「……歓迎会?」
休憩中に休憩所でジュースを口にする俺の前に差し出されたプリントに踊る、歓迎会のお知らせの文字を見て呟く俺に、プリントを差し出した本人────ティアが、そうよと答えた。
「ギンガさんとミナトが六課に赴任してもう一週間になるじゃない? 少し遅くなっちゃったけど……」
ちょっと日程調整に時間がかかっちゃって、と、一つ息をついて、手にしていたプリントを差し出してくる。
「日程調整って……。高町さんたちのか?」
「それも含めて、出来る限り全員が参加できればなって思ったの。……それが大変だったってだけ」
ちょっと疲れ気味に見えるティアの表情と声。
そりゃそうだろうと思いながらプリントを受け取り、ちらと内容に目を通してみると日時設定は二日後の19時からだった。
ていうか、
「俺、予定とか聞かれてないんだけど」
「二日後のその時間は、私と訓練の予定だったでしょ。事後承諾なのはごめんなさいだけど、訓練はキャンセルさせてくれない?」
「いや、それはいいけど。というか、俺、参加しなきゃ駄目か?」
「は?」
聞いた瞬間、ティアの目が据わった。
おう、これはまずいことを聞いたかもと身構えた。
「あなた、自分の部下の歓迎会に出ないつもりなの?」
「そういう字面に起こすとあれなんだが、別に俺は俺で勝手に歓迎させてもらったから、あとは他の面子が親睦を深めるだけでいいんじゃねーかなぁと思っただけなんだけど」
「……勝手に歓迎ってなに?」
聞かれて俺は説明した。あの二人が着任する前日に顔合わせしたその後に、特に用事もなかったから俺のおごりで二人を焼肉に連れてって、簡単ながら歓迎会にさせていただいていたことを。
「やー、しかし流石に姉妹だね。スバルレベルでギンガさんもよく食うよく食う。流石に手持ちが足りなくなりかけるとは予想外だった」
「……あなたにしては、驚くくらい素直な歓迎ね」
女の子二人を焼肉って所はデリカシーがないけど。と、そんな感想を本当に感心したような表情で言われて、なんだかなぁと苦笑いした。
言いたいことはまあ、普段のあれな感じの俺の対応を基準に置いているのだろうから、分からないとは口が裂けても言えないのだけど。
別に誰が相手だろうと揺るがぬ信念であんな空気の読めないコミュ障みたいな対応をしているわけではないので、後輩を飯に連れてくくらいは普通にやってる。今も昔も。
「私、あなたにそんなことされたこと一度もないんだけど」
「そりゃそうだろ。迂闊にお前らを飯に連れてったら、もれなく高町さんが付いてくるだろうが」
「……そこのそういう基準は一切ブレないのね」
頭痛をこらえるように額に手を当てるティア。
そこでふと、そういえば俺って歓迎会されて無くね? と思ったのでその辺のことを聞いてみると、頬をひくひくさせつつ引きつった表情で言う。
「あの場であんな話を聞かされて、それでも歓迎会やりましょうなんて言い出すとしたら、私は自分で自分の脳が心配になるわよ……」
「まあそりゃな」
くくくと思わず笑いが漏れる。流石の八神でさえ歓迎会やろうなんて言い出さなかったくらいだから、この子にそんな事を求めるのも酷な話だろう。
「とりあえず、話は分かったよ。急な任務が入らなきゃ、会場の隅っこでジュース飲むくらいは吝かじゃない」
「はいはい、じゃあ参加でいいのね。……ていうか、隅っこでとか今言わなくたっていいでしょ」
参加者名簿らしきものを取り出して何かを書き込みながら、ホント、皮肉だけは忘れないんだから。と、俺のほうをジト目で見てからため息をついた。
いや、まあ、そう思われても仕方ないとは思うのだけど、今回のは皮肉でもなんでもなく本心だった。
少人数での食事会では気にならなかったけど、多分こういう規模の歓迎会とかはダメだ。
今の俺の精神状態に、著しく沿わない。
せっかくのあの二人のための歓迎会なのだし、参加しないで空気壊すのもあれだし。変に騒いで空気壊すのもあれだし、大人しく黙ってそこにいるのが今回のマシな選択肢だろう。
「そう文句を言うなよ。最近の派遣任務も少なくないし、あんまり騒いで回るような元気は無いんだからさ」
「……そういえば、最近。あなたの任務の手伝い、させて貰ってない」
「え? あ、おお」
あれ、もしかして墓穴掘った? と、ちょっと様子を見る的に口を噤む。
というか、すねた子供っぽく口を尖らせるティアに、何をどう言えば正解なのか分からなくなってしまった。
もう俺は、この子を伴なって任務に行くつもりなんて無いから、殊更。
「あなた、最近一人で出張してばかりよね。多い時には日に2箇所も3箇所も」
「おー、全く参っちまうよな。どこ行っても人員不足でさー」
「誤魔化さないでよ」
スパッと切り裂くようなティアの釘刺しに、流石に分の悪さを感じて視線を逸らす。
……なんていうか、そのちょっと俺のこと心配してるみたいな表情やめてくれませんかね。
「あー、えっとだな……。最近はティアも前ほど功績に焦って無茶苦茶なことしなくなったし……」
「そ、その話しはその……っ。わ、悪かったと思ってるけど」
「まあ、ティアたちも結構任務行ってるし。功績なんて嫌でもついてくるって。わざわざ俺の仕事に手を出してまで焦る必要なんて────」
「そうじゃなくて!」
誤魔化しの言葉をつらつら並べる俺に、ついにティアが待ったをかけた。
そしてもどかしそうに、俺から視線を逸らしながら言う。
「……そうじゃなくて、大変だって言うなら、負担を減らしてあげられたらなって思ってるだけよ」
私だって、もうあなたのサポートくらいなら出来るんだから。
そんな言葉に俺は、歯を食いしばりそうになった。
もう俺の中で、事はそういう問題ではないところに来てしまっている。
けれどそれは、誰に説明してもいけないことで、だからこそ俺の対応は決まってしまう。
全く持って、胃がキリキリするような思いだ。
「……そうだな。きつくなったら、助けてもらうよ」
だから今日も、にへらと笑って、嘘を吐く。
本当に俺ってやつは、嘘で塗り固められた人間だなと、一人ごちる。
そうして今日も、心臓のあたりが引き絞られるような息苦しさを呑み下した。
恐ろしいほど気まずい雰囲気を醸し出したティアとのあの場を何とか誤魔化してデスクに戻った。
貴重な休憩時間だったはずなのに全く休憩した気がしなかったのだが、またこれも身から出た錆というものな訳で誰に愚痴を言えるようなものでもない。
とりあえず最近何かにつけてキリキリと痛む胃の辺りをさすりながら、胃薬でも調達したほうがいいものだろうかと考えつつ事務処理に取り掛かる。
とは言ったものの、基本的にここ数日はギンガさんとチビポが諸々作成した資料を調査して承認手続きするのが俺の仕事になっているので、別に取り掛かるってほどのことでもない。
ていうか本当、二人サポートに入ってくれただけだけど負担がまるで違う。気楽さも。
だからって任務への出動が減るわけじゃないのは辛いところなのだけど。
とか考えながら、ギンガさんたちから回ってきていた書類の山を確認して判子押して片っ端から八神宛てに投げまくるだけの作業を2時間ほど。
それが終わる頃には、いつの間にか時計が指し示す時間は定時を過ぎていた。
一つ欠伸をかみ殺して立ち上がると、少しだけ胸の息苦しさが薄れている自分に気が付いた。
なんだかちょっと、気分転換出来てしまったらしい。
仕事の悩みを仕事で気分転換なんてのは、なんだか堂々巡りをしているようで凄まじいうんざり感があるのだが。
とか考えながらオフィスを出て訓練場へと向かう途中に、スバルとチビポに出会った。
なんか珍しい組み合わせな気がする。いつもは二人でティア挟んで談笑してるか、どっちかがティアと一緒に居るのはよく見かけていたのだが。
「なにしてんのお前ら。アホの子同士ついに通じるものでも見つけましたか?」
「アホの子!? 聞き捨てならないよセイゴさん! 私とミナトちゃんのどこにアホの子要素があるっていうのさ!」
「そ、そうですよセイゴさん! 私の方はアホの子だとしても、スバルちゃんは違いますよっ! すごくしっかりしてますっ!」
「えぇー……」
思わず不満の声が漏れる。
そりゃチビポと比べたらスバルも少しは出来るかもって錯覚するかもしれないような気がしないでもないようなそんな気はするかもしれなくてもないわー。流石にないわー。
どんぐりの背比べ。そんな言葉が頭に浮かんだ。
「何でそんなに不満そうなんですかっ!」
「不満だから」
「即答っ!?」
チビポががーんっとなっていた。横でスバルは頬を膨らませてた。
「まあ、冗談はこの辺にしといて」
結局、なにやってんの? とそう聞くと、
「ちょっと話しをしてただけだよ。私たちもう友達だもん」
「え、えっと。……そ、そんな感じです」
「……」
なんだろうか、このあからさま過ぎると言わざるを得ないどもりっぷりは。
何かあるのかと疑ってくれと言わんばかりだ。
「あ、そう。……ま、仲がいいのはいいことだわな」
まあ、何かすごい怪しいんだとしても、今の俺は深入りして行こうなんて微塵も思わないのだけど。
やっぱりそういうのは、心に余裕のあるやつがやることだ。
例え今この状況を放置して、未来に何かある可能性があるのだとしても、
────俺程度の人間が何かを未然に防ごうなんて、一人に対してだけだって、ロクに出来ていやしないのに。
あいつの事情もこいつの事情も何とかしようなんて、過ぎた傲慢にもほどがある。
それに、何かあるかもとは言っても、相手はこのスバルだ。チビポがいじめられてましたなんて話は、一厘たりともありえない。
どちらかといえば俺に対して怯えているようにも思えるし、ここはむしろ俺が失せた方が話が早そうだ。
そんな事を考えて、また胸のあたりがしくりと痛む。
「ていうか、セイゴさんこそどうしたの?」
「事務仕事終わったから、訓練所行く途中だよ」
「あ、そっか。このあと夜練だ。私もすぐ行くよ!」
「あ、頑張ってくださいね、セイゴさん!」
「おう」
答えて俺は背を向けた。
スバルが来たとしても俺が相手するのはどうせティアだけなのだが、スバルとエリ坊の組手も最近は以前には無い見応えが出てきているし、ちょっと楽しみという節もある。
俺が教えなくたって、俺が何かをしているのを見てそこから学ぶスバルたち。
高町に六課の終わりを管理局員生活の終わりにすると伝えた俺が、今まで管理局で身につけてきた技術を伝えることの出来る最後の存在。
いつからだろうか、こんな気持ちになったのは。
彼女達が居れば、俺は要らない。
そんな状況になる日はそう遠くは無いのに、気持ちは酷く穏やかだった。
こんな風に感じ始めた時点で、一、武装隊員としては終わっていると思う。
「……やっぱり、潮時なのかもな」
向上心とはすなわち、努力をしようとする意思だ。
ここでの努力は、生き繋いでいくための重要なファクターだ。
その向上心をなくしてしまったのなら、俺にはもう、本格的に先が無いだろう。
「辞めるのが先か。……それとも」
俺が、ぶっ壊れるのが先か。
出来るなら、後者はありえて欲しくはなかった。
まだゼストさんとの件も何も光明が見えてすらいないし、第一俺が今考えていたような事態になれば、あいつらは……あいつは、どれだけお前のせいじゃないと伝えようとしたところで、責任を感じてしまうだろう。
────…そんな未来を想像して、また胃が痛んだ。
鳩尾の辺りをさすりながら、また一つ大きくため息を落とす。
考える得る全ての未来が、どこまでも俺の気持ちを蝕んでいく。
ご都合主義全開の誰もが笑えるハッピーエンドなんて、もう今ではこれっぽっちも思いつかない。
いや、そもそも俺は、思いついたところでそれを実行に移しはしないだろう。
なぜならもう、とっくに、俺は────
「……もうやめよ」
考えた分落ち込むだけの思考を、そこで一旦取りやめる。
いい加減末期といえるだろう自分の精神的なコンディションを自分自身で嘲りながら、俺はまた今日も時間を費やしていく。
終わりを宣言した俺に残された時間は、そう多くは無いのに。
自分で自分が嫌になるくらいに足りていない頭で、あの時から考え続けていたことがあった。
高町と俺の間に打つべき、次の一手。
出ない答えを無理にでもと、祈りにも近い思いで考え続けていた。
バラバラに散りきってる自分の気持ちをまとめることすら出来ない今の俺が、そこに辿り付く事が出来るのか、今もってよく分からなかったけれど。
そして、そんな風にぐちゃぐちゃな状態でそうこうしているうちに、ティアとのあの会話から2日経ち、歓迎会当日となった。
隊舎の食堂を貸しきって催されたその宴は、幹事のティアの挨拶を皮切りに、八神、高町、フェイトさんと挨拶していき、恙無く進んでいった。
隊長への昇進とかその辺の関係で俺も挨拶するものなのかと思っていたけれど、昇進もまだ、隊の正式な設立もまだな状況だからか、特になにを言われることもなかった。
そんな感じでその辺の難を逃れた俺は、主賓の二人に適度に挨拶を済ませてから、息を潜めるように会場の端に移動して、ティアへの宣言のとおりにジュース片手にぼうっとしていることにした。
途中何度か、俺に絡んでくるバックヤードの人たちと会話したりしながら、久しぶりに少しだけリラックスできているような気がしていた。
そんな時だった、フェイトさんが俺に近付いてきたのは。
「セイゴ、楽しんでる?」
「……ん? ええ、それなりに。ジュースじゃいまいち微妙な気分だけど」
それだけじゃないけどそう言って苦笑すると、フェイトさんは仕方ないよとやんわり笑った。
「急な任務もありえないわけじゃないし、流石に私たちまではしゃぎすぎるわけにもいかないしね」
「分かってますよ」
会話に水を向けながら辺りを見回す、ちょうど目端で捕らえた高町を視線で追いかけると、チビポと談笑しているのが目に入った。
ていうかチビポさん、緊張しすぎてガチガチですね。顔とか超真っ赤だし。慌てすぎてて明らかに何度か舌噛んでる。
憧れのエース・オブ・エース様とのタイマンですしね。舞い上がってしまうのも無理ないことなのだろう。多分。
前の時は間に適当に俺を挟んで適度な距離を置いていたような気がしていたから、本格的にお近づきになったのは今日が初と言っていいのだろうし。
一方、その憧れの対象のほうは、落ち着いてと言わんばかりに微苦笑で両手の平でチビポを牽制しているようだった。
まあ、高町は昔からあんな感じで女子だけでなく男子からだってモテモテだったから、ああいう時の対応は心得ているのだろう。
……と、いうか。高町って昔からモテモテだったはずだけど、そういう話をホントに聞かないのはなぜだろうか。
聞いたら聞いたで、すげえ嫌な気分にはなるのだろうけど。それはそれだ。
俺が嫌な気分になったから、なんだって話だ。
それで先に進むことが出来るかもしれないのなら、俺の悩みなんて安いものだろう。
どんな時だって、停滞した人間関係をぶち壊すのは、他の人間関係のはずだ。
そして、男女の関係を壊すのだって、別の男女だ。
高町が誰か俺以外の男と付き合うようなことになれば、あいつが俺に割くような時間はなくなるはずなのだから。
そんな事を考えていたからだろうか、不意に、問いが口をついて出てしまった。
「……高町って、好きな男とかいないのかな」
「え?」
フェイトさんが目を丸くして俺を見た。
「……えっと、どういう意味、かな?」
「そのまんまの意味ですけど。浮いた話の一つくらい、無いものかなと思っただけです」
ほら、ユーノ君とか仲いいのに、そういう噂にはなってないでしょと言ってみると、彼女は「あー……」とちょっと困り顔だった。
「えーと、ユーノはただの友達だし……。あ、でも恋愛かどうかは分からないけど、セイゴのこと、大好きだと思うよ?」
「いや、そうじゃなくて。……本当、やめてくれ」
「セイゴ……?」
そんな言葉が今更欲しいわけじゃない。むしろ、そんな聞き飽きた言葉なんて、忌々しくて吐き気がした。
すごく仲がいいんですねとか、付き合ってないんですかとか、うらやましい限りですとか。
そんな言葉を聞く度に、絶対に叶うはずのない願望に打ちのめされて死にたくなるから。
あの日から悩みすぎたから分かった、思い知らされた想いがあった。
おかしくなりそうなくらいに、あいつのことが好きだったと、自覚した。
何気ない仕草の、態度の、表情の一つ一つに惹かれている自分。
挨拶されたのを無視すると、笑顔を引きつらせながらも返事をするまで俺を逃がそうとしなくなったところも。
おいしいものを食べた時、目を丸くしてから表情を綻ばせるところも。
面倒な書類仕事を終わらせたときに、小さくぐっとガッツポーズをつけてから、にへっと気を抜いた顔をするところも。
ヴィヴィオと接するときの、母親らしくしようとして普段との違和感のある、妙なお母さん口調も。
────俺がほんの少し優しくしただけで、まるで願いの全てを叶えてもらったみたいに嬉しそうに笑ってくれる所も。
数え切れないあいつとの日常が、今俺の中で何よりも大事だと、俺の中の何かが確かに叫んでいた。
俺は、あいつのことが欲しい。
あいつのことを、もっと知りたい。
あいつに俺のことを知ってもらいたいし、周りのことなんて気にならなくなるくらいに気にかけてもらいたい。
けれどそれは、俺が抱いてはいけない、間違った想いでしかない。
間違った想いは、正さなくてはいけない。
だから自分に、言い聞かせなくてはいけない。
俺は別に、あいつのことが欲しいわけじゃない。
あいつのことを、これ以上知りたいわけでもない。
────あいつの隣で、笑っていたいわけじゃない。
けれど、言外に示してダメで、言葉にしてもダメで、行動に移してすらダメなら、さて、一体俺はなにをどうすれば正解なのだろう。
悩み続ける日々は終わらない。答えがあるのかどうかもわからないこの題目に、区切りの一つをつけることも出来ない。
最初から、全部失くすことが前提なら、出来ることは確かにある。
けれどそれで、俺はその先に自分が正気を保てるだけの手加減を、果たして出来るのだろうか。
自分の行動で起こった結果を自分が受け入れられれば、それで全てが終わるって訳じゃない。
受け入れたつもりになってたところで、結局自分の器から零れ落ちた不満は、人知れずに何かをぶち壊す。
だけど、その時。
それが想定の範囲内なのであれば、それを諦めることは出来るのだろうか。
そこまで考えて、不意に、とあるゲームの、とあるキャッチコピーが浮かんだ。
────そして、全ては"ゼロ"になる。
俺のしようとしていることは、そういうことのはずだ。
きっと、ゼロになんて、出来はしないけれど。
人間は、自分の過去を無かったことには出来ない。リセットなんて出来ない。
たとえ自分が忘れていたって、自分がそうしてきたっていう事実は消えない。
けれど、限りなくゼロに見えるようにすることくらいは、出来るかも知れない。
濃すぎる溶液を、大量の水で薄めていくように。
俺とあいつの関係を、他の何かで覆いつくしてしまえたら。
……でも、ああ、それって────
────それって一体、どれほど辛いのだろうか。
俺に、想像することができるのだろうか。
その先に生まれるはずの────自分の今までを壊していく過程で生まれるはずの────感情を、"想定の範囲内だった"、なんて言葉で片付けることが出来るのだろうか。
結局、自分を傷つけずにこの関係を終わらせることなんて、出来ないんじゃないのか。
だとしたら、俺がどれだけ傷付いたところで、その上で正気を保てなかったところで、それは必要な犠牲なんじゃないのか。
今まで答えを先送りにしてきた俺へのツケとしては、順当に意味のある罰なんじゃないのか。
そうであるなら、────
「セイゴ、どうしたの。大丈夫?」
フェイトさんが、不安そうな表情で俺の顔を覗きこんでいた。
何をすればいいのかなんて、今だって本当は分からない。
だけどやっぱり、最初から何も変わりはしない。
俺の答えは、どれだけ悩んだって今更覆っていない。
ただ、それに対して行動の指針が伴なっていないというだけで。
フェイトさんは、"全てを失くしても"、なんて枕詞で始まる物語は、嫌いだろうか。
きっと嫌いだろう。彼女はどこか、全てが救われる話を求めているところがある。
それはきっと、悪いことじゃない。むしろ、犠牲が当然だなんて思っている俺のほうが、潰されるべき意見だとも思う。
だから、何も語れない。彼女がどれだけいい人であっても。
彼女は俺にも優しい人だけど、俺を優先してくれる人ってわけじゃない。
高町と俺の意見が対立するはずの現状では、高町と毎日顔を合わせる間柄な分、バニングスたち以上に俺に分が悪い。
「ああ、すんません。ちょっとぼーっとしてました」
「……疲れてるなら、無理はだめだよ?」
「ええ、気をつけます」
でも彼女の求める終わり方があるように、俺にだって求める終わり方がある。
そこを譲ることはできない。
少なくとも、不安に潰されて弱音を吐いた末に、なんて理由で譲るわけには行かない。
そんな事を考えながら、相変わらず重苦しい胸のつかえを、手元のジュースで飲み下すのだった。
2015年6月18日投稿