「いってぇ……」
頭痛を堪えながら一刀が目を開けると、辺り一面が緑だった。
「……どこだよ、ここは」
パニックになりそうな自分を落ち着かせるため、一刀は記憶を辿るようにして呟いた。
「俺の名前は、北郷一刀。フランチェスカ学園の2年生。部活はやっていない。趣味はゲーム。今日は朝起きて、いつも通りに学校に向かい……」
フランチェスカ学園から帰る途中、ゲームショップ寄って新作のゲームソフトを購入し、家に着くなり制服を着替える間も惜しんで早速プレイしようと電源を入れたところまでは覚えていた。
その直後、突然目の前が真っ暗になり、そして目を開ければ、世界がいきなり青い空と緑の大地に変わっているのだから、驚くなと言うほうが無理だ。
一刀は、ふと携帯があることを思い出し、ポケットを探ろうとして気がついた。
「なんだ、この服? いつの間に……」
確かにフランチェスカの制服を着ていたはずなのに、なぜか布の服を着ていた。
そう、それはまさに『布の服』という言葉がピッタリな服であった。
まるで『スタジオダブリ』の作品内から取ってきたかのような服である。
当然ポケットの中には携帯も存在しなかった。
しばし呆然としていると、馬蹄の音が聞こえてきた。
慌てて振り向くと、3騎の馬がこちらに向かってやってくる処であった。
馬上には、黄色い頭巾を巻いた人相の悪いヒゲとチビ、そしてデブが乗っていた。
3人は一刀の目前まで来ると、まるで品定めでもするかのように全身を眺めまわした。
だが、一刀にそんなことを気にする余裕はなかった。
なぜなら一刀は、彼等が自分を眺めまわす以上に、彼等を凝視していたからだ。
NAME:ヒゲ
LV:5
HP:76/76
MP:0/0
ヒゲの頭上に浮かび上がる文字。
チビにもデブにも、同じような文字が浮かび上がっている。
「まだ若いな、こいつは拾いものだぜ」
「へへ、幸運でしたね、兄貴」
「よし、こいつを連れて引き返すぞ。チビ、縛っとけ」
「へい、兄貴」
(これは……『三国迷宮』のオープニングじゃないか!)
一刀が3ヶ月前から発売日を楽しみ待ち続け、先程購入して電源を入れたゲームソフト。
この状況は、ゲーム雑誌で発売前情報を読み漁った、そのゲームソフトのオープニングにそっくりなのである。
よくよく考えてみれば、今自分が着ている『布の服』も、そのゲームの世界観にはマッチしていた。
「大人しくしていれば、痛い目を見ないですむぜ」
そう言って近づいてくるチビに対し、一刀は無抵抗であった。
常人であれば抵抗しないまでも、色々と質問してしまうであろうこの状況で、大人しく縛られていたのである。
LV5の相手に対し、おそらくLV1であろう自分の抵抗は無意味であると思ったのであろうか。
もし本当にこれがゲームのオープニングであるならば、謎の美女がこの状況に割って入り、救出してもらえるはずだと思っていたからであろうか。
この状況がリアルに感じられず、夢なんじゃないかと思っていたからであろうか。
一刀の無抵抗には、それらの理由も含まれていたであろう。
だが、最も大きな理由。
それは、一般にゲーオタと称され、そこそこ不良に絡まれ慣れている一刀の処世術であった。
こういう相手は、自分がどんなアクションを起こしても、必ず暴力のリアクションを返してくる。
そのことを一刀は、17年間の人生で嫌と言う程に学んでいたのであった。
だが、例え暴力のリアクションが返ってきたとしても、一刀はここでなんらかのアクションを起こしておくべきであった。
手を縄で縛られ、そのまま馬に引きずられるようにして歩かされる一刀。
その5分後に、本来であれば一刀を救出したであろう、美女達が姿を現したからである。
「ふむ、確かにこの辺りで不穏な気配がしたのだが、気のせいであったか……」
「星殿の読みが外れるなど、珍しいですね」
「なにもないなら、それに越したことはないのですよー」
「それもそうだ。さて、我々も道を急ぐとしよう」
「迷宮都市・洛陽。良い噂は余り聞きませんが……」
「稟ちゃん、虎穴に入らずんば虎児を得ず、なのですよー」
「それは十分にわかっている。風、星殿、行きましょう」
「うむ」「はいー」
後方でそんな会話がなされていることなど、連れ去られた一刀には知る由もないのであった。
途中で鉄格子の檻がついた馬車の一行と合流した3人は、一刀を檻の中に放り込んだ。
そこには同じ境遇であろう、若い男女や幼い子供達が乗せられていた。
だが一刀には、未だにそれをリアルに感じることは出来ていなかった。
なぜなら、その子供達の頭上にも、名前やレベルなどの表示が浮かび上がっていたからである。
そして、縛られて引きずられた手の痛み、無理やり歩かされた足の痛みすらも、リアルには感じられない。
手足の感覚はもちろんあるし、そこに意識を向ければ当然痛む。
だがなんというか、その痛みは『ダメージを受けた』という表現が一番正しい気がする。
つまり一刀には、自分のHP(ヒットポイント)が下がった、という感覚が一番しっくりくるのだ。
自分自身に意識を向けると現れるステータス画面でも、それが正しいことを示すかのようにHPが減っていた。
NAME:一刀
LV:1
HP:15/28
MP:0/0
EXP:0/500
称号:なし
STR:6
DEX:8
VIT:6
AGI:7
INT:7
MND:5
CHR:5
武器:なし
防具:布の服、布のズボン、布の靴
物理防御力:17
物理回避力:9
所持金:0銭
他人のものはHP・MPまでしか浮き上がっていなかったが、自分の分は能力値までが表示されていた。
考えれば考えるほど、ゲームの世界であるように思えてきた一刀は、夢なら覚めてくれと思いながら瞼を閉じたのであった。
一日一度の食事と水で、馬に引かれた鉄格子の檻で運ばれること3日。
辺りの風景も、草原から荒野へと変わっていた。
寝ても起きても変わらない状況に、一刀はようやくこれが夢ではないことを認識した。
だが、ここがゲームの世界であるかどうかの確信は、まだ持てていなかった。
ゲーム雑誌に載っていた事前情報とは異なる展開であったからだ。
このまま都市に連れて行かれ、奴隷として売られて働かされるファンタジーゲームなど、あるとは思えない。
そこまで考えたところで、一刀は無意識のうちに自分自身を主人公だと勝手に思い込んでいたことに気がついた。
確かに主人公が奴隷として隷属する『働きゲー』はないかもしれない。
だが、自分がモブキャラであるならば、話は別だ。
ゲームの序盤で、2,3行だけ登場するようなキャラクター。
それが自分であるならば、この展開にも納得がいく。
(主人公よりも、モブキャラの方が俺には相応だな)
一刀がそう思って苦笑を浮かべた時、同じ檻の中にいた子供が突然叫び声をあげたのであった。
「季衣、どうしたの?! しっかりして!」
見ると、幼い少女達の片割れが、ぐったりとしている。
少女の頭上に浮かび上がっている名前は、赤色に着色されていた。
これは、HP低下の限界を知らせる合図だった筈である。
一刀は、改めて少女のHPを確認した。
NAME:季衣
LV:3
HP:5/53
MP:0/0
(うわ、HP最大値が、こんな子供に負けてる……)
一瞬だけそんなことを考えた一刀であったが、それどころではない。
少女のHPが1/10を切ったことによって昏睡状態に陥ったことが、一刀だけにはわかった。
それというのも、見張りに殴られない程度に檻内でコミュニケーションを取った結果、どうやら彼等には頭上の名前やHPが見えないらしいことを知っていたからである。
つまり、少女がどの程度弱っているのかを正確に知る者は、一刀だけしかいないのだ。
小心者でゲーオタでもある一刀であったが、決して薄情ではない。
そんな一刀に、少女を見殺しにするような真似は、出来るはずもなかった。
一刀は、多少殴られることも覚悟して、見張りに少女の容体を訴えかけた。
「なぁ、あの子の様子がおかしいんだ。なにか回復薬は持ってないか?」
「んなもん、ねぇよ」
「じゃあ、せめて水をくれ」
「うるせぇな、そんな餓鬼の一匹や二匹、死んだって構いやしねぇよ!」
そんな見張りの言葉を聞いた、もう一人の少女の顔色が絶望に染まった。
だが、一刀には事前に得ていたゲームの発売前情報の知識があった。
もしこれが本当にゲームの世界だとすれば、この理屈が通用するはずである。
通用してくれ、そう祈りながら、一刀は見張りの説得にかかった。
「なぁ、アンタ。人買いの親分から、『特に若い女と少女を集めろ』って言われなかったか?」
「……それがどうした」
「理由はわかるか?」
「んなもん、俺には関係ねぇ! さっきからごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
「迷宮に潜る探索者は、条件を満たすと古の神達から『加護』を受けることが出来るようになるんだ。男でも受けられないことはないが、若い女や少女の方が『加護』を受けやすいと言われているんだよ。彼女は見たところ、潜在能力が高そうだ。きっと迷宮都市では高く売れるだろう。アンタの一存でそれを見殺しにしたら、親分に叱責を受けるんじゃないか? なぁ、頼むよ。水だけでいいんだ」
「……ちっ、そらよ! お前が責任を持って面倒みろよ!」
檻の中に放り込まれた水袋を手にし、少女の元に向かう一刀。
水を口に含ませ、自分の服の袖を切って水で湿らせて少女のおでこに乗せた。
「あ、あの、ありがとうございます! 私は流琉、この子は季衣って言います」
「ああ、俺は北郷一刀。よろしくな」
「北郷一刀さん、ですか? ずいぶん長い名前ですね」
「ああ、名前は一刀だよ。北郷は苗字」
「苗字? それってなんですか?」
「あー、まぁともかく、一刀って呼んでくれ。後、見張りを刺激したくないんだ。会話はなるべく控えよう」
「あ、はい、すみません……」
NAME:流琉
LV:3
HP:21/49
MP:0/0
HPが半分を切って、NAMEが黄色く染まっていた流琉も、かなり体調が悪そうである。
そんな流琉にも水を飲んで休むように言うと、一刀は季衣の口に更に水を含ませるのであった。
自分の分の食事も季衣に与えつつ、それから更に3日が過ぎた。
一刀自身は空腹のため『HP:6/28』にまで減ったものの、おかげで季衣は徐々に回復し、ようやくNAMEが白字に戻っていた。
リアルであれば、とても3日間の絶食など耐えられなかったであろう。
だが一刀には、お腹が減ったという感覚すら、どこかデータ的な感じがしていたのだ。
また、NAMEが黄色の状態であった流琉の時と比べても、現状でNAMEが黄色になっている自身の体調は、そんなに悪い様には感じられない。
NAMEが白字の時に比べて、ちょっと痺れてるかな、程度であった。
「兄ちゃん。ボクはもう大丈夫だから、兄ちゃんもご飯食べて」
「そうですよ、兄様。ちゃんと食べないと、死んじゃいますよ」
見張りに咎められないように、こっそりと一刀に訴えかける季衣と流琉。
そんな2人を見て苦笑しながら、一刀は差し出された黒パンを齧った。
その味もやはりデータ的ではあったが、2人の思いやりという調味料がかかっていたせいか、黴の生えかかった黒パンがとても美味しいと感じる一刀であった。
更に幾日か過ぎ、遂に目前に城壁で囲まれた巨大な町が見えてきた。
「……あれが迷宮都市・洛陽か」
「そう、お前等がその一生を終えるまで隷属する町さ」
思わず口にした一刀の呟きが聞こえたのであろう、見張りが言葉を返した。
その言葉を聞いて脅える子供達をみて満足そうにした見張りが、目を前方に戻した。
(なぜか『三国迷宮』で奴隷生活、か。これがVRMMOだったら狂喜したんだけどなぁ)
溜め息をついた一刀と、そんな一刀にしがみ付く季衣と流琉。
彼等を含む新しい奴隷達は、町の入り口で奴隷商人に引き渡され、迷宮都市・洛陽の中へと姿を消したのであった。
一度入ったら二度と出られぬとの噂が立つ、悪名高き迷宮都市・洛陽の中へと……。
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NAME:一刀
LV:1
HP:6/28
MP:0/0
EXP:0/500
称号:なし
STR:6
DEX:8
VIT:6
AGI:7
INT:7
MND:5
CHR:5
武器:なし
防具:布の服、布のズボン、布の靴
物理防御力:17
物理回避力:9
所持金:0銭