喫茶店と言っても常に客が入っているというわけではない。特に、雨の日や、朝から昼にかけての時間帯は人の出入りが少なかった。
昼を迎えて、昼下がり辺りくらいまでが客の出入りのピークを迎える。人の出入りはかなり多い。菓子類を、昼以降においては、無料同然の値で販売しているのがその要因の一つかもしれない。
彼は元々、真面目に働くつもりなどない。というのも、雪人は別に働かなくとも生きていけるからだ。魔力さえあれば、基本的に生きていける魔法ゆえに。
では、どうして喫茶店など始めたのかというと理由がある。というのは、彼にとって喫茶店は道楽に過ぎないが、怠惰な生活を送るよりも、趣味を兼ねた生活の方が価値があるという判断により始められたのだ。
しかしながら、客の出入りがない暇な時間というものは、やはり有るものだ。今日のような、雨の日もそうだった。
ルーミはまだ、着慣れないエプロンをかけて室内をトコトコと行ったり来たりとしていた。やることもなく、暇なのだろう。
「暇だよ。 ユキトー、暇ー」
店主である雪人に視線を向ける。彼は、カウンターの向こう側で何時ものように腰掛け、本を読んでいる。カウンターの上には、コーヒーが温かい湯気を立てている。もしかしたら客に出すものよりも上等なものを飲んでいるのかもしれない。彼なら普通にやっていそうだ。
「ユキトー、ユキトー」
「今日は雨だからな、客もそう多くは来ないに違いない。 暇なら、仕事はもういいから時間を好きに使いなさい」
「お外は雨だから、遊びにもいけないよ。 お家に戻ってもやることなんてないから退屈だわ」
雫が、屋根をノックするかのようにポタポタと音を立てている。随分と綺麗な音だなぁ、と思いながら雪人は、本のページを捲る。最近、外の世界で話題となっていた、中世を舞台にした推理小説だ。
「………………なんと、犯人はメイドだったのか。 なるほど、あの大きな胸はP.A.Dで、そこに凶器を仕込んでいたというのなら頷ける」
楽しそうに次々と表情を変える雪人を目に、
「ずるいずるいずるーい! ユキトーだけずるいわ!」
「犯行動機は、彼女の主人であり恋人でもある吸血姫のお嬢様を、脇巫女に寝取られたから、か。 何時の時代も、嫉妬とは恐ろしいものだよ」
「ねぇ、ったら!」
自身の世界に埋没している雪人に構ってもらえず、苛立たしい声が漏れる。その姿は、父親に構ってもらえず怒りを露にする娘の姿だ。ルーミアが、彼女の親にあたる配偶者等の生殖行為で生まれたのか、自然と“発生”したのか不明だが、存外、彼女は雪人に父親を求めているのかもしれない。
しかし、雪人が父親役を演じているかと言えば、否だろう。父親としては接してはいない。側から見れば、仲の良い親子のようだが。尤も、ルーミアが親という概念を知っているかどうかは、微妙である。
「…………犯人は、気が触れていると描写されていたお嬢様の妹だと思ったのだが。 真逆、あれほど純粋な心の持ち主とは…………まだまだ、私も修行が足りないということか」
余程、集中しているのだろうか。ルーミアの声が届いていないようだ。
「この変態探偵は、メイドの偽乳を揉んだ時点で、全てのトリックを見破っていたのであろうな。 いやはやまさに、『おっぱいは、揉んでみないと、わからない』ということだね」
推理小説の内容を紡ぐ雪人に、いかにも怒ってますと頬を膨れて見せるが、視線は本から外れない。
地団太を踏んでみるも、一向に本から視線を放さない。そこで、少女はカウンターの向こう側に回ることにした。座っている雪人に一瞥をやる。反応はない。
「ユキトー。 暇」
そのまま、ルーミアはモゾモゾと彼の膝の上に座ることにした。膝の上から見上げると、雪人は困ったような笑を浮かべる。苦笑いというやつだ。
「では、絵本でも読んであげよう。 それで我慢してくれ」
「絵本?」
「“それ逝け!! 危険者トーマス”なんてどうだい?」
そう言って、足元に置かれている鞄の中から本を取り出した。表紙に不気味な笑顔を浮かべる男が書かれた絵本だ。
「なんか…………気持ち悪い」
普通の子どもに見せたら、軽くトラウマになりそうなそれを、ルーミアは一瞥すると、首を振った。心底嫌そうなだ。悪書は精神を毒殺するというが、強ち間違いではないのかもしれない。
「それは残念。 私としては、邪夢おじさんが、錬金術で死んだ息子を“危険者トーマス”というホムンクルスとして蘇らせたり、邪夢おじさんの助手の婆蛸さんが店のお金を持ち逃げして半殺しされいる辺りが好きなのだが…………」
このダークファンタジー×日常を描いた絵本は、外の世界では、それも大人の間では隠れた名作として人気があるのだが、やはり子どもには受け入れがたいものらしい。クトゥルーの世界観がその大きな要因かもしれない。
「しかし、私が持っている絵本となるとこれしかないぞ。 他に暇を潰せそうなものなどないし…………ん?」
気がついたらルーミアは身体を捻って、雪人の首元に顔を埋めている。少女が落ちないように、腰に腕を回し問う。どうかしたのかね、と。
問いと同時に、少女の顔を覗き込む。彼女は瞳を細めて笑みの形を浮かべていた。
「ユキトっていい匂いがするね」
ふんふん、と可愛らしい鼻を鳴らしそう言う。雪人自身は気がついていないようだが、その香りはルーミアの嗅覚を、これでもかというほど刺激していた。
彼女は、うっとりと感嘆の息を漏らし、
「ほんとうに美味しそう…………食べちゃいたいくらいに」
唇を雪人の首筋に這わせる。空腹時とは違い、今の彼女ならば容易く彼の首筋など切り裂けるだろう。
「ねぇ、ゆきと。 私が少しでも力を入れたら、ユキトは死んじゃうのに怖くないの?」
ぴちゃぴちゃ、と音を立てて彼女の舌が首筋を撫でる。温かい舌は、彼の体温よりも高い。
「怖い、怖いなぁ。 だから噛み砕かないでくれよ」
「ふふ、こんなのは如何?」
浅く噛まれる。犬や猫がするような“あま噛み”というやつだ。
しかし、それでも雪人は何時もと同じように笑みを浮かべて、少女の頭を撫でる。その様子を目に、目を細めながらもルーミアは思う。この人間は恐怖心がないのではないのか、と。
「ユキトの匂いは本当にいい匂いなのよ? 妖怪なら放っておくなんてことないわ」
極上の食料を前に、頬を染めた少女は言葉を続ける。
「黙って他の妖怪につまみ食いされるくらいなら…………」
ずきり、と先程のあま噛みとは違う痛みが雪人の首元に走った。ちょうど、鎖骨の少し上くらいにだ。痛みの箇所を見ると、少女の歯型が赤く浮かんでいる。先程よりも、強く噛まれたのだ。
続いて紅玉髄の瞳が、彼の視界を覗きこんだ。
「けど、まだ食べないよ。 だからね、他の妖怪に食べられないためにも、これは“私のもの”だっていう印をしておくの」
無邪気な笑み。まるで、冷蔵個に冷やしておくプリンを、誰かにとられないように名前を書いておく外の世界の子どものようだ。ただ違うのは対象が、人かプリンかということだ。
マーキングされた雪人はというと、得心がいったとばかりに頷きながら、
「君は猫みたいだね」
「ルーミアは猫じゃないわ。 妖怪だもん」
「妖怪と言っても様々だろう? 有名どころだと鬼、河童、天狗、とな。 前から気になっていたが、君は一体どんな妖怪なんだ?」
「宵闇の妖怪ー?」
「案外、隙間妖怪の親戚か、同じ起源のモノだったりしてな」
「私はあんな胡散臭くて、変な妖怪じゃないわ……」
冗談にしても性質が悪いと言うかのように、軽く眉を顰める。といっても、ルーミアは別に隙間妖怪のことは嫌いではない、好きでもないが、単に何を考えているのかわからない胡散臭いのが苦手なだけである。
ルーミアに限ったことではなく、これは幻想郷の大抵のモノに当てはまる。
「そう拗ねてくれるな。 それに八雲に近しいと言ってもそう悪いことでもあるまい? あれは性格がアレだが、外見はすこぶる綺麗だろう?」
「ユキトはああいうのが好きなのー?」
何とも言えない表情で訊ねてくる少女に、雪人はやや悩むそぶりを見せた。というのも、彼は基本的に綺麗な女性は好きだ。むしろ、八雲紫の容姿は雪人の好みなのだ。
だが、雪人は貧乳好きである。しかしながら、八雲紫という女性は貧乳ではない。巨乳だ。それも、すこぶる良好な。揺れる時の擬音など“たゆんたゆん”と表せそうだ。
胸以外は、そう胸以外は、好みであるが故に即決できかねた。是とも非とも言えない答えを、雪人は素直に述べることにした。
「即決しかねるが、某桃色ブロンドに召還された使い魔君の言葉を借りるのなら、こうだろう」
一息吐き、
「ああッ! 八雲、八雲、可愛いぞ八雲!! 顔だけはッ! 顔だけは可愛いぞ!」
八雲紫に聞かれたら、とんでもないことになりそうなことを声高々に叫ぶ。当然、あまりに広い方ではない室内ではよく響いた。
彼の反応を見ていたルーミアはニコニコとしながら思う。こいつ早く何とかしないと、と。
「なんだね、そのジト目は? まるで、私のおかしな言動を咎めているようだが」
「おかしいのは頭だよー?」
雪人は無視した。話を逸らすことにした。ところで、と前置きし、
「ルーミア。 君は知っているか? 挨拶は人間関係を円滑にするための必須技能だと、いうことを」
「お店の話のことー? それなら知ってるわ。いらっしゃいませー、ありがとうございましたーっていうやつでしょ?」
正しいという意味で頷く。
「だが、ルーミアの挨拶にはインパクトがない」
「いんぱくと?」
「強い印象のことだ。 例えばだ、君には何人か妖精の友達がいるそうだが、その中で、一番最初に浮かぶ顔は誰だい?」
「チルノかなー」
少女の脳裏に浮かんだのは、氷の妖精だった。普段から印象に残る言動だから嫌でも記憶に残っている。
「では、何故、チルノのことが真っ先に頭に浮かんだんだ?」
「あ…………そーいうことかー」
「そういうことだ。 これからも客に足を運んで貰おうと思ったら、印象に残る店でなくてはならない」
「そーなのかー」
少女は、半信半疑で頷いておくことにした。きっとろくでもないことを考えているのだろう、と思いながら。
「次に客が訪れた際に、私が手本を見せてあげるのでよく見ておくように」
何やらみょんに張り切っている雪人を視界に収めながら、ルーミアは確信した。次に来る客はろくな目に遭わない、と。
∫ ∫ ∫
魂魄 妖夢は、冥界の管理者にして自身の主でもある西行寺 幽々子の命で、とある場所に訪れていた。
主の命といっても大した用事ではない。何でも最近、人間の里で美味しいものが流行っているから買ってきてちょうだい、と言われただけだ。端的に言うと何時もの使い走りだ。
冥界の庭師兼、彼女の主の剣術指南役(名ばかり)、そして半人半霊の従者である妖夢は、里で噂の店の話を聞き込み、漸くその店を見つけた。看板もなにもない。名前はまだ決まっていないと里美とが言っていたのは本当だったのか、と思いながらその店を見上げる。
不思議な雰囲気を発している店だ。穏やかで、落ち着いた感じを抱かせる。いい店ですね、という印象を抱きながら扉を開こうとしたら、
「ああッ! 八雲、八雲、可愛いぞ八雲!! 顔だけはッ! 顔だけは可愛いぞ!」
店内から、そんな叫びが聞こえてきた。
「人里で、此処の店主は変態だと聞いていましたが、真逆、真実だったなんて…………」
半ば本気で帰りたくなったきたが、主の為にも、と自分を奮い立たせ、今度こそ扉を開くことにした。無論、傘をたたみ、何時でも戦闘に入れるように、片方の手を背負った刀に添えながら。
扉を開くと、雰囲気どおりの落ち着いた室内である。最近建ったというのに、まるで何十年も熟成した感じを抱かせる店内は彼女の好みであった。
そして、カウンターに座る給仕の前掛けをした少女と、店主と思われる男。
少女はまるで、哀れむように妖夢を見つめている。意味がわからず困惑する彼女に、
「よく来たな! 見た目は華奢だがまあいい。 すぐに筋肉の悦びを教えてやろうッ!!」
向けられる声があった。店主の声だ。彼は言葉と同時に、妖夢を歓迎するかのように両腕を広げ、そう宣う。
呆然としながらも、とりあえず、妖夢は扉を閉めることにした。
∫ ∫ ∫
雨が滴が喫茶店の屋根を叩いている。雨の日だけあって室内は薄暗いが、優しい雰囲気が損なわれることなく、その日も、一人の客を迎えて平常通り営業していた。
ポタポタと雨の音が滴る室内では、三人の人物がいる。
まずは客である、二つの刀を背負った半人半霊の少女、魂魄 妖夢だ。彼女がその店を訪れたのは、使い走りである。色々な人間、妖怪、幽霊やらからの噂が伝わり、その話を聞きつけた冥界の管理者である主に頼まれての、だ。
噂が冥界まで広まったというのは驚きだが、格安の値段(一部を除き)で販売しながらも、値段と釣り合わないほどの商品を提供する奇妙奇天烈な店があるということから、怒涛の勢いで広がった。尤も、店主は少女趣味の変態であるという噂も、同時に広まっていたが。
室内の残りの二人は、つい先日まで野良の妖怪だったルーミアに、その喫茶店の主である雪人である。
最近になって、元外来人である彼は、ようやく幻想郷という地に馴染んできた。人里の方で「あの店の店長は基本的にいい人だけど、変態だからお菓子を貰ってもついていっちゃ駄目よ」と言われているほどだ。
色々な所で悪名が轟いているとは知らない雪人は、
「よく来たな! 見た目は華奢だがまあいい。 すぐに筋肉の悦びを教えてやろうッ!!」
「何なんですか……一体」
「ユキトは馬鹿だから無視してていいわ」
その日も朝から螺子が外れている雪人に、困惑の表情を浮かばる妖夢、先日作成したメニューを妖夢の前に広げるルーミア。妖夢は、ルーミアに会釈すると、店長の奇行を無視してメニューに目を通すことにした。
「は?」
そこに書かれていた商品の値段は明らかにおかしい。世間一般の標準価格に喧嘩を売っているとしか思えない。子どものお小遣いでも十二分に満足できてしまう程だ。商売する気がないと受け取られても不思議ではないだろう。
幻想郷では珍しいチョコレート類、紅茶類も無料同然だ。妖夢には、それが信じられなかった。
「て、店主。 控えめ且つ、上手く言葉にできない質問をしたいのですが、構わないでしょうか?」
愕然とした面持ちで問いかける。
「宜しい、質問を許可しよう。 さっさと問いたまえ、この幽霊庶民が」
「ならば、問います。 気は確かですか? …………先程の奇行といい、魔法の森に繁殖している怪しげな茸を食したとしか思えないです。 端的に言いますと、貴方はイカレてる」
妖夢の言葉を脳裏で反芻した雪人は、隣に腰掛けるルーミアに尋ねた。
「今日の私は、どこかおかしいのか?」
「ううん。 いつも通りだと思うよー、うん、いつも通りだと思うわ」
爽やかな笑みと共に返ってきた答えに、雪人は満足そうに頷きながら、
「これだから田舎者は困る」
「誰が田舎者ですか!? というか、その哀れむような表情で見るのを止めて下さい」
妖夢に哀れむような生暖かい視線を向けていた雪人に、案の定、彼女は声を荒げた。生真面目な性格の彼女からしてみれば、相性の悪い相手だろう。
「まぁまぁ、茶でも飲んで落ち着きなさい」
何時もの如く魔力で構成した“君には緑が足りない”という抹茶を湯飲みごと差し出す。室内には、茶のいい香りが漂った。
「…………噂に聞いていましたが、実際に見るとやはり驚きますね。 店主は、魔法使い……と耳にしたのですが、本当なの?」
「肯定だ。 これでも、昔は数多くの魔法少女を世に輩出した名誉教授なのだよ」
過去を懐かしむように目を細め、
「懐かしい、懐かしい思い出だよ。 昔はね、数多くの魔法少女に懸想されていたものだ。 この変態教師いつか殺してやる、と」
いやはやモテる男は辛いものだ、と呟くのを無視して、差し出された湯飲みに口をつけたその瞬間、妖夢は目を見開いた。
…………そんな、馬鹿な。店主はアレですけど、このお茶は凄く美味しい。美味しいはずなのに、どうしてこうも悔しいのでしょうか?
眼前の雪人(変態)を視界に収めながら、脳内で自身の淹れる茶と比較してみた妖夢は、現実に打ちひしがれた。心のどこかで“切腹”という言葉が浮かんできたのを掻き消しながら、再び口をつける。
しかし、現実を否定したいという思いは、逆に否定されることになった。美味いのだ。
「先程、久方ぶりに創ったんだ。 よければ、味見してくれないか」
まるで、屈辱に耐えるかのように俯いた妖夢の眼前に差し出されるものがった。小皿に乗った綺麗な桜餅だ。口にするのが勿体無いと思わせる。餡を包み込んだ皮は、何とも見事な春を思わせる色である。
「ゆきとー」
雪人の服の裾を引っ張るルーミアの姿が、視界に映った。少女の視線は、彼と妖夢に差し出された桜餅を行ったり来たりと忙しなく往復している。
彼女も見ていて食べてみたくなったのだろう。
「仕様がない」
「ありがとー!!」
飄々としながらも、父親のような笑みを零し新しい桜餅を創り出すその姿に、妖夢は記憶の奥底の人物とを、つい重ね合わせた。
即座に否定するように頭を振る。似ても似つかない、と。
「君は食べないのか? 先程も言ったが代金の心配はいらない。 それは実験作のようなものだからね、感想さえもらえれば十分だ」
「そういうことなら、遠慮せずに頂きます…………みょん!?」
口の中で蕩けるような甘みが広がる。柔らかい衣から出てきた餡が、何ともいえないほど美味である。魔法で創ったからかはどうかしらないが、妖夢はかつてこれほどの桜餅を食べたことがなかった。はっきり言って異常だ。
そもそも人間に創り出せる味ではない。技巧がどうのこうの、という意味ではない。これはまるで…………、
「気がついたかな? 今回は、私の能力を少し使わせてもらってね、かなり特殊なものになっていると思う」
“美味い桜餅"という概念を超越している。形は桜餅だが、実はどこぞの王族が所有している宝だ、と言われても納得してしまうほどだ。
「実際に、当店で扱っている里人向けのメニューには載っていない、裏メニューというやつだ」
「裏メニュー?」
「ああ。 裏メニューの商品を食べたいのなら、それなりの対価が必要となる。 一番安いものでも……そうだな」
僅かに考えこむ動作をとり、
「対価として、八雲紫の靴下を持ってきてもらわんとな」
爽やかな顔でそんなことを宣う。
「そんなことしたら、半殺しにされますよ!?」
「そうか。 それは残念だ。 では、君以上に実力のある者に宣伝しておいてくれ。 八雲紫の靴下を奪って持ってきたら、対価として、幻想的な味がする菓子を提供しよう、と」
彼はそう言うものの、実際に八雲紫から靴下を略奪するのは至難の業だ。下手をしたら、隙間の中に放り込まれる。無傷ではすまないだろう。
ましてや、ただの人間には到底為しえない。人間の子どもが、ダンプカーに挑むようなもの。大妖怪と言われる八雲から、靴下を奪うことはそれほどまでに難しいことなのだ。
出来るとすれば、大妖怪クラスの実力の持ち主くらいだろう。
「ゆきと。 御代わりをちょうだいー」
餡子を頬につけたルーミアに、追加の桜餅を手渡す。妖夢は、その光景を見て、
「その子はいいのですか?」
「従業員には常に笑顔を提供するのが、店長である私の役目だからね。 所謂、贔屓というやつだ」
ところで、と彼は前置きし、
「裏メニューの方の出来はどうだね? 不味いか? 美味いか? さぁ、白黒つけてくれたまえ!! どうなのだね、サムライガール?」
「…………貴方が創ったというのは癪ですが、非常に美味でした」
「庶民の君にも、私の素晴らしさが伝わったようで何よりだ。 おや、どうして拳を震わせているのかね?」
青筋を浮かばせた妖夢は、いえ、と言葉を置いて、
「ただ、目の前にある西瓜のような頭を叩き割りたいなぁ、と思いまして」
「ルーミアに手を出すというのか!?」
「貴方、色んな意味で酷い人ですね!?」
本当に叩き潰してやろうか、と思いながら茶を啜る。
…………こ、この程度で怒っていたら、また、幽々子様に半人前だの、未熟者だのと言われる。
脳内で一念無量劫だの、未来永劫斬だの奥義で、目の前の変態を懲らしめている姿を想像し、精神の安定を図ろうとするも……。
「らめぇ。 抹茶ごくごくしちゃらめぇえええ」
「ぶふぅっ!! けほ、けほ、けほッ!!」
何処かで聞いたことのある声、おそらく十六夜 咲夜の声を真似て、発せられたその台詞に妖夢は思わず噴出してしまう。
視線の先の店主はというと、にやにやとした実に愉快だといわんばかりの笑みを浮かべていた。
妖夢は思わず、刀を手に――――
∫ ∫ ∫
楼観剣と白楼剣の鞘で、彼をタコ殴りにしたところまで妖夢は覚えていたのだが、それからのことを彼女はよく覚えていない。
ただ、気がついたら冥界にいて彼女の主である西行寺 幽々子に説教されていたのだった。何でもお土産を買ってこないとは何事だ、自分だけ美味しいものを食べてくるなんてずるい、とそれに類する内容のことを延々と。
それから、例の喫茶店で食した裏メニューの商品があまりに美味だったことと、それを得るためには莫大な資金か、八雲 紫の靴下が必要であると主に話したことが後に大きな災いとなって、その身に降りかかろうとは彼女は微塵も思っていなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
オチを追加しておきました。
・――――パルスィが好みである