時は戦国。古き秩序は崩れ去り、しかしながら新しき秩序が確立していない揺動の刻。
九国最南端に位置する薩摩の国もまた、実力者たちが割拠して覇を競う乱離の相を呈していた。 その薩摩において、最も有力な氏族の名を島津という。
島津氏は、鎌倉幕府を創建した源頼朝から、薩摩、大隈、日向の三国の守護職に任ぜられたほどの有力御家人であり、鎌倉から遠く離れた九国の地を統べる重臣の一人として権勢を揮っていた。
しかし、栄枯盛衰の世にあって、権勢を保ち続けることは困難を極める。一時は薩摩、大隈、日向の三国におよんだ島津氏の領域は、戦国時代を迎える頃には薩摩一国を保つことすらおぼつかないほどに減退してしまっていたのである。
それでも島津家が薩摩において雄なる一族であることに変わりはない。
ことに先々代島津忠良は『島津家中興の祖』といわれるほどの英主であった。
家中の法度を整えることで家臣団を纏め上げ、養蚕などの産業を興して財政基盤を築き、明、琉球との貿易を積極的に行うことで得た富を使って、鉄砲などの武器を買い集め、あるいは領内の街道を整備するなど民政にも意を用いることで、国民の声望を集めた。
そして、その声望を背景として他勢力や、あるいは同じ島津一族の中でも忠良らに敵対する者たちを次々に従えていったのである。時には武威で、時には謀略で、そして時には政略結婚で。
諸般の事情で忠良は若くして隠居せざるを得なくなったが、その子貴久もまた父の才を受け継ぐ優れた領主であり、この親子による薩摩統一は間近であると、薩摩に生きる誰しもが考えていた。
しかし――
「――しかし、薩摩が統一されるためには、なお多くの血が必要となるのである、と」
四半刻の間、ずっと動かし続けていた筆を止めると、俺は思わずほっと息を吐き、肩を揉み解した。
島津の歴史を書に記す作業は、決して退屈でも、つまらなくもないが、さすがにずっと卓に向かい続けていると、肩の血が凝り固まってしまう。ついでに言えば、ここから先は俺自身の生い立ちとも無縁ではなく、苦い思いが沸き出るのが押さえられなかったということもあった。
「颯馬、お茶にするー?」
「そうだな。そうするか」
卓の下から聞こえてきた声に、俺は少し考えた後、同意の頷きを示した。
ちなみに、俺の使っている卓は書き物には適しているが、人ひとりがその下に隠れ潜むほどの大きさはない。赤子であれば、あるいは隠れることはできるかもしれないが、赤子がしゃべれるはずもなし。
では、今の言葉はどこから聞こえてきたのか、と言えば――
「さっきから、良い匂いがしてくるからね。家久がお菓子でもつくってくれてるんじゃない?」
ひょい、という感じで卓の下から顔を出したのは、どことなく愛嬌を秘めた顔の、一匹の猫であった。
猫は賢い動物ではあるが、しゃべることはない。まあ、言うまでもないことだけど。
では、何故、この猫はしゃべることが出来るのか。それはこの猫が、知猫と呼ばれる半ば伝説上の存在だからである――らしい。本人(?)談である。いわく、頭の中に過去のご先祖様の記憶が丸ごと残っており、それらのご先祖の記憶から様々な知識を教わり、時に行動の助言を得るのだとか。
たしかに生まれてこの方、しゃべる猫なんてこのキクゴロー以外に見たことはないので、伝説の存在だと言われても納得できないことはない。もっとも、俺にしてみれば、幼少時からの悪友くらいの感覚しかなかったりする。
「家ちゃんのことだから、俺に気を遣ってくれたかな」
「だね。颯馬は書物を読み書きするときは時間を忘れるから」
キクゴローとそんなことを話していると、間もなく、襖の向こうから足音が近づき、俺の部屋の前でぴたりと止まった。
「お兄ちゃん、家久だけど。入っても大丈夫かな?」
「ああ、家ちゃんに閉ざす襖は持ってないよ。どうぞー」
「あはは、じゃあお邪魔します、と」
元気な声とは対照的に、襖を開く動作は淑やかさを感じさせる丁寧なもので、お茶と茶菓子が載った盆を持って入室する動作も、思わず目を惹かれるほど流麗であった。このあたり、祖父と父から教え込まれた行儀作法が、正しく少女の中に息づいていることが俺にもよくわかった。
「作業の進み具合はどう、お兄ちゃん?」
「ん、順調、かな。明日の朝には終わると思うよ」
俺が言うと、少女――島津家の末姫島津家久は、その円らな瞳を丸くして驚きをあらわす。
「うわ、あの量をもう仕上げちゃったの……って、うわ、卓の上がすごいことになってるよ、お兄ちゃんッ?!」
その声に促され、改めて自分の卓の上を見てみれば、そこには今日まで書き上げた書物が山と積まれている。確かに、一度崩れると収拾がつかなくなるかもしれない。
崩れるくらいなら直せば問題ないが、墨の上にでも落ちた日には、何刻分かの作業が無に帰してしまうだろう。あぶないあぶない。
「相変わらず、お兄ちゃんはすごいねー。私じゃ多分、この半分も無理だよ」
卓の上から下ろした書の量を見て、家久が驚きと呆れを半々にした声で言った。
「そうかな、俺に出来て家ちゃんに出来ないってことはないと思うけど……まあ、単純に俺がこういう作業が好きっていうのもあるのかな」
「んー、ただ好きってだけじゃこれは無理だよー。後で確認するけど、内容の間違いだってきっとないと思う」
その家久の評に、俺は小さく肩をすくめた。
書物を記すことに関しては正確無比。
それがこの俺、天城颯馬に家中で与えられた、ほとんど唯一と言っても良い褒め言葉であった。
古くは宋の時代に生まれたとされる印刷技術によって、様々な書物が幾百、幾千と刷られ、各地に広がるようになってはいたが、それにも限度というものが存在する。京で書かれた書物が、九国に渡るまでにはそれなりの日数がかかるし、それがさらに南の薩摩に届くまでは、更なる時間を必要とする。
これが大陸渡来の貴重な兵書ともなれば、かかる時間は無論のこと、たとえそれが偽書であっても十分に有用なものなのである。
そういった貴重な書物を手に入れ、家中の教育に役立てようという試みをはじめたのは、先々代日新斎様であった。自身、かなりの好学家であった日新斎様は、家中の荒くれ者たちに学問の重要性を説き、自ら教鞭をとって後進の育成に励むことも多かった。
ことに隠居した後、貴久様が名実ともに島津の当主として認められてからは実務の面から身を引いていたため、暇をもてあましたこともあって、より一層、そちらの方面に力を注がれたものであった。
――ちなみに、その日新斎様をして『遠からず出藍の誉れと言われるであろうな』と嘆息せしめた教え子二人のうちの一人は、俺の目の前にいる家久であったりする。
もう一人は誰かといえば、俺の目の前の大量の書物をつくらせた張本人だったりするのだが……
話がそれた。
そういった教育に関して、書物は必要不可欠。俺が書き写した書物や、島津家の歴史を記した書物などは、いずれそういった用の供されることになるのである。
とはいえ薩摩にも印刷技術は当然ある。それなのに、何故わざわざ俺が手で書き写す必要があるのかと言えば――
『ばか颯馬の唯一の特技ですから、それをとりあげるわけにはいかないでしょう?』
とは、俺に命じた某三女の弁である――泣くぞ、しまいには。
心無しか肩を落とした俺を見かねたか、家久が慌てたように口を開く。
「あ、あはは、としねえ、相変わらず容赦ないね……で、でもほら、印刷ってむずかしー漢字とかそのまま写しちゃうじゃない。小さい子供たちには、お兄ちゃんが読みやすいように心がけて書いた本の方がずっと好評だよッ」
一生懸命、俺を立てようとしてくれる家久の思いやりに、思わずほろりとしそうであった。
やはり、この子こそ島津の良心。異論は認めない。
――まあ、義弘あたりにそういえば『それ以前に、自分より年下の女の子に気遣われる我が身の不甲斐なさを何とかしなさいッ!』とどやされそうであるが。
ともあれ、家久の淹れてくれたお茶と、お手製の菓子をいただきながら、なにくれとなく話を続ける。
家久は将来薩摩屈指の美人になること間違いなしの器量良しの女の子であり、その確率を問われれば、おれは迷うことなく十割と断言するだろう。
共に育ったという贔屓目が、その評価に含まれていることは否定しないが、それだけではない。家久にはすでにその可能性を現実にしている三人の姉がいるのだ。
すなわち、薩摩国内に知らぬ者とてない『島津の四姫』である。
その温和の為人をもって個性豊かな妹たちと剛強な薩摩隼人を従える現島津家当主『島津の母』、長女島津義久。
島津屈指の猛将として、若年にしてすでに薩摩はおろか周辺諸国にまでその名を轟かせる『島津の武威』、次女島津義弘。
日新斎様をして「長ずれば、わしなど遠く及ばぬ域に達する」と嘆息せしめた『島津の智嚢』、三女島津歳久。ちなみに先の出藍の誉れ云々のもう一人はこちらである。
そして島津の末姫家久。これまで述べたとおり、直ぐな気性と他者への気遣いを併せ持つ優しさは『島津の良心』と呼ぶに相応しく――同時に、この年齢にして徳、武、智、いずれも三人の姉に迫るものを示す偉器でもある。長ずればどれほどの人物になるのか、日新斎様ではないが、空恐ろしくなる時もあった。
この四人、その才智はもちろんのこと、美貌をもっても知られており、上二人はすでに適齢期を過ぎ――げふんげふん、適齢期の真っ只中におられる。歳久にしても、婚儀の話が出てもおかしくない年齢に達している。それゆえ、薩摩国内はもとより、他国からも婚姻の申し出が殺到していたりするのである。
もっとも、当人たちは少しもその気はないようで、先日などは日向の伊東家からの使者があまりにしつこかったため、義弘が文字通り城からたたき出すという一幕もあった。
実のところ、義久と義弘が今不在なのは、この件も多少影響しているのだが……まあそれは後述しよう。
そして、現在の薩摩島津家を司る四人のことを親しげに語る俺が何者かというと。
キクゴローが首をかしげて問いかけてきた。
「何者なのかにゃ?」
「……えーと、なんだろう?」
一応、俺の父親が日新斎様に仕えており、その死後、後を継ぐ形で俺も島津家の禄を食んでいるので、家臣であるのは間違いない。しかし、家臣というには姫たちとの距離がやたらと短いのは、幼馴染同然に育ってきたゆえである。ただ、そのあたりが君臣の関係にあるまじきこととして、一部の一族から問題視されていたりするのである。
「もっとも、俺自身が大した奴じゃないから、表立っては問題にならないんだけどな」
「芸は身を助けるというけど、無芸も身を助けるんだねー」
キクゴローが暢気に相槌をうつ。それはそれで情けない話ではあるけどなあ。
義弘などは、このことにひどく立腹する。義弘自身が俺を責めるのは良いが、他者が俺を責めるのは我慢ならないらしい。ありがたいような、ありがたくないような。どうせなら本人も、もうすこし俺に対して優しくしてほしいのだが。
そう願望を述べる俺への答え。
「無理だね」とキクゴロー。
「今のままだと無理だねー」と家久。
俺はがくりとうなだれるしかなかった。
まあ半分以上冗談である。正直、一族連中からの誹謗なんぞ歳久に詰られる十分の一も応えないから、どうでも良いのである。むしろ、連中を見返すために努力するとか、その方がよっぽど苦行だ。
そんな俺を見る家久の顔に苦笑が浮かぶ。
「きっとひろねえは、お兄ちゃんのそういったところが我慢できないんだと思うよ。『颯馬が本気を出せば、あんな奴ら、簡単に見返せるのに』って口癖みたいに言ってるもん」
「今度、あいつに買いかぶりという言葉の意味を教えてやらないといけないな」
そう言って肩をすくめる俺に対し。
――家久は不意に奇妙に奥深い笑みを向けてきた。
「……ほんとに、買いかぶりなの、お兄ちゃん?」
眩めくような家久の笑みは、この時、妖艶ささえ感じさせ、まるで一気に十歳くらい年齢を重ねたように、俺の目には映った。
「……家ちゃん?」
「んー? どうしたの、お兄ちゃん。なんか変な顔してるよ?」
だが、次の瞬間にはいつもの家久の笑みがそこにあった。一瞬前の奥深い笑みはどこにも見当たらない。
長時間、字を追いかけ続けていたので、目が少し疲れていたのかもしれない。俺はそう考えて、自分を納得されることにした。
そう。気付かれているはずはないのである。
父親から受け継いだ俺の役儀のことを知るのは、貴久様亡き後は日新斎様お一人であるのだから……