幻想郷。
その隔離された土地には、人間以外にも様々な住民が住む。天狗、鬼、河童、妖精などといった外の世界で生きていけなくなった人外達だ。むしろ、住民としては彼等の方がメインだろう。
さて、その人外の話だが、彼等は社会性を持たないというわけではない。
例外はあるが、強力な力を持つものはある一定のコミュニティを築いている。妖怪の山の天狗、河童などがいい例だ。彼等は人間と違った法を敷きながら、独自の生活を送っている。
また、吸血鬼も独自の集団を形成している。
【霧の湖】と呼ばれる湖に浮かぶ島に、とある洋館がある。【紅魔館】という屋敷だ。名前の通り、赤を基調とした吸血鬼の住処だ。その紅魔館及びその周辺を管理するボスは、永遠に紅い幼き月、紅い悪魔の名で知られる【レミリア・スカーレット】
そして、
彼女を中心として形成されている集団に、紅 美鈴(ホン・メーリン)という女性がいる。武術の達人にして、紅魔館の門番である。大らかで、忠誠心の厚い美鈴だが、その日は、抗い難い睡魔に屈し夢の世界へと旅立っていた。
生命の夏が終わり、豊穣の秋に入る直前の心地よい気温が大きな要因だろう。彼女の他にも、数名の妖精メイドは丸って眠りこけっている。
また、その日はまだ、迷惑魔法使いによる図書館の魔道書を強奪事件も、妖精の悪戯も、“妹様”の癇癪を鎮めるべく駆りだされることもなく、実に心地のよい一時であったのも理由の一つに違いない。
願わくばこのまま一日が終わってくれないだろうか、と夢うつつで思っていると、
「!?」
殺意を感じて、凭れていた壁から飛び起きた。そのまま、回避行動に移る。直後に、先程まで美鈴のいた場所へとナイフが殺到する。もう少し、その回避行動が遅ければ、ナイフが突き刺さるのは壁ではなく彼女であっただろう。美鈴が武術の達人で気に敏感であり、その俊敏さが功を奏した。
何者ですか、と叫びをあげる直前に言葉がきた。僅かな怒気と、呆れの入り混じった声だ。
「門番なのに昼寝とは随分、いい御身分ね。 ねぇ、美鈴?」
声のした方向に視線をやる。笑顔の十六夜 咲夜がいた。両の手にナイフを構えて。苛立っています、と言わんばかりの雰囲気を発している。少し機嫌が悪いようだ。
…………あれ? 今日の咲夜さん、機嫌が悪い? もしかして、私の昼寝以外で、何かあったのかな?
なんにせよ、と言い訳のために口を開く。
「さ、咲夜さん。 これは違うんです。 決して惰眠を貪っていたわけではなく…………ええと、その、瞑想を。 そう、武術の修行は肉体面だけでなく、精神面も鍛えなくてはいけません。 ゆえに瞑想を――――」
ざしゅ、と音を立ててナイフが壁に突き刺さった。美鈴の顔の直ぐ横だ。
「ごめんなさいね、手が滑っちゃったわ。 それで、戯言は終わりかしら?」
「申し訳ございません」
「弁明が無いって言うのなら、初めから言い訳なんてしないの。 まったく……」
咲夜は溜息を零す。毎回、「申し訳ございません。 次からは気をつけます」と謝罪しながらも、同じ繰り返しに呆れているのだろう。それも彼女の日常ゆえに、半ば許容している面もあるのだが。
彼女は、もう一度溜息を零すと、まぁいいわ、と前置きして、
「そんなことより、貴女にお願いがあるのよ」
「お願い、ですか? お使いか何かですか?」
それを否定し、咲夜は笑顔を浮かべながら答える。清清しい笑顔だ。
「もう直いらっしゃるであろう“お客様”を適当に痛めつけて、簀巻きにしてちょうだい」
「すいません……よく聞こえなかったので、もう一度お願いします」
「その“お客様”が着たら簀巻きにして、パチュリー様のところに運んでちょうだい。 いいわね?」
美鈴は思った。耳がおかしくなったのだろうか、と。もしくは、まだ夢の世界にいるのかもしれない、と。
「す、簀巻きですか? いいんですか? お客様なのでは?」
そう思うのも無理もない。なにせ、あの十六夜 咲夜が【紅魔館】に招いた客人を簀巻きにしろ、と言うのだ。そのような行為は、主の顔に泥を塗るのと同義である。忠誠心に厚い咲夜の言葉とは思えなかった。
その思いが表情に出たのだろう。咲夜は弁明するように、
「勘違いしないで。 私は、別に好き好んでこんなことを貴女に頼んだわけじゃないのよ」
「けどね、そうしないといけない理由があるのよ。 …………このまま何の拘束もなしで、あの変態を屋敷に入れてしまったら、と思うと恐ろしくて仕様がないわ。 大体、美鈴はあの変態の危険さを知らないのよ。 私だって、お嬢様の顔に泥を塗るような真似はしたくないの。 本当よ、本当なのよ。 だけどね、相手は変態なのよ!!」
「さ、咲夜さん?」
「お嬢様に万が一のこと(セクハラ的な意味で)があってからでは遅い。 対症療法ではいけないの、予防医学的な考えで行動しないといけないの」
必要以上に“変態”とやらを恐れる咲夜に、美鈴は話の流れが見えないこともあり、それを問うてみることにした。
「話がよく見えないのですが、一体……どういう目的で、誰が、誰を招待なさったのですか?」
「パチュリー様のお願いで、私が、“変態”を呼んだのよ。 本当は断りたかったんだけど、パチュリー様には普段からお世話になっているから無碍にもできないわけよ」
その返答に、美鈴は息を呑んだ。何と言ったらいいのかわからない感情に戸惑いながらも、“変態”と知り合いだという咲夜に向けて、
「…………咲夜さん。 交友関係を見直すべきです、と言っても構いませんか?」
困ったことや悩みことがあるなら相談に乗りますから、と真摯な姿勢で話かけた。
「やかましい」
咲夜も何か思うところがあったのだろう。複雑表情で、美鈴の脳天に手刀(チョップ)を落とす。大して痛くもないだろうが美鈴は頭を摩りながら、
「変態、って誰のことですか? まさか……“十傑集”の人達じゃないですよね!? あの人達の相手をするのは、特別な理由でもない限り金輪際御免なんですが……」
「そういえば、お嬢様が仰ってたわね。 貴女、50年程前に“十傑集”のとある人物に喧嘩を売ったそうじゃない?」
強い奴に逢いに行くんだ、と己が過去の行動に美鈴は頭を抱える。所謂、黒歴史という奴だ。また、それと共に、脳内で訳のわからない“指パッチン”を操る男が浮かんで消えた。
「…………咲夜さんも、“十傑集”には気をつけて下さいね。 勝てるとか勝てないとか、そういう次元の話じゃないんで」
美鈴は遠い目をしながら、そんなことを言う。余程、やりにくい相手だったのだろう。
「その変態は“十傑集”じゃないから安心しなさい。 ただね、美鈴。 あの変態は下手をしたら、“妹様”以上に危険なの」
咲夜は心の中で付け加える。貞操的な意味で、と。
「そ、それほどまでの猛者なのですか!?」
…………単純破壊能力だけを見るなら、幻想郷最高火力の“妹様”以上に危険、ってなんですか、それ!?
それなら頷けると咲夜を窺うと、彼女は神妙に頷く。
「私としては極力、あの変態が紅魔館に寄り付くのは反対なの。 お嬢様の害(セクハラ的な意味)になるのは明らかだから」
「お、お嬢様の障害(武力的な意味で)に? それほどまでの使い手なのですか」
「そうね、恐ろしい使い手よ、一瞬の指運までもが悪夢ようであったわ」
咲夜は以前、フロント式の下着を外されたことを思い出し、苦虫を噛み潰したような表情だ。
一方、美鈴は戦慄していた。
というのも咲夜から聞いた話を総合すると、その変態とやらは恐ろしい使い手であるのがわかったからだ。かの者は、紅魔館の暴君である
“妹様”級の実力者であり、主であるレミリアの障害になりうるほどの猛者と言う。
…………そんなの相手に出来るわけないですよー!!
「どうかした? 随分と冷や汗が出ているようだけど……」
「い、いえ。 少し心が乱れていただけです。 もう大丈夫ですので安心して下さい」
どうしようもない勘違いが生じていた。咲夜は、彼の“変態性”という面から、お嬢様に近寄らせたくないと言ったつもりだった。 しかし、美鈴はそれを“武力的”な面から、咲夜が危険視していると捕らえてしまったのだ。
「本当は追い返したいんだけど、そうもいかないのよね。 パチュリー様がどうしてもお会いしたいそうだから」
だから、と言葉を放つ。
「美鈴。 あの変態が館内で暴れないように、ここで半殺しの簀巻きにしておいてちょうだい」
「……了解しました。 叩き潰せばいいんですね?」
「ええ――」と咲夜は躊躇いがちに頷く。
「そうだけど……どうかしたの? 何か様子が変なんだけど?」
「久しく忘れていた感覚ですね。 なに、安心して下さい。 私はたとえ何が相手であろうと負けません。 お嬢様達の害になるであろうものを排除するのが門番の役割ですので」
何やら全身から闘気を迸らせる美鈴に、咲夜は若干の違和感を感じながらも頷いた。なんにせよ真面目に門番をしてくれるのはいいことだ、と。
咲夜はとうとう、美鈴が愉快な勘違いをしていることに気がつかなかった。咲夜の中では“お客様=変態だから、お嬢様に近寄らせたくない”であるが、美鈴の中では“お客様=お嬢様に害(武力的な意味で)をなすであろう武術の達人”という認識の齟齬が生じていることに。
∫ ∫ ∫
「遂に、遂に……私の時代がやってきたッ!! 君もそう思うだろう、マリーサ君!?」
「あー、五月蝿いなぁ。 というか、誰がマリーサだ。 私は魔理沙だって言ってるだろ」
それとなく長閑で、それとなく変態が跋扈し、それとなく常識人を自称する輩が後を絶たない幻想郷。その幻想郷の遥か上空。空に浮かぶものがあった。箒だ。それも典型的な、ステレオタイプな魔法使いが愛用する“空飛ぶ箒”だ。
その、庭先を掃除するためにあろう箒に跨り、飛行する二人の魔法使いの姿がある。白黒の魔女装束の霧雨 魔理沙、人里付近の喫茶店を道楽経営する雪人だ。
「変態店主。 あんたはどうして、そう自身満々なんだ?」
魔理沙は、彼女の後ろに座る魔法使いに問うてみた。すると、
「この私が自身満々? よしてくれ。 私は、謙虚で慎み深い人間なのでね」
「それが、さっき『私の時代がやってきた』なんて、まるで自分を中心に世界が回っているかのような妄言をほざいていた奴の台詞かっての」
呆れたように呟く魔理沙に、雪人は喜色満面に告げる。何を馬鹿な、と。
「いいかね、マリーサ君。 中世以来、世界はちゃんと地動説で私が太陽だ」
「そうそう……って今、最後に変なこと言わなかったか!?」
彼はその返答を無視した。その上で爽やかな笑みと共に、ところで、と前置きし、
「あの湖の中央に浮かぶ島に建つ屋敷が、吸血鬼の住まいかね?」
問いと共に、雪人は見入っていた。霧が立ち込める中、【霧の湖】と呼ばれる文字通りの湖に島があり、その畔には洋館が建っていた。全体的に紅い色調をしていて、時計台があるのが特徴的だ。
過去に惨劇があった屋敷だと言われても、不思議ではない雰囲気である。紅い色調はまるで血のように赤く、まさに吸血鬼の住居にはぴったりだ。雰囲気は確かに物々しい。だが、そこにはある種の気品が漂っていた。
…………そう、荘厳で誇り高くも、謙虚で慎み深い私のように。 ああ、これがシンパシーか。 流石、吸血鬼の居城……ッ!
「何か今、心の奥底から変な電波を受信したぜ。 私の後ろにいる変態を張り倒せ、っていう」
「自分で送信したものを、自分で受信しているのかね。最悪だな」
「あんたにだけは言われたくないわ!!」
彼等が向かう先は、吸血鬼レミリア・スカーレットの住まう屋敷。【紅魔館】だ。
先程よりも近くになってきた館を視界におさめながら、雪人は問いを発した。ところで、という前置きの言葉だ。
「マイスウィートは、本当にあそこに?」
「マイスウィートって……。 そんなことばっかり言ってるから、咲夜に嫌われるんじゃないかなぁ」
「馬鹿者。 仮に、そう仮にだ。 咲夜君が、私を嫌っているとしよう。 万が一にもありえんがな!!」
魔理沙は、その言葉を無視しようかと数瞬悩むが、片手で眉間を揉みながら応じることにした。
「はいはい。 それで? 仮に何なんだ?」
胸元にある手紙を上着の上から押さえて、
「嫌っている相手に、このような手紙を遣すだろうか? いや、遣さない。 これはおそらく、皆に私のことを紹介したいのだろう。 いやはや、挙式には、愛のキューピットをかってくれた君も招待すので安心したまえ」
「何で自己完結してるんだよ……」
何故、このような事態になっているかというと、その原因は咲夜が雪人に宛てた『会わせたい方がいるから、明日、来なさい』とだけ書かれた手紙だった。
【紅魔館】帰りの魔理沙から、それを受け取った雪人は翌日、「マリーサ君。 私は空を飛ばないので、是非とも運んでくれたまえ」とS級の菓子を握らせ、理由も意図もわからぬまま今に至る。
「しっかし、今日はチルノはいないようだけど、妙に寒いなぁ。 この前、夏がきたばっかりだって言うのに」
「同意だ。 確かに今日は寒い。 そして、君の箒が予想以上に速くて少し体温が低下してきた。 というわけで……ぎゅっとしてもいいかね?」
「おい、変態。 人が善意で運んでやってるんだから、少しは自重とい言葉を――――うひゃ!?」
魔理沙の後ろに跨っていた雪人は、姿勢を保つために少女の腹に回していた手に力を込めた。密着した姿勢。まるで、恋人同士がバイクに二人乗りする時、よく見るかのような光景だ。少女の髪からは甘い香りが漂ってくるのに、雪人は目を弓にした。魔法の森に住む彼女は、何か特別なハーブなどを使っているのかもしれない、と思いながら。
至福の表情を浮かべ「うむ、快なり」などと呟く雪人に、魔理沙は背後を振り返ることなく裏拳をぶち込んだ。半ば反射的な動きだ。それも魔力で強化されているので、多少痛いだろう。具体的には、鼻血を垂れ流す程だろうか。
そして、雪人は箒から地上へと落下していく。落下地点が湖でないのがせめてもの救いだが、20メートル程上空から地面に叩きつけられたら、無傷では済まないだろう。
「…………正当防衛だったとはいえ、流石に拙いか?」
つい反射的の行為とはいえ、妙に後味の悪いものがある。完全に彼の自業自得だが。
「といっても、あの変態がこの程度で死ぬ光景なんて、いまいち想像できないんだよなぁ。 なんか、フランに“緋の魔杖”を叩き込まれてもピンピンしてそうだ」
魔理沙はやれやれ、と溜息をつくと高度を落とすことにした。
∫ ∫ ∫
一方、裏拳を打ち込まれた雪人は、落下していた。霧が立ち込める湖の上空から、地面へと向かってだ。重力に従い落下していく速度の中では、あっと言う間に、地面に叩きつけられるだろう。それは軽い怪我ではすまない。
しかし、彼の顔には恐怖も不安も浮かんでいない。そこにある常時の飄々としたものだ。
彼は、どこか八雲 紫に似た何を考えているのかわからない顔で、
「照れ隠しにしては中々の功夫(クンフー)だったよ、マリーサ君」
自身の腕を掴んでいる相手に笑いかけた。金の髪をした魔法使いは、それに対して、はぁ、と呆れた風に溜息を零した。
実際に呆れているのだろう。面倒臭そうに「落とすぜ?」と雪人の腕を放した。再度、彼の体が宙へと放たれたが、地面に衝突する間際で、魔理沙が彼を掴んだので、大した高さではなかった。
地に足をつけた自分に向けられた「兎も角、あんたの目的地に着いたぜ、変態」という言葉に、雪人が何か口にしようとしたところ、
「着たわね、変態。 だけど、【紅魔館】が門番、紅 美鈴の名にかけて此処は通しません!」
彼の言葉を上書きするかのように放たれた言葉があった。彼、魔理沙以外の第三者の声だ。
声のした方向に視線を向ける。おそらく門番だろう人物、赤い髪に、中華風の服を纏う女性が門前に佇んでいた。警戒心、敵意の篭った意思の強そうな瞳が、先程の言葉通りのことを告げている。
「随分とアグレッシブな歓迎の仕方だね? 無個性な私としては羨ましい限りだよ。 しかし、今のを聞いたかね、魔理沙君?」
「あんた、つまり変態を通さないっていう通せんぼ宣言だろ」
了承の意味で頷きながら、しかし、と言葉を続ける。
「誠に遺憾ながら見ず知らずの女性に、変態呼ばわりされたのだが、どう思う?」
眉を顰めるように問う。まるで、そのような単語で自分を表現するのが不可解だと言うかのように。
「至極真っ当な意見だと思うけどなぁ、そこんとこどうよ変態」
魔理沙はまるで珍獣でも見るかのように返答する。何言ってんだこの変態は、自覚症状がないのだろうか、などと思っている顔だ。
雪人はその返答を無視した。無視した上で問う。門番に向けてどういうことだ、と。
…………私を変態呼ばわりしたのはこの際、神の如き慈悲の心で見逃すとして、だ。 通行禁止発言の真意を問わねばならんか。 物事には因果関係があるのが当然だ。ならば、通さんとする意思が生まれた原因があるだろう。 それを問わねば、何事も始まらん。
問うの向かう先は、赤い髪の門番。由が見ない状況の中、自分に敵意を向けてくる女性だ。
「私は、咲夜君から正式に招待されたはずなのだが? どうして、通さないなどと言う?」
門番は雪人の言葉を反芻するように虚空を睨みつけていたと思うと、焦った感じで両手をパタパタとさせ、
「あー! すいません、間違えました! 通さないじゃなくて、適当に半殺しの簀巻きにしてお通ししろ、と咲夜さんから言われたのでした」
その言葉に、雪人は瞳を細め、魔理沙は何かを堪えるように息を呑んだ。
「簀巻き、簀巻きとよく耳にするが、君達の間ではそれが流行っているのか?」
「局地的にはでないでしょうか? ――――――主に変態相手に。 それよりも覚悟は出来ましたか?」
門番は構えを取る。それは、中国拳法の構えだ。雰囲気的に、彼女は弾幕よりも直接戦闘の方が得意そうである。彼女の体から溢れる闘気を目にしながら、
「咲夜君と家庭を築く覚悟なら、疾うの昔にできている。 かく言う君こそ、ガッツの貯蔵は十分かね?」
雪人はポケットに両手を入れたまま笑いかける。余裕の表情だ。
「意味のわからないことを……ッ! 紅魔館が門番、紅 美鈴! 推して参ります!!」
それが癪に障ったのだろうか。門番の少女、美鈴は名乗りをあげて戦闘をしかけてくる。まるで拳銃から撃ちだされた弾丸のように真っ直ぐに。
…………強い、強いなぁ。 単純な戦闘力はどうかわからないが、意思の強さが半端ではない。 意思というものが侮れないから困ったものだよ、本当に。 思いとは即ち、力である。 相対するのが、半端な意思しか持たない私が勝てるわけがない。 ああ、本当にどうしようもないほど清々しい。
紅い弾丸を視界に収めながら、雪人はより一層に笑みを強くし、口を開く。 というわけで、という前置きの言葉を。
「後は任せたよ、魔理沙君」
魔理沙の肩を持つと、まるで盾にするように前に差し出す。予想外の展開に、彼女は焦ったように振り、
「はぁ!? おいおいおい、こういうのは話の展開的に、あんたが門番とやりあうのもんだろ。 第一、私は関係な――――」
文句、拒否の言葉を発するが、すぐにその口を閉じた。というのも、雪人があるものを彼女の掌に握らせたからだ。
彼はとてもイイ笑顔で、
「以前、君が食してみたいと言っていた菓子だ。 もちろん、彼女を足止めしてくれるね?」
「袖振り合うのも他生の縁、旅は道連れ、世は情け、だな。 仕様がないから請け負ってやるさ」
魔理沙の態度が一片した。人助けは当然だぜ、とてでも言いたげな顔だ。こういうところは、とある暴力型異変解決巫女とよく似ている。
「なぁ、変態」
疾走してくる美鈴を見据え、魔理沙は小さいが確りとした声で、
「足止めするのはいいが――――別に、アレを倒してしまっても構わないんだろ?」
「巨乳に遠慮は要らん……ッ! 大事なことなので二度言おう。 巨乳に遠慮は要らん!! 存分にやってくれたまえ!!!」
そう零すと彼は、無駄にハイスペックな身体能力を発揮して屋敷の壁を飛び越えて行った。余程、咲夜に会いたいのだろう。本当に人間か、と疑いたくなるほどの脚力だ。
「あ、ちょ! 待ちなさい!!」
慌てて彼を追おうとする美鈴。その前に、魔理沙はニヒルな笑みで立ちふさがった。悪役が似合いそうな少女である。
「というわけで、門番。 弾幕ごっこと行こうぜ?」
「ちょ、魔理沙さん! 私は変態の相手をしなくちゃいけないんです! そこを退いて下さ――――」
・――――邪恋「実りやすいマスタースパーク」
美鈴が駆けようとした瞬間、その足元に光が走り、音を立てて地面を穿った。威力はそれほどでもないが牽制に放たれたそれに、彼女は思わず足を止めてしまう。
「動くと撃つ! つれないこと言わないで付き合ってくれよ?」
∫ ∫ ∫
魔理沙の視界の先、悔しそうに表情を歪めた美鈴が呟いた。どうして、と。どうしてこんな時に、と。
だが、悔しそうな表情を浮かべながらも美鈴は、雪人を追おうとはしない。というのも、魔理沙が既に戦闘態勢に移行しており、背を向けるわけにはいかないからだ。
弾幕はパワーだぜ、と豪語するだけありその破壊力を目を見張るものがある。人間にしては、という意味だがそれでも、近接戦闘を得意とする美鈴には、相性の悪い相手だ。
遠距離からの弾幕では破壊力という点で劣り、至近距離からの奥義に持ち込もうと思っても、幻想郷でもトップクラスの機動力を持つ少女には、簡単に距離をとられるだろう。
故に、背を向けるといった油断はできない。故に漏れた呟きだ。
「どうしてこんな時に邪魔が入るのよ……」
「アレだ。 レミリアの悪戯だ。 運命でも操ったんじゃないのか」
「お嬢様は就寝中ですよ」
「ならアレだ。 フランが既存の常識概念でもぶっ壊したとか」
美鈴の脳裏に浮かぶのは、レミリアの妹であるフランドール・スカーレット。純粋な破壊能力だけなら最強と言っても過言ではない。
【ありとあらゆるものを破壊する程度の能力】を持つ彼女ならば、概念ですら砕けるかもしれない。否、もしかしたら、概念を潰すことが破壊という結果に繋がっているのかもしれない。
…………けどまさか、“存在”という概念を破壊することで、対象の消失という結果が生じわけないですよね?
尤も、美鈴はフランではない。実際のカラクリなど解るはずがなかったのでただの推測に過ぎないが。
「余計嫌なこと言わないで下さい!」
「まぁまぁ」
と魔理沙は落ち着けと言うように両手を突き出し、
「そういうわけだ。 変態を追いかけたいのなら、私を倒すんだな」
「……おかしい」
臨戦態勢を整えた魔理沙を見て 、美鈴はそう思った。美鈴は軽く眉を顰める。訝しむ表情だ。
なにせ、彼女が相対しているのは魔法使いであるのに、対価などという言葉が最も似合わない少女だ。それなのに、という疑問。
「魔理沙さん……随分とあの変態の肩を持つんですね?」
「は? いや、対価を貰ったんだから相応の働きはしないといけないのは当然だぜ?」
…………やっぱり何かおかしい。
綺麗な顎に手をあて、僅かばかり考える仕草で美鈴は、
「対価、ですか? 魔道書を強奪しても一向に悪ぶれない魔理沙さんが? そんな愁傷な真似をするわけがない…………ま、まさか」
ふと、昔に、パチュリーに聞いた話を思い出した。その話とは、他者を洗脳する魔法のことだ。確か、その方法って何だったかな、と思い出そうとした瞬間、唐突に答えがやってきた。
「え、えっちなことされて洗脳されているんですね!?」
得心がいったとばかりに目を見開いた彼女は、今の気持ちを乗せた言葉を放つ。
「この変態魔法使い!!」
万の感情が篭った言葉だ。額に青筋を浮かべた魔理沙は、その言葉を脳内で反芻し、
「門番。 言いたいことは山ほどあるが、とりあえず、マスタスパーク何発逝っとく?」
星屑魔法を発動させることにした。
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