何か全身にふわっふわとした違和感を覚えて目が覚めたら、壁の時計の文字が昼過ぎを示していた。
こんな時間に目が覚めましたって時点でもう遅刻だとか遅刻でないとかそういうちゃちィ問題でなくなっているのは言うまでもなく、時計を確認して異常事態に気付いた時点でベッドから跳び起きようとしたら全身に雷の如し強烈な衝撃と言う名の激痛が響き渡り、突然の出来事のせいでバランスをとることができようはずもない俺はそのまま顔面からベッドから落下した。
鼻骨を床に強かに打ちつけ、「っぐおぉぉ…!」と情けない声をもらしながらぎぎぎぎという擬音がしそうなおどろおどろしい所作で鼻を押さえて起き上がろうとして────先ほどと同じ種類の激痛が全身を苛んでその場にもう一度倒れ伏した。
そして、そのまま動けなくなる。……というか、動くことが愚かだと察する。
この時点で漸く俺は、体を起こすために筋肉を使おうとするたびに全身を走り抜ける電撃のような痛みの正体に気付いた。
「……ぅ、ぐ、おぉぉぉぉぉぉ……! ひ、久しぶりすぎる……こんなレベルの筋肉痛……っ!」
そう、何のことは無い。不治の病でもなければ完治不能のお怪我でもなく、神経系の不祥事でもなければ脳ミソの異常現象でもない。
ただの筋肉痛だった。
具体的に説明すると、過度な運動によって断裂した筋繊維どもが悲鳴を上げていた。泣きたい。
無茶をしすぎた反動だと言うのは分かるのだが、この痛みはいつになっても慣れるものじゃないなと思う。
つーか右腕だけなわけはないと思ってはいたが、こうも全身から狂乱の如き悲鳴が上がると流石の俺も我慢しきれん……。
真面目な話普通に泣きそうだった。全身くまなくそこかしこをほっそい針で刺され続けているような痛み。
なんだかんだいって、最近本気になることのなかった反動とでもいうのだろうか。ちょっと真剣に戦っただけでこの醜態。流石にかなり凹むよね。にしても、
「……これだけのリスク負って五分に届かねえとか、どんだけ化けもんなんだよSランク魔導士……」
そんな愚痴をもらしながら、俺は全身を蝕む痛みを気力で誤魔化しつつ、慎重に体を動かした。
どんだけ泣こうが喚こうが、この痛みが消えるわけもない。むしろ動かないで縮こまってると動かした時にさらに痛い。こういうときは動いて体を温めるに限ると思う。
なんて自己暗示をかけつつゆっくりと立ち上がったところで、ベッドのまくら元に置かれたメモに気がついた。
ちなみに説明しておくと、昨日は隊舎にお泊まりした。
より具体的に補足すると、隊舎の医務室のベッドで一夜を明かした。
八神たちとの会議後、別に大丈夫だと言ったのだが、シャマルさんと親父に大事をとっておとなしくしていろと半ば強制的にこの場に押しとどめられることになったのだ。
正直いい迷惑だったが、あれだけいろいろ心配かけた手前無理矢理断るわけにもいかず、八神にまで泊まっていかんとなのはちゃんに連絡するよと言われて渋々了承したのだ。
「しかし、帰れそうにないって連絡した時のエリ坊の反応ったらなかったな」
昨日の会話を思い出しながら、俺は苦笑した。
そして苦笑したせいで筋肉痛発動。
頬を引きつらせながら痛みをこらえ、体の状態を知っておきながらなにを自滅しているんだと思う自分と、笑ってしまうのを仕方ないと思う自分がいた。
なにしろ、「大丈夫? 看病しに行こうか」などと言い出すのだ。流石に心配のしすぎというものだろう。
とか思ったからそのままの意見を伝えたついでになんだ寂しいのか憂い奴めとか言ったら「ち、違うよ! セイゴの馬鹿っ!」とか言って通信切られてテンプレ乙と言うしかなかった。
話聞いてた八神や親父たちも苦笑するほどの微笑ましさである。あれが正真正銘の癒し系。キャロ嬢と並んで六課の良心だった。
それはともかく、ゼストさんの件を他言無用とする誓約書にサインを終えた親父と、別の仕事に向かうという八神をツヴァイと一緒に送り出すととうとう手持無沙汰で、シャマルさんもしばらくしたらどこかに行ってしまったから喋る相手もいなくなって寝るしかなくなった俺であった。
ちなみに話し合いはと言うと、俺と親父でゼストさんのことを一通り説明した後、八神が少し私の方でも調べてみると言っていたので後は任せた。……とはいうものの、あまり深入りはしない方がいいと進言はしておいたけれども。
なにしろあまりにキナ臭すぎる。
踏み込まなければなにも見えてこないのは分かるが、踏み込み過ぎれば足元をすくわれかねない。
親父の話では、ゼストさん自身も何かしらの闇に足を踏み込み過ぎて死んだとされていたそうなのだから。
詳しくは知らないらしいが、どうもゼストさんは人造魔導士計画の一端を担う研究所の捜査をしている途中で隊ごと全滅したらしい。
そして今回の事件の要も、人造魔導士。
これでなにもないと思う方が難しいだろう。
「面倒なことになりそうだ……」
独り言をつぶやきながら、俺は見つけたメモを右手で拾い上げた。
その時ふと手首に巻かれたサポーターが目に入る。
俺の予想通り、あの時二人が俺の手首を診て示した反応は、全く良い結果につながるものではなかった。
……親父とシャマルさんが全力を尽くしてはくれたものの、俺の手首にかかっていた負担はそれを凌駕していて、関節の痛みと言うかなんというか、結局若干の後遺症が残ってしまった。
無理をしないで気にかけていればそのうち治ります。とは言われたが、今この状況で無理をしないなんてことが出来るのかと言われたら微妙なところである。
昨日のあの状況とは違い、なにも俺一人でゼストさんの相手をしなければならないわけではない。とはいえ、俺個人の戦力上昇は今後の課題の中でも急務と言っていいだろう。
なのに、右手はしばらく使い物にならないと来た。
分かっているのだ。無理を押して右手を使って訓練したところで、必ずどこかでボロが出る。
今以上に悪化すれば今後どうなるかなど想像もつかない。
体の無理を誤魔化して力をつけたところで、そんなものがあの人相手に通じるわけもない。
だったら別の方法を考えなけりゃならんわけだが……そんなもんが急に言われて思いつくわけもなし。漫画じゃあるまいし。
問題だらけの八方塞。そうしてため息を吐いてメモを覗いた。
「……。……お疲れだったようですので、目が覚めるまでゆっくり休んでください。用事があるので私は少し部屋を空けます。目が覚めたなら一緒に置いてある痛み止めの薬を持って帰ってもらって結構ですよ」
……あの人、俺の体がどうなってるかわかってて言ってるんだよねこれ。
この状態で一人で帰れとかなんというドS。流石に驚きを禁じ得ない。
とか思いつつもメモの近くに置いてあった薬袋を手にとって、ようやく痛みを軽減しながら歩くコツを見つけた俺は慎重に体を動かして部屋を出た。
理由ありとはいえ無断で一日休むわけにもいくまい。なんかグダグダで忘れがちだが俺だってこれでも社会人である。忘れがちだが。大事なことなので二回言いました。
とりあえず一回着替えようと思ってエリ坊の部屋に戻ることに。
軋む体を引きずって歩いて宿舎についたら高町とフェイトさんの部屋の前を通りがかったところであけっぱなしのドアの奥から泣き声のようなものが聞こえてきた。
ちなみに首は傾げません。少し歩いてそれなりに体も温まったとはいえやった瞬間死ぬことは確定的に明らかなことをやるほど俺はドM気質ではない。
流石にこれだとスルー検定実施中という気にはならなかったので部屋に入ったら、なんか知らんが金髪少女が高町に抱きついて癇癪起こしてた。
周りでは新人連中が泣き声にあてられてあたふたしてる。見てて面白いけど落ち着けと思う。
と、俺が入ってきたことに気付いた高町が、わざわざ念話で話しかけてきた。
『せ、せーくん! もう大丈夫なのっ?』
「ええ、まあ。いろんな意味で死にかけですけど死にゃしませんから。つーかなんですかこの大騒ぎ。どっかのお祭りの予行演習ですか?」
「念話で声をかけたのに普通に返された!?」
なにを愕然としているか知らんが念話を使う意義が感じられんのにわざわざ念話で返すと思ったら大間違いである。
てか念話とか繊細な作業今の俺に要求するな。集中力とか皆無だから。全てが痛みに塗りつぶされるから。
「で、なんですかこの状況。と言うかその子誰……って、あれ」
よくよく見ると見覚えがあった。昨日助けた怪力ガールじゃないか。マンホール的な意味で。て言うか高町腰大丈夫? めっちゃしがみつかれてるけどバキバキに折れたりしない?
とか思ってるとキャロ嬢からも念話が飛んでくる。
『この子、なのはさんにすっかり懐いちゃったみたいで、離れたくないって』
『わたし、これからちょっと用事があるからここを離れなきゃならないんだけど……。困っちゃって……』
『セイゴ、なんとかならない?』
なんとかって俺にどうしろってんだよエリ坊。と言うか子供一人に振り回されすぎだろこいつら。
子供は泣くのが仕事なんだから、放っといたらいいじゃないか。てかなんでこの子ここにいんの。まさかと思うけど六課で預かんの?
うわー、マジかよ……。まあ犯人逮捕されてないし安易に民間に預けられるような身柄じゃないのは確かだけど。
ここはいつから保育園ですかコノヤローとか思いながらわりと本気で困ってるらしい高町を『珍しく 助けてやろう 適当に(五七五)』と気紛れを起こした俺は制服の左の胸ポケットに手を突っ込んで小さな飴玉を一つ取りだした。
そして泣きじゃくる少女の近くに座りこんでビキッとくる筋肉痛に耐えつつ頭に手を置いてこちらを向かせ、視線を合わせる。
で、「へい、ガール。これうまいけど食う?」とか何とか適当に声をかけたら多少なりとも興味をひかれたのかとりあえず泣きやんで俺の手元の飴玉を凝視し始めた。
よしおk。興味を持ってくれりゃあやりようがある。
「……うま、い?」
「そう、うまい。ほれ、口をあけてごらんなさい。あーんと」
飴の包装紙を剥きながら口をあんぐりとあけて手本を見せたらまた全身が痛む。あーもうマジでうざってえな筋肉痛! 動くたびにこれとか泣きたいんですけど!
とか心の中で叫ぶ俺に関係なく、怪力少女は高町をじっと見上げていた。
どうやらこの人の言うとおりにしていいのとでも聞きたいらしく、高町はその視線に笑顔で頷いた。
それでようやく決心したのか、少女は俺の方を見て口をあける。
そこにポイっと舌に乗るように飴玉を置いた。投げ込んだらあかん。のどに詰まらす可能性あるから。まあ大きさ考えてあるからそうそうないだろうけど。
すると少女は口を閉じ、ころころと飴玉を口の中で転がし始める。
「うまいか?」
「……ん」
こくりと頷く少女。ちょっとは機嫌も治ったようである。
その際、
『ちょっと、なんであんたそんなに子供の扱い慣れてるの? て言うかその子供用の飴はなによ。あんたまさかあの噂通りロリコン……?』
ティア嬢から念話が入った。いや、ちげえよ。なんでだよ。確かに慣れてるけどそれには理由があります。
つーか噂ってなんだ。まさか一昨日のあれがもう既に六課内で話題騒然なのか。
泣きたい。キャロ嬢のバカヤロー! キミが天然なせいで俺があらぬ誤解受けたじゃねーか!
『なんつーかなあ。前にいた課でさあ、迷子センター的なこともやっててなあ。自然とこういうガキの気を引く技術を覚えたというかなんというか。まあ最終的にはめんどくなって泣こうが喚こうが放っといたけど』
そしたらいつしか勝手に泣き疲れて眠ってるのだ。そうなりゃこっちのものである。後は適当に毛布かけて同じ部屋の中で読書しながら時間をつぶしてればいいのだ。
一緒の課にいた女性陣にはもっと真面目にやれと言われたものだが、どうにも俺は子守と言うのが性に合わない。
大体自分が育ててるわけじゃないし、俺はその道の専門家でもないし、そこまで傾倒して心血注ぎこむとなると俺の方がどうにかなってしまいそうなので適度に力を抜くくらい許してくれてもいいじゃないか。
とか思ったけど結局飴玉常備が基本になってるあたり、俺が日和易いのは周知の事実だなあとも思う。
とか何とかはさておき、このまま時間をグダグダやるのもどうかと思うので次の段階に移ろうと思う。
俺は高町に目配せし、せめてもの謝罪ににこりと笑った。
そんな俺を見て高町の表情がこわばる。俺が何か碌でもないことをすると悟ったらしい。しかしいまさらである。気付くのが遅すぎた。
「さて少女よ」
「……?」
俺は飴玉をおいしそうに舐めている少女に視線を合わせ、真っすぐ瞳を見た。お、てかこの子オッドアイだ。
昨日軽く診察した時のことから分かっちゃいたけど左右で色彩の違う鮮やかな色の瞳。
俺の真剣な様子を察したのか、少女がちょっと怖気づいた感じに表情を歪める。おっと、気構えを作りすぎたか。
警戒させては意味がない。反省反省。さて気持ちを入れ替えて……
「キミのしがみついているこちらの高町なのはさんなのだがな」
「?」
「なんと怒ると口からビームを吹く」
「!?」
バッと高町の顔を見る少女。飴を舐めながら見上げているせいで声には出さないが、「本当?」とでも聞きたいのだろう。
高町はめちゃくちゃうろたえてた。
『ちょ、ちょっとせーくん! なんてこと言うの!』
『いいからいいから。と言うか大体あってるでしょう。キレると砲撃ロックオン&ファイアとかしますし』
『口からは吹いてないよね!?』
突っ込みどころがおかしいとか俺は突っ込まない。なぜなら突っ込みには愛が必要だから。
「ちなみに困りすぎても口からビームを吹くんだが……」
「ほん、とう……?」
「ああ、俺も何度この人のビームに焼かれたことか……」
とか訳知り風にため息交じりに言ってたら、いつの間にか少女の体がぷるぷる震えだした。きっと恐怖で。
おお、信じてる信じてる。さすが飴玉。こんな胡散臭い男を信じる要因になるだけの力を秘めているんですね分かりますとか思いつつ『焼いてないよね! わたし焼いてないよっ!』とか聞こえるけど気にしない。と言うかこいつ嘘つきやがった。最初に会った時俺模擬戦中にSLBに焼かれたはずです。まさか覚えてないと申したか。
もういいよ。仕上げに入るよ。
「少女よ、今なのはさんはとっても困っている。きみがここでわがままを言っているせいだ。このままだとなのはさんは君のせいで熱線怪獣『NANOHA☆ZAURUSU』となってしまうかもしれない。そうなれば君だけじゃない、みんながなのはさんの暴走に巻き込まれて……!」
「……!」
『せーくん、あとでお話があるんだけど』
なんか念話来たけど知らん。いつも通りの声音が逆に怖いけど俺に話はない。よって却下。
「だがしかし、今ならまだ間に合う。きみがこの手を離し、なのはさんを笑って送り出してあげるだけで世界の平和は守られ、なのはさんは君の知る大好きななのはさんのまま帰ってくるのだ……っ!」
「……!」
『ちょっと、なんでわたしが世界を壊すみたいな話になってるの!?』
『うっさい! 今いいとこなんですから邪魔しないでください!』
『せ、せーくん……!』
「そしていまならなんと、なのはさんが帰ってくるまでいい子にして待っているだけで私の持つこの飴玉を3つきみにプレゼントしよう」
『……まるで悪徳詐欺師ね』
『と言うより通販の売り文句みたいな……』
『て言うか口がうますぎるよねセイゴさん』
『セイゴ……』
『うっさいお前ら。文句あるなら自分で何とかしろい』
『助けてとは思ったけどこんなの酷いよーっ!』
『存じ上げません』
とかグダグダやってるうちに、少女に変化が現れる。
顔を俯かせつつも、ゆっくり、少しずつ高町の腰から手を離す。
で、
「い、てらっしゃい……」
「ヴィヴィオ……」
高町が心底複雑そうな表情で、頑張って作った笑顔を見せているヴィヴィオと言うらしい少女を見ていた。仕方ない。俺に何とかしろと頼んだ時点で碌なことにならないのは分かっていたはずである。
だから仕方ない。ああ仕方ない仕方ない。
ただし一応言っておくが、この日の夜に誤解を解くのがすごく大変だったんだよと俺が一晩中通信越しの高町の愚痴に付き合わされたのは仕方なくないから。いや自業自得だけど。
怨むから俺驚くほど恨むから! 自業自得だけど。と言う感じで始まる、とある少女を迎えた六課の一日目(俺ver.)だった。
2010年3月8日 投稿
2010年8月29日 改稿
2016年5月16日 再改稿
なんだか予想を遥かに上回る速度で完成しました。
忙しいといつもより筆がのる……なんて天邪鬼なんだ私……。
とはいえ就活はきっちりやってますので大丈夫…っていいわけは無用ですね。
ではまた次の更新で会いましょう。