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No.10186の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~  【第一部 完結】 【その他 戦極姫短編集】[月桂](2010/10/31 20:50)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(一)[月桂](2009/07/14 21:27)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(二)[月桂](2009/07/19 23:19)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(三)[月桂](2010/10/21 21:13)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(四)[月桂](2009/07/19 12:10)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(五)[月桂](2009/07/19 23:19)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(六)[月桂](2009/07/20 10:58)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(一)[月桂](2009/07/25 00:53)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(二)[月桂](2009/07/25 00:53)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(三)[月桂](2009/08/07 18:36)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(四)[月桂](2009/08/07 18:30)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(一)[月桂](2009/08/26 01:11)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(二)[月桂](2009/08/26 01:10)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(三)[月桂](2009/08/30 13:48)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(四)[月桂](2010/05/05 19:03)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/09/04 01:04)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(一)[月桂](2009/09/07 01:02)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(二)[月桂](2009/09/07 01:01)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(三)[月桂](2009/09/11 01:35)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(四)[月桂](2009/09/11 01:33)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(一)[月桂](2009/09/13 21:45)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(二)[月桂](2009/09/15 23:23)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(三)[月桂](2009/09/19 08:03)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(四)[月桂](2009/09/20 11:45)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(五)[月桂](2009/09/21 16:09)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(六)[月桂](2009/09/21 16:08)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(一)[月桂](2009/09/22 00:44)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(二)[月桂](2009/09/22 20:38)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(三)[月桂](2009/09/23 19:22)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(四)[月桂](2009/09/24 14:36)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(一)[月桂](2009/09/25 20:18)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(二)[月桂](2009/09/26 13:45)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(三)[月桂](2009/09/26 23:35)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(四)[月桂](2009/09/30 20:54)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(五) (残酷表現あり、注意してください) [月桂](2009/09/27 21:13)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(一)[月桂](2009/09/30 21:30)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(二)[月桂](2009/10/04 16:59)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(三)[月桂](2009/10/04 18:31)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/10/05 00:20)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(四)[月桂](2010/05/05 19:07)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(五)[月桂](2010/05/05 19:13)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(六)[月桂](2009/10/11 15:39)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(七)[月桂](2009/10/12 15:12)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(八)[月桂](2009/10/15 01:16)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(一)[月桂](2010/05/05 19:21)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(二)[月桂](2009/11/30 22:02)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(三)[月桂](2009/12/01 22:01)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(四)[月桂](2009/12/12 12:36)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(五)[月桂](2009/12/06 22:32)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(六)[月桂](2009/12/13 18:41)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(七)[月桂](2009/12/19 21:25)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(八)[月桂](2009/12/27 16:48)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(九)[月桂](2009/12/30 01:41)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十)[月桂](2009/12/30 15:57)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/01/02 23:44)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十一)[月桂](2010/01/03 14:31)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十二)[月桂](2010/01/11 14:43)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十三)[月桂](2010/01/13 22:36)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十四)[月桂](2010/01/17 21:41)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 筑前(第二部予告)[月桂](2010/05/09 16:53)
[60] 聖将記 ~Fate/stay night~ [月桂](2010/01/19 21:57)
[61] 影将記【戦極姫2発売記念】[月桂](2010/02/25 23:29)
[62] 影将記(二)[月桂](2010/02/27 20:18)
[63] 影将記(三)[月桂](2010/02/27 20:16)
[64] 影将記(四)[月桂](2010/03/03 00:09)
[65] 影将記(五) 【完結】[月桂](2010/05/02 21:11)
[66] 鮭将記[月桂](2010/10/31 20:47)
[67] 鮭将記(二)[月桂](2010/10/26 14:17)
[68] 鮭将記(三)[月桂](2010/10/31 20:43)
[69] 鮭将記(四) [月桂](2011/04/10 23:45)
[70] 鮭将記(五) 4/10投稿分[月桂](2011/04/10 23:40)
[71] 姫将記 & 【お知らせ 2018 6/24】[月桂](2018/06/24 00:17)
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[10186] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(六)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/12/13 18:41


 甲斐の国は四方を山に囲まれた山間の国である。
 自然、その主な産業は山林を資源としたものとなる。それは林業であり、あるいは紙の原料となる楮(こうぞ)・三椏(みつまた)の栽培なども盛んに励行されていた。また金をはじめとした鉱物資源も豊富であり、それらの採掘も甲斐を治める勢力の重要な収入源となっている。
 だが一方で、山国の悲しさ、甲斐は耕地面積が極めて少なく、それが国力の伸張を妨げる大きな要因ともなっていた。
 甲斐の国で耕作に適する土地といえば、ひとつ甲府盆地のみ。そこを除けば、耕作に適する土地はごくごく限られており、また甲府盆地そのものも複数の河川が入り混じり、水害の絶えない土地柄であった。自然、農耕の発展には限界が存在したのである。


 農耕は国の基である。どれだけ多くの金を産出しようと、領民の腹は膨れない。友好国から買い入れるという方法もあったが、この戦乱の世にあって、糧食がどれだけ重要なものかは言うまでもあるまい。
 戦に備えるためにも、飢饉に備えるためにも食料は不可欠であり、よほどの豊作に恵まれでもしないかぎり、他国に多量の食料を売り払うことはありえなかった。
 戦乱の世にあって小勢力であり続けることは、他国に併呑されるのを待つに等しい。
 それを避けたいのであれば、国を大きくする他に術はない。だが、限られた土壌しか持たない甲斐の国は内治によってそれを為すことが出来ぬ。ゆえに、その勢力を広げるためには、外に向かうしか手はなかったのである。




 甲斐守護となった武田信虎が国外へ踏み出したのは、当人の野望は無論あったにせよ、そういった甲斐という国が抱える宿命的な問題も無関係ではなかった。隣国への侵略は、同時に国を保つための手段でもあったのである。
 そして、そうである以上、負けることは許されぬ。そのためには、甲斐が一丸となって敵にあたる必要があり、そのためには守護が従来のように国人衆に左右されるような柔弱な存在でいてはならない。それが信虎の考えであった。
 かくて、信虎は中央への権力の集中に取り掛かる。無論、国人衆の反発は覚悟した上でのことであった。
 
  
 元々、甲斐は国人衆の自立意識が高い国であり、信虎の改革が思うように進まなかったのは、ある意味で予想されたことでもあった。信虎は時に理を説き、時に威を見せつけ、そして時に利を与えながら、これらの反抗を丹念に潰していき、徐々にその力を拡げて行く。
 同時に信虎は隣国の信濃、あるいは駿河の今川、相模の北条らとも進んで干戈を交えた。信濃は群小の国人衆が乱立している状態であり、相対的に武田は強国であった。だが、今川と北条はそうではない。すでに自国をしっかりと治め、他国に矛先を向けるだけの兵と国力を有している家である。
 信虎としても、この両家を敵にまわすことは避けたいところであったが、しかし両家にとって甲斐の金鉱は垂涎の的であり、その野望を挫くためにも、実力をもって両国に『武田侵し難し』と知らしめる必要があった。
 かくて信虎は、両家の機先を制し、戦端を開いたのである。


 隣国すべてを敵にまわす信虎の方策は、必然的に武田家に絶え間ない戦の日々を送らせることとなる。
 信虎の武勇は際立っており、戦は武田家の有利に進められることが多かったが、それらの戦で費やされる財貨、兵糧、人命は膨大なもので、その全てを補うだけの戦果を掴むことは、いかに信虎といえど難しかった。
 度重なる出陣を命じられる国人衆や、領民の口から主君への怨嗟の声があがりはじめたのは必然であった。その声の中に、他家の謀略が混じっていることも、予測してしかるべきであったろう。


 家臣の中にはこの状況を憂慮して信虎を諌める者もいた。しかし、信虎は家臣たちの諫言に耳を貸すことはなく、国内の怨嗟の声に耳を傾けることもなかった。
 信虎は言う。
 甲斐にとって、戦は国を拡げる唯一の道であり、今、矛先を鈍らせれば、遠からず他国の侵略を受けることになるのは明白である。国力に劣る国が、一度、防戦にまわってしまえば挽回は容易ではない。そうならないためには、あくまで先手を取り続ける必要があるのだ、と。
 無論、甲斐一国をもって四方すべてを征服できる筈もなく、今川家と北条家とは和するに越したことはない。
 だが、戦は機先を制した方が有利であるが、講和は最初に口にした方が立場が弱くなる。ここで甲斐が講和を口にすれば、講和せざるをえないほどに国内が苦しいのだと公言するに等しい。
 ゆえに、今は止まらぬ。今後、争いを続けるにせよ、和を選ぶにせよ、それは敵国がそれを口にしてから後に考えるべきことなのである。
 今、国内の民や将兵が苦しんでいるからと態度を軟化させれば、それは数年の後、敵国による甲斐の蹂躙という形で報われることになるであろう――


 智は以って諫を拒むに足る。
 信虎の理路整然とした言い分を覆すことができる者は甲斐にはおらず、諫言を口にした諸将は赤面して引き下がることになる。彼らの多くは、信虎がここまで明確な展開を内包して事にあたっているとは思ってもいなかったのだ。
 かくて、信虎は攻勢を緩めることなく、さらに他国との争いに狂奔していくことになる。


 そして、その信虎の傍らで、犀利な眼差しで状況を俯瞰する人物の姿があった。
 信濃小県郡を領していた真田家当主、真田幸隆である。



◆◆



 真田家の所領である信濃小県郡は、幸隆の父の代に他家に奪われ、真田家は一族をあげて甲斐へ逃れてきた。
 信虎は、真田の一族が幸隆をはじめ優れた人物を多く擁することをすぐに見抜き、これを自分の勢力に取り込むために破格の待遇を与えた。
 すなわち甲府に屋敷を与え、小県郡にかわる領土を信虎の直轄領から割き与え、軍議にも真田家の席を用意したのである。これは板垣や甘利といった武田家譜代の重臣に優るとも劣らぬ厚遇であり、家中には信濃の小領主に過ぎなかった真田家をどうしてこれほどまでに厚遇するのか、との声が流れたほどであった。
 幸隆はこの信虎の厚遇に感激し、全身全霊をもって信虎に仕えることを誓約し、また一族や家臣にも武田の恩を忘れることなかれ、と事あるごとに訓戒するようになる。


 以後、幸隆は信虎の智嚢となって数々の建策を行い、信虎の統治を磐石ならしめんがため、東奔西走することになる。それはすなわち、信虎の政軍両面における行動のほとんどが、幸隆が絵図面を引いたものであったということ。
 信虎は薄い笑みを浮かべながら口を開く。
「どうしてわしが他国との戦をやめなんだか、理解できたか? 他国と戦をすれば、人と物の費えはおびただしく、国内は疲弊する。当然、わしの力も衰えるが、その分は占領した領土から吸い上げれば、何とでもなる。より重要なことは、いずれ敵となる甲斐国内の国人共の勢力を削ぐことが出来るということよ。戦えば戦うほどに連中の家から人と物が失われていく。つまり、遠からず起こる彼奴らとの戦が楽になっていくのだ。諫言なんぞで戦を止める筈もなかろう。それを見抜く者どももおったが、なに、拒むなら拒むで一向にかまわんかったのだ。兵を出さぬと連中が言えば、それは守護に対する叛乱じゃ。討伐の格好の口実になったからの」


 やがて、信虎に従う甲斐の国人衆の間に深刻な不安と、そして不満が広がっていく。
 戦に次ぐ戦。叛乱に次ぐ叛乱。このまま信虎を当主として据え続ければ、止むことのない戦によって、自らの家が滅びに瀕するであろうことは、国人衆にとって火を見るより明らかであった。
 また、その中には、板垣や甘利といった武田家の譜代ともいうべき家々も含まれていた。彼らは武田家の臣であると同時に、それぞれの家の当主であり、自家を守る責務を負っている。このまま武田家の舵取りを信虎の恣意に委ねていては、武田家は遠からず滅亡の秋を迎え、彼らの家は劫火の中に消え去ってしまうであろう。
 武田信虎、除くべし。
 その一念のもと、反信虎勢力が急速に勢いを増していった。
 そして、しばらく後。
 信虎と、その反勢力の間で戦端が開かれ、『躑躅ヶ崎の乱』がその幕を開けた時。
 真田家は、信虎ではなく、その反対陣営に名を連ねていていたのである。


 真田家の悲願は信濃の旧領奪回である。
 だが、中央集権を志す信虎の政策上、功績のあった配下に領土を与えるというこれまでのような恩賞は期待できない。甲斐で真田家に与えられた領土は一族を養うためのものであり、これ以上の所領を信虎が割き与えるとは考えにくかったのである。
 また、この頃には信虎と幸隆の間には政策を実現していく上での対立が浮かび上がりつつあった。正確にいえば、対立というよりは、信虎が幸隆を疎んじはじめた、といった方が事実に近いだろう。幸隆の優れた智謀を高く評価していた信虎だが、身近でその才を示されるほどに、今度はその才知を敵にまわした場合への警戒の念を募らせていったようで、一日、重臣会議の席上、自身の策を信虎に痛烈に面罵され、のみならず顔面を打ち据えられた幸隆は、粛清の危険をまざまざと感じ取り、その身を反信虎勢力に預けたのである――



「――苦肉の策、埋伏の毒。三国の昔より使い古された手ではあるがな。さすがは幸隆というべきか、うまくやりおったよ」
 信虎の口から、その言葉がもれた時、幸村は脇腹の傷口を押さえながら、奥歯を強くかみ締めた。
 傷の痛みは大したものではない。それよりも、信虎の長広舌の方が、幸村の神経をより強く逆撫でする。
「後は言わずともわかろう。幸隆は晴信に与すると見せて、わしに都合の良いように戦況を操ってのけたのよ。板垣、甘利、原、他にもどれだけおったかな、彼奴ら裏切り者どもをわしが誅することが出来たのは、幸隆がそのお膳立てをした為じゃ。最後の詰めで誤らなければ、今頃はわしの重臣として栄華をほしいままにしておったろうにの。そうならなんだことは、真田の小娘、うぬにとっても残念なことであったな」
「だ、誰が、そのようなことを思うかッ、貴様のような者を主君と仰ぐなどおぞましいことこの上ないッ!」


 信虎は幸村の激昂に、薄笑いで応じる。
「おぞましい、か。だが、今貴様が主君と仰ぐ者は、この計略を見抜き、貴様の一族の多くを殺してのけたのじゃぞ。その者の下につくことは肯えるのか?」
 信虎の声音は、どこか楽しげでさえあった。幸村の直ぐな感情に、汚泥を塗りたくるのが楽しくて仕方ないとでも言うように。
 だが、それと悟ってなお幸村は表情を強張らせてしまう。
 当時、幸村はまだ将として戦場に立つことすら許されておらず、真田の屋敷を姉と共に守っていただけだったが、幸隆が信虎から離れたことで、家中に混乱が生じたことは記憶している。その混乱は、躑躅ヶ崎の乱終結後も後をひき、結果として信之の命を縮める一因ともなってしまった。
 もし、あの時、祖父や父が信虎の言う謀計を秘めて動いていたのだとしたら――幸村は直情的ではあるが、物事の本質への理解は速い。信虎の語る状況は、十分に有り得ることと判断できた。
 しかし、もし信虎の言うとおりだとすると――


 信虎の笑みが一段深くなる。
「気付いたな。幸隆が、事破れたりと深傷を負って躑躅ヶ崎館に戻って間もなくであった。晴信の軍が躑躅ヶ崎館に押し寄せてきよったのはな。要害寺山であれだけ痛めつけてやったすぐ後に、寄せ集めの兵どもをあそこまで見事にまとめあげるとは流石に予想できなんだが、それでも戦らしい戦をしたことのない小娘に、わしが負ける筈はなかった――昌幸やうぬらの身を質に、晴信が幸隆に内応の手引きを強いていなければのう」
「な、なにを……」
 幸村の呆然とした声が聞こえぬように、信虎の口は得々と動き続けた。
「卑劣とは言うまい。むしろ、さすがはわしの娘と感心したわ。幸隆は館の門を開けたが、最後の忠誠であったのだろうな、わしを逃がすために討死しおった。事実を知る昌幸も何故かは知らぬが死んだらしいのう。そうして、うぬの姉も死に、晴信の命により、うぬが真田の主となったわけじゃが――どうじゃ、姉の死の前、晴信から薬か、気付けの食べ物でも届けられたのではないか?」


 届けられた。
 半ば呆然としながら、心中で幸村は呟いた。典医の永田徳本が処方したという薬を、姉が君寵に感謝するように押し頂いていたことを思い起こす。
 もっとも、晴信が配下に薬を与えるのはめずらしいことではなかったが……悪意をもって見れば、信之の若すぎる死に、晴信が関与していたという見方も成り立とう。
 そして、信虎の言葉は悪意を混ぜて毒虫と化し、耳から入って幸村の心身をかき乱す。
 信虎の言葉を否定できるだけの材料がない以上、幸村がみずから信虎から注がれる毒をはらうことは出来ない。
 自然、その眼差しは晴信へと向けられた。
 晴信がただ一言『戯言を』というだけで、幸村の迷いは霧散するに違いなかったからである。


 慧敏な晴信のこと、それと悟らぬ筈がない。しかし、その口が開かれることはなかった。
 信虎の言葉が、真実であるゆえに反論することが出来ないのか。
 あるいは、語るにも値しないと切り捨てているだけなのか。
 混乱した幸村には、その区別さえつけられない。今も傷口をおさえる手の間から零れ落ちている血と共に、気力までが幸村から失われつつあるように思われた。


 信虎は、その晴信を見て、かすかに目を細めた。
「ふん、まだ無言か。策を秘めているようにも見えぬが、まあ良い。どの道、晴信、うぬには父にそむいた報いを、その身に刻みつけてやらずばならんのだからな」
 そう言った後、信虎はわすかに怪訝そうに館外の気配を探った。
「……遅いのう。館を制してから、と思っておったのだが……」
 そうして、信虎はもう一度言った。
 『まあ良い』と。




◆◆





 信虎の口から低い笑声がもれた。
 瞬間。
 信虎の態度が豹変する。
「ふ、ふふ、さすがに、これ以上は難しい、か」
 くつくつと笑うその声に、悪寒を覚えたのは、一人幸村だけではなかった。周囲で固唾をのんで状況を見つめる真田の兵、そして信虎の私兵までが、そこに込められた毒気を感じ取って身を震わせる。
 周囲の気温がにわかに数度下がったように思われた。その凍りついた空気の中、信虎はその内に淀んだ暗い感情を迸らせる。
「くく、長かった、長かったぞ、晴信。うぬを組み敷き、犯し、わしのものとする。ふ、ふ、国盗りなぞ、そのついでに過ぎぬが、物事には順序というものがある。うぬが築き上げたもの、そのすべてを否定した上で撫抱してやろうと思っておったのじゃが……くく、くあっははははァッ! もう我慢できぬッ! 晴信、うぬをこうして目の前にしてはなッ!」


 その狂笑を聞いた幸村は、呻きながらも身体を起き上がらせようとする。言葉の内容もさることながら、そこに込められた、向ける対象を押しつぶすかのような狂える気組みに、武人としての本能が反応した。
 信虎という男が、殺さなければこちらが殺される類の相手である、ということはとうに理解していた。だが、その理解でさえ浅いことを、幸村は理屈ではなしに感じ取ったのである。
 皮肉にも、そのことが、幸村を一時的に混乱から立ち直らせた。
 腹の傷など気にしてはいられない。先刻信虎が投じた愛槍を手元に引き寄せ、主君を守るために立ち上がろうとする。
 が。



「のろいわ、たわけ」
 いつのまに近づいていたのか。幸村の眼前に立った信虎は、驚愕をあらわにする幸村の腹を無造作に蹴り上げた。刀を抜く必要もない、と言わんばかりに。いまだ血が止まらぬ傷口をえぐるように。
「くあああッ!」
 たまらず身体を折った幸村だが、それでも槍から手は離さない。のみならず、激痛を堪え、なおも槍を揮おうとした幸村の行動は、武人として称賛に値するものであったろう。
 しかし、そんな態勢で繰り出した一撃では、相手の影さえ捉えることが出来ぬ。
 信虎が冷めた表情で幸村の一撃をかわすと、踏ん張ることが出来ない幸村の身体が、信虎に向かって倒れ掛かる。




 もし、信虎が刀を抜けば、容易く幸村は斬り捨てられていただろう。
 晴信の手が、それとわからないくらいに小さく動き。
 館の影から、ほんのかすかな物音が響いた――誰にも気付かれないくらいにかすかに。




「犬の忠誠よな。ふん、幸隆もあの世で嘆いておろうよ。この程度が真田の後継ぎとあってはな」
 右の手で幸村の首を握った信虎は、腕の力だけで幸村の身体を地面から浮かび上がらせる。
「が……あ」
 呻き声をもらしながら、幸村は信虎の束縛から逃れようとするが、悠然と立つ信虎は巌のごとく揺るがない。なおも腕の力を強め、幸村を縊り殺さんとする。
「……ぁ」
 がたり、という重い音は、幸村が槍を地に落とした音であった。
 


 その音が、真田の兵たちの呪縛を解く。
 主の危機を前に、居竦まっていた者たちは、悪夢から覚めたように武器を構え直し、口々に怒りの声をあげて動き出そうとする。
 それに呼応するように、信虎の私兵もまた動き出す。
 信虎は幸村の身体を地面に叩きつけると、苦痛の声を楽しむかのように腹を踏みつけ、真田の兵を挑発するために、ゆっくりと腰の刀を抜き放った。
「晴信を犯すにも見物人がいると思うて殺さなんだが、いい加減、わずらわしゅうなったわ。部下ともども果てよ、犬」
 信虎が嘲りの表情を浮かべ、言い放った、その時。 


「……ならば六文銭代わりだ、うけとれ」
 幸村の手が、中庭に敷き詰められていた砂利の一片を掴み取り、信虎の右の目に向けて投じた。



 印地――石を投擲に用いる戦闘技術であり、狩りを好む幸村はこれに熟達していた。もっとも、常の戦で用いることはないため、そのことを知る者はほとんどいない。足軽ならば知らず、印地打ちは武士の戦い方に非ず、というのが幸村の考え方であった。
「ぐぬッ?!」
 幸村の投じた礫(つぶて)は正確に信虎の右目を捉え、はじめて信虎の身体がぐらりと揺れる。刀を持たない左の手で右の半面を押さえた信虎の指の隙間から、濁った赤色の筋がいくつも垂れ落ちてくる。


 誰もが、好機、と思った次の瞬間。
「く、ふふ、やるではないか、犬」
 信虎は奇妙に嬉しげに聞こえる声を発し、さらに全身の力を込め、幸村の腹を踏みにじったのである。
「ああああ、ッく、がああああッ?!」
 あまりの激痛に耐えかねた幸村の口から絶叫が迸る。
 身をよじって逃れようとするが、信虎は巧みに足を動かし、幸村が逃れることを許さない。
 その挙句。
「やめじゃ。殺すのはやめじゃ。そちらで転がっておれ。うぬには、死よりも辛きことがあるということ、教え込んでやろう。晴信や、氏真ともどもな」 
 鞠でも蹴るように、信虎は幸村の身体を蹴り飛ばしたのである。
 一見、無造作な動作に見えたが、幸村の身体が宙を飛び、中庭の隅まで転がっていくだけの力がこもっていた。


 武田が誇る六将の一、雷将真田幸村が、襤褸(ぼろ)のように地面に倒れ付す光景など、誰が想像しただろうか。
 戦場における幸村の武勇を誰よりも知る真田の兵たちにとって、その光景は信じ難いものだった。怒りの気持ちさえ、思わず零してしまうほどに。
 だが、呆けたように見守る部下たちの前で、なおも幸村は抵抗の意思をあらわにする。
「ぐ、く……」
 あれだけの暴虐をうけて、なお、真田の当主は意識を手放すことはなかった。口の端から血をこぼしながら、その視線はかわらず信虎へ据えられている。
 その主の姿を見て、奮い立たない者がどこにいようか。
 幸村の視線に気付いたのだろう。信虎は楽しげに哂ってみせた。
「ふん、その顔に汚物をなすりつける時が楽しみであるが、今はこれ以上、うぬの相手はしていられぬわ……ぬ?」


 周囲の真田の兵たちの気配が変わったことに気付いたのだろう。信虎は半面を血で赤く染めながら、壮絶な笑みを浮かべた。その様は、あたかも血に酔っているかのようで、その異様な迫力は歴戦の将兵をすら戦慄させる。
 だが、幸村の気概を見せられた兵たちは動きを止めることはなく、今度こそ両者の間で斬り合いが始まるかと思われた――その時であった。



「――下がりなさい」



 静かな、それでいて威が込められた声が、この場にいる者たちの耳に響き渡る。
 真田の兵の顔から、拭われたように殺気が消えていく。人の上に立つことに慣れた者が発する令は、ただ一語で戦場の理さえ退けるのか。



「ほう、ようやく天の岩戸を開く気になったか――晴信」
 信虎の顔に浮かび上がった感情を、あえて一語であらわすならば、歓喜であったろうか。




◆◆




 信虎は、悠々と歩を進め、晴信の前に立ち、ねぶるような視線を晴信の身体に向ける。
「こうして向かい合ったは、先の戦以来か。ふむ、すこしは女らしゅうなったか」
 言いながら、信虎は己の血で染まった左手で、晴信の頬を撫ぜる。
 息をのむ音が各処からあがった。常の晴信であれば、決して許す筈のない暴挙であったからだ。
 しかし、血化粧を強いられた晴信は、眉一つ動かさず、信虎のなすがままを受け入れていた。
「しかし、母に似てきたのは良いが、生娘臭さは抜けぬな。あの時、おとなしゅうわしに春を捧げておれば、今頃は閨の喜びを身体中に刻み付けることが出来ていたであろうに、惜しいことよ」
 晴信は鎧甲冑を身に付けずにこの場に現われていた。信虎の視線は晴信の胸や腰に向けられ、あまつさえ、その手を伸ばすことさえしたのである。


 言語に絶する、その無礼。
 武田晴信に触れて良いのは、武田晴信が許したものだけである。
 幸村は知っていた。晴信は湯浴みの手入れ一つとっても、他者が身体に触れることを許さない。それは性別も身分も、親疎の差さえ関係なく、すべての相手に共通する。
 それなのに。
「……お、御館様」
 晴信は、信虎の手が、己の身体を蹂躙しようとすることを拒まない。
「……御館様」
 その口が開いたのは、先の一言だけ。
 実の父とはいえ、あれだけの無礼を働かれて黙っているあの人は、本当に自分が尊敬する武田家当主であるのだろうか。
 過ちを知らず、為さざることはなく、常に冷静沈着。
 その気、世を覆い、その力、山を抜く。史書にそう記された古の英雄でさえ、武田晴信の前には膝をつこう。戦国の世を終わらせるは、あの御方の他になし。そう信じて疑わない主君が、今、眼前でありえざる姿を見せている。
 幸村の視線の先で、信虎の左の手が力任せに晴信の上衣を掴み、引きちぎるように剥ぎ取ってしまう。
 月もかげる躑躅ヶ崎館の中庭に、輝くような晴信の肌があらわになり、獣欲をあらわにした信虎が、その身体を覆おうとする。


 何故。
「御館様ッ!」
 どうして。
「御館さまァッ!」
 黙っておられるのですか。
「御館さまァァァァァッ!!!」



 幸村の絶叫に、それでもなお、晴信は応えなかった。







「――さすがに、これ以上は見てられん」





 
「……え?」
 だから、そう応えたのは晴信以外の人で。
「ぬッ?」
 その声にわずかに遅れて、信虎に何やら投げつけたのも晴信以外の人で。
「ち――なんじゃ、これは……ぐ、塩か、これは?!」
 あろうことか、貴重品である塩の塊を投擲し、払いのけようとした信虎に塩を浴びせたのも、晴信以外の人で。




 
「――道化だと、わかってはいても、な」





 そう言って、中庭に姿を見せた者の名を、幸村は知っていた。



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