【第25章 行方不明者の落とし物 The Thing The Missing Lost その2】
ハリーは、ハーマイオニーがなんと言ったのか一瞬理解できなかった。
「ロ……ン?」
「えぇ、そうよ。ロンはあなたやフレッド、ジョージとはぐれた後、アリシアたちと合流してエリアに帰ってきたの。そしてさっき、独りでマルフォイたちを食い止めると言って―――」
「そんなはずはない!!」
ハリーは喚き声をあげた。ハーマイオニーはびくっとして、ハリーから離れるように後退りした。
「ロンは、確かにロンだった! スリザリン生のわけが―――」
「わかったから叫ばないで、ハリー。私は可能性の話をしただけよ。私だって、さっきまでのロンがスリザリンのスパイだったとは思えないわ」
ハーマイオニーが、ハリーをなだめるように言った。
「そもそも、スリザリンがスパイを送り込んでいる可能性自体が―――」
「その“可能性”が高まる証拠を、たったいま君自身が示したんだ! それなのに、よくそんな悠長なことを言っていられるな! 僕はエリアに戻る!!」
「落ち着いて、ハリー!」
ハーマイオニーが哀願するように言ってハリーの腕を掴んだが、ハリーはその手をはねのけた。
自分がハーマイオニーに八つ当たりしていることを、ハリーはわかっていた。しかし、いくつもの考えが目まぐるしく頭の中を回り、自分がどうしたいのかすらハリーにはわからなくなっていた。
スパイが化けていたのがロンだったとしたら、いまさらエリアに戻っても仕方がない。せいぜい、いまからスリザリン生が攻め込んでくると警告できるくらいだ。
とはいえ、それだけでも十分有意義なことかもしれない。
いや、何を考えているんだ。
そもそも、さっきまでのロンがスリザリン生のスパイだったはずがない。
しかしアンジェリーナにそう言ったところで、信じてもらえるのだろうか。ロンがスパイでないという証拠はない。
……違う。
ロンがスパイかどうかを議論する必要はないはずだ―――
考えがまとまらないままに階段を上り始めていたハリーは、後ろからローブを強く引っ張られ、危うく転げ落ちそうになった。
「危ないだろ、ハーマイオ―――」
しかし、そこにいたのはハーマイオニーではなかった。
「そんなに急いでどこ行くの、ポッティちゃん?」
大口で小男のポルターガイストが、ケッケッと笑いながら宙に浮かんでいた。ハーマイオニーは戸惑いの表情ですでにピーブズに杖を向けていたが、ハリーに当たるのを恐れて呪文をかけるのをためらっているようだった。ハリーは脅すように唸った。
「どけ、ピーブズ」
「オォォゥ、いかれポンチがイライラしてる」
ピーブズが意地悪くニヤニヤ笑いながら、ハリーの頭の周りをプカプカと一周した。
「どうしてそんなに動転してるの? いや、狂ってるのはいつものことか」
「ほっといてくれ!」
再び階段を上がりながら、ハリーが叫んだ。
「そんな態度でいいのかな? これ、な~んだ?」
振り返ると、ピーブズは緑色の何かを掲げていた。ピーブズが空中でくるりと宙返りし、その何かが鈍く光った。
ハリーはハッとローブの胸元に手をやった。しかし、それはそこにはなかった。ピーブズはいつの間にか、ハリーがクラムから預かっていたエンブレムをかすめ取っていたのだ。
ハリーがローブから目を上げたときには、すでにピーブズは階段の手摺を背中で滑り降りていた。ピーブズが手をかざすと、隠し扉が勢いよく開いた。
「ハーマイオニー、ピーブズを捕まえて!」
しかしハーマイオニーが状況を呑み込んだときにはもう、ピーブズは廊下に飛び出していた。
「ごめんなさい、ハリー。いつものように嫌味を言いに来ただけだと思って、ピーブズがエンブレムを奪っていたなんて思わなかったの」
「とにかく、エンブレムを取り返そう」
ハリーはハーマイオニーと一緒に、月明かりが差し込む廊下に出た。
「ポッツン・ポッツリ・ポッター!」
ピーブズは二人を嘲笑うかのように、空中でヒョコヒョコと跳ねていた。
「ステューピファイ! 麻痺せよ!」
「インペディメンタ! 妨害せよ!」
ハリーとハーマイオニーが同時に叫んだが、ピーブズは上下方向にぐるんと反転して二つの光線をかわした。そして逆さま状態のままで、舌を突き出してベ~ッとやった。
「タイミングをずらして、追い詰めましょう」
そう言うとハーマイオニーは、ハリーの二度目の呪文を避けたピーブズに杖を向けた。
「インカーセラス! 縛れ!」
ピーブズは辛くもその呪文から逃れたが、鈴飾りのついた帽子がずり落ち、オレンジ色の蝶ネクタイは歪んでいた。イライラが頂点に達していたハリーは、その鬱憤をぶちまけるように魔法をたたみかけた。
さすがのピーブズも、これには参ったようだ。ピーブズは何度目かのハリーの呪文を辛うじて避けたはずみで、花瓶に頭から突っ込んでしまった。
「マジになるなよ、ポッター。あぁ、興醒めだ。こんなもの、こうしてやる」
それは一瞬のことだった。水を被り頭に花が引っかかったピーブズが窓を一睨みすると、パッと窓が開いた。そしてピーブズはエンブレムを窓の外に投げ捨て、悪態をつきながらズームアウトして消え失せた。
「拾いに行かなきゃ!」
あれはクラムのエンブレムだ。もちろん三十点というその点数も大きかったが、再戦のときまで預かっておくと約束したものだった。
ハーマイオニーが窓の外を見下ろした。
「ちょうど城の正面玄関のすぐ外だわ。急ぎましょう。もうすぐ十分が経ってしまう」
二人は一番近くの大理石の階段を一階まで駆け下りた。玄関ホールはダーズリーの家がまるまる入りそうなほど広く、天井はおそろしく高い。あまりに広い空間なので、寮の点数を記録した巨大な砂時計の脇を駆け抜けたハリーの足音は、石畳の床や松明の炎に照らされた石壁に反響こそすれど、増幅することなく天井へと吸い込まれていった。樫の扉を開けた途端、ハリーの顔を夜気が包んだ。
クラムのエンブレムはルーモスを唱えるまでもなく、玄関ホールから漏れた光の筋の中にすぐ見つかった。ハリーはエンブレムをしっかりと胸に留め、ハーマイオニーを安心させようと振り返った。
しかし、ハーマイオニーはそこにはいなかった。
「ハーマイオニー?」
ハリーが樫の扉を入ると、興奮した面持ちでハーマイオニーが駆け寄ってきた。
「ここよ! ここなのよ、ハリー!」
「えっと、何の話だい?」
ハーマイオニーが両手を広げ、玄関ホールを振り返った。
「マクゴナガル先生が仰っていたでしょ。『“永遠”という言葉が虚しく響き、零れ落ちる時を留めてはおけない』というのは、まさにこの玄関ホールのことを言っているのよ。足音も吸い込まれてしまうこの広大な空間。そして、宝石が零れ落ちるこの砂時計」
ハリーも玄関ホールを見回した。ハーマイオニーの言うとおりだ。ここ以外に、マクゴナガル先生のヒントにピッタリの場所があるはずがない。
「それなら、この玄関ホールのどこかにロンの手がか―――ウワッ!!」
喜びのあまり駆け出そうとしたハリーは、何か小さくて丸い物を踏んづけてしまい、ドスンと尻餅をついてしまった。
「大丈夫、ハリー!?」
ハリーはお尻をさすりながら立ち上がった。
「うん。何かがここに落ちてて―――」
前方に転がっていったその何かに、ハリーは見覚えがあった。よく確認するために、ハリーはそれを拾い上げた。
ハリーの頭の中でバラバラに存在していたパズルのピースが、途端に組み上がり始めた。
一週間前のマルフォイの不審な行動とハリーが感じた違和感。
スリザリンの大胆な作戦。
ロンのタロットカードの真意。
行方不明のロン。
廻り続ける掛け時計の針。
ルーピンの残したヒント。
スリザリンのエリアがいくら探しても見つからない理由。
それらのすべてを結ぶ最後のピースが、いまハリーの手の中に収まっていた。
ハリーの肩越しにそれを見たハーマイオニーも、興奮で目を輝かせ、両手を口に当てた。
しかし、その口から言葉が漏れることはなく、その目の輝きは虚ろに消えていった。
スローモーションの映像を見ているかのように、ハーマイオニーがハリーの脇に倒れた。
「これでまた独りぼっちだな、ポッター」
ハリーを取り囲んだスリザリンの集団の先頭で、杖を掲げたマルフォイがせせら笑っていた。