日も暮れる洛陽の街で、わたしたち四人は、こそこそと一軒の茶屋を盗み見る。
「……知り合い、なんでしょうか?」
と雛里、
「確証はないのですが……確かあの人、『ご主人様』と言っていたような、言っていなかったようなー……」
と風、
「……どっちよ」
と呆れる私、
「桃香殿の容姿を鑑みれば、いくら何でもないとは思うのだが……」
と星、
「わんっ!」
と…………
「ひゃあ!?」
いつの間にか、私の足下に一匹の仔犬。この子は確か、恋の……
「……どう?」
「ふえ!?」
噂をすれば影、突然セキト(だったかしら?)を抱える形で現れた恋に、今度は雛里が驚いた。
「恋、あなたは城で重大な話があるのではないのですか!?」
我々義勇軍が外されるのは当たり前として、何故彼女がここにいるのか。
「? ……セキト、来た。難しい話は、いい」
……相変わらず、恋との会話は難しい。
要約すると、「セキトがついてきたから、自分も来た。賈駆たちの難しい話には興味ない」だろうか?
「稟ちゃん恋ちゃん、静かにしてくださいー。あの人のさっきの腕前からして、騒ぐと気配がバレちゃうかも知れないのでー」
……少しは驚きなさいよ、風。
「あなた、は、かみじゃない。ただ、の………どうやら、単なる逢引きとも違うようですねー?」
「わ、わかるんですか!?」
雛里に激しく同意する。窓際で姿こそ見えるけど、声なんて聞こえる距離じゃない。
「読唇術の心得もあったり、なかったり……」
ビシッと親指を立てる風。長い付き合いだけど、本当に何者なんだろう。
「風はこう見えても一流なのですよ〜」
「そ、そう……」
気にしたら負けだ。
「……大丈夫。弓矢は得意」
言って、キリキリと弓を引き絞る恋。頼りになるわね。
などと思いつつ、不意に不自然に静かな星が気になって、見てみれば……
「…………」
少し思い詰めた様に、自分の白い袖を摘んで眺めている。
……まだ気にしてるのね。昔ならこんな仕草、まず見られなかった。
「あなたに白い服は、よく似合っていると思うわよ?」
指摘した時の顔は、なかなか見物だったし。
「…………」
貂蝉と別れ、夜道を歩く。そういえば、今日は城で泊めてもらえるのかどうかも聞いてない。
『左慈や宇吉は、当分この外史に手出し出来ないわよん』
話は、一応理解は出来た。
『前のような“終わるための終端”を迎える心配はない、けどねん……』
いや、“俺なりに解釈した”と言った方が正確か。
『わたしだって神ではないわ。この外史のプロットも終端も、知る術はない。この外史は、天の御遣いを騙り、殺される愚者の物語かも知れない。黄巾の乱の後、一人の民草として生きる平凡な男の物語かも知れない。あなたは基点、でもそれがどんな物語なのかは、終端を迎える瞬間までわからない』
結局……
「何もわからない、って事だよな」
それで構わない。先の事がわからない。自分が特別な存在だって保障もない。
大いに結構。そんなの正史だって同じだ。プロットだの何だのを、『運命』って言葉に言い換えるだけの話。左慈たちの暗躍がないってだけわかれば十分だ。
『敷かれたレールなどに構わず、迷っても立ち止まってもいいから、自分の意志で進みなさいな♪』
最初から、そのつもりだ。
『それが、あなたの物語になるのだから』
「……………」
けど、“皆”に対して、どうすればいい?
同一人物かも知れないし、そうでないかも知れない。
俺が桃香に任せたあの場所は……錯覚なんかじゃなく、本当に俺の居場所だったんじゃないか?
絶対に忘れまいと強く思っていた相手が、実はいつも目の前にいたんじゃないか?
今までは、別人だと明確に割り切ってきた。混同しないように、と。
でも、それは……
『北郷一刀は北郷一刀、皆は皆』
本当に、正しかったんだろうか。
いや、正し“かった”かどうかはどうでもいい。
「(これから、どうする……?)」
想いを通わせた大切な人が、記憶喪失にでもなった。
性格や容姿が全く同じなだけの別人が、前の世界の記憶の欠片を持っているだけ。
どっちであるとも言えるし、どっちも的外れな気もする。
貂蝉が言っていたように、考えたって解なんて出ないんだろうけど、どっちにしても対応は早急に決めなければいけない。
星や恋の事を考えると、それこそ今すぐにでも決めないといけない。
かといって、これは一歩間違えれば人格無視みたいな問題を孕んでいるわけで……
星は星、恋は恋、愛紗は愛紗、と割り切ってしまうのは、二つの世界の両方の人格を否定するような気もしないではない。
いや、割り切らなくても、だ。
この世界の星を、“星”として扱う。そしてそれが完全な的外れだった場合、俺はこの世界の星の人格を無視すると同時に、あの“星”を見失うという事に……
「あー、もうっ!」
考えたって解なんて出ない。でも現状からして何らかの解は必要。
頭の中をひたすらに巡り続ける悪循環に、苛立ちを隠さずに唸る。
それを、間近で見られていたらしい。
「おや、どこの山猿が頭を掻き毟っているかと思えば……見た顔だ」
腕を組んで、民家の壁に背を預けた星が、静かな雰囲気を纏って、そこに居た。
「まったく、どうせならちゃんと読み取ってよ、風」
「むー、稟ちゃん他人事だと思ってぇ……。長い間あの人を凝視するのは、想像以上に辛いんですよー?」
……その気持ちは、よくわかる気がする。
風さんがあの人(?)との会話から読み取れたのは、断片的な単語だけ。
大切な人、いない、神じゃない、あなたの道、そんな言葉。
ご主人様の過去。それも、とても大切な思い出に関する話だという事は、わかった。
……何より、ご主人様は泣いているように見えた。
だから、私たちの内の一人はご主人様の様子を見に行く、そんな風に決まった。
それが星さんになったのも、必然。会話の中で、星さんの名前が出ていたようだから。
そうして、私たち四人……
「わんっ!」
と一匹は、ここに来ていた。
「おやまぁ、覗き見だけじゃなくて、尋問までしちゃうのかしらん?」
『っ!?』
バレ、てた……?
その笑顔が怖くて、恋さんの後ろに隠れてしまう臆病な私。
こんな危険で恐ろしい行動に出ることが出来ているのも、あの時のご主人様の深刻な様子と……唯一この人に対抗出来た恋さんの武勇があるから。
「お前が……泣かせた?」
けれど、恋さんが無造作に戟を担いだ事で、私はすぐにその場から飛び退く事になった。
仕方なく、代わりにセキトさんを抱き抱える。
「わたしが? ご主人様を? 人聞きの悪い事言わないで欲しいわねん☆」
くねくねと身を捩る彼(?)の姿に、私は全身の血が一気に退いていくのを感じて……
「あわ、あわわ、わ……」
遠退いていく意識で、私を支えてくれたらしい風さんの柔らかい髪を、視界の端に見た。
「星……?」
何で、こんな所に……。
はっ!? まさかあの貂蝉の雄叫びを聞き取られて……いや落ち着け。そんなの聞こえなくたってあいつの容姿は常軌を逸してる。気になって後をつけられても仕方ないか?
俺だって、元の世界でいきなり友達があんな怪物と一緒にどっか行くのを目撃したら、心配半分好奇心半分に追跡したくなる可能性は大だ。
「奇遇だな、先ほどの怪物はどうした?」
……ダメだ。表情から考えてる事は読めない。
「…………」
「…………」
「………?」
何だ? 星なら……いや星じゃなくても、あんな場面に遭遇したら根掘り葉掘り訊くのが普通なんじゃないか?
この沈黙が不気味だ。
「一刀」
「っ……?」
表情は相変わらず、読めない。声だけが妙に真剣味を帯びている。
「…………」
「…………」
黙るし。何なんだ、もし「おぬし、男色の気が……?」とかの疑問を真顔で持たれてたら、再起不能だぞ。
大体、あいつ(貂蝉)の事でシリアスな顔される時点で不本意極まりない。
「あー、その、うん……」
全く以て、星らしくない。辛辣な物言いさえ楽しそうにズバズバ言うのが星の基本スタイルのはずだ。
……つーか、タイミング悪いな。よりによって星か。風や稟、雛里なら前の世界どうこうとか考える必要なかったのに。
「啄県での事、覚えているか?」
しかも、言い淀んでいたわりに、切り出したのは完全に予想の斜め上。貂蝉の事じゃないのか?
「啄県の……何?」
あそこは短い間だが統治していたし、啄県での事とか言われても漠然としすぎている。
「だから! 私がお前を天の御遣いに仕立て上げた時の事、だ!」
何でこんな苛ついてんだ、星のやつ。にしても……
「ああ、それが?」
俺の素朴な疑問に、星がコケた。本当に今日はおかしな。
「…………」
何やら恨みがましく睨まれるし。俺が何したってんだ。
「だから、その……成り行きとはいえ、私が強引におぬしに『天の御遣い』を押しつけたような形に、な……」
後悔……罪悪感? いかにも星のキャラじゃないし、言ってもしょうがないような事で謝るとも思えない。
たとえ内心にそういう気持ちを持っていたとしても、口には出さない。そういうやつだ。
その俺の認識に応えるかのように、
「だから、私にもその責任の一端は、あるのだろうな」
星の言葉は、自虐的な謝罪ではない。決意の表明へと続く。
「だから私は……」
不思議と人気のまるで無い、都の月明かりの下で……
「お前を、この大陸の王にする」
その言葉は、どこまでも強く、綺麗で、何より純粋に、俺の心に響いた。
その姿が……
「あ………」
『我が槍をあなたに託しましょう』
俺に、その槍と志を預けてくれた。想いを通わせた少女と、重なる。
「“星”」
失っていなかった。熱い気持ちが止めどなく溢れる。その心のままに呼び掛ける。
知らず、体が勝手に動いていた。
求めるように伸ばした両手が、星の両肩を掴み、そのまま顔を寄せ……
「ぼぎゃっ!」
そんな俺の顎を、下から思い切り突き上げられた。
「はは、全く……本当に手が早くなったものよなぁ、一刀よ。桃香殿だけでは飽き足らず、よもや、私にまで手を出そうとは……」
ぷるぷると全身を震わせて、拳を握る星。大の字に倒れながら、俺は一つの結論に達した。
前の世界の星なら、こんな反応はしない、と。
「やっぱり、別人だな」
「独り言とは随分と余裕よなぁ。まさか、女人の唇をいきなり奪おうとしておいて、ただで済むとは思っていまい?」
立ち上がり、砂を払い落とす俺と、両手で槍を構える星。
「逃げるなぁーー!!」
近所迷惑な鬼ごっこは、夜が耽るまで続いた。
(あとがき)
結局、真で左慈たちが『手出し出来ない理由』ってはぐらかされてますよね。
本作でオリジナルで理由がつけられるかどうかはまだ秘密にしておきます。