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No.10186の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~  【第一部 完結】 【その他 戦極姫短編集】[月桂](2010/10/31 20:50)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(一)[月桂](2009/07/14 21:27)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(二)[月桂](2009/07/19 23:19)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(三)[月桂](2010/10/21 21:13)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(四)[月桂](2009/07/19 12:10)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(五)[月桂](2009/07/19 23:19)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(六)[月桂](2009/07/20 10:58)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(一)[月桂](2009/07/25 00:53)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(二)[月桂](2009/07/25 00:53)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(三)[月桂](2009/08/07 18:36)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(四)[月桂](2009/08/07 18:30)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(一)[月桂](2009/08/26 01:11)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(二)[月桂](2009/08/26 01:10)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(三)[月桂](2009/08/30 13:48)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(四)[月桂](2010/05/05 19:03)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/09/04 01:04)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(一)[月桂](2009/09/07 01:02)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(二)[月桂](2009/09/07 01:01)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(三)[月桂](2009/09/11 01:35)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(四)[月桂](2009/09/11 01:33)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(一)[月桂](2009/09/13 21:45)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(二)[月桂](2009/09/15 23:23)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(三)[月桂](2009/09/19 08:03)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(四)[月桂](2009/09/20 11:45)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(五)[月桂](2009/09/21 16:09)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(六)[月桂](2009/09/21 16:08)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(一)[月桂](2009/09/22 00:44)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(二)[月桂](2009/09/22 20:38)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(三)[月桂](2009/09/23 19:22)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(四)[月桂](2009/09/24 14:36)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(一)[月桂](2009/09/25 20:18)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(二)[月桂](2009/09/26 13:45)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(三)[月桂](2009/09/26 23:35)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(四)[月桂](2009/09/30 20:54)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(五) (残酷表現あり、注意してください) [月桂](2009/09/27 21:13)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(一)[月桂](2009/09/30 21:30)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(二)[月桂](2009/10/04 16:59)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(三)[月桂](2009/10/04 18:31)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/10/05 00:20)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(四)[月桂](2010/05/05 19:07)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(五)[月桂](2010/05/05 19:13)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(六)[月桂](2009/10/11 15:39)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(七)[月桂](2009/10/12 15:12)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(八)[月桂](2009/10/15 01:16)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(一)[月桂](2010/05/05 19:21)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(二)[月桂](2009/11/30 22:02)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(三)[月桂](2009/12/01 22:01)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(四)[月桂](2009/12/12 12:36)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(五)[月桂](2009/12/06 22:32)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(六)[月桂](2009/12/13 18:41)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(七)[月桂](2009/12/19 21:25)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(八)[月桂](2009/12/27 16:48)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(九)[月桂](2009/12/30 01:41)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十)[月桂](2009/12/30 15:57)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/01/02 23:44)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十一)[月桂](2010/01/03 14:31)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十二)[月桂](2010/01/11 14:43)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十三)[月桂](2010/01/13 22:36)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十四)[月桂](2010/01/17 21:41)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 筑前(第二部予告)[月桂](2010/05/09 16:53)
[60] 聖将記 ~Fate/stay night~ [月桂](2010/01/19 21:57)
[61] 影将記【戦極姫2発売記念】[月桂](2010/02/25 23:29)
[62] 影将記(二)[月桂](2010/02/27 20:18)
[63] 影将記(三)[月桂](2010/02/27 20:16)
[64] 影将記(四)[月桂](2010/03/03 00:09)
[65] 影将記(五) 【完結】[月桂](2010/05/02 21:11)
[66] 鮭将記[月桂](2010/10/31 20:47)
[67] 鮭将記(二)[月桂](2010/10/26 14:17)
[68] 鮭将記(三)[月桂](2010/10/31 20:43)
[69] 鮭将記(四) [月桂](2011/04/10 23:45)
[70] 鮭将記(五) 4/10投稿分[月桂](2011/04/10 23:40)
[71] 姫将記 & 【お知らせ 2018 6/24】[月桂](2018/06/24 00:17)
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[10186] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(二)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/08/26 01:10


 軍議において景虎様の信越国境への出陣が決定され、翌日、俺たちは五千の大軍を率いて春日山城を発った――というわけにはいかなかった。
 この時代、兵士のほとんどは農民であり、彼らを集め、編成し、軍勢に組み込むにはそれなりの時間と手間を必要とするのである。
 その上、越後はつい先日まで激しい内戦が繰り広げられていた。ようやく内戦が終わり、家に帰ってほっとしているであろう農民たちを、休む間もなく戦に駆りだせば、間違いなく越後の新政権の評判は下がってしまうだろう。
 御家の危急存亡の時ならば仕方ないが、今のところ、戦火は越後に及んでいない。強引な動員は避けるのが賢明というものであった。


 そんなわけで、今回、景虎様に従った兵の数は一千と少ない。そのほとんどが景虎様直属の栃尾勢、定満直属の琵琶島勢、兼続直属の与板勢、というように各自の手勢であったためである。
 ちなみに、俺にも手勢はいる。十名に満たない数だったが、精強さではそこらの隊に負けないだろう。なにせあの鬼小島がいるのだからな。
 俺としては、弥太郎ほどの武芸の持ち主であれば、御館様の下で将として活躍できるのではと思うのだが、弥太郎自身が頑として受け付けなかったのである。
 あくまで俺の配下で、と望む弥太郎。鬼小島ほどの剛勇の将にそこまで慕われて嬉しくない筈がない。まして、今の弥太郎は可憐な乙女であるのだから尚更だ。
 というわけで弥太郎と、そして柿崎戦後に晴景様に士分に取り立ててもらった者たちは、引き続き俺の配下にとどまっているのである。彼らも俺に恩を感じているらしい。実に律儀な人たちばかりな越後の国であった。


 ちなみに、彼らの俸給は当然、俺が払わなければならない。もっとも、俺の懐が痛むほどではない。
 何故かといえば。
 今の俺の俸禄は景虎様から出ているわけだが、実はこれ、結構な額だったりする。まがりなりにも春日山の総指揮をとっていたせいもあるのか、重臣なみの俸禄を頂いているのだ。それゆえ、弥太郎たちの俸禄を払っても十分お釣りが来るのだった。
 前歴はどうあれ、景虎様の配下としては新参の俺に対して、破格ともいえる好待遇であったから、他の家臣たちの嫉視は免れないだろうなと、俺は半ば覚悟していた。
 しかし、どうも思った以上に俺の評判は越後国内で広がっているらしい。むしろ、これからよろしくお願いしたいとたずねてくる人たちの数に面食らったほどである。無論、俺に対して好意的な人ばかりではなかったが、その彼らにしたところで不穏な言動をするでもなく「この若造の評判、まことかどうかしっかと見定めてくれよう」みたいな態度なので、かえって拍子抜けしてしまったほどだった。


 兼続に言わせると、景虎様の人徳の賜物であるらしい。他の家なら、こうはならないだろうということだった。
 それは事実ではあろうが、しかし越後の人々のこういった竹を割ったような気性はとても好感が持てる。彼らを失望させないように努力せねばなるまい。




 ともあれ、上杉軍は千の軍勢を率いて春日山城を発った。数の上では信濃の武田軍に遠く及ばないが、もし武田が信濃のみならず、越後にも兵をいれる心算であれば、越後全土に動員令を下すことになるだろう。その準備は定実様と政景様によって整えられる予定である。
 そして、箕冠(みかぶり)城の大熊朝秀ら、道中の諸将にはすでに早馬が遣わされているので、武田軍と接触する頃には、上杉軍の数は倍近くにまで増えているだろうと思われた。



◆◆



 俺がこの地に来て数月。止むに止まれず、軍略だの指揮統率だのといった仕事を任され、そういった経験は嫌と言うほど積むことが出来た。なにせあの上杉謙信と戦って生き延びたのだ。経験値が三万くらいはいったと考えても良いのではなかろうか。我ながらよくわからん表現だが、心情的にはそんな感じである。
 だが一方で、個人の身体能力や技能はさしたる成長を見せていない。具体的に言えば、刀を振るったり、槍を振り回したり、馬に乗ったりといった武芸全般に関してである。
 貧乏学生だった俺は、健康こそ資本とごく自然に理解していたので、体力にはそれなりに自信があった。自分で自分のことを清貧といってはさすがに笑われてしまうだろうが、少なくとも贅沢におぼれるようなことはなかったから、結構身体も引き締まっていると思う。


 だが、それはあくまで平成の日本を基準にした上でのこと。
 この越後の国にあって、俺がすごして来た環境なぞ贅沢も良いところで、俺の体力だの膂力だのは一般的な兵士のレベルで見てもお話にならないものだった。
 だからこそこれまでも、いざ実戦という段階では俺はほとんど役に立っていない。柿崎との戦でも、その後の景虎様との戦いでも、実戦においては弥太郎の方がよほど勝敗を左右する働きをしているのである。
 これは将としての威厳云々以前に、男としてかなり情けない。弥太郎や、あるいは景虎様のように、などとは言わないが、せめて戦場で己の身を守れるくらいには強くなりたかった。
 しかし、これまでは鍛えようにも忙しくてそんなことをしている暇がなく、定実様が守護になり、越後の統治体制が大幅にかわって、ようやく身軽になれたと思ったのだが、景虎様の配下の一人として、なんだかんだで政務や軍務と縁が切れない。
 結局、いまだに刀も振るえず、馬にも乗れない始末である。
 必然的に、この信越国境への出陣も他人の馬に乗るという情けない様を晒すことになってしまった。



 時間も暇も、待っているだけでは来ないのは、平成の世も戦国の世もかわらぬらしい。であれば、みずからつくらねばならないのは当然のこと。
 というわけで、折角の機会なので、弥太郎の背で馬に揺られながら、乗馬のコツなぞを教えてもらおうとしたのだが――
「うー、教えてさしあげるのは良いんですけど……」
 何故そこで露骨に残念そうな顔をするのか、鬼小島。
 素人に物を教えるのが面倒だというなら無理強いするつもりはないのだが、しかし、弥太郎の性格からしてそういうことではないだろう。それに残念そうな表情を浮かべる理由にも繋がらない。一体、なんだというのだろう?
 俺が不思議そうに弥太郎の背中に問いかけると、弥太郎は正面を向きながら(つまり俺に顔を向けないまま)ぼそぼそと何やら呟いた。
「も、もちろん面倒だなんて思いませんが、ただ、その、天城様が馬に乗れるようになってしまうと、もう背にお乗せできなくなってしまうのが……」
「む、すまない、よく聞こえなかったんだが?」
「なな、なんでもないですッ。コツですね、コツ。えっと、そうですね、まずは馬の身体の洗い方からお教えいたしますッ」
 うってかわって声を高め、饒舌に語りだす弥太郎。
 俺は少し呆気にとられて、その背を見つめていたが、すぐに我に返ると、弥太郎の言葉を一字一句忘れないように頭に叩き込んでいった。


 弥太郎の言わんとすることを総括すると、馬には誠意をもって接すべし、ということになる。
 馬は道具ではなく生き物であり、もっと言えば草食性の大人しい動物である。それを人間の都合で戦場にまで引っ張り出す以上、それが当然のことだと弥太郎は主張する。
 その意見が他の人たちにどのように評価されるのかは俺にはわからなかったが、しかし、この馬の弥太郎への懐き方を見れば、弥太郎の言葉が決して間違いでないことは明らかであった。
 もっとも、弥太郎を慕う分、俺には何やら意趣があるのか、時々、激しい動きで俺を振り落とそうとしたり(弥太郎が落ちるような動きは決してしない)、あるいは休息中に俺を蹴飛ばそうとしてきたりする。
 その都度、弥太郎にしかられているのだが、他のことは素直に言うことを聞く馬も、この件に関してはなかなか弥太郎の言葉を聞こうとしなかった。その眼差しには『ご主人さまから離れろ、こんにゃろう』みたいな敵意というか戦意というか、そんな感じのものがありありと感じられた。
 うむ、実に主人想いの良馬である。


 無論というべきか、たかが数日の道中、多少コツを聞いたくらいで乗馬に習熟できる筈はない。しかし、今後のことを考えれば、弥太郎の馬への接し方をつぶさに観察できたのは、結構大きいだろうと思う。
 春日山に戻ったら、何とか乗馬を覚えようと俺は決意する。
 ――もっとも、しばらくは春日山で留守番させられている政景様の怨念に付き合わねばなるまいが。


 そのことを考えると、この際、ついでに武芸についても習っておこうと思い立った。
 だが、これは弥太郎に言下に拒絶されてしまう。
「必要ありません」
 真顔で断言された。なにゆえ。
「天城様が自分で刀や槍を振るう必要はないです。私がいる限り、天城様には指一本触れさせませんからッ」
「い、いや、しかし自分の身くらいは守れるようになりたいんだが……」
「私では、お役目を果たせないとお思いなんですか……?」 
 いや、そこで潤んだ眼差しは反則だろう、弥太郎。見上げられるのではなく、見下ろされるというのがまた困る。
 大きい身体をしゅんと縮こまらせている弥太郎に、俺はやや大げさに声を高めて言葉を発した。
「そ、そんなことはないッ。うん、弥太郎がいれば万事、安心だ。俺は采配のことだけ考えていれば良いわけだなッ」
 すると、弥太郎はぱあっと花が咲くような笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「は、はい、そのとおりです、天城様ッ」
「うむ、任せたぞ、小島弥太郎貞興!」
「御意ッ!」



 たまたま近くで休んでいた兼続が呆れたように口を開いた。
「……何を真顔で恥ずかしい話をしているのだ、お前たちは」
「――言わないでください」
 遠くに視線を向ける俺。
 何がはずかしいのだろう、と首を傾げる弥太郎。
 急を要する行軍の筈なのに、どこか緊張感がない上杉軍であった。 
 だが、それは一時のこと。
 信濃との国境が近づくにつれ、皆の顔は厳しく引き締まり、無駄口を叩く者はいなくなる。
 すでに国境周辺の領主らも合流し、上杉軍の兵力は千をはるかに越え、じきに二千に達するであろう勢いであった。


 やがて、その上杉軍の下に急報が届けられた。
 信越国境に、真紅の騎馬軍団が姿を現したことを、報告は告げた。
 数はこちらと同じ二千。掲げる軍旗は『四つ割菱』と『孫子四如』。
 甲斐の武田晴信の軍勢に間違いないと思われた。





◆◆





 俺は思わず息をのんでいた。
 二千もの人間が集っているとは信じられないほどの静粛さ。
 その掲げる軍旗の如く、静林を体現するは、燃え上がるように赤一色に染め上げられた甲斐武田家の軍勢である。
 時折あがる馬の嘶きをのぞけば、武田軍からはしわぶきの音一つ聞こえてこない。
 にも関わらず、その軍勢からは底知れない威圧感が感じられてならなかった。
 陳腐な例えだが、それは正しく嵐の前の静けさ。今は、静かに佇んでいるだけの武田軍は、しかし、一度、将の号令が下るや、堰を破った激流さながらの勢いで敵軍を蹴散らし、飲み干し、押し流してしまうのだろう。
 相対する敵軍が、そう確信してしまうほどに今の武田軍の鋭気は研ぎ澄まされていた――ただ向かい合う、それだけのことでさえ容易ではないと感じてしまうほどに。


 されど、敵がかの甲斐武田家の軍勢ならば、こちらは越後上杉家の精鋭である。
 そして、それを率いる将は長尾景虎。越後方の将も、そして兵も、眼前に武田の最精鋭を前にして、怯む様子など微塵も見せぬ。
 掲げる『上杉笹』と『毘』の旗は、新生越後国の初陣を祝福するかのように誇らしく風に翻っている。
 それを見て、俺はいつのまにか敵軍に呑まれかけていた自分に気づき、両の頬を叩いて気合を入れた。
 俺はあの上杉謙信と戦ったのである。武田信玄と向き合ったところで、恐れる必要はないではないか。そう自分に言い聞かせながら。



 互いの顔を見て取れるほどの距離に近づいた時、武田上杉両軍の指揮官は手を挙げて全軍を停止させた。
 そして、互いに陣頭に馬を進める。
 景虎様の姿の向こうに、武田晴信と思われる人物が現れ、俺の視界にもその姿が映った。


 腰まで伸びた髪が、初夏の日の光を浴びて鮮やかに照り映える。
 女性であることは噂で聞き知っていたが、思った以上に若い。むしろ幼いとさえ思えた。俺の感覚で言えば中学生か、下手をすると小学生にさえ見えてしまう。
 だが、外見ほどこの人物の真価を知る上で不要な要素はないだろう。
 その内心の奥深さを示すように、少女の顔にはいかなる表情も浮かんでいなかったが、それは決して無表情であることを意味しない。
 俺は初めて知る。
 世の中には、ただその眼光だけで他者を圧することが出来る者がいるのだと。
 表情をつくらぬことで、相手に畏怖の思いを呼び起こすことが出来る者がいるのだと。


 自然、心身が震えた。景虎様の清冽さを目の当たりにした時と同じように。
 武田晴信――景虎様と同様に、歴史に不滅の名を刻み込むことになる虎将の姿が、そこにあった。




 
「――『上杉笹』に『毘』の旗印、貴女が長尾景虎ですか。聞けば越後一国の内紛を治めたそうですね。ひとまず祝辞を述べておくとしましょうか」
 晴信の口から明瞭な声が流れ出る。
 澄んだ乙女の声は、しかし内心の深遠をあらわすかのように奇妙な奥深さがあった。
 おもわず背筋を震わせた俺の耳に、応える景虎様の声が響く。
「いかにも、私が長尾景虎です。その威風、貴殿こそ甲州武田家の総帥たる武田晴信殿とお見受けいたしますが、相違ありませんか」
「ええ、私が武田晴信です」
 そう応えると、晴信は、さて、と口を開く。
「挨拶は互いにこの程度で良いでしょう。わざわざ我が国境に物々しき武者たちを引き連れて現れた理由、聞かせてもらいましょうか」


 あでやかに言い放った晴信の言葉に、景虎様が柳眉を逆立てる。
「我が国、と仰られたか。武田家は甲斐守護職であって、信濃が御身の領土となったとは初耳です。信濃の国人衆を次々と力で放逐したゆえに、信濃は我が領土であると仰るのであれば、理非を弁えぬも甚だしいでしょう。栄誉ある甲斐源氏棟梁の言葉とも思えませぬ」
「長尾家は守護にあらず、守護代に過ぎません。その娘ごときが、守護の何たるかを私に説くとは笑止ですね。私に物を説くのであれば、せめて同格の身になってから口を開いてほしいものです」
 景虎様の語気を容易く受け流した形の晴信であったが、景虎様はなおも言葉をとめない。
「守護であれ守護代であれ、あるいは庶民であれ、世に人として守るべき道理があることに違いはありますまい。甲斐源氏を統べる御身には、天下に平和と繁栄をもたらす責務がおありの筈。その御身が、力もて奪うことを正当化してしまえば、世は乱れ、人は禽獣とかわりなき存在となりはてましょう。貴君は、かかる末世をお望みであられるのかッ」


 景虎様の激しい言葉は、奔流となって晴信へと向かう。
 並の人物であれば、言葉を失って立ち尽くすほどの迫力であったが、さすがに晴信は凡人ではなかった。あっさりと、こう言い返したのである。
「これは異なことを聞くものです。力もて奪うことを正当化せぬ貴女は、どのようにして越後の兵乱を治めたというのです?」
「――兵は不詳の器なり、故に有道の者は処らず、やむを得ずして之を用うれば、恬淡を上と為す、勝ちて美とせず――越後の兵乱を鎮めるために兵を用いたことは否定しませぬ。ですが、私は貴君のように我欲に従って他者の地を奪ったわけではない」


 景虎様の言葉に、晴信の顔はかすかに顔をしかめた。
「ふん、道家の文言で己が正義を飾り立てるのですか。私が信濃で行ったように兵を殺し、将を討ち、他者の地と位を奪いながら、自ら退いてみせれば全ての罪が浄化されるとでも? 貴女は勝ちに伴う利を捨てたと、みずからの無私を誇っているようですが、勝者には利だけでなく責務も生じることを知らないのですか」
 責務、という言葉は先の景虎様の糾弾にかけたのだろう。晴信は語気強く続けた。
「付き従った配下、打ち倒した敵将、そして戦で苦しんだ自国と他国の民――勝者にはそれら全てに報いる責務があります。利と共にその責務すら放り捨て、他者に労を強いているのが今の貴女です。自らを無私の者と任ずるのは結構ですが、私はそのように無責任な輩と語るべき言葉は持ちあわせていません。他人に責務を問う前に、己が身を振り返って見るがよいッ」


 徐々に。
 それまで変化を見せなかった晴信の口調が檄しつつあった。
 景虎様はめずらしくはじめから感情を昂ぶらせていたのだが、あるいは晴信も同様であったのかもしれない。景虎様との違いは、それを押し隠すか、面に現すかの違いでしかなかったのだろう。


 さらにいくつかの言葉の応酬が続くうちに、いつか二人の言葉から地位職責に関わる装飾が剥がれ落ち、ただ武田晴信として、長尾景虎として、互いに向けて言葉を突きつけるようになっていた。
「それだけの見識を持ちながら、何故いたずらに世を乱す真似をする。その野心こそが戦国の世を招いた淵源なのだと何故気づかないッ?!」
「私は貴女と違い、自らの分を知るというだけのことです。この身は高野の聖にあらず、理想と念仏を唱えて国が富むのならばそうしましょう。けれど、この戦国の闇はそんなものでは拓けはしないッ」


 晴信の身体が、膨れ上がるように大きくなった。思わず俺がそう錯覚してしまったほどに、今の晴信からは圧倒的なまでの覇気が感じられた。
「甲斐源氏の棟梁として、私は私のやり方で民を守り、家を守り、天下を守る! 実利なき天道と、自身の正義に酔いしれる愚か者ごときが、よくも臆面もなく私の前で源氏の名を持ち出せたものです」
 そういうや、晴信は唐突に馬首をかえした。
 そして、首だけを景虎様に向けて言い放つ。
「これ以上の問答は無益でしょう。私を承伏させたければ、戦で従わせるのですね。貴女の言う不詳の器とやらを行使すれば良いだけのことです――簡単なものでしょう、軍神殿?」


 揶揄とも、問いかけとも知れない晴信の言葉に、景虎様は勁烈な眼差しを向けることで応えた。
 一瞬、両者の視線がぶつかりあい、中空で飛び散る火花が見えたように思えたのは、俺の気のせいであったかもしれない。


 だが。
「全軍、退きます」
「全軍、退くぞ」
 同時に命令を下し、互いに馬首を返した両雄の声に、底知れない威圧と苛立ちを感じたのは、決して気のせいではなかった。





 ――これが、後に終生の好敵手として知られることになる長尾景虎と、武田晴信の初めての邂逅となる。
 その場に立ち会えた者にとっては、歴史の一舞台を目の当たりに出来たという意味で幸運なことといえたかもしれない。少なくとも、後世の歴史家でそれをうらやまぬ者はないだろう。
 しかしながら、俺はもちろんのこと、定満や兼続でさえも、自らの幸運に感謝するよりも先に、両雄の鬼気迫るやり取りの余波を浴びたせいで、矛を交える前から心身に疲労を覚え、立っていることさえ容易ではない有様だった。
 だが、武田軍相手に隙を見せることなどできる筈もない。景虎様率いる上杉勢は、疲労を訴える心身を叱咤しながら、整然と退却を開始する。
 春日山から発した上杉軍に比べ、武田軍は旭山城からこの場所までさしたる距離はない。武田晴信が何の策も用意していないとは考えられなかったからである。くわえて、眼前に見えた二千の軍勢が、武田軍の全てである筈もない。
 信濃を制覇した武田軍が、将兵の疲労を無視して越後に踏み入るような真似をするとは思えなかったが、それでも隙を見せれば敵の牙はこちらの咽喉に届くだろう。武田軍が、それほどの相手であるということは、この短い時間ではっきりと越後の将兵すべての心に刻み込まれていた。




◆◆




 一方。
「ほう、見事な退き際よな」
 山県昌景は、退却していく上杉軍の陣列を遠くに見ながら、感心したように頷いた。
「うむ、内藤殿には隙あらば敵の後背を扼すように伝えておいたのだが……これでは難しいか」
 山本勘助も昌景と同意見であるというように低く呟いた。
 実のところ、武田軍はこの時兵力の多くを旭山城に残しており、国境まで出ていた兵力はこの場の二千と、山裾に待機させている内藤昌秀の騎馬隊五百のみであった。
 武田軍が北信濃攻略に動員した兵は一万を越えるが、村上義清らの激しい抵抗もあって、将兵の疲労はかなり激しい。そしてそれは、この場にいる軍勢も含めての話であった。
 疲労した将兵を大勢連れてきては、いざ戦となった時、思わぬ不覚をとりかねない。そう考えた武田軍は精鋭のみを率いてこの場まで出てきたのである。



 陣に戻った晴信はどこか不機嫌そうに軍配を手の中で弄んでいる。
 晴信がここまで感情をあらわにするのは滅多にないことである。虎綱などはおろおろとしていたが、若いながらに尋常ならざる自制力を持つ晴信は、いつまでも自分の感情に拘泥することはなかった。
 やがて晴信の口から、いつもの恬淡とした声が発される。
「あわよくば越後まで。そう考えていましたが、やはり越後上杉家、一筋縄ではいきませんね。今の段階でまともに矛を交えれば、こちらの苦戦は免れないでしょう」
 勘助が頷いて賛意をあらわした。
「然り。ここは欲を出さず、甲斐に戻り兵を休息させるべきかと。兵たちからも、帰国を望む声が出始めておりまする」
「わかりました。越後も内乱を終えたばかり、しばらくは大兵を催す余裕はないでしょう。ここは退きます」


 主君の言葉を聞き、昌景は視線を僚将に向けた。
 幸村や信春が一戦を望んで声を挙げるかもしれぬと考えたのだが、二人ともにめずらしく押し黙ったままである。その顔色の悪さは、先の晴信と景虎のやり取りの気に充てられたためか。
 それでも、二人の年齢を考えれば、声を漏らさなかっただけ見事といえる。昌景はそう思う。
 昌景や勘助にしたところで、何の影響も受けていないわけではない。先の両雄の対峙は、周囲にそれだけの威圧感を与えていたのである。武田の誇る六将であっても、その影響を免れることは出来なかった。


(御館様に匹敵するほどの覇気、か。まさか先代のほかにそのような者がいようとはな)
 あの敵将の姿から、ふと、そんな考えが思い浮かんだ。
 もっとも、景虎のそれと、武田家の先代信虎のそれとは全く意を異にする。
 景虎と晴信は、全く違うように見えて、その底に似通ったものを感じさせるが、信虎は全くの対極であった。
 かつての主君の姿を思い浮かべた昌景は、しかし、すぐに頭を振ってその姿を脳裏から追い払う。
 先代のことを考えれば、必然的に躑躅ヶ崎の乱のことが思い出されてしまう。
 山の将、山県昌景であっても、あの大乱を思い出すのは気が萎えることであったからだ。


 そんな昌景の耳に、晴信の声が届く。
「昌秀にも退却の使者を出してください。旭山城の守備は、虎綱、あなたに任せます」
「ぎょ、御意にございます」
「葛尾城は昌秀に。あなたたち二人であれば、北信濃を治めることも容易いでしょう。村上らの残党と越後の動向に注意を怠らぬように」
「承知いたしましたッ、か、必ず、ご期待に沿ってみせます」
「期待していますよ。では、他の者は手勢を率いて甲斐に戻る準備を」
 晴信の言葉に、武田の諸将は一斉に頭を垂れる。


 かくて、武田家と上杉家のはじめての対峙は、一雫の血も流されることなく終わる。
 だが、それが今後の平穏を約束するものではないことは、武田、上杉を問わず、全ての者が承知するところであった。 




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