【第25章 行方不明者の落とし物 The Thing The Missing Lost その1】
「それじゃあ、ルーピンのヒントを考えてみましょう、ハリー」
シリウスとルーピン、そしてバックビークを見送ったハリーとハーマイオニーは、見回りの魔法省の役人が現れる前にと、急いで天文台塔を下りていた。争奪戦中とはいえ天文台塔に立ち入って良かったのかどうかわからなかったし、魔法省の役人の持つ両面鏡によって、二人が天文台塔にいたという事実を大勢が知ることになる事態は避けたかった。逃亡中のシリウスのためにも、いましがたの秘密の再会の証拠をなるべく残したくなかったのだ。
二人は先ほどの再会の喜びからすでに気持ちを切り替えていた。ロンの現状を知っている素振りを見せたルーピンのヒントが、ロンとの再会に直結すると感じ取っていたからかもしれない。
「だけど、『ルールをよく読め』なんて言われても困るよ」
東棟の六階の廊下で背後に気を配りながら、ハリーは溜め息をついた。
「ルールが書かれた羊皮紙は、争奪戦中は必要ないと思って寮に置いてきちゃったよ」
「それなら、私が一字一句漏らさずに暗記しているから問題ないわ」
ハーマイオニーが、いままで読んだ本の内容を覚えていることは、ハリーもよく知っていた。しかし、まさか学校行事のルールまで丸暗記しているとは、ハリーは思ってもみなかった。ハリーの驚いた顔を見て、当然だとばかりにハーマイオニーが言った。
「ルールあってこそのゲームじゃない!? そうでなければ、ただの野蛮な戦争よ。あなただって、クィディッチのルールは全部覚えてるでしょ?」
確かにハリーは、一年生のときにマクゴナガル先生から大抜擢されて以来、三年間ずっとクィディッチの代表選手に選ばれ続けてきた。しかし実際にプレーするのには、必要最低限のルールさえ把握していれば十分だった。
第一、クィディッチには七百もの反則があるのだ。覚えきれるはずがない。
『冗談言うなよ。ハーマイオニー、君はクィディッチのことを何もわかってない』
ロンがいたら、そう言っただろうか。
「とにかく、気になるルールを挙げてみましょう」
「そういえば……」
ハリーは、ハッフルパフのエリアでの乱戦以来、一つ気になっていることがあった。
「ノーマルエンブレムは、エリア内に持ち込むことはできないはずだ。それじゃあ、守備側が攻撃側のエンブレムを奪ったらどうなるんだ?」
「そのことなら、争奪戦が始まってすぐにマクゴナガル先生に確認したわ」
ハーマイオニーが、おべんちゃらのグレゴリー像を過ぎた角から少しだけ向こうに顔を出し、曲がった先の廊下の安全を確認しながら答えた。
「自陣でエンブレムを獲得した場合は、混乱が収まり次第すみやかにエリア外に運べば良いそうよ」
ハリーは、この言葉が少し引っかかった。
「でも、『混乱が収まった』とか『すみやかに』っていうのは、その人の主観に左右されるよね?」
ハーマイオニーは、ハリーがその点に疑問を抱くのを予期していたようだった。
「ルールというものは、いつでも完全であるわけではないわ。魔法省の法律を鑑みてもわかるはずよ」
振り返って熱っぽく話し始めたハーマイオニーは、屋敷しもべ妖精の奴隷制度のことを考えているのだとハリーにはすぐにわかった。
角を曲がるとハリーは下に続く階段がある隠し扉を指差し、ハーマイオニーもそれに従った。
「クィディッチのルールだってそう。きっと過去の過ちを省みて、修正されていったはずよ。仕方ないことだわ。だから今回の争奪戦では、ルールが厳密でない部分は決闘立会人がその場その場で判断を下すみたい。今回の場合なら、そのエリアの寮監ね」
「つまりスネイプが『混乱した状況』だと判断すれば、エンブレムをエリア外に出さなくていいわけだ」
狭い階段の前を行くハーマイオニーが突然振り返ったので、ハリーも立ち止まらざるをえなかった。
「ハリー、個人的感情は一旦捨てて冷静にならなきゃダメよ。そうでなければ―――」
「僕がコーマックみたいなバカをやる、とでも言―――」
そのとき、ハリーの頭に一つの疑念が浮かんだ。怒鳴り始めたかと思った途端に突然言葉を切ったハリーに、ハーマイオニーは困惑の表情を浮かべていた。自分を見つめるハーマイオニーを追い越して、ハリーはその考えに耽りながら階段を下り始めた。
「本当に、コーマックは我を失っていたのか?」
「錯乱の呪文のことを言っているのなら」
ハーマイオニーがハリーに並んだ。
「まずありえないわ。彼は、数時間エリアに留まっていたの。錯乱の呪文はかなり高度な魔法よ。物ならまだしも人を長時間錯乱させ続けるのは、私たち学生には不可能といっていいわ」
「錯乱の呪文……それもありうるな。急げばまだ間に合うかもしれない!」
たったいま下りてきた階段を逆走し始めたハリーを、ハーマイオニーが引き留めた。
「何のことを言っているの?」
説明を後回しにすることも考えたが、ハリーは逸る気持ちを抑えた。エリアに戻ったときに、ハーマイオニーの協力が不可欠になるだろう。何よりハーマイオニーに納得してもらうことで、自分の推測を確信に変えたかった。
「ポリジュース薬だ」
ハーマイオニーがアッと息をのむ姿をハリーは期待していた。しかし、ハーマイオニーの反応は違った。ハーマイオニーが一歩ハリーに詰め寄った。
「ハリー、私たちがポリジュース薬を作るのに、どれほどの無茶をして、どれほどの期間を費やしたか、忘れたわけではないわよね? スネイプの研究室は呪文で封印されているし、争奪戦の開催が判明したのはつい一週間前なのよ?」
相手がスリザリン生だということをハーマイオニーは忘れているのだろうか?
「スネイプはずっと以前から争奪戦が行われることを知っていたに違いない。それにスリザリン生相手になら、ポリジュース薬の材料を喜んで提供しただろう。いや、もしかしたらスネイプ自ら薬を調製したかもしれないな」
「あなたがスネイプに難癖つけたいのはよくわかった。だけど、考えられないわ」
スネイプはそんな卑怯なことはしない? ハーマイオニーは本気でそう思っているのだろうか? そしてロンなら、ハリーとハーマイオニーのどちらの意見に加勢しただろう?
「スネイプなら手段を選ばな―――」
「スネイプのこともあるけど、それだけじゃないわ。仮にスリザリン生のスパイがポリジュース薬でグリフィンドール生に変身して、エリアにいるとしましょう。敵鏡やかくれん防止器や掛け時計のことは、どう説明するの?」
ハリーは闇の検知器や掛け時計の存在をすっかり忘れていた。しかし、まだ自分の懸念が間違っていると証明されたわけではない。
「ポリジュース薬で変身した者には誤認するのかもしれない。そもそも、あの部屋にある機器が正常に作動するという保証はない」
ハーマイオニーが腕を組んで、考え込み始めた。
「うーん……それもそうね。一度、整理してみましょう。まずスリザリンのスパイが本当にエリアにいたとして、グリフィンドールのエリアにたどり着いたのはいつ?」
「争奪戦開始前かもしれないし、争奪戦中に誰かとすり替わったのかもしれない」
「争奪戦開始前はないと思うわ。アンジェリーナがみんなに注意を呼びかけていたでしょ? クィディッチと同じように前哨戦が起こるかもしれないから、絶対に廊下で独りになるなって」
そう言われてみれば、アンジェリーナがそのようなことを言っていた気がする。ウッドから毎シーズン注意されていたハリーは、いつものことだと思って適当に聞き流していた。
「それなら争奪戦中に独りで行動していた時間があって、誰かと合流してからエリアに戻ってきた生徒が怪しいよ」
ハーマイオニーが頷いた。
「そして、そのスパイはグリフィンドールのエリアが必要の部屋であることを知った。けれどエリアエンブレムを取ることはできなかったはずね。ポリジュース薬の使用が公になれば、スネイプの贔屓が明らかになって大問題になるもの」
「同じ理由で、一緒に行動中のグリフィンドール生を攻撃して撒くわけにもいかない。仲間と連絡が取れずにやきもきしていたそのスリザリン生は、コーマックに変身していたか、コーマックに錯乱の呪文をかけたかもしれないな」
「あのコーマックがスリザリン生の変身だった可能性はないわ」
ハーマイオニーがきっぱりと言い張った。
「痺れを切らしたスリザリン生なら、グリフィンドールのエンブレムを持ち出していたはずだもの」
ハーマイオニーの言うとおりだ。スリザリン生がコーマックに変身していた場合、中継地点でコリンからノーマルエンブレムを“奪う”ことになる。グリフィンドールのノーマルエンブレムを持ち出せば、そのエンブレムに対応するグリフィンドール生は城内のどこかにランダムで飛ばされる。それがエリア内の選手ならば、エリアの守備が薄くなりスリザリンが攻め込むチャンスになる。エリア外の選手だったとしても、戦力を分散させることができるのだ。
「コーマックは高慢な人だけど、万が一のことを考えてレイブンクローのエンブレムを持ち出すだけの分別は持ち合わせていたのだと思うわ」
不遜な態度は気に障るが、確かにコーマックはグリフィンドールの勝利を強く願っていたのだろう。彼が提案した呪文の練習も、実際大いに役立っていた。ただしエリアを飛び出していったことに関しては、自信過剰だったと言わざるをえない。
「話を戻しましょう。エリアを突き止めたスパイが、次に取るべき行動は?」
「当然、他のスリザリン生とコンタクトを取ることだろう。そのためにはまずエリアの外に出なければならないし、一緒に行動しているグリフィンドール生を自然に撒く必要がある。だから僕たちは、スパイの疑いのある生徒がエリア外に出るのをまず阻止しないといけない」
そう、一刻も早くエリアに戻ってアンジェリーナに伝えなければ。
「でも、本当にスパイはいるのかしら? 可能性を完全に否定はできないけれど、証拠もないわ。それに、やっぱりスネイプがそこまでの贔屓をするとは思えないの。あなたはスパイが誰に化けていると思っているの、ハリー?」
事態は一刻を争うというのに危機感のないハーマイオニーが、ハリーには理解できなかった。
「ケイティやその友達のリーアンは、独りで行動している時間があったはずだ」
しかし、ハーマイオニーは頭を振った。
「彼女たちは、独りでエリアに帰ってきたわ。ちょうどマクゴナガル先生に位置特定呪文について訊ねているときだったから、はっきりと覚え……」
ハーマイオニーが唐突に言葉を切って黙り込んだが、ハリーは気にも留めずにイライラしながら言った。
「争奪戦中に独りで行動していた時間があって、誰かと合流してエリアに戻ってきた生徒なんて、きっと何人もいるだろう。エリア外で撒かれないうちに、早く―――」
「待って」
口を挟んだハーマイオニーの声は、少し震えていた。
「待って……ハリー、いるの。その条件を満たして、さらにグリフィンドール生を自然に撒いた人が……」
ハリーはその言葉に、興奮と恐怖を同時に感じた。それは自分の推測を支持する一方で、エリアの危機を意味していた。
「誰なんだ!?」
ハーマイオニーは、閃いた名前が自分でも信じられないという面持ちで静かに言った。
「ロンよ」