雪人がパチュリーと会話している途中、彼の脳裏で唐突にある計画が閃いた。それはとても魅力的な計画だった。しかし、目の前で女性と談笑しているというのに、他のことにかまけてもよいのだろうか、と理性に窘められる。
パチュリーと会話しながらも、分割思考で脳内会議を開いてみた。
脳内世界、そこに展開されるのは無機質な会議室。そして、13人の雪人達。その中で、議長と書かれたプレートの前に座る計画の発案者が口を開いた。
「さて、会議を始めよう」
徐に言葉を発する姿は、まるで有能なサラリーマンのようである。普段のふざけた姿からは想像もつかない重苦しい雰囲気だ。
「今回の会議のテーマはずばり、パチュリー君と談笑している最中に、例の計画を実行に移してもいいか否か、ということだ」
皆の意見を聞かせてほしい、と睥睨すると、ある雪人が神妙に頷き、言葉を発した。
「それは紳士の在るべき姿かね? 紳士というものは、淑女と真っ向から相対するものだ。 だが、どうだね? こうしてパチュリー君と話している最中、エロい計画を実行に移そうとしている。 それは、紳士の風上にも置けないのではないか?」
隣の雪人もそれに続く、
「左様。 それでは、欲望に降り紳士道を忘れた獣同然だ。 ここは、パチュリー君と談笑を継続すべきだ。 そして、胸を小さくする秘薬について議論すべきだと推奨する」
続け様に否定意見が出た。議長が、他の者も見渡すが、彼を除き残り12人の内、半分の6人が計画に反対のようだ。
余談であるが、反対派と、賛成派の面子はいつも同じである。また、彼等は、反対派のことを“穏健派”、賛成派のことを“強硬派”と呼び合っているのが常。ちなみに、議論の発案者である議長は、中立派である。
では、議長と反対派を除く、残りの6人はというと、
「これだから穏健派の諸君には困る。 我等は確かに紳士である。 あるが、その前に、貧乳神を信仰する教徒だということを忘れてはいないか?」
ぬぅう、と苦悶に満ちた声が漏れる。先程の、計画に反対する6人の声だ。
「我等は貧乳神に誓った筈だ。 そこに貧乳があるのならば、貧乳を愛でるために全力を尽くす、と。 だが、貴様等はどうだ? 紳士だ紳士だ、とそのことばかりに気を取られ、本当に大切なことを疎かにしているのでは?」
「馬鹿者! 貴様等、強硬派のように目先の欲に囚われ、物事を大局的に見れない愚者の言葉など、聞くに値しないっ!」
穏健派から拍手が上がった。しかし、強硬派の面々、残りの6人は不敵な笑みを浮かべている。まるで、悪役のような表情だ。
「と、言うことはアレだね? 諸君は、咲夜君との楽しい一時を過ごせるかもしれないチャンスをみすみす捨てる、と?」
むぅうううう、と先程よりも苦渋の濃い声が響いた。穏健派の苦悩する様を尻目に、
「議長。 確かに、我々の行為は紳士道に抵触するだろう。 だが、そこは上手くやればいいだけなのではないかね?」
「…………どういうことだ?」
「我等は創ることが主だが、“紳士育成プログラム”で得たスキルがあるではないか。 分割思考、人形操術、隠密行動、そして感覚共有」
言葉の後、沈黙がきた。室内にしん、と沈黙が落ちる。そして、誰かのごくり、と唾を嚥下する音が聞こえた。
「まさか……」
息を呑む、とはこういうことを言うのだろうか。僅かな戦慄を含んだ声だ。
「そう、そのまさかだよ。 月での一件を忘れたか? あの時の経験を此処で活かせばいい」
強硬派の唇を歪める笑みに、穏健派の雪人は鋭い視線と共にポツリと呟く。悪魔め、と。
「悪魔でいいさ。 悪魔らしいやり方で、正々堂々とエロに走れるんだ。 それに、私の辞書に後悔という文字はない」
「不良辞書が……ッ! 下手をすれば、我等の素晴らしい人格が誤解されるというのに、それでもいいのかッ!? 答えろ! 強硬派!!」
「答えてやるさ。 構わない、と。 いいかね? 怖れを知ってなお進む者を、人は何と呼ぶか知っているか? 英雄と呼ぶのだよ。 だが、目前のことに尻尾を巻いて逃げる者は所詮………………ただの、負け犬に過ぎぬ!!」
言葉と共に腕を振るう。紳士服の裾が音を立てる。皆がこちらに注目するのに満足しながら、彼は続けて追撃の言葉を放った。
「大局的? 戦略的? 長期的視野? はん、そんなものは言い訳に過ぎない!」
「極論だ! 詭弁だ! 何よりも、戯言だ! 貴様等は所詮、自身の胸を穿つ空虚を埋めるために、咲夜君を利用しているだけではないのか!?」
強硬派の雪人は鼻で笑い、
「貴様は中学生か? 愛と性欲の違いに苦悩する様が、そっくりだな。 愛しければ愛でる。 それでいいではないか。 物事を複雑に考えたところで、そんなものは八雲との会話以外に使い道は、ない!」
一旦、言葉を置いて、意地悪く、
「それとも何か? 貴様は八雲といちゃつきたいのか?」
「ば、馬鹿なことを言うな! 私は貧乳神に誓ったのだ! 巨乳は愛さぬ、と。 それを反故に出来るものか!!」
「おやおや、何を向きになっているのかね? まるで、米国のポルノ雑誌を目にした日本の少年のような反応だ」
「向きになど、なっておらぬ! 私は別に八雲のことなど好いてはおらぬっ」
叫んだところで、彼は気がついた。強硬派、穏健派、議長の全てが自分を注目している、ということに。皆がニヤニヤとした軽佻浮薄な笑みを浮かべ、こちらの言葉を待っている。最悪だ。
最悪であるが、何も発言しないで沈黙を保つことは肯定と動議である。何か言葉を発しなければならなかった。しかし、胸の内からは何の言葉も表れない。
「…………くっ」
「やはり、貴様か。 我等の中で、唯一、八雲を肯定していたのは」
「ち、違うでござる。 拙者は、豊姫殿が好みで御座る」
「色んな意味で、落ち着け馬鹿者。 我等は別に、貴様のことを責めているわけではない。 それに、今回の議論は“何故、八雲は巨乳なのか?”でも、“あの時の八雲の行動は、理性的に考えて許せるものか?”でもない」
普段の馬鹿な議題と違うといっても、皆が自分のことをユダと思っているのは明らかだった。
「今回の議題は何だ? 例の計画に関して、だ。 そして、この議論の賛成/反対はいつも通り、民主主義に則った多数決。 だから、わかるね?」
「…………寝返れ、と言うつもりか?」
「貴様がこちらに寝返るというのなら、我等6人は八雲に対して、少し態度を改めようと思う」
その言葉に、穏健派の雪人達が、まるで羅刹のような表情でくってかかった。子どもが相対したら、トラウマになりかねない形相だ。
「貴様等……! 我等の“貧乳データが保存してあったHD”を、八雲が破壊したことを忘れたのか!?」
「確かに、貴様等が言うように犯人はおそらく八雲だろうな。 しかし、それを摘発するための証拠がない。 証拠不十分では、罪に問えない」
「ふざけるな! 何だ、その“誠に遺憾に思う。 けど……”な対応は!? 何故だ! 何故!? 何故!? 八雲を何故、許す!?」
穏健派の振り上げた拳がテーブルに叩き落とされる。木製のテーブルはいとも簡単に、粉砕された。
「それに関してはまた後日、“HDを破壊した八雲について、如何なる処罰を下すべきか?”で話し合おう。 だから、言おう。 外野は黙ってミソスープでも食していたまえ、と」
喚く穏健派を無視して、強硬派の雪人は、八雲肯定派の雪人に向かい合った。さて、と前置きし、
「向こういても何も変わらぬがどうする? 我等と共に革新の道を行くか、それとも、停滞した保守的な道を逝くか。どちらにする?」
「く…………っ。 私がそちらに行けば、本当に八雲に対して態度を改めるのであろうな?」
甘言に屈する雪人を見て、強硬派雪人達は頷いた。貧乳神に誓って、と。直後に、強硬派の面々は、議長に視線をやる。議長も視線を受けて頷く。
「諸君、計画の実行が決定した。 これにて、会議を終了する」
以上のことがあって、例の計画が実行に移されることになった。通称、『縫いぐるみになってギュっとしてもらおう計画』が始動する。
脳内会議が終了し、現実世界では、
「パチュリー君。 縫いぐるみの軍団などはお好きかな?」
「え?」
「ヴァリエーションは豊富だという自負がある。 素材も至高の一品、もちもちプニプニ、略してもちプニ。 さぁ、ご覧あれ」
そう言うと、創造の魔法を展開した。図書館の空間に現れるのは、優に百を超える縫いぐるみであった。どれもが、水中を泳ぐように、ゆらゆらと宙を舞っている。
意味もなく凄まじい光景に驚くパチュリーに、雪人は笑みを浮かべ、図書館の扉にある縫いぐるみを放った。それは、分割思考で操っている己のが分身である。
計画は何の問題もなく完遂できるだろう。かつての月での一件を体験した全雪人が、そう信じていた。だが、計画が始まった直後に、その妄想は脆くも崩れさることになる。
∫ ∫ ∫
小悪魔が開けっぱなしにしていた扉から、そっと室内を覗く。
「わぁ……」
直後に、彼女は感嘆、決して小さくはない驚き声を漏らした。室内のその光景に思わず、彼女の大きな瞳がますます大きくなる。好奇心が刺激される。視界の先に広がるものに魅了されていたのだ。
彼女の視界の先に広がっていたものとは、縫いぐるみの群であった。魚、熊、猫、犬などといった大小様々な縫いぐるみが宙を舞っている。いや、舞っているというよりも、魚が水中を泳いでいるかのようであった。ゆったりとゆったりと図書館の中央を基点に。
純粋に凄い、と思った。それは彼女には出来ないことだ。だから、余計にそう思わせるかもしれない。
そして、部屋の中央では、パチュリーと見知らぬ男が談笑している。好奇心は強いが、長年の軟禁生活もあってか、多少の人見知りをする彼女は、そこに入っていけそうにはない。
そんな時だ。宙を舞う一群の中から、へんてこな縫いぐるみが自分の方へとやって来た。全体的に薄い桃色の身体に、とろんとした眠たげな細目、背中からは可愛らしい翼を生やした幻獣の縫いぐるみである。
ぱたぱたと可愛らしい羽で羽ばたきながら、彼女の前にくると、それが愛嬌のある顔立ちで、
「はっははは……! 第一段階、クリア。 次に、咲夜君の捜索にステップを移行する」
何か独り言を呟いている。どうやら、此方には気がついていないようだ。身長の関係上かもしれない。縫いぐるみは彼女よりも、高所を飛行している。
「……びっくりした。 あなたは何? 縫いぐるみなのにどうして喋れるの?」
話かけてみた。瞬間、それはびくり、と身体を震わせた。可愛い仕草だ。
「ミッションの初期段階で問題発生。 見知らぬ幼女に話しかけられた。 これも縫いぐるみの身となっても溢れる紳士力の影響だと思われる。 次回からは気をつけよう。 さて、見知らぬ幼女は、私のことを興味深く観察している。 興味を持たれたようだ。 逃げられるか、だと? ううむ……不可能だろう。 彼女から溢れる力は異常だ。 逃げた途端に撃墜される恐れがある」
「ねぇ、何をブツブツ言ってるの?」
「待てよ……ここは協力者を得た方が正しい選択ではないのか? どうする? 何が最善の選択だ? 次善は?」
何かを呟いていたかと思うと、縫いぐるみは彼女の前まで高度を落とすと、お辞儀した。
「僕が何かだって? 僕はしがない魔法使……じゃなかった。 しがない縫いぐるみだよ。 愛を込めて、雪人……じゃなくて、雪ちゃんって呼んでくれたら嬉しいな」
「ねぇ、縫いぐるみなのにどうして喋れるの?」
「いい質問だ。 いい着眼点を持つ少女の問いに答えることは大人の役割である。 だから答えよう。 いいね? 実は――――」
「実は?」
縫いぐるみの勿体振るような沈黙に、彼女は問いかける。思えば、身内や魔理沙、霊夢以外との会話は久しぶりだ。そんなことを心の片隅で思った。
「どうして喋れるかというとね、紳士に不可能はないからさ」
「意味わかんない」
紳士という言葉の意味はよくわからないが、おそらく何かの職業を指しているのだろう。だが、それがどうして、雪と名乗った縫いぐるみが喋れる理由に繋がるのかはわからない。
「まぁ、細かいことはいいじゃないか。 世の中には、こういう術式もあるってことさ」
「術式? じゃあ、魔法ってこと?」
彼女は、姉同様に吸血鬼特有の常軌を逸した身体能力を持つが、その生きてきた歴史に釣り合う魔力量も秘めている。どちからというと、姉が身体能力を活かした戦闘に偏りがあるのに対して、彼女は魔法の方に偏りがあるタイプだ。
魔法少女にして吸血鬼、というのが彼女であった。故に術式という言葉に興味を持ったのだ。
「何だ、君も魔法使いなの? 確かに凄い魔力だけど、外見から判断するに、その派手な翼といい、紅い瞳といい…………ええと、何?」
「吸血鬼!!」
強い声が漏れた。自分のことを何だと思っていたのだろうか、という多少の苛立ちの篭った声だ。吸血鬼であることは、彼女の大好きな姉と同じである、それに対して誇りを持っていた。だから、そのことを間違われて、多少、声が荒げたのである。
「吸血鬼? それにしては、随分と前衛的且つエクストリームな翼なんだね。 僕はてっきり、吸血鬼の翼っていったら、蝙蝠の翼だって思い込んでいたよ。 いやはや、固定観念に凝り固まった偏見だったね。 ごめんね」
「別にいいもん。 お姉様の翼も、蝙蝠だから。 あなたの言うことは完全に間違えてないわ」
唇を尖らせる彼女に、雪はやや焦るように小さな両手をぶんぶんしながら、
「吸血鬼のお嬢さんは、どんな魔法が得意なんだい? アリス・マーガトロイド君みたいに人形操術? それとも、パチュリー・ノーレッジ君みたいに精霊、属性魔法が得意なの?」
口を開く。彼女は、目の前の縫いぐるみが何故、パチュリーのことを知っているのか疑問に思いながらも、
「よくわからないけど、そうねぇ……ふふ、壊すのは得意よ」
「壊す魔法といっても、多岐に渡るものじゃないかな? 属性魔法にしろ、影、人形操術にしろね。 そこのところはどうなのさ?」
「さぁ? 術式なんて適当にしか編まないもの。 それが、“弾幕ごっこ”の役に立つかどうかの問題」
「さぁって……。 そんなに簡単に術式を組めるものかい?」
その言葉に、彼女はきょとんとした表情になった。この縫いぐるみは何を言っているんだ、と言わんばかりに。というのも、彼女は一般的な魔法使いと違い、その魔法に対するスタンスは試行錯誤するものではない。
「別に難しいことじゃないじゃない。 空を飛ぶのと一緒。 一度、コツを掴んだら、色々ときゅっとしてどかーん、って応用も利くようになってくるの。 そこから、ぎゅんぎゅんしてどっかーん! ってすればいいだけよ」
「何というアバウトな説明……感覚で魔法を使ってる天才肌タイプだね。 いやはや、僕みたいな研究者肌の人間には理解しかねるなぁ」
言葉の通り、魔法の行使は彼女にとって容易いものなのだろう。それは呼吸や、歩行といった意識しなくても可能な行為なのであろう。まさしく、天才という言葉が相応しい。
「あなたは、どんなことが得意なの?」
「僕? 僕はそうだね……。 うん、創ることは得意かな」
「創ることが? ふぅん、そうなら、あなたは私の対極ね。 ねぇねぇ、創る魔法ってどうやってるの?」
「簡単だよ。 まずは脳内世界で妄想を膨らませる。 そして、描いた製図を元に、製作を開始する。 もちろん、動力のためのロマンチックエンジンを始動させて、徐々に益荒男ケージを上昇させておくことも忘れない。 その後、熱いパトスを注ぎ込んだら完成」
その言葉を聞き終え彼女は、思った。
…………この子、少しおかしいわ。 きっと、色々と無茶な術式の行使で頭が……。 パチェも言ってたよね? 世界には、限界以上の魔法を行使して廃人になった魔法使いが何人もいるって。 きっと、この子もそうなのよ。 そうに違いないわ。
何故か唐突に眼前の縫いぐるみが可哀想になった瞬間だった。無邪気というよりも、軽佻浮薄に振舞う姿が余計にそう思わせるのかもしれない。
視線にそういった哀れみの感情が浮かんだのだろうか。それを察した縫いぐるみも、何か思うことがあるのか気まずい沈黙が生まれた。
「…………」
「…………」
「…………」
そんな沈黙の中、縫いぐるみは、そういえばさ、と前置きし、
「確か、このお屋敷の当主は吸血鬼の、レミリア・スカーレットさんだったね。 それは君? それともお姉さんのこと?」
「お姉様よ。 レミリアお姉様。 私の自慢のお姉様よ」
彼女が姉を誇りに思う表情を見て、雪の細い目が益々と細まった気がした。といっても、縫いぐるみなので、表情が本当に変化しているのかは疑問であるが。
「ふぅん。 君は随分とお姉さんのことが好きなんだ。 自慢のお姉さんがいて羨ましいなぁ。 よし、僕のお姉さんになってもらおう」
さも名案とばかりに、縫いぐるみは手を打つ。
「駄目、駄目、絶対に駄目なんだからっ。 お姉様は、私のお姉様なの」
こればかりは譲れるものではない。彼女の拠り所にして、誇りに思うものだからだ。
「どうしても?」
「どうしても」
「絶対に?」
「絶対に」
いい? と言葉を前置きし、
「もし、お姉様を奪ったら許さない。 絶対に破壊する。 いい? きゅっとしてどかーん、ってするからね?」
ぱたぱたと眼前を飛んでいた縫いぐるみを捕まえ、その両脇に手を添える。下から持ち上げるようにして、身体を掴む手に力を込めた。
冗談にしても、縫いぐるみが言った言葉は性質が悪かった。癪に障るそれに苛立ち、彼女は殺意を込めた瞳を鋭くし、そう宣言した。普通の人間ならば、彼女が見た目、幼い存在といえども恐怖にどうにかなっていただろう。ましてや、彼女が内包する力の方向性は、破壊だ。人間や下級の人外にとってみれば、八雲 紫以上に危険な相手かもしれない。
その脅迫行為に、縫いぐるみは恐れを抱くだろう。彼女はそう思っていた。しかし、それが露にした感情は恐怖ではなく、
「いひひひ!! くすぐったいなぁ。 お腹をぷにぷにするのは止め、やめれ! ほら、何か! 色々と! 出ちゃうからさっ」
「なに、このモチモチ、ぷにぷに、略してもちプニ感。 とっても気持ちいい」
恐怖の感情の代わりに漏れたものは、奇妙な叫びであった。
珍妙なものに、先程までの苛立ちは吹き飛んだ。その代わり、別のものが訪れた。好奇心である。
「どうしてこんなにプニプニするの? こんな縫いぐるみ触ったことないわ……きっと、レアモノなのね」
不思議な感触がする腕や、腹を触っていると縫いぐるみは身を捩った。まるで、放してくれ、と言うかのように。
だが、病み付きになる感触から、彼女の手は離れようはしない。
「ちょちちょちょ! こ、こんな時に!穏健派がクーデターをひひひひひ!!!」
「ふふ、いいもの、拾っちゃった。 あ…………こら、逃げちゃだめ」
飛んで逃げようとする縫いぐるみを捕まえて胸に抱く。すると、手で触った時以上の、ぷにぷにとした感触を得た。きっと、これを抱いて寝たら安眠できるだろう。そう思わせる程の気持ち良さを宿している。彼女が所有している縫いぐるみ類とは比較にならないものだ。彼女は思わず、目を弓にした。
…………ああ、柔らかくて気持ちいい。 後で、お姉様に自慢しようかしら?
抱きしめられた縫いぐるみはというと、その行為が気に入らないようだ。今も彼女の胸から逃げだそうと必死にもがいている。しかし、吸血鬼の力は半端なものではない。ぎゅっと抱きしめられた拘束からは、幾ら、もがこうが逃れられないようだ。
やがて、もがくことも面倒になったのか縫いぐるみは、世の無常を嘆くように口を開いた。
「何だ、このポジションは? 僕は、魔法少女のマスコット的存在じゃないんだぞ。 確かに、貧乳は好きだ。 認めよう。 そこに異議を申し立てることはないさ。 ああ、ないとも。 しかし、しかしだ! こんな幼い子どもの胸の中に収まっていられるほど、僕はモラルを捨てたわけじゃない。 どうせ、抱かれるなら、『べ、別にこんな縫いぐるみになんて好きではありません。 ただ、そのモチモチ感が気になっただけです』と恥じらい頬を染める咲夜君に抱かれたかった。 そこんとこ、どうよ?」
「魔法少女のマスコット? それなら知ってるわ。 昔、外の世界から流れてきた“殺戮系魔法少女ジェノサイドなのは!”っていう魔法少女ものを、お姉様に読ませてもらったことがあるんだから。 戦いの時に、サポートしてくれる使い魔のことでしょ? つまり、あなたは、私が“弾幕ごっこ”をする時に一緒に戦ってくれる相棒ね」
「やっぱり、君もそう思うだろう? 態々、縫いぐるみを分割思考で操り、感覚共有まで行っているのも、全ては咲夜君の胸で抱かれたい一心。 人間はエロのために進化してきた、と言うが強ち間違いではないのかしれない」
「咲夜と“弾幕ごっこ”したいの? 駄目よ。 咲夜も忙しいんだから。 それにちょうど、魔理沙が来てるようだから、魔理沙と遊ぶわ。 ふふ……今回は使い魔もいることだし、面白いことになりそうね」
明らかに噛みあっていない会話をする様をみて、偶然、そこを通りかかった妖精メイドは思った。駄目だこいつら、と。
∫ ∫ ∫
暫く致命的に噛みあわない会話をしていたが、縫いぐるみはぐったりした雰囲気で、こう口にした。
「いい加減、放して欲しい」
女の子の胸で抱きしめられている。縫いぐるみ本来の用途としては問題ないのだろうが、彼は相当、辛いらしい。幻想郷を訪れて以来の最大の窮地であった。
哀切の言葉が漏れるのも仕様がないだろう。しかし、彼を抱きしめる彼女にはそんなこと関係ないようだ。その縫いぐるみを気に入った彼女はそれを手放そうという意思が見受けられなかった。
並みの縫いぐるみには無いそのもちもち、ぷにぷにした感触が心地良いらしい。
「だめ。 折角、珍しい縫いぐるみを手に入れたのに、手を放したら逃げちゃうじゃない」
「逃げない、逃げないからさ。 だから、ね? いい子だから、放してもらえないかな?」
「あら、レディを子ども扱いするのね? でも、気分がいいから許してあげる」
彼の首がカクッと垂れた。口からは呪詛い似た呟きが響く。自己暗示だ。縫いぐるみになって咲夜に抱いてもらう、というくだらない計画のための無駄な努力と言ってもいい。なんにせよ、彼は必死であったのだ。
「…………この状況を有効に活用すれば、計画の完遂が早まるのも確か。 そうだ自己暗示だ。 これは私ではない。 僕だ。 演じきれば、演じきればいいだけだ。 未来には咲夜君が待っているんだ。 よし、オーケー。 軽佻浮薄に頑張れる!」
健気に頑張る彼を胸に、彼女は再び図書館の扉から中を覗き込んでいた。
「あ、そういえば、あの変な奴のこと忘れてた。 ねぇ、雪ちゃん」
「おおぅ。 僕の名前、覚えていてくれたんだ。 てっきり無視されてたのかなぁ、と思っていたよ。 でも、急に呼ばれたから驚いた。 少しドキドキしてる。 いやはや、これが恋なのだろうか?」
名前を呼ばれたのが嬉しいようだ。嬉々として言葉を放ってくる。どうやら元気が戻ったようである。良かったと思いながら、彼女は問う。
「あのね、パチェと話しているアレって誰か知ってる?」
扉の向こうには、気になる異邦人の姿が視界に入った。グレイの紳士服を纏い、同じくグレイの髪をオールバックにしている男であり、地下で感じた気配の主である。
「パチェ? ああ、パチュリー君の愛称か。 彼女と話をしているのが誰かって? 彼はね、しがない喫茶店の店主だよ」
「喫茶店? お菓子とか、出しているの?」
「色々。 食べ物なら何でも提供できるんじゃないかな。 お勧めは、“スパイシーカレー・ツンデレ” 最初は筆舌に尽くし難い辛味(ツン)が襲ってくるんだけど、後からやってくる旨味(デレ)が絶品、ってお客さんから評価を貰ってる」
知識にはあったが、約500年間近くも軟禁されていた彼女には、喫茶店というものがいまいちわからないものであった。雪の返答を聞いても、「ふぅん」としか感想が言えなかった。
だから、喫茶店の話から別の会話に移るべく、そういえば、と転換の言葉を前置きし、
「雪ちゃんはどうして此処にいるの? パチェのことも知っているみたいだし、明らかにおかしいよね? 何を隠しているのかしら? あの縫いぐるみの軍団は? 何を企んでいるの?」
「どきり、と擬音語で今の心情を表わしてみた。 それとも、“ぷるぷる。 僕は悪い縫いぐるみじゃないよ”とでも言えばいいのかな? まぁ、僕の目的は咲夜君だ」
「咲夜?」
「そう、咲夜君。 で、相談なんだけど、彼女の所まで案内してくれないかな。 後で、お礼もするからさ」
「咲夜の知り合いなの?」
「知り合いというか友人だな。 “友達の儀式”も済ませた」
聞きなれない言葉であり、興味のあるフレーズに首を傾げた。
「ねぇ、“友達の儀式”ってなぁに?」
「名前の交換のことだよ。 以前、奇怪な杖を巡り争った少女が言っていたのだ。 名前の交換は互いの存在を認め合い、友達になるために必要な行為だ、って」
雪は、過去を懐かしむ雰囲気で、
「近年、類を見ない真っ直ぐな魂を持った少女だったよ。 いやはや、ああいう人間がいるとな、人類は捨てたものではない、と痛感させられるよ。 私の周辺では変態ばかり気苦労が耐えなくてね。 八雲とか、八雲とか、八雲とか! だから、余計にそう感じるのかもしれない。 なぁ、君もそう思うだろう!?」
「雪ちゃん。 雪ちゃんはテンション、高くていいね」
「そこはかとなく悪意を感じるんだけど気のせい? 」
「気のせい気のせい。 それにお姉様に何かするつもりなら、気に入った縫いぐるみでも容赦なく破壊するだけだから。 ほら、気にしなくなる」
「気にできなくなるよ。 …………それで、駄目かな?」
「咲夜のところに案内するってやつ? うーん……」彼女は考える素振りを見せ、「そうね、条件があるわ」と満面の笑みを浮かべた。
「条件?」
雪は、彼女を見上げ怪訝な声で訊ねる。嫌な予感がするなぁ、と。
「そうよ。 魔理沙はまだ、美鈴と遊んでいるみたいだし、うん、条件を呑めるなら案内してあげてもいいよ」
「どんな条件?」
「その時になったら言うわ。 別に嫌ならいいけど?」
「嫌だ、って言っても放さないだろ? なら、無茶苦茶な条件じゃない限り呑もう」
「もう、雪ちゃんは仕様がないなぁ。 ふふ、仕様がないから案内してさしあげますわ。 あ、そういえば、言ったかしら?」
猫のように首を上げた雪は、問うた。何を、と。すると、彼女は花咲くような笑みを浮かべて、
「私の名前はね、フランドール。 フランドール・スカーレットよ」
その言葉の直後、雪の首が上下に激しく揺れて、
「女性に名乗らせるような真似をして申し訳ない。 今、私の中で脳内戦争が起きていて、漸く強硬派共から支配権を取り返したところなのだ。 いやはや、すまないね。 私は、雪人。 これから宜しくしてくれたら、幸いだ」
「いまいち、何を言っているのかわからないけど……そうね、別に仲良くしてあげてもいいわ」
「感謝するよ、フランドール」
そして、フランドールが雪を胸に、図書館に背を向けたあたりで、
「ところで、君のお姉さんは長身で脚が綺麗で、ウェストが引き締まっていて、それでいて程良い腰の括れのある美人だったりしないかい?」
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あとがき
今回は一万文字を超えた……こ、腰がぁあああああ。
前回の猫耳は、私がまだ24日に夢見ていた頃の遺物です。使い道のなくなったそれを装備して
「猫耳も~ど♪」
とかやっていました。さておき、フラン様が難しい……。次回あたりに、各章ごとに分けて整理してみよと思います。くぉお頭と腰があああああああ