仮に貴方が山中で道を見失い、彷徨っていたとしよう。
起伏の激しい道。
疲弊した体。
残り少ない水。
そんな極限状態の最中、貴方は目の前に湧水を発見した。
これまでの経験から、生水によってお腹を壊す危険性があることは理解している。
沸かしてお湯にしてから飲めば安全だと知っているし、その道具も持っている。
貴方は汲んだ水を煮沸させから飲むだろうか。
「そのような状況で、冷静さを保てる人間なんて稀です。大半の者はそのまま水に口をつけてしまうでしょう。私達だって旅の途中では、幾度となくそういうことがありました。一刀殿もそれと同じこと。そんなに落ち込む必要はありませんよ」
「それは単に稟の腹が弱いのだ。私など一度も腹を壊したことなどなかったぞ?」
「野生児の星と一緒にするな! 風が湯にすれば安全なことを発見しなければ、とっくに私は衰弱死してたわよ! ……コホン、とにかく一刀殿、そんな状況では冷静さを見失っても仕方がありません」
「ふふふのふ。それは煮炊きした食べ物ならば、稟ちゃんのお腹はピーピーにならなかったからなのですよー。っと、うっかりうっかり。話を逸らしてしまったのです。風は反省して黙るのですよ……ぐぅ」
「そうだよ兄ちゃん、しょうがないよー。それに口だけで6800貫も稼ぐなんて、ボク未だに信じられないよ」
「……私達、本当に自由の身になれるんですよね、兄様」
星達の待つ居酒屋に戻り、「6800貫ゲットだぜ!」と大はしゃぎして皆に報告した一刀の高揚した気持ちは、稟の指摘によってすぐに鎮火された。
どんな情報を売ったのか問う季衣達に応えようとする一刀を、稟が制止したのだ。
そこで『情報の所有権』の意味をようやく悟った一刀は、自分のアホさ加減に酷く落ち込んでしまった。
それでも一刀達が大金を手に入れたことには違いない。
稟達の慰めや季衣達の歓喜の言葉によって、一刀はすぐに立ち直ったのであった。
「まぁ、6800貫のことを考えたら秘匿の義務も当然か。仮に『情報の所有権』の話にならなかったとしても、華琳には大金を払わせてるのに他の人にタダで聞かせるってことには、さすがに抵抗を覚えただろうし」
「一刀殿が売った育成方法に関する情報の内容は気になりますが、致し方ありませぬな。この好奇心は酒で押し殺すとしましょう。店主、同じ物をもう1つくれ」
「説明されなくても一刀殿の行動を観察していれば、ある程度のノウハウは掴めると思います。情報の公開自体は禁止されてしまいましたが、それを元にして一刀殿が行動することまでは、さすがに制限出来ませんから」
稟の言葉で、この契約の曖昧さに気がついた一刀。
厳密に情報の秘匿をしようとするなら、行動パターンから推測されるのを避けるために、一刀はLV上げ自体が出来なくなってしまう。
それに厳密といえば、契約自体も特に書類を交わしたわけではない。
あくまでも口約束なのだ。
違反したらどうなるのかも、取り決めがされていない。
その辺は一体どういう仕組みになっているのかと、星達に尋ねた。
「私も最近知ったのですが、実を言えばあまり細かい取り決めは存在しませぬ。洛陽の自治権を持っている都市長の『約束を破るのは、優雅な行いではありませんわ。それ相応の報いを与えます。オホホホホ』と記された律令に基づいて、それぞれの案件ごとに独自に判定を下しているのが現状らしいのですよ。しかし相手が有力者の華琳殿である以上、向こうに一分の理さえあれば一刀殿の敗訴は確実でしょうな」
「念のため、明日にでも『自身の行動自体は制限されない』と言質を貰って来た方がいいでしょう。書類で残さないと水掛け論になってしまう可能性もありますが、華琳殿なら言葉だけでも十分だと思われます」
ところで、と新たに運ばれた酒を口に含みながら、星が一刀に言った。
「一刀殿達が自由の身になるのであれば、我等との迷宮探索も打ち切りということですかな? 我々としては、ギルドとの契約通りにせめて2ヶ月間は一緒に迷宮を探索して頂きたいのですが」
「あ、そうか。……うーん、即答出来ないな。明後日にはそれも含めてギルドと話を付けるから、それまで待ってくれないか。俺はともかく、季衣達は折角自由の身になったんだし、故郷に……ん? なんか忘れている気がするな」
「恐らく、町を出るのに大金が必要なことではないですか?」
「あー、それだ! 前に桃香から聞いたんだった! 5000貫×2人分で、げっ、1万貫?! 一体どうやって稼げと……」
「え? 私達は村に帰るつもりはありませんよ?」
「そうだよ兄ちゃん。それに帰ったって、どうせまた人買いに売られちゃうもんね」
「このまま迷宮探索でお金を一杯稼いで、3人で料理屋さんを開店しませんか?」
「えー、大きいお風呂をつけた宿屋さんにしようよ。兄ちゃんお風呂好きだもんね」
それまで皆の会話を黙って聞いていた猫耳が、口を挟んだ。
「ちょっと! 星達はともかく、私の加護はどうなるのよ! これだって華琳様からの依頼なのよ。1000貫の報酬なんだから、違約金だって半端じゃないわ。星達はギルドとの力関係から、依頼を反故にされても返金で済まされるでしょうけどね」
「あれ、依頼失敗は、信用がどうとかって話だっただろ?」
「失敗と反故は違うわよ、馬鹿!」
華琳が既に育成のノウハウを得ているからといって、桂花が『試練の部屋』を突破するのに一刀達の協力が不可欠であることは変わりない。
一刻も早く華琳の役に立ちたい桂花にとって、一刀達に今抜けられては非常に困るのだ。
「……桂花のことを星達に頼んだとしても、前衛1の後衛3じゃバランスが悪すぎるしな。そのこともちゃんと考えるから、悪いけど明後日まで待ってくれ」
別にいつもの逃げ癖が出た訳ではない。
一刀は急激な状況の変化に、一度自分の立ち位置を整理しておきたかったのである。
間を置くことで、冷静な状態になることも出来るため、この保留の判断は正解であっただろう。
とにかく今日は季衣達と共に目一杯自分達の解放を祝おうと、追加の酒を注文する北郷一刀・17歳なのであった。
翌日は迷宮探索を休みとした一刀達。
稟と一刀以外は全員LVが上がっていたため皆に神殿に行くように勧めた一刀は、別行動を取って華琳の元に向かった。
風に言われた通り、行動の自由について言質を取る目的である。
華琳は彼女らしい気前の良さをみせた。
行動の自由だけではなく、ある程度までであればレベリングのコツを他者に教えても構わないと言うのである。
具体的な仕組みに関しては不可だったが、それでもうっかりの可能性が非常に小さくなったことは、一刀を安心させた。
(要するに口で説明しない範囲で、実際に行動で教えるくらいなら問題ないんだな)
華琳の懐の広さに、ますます好感を覚える一刀。
もちろん華琳は、ただ一刀に対する好感度アップのためだけにこんな許可を出したわけではない。
探索者全体の質の向上は、華琳にとってもかなりのメリットがあるのだ。
今はなにも気づいていない一刀だったが、そう遠くない未来にそれを知ることになるのであった。
一方、こうして一刀と華琳の関係が深まっていることを嫌う者もいた。
明くる日の朝一番に一刀を呼び出した七乃は、笑顔で口を開いた。
「なぜか華琳さんから6800貫が届きました。一刀さん達は、華琳さんのクランなんかに加入するつもりなんですか?」
まったく目が笑っていない七乃の、その険悪な口調に気圧される一刀。
華琳を敵に回すのも恐ろしいが、それ以上にギルドを怒らせることの愚を悟った一刀は、曖昧に言葉を濁した。
「い、いや、まだそう決めたわけじゃないんだけど……。その金は、俺の持っていた探索者育成ノウハウに関する情報の所有権を譲った対価なんだよ」
「ふーん。私に先に話を持ってきてくれたら、その対価に一刀さん達を解放してあげたかもしれなかったのになー」
「す、すまん、思いつかなかった」
思いつかなかったというのは、決してその場限りの言い訳ではない。
一刀は自身の特殊性を理解していたものの、それが換金性のあるものだということにまで考えが及んでいなかったのである。
実際に華琳に『情報の対価を支払う』と言われるまで、そのことに気づかなかった一刀。
インターネットの普及により、正誤はともかく情報自体は無料で入手可能であった現代人の一刀には、情報を換金するという発想自体が出て来なかった。
正確には、現代でも情報の換金は行われている。
一刀が毎週欠かさず購入していた、二次元の美少女達が照れながらゲームを紹介していく雑誌『ハミ通(ハニカミっ娘通信)』などは、まさしく情報を売って収入を得ている代表的な例である。
だが、出版物に対する代金だとは思っても、情報を購入するという意識で雑誌を手にする人はあまりいないであろう。
言い換えれば、このゲームの世界では情報も立派な商品のひとつだという至極普通の考え方が、別視点からの発想力を持つ一刀にとっては逆に難しいことであったのだ。
それに、情報というのは渡し方や渡す側の立場も含めて価値が変わる。
今だからこそ七乃も『対価に解放してあげた』と言っているが、立場が弱かった剣奴の時では、一方的に情報を搾取されて終わる可能性が高かったであろう。
「……真面目な話、私は一刀さんのことを高く評価しています。どうです、このままギルドに加入しませんか? しばらく実績を積んでくれれば、いずれNo.3の地位くらいなら与えるかもしれませんよ?」
一刀が剣奴だったことを思えば、いや一般の探索者から見ても、破格の出世街道である。
七乃にとってみれば、一刀の価値は成長速度とそのノウハウにある。
仮に一刀がしょっぱい加護神を得たとしてもなんの問題もないし、律令の曖昧さから華琳との契約の抜け道なんていくらでもあるだろう。
いざとなればギルドの力で契約を破棄させ、賠償金を支払うことも容易いのだ。
だが、一刀にその選択肢を選ぶことは出来なかった。
ギルドに加入するということは、必然的に雪蓮達と対立することになりかねないからだ。
例の作戦が七乃の知るところとなり、それを妨害する命令でも受けたら最悪である。
「あー、非常にありがたい話なんだが、その誘いは謹んで辞退させて頂くよ」
「……そうだ一刀さん、賭けをしませんか?」
「賭け?」
「星さん達との契約は、後1.5ヶ月。その間に一刀さんが加護を受けることが出来れば、一刀さん達の自由を認めます。その代わりもし加護を受けることが出来なければ、一刀さん達にはギルド職員になって貰います」
「なんでだよ、ちゃんと金は払っただろう?」
「お金を払えば剣奴から開放するというのは、あくまでもギルドの温情なんですよ。義務ではありません。それにギルド職員になってもらうってことで、ちゃんと剣奴からは解放してるじゃないですか」
「……賭け自体を断ったら、剣奴のままだってことか?」
「いえいえ、そんなことをしたら他の剣奴達の士気に関わりますからね。ちゃんと解放して差し上げますよ。ただ、この洛陽で今後生活していくのが、ちょっぴり大変になっちゃうかもしれませんけどねー」
もはや選択の余地はない。
一刀に出来ることは、ただ縦に首を振ることだけであった。
とはいえ、細かい条件闘争に関しては一刀も譲らなかった。
交渉の結果、今まで無報酬も同然だったクエストに100貫の報酬を出させることに成功した。
また本来であれば、今日から剣奴ではなくなる一刀達は、ギルドの住居を出て行かなくてはならない。
更に、迷宮探索者としてギルドへ登録される料金や月々の上納金も支払う必要がある。
それら全てを、『祭壇到達クエスト』が終わるまでは現状の通りとすることを認めさせたことも、上出来であっただろう。
更に一刀は、一計を案じた。
「ところで、良く考えたら今まで七乃には随分と世話になった。七乃が俺に目を掛けてくれなかったら、こんなに早く身を買い戻せることもなかったと思ってる。だから、その礼をしたいんだが」
「お礼、ですか?」
「ああ。ギルドに買われたばかりの剣奴を、誰でもいいから1人貸してくれ。今日一日である程度まで育ててやるよ。もちろんそれを七乃が観察するのも自由だ」
「ほ、本当ですか! 二言はありませんよね、今すぐに準備させます!」
七乃の興奮振りに、情報公開はちょっと勿体なかったかと思う一刀。
だが、七乃に世話になったという気持ちは嘘ではない。
厄介を押しつけられた感の方が大きいし、今も賭けだのなんだのと鬱陶しいことこの上ないが、それでも自身の言葉の通り七乃の後押しがなければ、今頃はBF4でテレポーター警備をしていたことだけは間違いないからである。
それにパワーレベリングをギルドに教えることは、決して悪いことではないと一刀は考えていた。
まず、今さっき悪化させてしまったギルドの心証を良くする効果が期待出来る。
そして剣奴達のLVを上げることで雪蓮達の価値を相対的に下げることにより、雪蓮達が独立しやすくなるのではないかという思いもあった。
ギルドにとっては強者でさえあれば、別に雪蓮達でなくても構わないはずである。
むしろ同じような強さであるならば、野性の虎を飼うに等しい雪蓮達の手綱を握るよりも、使い勝手のよい分だけ剣奴達の方が便利であろう。
更に、今まで剣奴達のLVが低かったせいで遅々として進まなかったテレポーター設置が急速に進むことも考えられる。
それは剣奴達が加護を受けやすくなるのと同義であるが、平均1500貫の借金はそれでも返すのに時間がかかるだろうし、解放される際にも購入額の10倍の金で戻ってくるのだから、ギルドにとってもメリットがあると思われる。
第一、LVを上げることによって死傷者が激減するということは、ギルドにとって財貨の消耗が激減するのと同じことであり、他の全てを捨ててでもその情報を得るだけの価値がある。
そしてなによりも、剣奴の強化をさせることは一刀にとって、自分のせいで2週間前に同僚を全て死なせてしまったことに対する償いの気持ちの表れだったのだ。
「凄い……。僅か1戦しかしてないのに……」
LV1の剣奴を連れてBF11へ。
剣奴にライトボウガンで攻撃させた後、一刀が敵を殲滅して剣奴をLV5にした。
その結果、パワーレベリングを始める前はひぃひぃ言いながらBF1のコボルト相手に逃げ回っていた剣奴が、へっぴり腰はそのままに同じ敵に対して圧勝したのである。
「と言う訳だ。仕組みは説明出来ないが、要領はわかっただろ」
「……はい、これだけでも十分ですよ、一刀さん」
そう七乃に話した一刀自身も、今回のことで再確認出来たことが2つあった。
ひとつはスキルの重要性についてである。
LVが上がってもスキルが上がっていないことは、剣奴のへっぴり腰を見ればわかる。
あの状態では同じ階層のモンスターを相手には勝てないであろう。
つまり、一刀自身も安易なパワーレベリングに頼ることなく、出来るだけ自力でLV上げをする必要があるということだ。
尤も、パワーレベリングの有用性自体は消えたわけではない。
単純に能力が上がるだけでも、戦闘がかなり楽になることは間違いないからである。
だからといって、こちらとの接触を絶とうとしている雪蓮達には頼れず、この仕組みを理解している華琳は、だからこそパワーレベリングを是としないであろうことも予測がつく。
それほど会話を交わしたわけではないが、安易に人を頼って命の危険も冒さずに楽々とLV上げをするような意地汚い真似は、華琳が最も嫌いそうな行為であることくらいは容易に理解出来る。
これは、例えば桂花が加護を受けた後に華琳達とパーティを組むことによって受ける恩恵とは別の話である。
いうなれば前者は寄生であり、後者は必然であるからだ。
もうひとつはソロの限界性についてである。
七乃に出来るだけ手管を見せないために、一刀は敢えて必殺技を使用せずに戦闘を行ったのだが、装備を整えたLV13の一刀でもBF11の敵をソロで倒すのは困難な作業であった。
LV7の時の一刀が初期装備だったにも関わらずBF6の敵をソロで倒せていたことを考えると、この差は歴然である。
深い階層になればなるほど、自身の成長以上に敵の強さが増していく。
このことを、一刀は改めて実感したのであった。
「さすが一刀さんです。ますますウチのギルドに欲しくなっちゃいました」
よりいっそう七乃に目を付けられることになっても、一刀はパワーレベリングを教えたことを後悔しない。
「それにしても、これほどの情報を対価なく貰えるだなんて、とてもラッキーでした」
もしかしたら巨額の金と引き換えに出来たかもしれない知識だったかもしれないが、一刀はパワーレベリングを教えたことを後悔しない。
「あ、例の賭けですが、この手段を用いたら反則負けってことでお願いしますねー。華琳さんと雪蓮さんには、一刀さんに協力しないように通達しておきます」
本当にどうしようもなくなったら華琳か雪蓮に泣きつこうと考えていたのだが、一刀はパワーレベリングを教えたことを後悔しない。
「さてさて、早速雪蓮さん達に指示して剣奴達を鍛えて貰わなくちゃ。一刀さん、今日は御苦労様でした」
このことだけが、一刀の見落としていた痛恨のミスだったのであった。
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NAME:一刀
LV:13
HP:32/178
MP:0/0
WG:100/100
EXP:2580/3500
称号:巨乳ホイホイ
STR:14
DEX:21(+3)
VIT:14
AGI:19(+3)
INT:15
MND:11
CHR:15
武器:ポイズンダガー+1、スナイパーボウガン+1、アイアンボルト(100)
防具:避弾の額当て、レザーベスト、レザーズボン、ダッシュシューズ、レザーグローブ、レザーベルト、蝙蝠のマント、回避の腕輪
近接攻撃力:68
近接命中率:52
遠隔攻撃力:77
遠隔命中率:50(+3)
物理防御力:51
物理回避力:69(+18)
【武器スキル】
デスシザー:格下の獣人系モンスターを1撃で倒せる。
ホーミングブラスト:遠隔攻撃が必中になる。
所持金:8貫800銭