【第22章 フィルチの復讐 Filch's Revenge その1】
「よし、ここで二手に分かれるか」
ホグワーツ城八階の、ひょろ長ラックランの像がある廊下まで戻ってきたところで、ジョージが提案した。
「早いとこ、スリザリンのエリアを見つけたいからな」
「でも、私たち、ネビルたちと交代しないと」
「それなら、俺たちが呼んできてやるよ。ハーマイオニー、君たちもスリザリンのエリアの捜索を続けたらいいさ。人手は多いほうがいいからな」
フレッドがハーマイオニーを説得した。
「レイブンクローのエンブレムを獲ったことを、エリアで自慢したいだけだぜ」
ロンがハリーに囁いた。
「ロン、何か言ったか?」
「なーんにも」
「まぁいい、誰がどこに行くか相談しておく。ネビルたちには西塔の下層階をチェックしに行ってもらおう。北塔はすでにチェック済みだから、あとは天文学塔だが・・・…」
ハリーは、シリウスとの約束を思い出した。
「天文学塔には、あとで僕たちが行っておくよ。スリザリンのエリアがありそうなのは、この城内の下層階なんでしょ? 天文学塔は、天文学の授業があるだけの塔だし、後回しでもいいんじゃないかな」
フレッドは顎に手をあてた。
「それもそうだな。それじゃあ、俺たちはエリアに立ち寄ったあと、地下一階に向かう。まだ、魔法薬学の教室もスネイプの研究室も、スリザリンの談話室周辺も調べてないって言ってたよな?」
ハリーとロンが頷いた。ハーマイオニーが口を挟んだ。
「でも、スネイプ先生の研究室は、禁止エリアのはずよね。先生方の部屋等の禁止エリアには赤い×印をつけておく、ってダンブルドア先生もおっしゃっていたし」
「スネイプがスリザリン生のために、自分の研究室を特別に開放している可能性も否定できないだろ?」
フレッドが答えたが、ハーマイオニーは納得いかない表情をしていた。
「とにかく、君たちは先に一階を調べに行ってくれ。気をつけてな」
リーは親指を上につきたて、双子と一緒に必要の部屋へと続く廊下を進んでいった。日はもうすっかり暮れていた。城内は薄暗くなり、廊下に並ぶ蝋燭の灯りが怪しく揺れていた。双子とリーの姿はすで薄闇の中に消えていた。
「ルーモス! 光よ!」
ハーマイオニーが杖を掲げ、階下へと続く階段を照らした。ハリーとロンも、それに倣って呪文を唱えた。
「私たちも行きましょう」
ハリーたちは、スリザリン生と鉢合わせることもなく、順調に四階までたどり着いた。ハーマイオニーが照らした図書室の扉には、大きな赤い×印がつけられていた。飢えたハゲタカのような司書マダム・ピンスが呪文の飛び交う争奪戦の戦場に図書室を開放するなどということは、フウーパーがフェニックスを産んでもありえないことだとハリーは思った。
「そろそろ、杖灯りを消したほうがいいかも。スリザリンに見つかっちゃうよ」
「そうね、ロン。ノックス! 消えよ!」
三人は灯りを消し、暗い階段を慎重に下りはじめた。ときおり、キィーと階段が軋む度に三人はギクリとし、自分たちが立てた音であることを確認してほっと胸を撫で下ろした。幾度となく夜のホグワーツ城内を徘徊してきたハリーたちだが、いくら回数を積んでも慣れるものではない。管理人であるフィルチに見つかって罰則を受ける心配こそしなくてよいものの、かわりに三人はいつどこから飛び出してくるかわからない何人ものスリザリン生に、神経を張りつめながら進まなくてはならなかった。さらに悪いことに、今晩はマントも地図も手にしていない。
チラッと横のハーマイオニーの顔を覗くと、ハーマイオニーが唇を噛みしめていた。地図を呪文で縛り上げたハーマイオニーでさえも、地図を置いてきたことを後悔しているようだった。
父親ジェームズの形見である透明マント。父親とシリウス、ルーピンの遺産である忍びの地図。彼らは傍にいなくとも、ハリーを支え、守り、導いてくれていた。ハリーはいま、父親たちの偉大さをまざまざと感じさせられていた。
「大丈夫そうだ。行こう。ハリー?」
ロンが、階段から廊下の両側に目を配って安全を確認し、二人を手招きしていた。父親とその親友のことを考えていたハリーは、一階まで辿り着いていることに気付かなかった。
「あぁ、うん。とりあえず、全部の教室を見て回ろうか」
ハリーはこの争奪戦が始まってから、何度か一階には足を踏み入れていた。しかし、大広間以外の一階の教室は、まだ調べていなかった。
「そういえば、ケイティが友達のリーアンと一緒に、一階を調べに行く予定だったのよね。喧嘩しちゃってまともに調べられなかったって言っ―――」
「あれ、何だろう?」
廊下を直進しようとしていたハーマイオニーをロンが引き留め、右手に伸びる廊下の奥を指さした。ハリーもすぐに、ロンが指さしているものを見つけた。緑の蛍光色の光が、点々と廊下の向こうの暗闇にまで延びていた。
まるで、闇の世界へとハリーたちを誘うかのように。
三人は緑色の光に近づき、目を凝らした。蛍光のように思われた光は、実際には発光していて薄暗がりの中でもかなり眩しく光っており、その出所は床に落ちて乾いた液体だった。液体が滴ってから、かなり時間が経っているようだ。魔法薬だろうか。あるいは、魔法生物の血という可能性もある。
「どこに続いてるんだろう?」
そう言うとロンは、床の光が導く先へとズンズン進み始めた。
「ちょっと、ロン!? こんなの、怪しすぎるわよ」
「でも、その先にエンブレムがあるかもしれないよ?」
ハリーも、緑色の液体がどこに続いているのか興味があった。
「もぅ、ハリーまで! どんな罠が待ち構えていても、知らないわよ!」
そう言いながらも杖を構えるハーマイオニーに、ロンが笑顔を向けた。
「ありがとう、ハーマイオニー。君が来てくれると心強いよ」
「感謝されるほどのことじゃないわ」
ハリーは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。ロンがロンじゃないみたいだ。きっと、争奪戦前にハーマイオニーと喧嘩した反省を踏まえてのことだろう。今し方ピッグウィジョンの無事を確認したことで、安心して心に余裕ができていたということも大きいかもしれない。一方のハーマイオニーも素っ気なく前を向き直ったが、その口元に笑みがこぼれたのをハリーは見逃さなかった。
三人は、緑色の光に導かれるように廊下を進んだ。突き当たりを右に曲がったところにある教室の前で、床の液体は途絶えていた。
「十……十一番教室?」
ハーマイオニーが、磨り減ってほとんど見えなくなった教室の名前を読み上げた。
「授業でも使われていない教室のようね」
「見て、これ!」
ロンが十一番教室のドアを指さした。十一番教室は入口が一つしかなく、そのドアにも大きくて赤い×印がつけられていた。
「どうしてここで液体が途切れてるんだろう? てっきり、液体を落としていった誰かが、この教室に入ったんだと思ったんだけど」
「ロン、そのとおりかもしれないわ」
ハーマイオニーはそう言うと、ドアの前へと進み出た。ハリーはハーマイオニーの言動が理解できなかった。
「でも、ここは禁止エリアだよ」
「ハリー、まぁ見てて」
ハーマイオニーは杖を振り上げると、十一番教室のドアに向けた。
「スコージファイ! 清めよ!」
途端に赤い×印は拭い去られ、かなり錆びついていたドアの取っ手は少しだけかつての輝きを取り戻した。
「立ち入り禁止エリアの目印が、こんなに簡単に消えていいの?」
「そんなわけないでしょ、ハリー」
ハーマイオニーが言っていることは矛盾しているとハリーは思った。
「でも、現に消えたじゃないか? 消したのは君だよ、ハーマイオニー」
「だって、あれはニセモノだもの」
「エーッ!?」
ハリーとロンが、同時に驚きの声を上げた。
「その証拠に……アロホモーラ!」
ハーマイオニーが杖を向けると、カチャリという音がした。ロンが取っ手に手をかけると、キィーという音はしたものの、特に抵抗なくドアが開いた。
「本物の禁止エリアなら、こんなに簡単に×印が消せたり、扉が開いたりしないわ。きっとここに来た誰かが、身を隠すために禁止エリアに見せかけたのよ」
「ハーマイオニー、君は天才だよ」
ロンが真っ暗な教室を覗き込みながら、ハーマイオニーを称賛した。暗くてよくは見えなかったが、ハリーにはハーマイオニーの頬がほんのり赤く染まっているように見えた。
ハーマイオニーの読みの鋭さに感心する一方で、ハリーにはハーマイオニーの推理が引っ掛かっていた。わざわざこの教室を禁止エリアに見せかけたその誰かは、どうして緑色の液体は消さなかったのだろうか? あんなに発光している液体に気付かなかったとはとても思えない。
「とりあえず、灯りがほしいな。ルーモス! 光よ!」
ロンの杖灯りに照らされた十一番教室は、納戸や倉庫のような何やら放ったらかしの感じがする場所だった。ハリーも杖に灯りを灯すと、教室内に人や魔法生物の気配がないか、奥の暗がりに目を凝らした。
「どう? 誰か、何かいる?」
ハーマイオニーがいつでも呪文を唱えられるように杖を構えながら教室に入ってきた。その直後、ドアがバタンと閉まり、地下牢教室に続いてまたもやハリーたちは閉じ込められてしまった。ハリーが体当たりしても、ドアはびくともしない。ハーマイオニーも呪文を唱えたが、先ほどと違って全く効果がなかった。
「伏せろ!」
杖灯りを掲げていたロンが、突然叫んでハーマイオニーを押し下げた。ハリーは右斜め前方から飛んできた何かの下を咄嗟に前転してくぐり抜けた。直後に、別の何かがシュッと音を立ててハリーの左耳をかすめた。
二つの何かが空気を切る音が一旦遠ざかったことを確認したハリーは、その正体を確認するべく、杖を掲げた。
「ルーモス! 光よ!」
暗闇から突然ハリーの杖灯りの中に現れたそれは、今度はロンを襲撃した。
「噛みつきフリスビーと……殴り続けのブーメラン!?」
ロンが二つの物体を避けながら、その二つを視認して叫んだ。ハリーの目にも確かに見えた。今年、城内持ち込み禁止品に加わった、悪戯グッズだ。
「そう、おまえたちが廊下で投げるせいで、俺がどれだけ煩わされていることか」
ハリーは驚いて、声の主を探した。教室の隅で、ガサッという物音とともに、人影が動いた。
「おまえたちも同じ苦しみを味わうがいい。これは俺の復讐だ」
ホグワーツの管理人アーガス・フィルチの意地汚いニヤケ顔が、蝋燭の灯りに不気味に照らされていた。