陳留の城の、庭の隅に、雨よけ日よけの屋根だけが四本の石柱に支えられているという簡素な造りの休憩所が設けられている。
シンプルだが、決して質素なわけではない。かといって過剰な、いわゆる成金趣味な装飾もない、絶妙なバランスの、センスの良い造りである。
その休憩所の、机に向かい合って座る……
「………」
「………」
俺と華琳。護衛は無し、ただし、傍目には。
「俺みたいなのと、二人だけで会ってて大丈夫なのか?」
「私が悲鳴を上げてから、助けが来るまでに一呼吸もかからないわよ。その間に何か出来る自信があるなら……試してみる?」
警戒するどころか、余裕まで見せていらっしゃる。察するに……
「やっぱり、そこの茂みに、夏侯惇あたりが潜んでたりする?」
「あら、武術の心得があるようには見えなかったけど、気配くらいはわかるみたいね」
気配読んだ違う。行動パターンをリサーチしただけでございます。つーか、やっぱり居たのか。
「安心なさい。あの距離なら、会話までは聞こえないわよ」
そうか、聞こえないのか。けど、華琳がそこを考慮してくれるとは思わなかった。
「あの子たちがいると、落ち着いて話も出来ないもの」
「それだけ愛されてる、って事だろ?」
「そういうこと」
相変わらず、立ち振舞いの全てから余裕と貫禄がにじみ出ている。
『前』と違って、過度の男嫌いは治ってるらしいけど、“味方じゃないと”話してるだけで気圧されそうになるんだよな。
「にしても、呂布とか張遼とか、偉いんだな。曹操が敬語使ってたし」
ひとまず、軽い口調で話題転換を試みて、
「………」
呆れ顔を見せられた。また何かしたのか? 俺は。
「あなた……そんな事も知らずに同行してたわけ?」
「いや、何となく偉いんだろうなぁ〜とは思ってたんだけど、曹操があんな態度取るほどとは思ってなかったって言うか……」
頬杖を付いてた右手からズルッと滑り、机に頭を打つ華琳。ちょっと可愛い。
「何をどう勘違いしたのか知らないけれど、朝廷での地位で言えば、私は彼女たちの足下にも及ばないわよ」
「マジでっ!?」
そんなに偉いのか!? いや、俺の中のイメージで曹操=超偉いって図式が極端だっただけ、か? 三國志の影響……先入観?
「はぁ……その様子だと、官軍に媚を売って出世を図った、というわけではないようね。さっきも華雄将軍を叩いてたし、あんな無礼な媚の売り方もないか……。というか、その『まじ』とは何? また天界の言葉?」
……何か、意外によく喋るな。もっと警戒されてるかと思ってたけど。
「ん〜……、まあ出世に役立つなら嬉しいかなとは思ってるけど、ほとんど成り行きだよ」
ぶっちゃけると、完全に友達感覚だし。
「まあ、元々住んでた世界自体違うんだし。色々と感覚が違うのも仕方ないって事で」
「……開き直らないでくれる?」
何か疲れてらっしゃる。けど、華琳のペースに巻き込まれてたらこっちの身が保ちそうにないので、悪しからず。
「まあ、いいわ。……本題に入ってもいい?」
途端、華琳の眼の色が変わり、ギラつく刃物のように俺を指す。
「……どうぞ」
やっぱ、世間話しに呼んだわけじゃないか。
「どこまで、気付いているの?」
一瞬、本気で何の事かわからず、反射的に「何が?」と返しそうになったが、ちょっと頑張って頭を捻り……
「(あっ……!)」
先ほどの、張角の話題だと気付く。
「……バレてた?」
「それはこっちの台詞でしょう!」
弾かれるように、柄にもなく大声上げて立ち上がった華琳は、ハッと我に帰って着席する。
オーバーアクションは勘弁してくれ。今、あっちの茂みが動いたぞ?
ってか、今の発言はお互い自爆なんじゃなかろうか?
「ゴホンッ……とにかく、あなたが気付いた事について、聞かせてもらえないかしら?」
やっぱバレてた。俺が顔に出やすいのか、華琳の洞察力が半端ないのか、もしくはその両方か。
「曹操が首級を“取れなかった”っていうのも違和感あるし、あの姿絵の通りってのも変な話だしね」
もう、見抜かれてしまってる以上、言ってしまう事にする。華琳が、霞に念を押された上で俺をどうこうして、自滅するような愚を犯すとも思えない。
「それから、夏侯惇をああいう場面に出さない方がいいよ」
「はぁ……、ご忠告、ありがたく受け取らせてもらうわよ」
額を押さえてため息をつく華琳。気持ちはわかるぞ、俺も華雄と半年一緒に行動してるからな。
「……それで? 何故あの場で、その事を口にしなかったの?」
「う〜……ん。まあ、何ていうか、曹操に任せておけば問題ないかな、って。もちろん、後から言うつもりもないよ」
元々言う気なんか無かったけど、今「後から言います」なんて言ったら、サクッとやられてしまう可能性も否定出来ない。
「………」
「信用出来ないわ」とか、「何を企んでいるの?」とか返ってくるかと思っていたら、無言。
警戒……とも少し違う。何かうまく表現出来ない変な視線を向けてくる。
「……まあいいわ、信じましょう」
何が「まあいい」のか、視線の意味と、会話の前後が微妙に噛み合ってない気がした。
ただ、そこを深く突っ込むのは……俺にとっても都合が悪い、そんな予感があった。
「ただ、覚えていなさい、北郷一刀。王とは常に……孤独なものよ」
その言葉の裏に、俺が、華琳を信用して張角の事を任せた、その部分を責められたような気がした。
そういえば、前の世界でも同じこと、言われたな。
「それは曹操の主観で考えた王、だろ」
今でも変わらぬ解を、こういう部分は変わらない華琳に言って、
「ッ……!?」
「曹操?」
いきなり、片手で頭を押さえてよろめいた。何だ?
「貴様っ! 華琳様に何をした!?」
などと、俺が疑問を抱き、華琳に訊く余裕も無く、忠犬春蘭が、主の異変に気付いて茂みから飛び出してくる。
「おやめなさい! 春蘭っ!!」
「「「っ……!」」」
その怒声に、俺も、春蘭も、さりげなく居たらしい桂花も、動きを止める。
「別に北郷が何かしたわけではないわ。会合に割って入る事は許さない、下がりなさい」
有無を言わさぬその物言いには、先ほどの異変など欠片も見当たらない。大丈夫、みたいだな。
すごすごと茂みに戻っていく春蘭と桂花に、噛み付きそうな眼で睨まれた。
「……せっかくの忠告も、意味がなかったようで残念だわ」
全然残念そうじゃない、むしろ嬉しそうな言葉。先ほどの会話の続きだと、遅れて気付く。
「気持ちだけ、ありがたく受け取っておくよ」
「いいわよ。馴れ合うつもりはないから」
鋭く言ったそれは、事実上の宣戦布告のようにも聞こえた。
俺への、じゃない。この先に広がる乱世への。
「……この黄巾の乱で、官はその無力を天下に露呈した」
俺が、
「しかし、それを指をくわえて見ている者ばかりではない」
華琳が、
「この先、この大陸は覇権を巡る群雄割拠の時代に入る」
自然と、連ねるように言葉を紡ぐ。
伝えたい事は、言葉以上に伝わった。そんな確信がある。きっと、華琳もそうだろう。
「あなたは中々面白いから、“その時”生きていたとしたら、慰みものにでもしてあげるわよ」
……おいおい、マジでこいつは「男に触られたら殺してしまうかも知れない」とか言ってた華琳と、世界が違うとはいえ同一人物なのか? などという小さな疑問は、すぐに消えた。
「魅力的な申し出だけど、早々俺も、潔くはなれないかな」
覇王たる少女に感化されるように、気分が昂揚しているのがわかった。
「………」
「………」
そのまま、ただ互いに瞳を見つめ合うだけの、決して空虚ではない沈黙は、食事を終えた恋たちが迎えに来るまで続いた。
『王とは常に……孤独なものよ』
北郷一刀に、私はそう言った。
部下はおろか、味方ですらない……そうわかっているはずの私を信用して張角の処分を任せるなど、愚行以外の何でもない。
他人を信じる。それは綺麗な事。人として正しいこと。でも、王にそれは許されない。
信じるのは、部下ではない。他者ではない。“己の目”を信じる。
優れた名器、自身の矛にも盾にもなる人材を見いだす、己の目だけを信じる。
なのに……北郷の在り方を、不快に感じなかった。間違いなく、今の自分に対する否定であったのに。
……おかしな幻覚まで、見える始末。本当に調子が狂う。
私や春蘭のことを、やけに理解している言動も気に掛かる。でも、それ以上に気に掛かるのは、今の自分だ。
「………」
他者を、北郷を信じない。その考えに即するならば、すぐさま張三姉妹を処分して、追及を逃れられるように仕組むべきだ。
……でも、私はそうはしないだろう。
そこに、誇りに懸けて約束を交わしたという以外の理由も感じて。
「信じたのは、あくまでも私の、あなたを見る目よ。北郷一刀」
そういう風に、自分で無理矢理結論づけた。
(あとがき)
どーも悪いクセですね。書いてるうちにのめり込んで、一場面をやたら丁寧に書いて、展開が遅れるのは。
本当ならもうちょっと進むはずでしたが、これだけになりました。