「‥‥‥これは、ひどいな」
星が、苦虫を噛み潰すように呟く。
「やはりこれも‥‥黄巾党の仕業でしょうか」
稟が、鋭く暴力と強奪の跡を睨む。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
ぴくりとも動かない風の表情からは、その心中は見いだせない。
「あ、あ‥‥‥‥‥」
俺は‥‥二重の衝撃に打ちのめされていた。
一つは、目の前の非道な行為の光景に。
もう一つは、『前の世界』の始まりの場所に、救えるはずの場所に‥‥‥無力な凡人として直面しているという事実に。
いや、それを言うなら‥‥あの時は今以上に無力だった。"俺自身に関しては"。
「すでに襲われた後‥‥‥のようだな」
周囲に敵の気配が残ってないか確認していたらしい星が、重々しく呟いた。
‥‥‥やっぱり、タイミングまでぴったり同じ。という事は、俺は"前の時より"早い時間軸でこの世界に来たのか?
いや、それより‥‥‥
「愛紗は‥‥‥‥」
同じ時間、同じ場所のはずなのに‥‥居るはずの彼女がいない。
「(‥‥‥‥っ馬鹿か俺は!)」
もし同じ時間というなら、この時点で星が公孫賛の客将になっていない、というだけで前の世界とは違う。
郭嘉と程立、という武将にしたって‥‥前の世界では曹操軍にはいなかったはず。
‥‥‥今、はっきり気付いた。
同じように見えても、そっくりでも‥‥‥この世界と前の世界は違う。
愛紗が"居るはず"なんて‥‥俺の都合の良い妄想でしかないんだ。
"そんな事より"、今は目の前に広がる現実に‥‥‥今の俺がどうするのか、じゃないか。
「食糧を確保するなど、到底無理だな」
俺の思考を切るように、星が振り返って俺たち皆にそう言った。
俺はその言葉に‥‥何か、取り残されたような、突き放されたような衝撃を受けた。
「そうですねー、少し厳しいかも知れませんが、このまま次の街まで行くしかなさそうなのですー」
「この襲撃で終わりだとも思えないし、あまり長居すれば‥‥私たちも巻き込まれかねないわ」
風の、稟の言葉が、俺の混乱に追い討ちを掛ける。
‥‥‥‥おいおい! 冗談だろ!?
「ちょっと待てよ! こんな状態のこの街をほったらかしにして次の街に行くってのか!?」
思うまま、怒鳴るように叫んでしまった。それに対して星は、「‥‥‥ああ」と納得したような声を出して。
「一刀よ、お前にはわからんのかも知れんが。これはお前が襲われたような野盗とは全くの別物だ」
同じ感想を抱いていたらしい稟と風が、それに続く。
「村人が簡単には逃げずに激しく抵抗した真新しい跡が見える、にも関わらず街全体から火の手が上がっている。これは、相当数の賊に一度で大規模な略奪を受けた、という事です。‥‥‥この様子では、官軍も既に敗北、あるいは逃走しているでしょうね」
「百とか二百、そういう規模ではないのですよ‥‥おそらく四、五千くらいでしょうかー」
跡を見ただけでそこまで見抜く三人の眼力に、俺は驚嘆するしかなかった。
「確かに私も、我が槍を預けるに足る主君を見つけ、この戦乱の世を鎮める志はある。だが‥‥‥」
「いくら星が無双の士とはいえ、一人でどうこう出来る数じゃないのよ」
「本当に私が、文字通りの一騎当千と呼べるかどうか‥‥試してみるのも面白いがな。だが、大望があるからこそ‥‥こんな所で匿賊風情を相手に命を懸けるつもりはない」
「お兄さんの言いたい事もわかるのですが、そういう事なのですー」
無知な子供に言い聞かせるように、三人は代わる代わるに俺にそう言った。
‥‥‥わかる。星たちの言う事はわかる。
実際に剣を振るって殺し合いをしたわけじゃなくても、俺も何度も戦場に立った。
いくら星が強くたって、個人では千の単位の大局は動かせない。
俺だって、それがわからないほど馬鹿じゃない。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥そうだよ、別に‥‥いいじゃないか。
今の俺は、一国の君主でも、天の御遣いでも、何でもない。
自分の居場所すら無い。成り行きで星たちにくっついて各地を転々としてるだけの‥‥目的がないから、旅人以下の放浪者だ。
そうだよ、星や、風や、稟の反応が普通なんだ。
むしろ、もっと大局を見据えているだけ‥‥大望を抱いているだけ‥‥普通よりも遥かに立派だ。
俺なんかが、気負う事なんかないじゃないか。自分の身一つ、守れやしないんだから。
俺が立派で在ろうとする事に、もう意味はない。
愛紗たちは、もういない。俺が背伸びして、胸張って堂々と立っていないと‥‥‥その誇りに傷がついてしまうような子はいない。
‥‥‥‥はは、こう考えてみると。一人って結構気楽だな。
そうだよ、俺みたいな凡人が‥‥大陸どころか、街一つ救うのだって、自惚れだ。
そう‥‥‥‥‥‥‥わかってるつもりなのに、なぁ‥‥‥。
「ッ! だからって、このまま見捨てて行くなんて出来るわけないだろ!?」
何、身の程知らずな事を言ってるんだろうな、俺は。
「子龍一人じゃ無理でも、村の人たちと力を合わせれば、何とかなるかも知れないだろ!?」
あ〜あ、無責任な事言っちまってるのに‥‥こんな感じで頭はどこか冷静なのに‥‥口を止める気にならない。
「こんな小さな街一つ救えないような奴が、大陸の平和なんて取り戻せるもんか!!」
ほら、星たちもこっちを呆れた顔で‥‥‥見てないか。こういう気持ちを馬鹿にするような子たちじゃないもんな。
‥‥‥表情が読めないけど。
「‥‥‥何故、天から来たおぬしが、そこまで拘る? お前からすれば、ここは無関係な余所の世界だろう」
予想通り、真剣そのものの表情で、星が鋭く俺を睨んだ。
その言葉に一瞬、『前のこの世界』の事を見抜かれたのかと思って、ぎくりとした。顔に出てたかも知れない。
「まあ、別の世界に行った事がない風たちに‥‥お兄さんの気持ちは完全にはわからないのですけどねー」
風が場を取り持つつもりで言っただろう言葉。それを‥‥‥星は容赦なく否定する。
「そうか? 私には、本当の戦いも、この大陸の事もわかっていない者が‥‥目の前の光景に捉われ、感情のままに喚いているようにしか見えんがな」
星の辛辣な言葉が、俺の胸を鋭く射抜く。
わかってる、それも正しい。少しだけ、頭が冷えてきた。
そのまま、長いようで短い‥‥そんな沈黙が続いて、俺が口を開いた。
「‥‥‥好き勝手言って、悪かった。子龍たちの志を何もわかってない俺が、知った風な事言って、気分を悪くさせたと思う」
それでも、だから‥‥‥‥
「‥‥今まで、ありがとう。ここで‥‥お別れだ」
やっぱり、何もしないで放っておくなんて、出来ないから。
俺は、三人に背中を向けて歩きだす。向かう先は、あの時村人が集まっていた酒家。
‥‥‥本当、一人って気楽でいい。命だって、自分の意志一つで懸けられるんだから。
それに‥‥‥
『我が主よ、天の御遣いよ。我らと共にこの戦乱の世を鎮めましょう』
『平気じゃないけど平気だよ』
『こんな時代で、力のない人たちが悲しい目にあってて、そういうの凄くイヤで‥‥‥』
自分にこんな気持ちがあった事が、嬉しかった。
‥‥前の世界の愛紗たちの夢が、少しでも俺にも根付いてるような気がして。
居心地の良かった居場所と、趙子龍との二度目の別れを振り切るように早足で歩きながら‥‥‥自分を奮い立たせるつもりで無理矢理口元に笑みを作ってみる。
‥‥‥絶対、強がりにしか見えないだろうけど。
そんな無理矢理な気合いを入れて歩く俺の肩が‥‥‥
「うっ‥‥‥!?」
痛いほど強く掴まれ、強引に振り向かされ、そのままドンッと民家の壁に突き飛ばされた。
「何す‥‥‥‥」
反射的に文句を言おうとした俺の目の前で、俺を突き飛ばした張本人‥‥星が、怖いほどに鋭い視線をぶつけてきていた。
本当に目の前、少し間違えれば唇が触れてしまいそうな距離で、しかしそんな甘い空気など欠片もなく‥‥‥ひたすら強い瞳が俺の目を刺す。
「そこまで言うからには、当然それに見合った覚悟は、あるのだろうな?」
さっきあんな啖呵を切ったくせに、俺は完全に目の前の星の気迫に飲まれていた。
「応えろ北郷一刀! この街の人々を助けるために命を懸ける、その覚悟が貴様にあるか!?」
「ッ‥‥‥‥あるっ!」
飲まれながらも、そこは必死に言い返した。本当は、そんな覚悟なんて無いかも知れない。
それでも、見捨てて行くなんて出来ないから。
「その為なら、どんな事でも背負う覚悟があるか!?」
「ある!!」
二度目。今度は、飲まれないように力一杯言い返した。
「‥‥‥そうか」
小さくそう言った星は、いつの間にか額と額がぶつかる程に近づいていた顔を放して‥‥‥
「行くぞ‥‥‥!」
「って、子龍!?」
おもむろに、俺の手首を掴んでずんずんと歩き出した。
引きずられるような体勢の俺、見れば風も稟も神妙な顔をして付いて来ている。
一体全体、何が何だかわからない。
事態がまるで飲み込めてない俺など無視して(引っ張って)、星は歩きながらキョロキョロと辺りを見渡す。
「あそこか‥‥‥」
そして星が見つけたのは、俺が向かおうとしていた‥‥辛うじて襲撃の被害を免れたらしい酒家。
俺でもすぐ気配がわかるくらいにたくさんの人間があそこにいるのだ。星が気付かないはずもない。
「御免!」
そのまま少しも待たずに、力強く扉を開いた。
あの時と同じ‥‥傷だらけの村人たちがそこにはいた。
「何だ、あんたたちは‥‥‥」
あの時と同じ光景、あの時と同じ人々。ただ、愛紗と鈴々がいない。
守れるはずなんだ、一度守れたのだから。
不安と義憤が渦巻いて、自分の世界に入っていた俺の耳は、星と、村のリーダーらしき男との会話を聞き逃し‥‥‥
「ふふ、勝てるさ」
星の口にした‥‥愛紗の数倍は上手な、聞く側に自信を持たせてくれるような‥‥そんな余裕の『希望の言葉』に、引き戻された。
「ちょっと待ってくれよ。なんであんたらは、勝てるなんて簡単に言えるんだ?」
「我らには天がついているから、な」
意味深な笑みを浮かべた星が立ち位置をずらし、「さあ見ろ!」と言わんばかりに、真後ろにいた俺に向けて腕を開く。
「この者こそ『天の御遣い』! この戦乱を鎮めんがため、天より遣わされし男よ!」
(あとがき)
私はチラシの裏に投稿するのは本作が初めてですが、回転早いですね。
あっという間に見えなくなりそう。
それはともかく展開遅いなあ、街の入り口から酒家までしか進んでない。どうなんだろこれ?