「…………」
霊帝が、死んだ。まだ幼い協皇子と弁皇子を残して。
最も恐れていた事態。ボクだって、何進や十常侍との権力闘争で、今の官の状態はよくわかってる。
もう二度と、同じ轍は踏まない。
「……間に合わなかったわね」
募兵を何度も繰り返し、調練を執拗に行って、いざという時に備えて力は蓄えたつもりだけど……足りない。徴兵を月が嫌わなければ、もっとやり様はあったのに。
……いや、終わった事はもういい。
今の漢は、あまりに弱りきっている。黄巾党なんて“ただの賊”に大陸全土を蝕まれるほどに。
そして、霊帝が没して、幼い皇太子……実質的な傀儡が残った。
そして、ボクたちの意思に関わらず、その傀儡を操るのはボクたちという事になる。
この洛陽を治め、帝の側近を勤めていたのだから。
そして必ず、それを妬み、奪いにくる連中は現れる。今度は明確な『力』を以て。
「(もう、いい加減にしてよ……)」
ボクたちは、権力なんて欲しくなんてなかったのに。巻き込まれ、身を守った結果が今なだけだっていうのに。
「(月に、手出しなんてさせない)」
でも、以前から霊帝は病に冒され、弱っていた。この展開は予想の範疇。当然、事前に手は打っている。
……一番、使いたくはなかった手だけれど。
「……また、汚れ役を頼まれてくれる? なるべく急いで」
「はっ! 我々は西涼からの忠臣、董卓様、賈駆様のためなれば!」
ボクの命を受けて、何人もの部下が洛陽を去る。
……これでいい。
この為に、この事態に備える為に、取り計らってきたのだ。
今さら、躊躇うわけにはいかない。
全てが順調、これでボクも月も自由になれる。月は悲しむだろうけど……大丈夫、ボクがついている。
『可愛い女の子が傍に居てくれた方が、人生に張り合いができるってもんだ』
そう、全て順調。
『……ん、あんたがどうしても呼びたい! って言うのなら……呼ばせてあげても良いけど』
だから……
『ああ。別に気にしてないよ。ああいう態度、詠の照れ隠しって分かるようになってきたし』
だから、こんなの見せないで……
『うう、わ、分かったわよ! そうよ! どうせボクは意地っ張りな女ですよーだ!』
ボクは、月を……
『直接口には出さないけど、言葉の端々とか態度から見え隠れする本心ってのも、可愛くて良いんじゃないかな?』
「ボクは、月を……守らないといけないんだからぁあっ!!」
少女の慟哭は響き、しかし誰にも届かない。
「皆……俺についてきてくれ」
などと、新たな旅立ちの決意を固めたのも束の間、元・義勇軍の兵士の皆の意思確認やら、その他諸々の準備をしている間に……霊帝が没した。
さすがにそんな騒動を放置して身勝手に旅立つわけにもいかず、慌しい事後処理に追われた。
何より、俺たちの足を止まらせた事実。
月と詠が……姿を消した。
「遅れて、ごめん」
朝の玉座の間に、俺は慌てて駆け込む。星、稟、風、雛里、恋、霞、舞无、もう全員揃っていた。いや、もう一人、息を切らした兵士がいた。
……確か霞の配下で、月と詠の捜索のために他国に斥侯に出てくれてた奴だ。
この時点で、俺はこの招集の意味を大筋悟る。
「月と詠、見つかったのか!?」
挨拶もそこそこにかじりつくように訊いた。
「一刀も来たし、話してや」
霞が促し、そして兵士の口から語られる。一番重要な初めの言葉に、息を呑む。
「……は、はっ! 董卓様、賈駆様を探し、四方に飛んだ我々でありますが……誰一人、お二方の姿を確認する事は出来ませんでした。申し訳ありません!」
その言葉に、皆の顔に安堵とも落胆ともつかない色が揺れる。多分、俺も似たような顔をしてるんだろう。
見つからなかった事を悲しむべきか、“不幸な報せ”がなかった事を喜ぶべきか。
まあ、二人の近衛も数人消えてるから、身の安全はある程度保証されてるような気も……
「? ……どした?」
ふと、報告してくれた兵士の人が、俯いて口籠もっている。それを、霞が訝しげに睨んだ。
「し、しかし……」
なおも渋る兵士は、チラチラと俺を横目に窺う。何故、ここで俺?
「俺なら構わないから、続き頼むよ」
「は……はぃ……」
よくわからんが、話を訊かんと始まらないので続きを促す。俺だけ退室ってのも嫌だし。
そして、それは告げられた。
「我々が向かった全ての街で、その…噂が広まっていまして……」
「噂?」
オウム返しに訊き返した、気安く。それに対して、震えながら、顔を青ざめさせて、兵士は続けた。
「……王都にいる天の御遣いは……太守だった董卓を排して、天子を操り民に圧政を強いる暴君だと。そ、そのじ、実態は……天の遣いなどではなく、じ、地獄よりの使者であると……」
あまりに突飛な内容に、まず頭が追いつかなかった。
「何だと貴様ぁっ!」
「ひぃっ!?」
が、兵士の胸ぐらを掴むという舞无の直接的な行動で、逆に冷静になれた。
「舞无、落ち着いて。別にこの人が言ってるんじゃないんだから、噂だよ噂」
「ぬ、ぬぅう……」
にしても、地獄よりの使者ね。どっかで聞いたような通り名だこと。
「しかし、火の無い所に煙は立たんというしなぁ」
「……星、お前ずっと俺と一緒に行動してたろうが」
「はて、そうだったかな?」
って、遊んでる場合じゃない。
「……けど、ホンマに何でそんな噂が広まってんのやろな」
「そりゃぁ、噂を流した人がいるからですよー」
霞の疑問に、風が応える。その間に、完全に畏縮してしまっている兵士を退室させてやる俺。
「誰だ! そんなデタラメを吹いて回ったのは!?」
「……わかりませんか?」
「わからん!」
稟の応えに、きっぱりはっきり断言する舞无。ボルテージ上がりすぎてる。
「なるほどな……随分と悪辣な手を使う」
「…………?」
星が得心がいったように頷き、恋が首を傾げる。……実は、俺もわかった気がする。認めたくはないが。
「ヒントは、『董卓を排して』、という部分ですねー」
「……あまり考えたくはありませんが、状況から見て、そう考えるのが一番自然です」
風と雛里がそう言って、霞が目を丸くして、信じられないというように、それを口にする。
「まさか……月と、詠か?」
認めたくない事実として、その言葉は皆の心に突き刺さる。
「あっんの、眼鏡っ!」
ガンッ! と、霞が柱を殴りつける。苛立ちを隠そうともせずに。
「ちょ、張遼? 何を騒いでいる。何故そこで月と賈駆の名が出る? 私にもわかるように説明しろ!」
「あーもー! このド阿呆! 今の話の流れでそないな事もわからんのか!」
「何だと貴様!」
「二人とも、落ち着けってば」
怒鳴り合う霞と舞无を宥めつつ、稟に目で説明を求める。他はともかく、舞无と恋はわかってないかもだし。
「つまり、霊帝の死によって再び権力闘争の矢面に立たされる事を恐れた月……いや、詠でしょうね。彼女は、その人身御供として、一刀殿を利用したのですよ」
「ご主人様の天の御遣いとしての風評を逆手に取った、効果的な流言飛語です」
「時代の流れを読んだ上での事前策か……。詠も中々優れた軍師のようだ」
と、冷静に告げる稟、雛里、星。
「な、何だと!?」
と詰め寄ろうとする舞无を後ろから押さえる俺に、今度は霞がつっかかる。
「大体、何で暴君に仕立て上げられた当人のアンタがボケッとしとんねん!? 状況わかっとんのか!」
「……わかってるよ」
星、稟、風、雛里が冷静な理由は、何となくわかる。俺にも、似たような気持ちはあるし。
「霞こそ、冷静になれよ。確かにこのままじゃ覇権を狙う連中が、大義名分を掲げて俺の首を取りにくる。けど、それは多分……近いうちに必ず起こる事だったんだ」
俺が、洛陽を発つ事を躊躇していた一番大きな理由。白装束なんていなくても、この王都が、この群雄割拠の時代の標的になるんじゃないかという懸念。それを、詠も感じていたという事だろう。
皆、俺の言葉を黙って聞いてくれている。
「月が都を治めてたら月が、何進が生きてたなら何進が。誰かが“この先の時代”の生け贄になってたんだよ。今回はたまたま俺だったってだけだ」
「たまたまって……アンタ、詠にはめられたんやぞ!?」
「だから落ち着けって。なら霞は、仮に月が狙われたとしても、見捨てたりする? しないだろ?」
「う………」
口籠もる霞、舞无はよくわかってなさそう。恋は……ちょっと表情が読めない。
「確かに、寂しい気持ちはあるけどさ。詠が月を守るためにやったって事くらいわかるし、月の立場が俺に替わっただけだよ。……詠って軍師がいなくなったのは、戦力的に痛いけど」
本当に、前の世界みたいに反・董卓連合が組まれるってわかってたら、俺だって旅立ちを遅らせるつもりはあった。
むしろ、その判断が着かなかったから、星たちに言われるまで迷ってたとも言える。
俺の言葉に、どう返していいのかわからないように、霞は黙る。
丁度いいので、旅立ちの約束を交わした面々に向き直る。
「稟、こんな事になっちゃったけど……」
「なおさら、放っておけないでしょう? いちいち訊かないで下さい」
言って、稟はそっぽを向く。照れてるのか、こういう友情ネタみたいなノリが苦手なのか。
「風……」
「風はむしろ大歓迎ですよー? 遠回りどころか、一足飛びに暴君ですからねー」
暴君を好意的に解釈するのもどうなんだ?
「雛里……」
「……どこまでも、お供します。ご主人様となら、地獄まででも」
あまりに健気な応えに、頭を撫でてあげる。
「星、随分不名誉な通り名がついちゃったけど……」
一番気になっていた『正義の味方』も、
「別に構わぬよ。己の正義に恥じる所が無ければ、堂々と胸を張っていれば良いのだからな」
存外に、快いものだった。
「恋は、一刀を守る」
恋の解は分かりやすかった。
一番大切な事をわかっている、決めている。だからこそ、風評や原因には興味を持たない。そんな感じだった。
「舞无」
「……ま、守って欲しいか?」
「うん」
「ならば仕方あるまい! 我が全身全霊を以て守ってやる!」
未だに状況をわかっているのかいないのか微妙な舞无は、可愛い理由で賛同してくれた。
これで当人は隠してるつもりなのだから面白い。
「ああもうっ! わーったわい! ウチも付き合うたる!」
最後に霞が、折れるように承諾する。
……本当に、“この世界でも”、俺はいい仲間を持った。
「それで、どうされるおつもりかな? “地獄よりの使者殿”」
そう訊いてくる星の顔は、実に楽しそう。
「どうもこうもないさ」
ようやくスタートラインに立つつもりだったのが、初手から大戦になるのだ。
風ではないが、むしろ望むところ。
「掛かる火の粉は、払わせてもらう」
この二ヵ月後、一つの連合が組まれる。
名を、“反・北郷連合”。
(あとがき)
何やら画像認証が外れたようで、個人的には嬉しい限り。舞さまには感謝し通しですね。
とにかく今回で三幕終章、四幕に移ります。