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No.9982の一覧
[0] 恋姫無双外史・桃香伝(無印恋姫SS)[航海長](2009/07/01 22:28)
[1] 恋姫無双外史・桃香伝 第一話[航海長](2009/07/04 18:05)
[2] 恋姫無双外史・桃香伝 第二話[航海長](2009/07/04 18:07)
[3] 恋姫無双外史・桃香伝 第三話[航海長](2009/07/06 20:39)
[4] 恋姫無双外史・桃香伝 第四話[航海長](2009/07/09 21:30)
[5] 恋姫無双外史・桃香伝 第五話[航海長](2009/07/16 18:24)
[6] 恋姫無双外史・桃香伝 第六話[航海長](2009/07/21 18:12)
[7] 恋姫無双外史・桃香伝 第七話[航海長](2009/07/24 18:50)
[8] 恋姫無双外史・桃香伝 第八話[航海長](2009/07/29 20:26)
[9] 恋姫無双外史・桃香伝 第九話[航海長](2009/08/02 22:31)
[10] 恋姫無双外史・桃香伝 第十話[航海長](2009/08/06 16:25)
[11] 恋姫無双外史・桃香伝 第十一話[航海長](2009/08/10 18:01)
[12] 恋姫無双外史・桃香伝 第十二話[航海長](2009/08/18 18:21)
[13] 恋姫無双外史・桃香伝 第十三話[航海長](2009/08/25 23:00)
[14] 恋姫無双外史・桃香伝 第十四話[航海長](2009/09/27 01:05)
[15] 恋姫無双外史・桃香伝 第十五話[航海長](2009/09/27 01:04)
[16] 恋姫無双外史・桃香伝 第十六話[航海長](2009/11/24 22:26)
[17] 恋姫無双外史・桃香伝 第十七話[航海長](2010/01/01 21:25)
[18] 恋姫無双外史・桃香伝 第十八話[航海長](2010/01/24 00:10)
[19] 恋姫無双外史・桃香伝 第十九話[航海長](2010/02/26 00:46)
[20] 恋姫無双外史・桃香伝 第二十話[航海長](2010/03/03 01:17)
[21] 恋姫無双外史・桃香伝 第二十一話[航海長](2012/06/02 13:34)
[22] 恋姫無双外史・桃香伝 第二十二話[航海長](2012/11/01 05:12)
[23] 恋姫無双外史・桃香伝 第二十三話[航海長](2013/02/26 23:01)
[24] 恋姫無双外史・桃香伝 第二十四話[航海長](2013/09/23 22:45)
[25] 恋姫無双外史・桃香伝 第二十五話[航海長](2014/01/05 22:49)
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[9982] 恋姫無双外史・桃香伝 第二十五話
Name: 航海長◆ccf1ea4b ID:7c73a064 前を表示する
Date: 2014/01/05 22:49
 水上と陸上から完全に包囲された城市。やがて、その包囲陣の一角から煙が上がる。太守が開城に同意した事を示す合図だった。
「どうせ開城と決するなら、華琳様が着陣された時点で降ればよいものを。これだから愚図な男は嫌いだわ」
 荀彧が太守を罵倒する。曹操は苦笑を交えて軍師の太守……というより、途中から男全般に対する嫌悪と憎悪のぶちまけ大会に変わった発言を止めさせ、指示を出した。
「それより、兵糧と武器の搬出を急がせなさい。明日には出立するわよ」
「畏まりました」
 流石に荀彧も罵倒をやめて頷く。ちなみに、兵糧と武器を城市から運び出すのは、降った太守を全く信用していないためだ。
 ここ呉の地では、国主である孫家が一頭抜きん出た実力と権威を保持してはいるものの、その他の有力氏族に対して圧倒的優位にあるとは言えない。先代孫策はその天与の武威と魅力によって彼らを心服させ支配下に置いていたが、当代の孫権はそれほどの人望を持てず、対董卓大同盟戦の後には、各地で反乱を起こした有力土豪たちを討伐する事に追われている。
 この城市の太守はさっきまで一応は孫家に従う姿勢を見せていたわけだが、それが表向きのものに過ぎなかったことは、包囲されてから半日も経たずに降伏を「決断」した事でも明らかだ。だが、このように腰の定まらない者たちは、曹操が落ち目になれば即座に呉の「忠臣」に戻り、曹操に牙を剥くだろう。
 それをさせないために、曹操は彼らから兵糧と武器を取り上げたわけであるが、本来はいくら曹操の実力が懸絶しているとは言え、従わせるのが難儀な命令である。武力は彼ら土着の豪族たちの支配力の源だからだ。その命令を通させるのに重要な役割を果たした人物が、連絡艇で旗艦に戻ってきた。
「華琳様、降伏の使者と武器、兵糧の接収の見届け、無事に済みました」
 そう言って跪くのは、黄蓋である。彼女の実家、黄家は長年孫家に仕えてきた一方で、孫家に次ぐ権威を持つ江東の有力氏族でもある。その当主である延珠が曹操との仲介を務めてくれるとあっては、曹操への渡りを探している多くの日和見土豪たちにとって文字通り渡りに船なのである。
 保身を優先して行動するなら、既に黄蓋が呉を裏切り、母国においては無位無官の身になっていることなど問題ではない。むしろ「共犯者」としての共感すらあるほどだ。ここまで来る間、黄蓋の仲介によって開城した城市は、既に十を超えていた。
「ご苦労様。着替えて閨で待っていなさい。後で行くわ」
 曹操が言うと、黄蓋は顔を赤らめ、それを隠すように平伏すると、旗艦の望楼に消えていった。その服装は、今は武官のものに戻っている。得物の鉄鞭も接収した武具の中にあったから、今の彼女はその気になれば武官としての働きも出来る。
 だが、曹操にとってあくまで黄蓋は後宮の花の一つに過ぎない。今夜も交渉を成功させた「ご褒美」としてたっぷり愛してやるつもりだ。
「…………」
 そんな黄蓋を見送る荀彧の視線に嫉妬と殺意の熱が篭っているのを見て、曹操は苦笑と共に嗜める。
「いい加減にしなさい、桂花。明日は可愛がってあげるから」
 荀彧がぱあっと擬音の聞こえてきそうな勢いで笑顔を浮かべる。軍師の機嫌がようやく直ったと見て、曹操は下流の方向を向く。後数日で、艦隊は呉の根拠地、建業に到達する。その孫氏の都が燃え落ち、孫権やその一族に城下の盟を誓わせる事ができると、彼女は疑っていなかった。
 しかし、彼女が放った三本の矢。そのうちの二本が既に折れた事を、曹操はまだ知らない。
 
 恋姫無双外史・桃香伝
 
 第二十五話 赤壁三戦・その3 周瑜水上に赤壁を具現し、長江は紅に染まるの事
 
 
 翌日、全ての準備を終えた曹操の船団は錨を引き上げ、再び長江を下り始めた。しかし、一刻も経たないうちにその動きはいったん止まった。ここ数日途絶えていた孫呉水軍の襲撃が再開されたのだ。
 楼艦(艦上構造物を持つ大型艦)は出てこないが、快速船を持って襲来し、火矢を撃ち込んだり、船団内に切り込んでは櫂や舵を狙って破壊し、素早く引き揚げる。大した損害は出ないのだが、一度襲撃があると応戦した時間の倍は足止めを食らうため、それまで事態を楽観視していた曹操の表情にも、さすがに苛立ちが出てきた。
「周瑜め……こんな露骨な時間稼ぎをしてどうするつもりなのかしら」
 それは通算四度目の襲撃を撃退した後の事だった。独言の形をした主君の問いに、昨夜褥を共にした事で機嫌の良い荀彧が答える。
「おそらく、建業の防備を固めるまでの時間を稼いでいるのでしょう」
 荀彧の見るところ、艦隊戦での勝算が薄くなりつつある孫呉に取れる作戦は限られている。その中で最も確実性が高いのは、最大の城市であり最高の防御力を持つ建業を敢えて攻めさせ、機を見て遊撃兵力として温存していた水軍を繰り出して曹操を挟撃する事。所謂後詰決戦と呼ばれる形の戦いだ。
 後詰決戦は包囲側にとって最も基本的、かつ効果的な戦術であり、攻撃側にとってはこれを防ぐ事が重要課題となるが、曹操はさほどその可能性を重大視していなかった。
「そうでしょうね。でも、私たちはその気になれば陸上戦力のみでも建業を攻略できる。周瑜にはこれが悪あがきでしかない事を思い知らせてやるわ」
 長江南岸を進撃する、許緒率いる陸戦兵力の総数は十万。これに乗船歩兵・弓兵を降ろして合流させた場合、それだけで孫呉の全兵力に匹敵するほどの戦力となる。いや、合肥から今日までの戦闘において受けた被害を考えると、孫呉側の戦力は既に十二~三万程度となり、曹操率いる魏軍本隊の半分程度にまで戦力が目減りしている。
 ここまで広がった戦力差は、もはや小手先の戦術では補えないほどの圧倒的な差となって現れる。後世の英国において「ランチェスターの法則」なるものが考え出されるが、それは戦力は彼我の戦力の二乗に比例する、というもので、これに当てはめると兵力差が二倍の場合、実際の戦力差は四倍に広がる事になる。
 もちろん、この時代の曹操はランチェスターの法則等知らないが、豊富な実戦経験に照らして、実際の兵力差以上に戦闘の結果が一方的になる事は良く知っていた。
(まぁ、呂布のようにそれを覆しうる超常の存在もいるのだけど)
 自らの優勢を確信しつつも、曹操は考える。直接戦っていないとは言え、二関の戦いや長阪の戦いで彼女が見せた武威の凄まじさは良くわかっていた。
 だが、呉さえ降せば、あの北郷もこれ以上の抗戦を考えたりはしないだろう。そうなれば何処かの太守くらいの地位は与えてもいい。もちろん、関羽や呂布はこちらの配下として献上してもらうつもりだ。
 そして、自分と並ぶもう一人の英雄……劉備。公孫賛からの禅譲を受け、国主となったと聞いた時には「やはり」と思ったものだ。彼女がいつまでも器の劣る相手の下風に収まりつづける筈がない。
 だが、自分なら劉備を使いこなせるはずだ。それが叶う瞬間はもう指呼の間に迫っている。この国の全てを手中にするその瞬間が。
 曹操は自分の勝利を疑っていなかった。そして、それはこの覇王が初めて見せた小さな綻びであり、その中から既に幾つかのものが零れ落ちていた。
 
 
 その零れ落ちたもののひとつが、曹操の数百里後方。赤壁を突破した天軍本陣の場にあった。
「朱里、無事でよかった」
 笑顔でそれを出迎える北郷。そう、零れ落ちたものとは、諸葛亮だった。決戦を前に本陣との合流を目指した彼女は、建業と天軍の間に立ちはだかる魏軍の警備網を突破し、無事にこの日主の下へ帰還を果たしていたのだった。
「ええ。これで私もやっと肩の荷が降ります」
 軍師代行として策を預かっていた黄忠も微笑んだ。
「魏軍はちょっと気が緩んでいますね。おかげで何とかなりました」
 諸葛亮が言う。そこで北郷は気になっていたことを聞いた。
「しかし、良く周瑜が朱里の帰りを認めたな」
 彼の知る「三国志」の世界において、周瑜は諸葛亮の才知を危険視し、様々な手段で謀殺を試みている。結果的にそれらの策は全て諸葛亮に破られ、逆に周瑜の天命を縮める結果になったわけだが……
「いえ、周瑜さんは特に私の帰陣に異を唱えませんでした。むしろ、途中まで護衛をつけようとまで言って下さったくらいです。お断りしましたけど」
 諸葛亮がそう言って横を見る。そこに立っていたのは……
「まぁ、私がいるから護衛なんて不要よねぇん」
 桃色の腰巻一つの姿で身をくねらせる奇怪なマッチョマン。貂蝉だった。周瑜による諸葛亮暗殺を危惧した北郷が、迎え兼護衛として密かに彼女(?)を呉に派遣しておいたのである。
「……貂蝉を送ったのは正解だったな」
 北郷は言った。お人よしの北郷だが、流石に周瑜の申し出は護衛を装った刺客だとわかる。が、諸葛亮はそんな主の思いを察したのか、安心させるように言った。
「確かに周瑜さんは同盟国相手でも油断のできない方ですが、今は信頼しても良いと思います。曹操を討つのに私たちの力が必要な事は認めてくれているようですし」
 決戦を前に、いたずらに同盟軍の戦力を削ぐ様な事はしないはず。諸葛亮はそう考えていたのだった。
「そうか。でも、周瑜殿は魏の大軍をどう討つつもりなのだろうな」
 それまで黙って主と軍師の会話を聞いていた関羽が聞いた。それは北郷も気になっていたところである。
「そうだな……絶好の迎撃地点である赤壁を捨てて、そこで相手を迎え撃つのか……」
 独白にも似た主の問いに、しかし諸葛亮は首を横に降った。
「私にもわかりかねます。周瑜さんは情報漏洩を警戒してか、私たちには策を完全に明かそうとしませんでしたので。ただ……」
「ただ?」
 思わせぶりな軍師の言葉の間に、北郷が質問を重ねると、諸葛亮はちょっと自信なさげに答えた。
「周瑜さんは一回だけ策の一端を覗かせたことがあります。"全ては赤壁で決まる"と」
 赤壁、と言う言葉に北郷が反応する。やはりその言葉が全てのキーワードなのか。
「"赤壁"か……やはり火攻めなのかな」
 北郷が言うと、諸葛亮は首を横に振った。
「私もそれは考えましたが……この季節、呉では北西からの風が吹きます。呉軍が西進する魏軍に東から挑む位置にある以上、火攻めは使えません。自分たちに被害が及ぶ事になります」
 それを聞いて北郷は尋ねた。
「朱里、仙術を使って東南の風を吹かせたりはできる?」
 諸葛亮が祈りを捧げると、北西の風が一転して東南の風に変わる。三国志演義では有名な一節であるが、それを聞いた諸葛亮は一瞬ぽかんとした表情になってから答えた。
「いえいえ、そんなの無理ですよ。軍師たるもの、怪力乱神に頼るなんて邪道です」
「デスヨネー」
 北郷は諸葛亮の答えにうなずいた。もともと、演義ですら「実は諸葛亮は東南の風が吹く日がある事を知っていた」と言う合理的解釈がなされるシーンであるし、この諸葛亮が仙術の心得がないことくらいは北郷も承知だった。念のため確認しただけである。
「しかし、そうすると周瑜は何を持って"赤壁"なんて言ったんだろうなぁ」
 北郷にはわからなかった。
 
 
 北郷や諸葛亮にわからないものでも、当事者にならわかるかと言えば、そうでもないのが曹操軍の現状だった。度重なる小規模な襲撃に神経をややささくれ立たせながらも、曹操軍本隊はついに建業に迫りつつあった。
「間もなく夜明けです、華琳様」
 旗艦の望楼に上がってきた主に、荀彧が告げる。まだ夜明け前の長江の水面を渡ってくる風は、向きが北西と言う事もあって冷たい。しかし、艦隊には熱気が立ち込めつつあった。
「そう。いよいよね」
 曹操が答える。衝突回避のために船上で焚かれる篝火が照らす水面は墨のように黒いが、波もなく穏やかで決戦には差し支えなさそうだった。
 今彼女たちがいる場所は、計算上では建業から僅か十里ほど西に遡った辺りの長江中心部。河口部を除くと川幅が最も広く、艦隊決戦を行うのに十分な水面の広がりがあった。
「夜明け前が最も暗いと言うけど、予想以上の暗さね……建業は見えないかしら?」
 曹操が篝火の明かりを遮るように、目の周りを手で覆って東の沖合いを見る。この日は新月で、星明り以外に光源は存在しない。そのためか、闇の中微かに赤い、規則的に並んだ光がその視界に飛び込んできた。建業の城壁上に並べられた篝火だろう。
「思ったより暗いわね」
 曹操が言うと、荀彧が頷いた。
「捕虜から聞き取ったのですが、あまり明かりを増やしすぎると、その光が水面にちらついて逆に見張りに差し支えるのだそうです」
 曹操は頷いた。この分だと、おそらく向こうはこちらの船団の接近を察知しているだろう。
「まぁいいわ。夜戦を挑むつもりはないのだし。夜明けを待って艦隊を進めるわよ。必ず敵水軍は出てくるはず」
 曹操は待機を命じた。ここまで遂に呉の水軍本隊は現れなかった。向こうもこの広い水面を決戦水域に選んだと言う事だろう。必ず建業を出撃し、下流の何処かに潜んでいるはずだ。
「敵水軍の出現に備え、霹靂車船は建業沖に待機。上陸用の衝船に兵たちを乗り移らせる準備をしておきなさい」
 曹操は荀彧に指示を与える。艦隊同士の戦いでは敵艦に激突させ、穴を開けて撃沈に追い込むための衝船だが、その構造上頑丈で、水面に面した城壁への取り付きにも向いている。曹操も黄河流域の戦いで、自ら衝船の舳先に立って河賊の水塞に殴りこんだ経験があった。
「既に手配しております」
 荀彧が打てば響くという表現が相応しい早さで答える。その反応に満足した曹操が笑みを浮かべた時、東の水平線に赤い光が横一線に走った。
「どうやら夜明けのようね」
 曹操は何気なく言い、そして次の瞬間そのおかしさに気付いた。まだ夜明けには早すぎる。
「見張り! あれは何!? 急ぎ確かめなさい!」
 荀彧も不審に思ったらしく、帆柱の上の見張り台に声をかける。普段なら、そこにいる兵士(当然、男)と直接声を交わす事などない彼女だが、流石にこの時は一時的に男嫌いという己の性癖を頭の片隅に追いやっていた。
「……あれは……あれは一体なんだ!?」
 しかし、見張り台から返ってきたのは、そんな荀彧を苛立たせるような要領を得ない言葉だった。
「何なの? 正確に答えなさいよ!」
 怒りに目を吊り上げる荀彧に、曹操は手を上げてその勘気を抑えると、威厳に満ちた、それでいて相手を落ち着かせる穏やかさを込めた声で呼びかけた。
「直答許す。見たままに報告なさい」
 覇王の威厳を持ってすれば、慌てている兵士も落ち着きを取り戻す。普段なら。相手が尋常の存在であれば。だが、この時はそうではなかった。見張りはさっきより狼狽した、礼儀も何もない口調で答えた。
「か……壁だ! 水の壁が来る! その壁が真っ赤に燃えているんだ!」
「……え?」
 曹操はその意味不明な答えに、自ら東の方を見る。そこにあったのは、思ったよりも近くに迫りつつある光の正体。見張りが言うとおりの、赤く燃え盛る巨大な水の壁。
「な……何なの、あれは!?」
 流石の覇王も、未知の異常現象を前に一瞬その思考力を奪われていた。その頭上から、赤い壁がのしかかるようにして雪崩落ちてきた。
 
 
「海嘯」と言う言葉がある。現代では津波の古語として認識されている事が多い単語だが、本来は潮の干満によって生じる波を意味する言葉である。この波は本来さほど大きなものではないが、特定の時期と条件が重なると、波の大きさが極端に増幅される事がある。
 それは、大潮の時期……すなわち、満月または新月の日であること、そして狭く奥行きのある湾や河口など、波が広い水面から狭い水面へ集中する地形である事だ。現代ではアマゾン川で生じる「ポロロッカ」やイギリスのセヴァーン川で生じる「ボア」が有名である。だが、海嘯の語源は現代中国でも銭塘江で生じる同じ現象の名である。
 そしてこの時代、長江もこの「大海嘯」が生じる条件を備えており、巨大な波が時として数百里に渡って下流から上流へ遡る事があった。
「黄河の狭い流れしか知らぬお前が、この長江の魔物を知る事はあるまいな、曹操よ」
 魏軍とは波を挟んで反対側。そこに孫呉水軍の本隊がいた。一度海に出た艦隊は、大海嘯の始まりと共にそれを追うようにして長江を遡上してきたのだ。その旗艦上で、周瑜は愉悦の笑みを浮かべていた。それは波上に乗せられ点火された焼き討ち船の赤い光に照らされ、地獄からやってきた魔物の如き凄愴さだった。
 しかし、その笑みに恐怖する呉の将兵はいない。全員が同じような笑顔を浮かべていたからだ。それは、祖国を踏みにじり屈辱を強いてきた侵略者に対する怒り、恨みを今まさに数倍にして叩き返そうとする復讐者の笑顔。獲物を引き裂き、胃の腑に収めんとする肉食獣の笑みだった。
「我らはこの日を待っていた。長江を大海嘯が遡る日を。曹操よ、これが我が"赤壁の大火炎"。焼け死ぬか溺れ死ぬか、好きな道を選ぶがいい」
 周瑜は言葉を続ける。生還率の低さを承知で何度も小部隊を持って魏軍本隊にぶつけ、あるいは魏軍進撃途上の城市にのらりくらりとした降伏交渉を行うよう命じたのも、全てはこの日この場所に魏軍を誘い込むための布石だった。
 その時、波の向こうから激しい衝突音が響いてきた。ぶつかり合う船と船の木板が軋み、砕け、弾ける轟音。周瑜は手にしていた扇を閉じ、前方を指した。
「全艦突撃せよ!」
 その命令が太鼓、鉦、貝によって伝達されていく。各艦から突き出された櫂が力強く水を漕ぎ、艦を加速させる。
 開戦からひたすら忍従に耐えてきた呉水軍の逆襲が開始された。
 
 
「ぐ……」
 波が船に激突した衝撃で、一瞬気を失っていたらしい。そう思いながら、曹操は身を起こそうとするが、甲板が濡れていて手が滑り、危うく転びそうになる。その自分の失態に一瞬少女らしい羞恥を浮かべた曹操だったが、すぐに今の事象の意味に気が付き、顔色を変えた。
(この高さの甲板が濡れている……!? いったいどれだけの高波が)
 彼女が座乗する旗艦は全艦隊中でも最大の闘艦であり、艦尾楼の高さは喫水線から十丈を越える。押し寄せた大海嘯はその高さを洗い流していったのだ。曹操は周囲を見て、そして絶句した。
 彼女が無敵を信じ、誇った大艦隊は文字通り四分五裂の有様を呈していた。川の流れに押されないよう投錨していたのが仇となり、多くの船がその場から逃げ出す前に海嘯の直撃を受けていた。
 悪い事に、霹靂車を取り付けたために船の重量が増し、重心も上がった闘艦の多くが、この波の一撃で平衡を崩し、横転沈没に至っていた。抜錨に成功した船も、多くはその波の勢いをこらえきれず、逃げるどころか自分自身が破城槌と化し、他の船をなぎ倒した挙句自らも大破して漂流している。
 そこへ、波に乗って押し寄せた焼き討ち船の炎が引火し、大破した船もまだ無事な船も、次々と火の海に沈んでいった。
「呉水軍、周瑜……!」
 炎の光に照らされるように、呉水軍の軍船が姿を現した。太鼓や手旗の指示によって素早く左右に分かれた呉水軍は、そのまま波に痛めつけられ、漂流状態の魏水軍を包囲すると、容赦ない矢の猛射を浴びせかけた。濡れ鼠になり抵抗もおぼつかない魏の兵士たちがたちまちハリネズミのようになり、悲鳴と共に長江の水面に落ちていく。そのまま浮かんでくる事はない。
 さらに、衝船が辛うじて健在な闘艦を狙って体当たりを仕掛け、その船腹に大穴を穿つと、奔入する川の水がたちまちその闘艦の平衡を崩し、横転させた。ここに来るまでに多くの呉の軍船を葬ってきた霹靂車が、ベリベリと言うまさに霹靂のような音を立てて甲板から引き剥がされ、水柱をあげて川面に落ちる。その周囲に漂っていた魏兵たちを巻き添えにして。
 いまやこの水面で展開されているのは決戦ではない。一方的な殺戮であり、逃げ惑う魏兵たちは狩られる無力な獲物に過ぎなかった。
「おのれ……反撃を! 我が艦を中心に集結するよう命じなさい!」
 叫んで振り返った曹操だったが、すぐにその命令が履行できない事に気づく。信号を伝えるべき太鼓奉行も、信号手も、波にさらわれたか振り落とされたか、その姿が見えない。代わりに手すりに引っかかっていたのは……
「桂花!」
 信頼する軍師、荀彧がぐったりとした様子で手すりにもたれかかっている。波にさらわれる事は免れたものの、水の勢いで身体を何処かに強く打ちつけたのだろう。主の呼びかけにも意識が戻る気配はない。青ざめた顔を横切って流れる血が、彼女の特徴的な猫の頭を模したような外套に染みこんで不思議な模様を作っていた。
「桂花! 桂花! しっかりしなさい!」
 荀彧の身体を抱きかかえ、揺すぶって意識を覚醒させようとする曹操。その背後に気配が立った。
「!? ……延珠? 無事だったのね」
 振り返った曹操は、そこに従順な寵姫が立っているのに気付き、安堵した。だが。
「!」
 その寵姫――黄蓋が完全武装していること、そして押し寄せた凍りつくような殺気に気づくのが遅れていたら、曹操の命はなかっただろう。咄嗟に荀彧を抱えて横に飛んだ曹操の耳を、この戦場の喧騒の中でもはっきりわかる凄まじい風切り音が貫き、それまで彼女が立っていた場所の甲板が微塵に粉砕されて飛び散った。
「延珠、あなた……」
 はじめて見る黄蓋の武の威力に唖然とする曹操。黄蓋は鉄鞭を手繰り寄せながら言った。
「大人しく今の一撃で倒されていれば、苦しまずにあの世に行けましたものを」
 そのぞっとするような冷たい口調に、曹操はずっと騙されていた事を悟りつつも、信じられないように聞いた。
「何故……? お前の心は快楽漬けにして壊し、私の為すがままにしたはず。何故正気を保っていられるの?」
 初めて褥を共にして以来、曹操は毎夜毎夜正気を失うまで黄蓋を責め抜き、黄蓋はもはや曹操から与えられる快楽の虜に成り果てていたはずだった。これまでも従順に曹操の命に服してきている。とても擬態とは思えなかったが、黄蓋は冷たい表情を変えないまま、再び鉄鞭を振りかぶった。
「合肥で受けた屈辱……なにより、巣湖に沈んだ兵たちの無念を思えば、あなたの与える快楽など何ほどのもの!」
 黄蓋の血を吐くような言葉と共に迫る、炎の光を反射して輝く赤い蛇のような鉄鞭を必死に回避する曹操。手すりが砕け、甲板が爆ぜ割れ、飛び散る破片が曹操の身体に細かい傷を刻み込む。その間にも、周囲では魏の艦船が指揮するものもないまま、次々に分断され、包囲され、沈められていった。
 やがて、曹操は船尾楼の一角に追い詰められていた。愛用の大鎌「絶」も流されて手元になく、気を失っている荀彧を抱えているという重荷を背負って、ここまで黄蓋の攻撃を回避し得たのは、曹操が武人としても一流といえる証拠ではあったが、それも最早風前の灯だった。
「お覚悟を」
 黄蓋が鉄鞭を軽く振るい、恐怖を刻み込むように風切音を発する。敗北、そして死が避けようもない事がわかったこの時、曹操はふっと微笑んで黄蓋を見た。
「何のおつもりか?」
 狂を発したのか――そう言いたげな黄蓋に、曹操は首を横に振ると、背中に担いでいた荀彧を降ろし、床に横たえた。
「まだ負けたつもりはない。お前を倒す。そのために、一騎打ちを申し込むわ、黄蓋」
 曹操は言うと、懐から髑髏の飾りが付いた懐剣を取り出す。かつて黄蓋に自害を促すために使ったものだ。
「なるほど、荀彧殿は巻き込むなと言いたい訳ですか」
 黄蓋はそう言って、まだ意識を取り戻さない荀彧をちらりと見た。曹操にとっては、この申し出は賭けだった。もし、黄蓋にまだ武人としての何かがあるなら、応えてくれるかもしれない。しかし。
「お断りします。私の武人としての誇りなど、疾うに失われたもの。あなたを殺し、荀彧殿も殺します。私の任務はただそれだけ」
 黄蓋は曹操の願い出を一蹴すると、鉄鞭を走らせた。だが。
「!?」
 空中で火花が散り、鉄鞭が弾かれた。それを成し遂げたものはまだ僅かに残っていた手すりを砕くと、そこから向きを変えて黄蓋の頭部を狙って空中を駆けてくる。後方にトンボを切ってそれを回避し、黄蓋は鉄鞭を構え直して上を見上げた。
「これは岩打武反魔……許緒殿ですか」
 黄蓋の声に応える様に、帆柱の上に立っていた許緒は黄蓋と曹操の間に立ちはだかるように飛び降りてきた。
「華琳様、お逃げください!」
 黄蓋から目を離さず許緒が言う。陸上から建業を包囲するはずだった彼女の登場に、曹操が疑問の声を投げかけた。
「季衣、陸上部隊はどうしたの?」
 その質問に一瞬言葉に詰まった後、許緒は答えた。
「……壊滅しました。華琳様の船団が波に飲まれるのを見て、一気に士気が下がってしまって……」
 そこへ、建業に篭っていた呉の陸兵が陸遜の指揮の元出撃し、猛攻を加えてきたという。目の前で為す術なく崩壊していく本隊を見て、自らの士気も崩壊させていた陸戦部隊は呉軍の猛攻の前に碌な抵抗ができず、一瞬にして壊滅に追い込まれていた。
 許緒も部隊の建て直しができず、せめて曹操だけでも救うべく、何とかここまでやってきたのだった。
「そう……わかったわ」
 曹操は頷くと、一度降ろした荀彧の身体を再び抱き上げ、許緒に命じた。
「季衣、えん……黄蓋は任せるわ。討ち取ったら追ってきなさい」
「わかりました!」
 許緒が答えて大鉄球を振り回し始める。
「逃がしません!」
 構わず曹操に向けて鉄鞭を放つ黄蓋。しかし、それは途中で許緒の岩打武反魔に絡め取られ、その間に曹操の姿は艦尾楼から甲板へ続く階段へと消えていった。
「貴女の相手はボクがします! 絶対に通しませんよ」
 許緒は言うと岩打武反魔の鎖を強く引く。絡み合った鉄鞭がぴんと張り詰め、きしきしと音を立てた。
「あなたは、それほど嫌いではなかったのだけど」
 黄蓋は言った。嫉妬や不信から、降伏後も自分を敵視してきつく当たった夏候惇や荀彧と異なり、許緒だけは黄蓋に優しく何くれと世話を焼いてくれた相手である。夏候惇、荀彧を葬り去るのには何の躊躇いも心の痛みも覚えないであろう黄蓋だったが、許緒だけは見逃してやっても良いと思っていた。
 しかし、敵として立ちはだかるのなら容赦をする気は全くない。
「引かないのなら打ち倒して通るまで。容赦はしません」
 その冷たい殺気に、許緒の背筋に悪寒が走った。同時に危機に気付く。黄蓋は右手一本で自分が両手で引いている力と拮抗している。そして、空いている左手は……
「きゃっ!?」
 強烈な衝撃に許緒は吹き飛ばされ、岩打武反魔と鉄鞭が解れて、どすんと床板にめり込む。腹部に走った激しい痛みをこらえつつ許緒が黄蓋を見ると、彼女は両手に一本ずつ鉄鞭を持っていた。今許緒を打ち据えたのは新しく取り出した左手からの一撃だ。
「黄家奥義、双条鞭。受けられるものなら受けてみなさい」
 黄蓋が両手を霞むような速度で振るうと、まるで流星雨のような勢いで鞭の先端に付いた分銅が許緒に飛んできた。
(そんな。こんなのかわせる訳が……)
 許緒がそこまで考えた時、全身を凄まじい衝撃と痛みが走りぬけ、一瞬にして彼女の意識は消失していた。
 
「季衣!」
 主甲板まで降りたところで、曹操はその光景を目撃していた。彼女を救うために駆けつけてきた許緒。その小さな身体がボロクズのように吹き飛ぶ様を。
 ぐったりと倒れ、もはやピクリとも動かない許緒。その惨劇を現出させた黄蓋が振り向き、主甲板の上に呆然と立つ曹操を見た時、覇王として君臨してきた曹操の心に、初めてひびが入った。
「あ、ああ……」
 曹操の口から、意味を成さない呻きが漏れる。周囲で燃え上がり、沈んでいく自らの艦隊と、それと共に滅び行く魏軍の惨状が、曹操の心に生じたひびを拡大していく。そして。
「う、うわああぁぁぁぁ!!」
 黄蓋が一歩歩き出した次の瞬間、曹操は走り出した。自分に確実な破滅をもたらす死神から逃げるように。己の知らない超常現象によるこの大敗北と、自分なら御せると信じていた黄蓋の「裏切り」。二重の耐え難い衝撃は、覇王と呼ばれそれに相応しい成果を積み重ねてきた彼女を、年頃の無力な少女に戻していた。
 だが、いくら逃げたくとも、ここは大河の上の漂流する船の上に過ぎない。彼女の逃亡を許す面積はあまりに少なく、曹操はたちまち舳先にまで追い詰められていた。そこへ、まるで恐怖心を煽るが如く、ゆっくりと黄蓋が歩いてくる。
「お覚悟を」
 そう言って立ち止まった黄蓋の足元に、双条鞭がとぐろを巻くようにわだかまった。それが次に動くときが、曹操の最後になる。絶望的な思いが曹操の脳裏を支配した時、彼女の耳に呼びかける声が聞こえてきた。
「孟徳様! ご無事でしたか! 本船にお移りください!」
 曹操は言葉の聞こえてきた方向を見た。右舷の方から、小型の兵船が近づいてくるのが見える。その船尾には確かに魏の旗が掲げられていた。
 曹操がその船を見ている間は絶好の隙だった筈だが、黄蓋もこの時点で生き残っている魏の兵船がここへ近づいてくるのは予想外だったらしく、一瞬それに気を取られる。次の瞬間、曹操は荀彧を抱いたまま船の舳先から飛び降りていた。
「しまっ……!」
 黄蓋が痛恨の声を上げながら、双条鞭を振るう。しかし、僅かに曹操の身を捉えるにはいたらなかった。だが、曹操の背に負われていた荀彧の身には巻き付き、その身体を曹操から引き剥がす。
「桂花……っ!」
 軍師に手を伸ばすも届くはずもなく、曹操の身体はそのまま落下して長江の水面に叩きつけられた。荀彧の真名を呼ぶその口に川の水が入り込み、一瞬で呼吸器が埋まる。さしもの覇王も人間の身体が示す反射的な反応には抗えず、その意識は途絶えた。だが、彼女を探してきた兵船から素早く熊手が突き降ろされ、沈もうとする曹操の身を引き揚げる。
「む、これはいかんな……いや、好都合か」
 そう言ったのは兵船を指揮していた、眼鏡を掛けた理知的ながら酷薄な印象の男だった。配下ともども魏兵の鎧を付けてはいるが、もし曹操に意識があり、彼の顔を見ていれば、お前は誰だ? と聞いただろう。そう、彼は魏の武官などではない。
 男はぐったりとした曹操の口に指を突っ込み、彼女が吸い込んだ水を吐かせる。気道が開通し自発的な呼吸を再開した曹操は、意識が戻らないながら激しく咳き込み、身体を痙攣させた。
「これでよし。後は……」
 男は懐から香炉を取り出すと、横たわる曹操の顔の傍に置いた。そこから立ち上る香の煙が、曹操の肺を満たすように吸い込まれていく。それと共に、彼女の体の痙攣が収まり、顔に貼りついた苦痛の表情が消えていった。
「よし、引き揚げる。船を北岸に向けろ」
 未だ魏の残存艦艇が必死の抵抗を繰り広げている上流域の戦場に背を向け、兵船は川面にたなびく火災煙に紛れるようにして姿を消した。
 
 やがて、太陽が顔を出し中天に向かう頃、戦いの決着は完全についた。大海嘯によって陣形を崩壊させられ、緒戦のうちに本陣を無力化された魏の大艦隊は、その実力を発揮する間もなく、その大半が長江の藻屑と化した。それを見せ付けられた建業包囲の陸上部隊も、士気崩壊と陸遜の迎撃によって壊滅し、五十万と号した大軍は春の淡雪のように消えた。
 孫呉水軍旗艦の艦上は明るい雰囲気に包まれていた。この決戦における孫呉水軍の損害は全体の一割にも満たず、まさに圧勝と呼ぶに相応しい大戦果だったのである。
「おめでとうございます!」
 主だった武官が周瑜の前に並び、勝利を祝する言葉を発する。
「これほどの大勝利をもたらすとは、まさに神算鬼謀」
「宰相閣下こそまさに天下一の軍師にござる」
 武官たちの誉めそやす言葉に、満更でもないように笑顔を見せる周瑜。その顔がふと真剣なものになり、正面を見据える。その変化に一瞬戸惑った武官たちが、それでも周瑜の視線の向く先を見ると、そこにいたのは……
「こ、黄蓋将軍……?」
「何故ここに……」
 囁くような声が漏れる。そこにいたのは、大きな布袋を背負った黄蓋だった。
「今更どの面を下げて……」
「罪を償いにでも来たか?」
 武官たちが囁く。彼女はそうした雰囲気を無視するように、堂々と武官たちの間を歩いて周瑜の前に進むと、すっと膝を折って頭を下げた。
「宰相、ただいま任務を終えて戻りました」
「うむ、ご苦労であった」
 周瑜は頷くと、気がかりだった事を尋ねた。
「して、首尾はどうか」
「申し訳なき仕儀にございますが、曹賊めは取り逃がしました。しかし、彼奴が片腕と頼む二将をとらえてございます」
 黄蓋は答えると、背負ってきた布袋を開く。その中から出てきたのは、鉄鞭で縛り上げられた荀彧と許緒の二人だった。どちらもまだ意識を取り戻していない。
「ふむ……曹賊を捕らえられなかったのは残念だが、奴の軍師をこうして捕縛できたのは大きな成果よ」
 周瑜は満足げに頷くと、事情がまだわかっていない武官たちに告げた。
「黄蓋将軍の逐電と魏への投降は偽りのもの。私と将軍が語らって編んだ策によるものだ。将軍には間者のほか、魏を私が望んだ戦場に引きずり出し、できれば曹操を討つ事もその役目に含まれていた」
 おお、と武官たちの感嘆の声が湧く。黄蓋の任務がどれだけ困難なものだったか、彼らにもわかったからだ。さきほどまでの裏切り者を見る視線は消え、彼女を称賛する声が聞こえる中、周瑜は言った。
「この功を持って、黄蓋将軍が合肥で受けた敗北の責を相殺する。加えて偽りの投降に伴って剥奪した地位を回復する。これからも励め、黄蓋将軍」
「ありがたき幸せ」
 失われた地位や名誉を回復する周瑜の言葉に、黄蓋は更に腰を折る角度を深くして答え、武官たちの拍手がそれを祝福する。
 だが、本来周瑜が告げた言葉は、上級官の人事権を掌握する王、すなわち孫権以外発する事のできないものだ。周瑜の紛れもない越権行為。王に対する反逆と取られてもおかしくない行為である。
 だが、それを誰も咎めようとしなかった。周瑜は気にした風もなく武官の一人を呼びとめ、別の指示を出した。
「済まぬが、卿は上流へ向かい、天軍への使者に立て。今ならば魏を簡単に降せるであろう。そう言って魏への侵攻を示唆するのだ」
「承知しました」
 その武官が自分の艦に向かって去っていく。それを見届け、周瑜は言った。
「では諸将よ、まずはいったん建業へと凱旋する。そのうえで、新たな戦いを始めるのだ」
 それを聞いて、武官たちが沸き立つ。誰もが「新たな戦い」について共通の見解を持っていた。
「では、我らも魏に侵攻するのですな?」
 それを確認するように、中級武官の筆頭格に当たる男が周瑜に尋ねた。しかし、彼女は首を横に降った。
「否。我が国の秘密を侵した、曹賊にも匹敵する大賊がいる。まずはそれを成敗せねばならぬ」
 予想外の言葉に、武官たちが顔を見合わせる。その中で唯一気付いたのが黄蓋だった。
「冥琳、あなた、まさか……!」
 黄蓋の言葉に、周瑜は邪悪とさえ形容できる凶獰な笑みを浮かべ、頷いた。
「敵は准陰にあり」
 曹操と言う共通の敵が消えた今、大同盟軍の崩壊が始まったのだ。
 

―あとがき―

 去年中に間に合いませんでした。完結は何とか今年中を目指したいです。
 華琳は今まで無敵・完璧超人ぶりをさんざん描写したので、今回は逆に為すところなく敗れてもらいました。


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