地下迷宮は、静寂に包まれていた。
仲間もおらずモンスターもいない。
瞼を閉じた一刀には、まるでこの世の全ての生き物が死に絶えたかのように感じられた。
耳が痛い程の静けさの中で、自分の心臓が脈打つ音のみが一刀の脳内に響き渡る。
やがてその音すらも気にならなくなったその時、一刀は目を見開いて叫んだ。
「チュートロ、君に決めた!」
一刀の脳内に展開された加護スキル【魚群探知】のリスト内、『ブリ』や『カツオ』に交じって悠々と泳いでいたレアポップ魚『チュートロ』が、とうとう加護スキル【魚釣り】のロックオン圏内へと侵入してきたのだ。
見えない針が『チュートロ』を捉え、見えない糸を介して一刀と『チュートロ』の勝負の幕が開けた。
太公望の竿に、もの凄い負荷がかかる。
一刀の釣りに針も糸もいらないが、竿だけは必要不可欠である。
「く」の字を通り越して「つ」の字となっても折れない太公望の竿がなければ、このクラスの魚を釣り上げることは難しい。
逆にいえば太公望の竿さえあれば、後は一刀が力負けしない限り勝利は約束されているようなものだ。
「おりゃー!」
モンスターを倒す時にすら発さない気合い声を上げ、一気に勝負を決めにいく一刀。
目の前の水面が大きく水飛沫を上げ、2M・100kgの巨体を誇る『チュートロ』が宙に舞った。
水中であればまだしも、空中ではさすがの『チュートロ』も無力である。
「チュートロ、ゲットだぜ!」
『チュートロ』は自重分以上の抵抗は出来ず、一刀に引き寄せられて陸地へと釣りあげられてしまったのであった。
『チュートロ』は1ヶ月に1度ポップするレア魚であり、その脂の乗った濃厚な味わいは口にした者すべてを魅了する。
なんとこの1匹だけで、100貫の売値がつくのだ。
一刀が現実世界でお気に入りのゲームの1つであった『バケモン』の真似をしてしまうくらいにハシャいでしまうのも無理はない。
海水魚は今、洛陽で大ブームを起こしていた。
洛陽は黄河の中流にあり、内陸部である。
そこからの支流が街の中心を流れているので淡水魚は食べられるのだが、これまで海水魚は干物の姿でしか見かけなかった。
ところが最近になって、海水魚が迷宮内で手に入ることを一刀が発見したのである。
その切っ掛けとなった一刀の【魚群探知】という加護スキルは、エリア内に存在する全ての魚を検索することが可能であり、ターゲット設定することによりその位置まで把握出来る。
加護スキルを使ってみたい年頃だった一刀が何の気なしにBF5で【魚群探知】を使用したところ、BF5には海水魚が存在することがわかったのだ。
一刀がターゲット設定をして追いかけてみると、袋小路にたどり着いた。
ところが行き止まりに見えた袋小路の壁から、潮の香りがするではないか。
その壁に手を伸ばした一刀だったが、触れることが出来なかった。
それはなんと、幻だったのである。
各階とも往年の名作RPG『クレリックリー』のような人工的な作りの三国迷宮。
だが、壁の先には土が剥き出しになった洞窟があった。
そしてその先には一刀が自分の目を疑うような光景、つまり海岸が広がっていたのだった。
そんな漁場をBF5以外にもBF10とBF15で発見した一刀は、その情報を惜しまず公開した。
あまり独占しすぎて嫉妬を買うのも嫌だったし、釣りが剣奴や低LV冒険者の金策になれば、その分で装備を整えたり薬類を買ったり出来て、死傷者が減るのではないかと思ったからである。
それに、場所を公開したところでBF5やBF10はともかく、BF15の釣り場へは加護持ちでないと気楽に行けないし、一刀にはタゲった魚をロックオン出来る加護スキル【魚釣り】というアドバンテージまであるのだ。
今のところBF15の『チュートロ』は独占状態であったし、仮にライバルが来たとしても、リポップを把握出来てチートな釣り技術を持つ一刀に勝てるわけがない。
ちなみに各場所では魚以外にもモンスターが釣れる。
その魚系モンスターの珍しいドロップ品が目当ての冒険者達も現れ出した。
一刀はBF5やBF10のレアポップ魚にはあえて手をつけなかったため、うまくいけば不相応な大金をゲットすることも出来る。
そういうわけで、BF5やBF10の漁場は連日大混雑していたのであった。
この発見は、雪蓮を新たなギルド長として生まれ変わった旧・探索者ギルド、現・冒険者ギルドにとっても福音となった。
雪蓮達は呉で育った『海の民』である。
魚の善し悪しから調理までなんでもござれのエキスパートであり、魚の鮮度を保つ秘伝まで知っている彼女達にとっては、得意分野で金銭を得ることの出来る絶好の機会だったのだ。
ギルドショップにお魚コーナーを併設し、冒険者達から魚を買い取って市場に流すことで得られるマージンは馬鹿にならない。
一刀の『チュートロ』など、彼に100貫払っても200貫の純益が出るのだから、雪蓮達は笑いが止まらないであろう。
しかしこれは決して暴利ではなく、正当な報酬だと言える。
なぜなら一刀や他の魚問屋では、消費者に行きつくまでに『チュートロ』の大部分を腐らせてしまうのが関の山であり、300貫どころか100貫にすらならないだろうからである。
つまり一刀が彼自身のスキルで金銭を得ているように、雪蓮達は彼女達の技術で金銭を得ているのだ。
また、例えこれがボッタクリ値であったとしても、一刀は進んでギルドショップを利用したであろう。
雪蓮達がこれらの利益を、ギルド運営費の中でも主に剣奴制度の改善に消費していることを一刀は知っていたからだ。
旧ギルドに在籍した剣奴を全て解放し、そのうち希望者のみをテレポーター警備に雇い入れ。
新たに購入した剣奴には、訓練期間や休暇を与え。
彼等が自身の身分を買い戻すための価格も大幅に引き下げ。
これらの改革を断行した結果、テレポーター警備の人数が大幅に減ってしまったのは当然だ。
そしてその足りない人数は、ギルドが冒険者と契約してその任務を与えることにより補われている。
だからお金はいくらあっても足りないし、魚景気に沸く今だからこそ可能な改革なのである。
もちろん雪蓮達だって、この幸運におんぶ抱っこだったわけではない。
時期的には人気取りをしたいだろう彼女達は、しかし冒険者達に対して税の値上げに踏み切ったのだ。
冒険者達は、所属クランに関わらず冒険者ギルドに所属している。
自分の身を買い戻した一刀の場合も同じであり、身分的には冒険者ギルドに所属していることになる。
そして冒険者達はギルドに税を納める義務がある。
ギルドはそれら冒険者達の税をまとめて都市長へと納めている。
雪蓮達が決めた税の値上げとはつまり、その際にギルドに入るマージンを上げたのである。
幸い低LV冒険者達にも漁場という収入源が出来たため、そこまでの不満は持ち上がらなかったものの、そうして憎まれ役を買って出てまで剣奴制度の改革を推し進めようとしている雪蓮達に、一刀は感謝してすらいたのであった。
優れた索敵能力を活かし、出来るだけ戦闘を避けるようにして『祭壇』へと戻る一刀。
タイマンならばまず負けることはないが、傍に置いといて万が一戦闘中『チュートロ』を傷つけたら100貫がパーである。
自分よりも大きい『チュートロ』を担いで、一刀は慎重に歩を進める。
先程から「釣り上げ」「引き寄せ」「担いで」など、100kgある魚の重量を無視したような表現方法だが、これは顕然たる事実である。
仮に今の彼が現実世界でゲームをプレイしようとしたら、祭や冥琳の胸を撫でるようなソフトタッチを心掛けないと即座にチク、ではなくてAボタンが取れてしまうであろう。
STRの比較的低い一刀ですら、そうなのである。
季衣や流流などはオッパ、ではなくてコントローラーごと粉々になってしまう。
「季衣、可愛いよ」
「……兄ちゃん、ボクちょっと怖いの。手、握ってて」
「ああ。いくよ、季衣……って、あぎゃー! メキメキいってるってギャー!」
「流琉、可愛いよ」
「……兄様、痛くしないで下さいね」
「ああ。いくよ、流琉……って、うぎゃー! 肩掴んじゃらめぇ、ボキってアッー!」
YESロリータ・NOタッチの本当の意味を、身を持って知ったあの日の夜を思い出しながら、ビチビチと跳ねる『チュートロ』を押さえつけて身を屈め、リザードマンをやり過ごす一刀なのであった。
『祭壇』から迷宮前テレポーターに移動した一刀。
そんな彼に向かって、蓮華と小蓮が走り寄って来た。
「あれ、2人共。どうしたんだ?」
「お帰りなさい、一刀。『チュートロ』を担いだ貴方の姿が見えたから。それ、ギルドショップに売ってくれるのよね?」
「ああ、そのつもりだけど」
「良かった。明日は姉様の誕生日なの。今日血抜きをすれば、明日には最高の状態で料理が出来るわ」
「それはいいタイミングだったな。それじゃさっさとギルドショップに運んでくるよ」
「ええ、お願いね。それから、誘うのが遅くなってしまったのだけれど、良かったら一緒に姉様を祝ってくれないかしら?」
「一刀、いつもいないんだもーん! シャオ、心配しちゃったんだからね!」
「ああ、ごめん。最近忙しかったからさ。でも、部外者の俺まで参加しちゃっていいのか?」
こういう場合、とりあえず遠慮スキルを発動させる小市民代表・北郷一刀。
だが、その日本人的な美徳は2人の少女には受け入れられなかったようだ。
小蓮は怒りの眼差しで、蓮華は冷ややかな眼差しで、それぞれ一刀に文句を言う。
「部外者じゃないもん! 一刀はもう、身も心もシャオのお婿さんなんだから!」
「貴方、可愛い妹の貞操を受け取っておいて、部外者とはどういうことなの?」
……YESロリータ・NOタッチ?
「シャオは雪蓮や蓮華の妹だから! すぐ育つはずだからセーフ!」
「一刀、誰に向かって言ってるの?」
「……貴方、頭は大丈夫?」
などと厳しめのツッコミを入れつつ、蓮華も小蓮もご機嫌な様子である。
月に1度の『チュートロ』DAYは、それだけ彼女達にとって魅力的なのだ。
視線をチラチラと『チュートロ』に向ける姉妹。
小蓮はともかく、蓮華がこういう子供っぽい仕草をするのは珍しい。
「でも本当に嬉しいわ。懐かしい味、ふるさとの味が洛陽で食べられるんですもの」
「うんうん。一刀の加護スキルのお陰だよー」
「……本人的には微妙なスキルなんだけどな」
なにせ戦闘には一切役に立たないのである。
正直、一刀はこれ以上の迷宮探索を諦め気味であった。
下層での迷宮探索は加護スキル前提の強いモンスターが現れるのだから、一刀の考えはもっともであろう。
仮に最下層まで攻略してゲームをクリアしないと現実世界に帰れないとしても。
それしか手段がないとしても、一刀は命を掛けてまで現実世界に帰りたいとは思わない。
この世界でも自分は十分充実した毎日を送っているし、なによりここには自分の愛する女性達がいる。
それに一刀には、この世界でやりたいことが出来つつあったのだ。
そのためにも一刀は、加護を受けてから3ヶ月の間、魚を釣ったりギルドの依頼を引き受けたりして一生懸命お金を貯めてきたのである。
「便利なスキルだったら、一刀には【人物鑑定】のスキルがあるじゃない」
「そうだよ。最初から一刀にはシャオの素質を見抜いちゃうくらい人を見る目があったのに、それが更に加護スキルで強化されたんだもん! 羨ましいくらいだよー」
この【人物鑑定】は、加護を受けた機会にと一刀がでっちあげたスキルだ。
冥琳や稟・風・桂花の魔術師トリオなどには微妙に見抜かれていたが、こういうものは言い張った者勝ちであろう。
加護スキルならば自然であるし、「なぜ一刀にそんな能力があるのか」と疑問視されても筋の通った理由さえあれば、一刀が恐れていた『ゲームばれ』という事態にはならないはずである。
少なくとも今後はうっかりMPの存在を指摘しても、言い訳には困らない。
「どっちにしろ戦闘向きじゃないからなぁ」
「そんなことないよ。味方の状態を見て的確な指示を出したりとか出来るし、それに一刀は索敵能力だって優れてるんだから。ねぇ、もう季衣達とは別れたんでしょ、だったらシャオ達と一緒に組もうよぉ!」
「別れたって……確かにパーティは解散したけどさ」
「一刀、貴方が私達のパーティに参加してくれるなら、いつでも歓迎するわよ」
「ありがと、蓮華。ま、今後も迷宮探索を続けるかどうかは、しばらくスローライフを楽しみながら考えてみるよ。っと、着いた。それじゃ、俺は魚を売ってくるから。2人共、また明日な」
「ええ。また明日ね、一刀」
「シャオは、また今晩、でもいいんだよ? いやん、一刀ったら女の子にこんなこと言わせるなんて」
「……ごめん、今日は桃香との先約があってな」
「ええっ?! か、か、一刀の浮気者ぉ!」
一刀は体中を使って怒りを表現する小蓮から逃げるようにして、そそくさとギルドショップに入って行ったのであった。
商店街の中心にある、桃香の実家である靴屋。
勝手知ったる他人の家とばかりに、一刀は住居の方に上がり込んだ。
「あ、お帰りなさーい、ご主人様」
「ただいま、桃香」
ちょうど玄関を掃除していた桃香が振り返り、一刀と挨拶を交わす。
家事用のエプロンに身を包んだ桃香は、もともと家庭的だった彼女の魅力を120%引き出している。
そのまま「ご飯にする、お風呂にする、それとも……」みたいなことを言われたら、一刀は玄関で襲いかかってしまっていただろう。
しかし純真な桃香は、もちろんそんなことは言わない。
その代わりに、傍にいた2人の幼女に挨拶を促した。
「ほら、2人もご主人様が帰ってきたら、ちゃんと挨拶しないとダメだよー」
「あ、お帰りなさいませ、ご主人様」
「お帰りなしゃ……さい、ご主人様」
「うん。2人とも、ただいま」
この3ヶ月で一刀と桃香の関係に、なんの変化が起こったのか。
2人の幼女とは一体誰なのか。
そして一刀と彼女達の関係は、一体どのようなものなのか。
数々の謎を残したまま、桃香家で過ごす夜は更けていったのであった。
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NAME:一刀【加護神:呂尚】
LV:17
HP:270/270
MP:0/0
WG:75/100
EXP:2022/4500
称号:小五ロリの導き手
STR:20
DEX:30(+6)
VIT:20(+2)
AGI:28(+6)
INT:20(+1)
MND:15(+1)
CHR:26(+1)
武器:アサシンダガー、バトルボウガン+1、アイアンボルト(100)
防具:避弾の額当て、ハードレザーベスト、マーシャルズボン、ダッシュシューズ、レザーグローブ、万能ベルト、蝙蝠のマント、回避の腕輪
近接攻撃力:107(+5)
近接命中率:69
遠隔攻撃力:101(+5)
遠隔命中率:66(+3)
物理防御力:76
物理回避力:86(+18)
【武器スキル】
デスシザー:格下の獣人系モンスターを1撃で倒せる。
インフィニティペイン:2~4回攻撃で敵にダメージを与える。
ホーミングブラスト:遠隔攻撃が必中になる。
【加護スキル】
魚釣り:魚が釣れる。
魚群探知:魚の居場所がわかる。
所持金:604貫