【第20章 エンプティ・エッグ Empty Egg その1】
「ノーバート、とか?」
ロンが何気なく言ったその一言に、ハリーとハーマイオニーはギクリとした。
「やめてよ、ロン!! そんなこと、冗談でも言うもんじゃないわ!! いくらハグリッドでもそんな危険なこと……ねぇ、ハリー?」
「アー、ウン。ハーマイオニーの言う通りだよ」
ハリーは内心、ハグリッドがこの争奪戦のために、三年前に孵化させたノルウェー・リッジバック種のドラゴン、ノーバートを連れ戻しているのではないかと不安になった。ハグリッドがこの一週間ほど不在だったのは、ノーバートを連れ戻すためにホグワーツから離れていたからかもしれない。
「ハグリッドならやりかねないよ。ハリーが見たっていう、窓に映る巨大な影はきっと―――」
「まだその巨大な影が、ドラゴンだって決まったわけじゃないでしょ?」
ロンとハーマイオニーがこれから待ち受ける試練に思いを巡らせ、ハリーの隣で意見をぶつけ合わせている。三人はマグル学教室へと続く廊下を歩いていた。
昼食を取りに戻ったグリフィンドールのエリアでは、占い学教室で鬼婆に襲われたとか(ロンはトレローニーを鬼婆と見間違えたんじゃないかと笑ったが、ハーマイオニーはまね妖怪の仕業だと断言した)、普段はおとなしいペットのふくろうがいつになく興奮していたなど(ハリーは「ふくろうフーズ」をあげることを勧めてあげた)、他のグリフィンドール生から聞けたのはたわいもない話ばかりで、有益な情報を得ることはできなかった。ハリーはオムライスを食べるのは遠慮してフィッシュ&チップスに手をつけると、ロンとハーマイオニーに相談し、セドリックが教えてくれたマグル学教室に行くことに決めた。エンブレムがそこにあるのは間違いないだろう。
「着いたよ。マグル学教室だ」
ハリーはマグル学教室を通り過ぎそうになったロンとハーマイオニーを引き止めた。ハーマイオニーは「一週間で三倍も成長したのよ!!」と叫んだところだった。
「あぁ、そうね。ちょっと熱くなっちゃって」
ハリーとロンはマグル学の授業を受けたことはなかったが、ハーマイオニーは去年一年間この教室に、逆転時計を使ってまで通い続けていた。ハリーよりも教室の場所には詳しいはずなのだ。
「準備はいい? 行くよ!」
ロンがゴクリと唾を飲み込む音を耳元で聞きながら、ハリーはゆっくりと扉を押し開いた。その間もハリーは教室の中から目を反らさず、いつでも杖を引き抜けるようにした。セドリックが手にすることが出来なかったエンブレムだ。いつ何が飛び出してくるかわからない。
扉が大きな音を立てて軋み、三人は体を強張らせた。中で何かが待ち受けているなら、今の音を聞いたに違いない。ならばコソコソしていても無駄だ。後ろに控える二人がしっかりと杖を握り締めたのをいま一度確認するとハリーは扉を勢いよく開いて、自らもすぐさま杖を引き抜いた。だが、何かが襲ってくる気配もなければ、薄暗い教室の中を何かが動く影すらもなかった。窓という窓はカーテンが閉めきられ、暗赤色のスカーフで覆われたランプが整然と並べられた机の上に置かれている。
ロンとハーマイオニーが顔をしかめた。ハリーと同じことを考えているようだ。この独特な雰囲気は間違えようがない。息苦しいほどの熱気と咽返るような濃厚な香りがない分だけ、いくらかマシだといえるだろう。この教室に暖炉がなくてよかったと、ハリーは心からそう思った。
「ようこそ」
暗がりの中から突然声がした。あの聞き覚えのある、霧のかなたから聞こえるようなか細い声が。
「あなたがたが来ることは、『見えて』いましたわ」
トレローニー先生が薄暗がりの中から芝居がかった登場をした。ガリガリに痩せたトレローニー先生は、いつものようにスパンコールでキラキラと輝くショールを何重にも巻きつけており、首や腕にはビーズ玉や腕輪をジャラつかせ、大きなメガネが先生の目を何倍にも拡大させている。まさしく、キラキラした昆虫だ。
「北塔から降りて参りますと『心眼』が曇ってしまうので本来なら意に反することなのですが、水晶玉にあたくしがマグル学教室で立会人をする姿が見えましたの。運命があたくしを促しているのを、拒むことができまして?」
ロンもハーマイオニーもウンザリした表情だ。トレローニー先生は占い学教室にまね妖怪がいるのを知っているのだろうか。「心眼」で見えているのならば、ここで悠長に立会人をしてはいないだろうなとハリーは思った。また悲惨な予言を聞かされないうちに課題に取り掛かろうと振り返ったハリーの目に、巨大な石盤のようなものが飛び込んできた。教室の前方にあるその横長の物体は、高さも相当のもので、ロン三人分の高さよりも高いようだった。表面には凹凸のようなものが見える。
「お気づきになって?」
トレローニー先生が石盤に向かって歩き始めた。
「エンブレムを手に入れるためには、この石盤の謎を解かなければなりませんの」
「これは先生が用意した課題ですか?」
石盤をもっとよく見ようと近づきながら、ハリーは訊ねた。これが占い学に関する課題ならば、ハリーたち三人には手の出しようがない。
「いいえ、あたくし、このような俗世の娯楽に興じるようなことはしませんわ。この課題は二人の先生の合作だそうですの。一人はマグル学のバベッジ先生。そして、もう一人は―――いえ、これを言っては面白くありませんわね」
ハリーたちは石盤の側までやってきた。石盤を見上げたロンは困惑した顔だ。
「盛り上がっている部分に文字が彫ってあるみたいだ。一番上の列は数字が並んでる。その次の列は左から、えーっと、Q、W、E、R、T、Y―――」
「キーボードだわ!!」
ハーマイオニーがパチンと手を叩いた。ハリーもダドリーの部屋で同じ並びを見たことがある。これはキーボードの配列だ。いくつかのキーは除かれているようだが、Shiftキーや、右端にはEnterキーも見える。
「キーボードって何?」
ロンがますます困惑して言った。
「マグルは、コンピュータという電気で動く計算機を使うんだけど、そのコンピュータに信号を入力するための装置よ」
ハーマイオニーの答えにロンは腕組みをした。
「うーん、よくわからないけど、その鍵盤とかなんとかいうのを使って何をしたらいいんだ?」
「ここを見て!!」
ハリーはSpaceキーの下を指差した。
「何か文字が彫ってある」
石盤に近寄ったハーマイオニーが、指でなぞりながらその文字を読んだ。その不可解な言葉はまるで呪文のようにハリーには聞こえた。
「『Key in an empty egg.』」
「『Key in an empty egg.』? 空っぽの中にある鍵?? なぞなぞはニガテだよ・・・…」
「違うわよ、ロン」
何が違うのかキョトンとするロンに、ハーマイオニーが続けた。
「『Key』は名詞じゃないの。『Key in』で『入力する』という意味よ。石盤がキーボードをかたどっていることからしても間違いないわ。問題は何を入力するのかってことだけれど―――」
「『an empty egg』をそのまま入力するのは安易すぎると思う。この変わった表現に何か意味があるんじゃないかな?」
「そうね、ハリー。『an empty egg』が何のことを指しているのか考えないと」
「僕、わかったかもしれない」
両手を卵型に合わせて考え込んでいたロンが顔を上げた。
「『an empty egg』は『空っぽの卵』。卵の中身を抜いて残るのは、殻だよ。『shell』だ」
「入力してみよう」
ハリーはさっそく「s」のキーへ向かった。頭の高さにあるsキーに手をかけたハリーは、肌触りの良いすべすべのその石を、轟音とともに力いっぱい押し込んだ。
「見て!」
ハーマイオニーの指差すほうを追って、ハリーは頭上を見上げた。石盤のてっぺんに青白い「s」の文字がぽうっと浮かんだ。
「次は『h』だ。右側は任せて」
ロンが「h」キーを押し込むと、「s」の文字の隣に「h」の文字が儚げに現れた。ハリーは「x」キーに足をかけると、今度は「s」キーの右上の「e」キーを押し込んだ。石盤のてっぺんに「she」の文字がふわふわと浮かんでいる。
「えーっと、『l』は・・・」
「右よ、ロン。そこ」
キーボードの配置に馴染みのないロンを、ハーマイオニーが誘導した。「l」キーにたどり着いたロンは、そのでっぱりに力をかけた。轟音を立て、「l」キーは石盤に沈んだ。「l」の文字が「she」に続いて石盤のてっぺんにスーッと出てきた。「shell」の文字が完成間近で、ハーマイオニーは興奮してきたようだ。
「最後にもう一回「l」よ、ロン」
「ダメだ。無理だよ」
ロンはうなだれて振り向いた。ハーマイオニーが眉をひそめた。
「無理って……どういうこと?」
ハリーはハッとして石盤を振り返った。ロンの言うとおりだ。
ロンは石盤から離れ、近くのイスにドカッと座り込んだ。
「この答は間違ってる。もう一度ふりだしからだ」
「あっ!」
ハーマイオニーもほどなく気がついた。
打ち込んだ四つのキーは三人を非難するわけでも挑発するわけでもなく、ただ静かに石盤に沈みこんでいた。
「同じ文字は二度は使えない……当然、『an empty egg』も無理だ」
「お困りのようですわね?」
トレローニー先生は顔を上げず、慣れた手つきでカードを切りながら続けた。
「先ほどの“ハートのエース”も、同じところでつまづきましたわ」
ハートのエース。セドリックのことだろうか?
「目に見えるものだけを信じていてはいけませんわ。目に見えない神秘的なものがあるのです。それがこの答ですの」
「『わかりやすいヒントをくださってありがとうございます』、だわ!」
ハーマイオニーは小声で毒づくと、監督生の風呂場のときと同様に問題の言葉を杖で空中に描いた。ハーマイオニーにとっては、自分の手で書いて、目に見える形で論理的に整理するほうが得意なようだ。
「『egg』から連想できる物ってなんだ?」
隣に腰掛けたハリーに、ロンが尋ねた。
「『empty』は文字通りつかみどころがないからな。『egg』からイメージを膨らませるほうが答えに近づけると思うんだ。例えば、イースターエッグとか、エッグノッグとか―――」
「コロンブスの卵、なんていうのもアリかな」
蛙チョコレートのカードにマグルの誰もが知っているコロンブスの名前を見つけたときは、ハリーはとても驚いた。彼が魔法使いだったというのなら、もちろん卵を割らずに立てることもできたはずだ。
「卵が象徴するようなものはどうだろう? 卵は生命の象徴だからこそイースターエッグの習慣が生まれたわけだし」
「他にも卵のイメージって、丸いとか割れやすいとか……」
「『ハンプティ・ダンプティ』ね」
アナグラムの可能性を考慮して杖で文字を並べ替えていたハーマイオニーが、ロンの言葉に反応した。
「ハーマイオニー、君が目を開けながら寝言を言える特技を持ってたなんて、僕ビックリだ」
「寝言じゃなくて、『ハンプティ・ダンプティ』って言ったの」
「何だよ、それ?」
子どもの頃から魔法界の童謡で育ったロンが知らないのも無理はない。
「『ハンプティ・ダンプティ』っていうのはね、イギリスのマグルの子どもなら誰でも知ってる『マザーグース』という童謡に出てくるなぞなぞなの」
ハーマイオニーは、大きくはないがよく通る声で唄いだした。
Humpty Dumpty sat on a wall.
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
Couldn't put Humpty together again.
ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元には 戻せない
ハーマイオニーのように空で唄うことはできないが、ハリーにも聞き覚えのある詩だ。もちろん、バーノンおじさんやペチュニアおばさんが読んでくれるはずもなく、フィッグばあさんに読み聞かせてもらって知ったのだった。
「この『ハンプティ・ダンプティ』が卵であると詩の中で明言されてるわけではないのだけれど、広く認識されている答よ。ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』には、卵を擬人化したキャラクター『ハンプティ・ダンプティ』が描かれているわ」
「卵の形をした人間かぁ……」
ロンは先ほどと同じように、両手で卵の形を作った。それを見てハリーは閃いた。
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今回は謎解き第二弾です。
オリジナルゲーム「キラVS警察」の動画を作成していたため更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
動画のほうはこちら
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8266478
mixiで行っている大多数対人型の心理戦で、十月十日に予定している第十回大会の参加者も募集しています。
これをもとにDEATH NOTEの二次創作を書くこともあるかもしれません。