「よしっ! 行けるぞ!」
何で、今まで考えつきもしなかったんだろう?
「お兄さん!」
『前の世界』には稟も風もいなかった。戦死したのかも知れない、魏に仕えなかったのかも知れない。でも、少なくとも俺は彼女たちを知らなかった。
「風! 大丈夫、味方だよ! 皆が混乱しないように鎮静化してくれ! 俺は味方同士で邪魔にならないように誘導する!」
今の世界と前の世界は、違う。それは俺の事を皆が覚えてるとか、そういう事だけじゃない。前の世界とは微妙に違う伯珪に会った時、風や稟に会った時、薄々感じていた事だ。
「関羽将軍!」
なのに、何故想像すらしなかったんだろう?
「ふっ、私は将軍なんて大層な身分ではありませんよ。......あなたが、この部隊の総大将か?」
前の世界で、俺が立っていた所。三國志の主人公格と言われれば、曹操と並んで真っ先に浮かぶ名前......『劉備』。
「不相応ながら、ね。助太刀、感謝します」
何故、その存在を想像すらしなかったんだろう?
「礼など要りません。我らとて、賊徒から民草を守りたい志は同じ。それより......我が名をご存知で?」
そんな後悔とも狼狽ともつかない感情が、頭の中をぐるぐると巡りながら、
「もちろん、有名だからね。......けど、話は後だ」
「ええ、まずは......」
俺は自分でも驚くくらい平静を装って......"関羽との初対面"をこなしていた。
「敵は崩れたぞ! 一気に畳み掛けろ!!」
「見ろ! 敵は数で勝っていなければ裸足で逃げ出す臆病者どもだ! 恐れる事など何も無いぞ!!」
そんな風に自分を抑えられる事が、誇らしくて、そして......寂しかった。
「ちくしょう! せっかく何進の豚野郎を後一歩まで追い詰めたってのに、雑軍相手に何て様だっ!!」
黄巾の群れの中、一人明らかに洋装の違う男がいる。鎧も槍も、明らかに他の連中より上質の代物。そんな男が、苛立たしげに毒づいた。
「大将! 前も後ろも右も左も敵だらけです! 逃げ道がねえ!!」
「馬鹿かテメェは!? んな事は見ればわかるんだよ! 兵が手薄とか、指揮官が弱いとか、そういうのを調べてこいっつってんだ!!」
やり取りから見ても、やはり......
「やっぱり、ちゃんとした統率者がいたんだな」
「!」
砂塵舞う戦場の中で、俺がそいつを見つける事が出来たのは、もしかしたら深入りしすぎたという事かも知れなかった。
「テメェ...、この義勇軍の指揮官だな!」
「盗賊なんかに名前教える義理はないね」
訊かれ、強気に返したのは挑発のつもりだったのだが......よく考えたら相手は最初から俺を指揮官として狙っていたのだから、意味なかったかも知れない。
「そうかい、俺もテメェの名前なんか興味ねえや!」
馬蹄を鳴らして、その男は突っ込んでくる。向こうは馬上、獲物は槍。
俺は剣。間合いが違いすぎる。だけど、一騎打ちなんて最初からやる気はない。
「今だ!」
左右から、突進してくる馬という恐怖の光景にも臆さずに、控えてもらっていた味方の兵士二人が飛び出し、
「おらぁ!」
「死ねえ!」
手に持った斧と薙刀で一閃、馬の足を薙いだ。
「ぐわぁあ!?」
たまらず馬上から転倒した男。俺はその槍を踏みつけて、顔面を蹴り飛ばす。
「ち、ちきしょう!」
そのまま、立ち上がって逃げようとする男。その向こうに白い影を見て、咄嗟に叫ぶ。
「っ星! 殺すな!」
「っ!?」
一瞬、動きが固まった気配がして、
「ごふっ......!」
次の瞬間には、男はその喉に星の槍の柄を叩き込まれ、昏倒していた。
「何故止めた?」
「いや、指揮官なら何か貴重な情報持ってると思ったし、星ならこんな奴生け捕りにするの簡単だろ?」
「ふっ、まあな」
自分に対する評価が気に入ったのか、得意げに鼻を鳴らす星の足元で、賊の大将が縛り上げられている。
「さて......」
今ここに星がいるという事は、敵の軍を二つに分断出来たって事だ。敵将も捕らえた。
"劉備の援軍"も居る。
「敵将生け捕ったり! もはや敵は烏合の衆! 一気に勝負を決めるぞ!」
それから、分断され、指揮官を失った賊軍は、趙子龍、関雲長、張翼徳という豪傑の前にあっという間に瓦解した。
戦いの後始末とか、あれからやる事は結構あったおかげで、気分を落ち着ける時間はあった。
前の世界と今の世界を混同するような真似は、もうしない。
たとえ愛紗や鈴々の主として、共に決起するという......"前の世界の俺"によく似た境遇に劉備が居たとしても、そこは別に、俺の居場所じゃない。
愛紗も鈴々も、"彼女たち"とは別人なのだから。
居場所というなら、前の世界の皆の理想を胸に抱いて戦うと決めて、星たちと一緒に戦っている"ここ"こそが"今の"俺の居場所だ。
そう、理屈で感情を押さえ込むように、何度も自分に言い聞かせた。
そうしないと狼狽して何を言ってしまうかわからない、という俺の情けない不安と覚悟を内包した対面は......
「朱里ちゃ〜〜ん! ぐす...無事で、よ、良かった〜......!」
「雛里ちゃんこそ、会えて良かったよ〜〜......!」
問答無用の感動の再会によって、俺個人にはかなり地味で曖昧なものとなった。いや、朱里が無事にちゃんとした人に拾われてて良かったんだけどね。
「さて、と......」
結果的には、雛里たちのおかげでワンクッション置けて良かったかも。
「はじめまして、私は劉備、字は玄徳。一応、私が総大将って事になってます♪」
ひまわりの花みたいに頬笑んで、そう名乗った少女。
愛紗の服をちょっとアレンジしたような服。桃色の長い髪の両端を羽根飾りで軽くまとめた、いかにも優しげな容貌。何かもう常識化してるから驚かないけど、やっぱり美少女である。
この子が、劉備......。
「うん、改めてはじめまして。俺は北郷、名前は一刀。"こっちも"一応俺がこの義勇軍の総大将って事になってる。」
劉備の控えめな自己紹介に、こっちも冗談交じりに自重的自己紹介をしてみる。
うん、今のやり取りだけでわかるくらいに、はっきりきっぱりいい子だ。
「姓は北、名は郷、字が一刀……ですか?」
何やら、変な具合に名前を勘違いされたのを俺が訂正する前に、
「ああ、失礼した。だが、こやつには真名も字も無いのでな」
「......何?」
星がフォローを入れてくれました。
愛紗、鈴々、雛里との感動の再会を終えたらしい朱里、そして劉備さんが、揃って不思議そうな顔をして......
「ねえねえ! 字も真名も無いって事は、やっぱり噂の天の御遣い様だから!?」
誰より早く立ち直り、興奮気味にそう訊いてくる劉備さん。もう敬語やめてるし、人懐っこい子だなぁ。
「まあ、こことは違う世界に居た事は確かだよ。信じてくれとは言わないけど、俺には姓と名前しか無いのは事実だ」
俺がそう言うと、劉備さんはやおら瞳に星を浮かべて身を乗り出す。
「それってやっぱり、この戦乱を治めるために舞い降りた天使さんって事!? 何か仙術みたいな事出来たり......」
「桃香様!」
「あ〜〜ん」
暴走気味に俺の両肩を掴んで揺らす劉備さんの首根っこを愛紗が掴んで、猫みたいにひっぺがす。
その微笑ましい光景に目を細めると、愛紗は劉備さんの行動を恥ずかしがっているのと思っているのか視線を逸らして、
「失礼した...」
小さく呟いた。保護者か。
「ははっ......いいよ、全然気にしてないし」
劉玄徳。前の世界の、俺の立ち位置。
子供みたいに、「そこは俺の居場所だ!」って叫びたい。そんな感情が無かったわけじゃない。
もし、これでくだらない奴が愛紗たちを従ていたら、俺は我慢出来たかどうかわからない。
でも、実際に会った劉備さんは、いい子で、いかにも愛紗や鈴々が慕いそうな子で......到底怒りの感情なんて湧かなかった。
その事がとても安心で、そして......複雑だった。
「はいはーい! 次、鈴々ね。鈴々は張飛、字は翼徳なのだ!」
「うむ、ならば私も。姓は趙、名は雲、字は子龍」
劉備さんの少し抜けた行動を皮切りに、和やかな雰囲気で、俺たちは自分たちの事を話し始めた。
何故だろう?
別に、その素振りが気に入らないわけではない。
天の御遣い、という肩書きは胡散臭いとは思うが、この男自体は気に入らないわけではない。
むしろ、常の私なら好ましく感じる類の人物だと思う。
......でも、何か気持ち悪かった。この男を見ていると、落ち着かない。
まるで、在りもしない傷を思い出させられるような。同時に何か、大切なものをもぎ取られるような。
そんな感覚をもたらすこの男が、それと笑いあって話す桃香様が......
とても、私を不安にさせていた。
(あとがき)
三度目の正直、と言いますか。
感想板で受けたある意見にとても感銘を受け、三度タイトルを変更しました。いい加減紛らわしいのでこれど固定します。
タイトルの『燐(りん)』、は鬼火や火の玉、屍から放たれる光、光を当てた物体を暗闇に置いた時に、その物体が放つ光などの意味です。