「ッ~~~つぅぅ……!!」
鈴々は、凪より、沙和より、春蘭よりも強い。
しかし、鈴々が恋を相手にかろうじて持ち堪えているのは、実力以上に間合いのおかげと言えた。
鈴々の小柄な体躯からすれば、いっそ異様なまでの長さを誇る、一丈八尺の蛇矛である。
それが、力、技、疾さ、全てに於いて上回る恋との実力差を僅かに縮めていた要因。
傷を負った春蘭が、凪と沙和を担ぎ出す時間を稼げた要因だった。
「あっ……!?」
それも、最早限界。
鈴々が繰り出した蛇矛の突き、その引き手より速く、恋が蛇矛の柄を掴んだ。
「にゃあっ!!」
あまりに無防備な一瞬を自覚した鈴々は、しかし反射的に、蛇矛に意識を集中させていた恋の方天画戟を踏みつけ、ズンッと地面に押しつける。
お互いに武器を押さえる三秒程度の均衡は……
「ぷぎゃ……!?」
やはりというように、恋の靴底によって破られた。
鈴々の顔の真ん中を、勢いよく踏み飛ばす。
「……手足が短い」
「う………うっさい、のだ!」
恋と同じく、方天画戟を踏み押さえたまま蹴りを放っていたはずの鈴々が、鼻を押さえながらよろよろと立ち上がる。
だが、恋は既に鈴々に対する警戒心を解いていた。今は自分の手に在る鈴々の蛇矛、見た目の長さ以上に重量を持つはずのそれを………
「えい」
「あーーーーっ!!」
槍投げの要領で、適当な方角に投げ飛ばした。
「ひっ、卑怯なのだ! 正々堂々と戦うのだ!」
「……武器を落とした時点で負け」
騒ぐ鈴々にはもう構わず、恋は近づいてくる牙門旗を見つめる。
「ッッ!?」
黒い前髪を掠める槍の紅刃に、熱くなったはずの愛紗の体が底冷える。
「桃香殿の考えを、間違っているとは思わん。だが、刃を向けられてはこちらも黙っておれん」
対称的に、星はどんどん饒舌になっていた。それは油断というよりも、余裕と言えた。
現に、無駄な動きを繰り返した愛紗の顔には、既に疲労の色が濃い。
「わかった風な事をほざくな! 桃香さまがどれほど苦しんだ末に、このような選択をされたか………」
そんな星の余裕と、主君を引き合いに出された事で、愛紗は荒々しく青龍刀を奔らせる。
「なればこそよ。最早そちらに勝ち目はない。速やかな撤退をオススメしよう」
それを、横に跳ねて易々と躱した星が、どこまで本気なのかわからない口調で言う。
「大体、何故理不尽に暴君扱いされている我らが、そちらの都合など慮らねばならんのだ」
「ッ………」
さらに続く言葉に、愛紗は露骨に顔をしかめる。そもそも口喧嘩では勝負にもならない。
「ふっ、まあいい。ならば力づくでお帰り頂くとしよう」
不敵に笑って、槍を斜に構え、突きを繰り出す星。……と、愛紗の間に、
「「……っ!?」」
上から降ってきたそれが、重い音を立てて突きたった。
「これは、……蛇矛?」
「!? ……鈴々!!」
その武器を見て、星は見たままの感想を抱き、愛紗は即座にそこから、思い描きたくない光景を連想する。
考えたくない。それでも高い可能性。義勇軍時代に、恋の武勇を目の当たりにしていた愛紗は、蛇矛を握るや否や、一目散に駆け出した。
「あっ……! こら! 逃げるか!?」
「貴公の相手は後でしてやる! 今は他にやるべき事が出来た!」
義妹の身を案じて、刃を交えていた敵将に背を向ける事も厭わずに、愛紗は戦場を駆ける。
「桃香………」
すぐ傍で、剣がぶつかり、血が噴き出し、叫びと断末魔が響く戦場。
その中で、両者自軍の兵士に囲まれ、守られる……ある種異様な空間で、俺と桃香は向かい合っていた。その横には、朱里も立っている。
想いを伝えてくれた少女。皆が笑顔で暮らせる世界を望んだ少女。……俺が前の世界で立っていた場所にいる、少女。
彼女が、この光景の中で、酷く場違いに見えた。以前にも、黄巾党相手の戦場で見ていたはずなのに。
……何だろう。動悸が止まらない。冷や汗が噴き出す。踏み出す足が、重い。
「……一刀さん、兵を退いてもらえませんか?」
頬に僅かに涙を伝わせて震えるその姿は、見る者に、触れれば壊れてしまいそうな印象を与える。
それでも、桃香は立っていた。兵を率いて、剣を握って、ここにいる。
「……俺が退いて、曹操が追撃してこない保証は無い。それに、桃香が退いた所で、曹操が退くわけでもない」
連合の現状、戦う前の、果たせなかった停戦提案、そして今の桃香の姿。
それらから、俺は桃香の気持ちはほぼ完全に把握しているつもりだった。だから、聞く者が聞けば支離滅裂で矛盾だらけな発言に対する指摘はせず、退けない理由だけを端的に告げる。
「………………」
俺の言葉に、どう返せばいいのかわからないように、苦しそうに桃香は唇を引き結ぶ。
その姿に、俺は薄々感じていた事を、確信へと変えた。
桃香に対する、認識の間違いだ。
桃香は優しい。皆が笑って暮らせる世界、そんなものを目指すくらいに、優しい。戦いだって、好きじゃないんだ。
……わかっていたつもりだった。でも、わかってなかった。
俺が考えてたよりずっと、桃香は優しい。……脆いくらいに。
「……………」
気持ちを固めるのに、時間はかからなかった。
「……何で、曹操についてここに来た?」
俺は、異様に重く感じる体を動かして、青紅の剣を抜き放った。
「ッ! ……一刀、さん?」
わかってくれる。一刀さんならわかってくれる。どうにかしてくれる。
そんな甘えた気持ちが、どこかにあったのは否定出来ない。
権力闘争に巻き込まれて、暴君なんて汚名を着せられて、皆によってたかって狙われている一刀さん。
諸侯の野望を刺激して、同士討ちを引き起こした一刀さん。
それでも……信じてた。それが、目の前の光景に否定される。
抜かれた剣の切っ先が、わたしに向けられた。
それに合わせて、一刀さんの後ろで控えていた兵が動いて、わたしの後ろの兵隊さんも動いた。
互いが互いを牽制するように槍や剣を構えて、それでもわたしや一刀さんには手を出さない。
……多分、手を出すべきかどうか判断出来ないんだと思う。
「構えろ、桃香!」
そんな状況に戸惑っている間に、一刀さん自身が剣を片手に向かってきた。
「だっ、駄目でしゅ!!」
朱里ちゃんが、わたしの前に両手を広げて立ちはだかる。
何を思う間もない。
「「っ……!」」
わたしは、朱里ちゃんを押し退けて、一刀さんと剣をぶつからせていた。
「今さら停戦を持ちかけるくらいなら、何で連合に参加した?」
合わせた刃の向こうから、一刀さんの糾弾がわたしを打つ。
「それは……あの時はまだ、都の実態がわからなかったから……!」
「最初から信じられないような相手に、何でこんな強引なやり方での停戦が通るって思った?」
鍔迫り合いの状態の剣を払って、一刀さんは距離を取る。
何一つ、まともに言い返せない。こっちが何を思っていても、一刀さんにとっては、理不尽に攻めてきた連合の一勢力に過ぎないんだから。
でも、そんな絶望にも似た考えは……ある意味では誤解だった。
「……わかっただろ。戦いたくなくて、それでも大陸を平和にしたくて……。そんな無茶は通らないんだ」
「ッ……!」
一刀さんは、やっぱりわかってくれてた。“その上で”向けられた言葉に、わたしは弾かれるように挑みかかる。
両手で思いっきり振り下ろした剣が、一刀さんの剣にぶつかる。
「無茶なんかじゃない! 皆が協力すれば……」
「だったら! 何で停戦は成り立たなかった!? 共通の敵がいる連合の中でさえ、桃香の理想は届かなかったんじゃないのか!?」
わたしがぐいぐいと押していく刃の向こうから、一刀さんはわたしの言葉を間髪入れずに遮った。
……本当に、何から何までわかってる。
結局わたし達は、力ある諸侯の中で振り回されるしかなかった。わかり合うどころか、自分たちの思うようにさえ動けない、そんな状態だった。
そんな中での精一杯で断行した停戦の提案すら、成し遂げられなかった。
「どんな願いでも、叶えるためには力が要るんだよ。『こうなればいいな』って言うだけなら、子供にだって出来る」
また、一刀さんは後ろに跳んで鍔迫り合いから逃げた。ここでようやく、わたしは一刀さんが左手を使ってない事……だから鍔迫り合いでわたしでも力負けしていなかったという事実に気付く。
でも、今のわたしには、そんな事よりも……一刀さんの言葉が悲しかった。
「現実に出来ない、大きすぎる理想に囚われてたら……いつかその理想に押し潰される」
「あっ………」
さらに続いた言葉に、わたしは思い出す。
『理想が、自分を押し潰す』
愛紗ちゃんの、夢の言葉。
もしかしたら、とは思っていたけど……やっぱり夢なんかじゃなくて、一刀さんの言葉だった。
偶然……とは、どうしても思えなかった。
「…………それでも」
ずっと、胸に残っていた言葉だったから……すぐに応える事が出来たのかも知れない。
「それでもわたしは……出来るって信じてる! 皆が手を取り合って、そうやって大陸を平和に出来るって信じてる!!」
三度、わたしは剣をぶつける。鍔元での押し合い……これは相手を斬るためというより、気持ちを伝えるための手段のように思えた。
「だってわたし……愛紗ちゃんに出会えた!」
一刀さんの言ってる事が、わからないわけじゃない。それでも………
「鈴々ちゃんに、朱里ちゃんに……一刀さんに出会えた!!」
わたしは、信じてる。
「わたし……一人じゃ何も出来ない君主だけど……優しくて凄い人たちに出会えて、力を合わせて、ここまで来れたの!!」
理想に押し潰されたりなんかしない。皆がいれば乗り越えられる。
だから………
「だからわたしは………理想を捨てない!!」
鍔迫り合う一刀さんの剣に籠もる力は、やけに弱い。わたしでも押し切れるほどに。……でも、わたしは剣を振り抜くつもりはなかった。
「………だったら、何で今……剣を握ってここにいる?」
再び、投げ掛けられる問い。
一刀さんの言葉、それ自体が……理想を押し潰すほどの重みに変える『現実』に思えた。
人と人が手を取り合っていける事を信じているなら、何故今、剣を握って戦っているのか。
わたしが、自分の中から解を見つけだすより早く………
「見捨てられなかった、から…だろ……?」
一刀さんは、それを見抜いていた。
今まで、失望と反発のような感情を向けていた一刀さんの瞳を、間近で見つめる。
そこには糾弾の色も非難の色も無い。ただ……吸い込まれそうになる。
「俺の考えを……押しつけるつもりはないよ。桃香の理想だって、決して間違っちゃいない……」
その瞳が、虚に揺れる。言葉も、どこか消え入りそうで……。
「……でも、一番大切なものを、見失わないで……」
その言葉に込められた、どうしようもないほどに切ない気持ちが、鮮烈に伝わり、わたしは誘われるように頷いていた。
「あ………」
剣を合わせたまま、一刀さんの頭が、わたしの肩にのしかかる。
……そして気付く。
「(体が、冷たい……?)」
左腕には、途中で斬られた矢。体に、それ以外に大した傷はない。
わたしにしては驚くほど、明確に“それ”と結びつけた。
「(………毒)」