朝起きて、高町家の皆さんと一緒になって桃子さんが用意してくれた朝食を頂いて、その席でミッドチルダに戻るまでの間は好きに過ごさせてもらいたい旨を高町に告げた。
高町の方としても、俺を地球にまで連れてきた理由は昨日の時点で終えていたこともあってか、一人で気ままに息抜きしたいという俺の要望に、殊更反対するような素振りは見せなかった。
かといって二つ返事で了承されたわけではなかったから、事前にストーリー立てた言い訳を考えておいて正解だったと、珍しく気の利いた自分に感心しつつも、こんな所でしか利かない気なんかに価値なんてないのも嫌になるほど知っていた。
とはいえ何とか何事もなく得ることの出来た自由時間だったわけだが、結局の所行く当てなんてありはしないわけで。
ただ、あと半日以上残っている滞在期間の間、あの家の中で過ごして平然とした顔をしていられるだけの度量もまた俺には無くて。
要するに、高町の傍にいることがいたたまれなくて、逃げ出してきただけだったのだけど。
けれど、目的地の無い、最終的には元の場所に戻ってしまうことが分かりきっている逃避行が、そう長く続くわけも無く。
町内一周踏破してしまった挙句、目に付いた高町家近所の公園の喫煙スペースでタバコをふかして暇を潰すことにした。
「────はーぁ……」
昨日のあれは結局、俺の読みが浅はかだったのだと、そういう結論をつけてしまうのならばそれだけの話なのだけど。
悩みに悩み抜いて出したはずの結論と目論見だった。
それを酷くあっさりと受け流されすぎて、悲しいとかそういう気持ち以前に、どこか虚ろな空々しさが一晩経っても拭い去れない。
でもそれも、考えてみれば当然の話で。
俺がうだうだと煮え切らない態度で悩み続けていた時間の分だけ、高町にだって答えを出すだけの猶予があったというだけのことだった。
その上その答えに、知らぬ間にその手助けを俺がしていたというのだから、全く間抜けっぷりが尋常じゃない。
やっぱり関わり合いになるのなんて極力避けるべきだったのに、認識が甘くて、目論見も甘くて、結局詰めだって甘かった。
自分の方針が間違っているとは思わない。だけど、全てが今更で、なにをやっても効果が上がらないんじゃないかって思いを否定することが出来ない。
今から上手くやる方法が浮かばない。まあ、もしかしたらそんな方法なんて分かりたくなくて、考えるのを放棄してて、心の奥底で失敗するのを望んでしまっているのかもしれなくて。
もしその通りなのだとしたら、胸糞悪い気持ちがやはり消せない。
「女々しいにも程があんだろ……」
決めたなら、やり通すまでが俺の筋のはずだ。
そこに俺の気持ちは関係ない。というよりは、自分の気持ちを押さえつけることも込みで出したはずの結論を、いまさら揺らしているのは、やっぱり話になっていやしない。
胃がかすかに痛んだような気がして、全てが鬱陶しいような気持ちになって舌打ちする。
腹立たしかった。周囲の状況なんか関係なく、何よりも、終わりだと思っていた関係がまだ壊れていなかったことにほっとしている自分自身に。
ふざけるなと。
そうじゃないだろうと。
俺はこの状況を、なによりも否定しなければいけないはずなのに。
今すぐにでも新しい手を打ち出して、状況を動かさなくてはいけないはずなのに。
何も浮かばないなんて言い訳にもならない。
仮にもし本当にそうなのだとしても、俺には最後の選択肢があるのだから。
本当の本当に、今まで積み上げてきた全ての手筈を台無しにする、思考放棄の最終奥義みたいな最低最悪の悪手。
それを頭に思い浮かべて、そんな選択肢も已む無いものなのかもしれないなんてそんな思考が頭に過ぎったときだった。
「あんた、こんなところで何してんのよ」
「こんにちわー、誠吾くん」
「────はい?」
「……。顔つき悪いわよ?」
「……えっと。顔色と目つき、だよね?」
呼びかけて振り向いた相手の顔を見て開口一番その会話もどうなのだろう。とりあえずバニングスがボケで月村がツッコミってパターンは珍しいものを見れましてちょっと得した気分。
とか思いながら、完徹明けで半日近く町を散策していたとはいえそんなに酷い目つきをしているのだろうかとか思いながら、考え事に集中しすぎたのか思ったよりも疲れてるのか、接近に気付かなかった二人の友人に向けて冗談交じりに敬礼の真似事みたいに右手を額に掲げて見せた。
「えー、何で居るのか知らんけど、二人とも久しぶり」
「うん、久しぶり誠吾くん」
「あ、うん久しぶり。……ってそうじゃないでしょあんたもすずかもっ!」
相変わらず突っ込みには手を抜かないなぁバニングスさんはと感心しながら煙草の火を消して、まあまあ落ち着けよとバニングスを宥めにかかる。
手始めに、全くお前は俺が今ここに存在していることのどの辺に文句があるのかねと聞いてみると、誰もそんなところに文句なんてつけてないわよと憮然とした表情になられてなんだかよく分からない。
俺がここにいることに文句がないというのなら一体どの辺に文句があるというのだろうか。とか思ってから、いや、昨日のことで大いに気分があれってるとはいえ、さすがにこの自虐っぷりはやりすぎなのかもしれないと思い直した。
どうにも気分が下降線を描いているときに自虐ネタをやろうとすると加減が分からなくてよろしくない。ただし俺の数少ない持ちネタなので使わないって選択肢も選びにくくて苦笑を禁じえない。
閑話休題。って感じでそんなことよりキミらはこんなところで何してんのって聞いてみたら、やっぱりと言うかなんと言うか今から高町に会いに行こうって道中になんか公園のベンチ占拠してる知り合いっぽいのを見つけたので声をかけてみた系のいつも通りな展開だったようでした。
そうですか、まあ今日は一日家にいるようなこと言ってたような気がするので行けば会えると思うよ行ってらっしゃい。
とか言いながら二人が去ったら場所変えてグダグダした休日にしてやろうとか思ってたら、いつまで経っても二人とも動かないものだからどうかしたのかって聞いてみたらすんげーじとーっとした目で睨まれた。
「……気に入らない」
「は?」
「あんた、私たちが具合悪そうな友達放って遊びに行くようなやつって思ってるわけ?」
「……」
いや、思ってはいないけど。とは言えなかった。
正直、最近そういう扱いじゃないと違和感バリバリなんです。言い訳にはならないだろうけど。
「ただの寝不足相手にそこまで心配する必要ないだろ。昼飯食ってないのも原因かもな」
「誠吾くん。そういうの、体に良くないよ」
「……反論しにくい正論だなぁ」
だけど、そう言わないで欲しい。そんなことはわかっていて、それでもやってしまっているのだから。
俺だって久しぶりに会った友人と少しは世間話をしたくなかったわけではなかったけれど、今はなにを言ってもボロが出そうで喋るのも億劫だった。
とりあえず、目の前の二人が去ったらもう一度姿を晦ますべく、その辺の漫画喫茶にでも入って昼寝でもしようかなどと思いを馳せていると、
「あんた、なのはと何かあったんでしょ?」
「……何故そう思うのかな」
聞くまでもなく分かりきった話だろうとは思いつつも、形式的に聞いてみる。
なぜか地球に滞在している俺が、高町の家の近くの公園で不貞腐れたみたいに不機嫌な顔をしているのだ、これで何があったか悟れないバニングスではない話だ。
とか、そういう俺の考察を、
「別に。ただの勘」
の一言で片付けてしまう大雑把っぽいというか自慢げじゃないというか、そういうあっさりしてる所が昔からいつだって格好良くて、とても好ましかった。
けれどそれと同時に、何を考えているものか読めなくて、恐ろしさも感じていた。
「それで? なのはと何があったの?」
なんだかグイグイと話を進めて寄越すものだから、高町と何かがあったのは確定かよ……。と呆れて見せると、違うなら違うって言えばいいじゃない。と逆に呆れられた。
「何も否定しないんだもの。無言は肯定ととらえるわよ」
じゃないと時間がもったいないでしょとか言ってくるバニングスに、大した会話も交わしていないってのにもう既に降参の上で逃走したいくらいだった。
こんな押しに押されて流されそうな今後の展開を予想できる調子で彼女と会話なんて続けていたら、どこでボロが出たって不思議じゃない。
昨日の高町への宣言が、今後どういった結果を齎すのか読み切れない今、不確定要素を不用意に増やすのは得策じゃない。
そんなことは誰に言われるまでもなく分かっている。
けれど、この場で話の流れをぶった切って彼女達に背を向けてしまうこともまた、得策じゃないだろう。
それをしてしまえば俺は、その後のバニングスと月村の動向を予測するだけの手掛かりを失うことになる。
アホ面ぶら下げてヘラヘラしていない俺を見た時点で、バニングスにとってのその原因の究明は割と優先的な案件にカテゴライズされるのだろうから。
その結果辿り着く先は、俺以外に事実を知っている人間。要するに高町なのはとなる。
って、なんだかもう、前門のバニングス、後門の高町。みたいな感じで、進んでも退いても詰んでいるような気がしているのだけど。
けれどここで足掻かないという選択肢もまた、選択は出来ない。
思うとおりの結果を得られなかったとはいえ、俺の答えは昨日のあの時点で決定しているのだから。
あとはこのどうにも思うとおりにいってくれていない現実を、どうやって自分の決めたゴールに近付けていくのか。それだけの話でしかないのだから。
だから俺は、またそのためにと口を開いた。
「昨日、そろそろ管理局を辞めてもいい頃合かもしれないなと思ってさ」
言った瞬間に、バニングスの雰囲気が一変した。
月村の表情も、少しだけ曇ったように見えた。
なんだかんだ言って、俺が本当にこんなことを言い出すような日が来るなんて思っていなかったのかもしれない。
口だけの男だと思われても仕方ないような振る舞いに心当たりがありすぎるから、それに文句を言えるような立場では無いけれど、それでもなんだか普通に傷付くものなんだなぁと感心。
というか、こんな時に普通に傷ついていられるような俺の神経の図太さに感心してると、
「……ロクなこと思わないわね、あんた」
そうか? と思いつつ、 まあ、そうだろうなと納得もする。
バニングスたちからすれば騒ぎの種でしかない話だろうし、自分の友人が蔑ろにされている様は気分のいいものなはずは無いのだろう。と、そんな話をしたら、バニングスには睨まれて、月村には「そうじゃないよ誠吾くん」と諭された。
「なのはちゃんと私達が親友なのはそのとおりだけど、誠吾くんだって大切な友達だよ?」
「……」
それを空で言えるような友人達は、きっと俺にはもったいない。
なんてことを言っても否定の言葉が返ってくるだけだろうからそのセリフを胸の奥に押し戻してると、「ロクでもないって言ったのは、勝手に悩んで勝手に結論出して、やる必要も無いことを自分勝手にやろうとしてるあんたの独り相撲のことよ」とかいくらなんでも辛辣が過ぎませんかねぇ……。
「辛辣でもなんでもないわよ。本当のことだもの」
「流石に、そんなことはないって」
「ふーん。なら聞くけど、────」
あんた、いつになったら自分がなのはの隣にいることを許してあげるつもりなの?
ヒヤリとゾクリが同時に背筋を襲った。
それと同時に、気付いた。気付かされてしまった。
あるいは、見たくなかったものに目を向けさせられてしまった。
なのはもあんたも、そういうトコばっか引きずる所はそっくりよねと、どこかで聞いたような言葉だ。昨日今日と、いつかの自分の誰かへの言葉が、返ってきてばかりで嫌になる。
ヴィータが俺の説得を聞き入れてくれないわけだ。人のことを言えないんだから。
ヴィータが俺のことで自分を許せないように、俺も絶対に自分を許す気がない。
もう、俺は。
自分の隣に誰かがいることを、許すことができない。
許せばきっと繰り返すから。
あの、先輩の時のようなことを。
また繰り返してしまえば俺は。
高町まで守ることができなかったら俺は────
今度こそ、もう、
「……」
ここまで来ると、無様とかそういう問題じゃなかった。
まるで詰め将棋をされているような気分です。
結果は最初から決まっていて、自分が負けることは決まっていて、負けるための手順をただひたすらに踏まされている、そんな感覚。
「……ふ、ははっ」
「何がおかしいのよ」
「……ああ、いや。傑作だと思って」
「ふざけてるの?」
そんなことはない。ふざけるような余裕なんて、もう俺にはなかった。
ただ、人間ってのは追い詰められすぎると、ホントに笑うことしかできなくなるってことを、身をもって体験したのが今だったってだけだった。
「なあ、バニングス、月村」
顔を上げて、二人へと話しかけた。
二人はそれぞれ怪訝そうに俺に反応して、俺はその様子に少しだけ苦笑する。今からするのはただの"ボロ出し"だ。
本当は、やっちゃいけないことなのに、それもなぜかやりたくなる。自分を制御できていないのが分かっていながら、それでも今の自分を止めるだけのエネルギーを搾り出す気にはなれない。そんな状況。
「俺は、俺と一緒に居る誰かが、幸せになっていけるとは思えないんだ」
だって、今までがそうだったから。
誰も彼も、俺が幸せになってほしいと思ってきた人たちは、俺も一緒に幸せになりたいと思ってきた人たちは、俺が原因で壊れてきた。
父さんも、母さんも、先輩も。
そしてこのままではきっと、高町も。
全部俺の責任だなんて、厚かましくて自意識過剰なことを言いたいわけじゃないけど。
だけど、次に、高町に、もし俺のせいで何かがあった時。
俺は多分、もう耐えることができない。
あんなに辛くて、悲しくて、心の底が何かに食い荒らされて削げ落ちていくみたいな感情に、もう耐えられるとは思えなかった。
だからもう、俺の残された方法は一つしかなくて。
でもその方法は、きっと多かれ少なかれ、高町を泣かせてしまう。
「だから、そのときはよろしく」
寂しがる高町を、フェイトさんとか八神とかこの二人が放っておくとは露ほども思っていないけれど、一応。
少し先の未来での別れの言葉の意味も含めて、いまここで。
そんな気持ちで、二人に頭を下げた。
理由とやるべきことが明確になって、気持ちが固まったからだろうか。驚くくらいに、気分は落ち着いていた。
本当は、言っちゃいけない情報を目の前の二人に漏らしてる。そんな最悪な状態なのに。
「……いまの話、高町には内緒な。俺のこと友達だと思ってくれてるなら、それくらいは頼むよ」
言い方、卑怯だけど。悪い。と、笑いかける。
バニングスも月村も、欠片も笑ってくれなかった。
悲しそうに俯く月村と、険しい表情ではあっても何も言わないバニングス。
「悪い、二人とも。嫌な話ししたな」
「……ううん。むしろ、話してくれてありがとう、誠吾く……」
「────なんで、何も変わらないのかしらね」
「────アリサちゃん……?」
「昔、今のあんたみたいな顔してるなのはに、今みたいに詰め寄ったことがあったの」
初耳。とは言うことが出来なかった。
昔というのがどれほどの時間を指すのか分からないけれど、それが高町が魔法と出会った頃のことだと言うのなら、俺には一つだけ心当たりがあった。
「なにか悩んでるのは分かりきった顔してるのに、それを指摘したらへらへらって変な笑い方して、……それが、私には耐えられなかった」
ほら、子供のころから何も変わってない。と、バニングスは微笑う。
かける言葉が見つからなかった。慰めることも、励ますことも出来るはずがなかった。
だって俺は、
「あのときの私は結局、どこかに行ってしまったなのはを待つことしか出来なかった」
バニングスに、同じような選択を強いることになる。
「今回こそはって、思うけど。こんな様子じゃ……ね」
「……」
そのバニングスの笑い方に、強烈な違和感があって。
既視感だったことに気付くのに、他人を傷つけたときの顔だったことに気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
そして、それが猛烈に、吐き気がした。
「────……」
だから何かしらの言い訳じみたことを彼女に言おうとして────、
何も言うことが出来なかった。
なにを言ったところで、俺の気持ちは変わらない。
ちょっとやそっとで変わるような結論を、出したつもりはないから。
たとえ誰かを────、俺にとって、気兼ねなく接することの出来る数少ない友人を敵に回してでも、俺は……、
「バニングス、月村、俺は……」
「いい、気にしないで。これでも、あんたのことちょっとは知ってるつもりだから」
「……」
「あんたが頑固なのは、知ってる。そういうとこ、あんたとなのはってそっくり」
そんな所、似てなくたっていいのに。と、バニングスは少しだけ笑った。
「今回のこと、少なくとも私はなのはに黙っといてあげる。だけどその代わり、私の気持ちだけは知っておいて」
俺に向けて、バニングスが拳を突き出した。
そのまま胸の辺りをコツンと殴って、言う。
「あんたのこと、友達として信じてるから」
「は?」
「それだけ。じゃあね」
またねと手を振って、バニングスは身を翻した。
月村に向けて、先に行ってるから、すずかも言いたいこと言っときなさいねといたずら気に笑って、走り去っていった。
その背中を見送り終えてから、ため息が漏れた。
これ以上俺に、どうしろと言うのだろうか。これ以上、なにをどう信じられていればいいというのか、もうさっぱり分からない。
それとも、それすらも自分で考えろって、そういうことなのだろうか? だとしたら、本当に、
「……バニングスって、容赦ないよな」
「そうだね。……でも正直私もアリサちゃんとは同じ気持ちだよ」
「そんな風に期待されてもな……」
思わず手で顔を覆うと、月村までバニングスのようにいたずら気に笑った。
「期待ってわけじゃないし、誠吾くんは難しく考えなくてもいいよ。その方がきっと、なのはちゃんと誠吾くんらしくなると思うし」
「……俺と高町らしさってなんだよ」
「ふふっ、秘密! いまのことは私も、なのはちゃんには黙っておいてあげるから、そこは心配しないでね」
「……ありがとうございます」
「うん! じゃあ、私も行くけど。誠吾くんも具合悪いなら無理して外を出歩いてちゃダメだよ?」
そう言い残して、月村も去っていった。
なんと言うか、二人とも俺より年下なのに、正直カッコよすぎて自分が悲しくなってくる。
あそこで単純に、俺を完全無視して高町の味方についてくれるようだったら、もっと話は簡単だったのに。
「……て、また他人に甘えようってのか、俺は」
誰がなんと言おうが、なにを思われようが、もう俺の答えは変わらないはずだ。
変わらないはずだから、お願いだからこれ以上、何も言わないでくれ……。
誰にするでもないそんな願いを心の中で呟いて俺は、空を仰いで目を閉じた。
腹立たしいくらいに、空は晴れ渡っていた。
2014年3月30日投稿