拳を覆う黒いオーラが、その細腕の攻撃力を爆発的に上昇させる。
そのどす黒い何かが、俺の視界を埋め尽くし……
「バカーーーーッ!!」
「おぎゃふっ!?」
次の瞬間、俺の体は宙に浮いていた。
背中から倒れ、打った後頭部の痛みが、皮肉にも俺の意識をつなぎ止める。
あっ、鼻血が! これじゃ配役が逆だろうが。
「お、落ち着こうかお嬢さん。クールになろうクールに」
「くーーーーーる!!」
意味の全く通らない雄叫びを上げ、両腕をぐるぐると回しながら稟は襲い掛かってくる。
仕方ないから、俺は片手で自分の鼻を押さえながら、片手で稟のおでこを押さえる。これで稟のだだっ子パンチは届かない。
「……雛里は知っていたのだな」
「あ、あわわ……!!」
ジロリと星に睨まれた雛里が、慌てて俺の後ろに隠れる。同じ叱られるにしても、一人じゃないってのは心強い……か? 俺楯にされてるけども。
「ま、ウチはそういう難しい事には興味ないねんけど……なっ!」
「はぅっ!?」
特に怒ってなさそうな霞が、トランスモードの稟に手刀を入れておとなしくさせてくれた。こういう時、霞の大雑把な性格は助かる。
「で、風は知っていたのか?」
そんな不真面目な思考を見抜かれたのか、ガンッ! と星の石突きが床を打つ。
星はなぁ……。ふざける時は趣味で面白可笑しくしたがるくせに、こういう時に大真面目になる。もしこの世界に血液型検査があったら、こいつはきっとAB型に違いない。
そんな事考えてたら、またガンッと床を叩いて威された。雛里の震え方が尋常じゃないから、そろそろやめた方がよろしいかと愚考します。
「ふっ、風にも教えてなかったのであります! はい!」
「何故?」
槍を抱えるようにして腕を組む星。これは……『何で黙ってたのか?』だよな。う~、怖い。
「いや、その……言ったら怒られると思って」
「ほう………?」
俺の心底本音な呟きを聞いて、星の眉が片方はね上がる。だから怖いんだってば!
「それで事後報告ですか……その後怒られるとは思わなかったと?」
稟まで復活した! 一応冷静だけど、ぶっちゃけ稟はトランスモードの方が怖くない。
「別に、玉璽を手放した事、それ自体を責めているわけではない。その思惑は理解した。だが我々が言っているのは、その事を仲間内で秘されていたという、常々お前自身が言っている信頼関係の……」
段々血走っていく星の眼を直視出来ずに、思わず……
「逸らさない!!」
「はいぃ!」
「雛里も!!」
「ひいぃ!?」
逸らせなかった。何ちゅう迫力、この世界に来てからこれだけ怒らせたのは初めてかも知れない。
「そうですか……私たちはそれほどまでに信用なりませんか。そうでしょうね、一刀殿には、天下の鳳雛がついていますからね」
稟が泣きそうーー!?
「だっ!? 違うって! ほら、俺って元々この世界出身じゃないから玉璽の重要性がイマイチわかってなかったっていうか! いやそうじゃなくてごめん! 今度からちゃんと話すから!」
ようやく、致命的なミスを冒したと気付いて、慌てて肩をポンポンと叩いて……
「ばかばかばかばかばかばかーーー!!」
「ぐはぁっ!?」
叩き返された! 現在進行形で稟のパンチがポカポカと俺の胸を叩く。
「……………」
その対応に終始する俺は、星が、そんな稟を複雑そうに見ている事に気付かない。
「「……?」」
「……何や自分ら、結局一刀に内緒にされとったんが気に入らんだけなんやないか」
結局、俺はその後のシ水関で、二人のご機嫌取りに丸々三日を費やす事になった(洛陽に帰ったら、風にもしなければならないのだろう)。
「……ぷっ、ふふ……あははははは!」
華琳様は、私と桂花とねねを連れて、御自分の天幕に戻ってくるなり、吹き出すように笑いだした。
「華琳、様……?」
お腹を抱えて、足をバタバタと動かし、寝台の上でゴロゴロと転がって、まるで子供のように楽しそうに大笑いしている。
こんな華琳様は、物心つく頃からお仕えしている私でさえ、ほとんど見た事がない。
まして、幼い頃ならともかく、王となるご自覚を持たれてからは一度も……いや、余計な思考は取り払おう。
……たまらなく、愛らしい。
「何か面白い事でもあったのですか? 主殿」
あの御姿に大した感慨も無い様子のねねが、率直に訊ねる。
子供とは、かくも哀れな存在なのか。あの御姿に何を感じる事も出来ないとは。
「これが笑わずにいられますか。あの男、まだ開戦とすら呼べない小競り合いの内に、力ある諸侯が集うこの連合をバラバラにしてしまったのよ?」
ほら、笑い止んでしまったではないか。まあ、笑い過ぎて眼の端に浮かべた涙を、余韻のような笑顔で拭う様も愛らしかったから良しとすべきか。
「……なおのこと、笑っていられる状態ではないかと思うのですが」
ッ……まずい、思考を正常に戻さねば。
しかし、確かに今回は桂花に賛同せざるを得ない。
孫策は撤退。しかもその孫策に対して袁紹が自軍の半数と劉表軍を追撃に向け、さらにその追撃部隊に対して、何故か袁術軍が牙を剥いた。
連合の力は、最早半減どころではない程に衰えた。しかも、それは単純な数の話だ。
理由はどうあれ、同じ連合の仲間に刃を向けた袁紹、その袁紹に刃を向けた袁術。
その事実が、諸侯同士の警戒心を爆発的に高めている。敵対心に満ちている、と言っても言い過ぎではない。
とても笑っていられる情勢ではないと思う。
「あの男との決着も、随分とつまらない幕切れになってしまったと思っていたけれど……ふふっ、まさかこんな手で崩してくるとはね」
また、たまらなく楽しそうに華琳様は笑う。
「ああ……華琳様、やはり貴女に仕えて良かった」
……桂花、気持ちは痛いほどにわかるが、ここでうっとりしながら肯定してどうする。
「……華琳様、お言葉ですが、最早北郷は覇道の合間の戯れ相手などではありません。間違いなく覇道の最大の障害です」
「あら、秋蘭にもよくわかっているじゃない」
……承知の上、か。やはり少々、酔狂に過ぎる。
しかし……最初は、何故華琳様があそこまで北郷を気にするのかわからなかったが、結局華琳様の慧眼が正しかったという事か。
「しかし、どうなさるおつもりですか? 宿敵の誕生を喜ぶのは結構ですが、このままとんぼ返りをするつもりもないのでしょう?」
やれやれ、とでも言うように肩を竦めたねねが、そう言って方針を訊ねる。
極端なまでに華琳様を中心としている我が軍で、ねねの様な存在は貴重ではある。
「当然でしょう。……とは言っても、今の連合ではとても連携なんて取れないわね」
「我が軍だけでは、北郷軍の数には太刀打ち出来ません。さらに言うなら、たとえ勝てたとしても、“背中から”刺されない保証もありません」
桂花の現実的な分析を皮切りに、そこからは知恵の絞り合い。
その半刻後、華琳様は唇の端を引き上げる。
「一刀さん……」
連合は、あまりに酷い状態だった。
玉璽っていう火種が放られたって言っても、連合の仲間同士がおおっぴらに戦い始めるなんて……。
『北郷さんは、事実として洛陽で圧政を強いていない以上、誰よりもこの連合の本質を見抜いていた可能性があります。だからこそ、敢えてその本質を揺さ振るような策を仕掛けてきたんじゃないでしょうか』
『言うほど簡単な事ではありません。しかし、北郷軍にはそれを成し得る頭脳が揃っています』
朱里ちゃんが言っていた事が事実なら、一刀さんはこれを狙って引き起こした事になる。
「……………」
私が一刀さんなら、どうしただろう。
理不尽に着せられた汚名。自分の首を狙って攻めてくる、野望に燃える諸侯。そして、自分が治めている都の……平和に暮らしている人たち。
「受け入れられるわけ……ないか」
そんな理由でおとなしく殺される事も、そんな理由で攻めてくる人たちに都の民草を委ねる事も、出来ない。
まして、自分にはそれに対抗出来る心算がある。
……戦うと思う。私が一刀さんの立場でも。
それでも、今の連合の光景には胸が痛む。
「……どうして、こんな風に戦わなくちゃいけないんだろ」
もう、黄巾党は滅んだのに……。
それぞれが、今治める街の人たちを守って、他の街の太守とも手を取り合って、そうやって大陸全体を守る。
何でそれじゃいけないんだろう。
俯く私の肩に、そっと手が掛けられた。
「……こんな所に、居られましたか」
愛紗ちゃんだ。わざわざ陣地の端で考え事をしてたのに、見つかっちゃった。
しかも、この顔は……
「……聞いてた? 私の独り言」
「……盗み聞きするつもりはなかったのですが」
あうぅ~~、弱音は見せちゃダメなのに~~。
……けど、どうせ聞かれちゃったんなら、話した方がすっきりするかも。
私の甘えんぼな部分が顔を出す。くるりと柵にもたれながら、半分独り言みたいに話しだした。
「最初はね? 集まった諸侯に袋叩きにされそうな一刀さんを、どさくさで助けるつもりだったの」
「……桃香さまと北郷殿が懇意にされているのは、理解しているつもりです」
怒られるかな? とか思いながら言った言葉。けど愛紗ちゃんは、むしろ諦めたような口調と表情だった。
……きっと、今まで何も言わずに負担を感じていた証拠なんだろう。反省。
「けど、実際には、一刀さんは自分たちの力だけで何とか出来たんだ。それがわかって、現実になった途端、決めてたはずの覚悟が揺らいじゃって……さ」
少し、言葉が正しくなかったかも知れない。
覚悟が揺れたというより、どうしたらいいかわからなくなったんだ。
連合が悪者、一刀さんは被害者。だから、私に出来るやり方で一刀さんを助けたいと思った。
それが、一刀さんの策で連合が瓦解した途端……どうしたらいいかわからなくなった。
弱い者をいじめる悪者から、弱い者を守る。
自分が、そんな単純すぎる信念しか持っていない馬鹿なのだと痛感した。
そして、そんな覚悟でこの連合に参加した事自体……浅はかな事だったんだ。
一刀さんが間違ってるなんて言えない。……それでも、この光景を肯定したくない。
そこまで考えて……これが単なる現実逃避に過ぎないと気付いた。
「……夢を、見たのです」
そんな戯れ言に付き合わせてしまった愛紗ちゃんに謝ろうとする前に、やけに神妙に愛紗ちゃんが口を開く。
「『大きな理想が、自分自身を押し潰す』。それが夢の中で言われた言葉でした」
「理想が、自分を押し潰す……?」
言っている愛紗ちゃん自身、戸惑っているように見えた。夢だからそれはそうなのかも知れないけど……やっぱり少しおかしかった。
「ッとても! 参考になるとは思えませんが!」
「えぇっ!?」
言ってくれた言葉を当の愛紗ちゃんが思い切り否定して、「不覚!」とでも言わんばかりに背を向けて歩きだす。
全然意味がわからない。わからないけど……
「愛紗ちゃん」
「? ……はい」
省かれている“そこ”が、重要な気がした。
「その夢の言葉、誰に言われたの?」
「……………」
その問いに、応えは返って来なかった。
(あとがき)
字数ギリギリ。いつもありがとうございます、くらいしか書けない。