「ほら、ヴィヴィオ。みんなにこんにちは、ってして?」
「こんにちは、ヴィヴィオです!」
とか頭を下げながら子供にしては割と行儀良くあいさつしたヴィヴィオに対して、美由希さんが可愛いとか何とか言いながら抱きついてた。
士郎さんと桃子さんはと言えば、そんな落ち着きのない高町家長女殿のやりように苦笑しながらも、ヴィヴィオの頭を撫でたり、ようこそいらっしゃいなどと言っている。
で、それらの様子にほっと胸をなでおろしている高町の様子が視界の端に映る。
なんだか知らないが、高町的には今日の訪問、結構緊張するような内容だったらしい。
俺からしてみれば目の前のやりとりは、分かりやすいくらいに目蓋を閉じれば浮かんでくるようなで光景で、何を心配するようなことがあるのかと不思議なくらいだったのだが、それでも高町的には不安がないと言えば嘘だったようで、つい先日から高町に俺とフェイトさんと八神を交えていろいろと作戦会議を開いていたりするのだから筋金入りだ。
ちなみにヴィヴィオの三人への呼び名は、会議中のわりと真面目な議題だったりした。
まあ、士郎さんも桃子さんもおじいちゃんやらおばあちゃんやらって歳や見た目じゃないですしね。美由希さんだっておばさんなんて呼ばれるような歳でも見た目でもない。
かといって、呼び方的には間違っていないわけで、とはいえ出会って第一印象は大事だろうとかなんとか議論が紛糾した結果、俺みたいな名前呼び的安全策が採用されたのだった。
発案は俺、検討がフェイトさん、承認を八神がするという完全なる通常業務のような流れだったわけだが、まあうまくいったならなんだって良かった。
こんなことしなくてもうまくいったような気がするのは、さっきも思ったとおりなのだけど。
ところで、どうしていきなり高町とヴィヴィオと俺が、地球の高町の実家を訪れているのかと言えば、数日ほど記憶をさかのぼることとなる。
あの風邪の日から数日。
休憩時間にコーヒーウメーとかのんびりしてたら、なんか知らんが両目に決意的な炎を宿らせた高町が俺の目の前に立ちふさがった。
なんなんですかねえ。なんかあったんですかねえ。それとも俺がなんかやらかしたんですかねえとか考えていろいろと思考を巡らせてはみるものの、ものの見事に答えが見つからなかったので「どうしましたか高町さん」と素直に質問してみたら、
「ヴィヴィオのコト、正式にわたしが引き取ろうと思うの」
「……お、おう」
予想外とまでは行かないまでも、結構考えの外だった答えが帰ってきた。
まあとりあえず、流石だなぁ。と感心した。
俺がこないだ言ったことにあれだけいろいろショックを受けてたってのに、それでもあの子を引き取ろうっていうのだから高町のそういう信念もお人好しも筋金入りだ。
そして、いろいろ悩んで一度引き取ると決めたのだから、高町は最後まできっちりと面倒をみるだろう。
だから俺は、久しぶりに気分の明るくなるいいニュースだなぁとか思いながら、
「ええと、頑張ってください」
何かあれば、出来る範囲で協力くらいはしますよ。と特に気負いも無く言ったのだが、
「ほ、ホント!?」
とか詰め寄られたりしたものだから嫌な予感しかしない。
とはいえ俺に出来ることなんて本当に出来る範囲のこと以上には無いのでその辺考慮してくれなきゃ頼みなんて聞きたくても聞けないわけですがと予防線を張ってみたら「大丈夫だよっ!」と更に詰め寄られて本当嫌な予感しかしない。
じゃあ一体どんな頼みなんですかと事情を確認してみると、ヴィヴィオを引き取ることを桃子さん達にはもう既に連絡したそうなのだが、そうしたら直接会ってみたいから近いうちに連れて来てはくれないだろうかと頼まれたとかそういうあれな流れだった。
「だ、だから、その……。その時一緒についてきて欲しいなって」
「俺はもう死ぬのかも分からんね」
本気でそう思ったのでポロリとそう漏らしたら高町が「なんでっ!?」と驚いていた。
こっちが「なんで?」と聞きたい。
「久しぶりに帰省した娘が連れてきた小さな女の子。その二人の隣にアホ面を下げて立っている男を見たとき、士郎さんの父親としての本能が覚醒する……!」
さらに詳しく言うと剣士の本能も覚醒する。
そして俺は士郎さんに見敵必殺のノリで葬られる。サーチ&デストロイである。間違いない。
とか説明してみたら、士郎さんをそんな風に言われたことに怒ったのか、高町は不満そうに「むー」とむくれていた。
「そんなことないと思うけど……」
「まあ、仮に、もし、億に一つの可能性で葬られないのだとして」
「そこまで言うかな……」
言うに決まっていると思う。ていうかさっき言った状況、士郎さんが相手でなくたって顔面グーパン一発くらいなら世間から見たって許されるレベルだと思うのだが、まあ今はそこは置いておいて。
「そもそも俺があなたについてって、なにかすることありますか?」
「え、えっ、と……。ダ、ダイサンシャのキタンナキイケンをお父さんたちにヒロウシテイタダキタク……」
「まずはその露骨な棒読みをやめるトコから始めてくれます?」
どうせ八神さん仕込みでしょそれ。と分かりきったことを聞いてみると、高町は気まずそうに目を逸らした。
「や、やっぱり分かっちゃうよね。あはは」
「その違和感しかない棒読み聞いてその可能性に思い至らなくなったら俺もついに末期ですよ」
とか、要するに分からないわけないだろ的な文句を高町に浴びせてると、ちょうど通りかかったスバルに「何なのはさんをいじめてるのーっ!」と背後から跳び蹴りを食らった。
普通にまともに直撃だったので、背後からのドタバタ音に気付いた瞬間に反射的に受身は取ったもののダメージがとても残念だった。
流石の高町もぽかーんとしてるほどに流星の如き跳び蹴りでした。仕方ないので今度からこいつのことを、シャイニングスタースバルーズベルトと呼んでやろう。
「セイゴさん! いつも言ってるけどなのはさんをいじめちゃダメなんだからねっ!」
「人にダメとか言う前に、お前が人をいじめるのをやめていただこうか……」
お前ドンだけ地獄耳な上に高町のこと好きなんだよ……。とか思いながらも余計なこと言っても余計に追撃を食らうだけなので黙ってたら、なんか高町が蹴りの事を嗜めてからスバルにもヴィヴィオのこと話し出してその結果。
「行きなよセイゴさん! なのはさんのお願いだよ!」
とかめっちゃ暑苦しいニュアンスで言われたのだが、高町のお願いってあれは、俺とスバルの間でとてつもない温度差が広がってしまう項目なのであって、その辺キチンと理解してくれないかなぁ。してくれないよなぁって感じでとりあえず、
「ああ、はいはい。前向きに検討しておきまーす」
とか、すげー嘘ですけどねって感じを前面に押し出しながら言ってたら、背後から「それ絶対に行く気ないでしょ」とか言いながらティアが登場した。
なんかスバルのこと探してたら俺たちとギャアギャアやってるのを見つけてやってきたらしい。
で、一通りスバルから説明を受けて、
「ていうかあんた、自分でなのはさんにヴィヴィオの事責任もって考えるように言ったんでしょ? だったらそれをちゃんと見届けるのはあんたの責任じゃないの?」
凄まじいド正論をご披露してくださった。
完全論破である。
本気で絶句した上にぐうの音も出なくなっていると、高町が遠慮がちに俺の顔を覗き込んで言う。
「えっと、責任とかじゃないけど、やっぱり一緒に来てくれないかな?」
見届けてほしいの。だから、お願いします。と、姿勢よくお辞儀する高町。
俺に対してそんなことまでするような道理なんてありはしないと、叫びたかった。
うろたえつつもそれを外に出さないようにしていたのだが、ティアとスバルの視線がとても痛くてもう勝負なんてついてるみたいなものだった。
というより、高町に頭なんて下げさせてる自分と現状が、おぞましくて仕方がなかった。
それが嫌で嫌で、俺は本当に困った挙句に、高町たちに同行することに首を縦に振ったのだった。
とりあえずヴィヴィオの高町家一同(恭也さんとかいないので暫定)への挨拶が終わると、男女別れてしばらく過ごすことになった。
とはいえあっちは四人なんてそれなりの人数になろうとも、こっちは俺と士郎さんしかいないわけで、野郎二人で近況報告に花を咲かせようなんて試みでそう長いこと間を持たせられようはずもなく。とりあえず暇つぶしに将棋でもしようかってことに。
だけどまあ、ルール知ってるだけってレベルの俺がそれなりに経験のあるらしい士郎さん相手に勝てるはずもなく、早くも二敗目を喫したあたりのことだった。最近、なのははどうだい?と聞かれたのは。
俺は少し考えてから、ここ最近の検索ワード高町の動向でヒットするネタをいくつかクローズアップして口にした。
なにせそれ自体は別に珍しい質問じゃない。と言うよりは、俺がたまにしか会うことのない士郎さんとする会話の取っ掛かりのほとんどはこの話題だ。
ただ昔とは違って、高町が素直に家族に甘えるようになった今となっては、ただの挨拶程度の意味しかない話題なのだけれど。
「まあ、結局はいつもと変わりませんよ。仕事と仲良くやってますって感じです」
最後にそんな添削をして話を終えると、納得したのかしていないのか、士郎さんはふーむと気の抜けたような表情を浮かべてから、そうかい。それなら次の質問なのだけど、と言った。
「誠吾くん。キミは最近、なのはとはどうだい?」
「……は?」
間抜けな返事を漏らさずにはいられないくらいには唐突で、しかも考えたくもないような質問だった。
なにをいきなり言っているのかと疑問に思ったので、下手の考え休むに似たりといわんばかりの気持ちで、素直に何の話ですかと聞いてみると、
「キミが素直になのはと連れ立って我が家を訪ねてくるなんて、過去にそう例がないだろう?」
なにか心境の変化でもあったのかと気になっただけだよと、士郎さんは涼しげな笑顔で言う。
なのに俺の方はと言えば、苦々しい気持ちを飲み込みきれずにいた。
指摘御尤もな話だ。俺は、高町相手にこんなに優しくなんてなかった。
あいつに右と言われれば左を向き、楽しいかと聞かれれば首を振り、言葉尻の一つ一つに揚げ足を取り続けてきた様な人間が、何を今更あの子の言うことを素直に聞いているのかと、昔の事情を少しでも知っている人間が見れば、違和感しかないのが今の俺だろう。
でも、そうなったらそうなったで、わかりやすい話ではあるのかもしれない。
薄々感付いてはいた。きっともう、限界は近かったのだということを。
俺は、俺が思っていたよりも早く、あの結論を行動に移さなければいけない状況にきてしまっているのだって言うことを。
早いもので、俺が六課に来てもう半年近い時間が経とうとしている。
その半年の間に、俺はほぼ毎日と言っていいほど、高町と顔を合わせ、挨拶を交わし、雑談をし、多くの時間を過ごしてきた。
密度だけで言えば、出会ってからの8年間よりもこの半年の方が関わる時間は確実に多かったことだろう。
だから。その結果として、あの子のことを知りすぎた。
あの子の存在が、俺の中で大きくなりすぎた。
俺は多分、あの子を好きになりすぎた。
このままじゃあ、いずれなにかが誰かにばれる。
それが致命的でさえなければ、なにかある度にフォローは利くのかもしれない。けどそれは結局、問題の先送りだ。
だからもう、ここがボーダーラインだと、認めないといけなかった。
自分の気持ちを騙す事すら出来ないポンコツに成り下がったのなら、俺にはしなくてはならないことがあるのだから。
「キミは、昔から変わらないね。誠吾くん」
昔からずっと、キミは優しい。と、考え込んで黙りこくっていた俺に対して何を思ったのか、士郎さんは微苦笑しながらそう言った。
何が変わらなかったものかと心中吐き捨てつつも、そうでもないですよと、なんとかこちらも苦笑するけれど、きっと変に力の入った歪な声音になっていたことだろう。
変わらなかったなんてことはなかった。
優しかったなんてこともなかった。
むしろ変わらなかったことのほうが少なくて、優しく出来たことも少なくて、それらのことに碌なものを探すほうが困難だ。
何せその代表とも言える例が、俺が高町に嘘をつき続けているって話になるのだから。
だけどそれは、変わらなかったことじゃなくて、変えてはいけなかったことだ。
けれど、必要に迫られて、嘘をつくことに慣れすぎて、誰かを騙すことに慣れすぎて、積み上げたそれらが士郎さんの目を曇らせたことで俺がそういう風に見えたのだとしたら、酷く趣味の悪い話だと笑えて来る。
昔よりずっと諦めるのが早くなって、どうしようもないことを抱え込むことが少なくなって。
引き際をわきまえろ、手に余るようなことに首を突っ込むなと自分に言い聞かせてきた。
実際は、楽なほうに流されて、生き汚くなっただけなのだろうけれど。
だから、俺の何がそんな風に見えるのかと聞いてみると、彼は分からないのかいと首を傾げて、自己分析は難しいものなとまた笑ってから言った。
「昔からキミは、自分のことよりも他人のことばかり考えているだろう?」
それは無いと、即座に思った。
俺は、自分の気持ちを満たすために、他人を助けてきた人間だ。
誰かのことを気にするのは、その誰かの苦しむ姿を見て自分まで嫌な思いをしたくないからだ。
だから、そんなことはありませんと否定するのは簡単だった。
だけどきっと、士郎さんは俺の答えを信じてはくれないだろう。
俺には俺の答えがあるように、士郎さんには士郎さんの確信がある。
真意がどうあれ、最終的には誰かのためにしているように見える俺の行動は、他人から見ればさぞ多様な解釈のある話に見えることだろう。
本当の所は、そんな評価を貰ってるって言う事実だけで申し訳ない気持ちなるようなことしかしていないって言うのに。
……ああ、なんなのだろうか、この気持ちは。
疲れた。と、そう表現するのが一番近い気はするのだけど、どこか違うような気もする。
ただ、必要に迫られ続けていたから、他人よりもかなり麻痺した感覚ではあるのだろうけど。
嘘をついて、その嘘を嘘だと気付かれないために嘘をつき続けるのは、とても疲れることだとは思うから、こういう陰鬱な気持ちになることも、当然といえば当然なのかもしれない。
特にこういう、話の核心を突くのが得意な人を前にすると、更に。
「……すみません。煙草いいですか?」
なんだか耐え切れなくてそう申し出ると、構わないけど、いつも吸ってるのかい?と士郎さんに返される。
最近すっかり慣れてしまった仕草で煙草に火をつけて、紫煙をゆっくりと燻らせてから吐き出して、
「最近はまあ、多いかもしれませんね」
独り言みたいにさっきの質問に答えると、彼の表情が少し曇ったように感じたのでその理由を考えて、ああと気付いてフォローを入れることにした。
「心配しなくても、高町がいる前じゃ吸いませんよ。近づいて来たら火ィ消してますし」
「……そういうことじゃないんだけどね」
他人にそういう気配りを出来るなら、自分の体にも気を配ってみたらどうかな。なんて言われては、返す言葉もない話ではあるのだけど。
だけど俺は、まあ、きっと今だけですよ。と苦笑する。
確信はまだ持てないけれど、そうだと思える理由はいくつかあるから。
自分のことだから、自分の習性くらい気付いてる。
最近無性に煙草が欲しくなるときに考えてることなんて、高町のことばっかりだ。
だから、決着さえつければ、きっと以前のように戻る。煙草なんていらなかった頃に戻る。
そして決着を先送りに出来るような余裕がないことは、つい先ほどに確認した。
そのためにここからの極短期間に消費本数が増えるのだとしても、それさえ過ぎれば何とかなる。
終わらせなければいけないことは、終わらせなければいけないんだから。
「……」
ただ、けれど、でも。
そんな考えは、考えるだけなら簡単ってだけの話でしかない。
頭ではとっくに分かってたって、それを完璧な形で現実に反映することの難しさなんて、この数年で嫌と言うほど思い知っている。
ただでさえ、自分の中でこんなにも大きくなりすぎた気持ちを完全に無視しきることが、俺程度の精神力で出来るものなのか甚だ疑問な話だ。
だから、もう、本当に、
「士郎さん……」
「なんだい?」
「……いや、やっぱりなんでもないです」
紫煙を吐き出しながら、今自分がなにを言おうとしていたのかを心の中で反芻して、馬鹿らしくなった。
俺は、誰にも気付かれないように、出来るだけ自然に高町の前から消えなくてはいけないのに。
それを、押しつぶされそうな重圧に耐えがたくなったからといって、なにを血迷ってあの子の実父に相談を持ちかけようとしているってのか。
馬鹿も大概にしろと、目の前に士郎さんがいなければ自分をぶん殴っていかねないところだった。
「誠吾くん」
「はい?」
と俯けていた顔を士郎さんの方に向き直って、ピリッとした空気を感じた。
それほどに、俺に向けられた士郎さんの表情は真剣なものだったから。
「キミが何を悩んでいるのかは分からない。聞いていいものなのかすらもね。けど、僕はいつでも話を聞くよ」
滞在中に話してくれると嬉しいところかな。と告げて、彼は立ち上がった。
「それじゃあ、少し用事があるから失礼するけど、気にせずゆっくりしていて構わないからね」
そう言い置いて立ち去る彼を、タバコを銜えたまま見送った。
それが出来たらどんなに楽だろうかと、自嘲気味にへらりと笑ってしまった。
そんなことは出来ない。
たとえ、どれだけそうしたくても。
そうすることで、半ば強制的に高町の心を自分に向けさせることが出来るのだとしても。
それは所詮、嘘で出来た関係で。俺が望むようなものではないから。
そして、俺が望むような関係を作ることはもう、8年前のあの日に、自分の落ち度で不可能になってしまったのだから。
だからもう、俺のするべきことは、やっぱり一つだった。
そうして俺は、ようやく一つの方策を採る決意を固めた。
だがやはり、決めたところで気分が重くなっていくのに変わりがあるはずもない。
その上それに引かれて体まで重くなってきたような気がして。
士郎さんと対局していた縁側の廊下から空を見上げたまま動けずにいると、廊下伝いに誰かが急ぎ足でこちらに来る足音がした。
のろのろと顔を上げてそちらを見ると、廊下の曲がり角から高町がひょっこりと顔をのぞかせた。
俺の姿を見つけて、誰かを探すようにしていた顔を明るくする。
「せーくん、お夕飯出来てるよ。一緒に食べよ?」
と近付いてきて促す高町に、俺は曖昧に頷いた。
「ああ、はいはい」
わざわざ、悪い。と、礼を言いながら見上げると、高町が「うん」と、微笑していた。
ただ、せっかく用意してもらっておいて悪いとは思ったのだが、こんな風に何を食べても味がしなさそうな心理状態で、誰かの手料理を食べるなんてもったいないことは出来ないと思った。
だから俺は、視線を高町から逸らしながら言った。
「悪い。あとで貰っていいか?」
「え? でも冷めちゃうよ?」
「確かに、そりゃちょっともったいねーけどな」
「そうだよっ。せっかくわたしも手伝ったのに」
「……へぇ」
ちなみに何を? と聞くと、「結構いろいろだよ」と、えへんと胸を張る高町だった。
そういえば、高町は割と料理が上手かったっけ。
こないだの出張の時のバーベーキューでも、結構遺憾なくその力を発揮していたようなそうでないような。
あの時の卵粥も、かなりの出来だった。
けど、それなら尚更だった。
ただでさえ俺には勿体無いものを、さらに勿体無いことはしたくない。
「悪いけど、やっぱ今はいい」
「んー。じゃあ、わたしも後にしようかな」
それから俺の隣に腰を降ろして、膝を抱えて体育座りになって、縁側から俺と同じように空を見上げた。
やめとけよ。愛しの娘さんが待ってるぞと皮肉っぽく言うと、高町はそれを気にした様子もなく笑った。
「ヴィヴィオなら、先に食べて寝ちゃったから。いっぱい遊んで疲れちゃったみたい。今はお姉ちゃんが見ててくれてるの」
「ふーん。でも、士郎さんたちは待ってるんじゃないのか?」
「お父さんとお母さんは、明日のお店の準備があるからあとでいただくって言ってたよ?」
今日は一日遊んじゃったから、ちょっと時間が押してるんだって。と、補足される。
で、とりあえずお客様扱いらしい俺のために、先に夕食の段だけは整えてくれたのだとか。すごく申し訳ない話だった。
別にそこまでしてくれなくても良かったのに。どうせ俺はヴィヴィオの付録みたいなもので、帰れといわれれば即座に帰ったっていいくらいなのだ。
「もーっ。せーくんってすぐにそういうこと言う」
とか言われたので、だって事実だろと言ってみたら、すげぇ不満そうに口を尖らせた。
「わたしにとって、せーくんはせーくんだよ。誰にも変えられない、大事な人の一人」
だから付録なんて、寂しいこと言わないでよ。とか、恥ずかしげもなくそんなことを言ってくる高町に、俺はまた心を揺さぶられた。
冗談ではなかった。目の前にいるのは、俺にとって今一番幸せになって欲しい女の子なのに。
そんなことを言われたら、"勘違い"で心が揺らぐ。
だから俺は、多少無理でも構わないと、話を逸らした。
「そんなことより、戻ってヴィヴィオと一緒にいてやれよ。母親なんだろ」
と聞く俺に、まだまだ新米だけどね。と、高町ははにかんだ。
「確かに、ヴィヴィオのことも大切だけど……」
いまはせーくんのことが心配だよ。と、高町は頬を膝に押し付けながらこちらを向いて、俺の眼を見て言った。
「なんだか、悩んでるみたいに見えるよ?」
「そんなことはない」
あるよ。と、高町が喰い気味に断言したから、二の句が告げなくなる。
最近、妙に押しが強くなってきているような気がして、どうにもやりにくい。
確かに今、悩んではいるのだ。だから見透かされているような錯覚に襲われて、少しだけ戸惑いが生じる。
本当の所はもう、俺の気持ち一つで解決のためを手を打つだけの答えは持ってしまっているのだけれど。
「なぁ、高町は────」
「あ、ねえ、せーくん」
「……なんだよ」
「あの、この家にいる人って、全員その……"高町"だよね?」
「オチが読めたんだけど」
「ま、まあそう言わずに最後まで聞いてくれないかなっ!」
「お前も俺の答えのオチが見えてるくせにこのやりとりは不毛だと思うんだけどなぁ」
「こ、この家にいるときは、なのはがいいです!」
「いやです」
「ばっさりっ!?」
勢いで行けばなんとでもなると思ったら大間違いである。なんて思ってるのは、ただの強がりだった。
本当はもう、そう呼んだっていいんじゃないかって投げやりな気持ちがあるのは確かだ。
だけど、これからすることを思えば、未練を残しそうな行為の全ては極力避けるべきだと思ってしまう。
そんな俺の心中を高町が知るはずもなく、一刀両断に断った俺に向けていつも通りの粘り強さで交渉を仕掛けてくるものだから、高町の説得に押し切られる前に完全無視の体勢を決め込むことに。
それでようやく今回の説得も無駄に終わったと悟ったのか、ちょっと無念そうに唸りながらも高町の方も口を閉ざす。
そうして出来上がるのは、いつもの沈黙だった。
間が持たないわけでも、どこか気まずいわけでもない。そういういつものあれ。
けれど今回は、おそらく俺の方だけ気まずかった。
そんな沈黙を、高町が破った。
「せーくんは、今この瞬間がずっと続いていけばいいのになって、思ったことはある?」
破らないでおいてくれればいいのにと、益体もなくそんなことを思う。
なんだか最近、高町と二人きりになると、いつもこんな状況にたどり着いているような気がする。
ただそこに二人いて、沈黙で間が持たなくなるわけでもないのに、そのうちどちらともなく話題を振る。
その中身が大抵、どちらかにとってかどちらにとってもか、途轍もなく重要な話だったりする。
そして、こういう時の会話を茶化す気には、全てにおいてこれっぽっちも思えはしないくせに、今回のこれに当たり障りのない答えを用意できなかった俺がそっちこそどうなのよと聞くと、高町は不満そうに口を尖らせた。
「質問に質問で返すの、せーくんの悪い癖だよ」
自分の答えを何とか誤魔化そうって考えが日常的にはみ出しているのだからその辺見逃していただきたい所存である。というかむしろ俺に悪くない癖があったのかどうかについて小一時間考えたいような気もしたのだがその辺自重して、他人の答えを聞きたいのなら、自分が先に答えを言うべきじゃないかなとか屁理屈をこねてみたら、「最近で言うなら、今だよ」と、簡潔明快に答えた。聞いたこちらが唖然とするくらいに。
こいつは一体、自分が今なにを言ったか本当に分かっているのだろうか。
相手が相手なら、新たな勘違いストーキング野郎が生み落とされかねない場面である。
いや、というか。
さっきだって今だって、いくら俺が相手でも……、なんてことを考えていると、さっきまで自信満々なんて言葉がぴったりの表情を浮かべていたその顔に、今度は不安そうな表情を浮かべてこちらの様子を伺うみたいにしている高町と目が合った。
瞬間的に表情にギャップをつけることに関しては定評があるなぁ、なんてどうでもいいことを考えていると、
「せーくんからしてみたら、迷惑なんだろうけどね」
苦笑と一緒にそんな言葉を吐き出されて、今度は絶句させられた。
そんなことない。むしろ。なんてことは言えるはずもなかった。だから、俺の無言はそのまま高町の言葉への肯定になる。
「いいの」と、口を噤む俺の機先を遮った高町は、「それでもこれは、本音だから」なんて、小さく笑った。
……ああ、なんだかもう本当に、頭がおかしくなりそうだ。
目の前にいる自分にとっての特別な子から、こんな言葉ばかり聞いていたら、もしかしたらなんて甘い毒におどらされそうになってしまう。
なんて、怖気が走った。
俺は、その気持ちに流されるわけにはいかない。
流されるわけにいかないのは間違いない。なのに、流されないようにするだけの気概が徐々に衰えてきているということは、もう既に疑うことも出来ないような事実だ。
だから、怖くなった。
そしてもう、踏み出すしかなかった。それくらいには追い詰められていた。
後戻りできないような状況を作り出さなければ秘密を守れないなら、俺はその選択肢を一番に採る。
始まりはきっと俺の嘘だった。だから終わらせるのだってきっと、俺の仕事なんだから。
「……なぁ、高町」
「? なぁに?」
「俺、六課が終わったら管理局を辞めようと思う」
高町が目を見開いた。
……え? と、掠れた声でつぶやいて。
震えた指で、俺の服の肩口を掴んだ。
「あ、あはは。えっと、その冗談、笑えない、よ?」
「そりゃ良かった。真面目な話を笑い飛ばされるのは、流石の俺も忍びない」
「────…っ」
高町の表情が、寂しそうに軋んだ。
概ね予想通りの反応だった。だから、この先もきっと、概ね予想通りだろうと。そうあってくれと願いながら、俺は続ける。
「魔法から離れて、ちょっといろいろ考えてみようかと思ってるんだ」
「い、いろいろって、なにを……?」
「今後の人生とか」
もちろんこんな言葉は、ただの建前だ。
俺が局を辞めるのは、高町との関係を出来る限り希薄なものにするための手段でしかない。
その結果、魔法と関わらない人生を検討することにはなるのだから、100%嘘と言い切れるわけではないのがなんとも言えない所ではあるのだけど。
それはまあ、仕方のないことではあるのだろう。俺は問題を先送りにしすぎた。その対価がこうなったと、それだけの話だ。
そこから俺は、突然の話題にかなり狼狽している高町を相手に、丁寧に建前を塗り固めて作り上げた嘘八百を並べ立てた。
ずっと考えてたことだとか。一度しかない人生、もっといろいろやってみたいだとか。親父にも昔から言われているしだとか。
所々に本当のことを混ぜ込んで、高町に反論の内容を出来る限り与えないように気をつけて、出来る限り詳細に、傍から見ればさぞ紳士的に説明をしているように見えただろう。
嘘だらけで、自分のことだらけで、高町のことなんてこれっぽっちも慮っていないくせに、それっぽく話を作り出すことだけは上手い自分が、この時ばかりは良かったと思う。
そうして、高町が借りてきた猫のようにすっかり大人しくなるまで"お話"をした俺は、確実に止めの一言になるのが分かりきった言葉を口にする。
「この話、誰かにするのは初めてなんだ」
「……そう、なんだ」
「ああ。なぁ、高町。俺みたいなやつの、手前勝手な人生の話だけど、」
────できれば、応援してくれないか?
急な別れや、一方的な別れに拒否反応を示す高町への説得の材料。半年の猶予を見た、俺の方から相談を持ちかけての別れ。
逃げれば追ってくるのなら、逃げなければいい。その上で、むしろ味方に引き入れてしまえばいい。
誰にでも優しい高町は、真剣に見せて話しさえすれば、納得はできなくても理解はしてくれる。
あとはもう、時間が解決してくれる問題だ。来年に六課が解散するまで待てばいい。
途中にいくらかの悶着はあるのだとしても、最後にはこう言えばいい。
俺には俺のやりたいことがあって、人生がある。邪魔をしないでくれ。俺の家族でもない高町に、一体どんな権利があるのか。と。
たとえそれで彼女を傷つけることになったのだとしても。
終わらせなければいけないことは、終わらせなければいけない。
高町はさっき、この瞬間がずっと続いていけばいいと思ったことはあるかと聞いた。
意識して確信したことはなかったが、きっとあっただろう。
と、いうか。
今この場所で賽を投げてしまったことで、痛烈に胸を痛めている自分を自覚して、そう思っていたのだと思い知った。
俺は、高町とのこの嘘だらけの繋がりを、無くしたくないと思っていたのだと。
そして、壊したくなかったはずのものに、ついに自分の手を入れてしまったのだと。
よく言う陳腐な言い回し。終わりの始まり。
俺の出した、"答え"だった。
そして────
介入結果その三十九 高町なのはの"答え"
ちょっと前から、決めていた覚悟があった。
それはきっと、他人から見ればとても些細な決意でしかないんだろうけれど。
わたしにとっては、決めるまでに5年以上もかかってしまった、そんな決意。
せーくんが、ホントのホントに管理局を辞めたいって、そういう真面目な相談をわたしにもちかけてくれた時には、絶対に応援してあげようって、そういう決意。
でも、決めていたなんて偉そうなことを言ってはいるのだけど。
やっぱり、実際にそんな話をされて、わたしが混乱したりしないわけもなくって。
最近、余りそういう類の話を彼から聞いていなかったこともあって、不意打ちみたいな形で告げられたその言葉に、わたしはうろたえてしまった。
そして、そんなわたしに彼は、コレは全部自分のための選択なんだって、そんな説明をしてくる。
けどわたしは、本当は彼がわたしから遠ざかりたい一心でそうしているって、分かってる。
彼自身のためでもあって、けど、それと同じくらいにわたしのためでもあって────そんな、ちぐはぐなわたしと彼の奇妙な繋がり。
それはどこか寂しくて、けれど、それ以上に大事だって思えた。
彼が管理局を辞めると言うのなら、たとえその理由としてわたしに示してくれた話のほとんどが嘘だったとしても、受け入れたい気持ちはやっぱりあった。
それがどれだけ寂しくても、もう、教えてもらったから。
管理局っていう繋がりが無くたって、魔法っていう共通点が無くたって。
わたしとせーくんの繋がりは、消えない。
今まで積み重ねてきた思い出も、交わしてきた言葉も、その他のたくさんのことも。
消えてなくなったりは、絶対にしない。
あの時、何の変哲も無い普通のファミレスで、そんなあたりまえのことを教えてくれた彼のおかげで、だからわたしはそう思える。
彼が管理局を辞めたとしても、わたしと彼の絆は切れない。少なくとも、わたしが切らせない。
せーくんはいつも、詰めが甘い。
今もこうして一緒に居られるのはその点が大きいから、そこには感謝しないといけないのかもしれないけど。
きっと、こういう風に正面からお願いすれば、わたしが仕方なくそれを認めて、大きな障害も無くわたしから遠ざかることが出来るって思ったんだろうけど、違う。
わたしは、こんな風に拒絶されたくらいで諦めるような、素直な性格じゃ、ない。
これくらいのことで諦めたりなんて、絶対にしない。
だから今は、何も告げずに。
その先を見据えて。
彼の決めた終わりの場所で、彼の思うような結末を迎えないために。
今はただ、うなずいておく。
局員を辞めた彼の、その後のことを応援するのは本当だけど。
その他のことまで約束なんて、絶対にしてあげないから。
ここから先は、わたしと彼の勝負だ。
彼が終わらせようとしていることを、わたしが終わらせない。
彼が断ち切ろうとしているものを、わたしが繋ぎ止める。
そんな風に決意して、だからわたしは「うん、応援するよ」ってそんな風に口にしようとして、なのに────
「あ。あはは……」
言葉が詰まって、声にならない。
だって、考えたくなんてないのに、考えなくたって分かっちゃうから。
わたしはいま、決定的に彼に決別を告げられたのに。
泣かないでいられている自分に驚いてるくらいなのに。
応援するよなんて言葉、物分りのいいほうじゃないわたしが、簡単に口に出来るわけがない。
だって、本当に、嫌なんだから。
こんな瞬間が訪れないことを、ずっと前から願い続けていたんだから。
だけど、目の前の状況は最悪で、どれだけ焦っても考えても、今のわたしに出来ることは一つだけ。
昔からずっとそうしてきた。思い通りにならないことを、自分の望む結果に少しでも近づけられるようにするための努力。
胸元の首飾りを、レイジングハートを握り締めて、わたしは────
「ねえ、せーくん。……ううん、"誠吾くん"」
「────…は?」
大事なお話だって思ったから、ちゃんと名前で彼のことを呼ぶと、恐ろしいものでも見たみたいな目で、彼がわたしのほうを見た。
そんなに驚かれたことに、こっちのほうがショックだよって、ちょっとだけ苦笑い。
「昔からだけど、わたしってぜんぜん器用じゃないよね」
「は、え、あ、いや……。そうか? 言うほど酷いことねーと思うけど」
「あるよ。だって、こういう時に流されてうなずきたくないんだもん」
「……、性格の話ですか」
そりゃまあ、全然まったくこれっぽっちも器用じゃねえな。って、せーくんが嫌そうな顔で言う。
きっとこの後わたしが言いそうなことを察したからだとは思うけど、それでもちょっと、本当に傷付く。
だけどそんな程度のことで折れるような気持ちじゃないから、わたしは会話をやめない。
「キミの決意だもん、辞めるって決めたなら、応援したいって思う」
「なんだか引っかかる言い方するよね」
「そうかな? んー、でも、特別ななにかがあるわけじゃないよ」
そう、特別な話じゃない。ここにあるのは、彼の教えてくれた"あたりまえ"だけだった。
「だって、キミが管理局を辞めたって、キミはわたしの大事な人ってことは変わらないから」
彼が息を呑んだ。瞠った目にはいつもわたしに向けるものとは違う、はっきりとした警戒の色があった。
わたしの言葉にしては珍しく、ちゃんと彼へと気持ちが届いたようだ。
フェイトちゃんにそうしたように。ヴィータちゃんにそうしたように。今までずっと、自分がそう決意してそうしてきたように、今回もわたしはそうしていく。
わたしから彼への宣戦布告。
わたしに背を向けて逃げるなら、その背中を捕まえてみせるって、そういう宣言。
キミがこの場でなにかを変えても、わたしは絶対に変わってあげないって、そういう決意。
わたしの"答え"。
「……ふーん。まあ、それはそれって感じだな」
諦めたように息をついてから、「ある意味、予想通りの回答といえば確かにそのとおりだし」って、彼は言う。
「そうか。そうだな。……まあ、確かにそのへん高町からすりゃ関係はないわな」
「? 何の話かな?」
「……高町も結構、やられたらやり返す派って話だよ」
「確かにわたし、負けず嫌いだけど」
何の話かな? 説明してくれないと分からないよって聞くと、しないからそんなこと。って、彼は頬を引きつらせた。
「……もういい。とりあえず、夕飯をいただきます」
「あ、うんっ! じゃあ、一緒に食べよ!」
「……」
はあ、って、またため息をつく彼を見ながら、とりあえず、前哨戦は終了って所なのかな。って胸を撫で下ろした。
先はまだまだ長いのだろうけれど、目の前のことから一つずつ。
遠くを見てても仕方ないから、足元からちゃんと固めていって、それで繋がる未来が、わたしにとっても彼にとっても素敵な場所であるように。
そういう努力が、未来を変えていけますように────
2013年11月11日投稿