「一刀さんっ!!」
勘違いなら、それがいいに決まってる。嫌な予感を否定したくて、必死に呼び掛ける。
自分が今、“反・北郷連合”だという事すら忘れて。
目の前で起こった突然の出来事に、完全に思考が奪われていた。
もちろん、この事態を好転させようというほどに冷静な考えなど露ほどにも浮かばない。
混乱、その一言に尽きた。
「う、あ………?」
だから当たり前みたいに、その接近にも気付かなかった。
駆けていた馬上から飛び、わたし達を囲んでいた兵達の壁を越えて………
「どけぇーーっ!!」
その人は、わたしに向かって飛び蹴りを放つ。その蹴撃が、
「きゃ……!?」
わたしが咄嗟に庇った剣にぶつかって、わたしはその勢いでしりもちを着いた。
「星……ちゃん?」
わたしを蹴飛ばしたのは、義勇軍の頃に一刀さんと一緒に知り合った星ちゃんだった。
わたしの体を半ばつっかい棒のようにして立っていた一刀さんが、そのまま倒れる前に抱き留めている。
「………星?」
一刀さんは、その状況に驚いたような声を上げる。……多分、自分が気を失ってた事に気付いてないんだ。
「……………」
一刀さんの、そのぼんやりとした呼び掛けには応えず、手際良く一刀さんの体に手を当てる。
傷の有無、鎧の損傷、そういう事を診てるんだと思う。
結局、一番目立つ、多分邪魔にならないように途中で切り落とされた矢と、一刀さんの冷たい体温を確認して……星ちゃんがわたしを睨む。
わたしの全身から、一気に冷や汗が噴き出す。睨まれた、それ自体に衝撃を受けたわけじゃない。
星ちゃんがわたしを睨んだ事で、わたしの嫌な予感……“毒”の存在が、ほぼ確定してしまったからだ。
「……あなたが一刀に、毒矢を使ったのか?」
静かな声、でも……抑えきれないほどに強烈な怒りが込められている。
「違う!」
咄嗟に返したわたしのその言葉に、どれほどの意味があるのかわからない。
この状況じゃ、信じてもらうのは難しく思えた。
でも、星ちゃんの意識は簡単にわたしから外れた。
「毒、矢………?」
意識が朦朧としている様子で、小さく呟いた一刀さんによって。星ちゃんの眼は、わたしへの怒りから、一刀さんへの心配へとあっさり色を変える。
「一刀! 話せるか? 意識はあるか!?」
肩をぐいぐい激しく揺らす星ちゃんから、すごく必死な気持ちを感じる。
わたしも、気持ちはよくわかる。意識があるってわかっただけで、すごく安心したから。
「………これ、毒……なのか?」
その言葉でわたしは、一刀さんが今まで自分の状態に気付いてなかった事を悟る。
「この矢、誰に射たれた! 射たれてからどれくらい経つ!?」
言いながら、星ちゃんは一刀さんの腕に刺さった矢を強引に引き抜く。
多分、血が噴き出すのを防ぐために、刺したままにして途中から切ってたんだろうけど、鏃に毒が塗られてたとすれば、確かにすぐにでも抜いた方がいい。
「ッ〜〜〜痛ぇ……!」
「我慢しろ!」
星ちゃんは、そのまますぐに自分の服の長い袖をびりびりと破いて、一刀さんの左腕を止血する。
「くぅ……! え〜と、矢を射たれたのはさっきで、まだそんなに時間は経ってないと思う」
喜ぶべきかどうか、わたしには判断がつかなかったけど……その激痛が、一刀さんに意識をはっきりと取り戻させる。
……いや、はっきりと、それは喜ぶべき事なのだと、わたしは後になって気付く事になる。
「……毒、か」
青ざめた顔のままで、一刀さんは唇の端を引き上げた。
「これは………」
まだ最前線からは相当に距離があるはず。なのに、これは何……?
私の軍の兵を、方天画戟で次々と斬り倒しながら、こちらに一直線に駆けてくる紅い髪の女。
間違いない。あれが飛将軍、呂奉先。
その勢いに引きずられるように、北郷の兵が怒涛の勢いで攻めてくる。
「曹操様! 前線は最早完全に崩壊しています! ご指示を!」
今さらに過ぎる伝令の報告など耳に届かない。見ればわかるではないか。
「夏侯惇、夏侯淵、許緒、典韋、楽進、李典、于禁……我が軍の勇将たちはどうした!?」
馬鹿な、あり得ない。いくら呂布が天下無双の将だとしても……これほどの力の差があるはずがない。
しかし、現に前線は崩壊し、呂布はここまで切り込んで……
「華琳様! 今はとにかくお下がりください!!」
悲鳴にも近い桂花の叫びが耳に届く。
呂布を筆頭にした北郷軍が、我が軍の精兵を容易く払って、まるで無人の野を駆けるようにこっちに向かってくる。
「牙門旗を持って走れ! 我らは左翼へ、主殿は後曲へ急いでくだされ!」
音々音は……囮になるつもり?
確かに、もう考えている場合じゃない。私が討たれれば、確実に全軍が壊滅する。
『下手をすれば、取り返しのつかない事になりますぞ』
音々音の言葉が、重々しく頭に響く。
「(部下を見殺しにして、囮にして……自分だけ逃げる?)」
そんな選択に迫られてしまった事実それ自体が許せず……思考が止まってしまった。
それが、致命的な隙となる。
接近してくる呂布と、私の……目が合ったのだ。
それほどに近づいていた。見抜かれた。もう、囮など無意味。
その事に、絶望と安堵を等量抱いて、私は大鎌を構え、後退る。
「囮など不要よ。今すぐ全速で後退する」
言いながら、周囲の護衛の兵は馬を旋回させ、さらにその外回りの兵は歓呼を上げて呂布を阻まんと駆ける。
しかし、稼いでくれた時間、私たちが逃げた時間、それらも虚しく……
「ッ………!!」
ふと振り向いた時、既に私は呂布の間合いに入っていた。
逃げ切れない。
「(殺される……!)」
奔る方天画戟の穂先に、私は思わず目を瞑り……
「………え?」
ギンッ! と響いた硬い金属音に、すぐさま目を見開いた。
その時すでに、呂布と、その長い黒髪を靡かせる背中が、馬から飛び降りていた。
心底からの、安堵に駆られる。
「我は魏武の大剣なり! 呂布よ、私がいる限り、曹操様には指一本触れられぬものと知れ!!」
私への一撃を弾いた(はずの)春蘭。続いて、秋蘭、真桜、流琉。私への道を阻むように次々と現れる。
「(生きていた……!)」
走る馬上で、私は遠くなっていく彼女たちの背中に安堵して……その直後に、呂布の存在を思い出して背筋を冷やす。
「……よく、止めた」
華琳へと向けた突きを、掬い上げるように弾かれた恋は、少し目を丸くして春蘭を見る。
先ほどの攻防で、戟の先が春蘭の左目を掠めた。今も春蘭は破いた袖を巻いて傷口を隠してはいるが……流れる夥しい血は隠せていない。
未だに動く事が出来る春蘭に驚嘆して……しかし、それだけ。
「……まとめて来い。次は、殺す」
手負いが四人。猛将揃いとはいえ、無傷の恋にとっては、恐れるような相手ではない。
無造作に戟を振り上げた。その時………
「恋ーー! 止まれ恋ーー!!」
聞き慣れた特徴的な呼び掛けに、ピクリと反応して、ゆるゆると振り返って、そのまま挨拶のように掲げた戟を振る。
一見隙だらけの恋に、春蘭たちは攻撃を仕掛けない。それが“本当に隙と呼べるのか”わからない。それより何より、彼女たちの最優先事項に沿わないからだ。
既に、この戦の大局は決した。華琳は必ず撤退を選ぶだろう。
春蘭たちは、この鬼神のような強さを誇る恋から、華琳が逃げ延びるための時間を一秒でも長く稼ぐ事が自分たちの役目だと自覚しているのだ。
だから、隙を見つけたと焦って攻撃して犬死にする事も、せっかく止まった恋を戦いに引き戻すような真似もしない。
「………霞、なに?」
「何もクソもないわ! 下がんで! 戦っとる場合やない!!」
素早く馬を走らせて追い付いた霞が、恋にそう告げる。
しかし、その不可解な発言に恋が首を傾げるより早く、秋蘭が怒鳴るように訊いた。
「張遼! 貴様がここにいるという事は、季衣は……」
「戦っとる場合やない言うとるやろ! ……大体どの口がそないな事ぬかしとんねん!?」
魏将たちは、その言葉で季衣の無事を悟って安堵すると同時に、その言葉に籠もる侮蔑にも似た響きに眉をしかめる。
明らかに、様子がおかしい。
「……行くで、恋」
まだ何か言い足りないという様な仕草をした霞は……しかしその言葉を飲み込んで恋を促す。
その様子に何か不吉なものを感じ取った恋も、すぐに馬に飛び乗る。
「……………」
結局、霞はそれから春蘭たちに一言も言葉を掛けず、一瞥しただけで去って行った。
「何があったん、でしょうか……?」
「さぁ、ようわからんし、相手の都合まで考えとれんけど、とりあえず……」
「ああ……」
「……助かったな」
流琉、真桜、秋蘭、春蘭の順に、緊張が解けたような呟きを漏らす。
生き残れた喜びと、どうしようもない無力感を噛み締めながら。
「お兄ちゃんに、毒!?」
「………うん」
走る途中で、愛紗ちゃんと鈴々ちゃんと合流出来た。
愛紗ちゃんが無事なのは星ちゃんに聞いて知ってたけど、恋ちゃん相手に鈴々ちゃんが無事なのはほっとした。軽い脳震盪程度みたい。
「それで……北郷殿がそうしろと?」
「うん」
色々な事が一度に起こりすぎて、ついぞんざいな応え方になってしまう。
「危険です! 撤退を促しておいて、我らの背を襲わないとも限らないではありませんか!?」
そう怒鳴る愛紗ちゃんの言い分は、わからないわけじゃない。
毒って言うのが嘘で、騙し討ちを狙っているんじゃないか、って思ってるんだと思う。
相手は敵軍の君主。警戒して当たり前。そう言いたいんだろうけど、これはあの場に一緒にいた朱里ちゃんも同意してくれた事だ。
『……今回は、あなたの流儀に合わせよう』
あまり話さない方がいいと判断された一刀さんに代わって、星ちゃんが言った言葉が、胸に痛い。
『だが、もし……………………万一の事があれば、あなたの軍も含めて、生きて自国に帰れると思い召されるな』
“万一の事”と言う前に、躊躇うように長い間を挟んだその勧告に、それでもわたしはお礼を言った。
ありがとう、と。
『あなたのためではない。……主命だ』
星ちゃんのその言葉は、言葉以上に、一刀さんへの想いに溢れていた。
復讐よりも、一刻も早く手当てを。多分それが本音だったんだと思う。
「わたしは、信じるよ。それを否定したら、わたしは自分の理想に負けた事になるから」
愛紗ちゃんの主張も、今回は聞けない。
『……戦い自体は止められなかったけど、殲滅戦は止められる』
あの後、最初に言った一刀さんの言葉が、わたしに勇気をくれる。
一刀さんは、自分の窮地さえ利用してきっかけをくれた。ここからは、わたしの戦いだ。
「曹操さんを、止める」
(あとがき)
四幕もあと一、二話くらいですかね。
霞の行動とかの若干不明瞭な部分は後から説明入れるつもりです。
いつも本作品を読んだり、感想をくれたりする方々、ありがとうございます。
やる気の原動力となっております。