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No.10186の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~  【第一部 完結】 【その他 戦極姫短編集】[月桂](2010/10/31 20:50)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(一)[月桂](2009/07/14 21:27)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(二)[月桂](2009/07/19 23:19)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(三)[月桂](2010/10/21 21:13)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(四)[月桂](2009/07/19 12:10)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(五)[月桂](2009/07/19 23:19)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(六)[月桂](2009/07/20 10:58)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(一)[月桂](2009/07/25 00:53)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(二)[月桂](2009/07/25 00:53)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(三)[月桂](2009/08/07 18:36)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(四)[月桂](2009/08/07 18:30)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(一)[月桂](2009/08/26 01:11)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(二)[月桂](2009/08/26 01:10)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(三)[月桂](2009/08/30 13:48)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(四)[月桂](2010/05/05 19:03)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/09/04 01:04)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(一)[月桂](2009/09/07 01:02)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(二)[月桂](2009/09/07 01:01)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(三)[月桂](2009/09/11 01:35)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(四)[月桂](2009/09/11 01:33)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(一)[月桂](2009/09/13 21:45)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(二)[月桂](2009/09/15 23:23)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(三)[月桂](2009/09/19 08:03)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(四)[月桂](2009/09/20 11:45)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(五)[月桂](2009/09/21 16:09)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(六)[月桂](2009/09/21 16:08)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(一)[月桂](2009/09/22 00:44)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(二)[月桂](2009/09/22 20:38)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(三)[月桂](2009/09/23 19:22)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(四)[月桂](2009/09/24 14:36)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(一)[月桂](2009/09/25 20:18)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(二)[月桂](2009/09/26 13:45)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(三)[月桂](2009/09/26 23:35)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(四)[月桂](2009/09/30 20:54)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(五) (残酷表現あり、注意してください) [月桂](2009/09/27 21:13)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(一)[月桂](2009/09/30 21:30)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(二)[月桂](2009/10/04 16:59)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(三)[月桂](2009/10/04 18:31)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/10/05 00:20)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(四)[月桂](2010/05/05 19:07)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(五)[月桂](2010/05/05 19:13)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(六)[月桂](2009/10/11 15:39)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(七)[月桂](2009/10/12 15:12)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(八)[月桂](2009/10/15 01:16)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(一)[月桂](2010/05/05 19:21)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(二)[月桂](2009/11/30 22:02)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(三)[月桂](2009/12/01 22:01)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(四)[月桂](2009/12/12 12:36)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(五)[月桂](2009/12/06 22:32)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(六)[月桂](2009/12/13 18:41)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(七)[月桂](2009/12/19 21:25)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(八)[月桂](2009/12/27 16:48)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(九)[月桂](2009/12/30 01:41)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十)[月桂](2009/12/30 15:57)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/01/02 23:44)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十一)[月桂](2010/01/03 14:31)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十二)[月桂](2010/01/11 14:43)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十三)[月桂](2010/01/13 22:36)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十四)[月桂](2010/01/17 21:41)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 筑前(第二部予告)[月桂](2010/05/09 16:53)
[60] 聖将記 ~Fate/stay night~ [月桂](2010/01/19 21:57)
[61] 影将記【戦極姫2発売記念】[月桂](2010/02/25 23:29)
[62] 影将記(二)[月桂](2010/02/27 20:18)
[63] 影将記(三)[月桂](2010/02/27 20:16)
[64] 影将記(四)[月桂](2010/03/03 00:09)
[65] 影将記(五) 【完結】[月桂](2010/05/02 21:11)
[66] 鮭将記[月桂](2010/10/31 20:47)
[67] 鮭将記(二)[月桂](2010/10/26 14:17)
[68] 鮭将記(三)[月桂](2010/10/31 20:43)
[69] 鮭将記(四) [月桂](2011/04/10 23:45)
[70] 鮭将記(五) 4/10投稿分[月桂](2011/04/10 23:40)
[71] 姫将記 & 【お知らせ 2018 6/24】[月桂](2018/06/24 00:17)
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[10186] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(四)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/12/12 12:36

「御館様も酔狂なことを。武田家の浮沈がかかった今この時に、何故貴様らのような輩を館に留めておくのか」
 俺を前にそう吐き捨てるように言ったのは、晴信から躑躅ヶ崎館防衛のみならず、今回の戦の総指揮を委ねられた真田幸村である。
 紫を基調とした質素な戦装束に身を固め、こちらを見据える視線は、物理的な圧迫感さえ感じさせるほどに鋭く、そして警戒心に満ちていた。実際、それと気付かれないようにはしているが、俺たち上杉家の主従の行動には、絶えず真田の忍が目を光らせているのである。
 だが、それを段蔵から知らされた時も、俺は別に驚きはしなかった。つい先日までは互いを宿敵と目していた武田と上杉である。状況が変わったとはいえ、昨日の敵は今日の友と割り切れる者ばかりではないのは当然で、むしろ幸村のように真っ向から感情をぶつけてくれた方がよほどすっきりするというものである。
 嫌いな人間に、お前は嫌いだと言うあたり、案外兼続と幸村は話が合いそうな気もする俺であった。



 俺としても、無用の騒動を起こしたくて留まったわけではない。
 だが、正直なところ、守将が幸村であると知ってからこちら、嫌な予感が脳裏を離れなかった。
 武田の雷将の才を否定するつもりは無論ないが、今回の戦に幸村を充てるのは、かなり賭けの要素が強いのではないか。
 野戦で真っ向から部隊をぶつけあうなら知らず、篭城戦、しかも謀略と策略が入り混じるような戦は、直情径行の幸村が最も不得手とするものであろう。もっとはっきり言えば、幸村では信虎の相手は務まらないのではないかと俺は危惧しているのである。



 とはいえ、そんなことを面と向かって言い放てば、即日甲斐からたたき出されることは明白であった。
 信虎を確実に討つためにも、そんな事態は避けなければならない。まあ上杉軍の将兵がいない以上、俺がいたところで大した力になれるわけでもないのだが、甲府には晴貞もいるのだし、町に被害が出るのを防ぐ手立てくらいは考えることが出来るだろう。
 そして、今のところ最も急を要するのが、件の難民たちであった。
 現在、躑躅ヶ崎館の責任者は幸村であり、この事態に対処する責任も幸村の双肩にかかっている。その事実を示すかのように、晴信は館の中で黙して語らず、幸村がどのように事態を処理するのかをじっと見つめているようであった。
 その主君の様子に気付かない幸村ではない。
 戦に長けるだけが将ではない、と常々晴信から諭されている幸村は、晴信に頼らずにこの状況を収めねばならなかったのである。


 俺たちはその手伝いを買って出たわけだが、案の定というか何と言うか、幸村にけんもほろろに断られてしまった。
 曰く「甲斐の民は武田の臣が守る。余計な手出しは無用」とのこと。それを言われてしまえば、こちらとしても引き下がらざるをえない。たとえばこれが越後での出来事であれば、多分俺も武田の手伝いは遠慮しようとするだろう。そう思えば、幸村の言い分はわからないわけではなかった。


 幸村は口先だけの将ではない。すぐに事態を収拾するために行動に移っていた。
 甲府の豪商の家屋敷や、あるいは寺社などにも命じて、難民の中から女子供老人を優先して建物内に保護するかたわら、甲府の町はずれに仮の住居を作らせて難民の住居とし、当面の混乱を凌ごうとしたのである。
 躑躅ヶ崎館の防備を固め、あるいは周囲に斥候を放ち、信虎らの索敵を行いながら、難民たちへの対処も着実にこなしていく幸村の手腕は水際だったもので、雷将の力量が戦のみに傾くものではないことを証明して余りあった。
 そして幸村らの精励の結果、女子供、老人病人など身体の弱い者たちの収容は驚くほどの短時日で完了を見た。これには俺も素直に脱帽せざるを得ず、俺を含めた上杉家の面々は、武田家を支える人材の厚みを改めて感じ取ることになる。


 とはいえ、すべての問題が解決したわけではない。
 女子供への対応を厚くすれば、薄くなる者たちが出るのは道理である。男たちの多くは仮の住居をたてることも思うように進まず、野ざらしのまま日々を過ごすことを余儀なくされていたのである。結果、体調を崩す者、食べ物を求めて元々の甲府の住人たちとの間に騒動を起こす者までが現れはじめていた。
 甲府の住人にしてみれば、難民は同胞とはいえ厄介者であるには違いない。戦乱を避けて逃げてくるだけならともかく、街中で騒ぎを起こされれば、彼らを疎ましく思う者が出てくるのは当然のことであった。
 かくて、両者の間に好ましからぬ空気が醸成されるまで、長い時間はかからなかったのである。


 住民と難民の間で騒ぎが起きれば真田の軍兵が鎮めにいくのだが、躑躅ヶ崎館の兵にも限りがあり、いつもいつも騒ぎを収められるわけではない。また難民の中には少しでも安全なところを、とでも考えたか、躑躅ヶ崎館の近くにたむろする者まで現れていた。
 今川軍の陰に怯えた彼らは、再三幸村が口にする甲府の町への避難も拒み、どうか自分たちを助けてくれと逆に幸村を拝む始末であった。


 こんな状況で敵の接近を許せば、戦うことさえままならぬ。だからといって、下手に敵軍のことを口にすれば、口から口に噂が伝わり、敵の斥候に悟られてしまう可能性もないわけではない。
 武力だけではなんともならない問題を前にし、幸村はいささかならず解決策を探しあぐねているようだった。
 



 そして――
 性格の悪い俺は、そんな相手の弱みに付け込むことにしたのである。



◆◆




「孫子曰く。暗くて寒くて腹が減ると、人間、ろくなことを考えないものなので、灯と暖と食は絶やさぬようにすべし」
「真顔で嘘を言うのはやめてください。弥太郎が感心してしまうでしょう」
「ええ?! 嘘なんですか?!」
 などというやりとりを段蔵と弥太郎としながら、炊き出しをする。
 傍らにいた秀綱がそれを聞き、微笑みながらこう言ったではないか。
「賢者の言には違いないですね――謙信様」
「……ぐッ」
 それを聞いた俺は思わずうめいてしまう。
 謙信とは誰だ、とはだれも言わなかった。この場にいる者は皆、先夜のことを知っているからである。
 事実、秀綱の隣で深編笠をかぶった姿の虚無僧様は、どこか楽しそうな声で「そうですな」とあっさりと秀綱の声に応じている。
「ううう……」
 俺は頭を抱えたくなったが、そう言っている間にも、粥を求めてやってくる人たちは絶えず、俺たちは口よりも手を動かさなければならなかったのである。




 ――何故に虚無僧様が謙信様になっているのか。
 これには深い理由がある。
 それは先日、晴信が虚無僧様に向けた唐突な問い「そなたの名は何というのか」というそれに、俺が思わずこう言ってしまったことに端を発する。
「その方の名はケンシン殿と申します」と、俺は咄嗟に言ってしまったのである。
 ちなみに、その後にこんなやりとりが続いた。


◆◆


「ほう、ケンシン、ですか。上杉の家臣の中では聞かぬ名ですね。かなりの実力の持ち主と見受けましたが、どのような縁で此度の使いに加わったのです?」
 興味津々という風情で晴信が俺の視線を向けてくる。
 何故だろう、その口元が楽しげに緩んでいるように見えて仕方ないのは。
 とはいえ、答えないわけにはいかない。
「……は。その者、輝虎様と同じく毘沙門天を信奉する武芸者にて、その、類まれなる武芸と軍略の才を持っております。数奇なめぐり合わせによって越後に参られ、此度、我らに力を貸していただいている次第にございます」
「ほう、類まれなる武の才、ですか。例えていえば、刀をとってはそこな剣聖殿に匹敵し、軍を操ればそなたに伍す、というところでしょうか」
 晴信の問いにこたえながら、俺はすらすらと偽りを述べ立てる。むしろ、問いを重ねるごとに口上に磨きがかかった気さえするのは気のせいか。
「前半はその通りにございますが、後半は否と申し上げねばなりますまい。我が旗鼓の才など、ケンシン殿とは比べるべくもない小さきもの。その例えは、猫と虎を比べるに等しいものかと」
「ほう。まさかそのような傑物が無名のままにさすらっていようとは、天下は広い。しかし、それほどの豪の者が何ゆえに編笠で顔を隠すのですか」
「は。実はケンシン殿はとある方と瓜二つの容貌をお持ちでいらっしゃいまして、その、此度の使いでいささか誤解を生じさせかねないと判断し、私がそのようにお願いしたのでございます」
 俺のかなり苦しい言い訳に、晴信は感じ入ったように頷く。
「そうですか。誰に似ているかを問うは非礼にあたりますね。それは仕方ないとして、しかし、それならばあらかじめこちらに一言あってしかるべきではありませんか、天城?」
「御意、礼を失したことは幾重にもお詫びいたします。私も少なからず平常心を欠いていましたようで」
 その後、二、三のやりとりの末、めでたく虚無僧様の名はケンシンと武田家に認知されることになったのである。


◆◆


 ――改めて思い返してみると、全然深い理由ではないな、うん。
 咄嗟のこととはいえ、なんであんなことを言ってしまったのか。晴信はそれ以上の追求はしてこなかったが……さて、内心ではどう思っていたことやら。
 それよりも問題は、あらぬ名を押し付けられる形となった虚無僧様である。俺は晴信が去るや、間髪いれずに頭を下げて許しをこうたが、意外にも当の虚無僧様は「ふむ、なかなかに良い響きですな」と、編笠の奥で微笑の気配を漂わせつつ、あっさりと名乗りを受け入れてくれたのである。
 それどころか。
「ところで天城殿」
「は、はいッ?!」
「拙者、実は悪筆でしてな。天城殿はなかなかに巧みに筆をお使いになるとか。ひとつ拙者の名を書いてみてはもらえまいか。今後、筆の習いに役立てたい」
「……は? あ、な、なるほど、えーと、ですね」
 虚無僧様の言いたいことを察した俺は、しばし悩んだ後、おそるおそる筆を動かして、一つの名を記したのである。
 『謙信』と。




 今明かされる驚きの事実。
 まさかこんなところで上杉謙信が誕生しようとは。




「何か大それたことをしでかした気がしないでもないんだが……」
 しかし、それは気にしないようにしよう。そう、偽名。今回だけの偽名ということで、それ以上の影響など出る筈がないのである、うん。嘘偽りは輝虎様がもっとも嫌うところだが、これも武略の一つ――ではないよなあ、やっぱり。 
「そんなことよりも今は目の前の問題に集中すべきであり急ぎ現状の問題を回避するために策を練らなければならないそうだ一つ案がある幸村に進言してみよう」
「なるほど、少なからず平常心を欠いているのは事実のようですね、颯馬様」
 俺の隣で、段蔵がぼそりと呟くのだった。 






 ともあれ、頻出する避難民の問題に頭を悩ませている幸村に、俺は弥太郎に向けた軽口と似たようなことを申し出たのである。
 はじめ、幸村は自分のやり方の不備を指摘されたと思ったらしく、顔をしかめながら、食料の配給はきちんと行っていると断言した。現在の躑躅ヶ崎館は作戦の一貫として兵力が少なくなっているため、兵糧にはそれなりの余裕があるのだ。
 だが、役人というのは民への施しを必要最小限におさえようとして、結果として問題を生じさせることが少なくない。この場合、実際に量が足りているかどうかが問題なのではなく、民がどう感じるかが問題なのであって、与えすぎくらいでちょうど良いのではなかろうか。
 長期に篭城するのであれば、兵糧を切り詰める必要が出てくるが、今回の場合はそうではない。ここは物惜しみせず気前良く庫を開き、難民の腹を満たして不満を沈静化させるのが得策である。一時凌ぎにしかならないが、信虎が出てくるのはもう間もなくであろうから、それで十分だろう。
 くわえて、あらかじめ甲府の町でやると知らせておけば、館の周囲にいる者たちもそちらに赴くに違いない。


 そう説く俺の意見に幸村が耳を傾けたのは、特に最後の部分をもっともだと考えたためか。
 俺がそんなことを考えていると、段蔵がどこか呆れまじりに口を開いた。
「……それはわかりましたが、どうしてわたしたちが手伝わされているのですか?」
 その段蔵の言葉に、俺はあっさりと答えを返す。
「『お前の発言だ。責任もってやりとげろ』と真田殿に言われたから、かな?」
 まあ、実際は真田軍を炊き出しなどに使いたくなかっただけだろうが。
「なるほど。つまり颯馬様のせいということですね」
「面倒な上役を持ってしまったと諦めるのが得策ではないかと」
「自分で言うあたりに配下への誠意の欠如を感じます」
「はい、すみません。どうか手伝ってくださいませ」
「人の上に立つ者としての威厳が欠けています」
「どうしろと」



 
 段蔵とそんな遣り取りをしつつ、俺は周囲の様子に目を向ける。
 そうすると、視界にとまる者のほとんどが男性であった。これは、女子供老人への対応が滞りなく進んでいる証だろう。幸村は弱い立場の者を優先的に保護しているため、こういった炊き出しに集まる必要がないのである。
 その一方で、男たちへの対応は、お世辞にも手厚いとは言いがたかった。この場にいる者たちの表情からも、怯えや先行きへの不安と共に、自分たちの境遇への不満と怒りを垣間見ることが出来る。
 また、これには他の理由もある。彼らは身を守るために武器や農具を持ってここまで逃げてきたのだが、幸村は彼らからその全てを没収してしまったのである。
 これは敵兵が難民に紛れていることを予測した措置であり、適切なものではあった。また彼らの不満が高まった際、流血沙汰になるような事態を避ける意味でも必要なことであったろう。


 だが、幸村はそういったことを彼らに説くという手間を省き、真田の兵を使って強行してしまった。この幸村の行動はただでさえ不安に苛まれていた難民に対して、拙速に過ぎたのかもしれない。その後の難民たちの様子は、明らかに施政者への反感を感じさせるものであったからだ。
 彼らの説得に要する時間と、信虎の襲撃までの猶予を考えれば、幸村のとった方法も致し方ない面もあるのだが、命からがら逃げ延びてきた人たちはそんなことは知らない。
 そういった諸々の不満を和らげる意味も、この炊き出しにはあったのである。
 




「とはいえ、やはり雰囲気はよろしくないな」
 甲府の町人や、小者らの手を借りて行った炊き出しは、さしたる混乱もなく終わった。
 武家屋敷に残っている武田家の女性陣からも有志を募り、これまでとは量も質も一回り違ったものを用意していただけに人々の評判はなかなかであった。
 しかし、それはあくまでこの場に限ってのこと。粥をもらう場所で暴れたり、文句を言う者は少ないが、場所が違えば、あるいは時が経てば腹の底に押し込めていた不満が首をもたげる者も少なくないだろう。
「所詮は一時しのぎですから。住居にしても、食事にしても、これまでどおりだと、皆わかっています。それに幸村殿をはじめとした真田衆の冷たい視線にも気付いているでしょう」
 段蔵の言葉に、弥太郎が心許なそうに口を開く。
「真田様にお願いして、明日も炊き出しをするわけにはいかないんですか? そうすれば――」
「難しいでしょう。真田殿は今日のことでさえ、あまり良い顔をしていらっしゃいませんでしたから」


 女子供ならいざ知らず、健康な男どもが侵略者に抗うことなく逃げ出し、当然のように領主に庇護を求めるとは何事か。幸村がそんな苦々しい思いを抱いていることは、段蔵や弥太郎も感じているようだった。
 俺たちが感じ取っているくらいなのだ。この場でたむろしている男たちも、自分たちが幸村からそう見られていることを悟っていてもおかしくはない。否、段蔵の言うとおり、多くの者は気付いているだろう。感情を隠晦することのない幸村の性情を俺は好ましいと思うが、今のような事態では悪い方向に働いてしまったようであった。
 これが晴信であれば、たとえ感情を幸村と等しくしようとも、決して内心を表には出さず、男たちにも女子供へ向けるものと同じ顔を示したことであろう。



 俺は上野原城に残った虎綱から晴信のことを頼まれているし、加賀の晴貞のことを受け入れてくれた晴信に、個人的に恩義を感じてもいる。甲府の不穏な空気を払う程度の働きはしたいと思って、この地にとどまった。
 炊き出しもその一貫であったが、しかし、繰り返すがこの炊き出しは問題の先送りに過ぎない。現状のままに時が推移していけば、難民の反感はますます増大してしまうだろう。
 彼らの総数は百や二百ではない。すでにその一部が不安と、そして不満にあかせて躑躅ヶ崎館を囲みつつあるように、事態は刻一刻と悪化しつつある。今でこそ嘆願の形をとっているが、それがかなえられなければ、彼らの不満は為政者への敵意に変ずるかもしれない。最悪、信虎の軍に呼応することもありえよう。



 ただ、幸村はすでに難民らの武器を没収している。もし、難民の中に信虎に呼応しようとする者がいたとしても――あるいは、その息がかかっている者が潜んでいたとしても、武器を取り上げられてしまった今、大した騒ぎを起こすこともできないと思われた。
 あるいはもしかすると、幸村はそこまで考えて先手を打ったのだろうか。だとすると、その威をもってすれば、難民の反感など容易く押さえつけることが出来るかもしれない。
 一時、民の反感を買おうとも、その反感を力づくで押さえつけている間に信虎を討ってしまえば――これもまた立派な問題の解決といえる。生じた反感は、戦が終わってからゆっくりと解きほぐしていけば良い。
「そう考えると、俺が気を回しすぎなのか?」
 そんな風にも考えてしまう俺であった。




 ただ、今回の場合、敵は尋常な人物ではない。
 信虎を指して『狂王』と言った人物――三河の松平元康の顔を、俺は思い浮かべる。
 柔和で、人好きのする笑みを浮かべた少女は、しかし信虎のことを口にする時だけは、人がかわったように厳しい表情を浮かべていた。その元康の口から聞いた駿府の惨状をも思い起こす。
 古来より、難民や無頼者を利用して相手陣営を撹乱する戦術は枚挙に暇がない。武器を持たずとも、農作業で鍛えられた屈強な男たちのこと、いかようにも用い様はあり、その中には唾棄すべき事例も多々含まれている。
 そして、信虎が用いる策が、それに類するものではないと誰に言えるだろうか。


 俺は周囲にそれとなく視線を配る。
 甲府まで逃げ延びた疲労に加え、状況が状況だけに良く眠ることも出来ないのだろう、皆顔色が良くないように映る。苛立たしさを隠し切れていない者もちらほらと見受けられた。
「一応、備えてはおくか。無駄働きになるなら、それはそれで良いことだしな」
 炊き出しの片付けを行いながら、俺はひとりごちると、段蔵と相談するために口を開いた。




◆◆




 そして、その夜。
 「問題は信虎がどう出るかだが……これは考えても仕方ないか」
 晴信から与えられた一室で、燭台の火を見つめながら、俺は一人呟いた。
 今にいたっても、信虎が自身で躑躅ヶ崎館まで出てきたという確報は得られていない。伝え聞く信虎の行状とその性格を考えるに、信虎が出てくるのはほぼ間違いないと思うのだが、それは予測に過ぎない。別の場所に姿を現す可能性もあるし、あるいは駿府城から動いていない可能性さえ否定は出来ぬ。
 だが、口に出したように、それは考えても仕方ないことである。ここまで状況が進んだ以上、信虎が来るものとして動かなければ作戦全体に齟齬が生じてしまう。


 信虎が来るとして、では次に問題となるのが、幸村が信虎を止められるか否かという点であった。
 躑躅ヶ崎館の防備や難民への対応を見る限り、幸村がただ猪突するだけの将でないことは明らかである。だが、信虎のような老獪な人物を相手どる戦において、総大将が年若い幸村では、やはり不安の方が先に立つ。
 これが晴信であれば、年若くはあっても、不安に思うことはなかったであろう。晴信が幸村に総指揮を委ねたことが、果たして結果にどう影響するのか。


 いや、それよりも――
「そもそも、どうして幸村に総指揮を委ねたのかな。まあ、こっちも考えても仕方ないことだけど」
 俺は両手を頭の後ろで組むと、その態勢のままごろりと寝転がる。
 晴信が幸村に対し、躑躅ヶ崎館の守備だけでなく、戦局全体の指揮権さえ委ねた以上、今回の戦における武田軍を総率するのは幸村ということになる。武田の六将が独立した作戦を指揮する権限を委ねられることは珍しくないが、それでも、その規模はそれぞれの方面軍を指揮するのが精々で、今回のように武田全軍を挙げる規模の戦で、晴信以外の者が指揮をするのは稀有な例であろう。
 まして、今回の敵が容易ならざる相手であることを誰よりも知るのは晴信である筈なのに、その指揮を、信頼厚い寵臣とはいえ、年若い幸村に委ねたのはどうしてなのか。
 視界には、燭台の灯火によっておぼろに浮かび上がった天井の梁が映っている。なんとはなしに、それを目でなぞりながら、俺はとりとめのない思考に身を委ねた。




 実のところ、問題は他にもあるのだ。それも焦眉の急とでも言うべきもの――すなわち、遠からず兵火が及ぶであろう躑躅ヶ崎館に、未だ謙信様がいらっしゃるという現実である。
 実のところ、つい先刻も、早く越後に戻るようにと説得はしたのである。武田と北条の施政を己が目で見ることができたのだ。こっそり越後を抜け出したことの意味は、もう十分にある筈だから。
 だが、結局、謙信様は首を縦に振ることはなかった。どうも晴信にからかわれた影響もあるのかもしれん。この話を切り出すと奇妙に機嫌が悪くなる謙信様を見て、俺は首を傾げるばかりであった。


 ただ、どちらに理があるかは誰の目にも明らかなこと。明日になれば謙信様も落ち着かれるだろうし、そうと気付けばいつまでも我を張られる方ではない。説得も容易だろう。
 今日中の説得を断念した俺は、そう考え、一人、用意された部屋に戻ってきたのである。
 まあ、一人といっても、部屋の外では弥太郎が寝具にくるまりながら番をしてくれている。段蔵は昼間の件で少し外に出てもらっており、秀綱と謙信様も、さきほど弥太郎が話しているのが聞こえてきたので、すでに部屋に戻ってきているのだろう。





 後は特にやるべきことがあるわけでもない。段蔵の報告をまって、今日は寝ることにしよう。
 そんなことを考えていた、その時だった。
「……ん?」
 燭台の灯が揺らめき、奇妙に生暖かい風が俺の頬を撫でる。寝転がっていた俺は、上体を起こした。晩秋が過ぎ、冬を迎えつつある甲斐の気候は、一日ごとに厳しさを増している。にも関わらず、外から室内に流れ込んできた風に、俺は冷感を覚えなかったからである。


 胸を騒がせる衝動は、虫の知らせというものか。形の見えない何かに突き動かされるように、立ち上がりかけた俺の耳に、聞きなれた――しかし、甲斐へと使いしてからこちら、あまり聞くことの出来なかった声音が飛び込んできた。
「――颯馬、よいか」
「はッ、けんし……いえ、輝虎様」
 答えるやすぐに襖が開け放たれ、そこに謙信様改め輝虎様の姿を、俺は見出すことになる。
 深編笠をとった輝虎様は、秀麗な容姿を甲斐の外気に晒し、その眼差しに鋭気を湛え、静かに口を開いた。




◆◆





 甲府盆地の南方に武田の四つ割菱の旗印を掲げる一軍が姿を現した、との報告が躑躅ヶ崎館に飛び込んできたのは、それから間もなくのこと。
 その数はおおよそ七百。すべて騎兵であり、一目散にここ躑躅ヶ崎館へ馳せ向かっているという。
 戦力のほとんどを四方の戦場に投じている今この時期、甲斐国内に七百もの騎兵を統べる国人衆がいる筈はない。
 それはつまり――


「……来ましたか」


 躑躅ヶ崎館の奥、当主の間で、武田晴信は小さく、そう呟くのだった。






◆◆






 真田幸村は、その個人的武勇と戦陣における雷挺の如き突破力をもって、武田六将が一、『雷』の将を拝命している。
 真田は、馬場と並ぶ武田軍の武の象徴。だが、真田家が武門として名を上げたのは、当主が幸村になってからのことであり、元々は智をもって知られる家柄だった。
 真田家は信濃の小県の領主であったのだが、幸村の祖父幸隆の父の代に国人衆の勢力争いに敗れた末、甲斐の信虎を頼って落ち延びた。これ以後、真田家は武田家の麾下に名を連ねることになる。


 旧領回復を志す父が病で亡くなった後、後を継いだ幸隆は、信虎にその豊かな智略と明晰な判断力を買われ、累代の家臣たちに劣らぬ処遇を与えられるようになる。父子二代に渡る重恩に感じ入った幸隆は武田家に忠誠を尽くすが、信虎が中央集権を強硬に押し進めるに従い、主従の間に少しずつ不協和音が生じるようになっていった。
 当主である信虎に権力を集めるということは、地方の国人衆の権力を奪うということに他ならない。信虎の麾下にいることは信虎の私臣になるということである。信濃の旧領回復を念願とする幸隆にとって、信虎に忠誠を誓うことは自家の復興を妨げる結果となりかねず、その大いなる矛盾に幸隆は苦慮することになる。
 幸隆だけではない。元々、信虎は名実ともに甲斐の主権者たらんとしていたが、この時期の行動はこれまでとは比べ物にならないほどに急激であり、ある意味で露骨ですらあった。そのため、国内の国人衆の反発は急激に高まっており、甲斐全土に不穏な空気が充満しつつあったのである。


 ――あるいは、それすらも計画通りであったのか。
 破局を防ごうとした幸隆らの尽力も空しく、躑躅ヶ崎の乱は勃発し、結果、信虎は駿河へ追放され、幸隆ら多くの有力者たちは甲斐の地に還っていくことになる。





 躑躅ヶ崎の乱が取り戻しえぬ犠牲の末に終結した後。
 祖父と父の死を、幸村は姉信之と共に真田の領地で聞いた。真田家の大黒柱であった祖父と、後継者であった父を同時に失った真田の姉妹は悲嘆にくれたが、姉妹以上に混乱と恐慌に陥ったのが家臣たちであった。
 元々、信虎に従い続けることに反対を唱えていた者たちは真田家内部にも少なくなかった。躑躅ヶ崎の乱では信虎に敵対したものの、そこに到るまで、信虎の勢力拡大に助力してきたことは否定できない事実であり、一部の家臣たちがその失態をあげつらい、真田家の主権を欲して謀叛を起こそうとしたのである。


 この動きは真田の一族であり重臣でもある矢沢頼綱と信之によって素早く鎮圧されたが、打ち続く混乱による衝撃と、その後の心労が祟ったのか、姉信之は間もなく病床に伏せるようになり、躑躅ヶ崎の乱よりおよそ三月後、とうとう身罷ってしまう。 
 短い間に当主とその跡継ぎ、さらには跡継ぎの嗣子さえ死亡してしまう事態に家臣たちは動揺し、一時は真田家取り潰しの声まであがっていたのである。
 もし、この時、武田家当主となった晴信が、幸村を当主として真田家を存続させるという決断を下さなければ、真田家も、後の『雷』の将も、その名を歴史の片隅に埋もれさせることとなっていたであろう。
 幸村が晴信に絶対的な忠誠を誓う理由の一つが、ここにあった。




 幸村にとって、悪夢にも等しい過去からはや数年。
 真田家を滅亡寸前にまで追いやった過去の悪夢は、再び幸村の前にその姿を現しつつあった。
 だが。
「――すでに、この身はあのときの無力な女童にあらず。真田の軍がここにある限り、貴様らを生きて御館様の前に通すことは、決してない」
 所属不明の騎馬隊発見の報告を受けた幸村は、ただちに自家の手勢を南に配置する。
 躑躅ヶ崎館はその東西を川に挟まれ、後背には要害山城という堅牢な城がそびえたつ。必然的に、敵の侵入は南側に限られているのである。
 真田軍の先手を率いるのは、真田家家臣矢沢頼綱。
 幸隆の弟にあたり、世が世であれば真田家の当主に就いていてもおかしくないこの人物は、しかし自ら進んで幸村に当主の座を譲った無私の人物でもあった。
 晴信以外の人物に対しては倣岸になりがちな幸村であるが、幾重にも恩のあるこの伯父に対しては強く出られない。
 その頼綱に大半の手勢を預けて南に向かわせると、幸村はただちに躑躅ヶ崎館の防備を固める。
 まとまった数の部隊が通れるのは南側だけであるが、少数であれば他方から侵入してくることも可能である。幸村はそれに備えるつもりなのか、少なくなった守備兵を要所に配置しなおすと、自身は館の一室でじっと座していた。
 まるで何かが来るのを待っているかのように。
 身動ぎせずに。




◆◆




 叫喚と共に突進してくる暗灰色の騎馬隊は、まるではじめから命を捨てているかのような猪突ぶりを見せた。騎兵の突進を防ぐ槍衾の只中に躍りこみ、突かれようが斬られようが構わずに、自身が動ける限り周囲の敵兵をなぎ倒そうと暴れまわるのである。
 頼綱が率いる真田家の軍勢は、六文銭の旗印の下、敗北を知らぬ逞兵である。このような無謀な攻撃で陣を突破されるようなことはない。頼綱の指揮の下、冷静に複数の兵で敵を追い詰め、屠っていくのだが、敵軍は一向に怯む様子もなく、同じ突撃を繰り返す。
 血まみれの肉塊となるまで暴れまわって果てていく――そんな常軌を逸した敵の戦いぶりに、真田軍は攻撃の手を緩めることこそしなかったが、その凄惨な有様を目の当たりにして何も感じないわけはなく、次第にその動きを鈍らせていった。


 どれだけの猛撃でも、一度や二度の突撃で綻びを見せる真田軍ではない。しかし、それが三度、四度、五度と繰り返されれば、支えきれない箇所も出てきてしまう。
 そして、この敵兵は狂的な攻勢を繰り返す反面、そういった陣の破れ目を見逃さない狡猾さを併せ持っていた。真田軍の陣の破れ目を的確に衝き、真田軍がそちらを支えようとすれば、手薄になった正面へと攻めかかる。
 両軍が、短いながらも激烈な攻防を繰り返した末、ついに真田軍の堅陣の一画に穴が開き、中陣は敵の攻勢を支えきれずに大きく押し込まれてしまう。
 中陣の動揺は両翼の軍に波及する。このままでは、躑躅ヶ崎館への道を明け渡すことになってしまう――そんな危惧が真田軍の将兵に襲い掛かった時だった。


「我らの偵知の網にかかることなく、甲斐の奥深くまで進攻する機略。猛々しく、巧妙なる用兵の術……やはり、信虎殿か」
 呟きつつ、頼綱は片手をあげた。
 その合図に従い、側近の兵が紅く染め上げた旗を大きく振り回す。
 すると、押し込まれていた真田軍本陣は、さらにその陣を大きく崩す。まるで、ついに敵軍の勢いに抗うことが出来なくなったかのように。
 この真田軍の変化に気付いた敵軍はさらに攻勢を強化し、一挙に突破をはかろうとした。


 その動きに呼応して、真田軍の両翼も動き始めた。勝ち目なしとみて、戦場を離脱するため、ではない。
 両翼の部隊はそれぞれ一部隊を用い、袋の口を閉じるかのように、信虎軍の後背を遮断してのけたのだ。中央突破を成功させるかに見えていた信虎軍は、一転、真田軍に包囲される形となり、それに気付いた信虎軍は鋭鋒をかすかに鈍らせた。
 その瞬間を見計らい、後退を続けていた頼綱の中軍は反転攻勢に踏み切る。この時、一瞬の戦機を正確に掴み取った頼綱の指揮は見事の一語につき、真田家に流れる戦人の血が、幸村一人のものでないことを無言のうちに周囲にしらしめていた。
 陣頭に馬を立てた頼綱の号令を受け、真田軍は槍先を揃えて信虎軍に襲い掛かる。
 乱戦の始まりであった。



 時が経つほどに、戦は混迷を深めていった。
 後背を遮られた信虎軍は、一度はその勢いを減じたものの、逡巡から立ち直るや、前にもまして攻勢を強めていく。
 まるで、左右後方の敵など見えぬと言わんばかりの敵軍の攻勢を前に、頼綱ははからずも、山県昌景と同じ言葉を口にする。
「死兵……か」
 討っても討っても後ろから押し寄せてくる信虎軍を払い続けながらも、その粘性に満ちた戦いぶりに頼綱は悪寒と、そして驚嘆を禁じ得ない。
 ついには頼綱自身が、群がる敵兵を己の刀で斬り伏せる場面まで出るようになり、互いに退くことの出来ない両軍の戦は泥沼の様相を呈し始めた。
「たとえ旧主の軍とはいえ、ここを破らせるわけにはいかぬ」
 懸命に敵の猛攻を食い止めながら、頼綱は独語する。
 今こうしている間にも、敵軍の左右、そして後方から真田軍が出血を強いていた。敵はほぼ全員が前がかりに攻めかかってきており、後背からの攻撃を無防備に受けている状態である。その被害は甚大なもので、すでに当初の七百騎は半数近くに討ち減らされているだろう。最終的な勝者が、数に優る真田軍になることは明白であった。
 だが、それでも、敵の矛先は乱れない。ともすれば、真田軍の咽喉笛を食い破らんと、猛然と反撃を繰り返す。この信虎軍の猛威を前に、頼綱は額に汗を滲ませる。もし敵軍があと五百、否、三百多ければ、あるいは持ちこたえることは出来なかったかもしれない。そんなことさえ考えてしまった。
 あるいは――信虎が直接指揮をとっていれば、現状のままでも敗北は免れなかったであろう。



 そのことに思い至った時、知らず頼綱の口からはため息ともとれる吐息がもれた。
「これほどの乱戦でもまだ姿を見せず。ということは、幸村の申した通りであったのか」
 頼綱の兄である幸隆とその子昌幸の相次ぐ戦死、そして昌幸の子である信之の病死。ここ数年で真田の本家はその数を激減させている。残ったのは、ただ幸村のみであった。
 ここで幸村まで失えば、真田家の再興は永遠の夢となってしまうだろう。血筋だけを見れば、頼綱もまた真田本家の直系であったが、すでに他家を継いだ身である。くわえていえば、頼綱は自分が真田本家の当主の器ではないことを自覚していた。
 小器用なだけの自分は、分家の矢沢家でさえ分不相応であるに、この上、無謀な望みを抱こうとはおもわない――それが頼綱の考えであった。


 それゆえ、頼綱は何としても幸村を守らなければならない。そう考えていたのだが。
「すでにして、それも余計な世話となっておる、か。御館様の薫陶を間近で受けてきたとはいえ、いやはや、見事な成長ぶりよ。兄上に迫る智恵の巡らし方よな」
 信虎が甲斐守護を務めていた時代、幸隆と共にその勇猛を幾度も目の当たりにしていた頼綱は、信虎の恐ろしさを知悉している。
 武芸の面だけで見れば、あるいは幸村の槍術をもってすれば、信虎を討つことも不可能ではないかもしれない。だが、英邁さと狡猾さを併せ持つかの人物のこと、勝てぬとわかればどのような手段でも用いることだろう。 真田家直系の血が絶えるような事態は、何としても避けなければならない。そう考え、先手を志願した頼綱であったが、幸村から作戦の骨子を聞かされ、その読みの深さにひそかに驚嘆した。
 そして、眼前の敵の動きは、まさに幸村の言葉どおりになっている。とすれば――


 頼綱がそこまで考えた時、不意に自陣から悲鳴にも似た声があがる。
 見れば勢いに乗った敵兵が、頼綱の本陣を蹂躙せんと猛々しい叫びと共に突撃してくる。
 頼綱は隆々と槍をしごくと、敵の眼前に馬を立てた。
 躑躅ヶ崎館のことは、当主殿に任せれば良い。頼綱の役割はここで敵軍を食い止めること。ここで頼綱が敗れれば、幸村の策も水泡に帰すであろうから。
 真田が六文銭を、敗北の汚辱に塗れさせるわけにはいかぬ。
 現当主のためにも。そして、先に逝った一族のためにも。


 頼綱は、敵の叫喚を打ち消すように力感に満ちた号令を発する。
「奮い立て、真田が勇士たちよ! 敵は少ない。押し包んで討ち取るのだ! 我らは武田が秘蔵の霹靂ぞ! かような寡勢に陣を破られれば、六文銭の旗印、以後仰ぎ見るを許されぬと心得よ!!」
 そう叫ぶや、頼綱は馬廻り衆を率い、敵兵を蹴散らすべく、猛然と敵軍の只中に踏み入っていくのだった。
 






◆◆






 同じ頃。 
 躑躅ヶ崎館の一画。木立に遮られ、深い闇がわだかまり、侍女や小者でさえ近づくことのない、そんな物陰から、今、幾人もの影が湧き出るように現れていた。
 その中の一人が、眼前の館の景観を無感動に眺めながら声を発した。
「盛清」
「は」
「搦め手門を開き、外の連中を招きいれよ。しかる後、御旗屋の祠廟を押さえるのだ。御旗楯無(みはた たてなし)は、正当な持ち主の元にあるべき宝器よ」
「御意、ただちに」
 闇の一隅から響く声音に向け、信虎は短く付け足す。
「二度は許さぬ。心得ておけ」
「……承知、仕りました」


 声をかけられた男が数名を引き連れて搦め手門に向かって姿を消すと、声をかけた男は自らも動き出す。
 といっても、闇に隠れて様子を窺うことなどしない。足音を潜めるでもなく、堂々と歩を進める。まるで、我が館の庭を歩くにも似た、あまりに平然とした様子に、麾下の者たちの方が不安を隠せない様子であった。
 もっとも、それを口に出す者はいない。また、躑躅ヶ崎館の中から、彼らの不審を咎める声もあがらなかった。
 男は知っていたのだ。有事の際にはどこに兵を集めるか。どう人が動くのか。手薄になるのがどこか。また、それらを鑑みてもっとも容易く目的を果たせる抜け道がどれか。いずれも掌を指すように知悉しているからこそ、逃げ隠れする必要を認めていないのである。


「――とはいえ、それは貴様とて同じことと思うたがな、晴信。こうも容易くわしを入り込ませるとは、ふん、策があるにしても、甘く見すぎであろう。その増上慢には灸をすえてやらずばなるまい」
 その男――先代甲斐守護職・武田信虎は、久方ぶりに訪れたかつての居館に足跡を残しつつ、その頬に猛々しい笑みを浮かべるのだった。




 信虎の浮かべた笑みは、これより先に繰り広げられる陵辱の宴を思い描いたゆえのものであったろう。
「……む?」
 だが。


 その信虎の前に立ちはだかるは紫紺の将。
 その口から発された勁烈な叱咤が、鞭打つような激しさで夜気を震わせた。


「武田が『雷』の将、真田幸村である。招かれざる客人は、たとえそれが先代当主といえど、刃を以って迎え、死をもって送り返すべし。貴様らが御館様の元にたどり着くことなどありえぬと心得よ!」
 闇夜に紛れていた侵入者たちは、その声に驚きを隠せない。彼らは周囲に視線を走らせ、先刻まで自分たちの姿を包み隠していた闇が、いつのまにか敵意を込めて、自分たちを押し包んでいることを悟る。
 そんな中、ただひとり、泰然と動じていなかった信虎は、口元を歪めて、周囲に視線を送った。


 幸村の言葉が終わるや、闇に潜んでいた幸村直属の将兵がその姿を現し、瞬く間に少数の侵入者を包囲していく。
 元々、躑躅ヶ崎館は信虎の居館であった。晴信の代になり、多少手が加わったとはいえ、その構造が大きく変わったわけではない。館の内部に関しては、細部まで信虎に把握されていると見て間違いはないと幸村は考えたのである。
 それはただ館の構造のみならず、有事の際に用いられるべき抜け道や隠し通路なども含めての話だ。そういった家の秘奥は、通常、当主から当主へと代々語り継がれていくものだが、今代の晴信は秘奥の継承を受けておらず、その意味でいえば信虎は晴信よりもはるかに躑躅ヶ崎館を知り尽くしていることになる。
 であれば、それを利用しない筈はない。
 先日来、幸村は館の防備を固めつつ、注意すべき箇所を割り出し、今宵の事態に備え、速やかに兵が動けるように計らっていたのである。


 そして今、幸村がこの場に潜ませていたのは、真田家の文字通り最精鋭である。それはすなわち、武田家の最精鋭ということでもある。その精兵で取り囲んだのだ。闇夜に紛れての襲撃などもはや不可能であり、信虎らの命運ははや尽きたかと思われた。







「……くく」
 信虎の口からもれ出た笑いが、その場の空気をかきみだすまでは。



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