【第8章 かたちないもの The Intangible その1】
スリザリン生が他の階に移動したのを確認し、二人は廊下に出て階下へと急いだ。途中で二度ほど踊り場から下の階に人の気配を感じたので、戻って別の階段を利用した。玄関ホールまで辿り着くと、大理石の階段の正面左側のドアから地下に下りた。
二人は二年生のときにポリジュース薬でクラッブとゴイルに変身し、この先にあるスリザリンの談話室に忍び込んだことがあった。
スリザリンのエリアがこのあたりにある可能性は高い。ハリーとロンは地下牢教室を一部屋一部屋確認していった。
しかし、廊下も教室も冷たい石壁にロウソクの炎がちらついているだけだ。そろそろ交代の時間も近づいてきている。
二人は二年生のときに「首無しニック」の絶命日パーティーが行われた教室の前までやってきた。他の地下牢教室よりも一回り大きい。ハリーとロンは扉を挟んで杖を構えた。ハリーが目で合図するとロンが頷いた。
バンッ!!
扉を勢いよく開いて、ハリーから部屋に飛び込んだ。その瞬間、ハリーは自分の体がほんのわずかに軽くなるのを感じた。後から続いたロンが部屋を見回して言った。
「どうやらここもハズレみたいだ」
壁のロウソクの炎が弱々しく揺れている。部屋の奥の角には壊れかけた棚が置いてある。
ギィー、バタン!
突然背後で扉が閉まった。
「なんだよ、これ!?」
ロンが扉を引っ張ったがビクともしない。しかしハリーは目の前の光景に驚いて、身動き一つできなかった。ロンはまだ気づいていない。
「ロン、あれ…」
振り返ったロンも固まってしまった。
ロウソクの弱々しい炎でできていたハリーの影がハリーの足から離れて蠢き始めたかと思うと、徐々に濃くなりながら立ち上がった。
「一体何なんだよ!」
ロンがヒステリックに叫んだ。最初は形が定まらなかった影は次第に輪郭がはっきりし始め、ハリーそっくりの形になった。真っ黒な顔の真っ黒な両の眼は、ハリーとロンを虚ろに眺めている。いや、見えているのだろうか。開いているか定かではない口からは、ヒュー、ヒューという空気の音が洩れるだけだ。
「闇の魔術じゃないのか!?」
ロンが一歩あとずさった。ハリーは、自分から分離して生じたもう一人の自分と対面して、どうしたらいいのかわからなくなっていた。
「安心しなよ。変身術と、ダームストラング校でも教えられる程度の闇の魔術を融合させただけさ」
ふいに女性の声がして、ハリーとロンはあたりを見回した。奥の棚の上に紫のショートヘアーの若い魔女が座っていた。魔女が続けた。
「逃げるってのもアリだな。こっちのドアの境界線を越えれば呪いも解けるよ。」
すでにロンはジリジリと出口のほうに向かっていた。
「けど、その『シャドウ』を倒せばエンブレムが手に入る。今まで三組は逃げたけど、どうする? あたしが話を聞いてる限りじゃ、あんたたちならやれると思うよ、ハリー、ロン」
「えっ!?」
ハリーは魔女が自分たちの名前を知っていることに驚いた。あの位置からではエンブレムの名前も見えないはずだ。ハリーは確かに魔法界では「生き残った男の子」として有名で、自分が魔法使いだと知る前から、道行く魔法使いや魔女に握手を求められることもあった。しかし、あの魔女はロンの名前も知っている。
「あなたは…?」
「おっと! 来るよ!」
魔女が叫んだ。「シャドウ」という、魔法で生み出されたハリーの影が、これまた影でできた真っ黒な杖を振り上げた。
「危ない!」
ハリーとロンはとっさに右に飛んで、シャドウの杖先から出た黒い光線をかわした。
「何の呪文だ!?」
ロンが、呪文が当たった石壁がシュゥーと煙を上げているのを見て恐々言った。ハリーも黒い光線が出る呪文など見たことがなかった。シャドウが使うから黒い光線なのだろうか。シャドウは言葉を発する様子がないので、ハリーたちが知っている呪文であっても当たるまで何かわからない…。
シャドウは本体であるハリーからいまや完全に独立し、今度はロンに飛びかかった。
「ウ、ワッ! ス、ステューピファイ! 麻痺せよ!」
ロンのとっさの呪文をかわしたかと思うと…シャドウは姿をくらました。
「どこに消えたんだ!?」
ハリーは杖を構えて、シャドウがどの方向から飛びかかってきても大丈夫なように神経を張りつめた。出口に駆け出したくてたまらない、という表情のロンが、ハリーの頭には逃げるという選択肢がないと知って渋々杖を構えた。
ハリーは魔女のほうをチラリと見た。魔女は何か言いたくてウズウズしているようだった。あとちょっとでも前に乗り出したら、棚から落ちてしまうだろう。
周りを警戒しながら、ハリーは考えを巡らした。黒い光線はどれくらい危険なのだろう? 変身術・・・マクゴナガル先生なら、三年生も出場できる争奪戦の障害に危険な呪文を使わないはずだ。しかし、あの魔女が、あのシャドウには闇の魔術も使われていると言っていた。ムーディー先生が関わっているとなると厄介だ。なんといったって、授業で生徒に禁じられた呪文をかけるのだから。さらに、ハリーの頭に最悪の考えが浮かんだ。ここは地下牢教室だ。闇の魔術をかけたのがスネイプだったら…
ロンが口を開いた。
「僕のさっきの呪文でやっつけたんじゃないか?」
いや、まだだ。依然として、ハリーの影は元に戻っていない。ロンに注意を促そうと振り向いたハリーは、恐ろしい光景を見た。ロンの背後の影からシャドウが現れてロンに杖先を向けている。
「後ろだ!」
ハリーの声に反応して振り返ったロンの胸を、黒い光線が直撃した。
「ローーーン!!」
ロンに駆け寄るハリーの耳元を、何かがかすめて吹き飛んでいった。シャドウは再びロンの影に溶け込んだ。