな態度、余裕のある仕草、それとは裏腹に……気持ちは鋼の如く揺るがない。
「……女将。しばしのお別れといきましょう」
燃え盛る炎の海に、女は馬を走らせ、飛び込んだ。
その二日後、にあたる。
馬騰の将たる女に言葉を託された二人の少女は、その場で剣を使う事を律された。
あくまでも、目立たないように、武は万が一の時に必要な最低限のものであれば良いと。
元々顔が完全に割れていた彼女には不可能だったのだ。
韓遂の兵の鎧や軍服を剥ぎ取り、紛れるように場外に出た二人は、西涼に向かってきていた馬超軍に西涼の異変を伝え、そのまま同行する運びとなった。
そのため、入城を誘い、騙し討ちを掛ける算段だった韓遂は、馬超と馬岱率いる一軍を逃がしてしまう事となる。
「……………」
目を開く前に、全身を気だるい疲労感が襲う。
「……………」
ぼんやりと、少しずつ、記憶が戻ってくる。
「(女将………)」
はっきりと、思い出す。
「…………」
……ここは、どこだろうか?
見た所、山の中に建てられた小屋……といった所か。
いや、それより……
「(“董卓”は、上手くやってくれたでしょうか?)」
意識を失う前後がはっきりしない。あたしがお嬢や花に危険を知らせる、というのが成功したとは、ちょっと思えない。
次善策のつもりだったが、結局本当に女将の頼みを託す形になってしまったらしい。
そんな時、扉が開いた。そして……何か出てきた。
「おぉ、目覚めよったか。おぬし、川で浮かんでおったのを発見されて以降、三日三晩眠り続けておったのだぞ!!」
「随分と珍妙な方ですね」
少し、容姿を表現するのが難しい御仁だ。とはいえ、そこを指摘するのも酷だろう。本人はカッコいいつもりかも知れない。
思わず出た単語は許して欲しい。その御仁は部屋の中に入ってくる。
にしても、三日か………。
「西涼の事、何かわかりませんか?」
そもそも、ここはどこだ。
「うぬぅ……! おぬし、今の己の容態以上に気になる者がおるのか!? やるなおぬし、まさしく真の漢女ぞ!!」
その顔で、驚愕を表現しないで欲しいものだ。
「漢字が違う気もしますし、多分そちらの推測は外れてると思いますが……まあ、流しておこうかな、という事で」
この様子では、訊くだけ無駄か。そういえば、まだ言い忘れていた。
「あたしを助けてくれたのは、あなたでしょうか?」
「いや、私ではない。いや、しかし……いやいやいや」
訊かれたままに応えようとした化け物……いや、御仁は、途中で悶えるように悩みだす。
とりあえず、この人が助けてくれたわけではないらしい。
「応えにくいなら、無理に訊く気はありませんよ」
一言礼を言ってから西涼の動向を探りに行くつもりだったが……まあ、この人に伝言を頼めばいいだろう。
……あ、治療費とか請求されたらどうしよう。
「いや、応えにくいわけではないのだ。だが、私のだぁりんにおぬしがときめいてしまったらどうしようとか思ってしまうこの漢女心! おぬしにもわかるであろう!?」
「失礼ながら、さっぱり」
葛藤の意味はわからないが、その“堕亜輪”というのがあたしを助けてくれた、と。
出かけているのかも知れないが、ちょっと帰りを待つ気にもならない。
「ともあれ、その堕亜輪とあたしが顔を合わせる前に去るのが、あなたのためなようで。これにて失礼」
手元に金は無いし、西涼が気になるし、そそくさと逃げようとするあたし。
不義理と思わなくもないが、優先事項というものがあるのだ。
「待て、そんな体でどこに行く! 医者として、そんな無謀を許すわけにはいかないぞ!」
逃げようとした所で、また一人現れた。
こちらが堕亜輪か。
逃がしてくれないらしい、困った。金は無いし、この二人、特にの白髪の方は相当強そうな気がする。
「…………何日かかりますか?」
とりあえず、聞き分けのない子供ではないあたしだった。
北郷軍と反・北郷連合の大戦。その渦中の出来事だった。
(あとがき)は感想板に。