人里ではとある喫茶店の噂が広まっていた。
曰く、その店の主人は類を見ない伊達男。
曰く、その店の給仕はとても可憐な妖怪少女である。
曰く、店主は魔法使いで、子どもには無料同然の値で商品を提供してくれる
その店とは、里から少し歩いた辺鄙な土地に建つ物好きな店長が始めた小さな店だ。建物は丸太で組まれていおり、落ち着いた雰囲気を発しており比較的入り安い。扱っているものは主に軽食や菓子類だが、店長は大抵のものなら即座に作ってしまうらしい。物珍しさもあってか、ちょっとした流行になっているのが現状である。
森田 一樹という人間はその店のことを聞いて、数日前に体験した記憶を思い出した。
「あの時の、妙な建物のことか? それに妖怪少女って、宵闇の妖怪のことだよなぁ…………皆、よく妖怪がいる店に足を運べるもんだ」
「あん? 何だ お前知らないのか?」
声の方に視線をやると、友人の坂上 朔太郎(サカガミ サクタロウ)がニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「なんだ、坂上か」
「なんだ。とは何だ。 折角、お前の呟きに反応してやったんだから感謝しろ、幼女性愛者」
「馬鹿野郎! 誰が幼女性愛者だ!! 俺は背が高くて、胸が大きくて、腰の括れが魅力的な女性が好みなんだ、と何度言えばわかる!?」
「なら、疑問するが――――お前は、閻魔様に誓って、今のが嘘ではないと言えるのか?」
森田は即答しようとするも、森田の頭の中では、嘘をついた子供を叱る際「閻魔様に舌を抜いて貰う」という伝承が浮かび、何かを堪えるように押し黙った。彼の反応から、幻想郷において、閻魔という存在は非常に重みのあるものである、と窺える。
「…………おい、森田」
坂上は本気で戦慄していた。まさか本当だとは、という表情を浮かべている。彼としては冗談で言ったつもりだったのだろう。
「お前…………まさか、本当に」
「そ、そんなことより! さっき、何を言おうとしてたんだよ?」
誤魔化すように、取り繕うように言葉を発する森田に、坂上は愛想笑いを浮かべながら、
「お、おう。 実はな、あの店では、妖怪による人間への攻撃の一切を禁じているそうだ」
「妖怪がそれに従うとは限らないんじゃないのか? 主に本能的な意味でさ」
「そりゃー妖怪からしたら、俺達は餌なんだからそうだろうさ。 けど、あの店では違う」
「どう違うってんだ?」
「違うもんは違ぇんだよ。 先日、俺も例の店に行ってきたんだが、宵闇の妖怪に給仕されたぜ?」
坂上の言葉に森田は目を見開く。信じられない、と。
「おいおい。 冗談は休み休み言おうぜ、親友。 あの食欲が何よりも優先的な妖怪が給仕? 馬鹿げてる。 お前の女房の幼少時代が、実は里一番の美少女だった、ってくらい信じられない話だぜ?」
坂上は頬をピクピクさせながら、ほほう、と相槌をうつ。
「確かに、俺の嫁の容姿は…………上手く言葉に出来ないが、給仕の件は本当だぜ? 外来から入ってきた言葉を使うなら、“マジ”だぜ“マジ”」
「おいおい、何だよ“マジ”って? 余計、信用度が低下したじゃねーか」
坂上は、兎も角、と前置きし告げる。
「そんなに信じられねぇ、って言うんなら試しに例の店に行って確かめてみればいいじゃねぇか。 宵闇の妖怪の容姿はそりゃ可憐だからな、お前としては一石二鳥だろう?」
「ば、ばばばばっば馬鹿野郎。 おお落ち着け、冷静になって話し合おうぜ。 お、俺はそんな店、絶対に行かないからなッ」
「お前が落ち着け、この童貞が」
「テメッ!? 女房がいるからって、上から目線で見下してんじゃねぇぞ!! 童貞すら守れない、欲望に降った軟弱野郎が!!!」
人里の中央通りで、男二人が大声で罵り合っているのを、里人は生暖かい瞳で眺めている。
「俺だって守れるものなら、守りたかったさッ!!」
けどな、と血涙を流さんばかり続ける。
「慧音さんを除外したら、俺の女房はこの里で最強なんだよ!! 俺如きがどうこうできるわけないだろ!! 主に腕力的な意味で」
坂上の慟哭に、森田は彼の心境を察した。苦虫を噛み潰した顔で、坂上の肩に腕を回す。
「その、何だ、色々とすまなかったな」
「気にすんな。 ああ、気にすんなよ。 嫁の上腕二頭筋が恋しいと思うようになった俺如きを気にする必要なんてないんだぜ、親友」
今度は森田が、親友の性癖に軽く数歩ほど引いてしまう番であった。
「客観的に見てさ、お前って変態だな」
「お前に言われたくねぇよ、親友。 ボコボコしてやろうか? 女房に頼んで」
「そこ、女房に頼っちゃうんだ……」
「ほら、俺って都会派魔法使いだから」
「お前、魔法使えないだろうが。 それに何だよ、都会派魔法使いって」
森田は、呆れた表情を浮かべる。
「確か…………あの人が言ってたんだ。 ほら? ええ、と誰だっけ? ああ駄目だ!! 顔は思い出せるんだが、名前を思い出せないッ」
「なんか特徴とかないのか?」
坂上は眉を顰めながら、
「そういえば、胸が小さかったな。 我が家の女房よりも」
「馬鹿。 お前の女房のは筋肉だろうが」
射殺すような視線を放つ坂上に、流石に拙いと思ったのか森田は慌てて、
「胸が小さいっていったら、あの人じゃないのか? ほら、吸血鬼屋敷の、確か……悪魔の狗とか言われてる」
「違う違う。 紅魔館のは、ちょうど掌に収まる感じだが、俺が言っている人はそれよりも小せぇんだよ」
咲夜に聞かれたら、無傷ではすまないことを口にする坂上。
「霧雨の親父さんところの倅じゃないのか? ほら、確か小さかったろ?」
「どうして、霧雨の親父さんの娘の胸について、語らなくちゃいけねぇんだよ! 親父さんに聞かれたら、張り倒されるわ!?」
霧雨商店の主人のことを思い出して、坂上は声を張り上げる。数年前にとある理由で、娘を勘当した人物だが、今でも深く娘を愛していることに変わりはない。もし、二人の話が彼に聞かれたと思うと、目も当てられないことになるのは間違いないだろう。
そんな時だ。坂上と森田の背後から、
「ほう。 随分と面白ぇ話してんじゃねぇか」
という声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。それも、今最も聞きたくないと思った人物の。
思わず振り返る。瞬間、二人の顔が引き攣った。まるで、紅葉狩りの為に妖怪の山に侵入したはいいが、その道中で天狗に見つかったかのような表情だ。
「き、霧雨の親父さん!? に、逃げろ!!」
「ぷぎゃあああああああッ!!」
「あ、ちょっと待て!」
森田と、坂上は妖怪から逃げるかのように霧雨の主人に背を向けて駆け出す。駆ける。駆ける。駆ける。人里の中央通を全力で疾走する。
どのくらい走っただろうか。建物や人込みを縫うように駆け抜けてきただけあって流石に、追ってきてはいないだろう、と思った森田は背後を振り返る。
そこに、霧雨の主人の姿はなかった。
∫ ∫ ∫
背後を振り返り、霧雨の親父の姿が無いことに安堵したのも束の間、
「撒いたか…………おわッ!?」
「きゃッ」
安堵のため息を吐いた直後に、前方不注意で坂上は誰かと衝突した。衝突した際に零れた声から、相手が少女だと窺える。
「あたたた……危ないわね。 気をつけなさいよ」
「悪ぃ悪ぃ。 大丈夫か?」
尻餅をついている少女に視線をやる。龍神の石像付近に倒れこんでいるのは、
「って、都会派魔法使いさんじゃないっすか!?」
自称都会派魔法使いの少女だった。魔法の森に住んでいる彼女だが、おそらく、今日は里に買い物に来たのだろう。手元にある小さな籠から、坂田はそう思った。
「おい」
森田は神妙な顔で、坂上に声をかけた。告げる声は厳かかな雰囲気を漂わせる。彼は、少女の胸を視界に収めながら、
「………………こりゃ、小さいっていうレベルじゃないぞ? 何て言うかナイチチ?」
「ぶふッ!?」
坂田は思わず、噴出してしまう。というのも、森田の言葉が言い得て妙だったからだ。
「森田! それは言い過ぎだろうが、常識的に考えて!!」
「じゃあ訊くがよ、坂上ぃ。 その少女は巨乳か!? 違うだろ!! 貧乳だろうがッ!!」
「何で二元論なんだよ!? というか、そういう問題じゃね――――あ」
坂上の眼前には般若がいた。拳を握らせ、羞恥やら怒りやらで赤くなった顔で二人を睨みつけている。怒りの余り、瞳には涙が溜まっている。
「あ、あんた達ねぇええええ!!」
魔界からの呼び声と言えばいいのだろうか。震える声は、大の成人男性を恐怖させるには充分であった。実際、周囲で二人の奇行を窺っていた住民は、少女の怒りに巻き込まれないように距離をとっている。
怒る少女を前に、爽やかな笑顔を浮かべた坂上は口を開く。さて、と。
「森田くん」
「何かね、坂上くん」
答える森田の顔も至極、爽やかである。
「以降の展開は、外来の書物で学習済みだな?」
「同人誌“蜜柑100%”なるものでは、大抵の場合、これ以降の展開など決まってる」
「我々には、ぎゃぐ補正、主人公補正などという素敵なものは存在しない」
「当然だ。 殴られたら痛いし、血も出る」
「その通りだ。 ふらぐなるものも建ちはしない」
「“度得無”という特殊な性癖でもない限り、殴られるだけ損と言うわけですな?」
「左様」
ならば、と声を揃えて告げる。異様な雰囲気を放つ二人は、
「「後ろに向かって前進だ」」
少女に背を向けると一目散に逃げ出した。向かう先は、里の出口だ。おそらく、先程、彼等が話題にしていた喫茶店に向かうのだろう。熱が冷めるまで非難しよう、という名目ができた森田の顔は嬉々としている。
「あッ! ちょっと、こら 待ちなさいッ!!」
「待て、と言われて待つ人間なんているわけないでしょうがぁああ。 都会派魔法使い殿は、御馬鹿ですなぁあああ」
「左様ぉおお」
走りながら叫び返してきた馬鹿共に、少女の沸点がとうとう限界を迎える。頬をヒクヒクと引き攣らせ、
「素直に土下座して謝るのなら、簀巻きにしてボコるだけのつもりだったけど、気が変わったわ。 そういう態度なら容赦しないからね」
買い物にきた筈の少女は、本来の目的など何処吹く風というかのように、腹立たしい男達を追跡することにした。無論、張り倒して半殺しにするために。
そんな彼等を見ていたジャガイモ頭の子どもが、
「母ちゃん! 母ちゃん! あれ、なぁにッ? 修羅場? 修羅場なの!?」
「こら、しんのすけ!! 見ちゃいけません!!!」
保護者に窘められていたりした人里の昼下がりだった。
∫ ∫ ∫
人間の里から出て、少し歩いた所にその喫茶店はある。建物は丸太で組まれていおり、落ち着いた、物静かな居心地のいい雰囲気に包まれている。店の庭先には、ハーブや穏やかな感じのする花が植えられているこのも、またそういう雰囲気に影響を与えているのだろう。
扉を開けると、室内は思ったよりも広い空間が広がっている。十数人ほどが腰掛けられるバーカウンターに、木製のテーブルが幾つか見られた。最近建てられた筈なのに、真新しさは感じない。それどころか、ずっと前から存在していたかのような歴史を感じさせる造りだ。
従業員はというと、店主と給仕の二人だ。彼等の説明を軽くしておこう。 まずは店主である【伊達男】といった言葉がしっくりとくる洒落た中年男性。黒のスラックスと、白のシャツという組み合せの上からエプロンをしているが、どういうわけか非常に似合わない。引き締まった身体にエプロンというのが拙いのかもしれないが、それ以上に、精悍な戦士といった面構えにエプロンという組み合わせが拙いのかもしれない。どちらにせよ、エプロンが非常に似合わない男だ。
次に、給仕の宵闇の妖怪。妖怪ゆえに、初見の客には恐れられているが、店内では人を襲うことはない。凶暴さとは無縁で、最近では人懐っこい、朗らかな笑みを浮かべるようになった。黒のロングスカートの上に、白のシャツという店主と似たような格好なのだが、彼とは大きく違う点がある。エプロンだ。彼女は、黒白の組み合わせの上から、淡い緑のエプロンを掛けているのだが、それが非常に似合っている。妖怪だからかどうか知らないが整った、可憐といって差し支えない容姿に、それはよく映えた。余談だが、人里の子ども、特に女の子の間では、彼女を真似て、一つのお洒落アイテムとしてエプロンを掛けることが流行になっていたりする。
そして、その日の店の風景はというと…………
「随分とお怒りのようだが、そんなに気に障るような内容だったのかい?」
店主である雪人は、バーカウンター越しに笑顔を浮かべ接客していた。緩い、緩い笑みを浮かべながら、
「当然よ。 衆人大衆のど真ん中、それも面と向かって、ひひひ貧乳呼ばわりされたのよ。 これで怒りを抱かない女性なんていないわッ」
怒りを露にするのは、先程、顔を赤く腫上がらせた男二人と共に来店した少女だ。綺麗な髪を肩口で揃えている。まるで、作り物のような精巧といった印象を受ける。無論、外見の話だが。
「私は好きだがね、小さな胸というものが。 小は大を兼ねるというではないか、むしろ、誇るべきではないか――――」
「何か言った?」
ぎろり、と少女は鋭い視線を雪人に向けて黙らせた。
「特に、何も。 世間一般で評価されているものよりも、自身が敷いた法の方が、私にとって価値があるものだということを再確認していただけだ」
「いい、マスター? あそこの二人みたくなりたくなかったら、黙って御代わりをちょうだい」
少女の視線の先には、テーブルに突っ伏して気絶している二人組みの男がいる。余程、恐ろしい目に遭ったのであろう。
「と、とと都会派魔法使いさん…………そ、そこは…………そ、そこらめぇええええええ!!」
「や、やややメロッ!! 俺にはそんな趣味は…………あふん!! もっと踏んで下さぁあああい……都会派魔法使い殿ぉおおお」
寝言と共に、身体が痙攣している。それを眺めていた雪人は、真面目な表情を浮かべ頷く。
「随分とアブノーマル性癖だね、都会派魔法使い君」
「ち、違うわよッ!! ねぇ、何か変な勘違いしてない!?」
「生憎、私は田舎育ちでね。 都会の文化に疎くて困る。 そこら辺、ご教授願えないだろうか?」
都会派魔法使いと呼ばれていた少女は顔を真っ赤にして、奇声を発した。第一印象はクールそうな感じであったが、どうもそれではないらしい、と雪人は認識することにした。立ち上がり意味を成さない言葉を叫び続ける少女に、雪人が言葉をかけようとしたところ、
「ユキトー。 向こうのお客さんが、えっとね…………クッキーの御代わりと、紅茶を人数分ちょうだいって」
従業員の妖怪少女、ルーミアに声をかけられる。どうやら、御代わりのオーダーが入ったようだ。雪人は、ルーミアの言葉に了解した、と頷くと慣れ親しんだ魔法を使う。下げられた御盆の上に乗っている食器等を魔力に還し、再び再構成する。力を固めるイメージを頭に浮かべ、
「ご苦労様。 少し重いが大丈夫かね?」
何時ものように編んだ所望の商品を、御盆の上に乗せ、手渡す。妖怪だけにその腕力は、見た目通り少女のそれとは違うとわかっていながらも、気遣いの言葉をかけるのは、雪人の癖であった。
「だいじょーぶ」
朗らかな笑顔と共に、そう言い残し、ルーミアは確りとした足取りでテーブルに向かった。
「しかし、幾らこの店では一切の暴力行為を禁じているとはいえ、彼女等は怖くないだろうか」
宵闇の妖怪とは、それなりに力のある妖怪で、人里でも恐れられているはずなのだが、と疑問に思う。外来の人間にとっては、妖怪という幻想に追いやられた存在は馴染みが薄いからわからないかもしれないが、此処では違う。今も、客の席に商品を運んでいるのは、外来人にとっての、ホホジロザメやシャチ並みに恐ろしい化け物であるのだ。
「建物に、恐怖を誤魔化す結界を付与していたとはいえ、もう少し馴染むのに時間がかかると思ったが、予想以上だな」
「あら、やっぱり。 変な感じがすると思ったら、そんな結界を展開してたのね 此処」
雪人の呟き、反応する声があった。先程、奇声をあげていた少女だ。
「都会派とはいえ、同じ魔法使い。 流石に気がついたか、都会派魔法使い君」
「……あのねぇ。 さっきから思ってたんだけど、都会派魔法使い、都会派魔法使いって言うの止めてくれないかしら?」
「気に食わない、気に食わないフレーズなのかね? 私としては気に入っているのだが」
「馬鹿にしているように聞こえるから止めてちょうだい」
残念、と雪人は顔に浮かべながら、
「それは失礼した。 それで、お嬢さんも紅茶の御代わりだったかな?」
「年下にお嬢さん呼ばわりされるのも、色々と思うこともあるけど、まぁいいわ。 マスター、紅茶の御代わりを淹れてちょうだい」
職業としての魔法使いではなく、種族としての魔法使いゆえに、少女は見た目通りの年齢ではないのだろう。種族としての魔法使いは、人間の域を優に超えている。特徴は魔力の絶対量など、長寿などが挙げられる。だから、外見年齢を見る限り、雪人の方が十は上なのに、彼女は彼を年下扱いしたのだ。
「お嬢さんの仰せのままに」
一生懸命背伸びする娘を相手にする父親のような苦笑を漏らしながら、先程と同様に魔法を発動させる。魔法使いの魔法は術者オリジナルの場合が多いが、雪人の魔法は相変わらず、その筆頭であった。魔法の系統が、魔力を別のモノに変換し具現化することができる、という出鱈目なものである。
同じ魔法使いとして、少女はその異常さに驚いた。
「さっきも思ったけど、あなたの魔法って随分と出鱈目なのね。 普通、そんなこと出来ないわ。 魔力で何かを編むなんて真似」
「魔法使いなどという、普通から外れた者に、普通を求めるのは間違いだと思うが」
「限度ってものがあるでしょう。 低俗な魔法使いなら、あなたを解体してでもその魔法について知りたがるわよ」
「魔法使いと、学者は似たような存在だからね」
返還して再構成。何時もの過程を経て、少女に紅茶を差し出す。少女は差し出された紅茶を口にし、
「喫茶店をやるには充分な味だけど、私としては良くもないけど、悪くもないってところかしら? クッキーはとても美味しかったのに、残念ね」
笑みと共に、少女は目を細める。随分と楽しそうだ。
「あなた、普段あまり紅茶を飲まないでしょう? クッキーと比べて紅茶のイメージが確固として定まっていないのはそのせいね」
そして、と言葉の続きを雪人が述べる。
「イメージの漠然さは、味の再現にも影響が出る、と言いたいのだろう?」
「Exactly(その通りですわ)」
「人並み以上の自信はあったのだがね。 お嬢さんの舌を満足させるには、修行が足りなかったようだ」
「人並みじゃあ、駄目よ。 私は人ではないのだから、人並み以上の、更に上を持ってきなさい」
挑戦するかのような物言い。それが、雪人の琴線を刺激する。彼にとって、この土地に訪れて、それは三度目の感覚であった。
「くっ、三番煎じで悪いがこの言葉を贈ろう。 面白い、面白いなぁ君は きっと珍種に違いない」
「珍種はあなたでしょうに。 魔法特性にしろ、その身体に纏わりついているものにしろ」
雪人の身体に纏わりついている呪いを見て、少女はそう告げる。三本の黒い鎖の様のものだ。
・――――異性を魅了する程度の呪い
・――――■■■を奪う程度の呪い
・――――■■が■■する程度の呪い
専門分野でない為に、アリスに読み取れるものは一つだけであったが、そのどれもが高位の呪術師によりかけられた呪いであることは理解できた。込められた力が半端ないのだ。“人を呪わば穴二つ”という言葉があるが、まさにその通りだ。これほどの呪いをかけた呪術師自身も無事では済まないだろう。余程、恨まれたに違いない。
そして、彼女が唯一読み取れた“魅了の呪い”であるが、ただの人間相手なら魅惑することなど容易いだろう。 しかし、種族が魔法使いであるアリスには、何ら効果は表れない。先程から平然とした様子である。彼女が持つ抗魔力も人とは比べ物にもならないのだ。
呪いの事を言われた雪人は苦笑を浮かべ、
「ところで、君の専門分野は教えてはくれないのかね?」
話を逸らすことにした。あまり言及してほしい話題ではないようだ。それに、アリスの魔法特性にも興味があったこともあり、丁度良かった。
「また、今度にでも立ち寄った際に教えてあげるわ。 総合的には中々のお店だからね」
そう言って、少女は立ち上がる。どうやら、一時間近く、雪人に愚痴やら何やらを零していた少女は帰るようだ。
「マスター。 お幾らかしら?」
「時間に余裕があるのなら、この伝票を持って出口の近くにいるあの子の所に持って行ってくれないか」
少女の視線が理由を問うている。何故ここで清算しないのか、と。
「あの子にも、計算の練習にちょうどいい。 何事も実践が一番だからな、君もそう思うだろう?」
「あの子、この前まで野良妖怪だったんでしょ? 計算とかできるの?」
「職業が野生の妖怪だったがゆえに、まだ少し時間を必要とするが出来ないことはない。 なに、付き合ってくれるというのなら幾らか値引きしよう」
「仕様がないわね、そういうことなら請け負ってあげる」
雪人は伝票の数字を訂正し、少女に手渡す。感謝する、と。
「ではな、都会派魔法使い君。 また立ち寄ってくれると幸いだ」
「ああもう! そう呼ばないで、って言ったでしょう。 まったく、もう……………………………………私の名前は、アリス・マーガトロイドよ。 好きなように呼んでちょうだい」
高いソプラノの声を残して少女、アリスはルーミアへ歩いていった。それから、手間取りながらも会計をするルーミアと、嫌な顔せずそれを待つアリスを視界に収めながら、
「………………都会派魔法使い殿ぉおおお」「そこは………………らめぇ」
奥のテーブルに突っ伏している生ゴミを、“妖怪の山”にでも捨てに行こうか、と真面目に悩む雪人であった。
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