「あっ、あのっ! あの、俺……天和さんの歌、凄く好きなんです! これからも頑張って下さい!」
「わー、嬉しいです! ありがとうございます!」
「あとこれ、良かったら貰って下さい! よく知らないけど貴重な本らしいから、売ったらお金になると思いますんで、活動資金の足しにでもして下さい!」
とあるファンから貰った1冊の本。
この『太平要術の書』が、ただの芸人であった彼女達の運命を変えることになる。
天和、地和、人和は3姉妹の芸人である。
幼いころに父母を亡くし、その時から天和は2人の妹を姉として母として慈しみ育ててきた。
もともと穏やかな気質である天和の包み込むような愛情は、貧しいながらも2人の妹を真っ直ぐに成長させた。
そして最近は、姉や母としてだけでなくリーダーとしての役割も果たすようになっていた。
迷宮前の湯屋を拠点にライブ活動をしている彼女達『流し満貫シスターズ』は、洛陽でもそれなりに知られている存在なのだ。
ファン達に囲まれ、大好きな歌を踊りを披露して過ごす日々。
そんな境遇に、しかし彼女達は全然満足していなかった。
「あーあ、もっと大きなハコで歌いたいなぁ」
「無茶言わないでよ、地和姉さん。今の私達にそんな集客能力はないわ」
「やっぱり洛陽だけじゃダメよね。経験を積むために、大陸中をライブツアーなんてどうかな?」
「それも無理よ、天和姉さん。洛陽を出るためには、3人で15000貫も必要なんだから」
「ふっふーん。地和ちゃん、見てよこの本。さっきファンの人から貰ったんだけど、貴重な本だから高く売れるんだってさ」
「はぁ、姉さん。こんな本が15000貫で売れるわけ……ないけど、ちょっと待って、これは……」
自分が渡した本をペラペラと捲っていた人和の目が輝いてきたのを、天和は不思議に思った。
正直な話、天和は貰った本の中身をほとんど確認していない。
ただ高値で売れたらいいなぁと思っていただけなのである。
太平要術の書。
そこには、古今東西の様々な叡智が記されていた。
ゆで卵の殻を簡単に剥くコツ。
掃除の時に隅々までホコリを掃き取るポイント。
そして、芸人として大成するためのノウハウ。
「姉さん、これ、いけるかも! ほら、ここ見て!」
「戦闘用の楽曲? なにこれ?」
「人和、アンタまさか……迷宮に潜ろうなんて話じゃないでしょうね! ちぃは嫌よ、迷宮なんて暗くて怖くて汚い3K職場の代表じゃない!」
「お姉ちゃんも、危ないことは反対だよー」
俄然張り切っている人和とまったく乗り気ではない地和を見比べて、天和は自分の意思も2人に伝えた。
そんな姉達に向けて、懇々と説明する人和。
これらの楽曲を覚えて歌いこなすことによる芸風の広がりは、今後の芸人生活の大きな糧となること。
自分達のファンに守ってもらうことで、危険を最小限にすること。
神々の加護を受けることまでを視野に入れれば、身体能力をアップさせることにより声量やダンスの飛躍的な向上が見込めること。
「私達は、大陸一の芸人になるんでしょ! そのためには、出来ることはなんでもしなきゃ!」
「……やる前から諦めてちゃダメだよね! わかったよ人和ちゃん、お姉ちゃん頑張る!」
「もう、天和姉さんまで……。しょうがないわね、ちぃも付き合うわよ。そのかわり、絶対に私達の歌で大陸を制覇するんだからね!」
こうして、流し満貫シスターズとそのファン達による迷宮攻略が始まったのである。
迷宮へ潜り初めた当初は、慣れない環境と難易度の高い曲に苦戦の連続であった。
ファン達に守って貰いながらの戦闘。
人数の多い彼女達はその分取得EXPも低いため、LV的な急成長は難しい。
つまり、歌の技術や立ち回りなどのスキル面での向上が、より深い階層へと潜るための必須条件だったのである。
「痛ぅ。もー、人和! もっと優しく包帯巻いてよぉ!」
「ちょっとは我慢してよ、姉さん。歌に夢中になりすぎよ。戦闘中なんだから、もっと周りを見なきゃ」
「というかさー。ちーちゃん、今日ステップが間違ってなかった?」
「え、嘘?!」
「怪我をしたってことは、ステップが間違ってるってことなのよ、地和姉さん。本の通りに踊れていれば、モンスターは幻惑されるはずだもの」
「へへっ、お姉ちゃんは今日は無傷でしたー!」
「くぅぅぅ、わかったわよわかったわよ! 天和姉さん、その本今日一晩貸して!」
「姉さんは今まで本を読んで覚えられた試しがないでしょ」
「ちーちゃん、後で一緒にステップのおさらいしよっ。ちーちゃんは体で覚えるタイプなんだから、無理しないでね」
「ぐっ、ホントのことだから言い返せない……」
「さ、手当は終わりよ。ご飯でも食べに行きましょ」
「はーい、お姉ちゃん、今日は点心が食べたいでーす!」
試行錯誤を繰り返しながら、順調にスキルアップを果たしていく3人姉妹。
だが迷宮探索で最も肝心なLVの上昇は、亀の歩みのようなものであった。
迷宮に潜り始めて半年以上が過ぎた現時点で、彼女達は未だに4つの『贈物』しか得られていなかったのである。
「この間、探索者ギルドから発表があったじゃない」
「地和姉さん、それは前の名前でしょ。今は冒険者ギルドって名前になってるわよ」
「焼売、うまうまー」
「そんなのどっちでもいいの! それよりLVの話よ!」
「ああ、【今まで貰った『贈物』+1】をLVと称して、適正フロアの基準にするってやつよね」
「餃子、うまうまー」
「その話からすると、ちぃ達の適正フロアはBF5で合ってるのよね? それにしては敵が弱く感じるけど……」
「適正フロアはあくまで1パーティでの目安でしょ? 私達は人数も多いし、その分だけ楽なのよ」
「小龍包、ふはふはー」
「「天和姉さん、ちゃんと打ち合わせに参加してよ!」」
「……ご飯の時くらい、のんびりしようよぉ」
そう言う天和も、食べることに集中しているようで話自体はちゃんと聞いていた。
なにせことは自分達の身の安全に直結する話だからである。
その証拠に、熱々の汁を皮と共に飲み下すと、2人の妹に向けて自分の考えを話し出した。
「お姉ちゃんが思うに、問題は……あ、すみません、杏仁豆腐を追加でー」
「「後にしてっ!」」
天和が考えていたこと。
それは自分達のLVアップの遅さについてである。
「LVが適正フロアの目安になるってことは、LVを上げさえすれば今の階層だったらより安全になるし、深い階層にも行けるってことでしょ?」
「それはそうだけど、そのためには『贈物』を貰わなきゃいけないってことじゃない。ちぃ達の魅力で太祖神様におねだりしてみる?」
「そんなに簡単に『贈物』が貰えたら、苦労しないわよ。『贈物』を貰うには経験を積まなきゃいけないって話だし、今まで通り地道に戦闘を積み重ねていくしかないわ」
「それがね、簡単にLVを上げる方法があるらしいの。昨日ファンの人に聞いたんだけど……」
天和が入手した情報。
それはPL(パワーレベリング)である。
冒険者ギルドの長である雪蓮のクランが、旧ギルドの命令の下で剣奴達に対して行ったPL。
それを受けた剣奴達もギルドが移り変わる際の恩赦により、今や自由の身になっていた。
迷宮探索から足を洗う者。
ギルドと契約して専属冒険者となりテレポーターを守る者。
フリーの冒険者として迷宮探索を続ける者。
そして、そんな剣奴達の一部が手っ取り早く金銭を得るために始めたのがPL屋である。
とはいえ、きちんと体系だった組織ではない。
そのため質もピンキリであった。
元々深い階層を警備していた面子であれば、強化されたLVに準じたスキルもそれなりに伴っている。
しかしこれが元は浅い階層の面子だった場合だと、仮に同じLVであっても持っている技術に天と地ほどの差があるのだ。
「よぉ、お嬢さん達。ちょっといいか?」
「あ、ファンの方ですか? ごめんなさい、今はプライベートなんで……」
「いや、悪いが聞くともなしに話が聞こえてきてな。俺達、そのPL屋なんだよ。丁度今仕事が片付いた所でな。これもなにかの縁だ、良かったら俺達にPLを依頼しないか? 本当は1週間500貫なんだけど、半額で請け負うぜ」
隣のテーブルにいた男達が、3姉妹に話しかけてきた。
当然彼女達はPL屋に質の問題があることも知らないし、相場だってわからない。
わからないが、物事にはタイミングというものがある。
天和はこの偶然と幸運に気を良くし。
地和は自分達のステップアップに期待を寄せ。
人和は半額という響きに興味を抱き。
3人共、乗り気で男達と話を進めていった。
「料金は前金で全額支払って貰うぞ」
「えー、普通は前金と後金で半分ずつじゃない」
「本来はそうだけど、元々半額で請け負うって話なんだから、そのくらいは妥協して貰いたいな。嫌ならこの話はなかったことに……」
「ちょっと待ちなさいよ! ……姉さん、人和、どうする?」
250貫といえば、3姉妹が慎ましく暮らして1年は持つ程の大金である。
更に言えば、彼女達の全財産に近い額でもあるのだ。
迷宮内での収入が多少あるとはいえ、湯屋での仕事も長く休み過ぎたせいでクビになり定期収入が得られない現状では、厳しいものがあった。
「でも、ここで私達がLVを上げておけば、今度はファンのみんなに私達がPL出来るようになるし」
「そうすれば、深い階層に潜れるようになるわ」
「そしたらモンスターのドロップアイテムだって良くなって、収入も上がるわね」
相談している3姉妹に向けて、男達が口を挟む。
「俺達とBF11に1週間潜れば、お嬢さん達もあっという間に深い階層で戦えるようになるぜ」
「……ホントですか?」
「ああ、勿論。大船に乗ったつもりで安心して任せてくれよ」
「うーん、それじゃ……」
「悪いんだけど、その話はなかったことにしてくれ」
了承の返事をしようとした天和の言葉を、いつの間にかいた見知らぬ男が遮った。
あっけにとられる3姉妹や男達をよそに、彼は天和に向けて話しかける。
「えっと、天和さんで合ってるよな? 俺、ギルドの使いで君達に話があって来たんだけど……」
「ちょっと待てやコラッ! 今はこっちが取り込み中なんだよ!」
「あーっと、あんたら5人共LV10だろ。LV5の彼女達を守りながらBF11で戦うのは、安全面でかなり無理があると思うんだけど。8人じゃパーティも組めないし、そうなると効率もがくっと落ちるだろ。それで1週間程度じゃ彼女達のLVはあまり上がらないんじゃないか?」
「他者の力量が分かる程度の能力……お前、いやアンタ、もしかして……」
「商売の邪魔したのは悪かったよ。埋め合わせの仕事を紹介して貰えるように手配するから、後でギルドに来てくれ」
「あ、ああ、分かった。……割のいい仕事を頼むぜ。行くぞ、お前ら」
これが3姉妹を伝説的芸人『数え役満シスターズ』へと変貌させる切っ掛けとなる、一刀との出会いであった。