伯珪が啄県に来てから、五日。
「忘れ物、ないか?」
「おぬしが全て背中に背負っているではないか」
ごもっとも。
「あ、あの御遣い様‥‥‥私、少し持ちましょうか‥‥?」
「いいよ雛里。‥‥‥っていうか、その御遣い様っていい加減何とかして欲しいんだけど‥‥‥」
真名を許してくれたのに、向こうは街の皆と同じ『御遣い様』て。何このストーカーみたいな距離感。
「一緒に孔明、探すんだろ? せめて名前くらい呼んでよ」
結局、金なし行くアテなしの雛里は、俺たちと一緒にくる事になった。目的としては‥‥やっぱり朱里探しかな。何か口籠もってよくわからんかったが。
「ではでは、名残惜しくもありますが、出発進行とするのですー‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
結局、稟と風との話も有耶無耶になってしまった。俺が"残るべき街"を無くした事で‥‥元々の一線引いた関係でも問題無くなっちゃったもんな‥‥‥。
‥‥‥いや、いかんぞ実際。せめて俺の側だけでも二人‥‥いや、四人への対応をはっきりさせとかないと‥‥‥‥‥
『一刀、私は仕えるべき主を見つけたぞ』
『朱里ちゃん、会いたかったよぉ〜〜〜』
『お兄さん、長いような短いような間、お世話になりました〜』
『縁があったらまた会いましょう』
『じゃっ!(*4)』
‥‥‥などという、物凄い淡白なお別れになってしまいそうだ。しかも、わりと洒落にならん。
稟なんか、あれ以来口数少ないし。また一緒に旅に出る事に異論はなさそうだが‥‥‥やっぱりあの話は尾を引いてるな。
いや、無かった事にして良いような話でもないからこれでいいんだけど。
「世話になったな」
そして、街の出口まで見送りに来てくれている伯珪。
「いや、こっちこそ、俺たちの都合で振り回して悪かったよ」
あれから毎日内政猛特訓を受け、しかも街の人達へのアピールのためにしょっちゅう街を連れ回したにも関わらず、この爽やかスマイル。‥‥‥良いやつだなぁ。
「いや、私にとっても有益な事だったんだ。お前たちの都合ってわけでもないさ」
「‥‥‥‥伯珪、良いやつだなぁ」
思わず言わずには居られない。
「ッ‥‥‥そんな事面と向かって言うな! こっ恥ずかしいじゃないか!」
‥‥‥相変わらずだ。
皆してくすくすと忍び笑いを漏らし、いつしか露骨に笑いだすと、伯珪は不服そうに口をぱくぱくさせて‥‥結局黙った。
‥‥のも束の間、やおら真面目な表情になって口を開く。
「‥‥‥なあ、お前らが良ければ、このまま私と一緒に‥‥幽州を治めないか?」
‥‥‥‥‥‥え?
予想外すぎる発言に、揃って呆気に取られる俺たちに構わず、伯珪は続ける。
「趙雲や郭嘉、程立や鳳統の能力はもちろん‥‥北郷だって、この街の皆が慕ってる。お前たちの求める主君って奴に、私が相応しいとも思えないけど‥‥‥」
"お前たち"、の言葉に‥‥結局明確な意志を持っていない俺は、何とも言えない気分になる。
「お前たちさえ良ければ‥‥‥‥」
「あいや、待たれい。伯珪殿」
伯珪の真摯な言葉を、しかし星が遮った。
「悪いが我々にも大望と、それに到る道がある。ご自身の器に自覚があるのなら‥‥‥それ以上は言わぬ方がいい」
全く星らしい、歯に衣の一片すらも着せない言葉だった。
風や稟、雛里さえもそれを否定しない事が、さらにその後押しになる。
あ、伯珪うなだれてる。
「そう気を落とされるな。一角の太守ではあると認めているからこそ、この街を安心して任せられるのだ」
「そうですねー、別に酷評しているわけではないのですよー」
「貴殿は普通ですよ。万事にそつなく対応し、それなりにこなせる」
「‥‥‥‥(コクコク)」
四人揃って、フォロー‥‥というか本音を告げて、伯珪を慰める。‥‥が、やっぱり仕えるに足る主君ではないと言ってるのと同じなわけで、伯珪はさらに落ち込む。
‥‥で、何故に俺がフォローの一つも入れないののかと言うと‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥‥」
結構、本気で悩んでたりするからだ。
伯珪はいいやつだし、これは‥‥俺がずっと探してきた『居場所が出来る』、って事じゃないのか?
しかも、この街の県令になった時の三人みたいに‥‥"いずれ去る仲間"じゃない。
それに、『前の世界』の出来事も考えたら‥‥‥ここに居れば、愛紗たちにも会えるかも知れない。
そんな考えと、裏腹に‥‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥」
星の真名の件で、もう自分の中ではこの世界と『前の世界』に折り合いをつけたつもりだ。
この世界の愛紗たちに会う事に、それほど拘る必要が本当にあるのか?
それに、何より‥‥‥この街を助けたいと思った、あの時。
前の世界の愛紗たちの理想が‥‥‥俺の中に確かに根付いているのを感じた。
‥‥‥あの世界の皆を忘れるなんて、俺には出来ない。でも、実際に『前の世界に酷似』したこの世界で、「前の世界とは違う」って自分に言い聞かせる度に‥‥‥
前の世界そのものが、ひどく現実味の無いものに感じられてくる。まるで‥‥‥一時の夢だったかのように。
‥‥‥だからって、前の世界に固執して、それをこの世界に押しつける事も、意味がない。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
星たちと伯珪が、軽くて明るいやり取りをしている間、そんな取り留めのない思考が、俺の頭の中を物凄い勢いで巡っていた。
そんな時‥‥‥‥
「御遣い様!」
やけに熱の籠もった、もはや聞き慣れた呼び名が、耳に入る。
「‥‥‥‥‥‥‥は?」
そして視線を向けた先の光景に、目を奪われる。
「やっぱり、この街を出てくってのは、本当なんですか!?」
「御遣い様!」
「みつかいさま、いっちゃやだーー!」
人、人、人‥‥‥。俺たちの旅立ちを察した街の皆が、次々と集まってくる。
伯珪が「後始末は任せろ」って言ってたけど‥‥‥こうなっては、逃げるみたいに去るわけにもいかない。
「ああ‥‥‥これからは、伯珪が俺たちの代わりにこの街を守ってくれる。大丈夫、伯珪なら前の県令みたいな真似は絶対にしない。俺が保証する」
自然と、俺の口は旅立ちを選択していた。
‥‥‥迷っていた、はずなのに。
しかし、非難や懇願を覚悟していた俺たちに向けられた言葉は、またも予想外のもの。
「だったら‥‥俺たちも一緒に連れて行ってくだせえ!!」
え‥‥‥‥?
「公孫賛様が、立派な統治者だって事くらいわかってるんだ!」
「でも‥‥もう俺たちはあんた様に付いて行くって決めたんです!」
「この街でぬくぬく暮らすより、御遣い様たちと一緒に黄巾の連中と戦いてえんだ!!」
「お願いします! 我らを戦列の端に加えてくだせえ!!」
皆次々に、そんな事を叫ぶ。『天の御遣い』なんて虚名しかない自分を、ここまで慕ってくれる皆に‥‥‥目頭が、熱くなってきた。
「‥‥‥‥好都合ですね」
そんな熱狂の中、稟が小さく口を開いた。
「ただ旅をして得られるものにも限界がある。この街に居てそれがわかりました」
「諸公の主君と直接出会い、見極めるきっかけになるかも知れませんねー」
「何より‥‥‥これで黄巾の賊とも戦えます」
水を得た魚‥‥とばかりに、稟、風、雛里は口を揃えて喜ぶ。
「さて、皆の衆はああ言っているが‥‥‥どうされますか、伯珪殿?」
そして、星がにやりと口元を歪め、明らかに含みを持たせた視線を伯珪に流す。
それに対して、伯珪は深くて長〜〜いため息をついて‥‥‥
「‥‥‥少し、待ってろ。武器と兵糧、用意してやる」
投げやり気味に、そう言った。
「‥‥‥‥いいのか?」
「いいんだ。この街の人間を丸腰飯なしで行かせるわけにもいかないし。‥‥‥お前にも勝てない私が、お前たちの主君なんて勤まるわけがないって‥‥‥よくわかったよ」
「うむ! それでこそ、我が愛しの伯珪殿だと、私は心底そう思うぞ」
後ろ向きなはずの言葉を、どこか清々しく言った伯珪に、星はそう言ってグッと親指を立てた。‥‥‥ひどすぎるんじゃないですか?
「‥‥‥‥‥‥‥」
俺についてくる、そう言ってくれる皆を前にして‥‥‥気持ちが固まっていくのを感じる。
俺が前の世界の事に固執して、それをこの世界に押し付けたって‥‥何にもならない。
愛紗たちの、理想‥‥。
それを、忘れずに胸に抱いていきたい。
それであの世界の皆が報われるとか、喜んでくれるとか‥‥‥そんな風に考えるほどロマンチストじゃない。
俺以外の誰も、肯定はしないかも知れない。
それでも、ただの自己満足にすぎないとしても‥‥‥この理想を抱いていたい。
‥‥‥‥それが、大切な皆がいた前の世界を肯定する‥‥‥一番の方法だと思うから。
熱狂に沸く村人たちを前にして、この世界での一つの立脚点を見つけた俺。
その背中を、四人の少女が鋭く見つめていた事には‥‥気付かなかった。
城壁の上に、遠ざかる一軍を見送るポニーテールの一人の少女が立っていた。
「『天の御遣い』、かぁ‥‥‥。胡散臭い噂だとしか思ってなかったなぁ」
いや、実際‥‥天から舞い降りた英雄、なんて印象は全然なかったか。
「特に何か、秀でた能力があるわけでもないのに‥‥‥人が集まってくる」
ここにくる前に自分が治めていた街を任せた、一人の少女が思い浮かんだ。
「桃香‥‥‥お前に少し似ているよ」
自分には無い何かが、彼らにはあるのだろう。
『見てろ、いつか私に仕えなかった事を後悔するくらいに立派な君主になってやる』
散々言われた仕返しに、そんな事をつい言い返してしまった。
「私も、負けてられないな。けど‥‥‥‥」
北郷は最後に、気になる事を言っていた。
どういう、意味なんだろうか‥‥‥。
『袁紹には、気を付けろ』
(あとがき)
その他板移転に伴い、たくさんの励ましを頂き、ありがとうございます。
何か、街を出る展開で予想より話数をとってしまいましたが‥‥北郷義勇軍出発です。
場面転換、視点変更が分かりにくいとのご意見がありましたので、今回から四行ずつ空けてみました。
これでダメなら、記号とかで区切るかなぁ。