翌日、隊長に指示された時間に隊舎の正面玄関へと向かうと、そこには数人のお客さんがいた。
別に迎えに行けと言われていたわけでもないので、俺はそれを少し離れた場所で見ていることにする。
本当は挨拶に行った方がいいのかもしれないが、その数人のうちの二人を相手にうちの分隊長とその秘書官の人がにこやかに会話しながら見えない火花を散らしているのは、その考えを躊躇させている要因となりうると思う。
なんだか知らないが因縁でもあるのだろうか。よく見ると双方とも額に青筋が浮かんでいる。
まあ、そんな感じで触らぬ神に祟りなしということで、その水面下では一触即発な雰囲気の会話を少し離れた場所で聞いていることを選択したというわけだ。
そう言えば、分隊長っていつの間に帰って来ていたのだろうか。昨日レポートの連絡をして以降、昨夜は一晩中隊舎にいたのに帰ってきた覚えはないし、朝にだって見かけた覚えはないというのに。
……んー。よく見ると、分隊長の表情に疲れの色みたいなものが見える。もしや、出先から直接今さっき帰って来たのか。……この親善試合に出るためだけに?
だとしたら驚きの執念だ。よほど根深い何かがあると見える。
てなことを徹夜明けのせいで眠気の入り混じる頭で考えながら込み上げてくる欠伸をかみ殺していたら、もう何人かのお客さんの中から二人の少女が抜け出してこっちにトコトコ駆け寄ってきた。
いったいなんぞやと思っていると、その二人は俺の目の前までやってきて、髪を頭の横でくくっている方の女の子がお辞儀をしてから徹夜明けの目には若干眩しい笑顔を俺に向けて来た。
「高町なのは空曹長です。今聞いたんですけど、先鋒で戦う人ですよね。今日はお相手よろしくお願いします」
で、そんなこと言いながらまたお辞儀をしてくる。となるとこの子が噂のエースか。……なんというか、なんだかイメージと違う。もっと高飛車な感じの嫌味な性格のやつを予想していたのだが、なんとも明るくて社交的そうな少女だった。これは予想外。
……しかしなんだろう。なんというか彼女、少し疲れ気味?
昔、親父に半ば強制的に病院に缶詰めにさせられていたころ、病棟の廊下でよく擦れ違った寝不足の看護師とか医師の人達と少し近い雰囲気を感じるのだが、気のせいだろうか。
表に出して見えているわけではないのだが、なんだか慢性的に全身が辛そうな気がするその様子。昔はそれを父さんに告げると、その相手の人は決まって簡単な問診から適当な検査を経て最終的に半ば強制的に休暇を取らされていたが、そう思うと少しは信憑性もある気がする。
ちなみに言うまでもないと思うが、当時からそれなりの地位にいた父さんの強権によるものである。
尤も、こんなのは俺が昔から勝手に感じているだけの感覚的なものであるうえ、このところは病院になんてまともに出入りしていないし、そういう人を見る機会も極端に減ってしまったから、『そのテの勘』というやつも徐々に薄れてきてしまっているのだけど。
最近じゃ誰に会ってもこう言う違和感のようなものを感じた覚えはないから、やっぱり信憑性は薄いか。
と言うか、今現在睡眠不足で結構精神的にキているような分際の俺が何を思ったところでどうせ何かの勘違いだ。きっと気のせいだ。だって彼女、元気そうに笑っているじゃないか。
なんてことを思いながら頭を下げてこっちも自己紹介をしようとしたら、エースさんの横にいたもう一人の赤髪の方の子が口を開いて、
「ヴィータだ。階級は空曹。今日はなのはの付き添いで来た」
なんだかぶっきらぼうな印象を受ける挨拶をした。てか、なのはって呼び捨てか。上司なんだから普通はもっと別の呼び方をしないか?
それともこの二人、個人的な友人なのだろうか。呼び捨てにされても何にも嗜めない所を見ると、そうなのかもしれない。
そんなことを思いながら、俺も返事のような形で二人に自己紹介した。
「誠吾・プレマシー空曹です。本日はわざわざご足労いただき、誠にありがとうございます」
「えっと……。こちらこそ、です」
エースさんはキッチリとあいさつした俺に少し面喰ったようにきょとんとし、それからつられるようにまた頭を下げてくれた。
で、
「ところで、私のことは『なのは』って呼んでくれればいいですから」
「……は?」
その流れに乗せて笑顔でいきなりそんなことを言われ、最近隊内でポーカーフェイスのプレマシーとまで言われるくらいには他人に表情の変化を悟らせないことで有名の俺ですら流石に眉根を小さく顰める。
何を言っているんだろう、と思った。
初対面の、しかも直属ではないとはいえ上司に当たる相手のことを名前で呼ぶ?
ありえない。
他の人達はどうか知らないが、俺の個人的な主観においてそれは絶対にありえなかった。
余計なものなのだ。今の俺には。
仕事上の付き合いしか持たない相手と、必要以上に仲良くなる気なんてない。
俺が毎日死にそうな思いをして働いているのは、友達を作るためじゃないんだから。
だから、できるだけ丁寧な言葉を連ねて遠慮しますと断ったんだが、エースさんは少し遠慮がちな態度ながらもそうして欲しいという姿勢を崩さないし、横で一連の会話を聞いていた空曹さんが眉根を寄せたりと少々雲行きが怪しい。
そして、怪しくなった雲行きが俺の意見をそのまますんなり通すわけもなく、つまりどうしても押し問答になる。
「お願いしますっ」
「無理です」
「お、お願いします」
「……無理です」
「お願いしますっ!」
「……ですから────」
「はい、そこまで」
そんな声とともに、俺の顔の前にバインダーが差しこまれた。横を見ると、若干普段よりも精気が薄れたように見える、けれど見慣れた顔があった。なんであなたがここにいるのか。
「……なんですか先輩。まだ話の途中なのですが」
「話の途中なのですが……。じゃないわよ馬鹿」
そう悪態をついて、先輩は俺の額にデコピンした。眠いせいか知らないが加減が無い。かなり痛みが強かったので、俺は弾かれた所を抑えて閉口した。
と言うかさっきオフィスを出て来た時に、私今から死んだように眠るから、起こしたら肝臓に貫き手かますわよ。とか言っていた気がするのに、なぜこんな所にいるのですかと聞いてみると、なんか変に目が冴えて眠れないから俺の試合観戦をしつつそのデータを取って今後の戦法の糧にしようと思ったのだとか。
先輩はそれだけ説明して俺から視線を外すと、お客の二人の方を見て笑顔を作った。徹夜で精神的に追い詰められているはずなのに、それでも事務用の笑顔が出てくるあたり恐ろしい。
「────ごめんなさいね。こいつ顔に似合わずくっそ真面目だからどうにも愛想が足りない上に融通も利かないのよ。許してあげてね」
「い、いえ、そんな……」
少女がちょっと申し訳なさそうな表情で気にしないでくださいと言った。なんか、冷静になってみると無茶苦茶言ってると思ったのか、俺の方にもごめんなさいと頭を下げてきた。先輩はそれをみて破顔して手を差し出した。
「私はこいつの任務のパートナー兼先輩の、ロロナ・ブレイク空曹長です。階級同じだし、私の方がお姉さんみたいだから、なのはちゃんって呼んでいいかな?」
一体いつから俺たちの会話を聞いていたのだろうか、この人。エースさんの自己紹介って、かなり最初の方だった気がするんだが。
「あ、はい。じゃあ私、ロロナさんって呼んでもいいですか?」
「いいわよいいわよ全然いいわよ。それでそっちのあなたのお名前はヴィータちゃんでいいのかしら?」
俺の疑問はどこ吹く風で、流れるような言葉の波に乗せて話をさらさらと進めていく先輩。質問をされた赤髪の少女は、おう、いいぜと返事をしていた。
先輩は俺なんかよりはるかにスムーズに挨拶を済ませると、俺の方に寄ってきて耳元に口を寄せた。そして囁くように小さく声を出す。
その、所謂内緒話のスタンスで、
「あんた、ホントこのテのコミュニケーション下手くそね。もっと適当に相手に合わせれば楽だって何度も言ってるでしょうが」
「……私も何度も言っていますが、仕事中にこのスタイルを崩す気は一向にありません」
「頑な過ぎんのよ、あんたは」
「開放的すぎるんです、先輩が」
俺が咎めるように目を細めながらそう言うと、先輩は「頑固者はこれだから……」と溜め息をついた。
俺としては、頑固だとかそう言う括りで見られても困る。
先輩に言われなくたって、自分がこの手の対人能力が乏しいことは重々承知だ。
ならばどうするか。
少なくとも俺は、敬語を使って相手と距離を置く以外の選択肢が思いつかなかった。
まあこの人にはそんな逃げの発想、想像の埒外なのだろうけどな。
もともと対人のコミュニケーション能力が高い有能な人なのだ、先輩は。
ただ特定の仲の悪くない相手に対する時にだけ、仮面の裏に隠された茨のような本性がさらされると言うだけで。
だから安心してこの場は先輩にエースさんたちの応対を任せようと思っていたのだが、いかんせん先輩はそんな俺の思惑を粉砕するのがお好きなようで、
「いやー、それにしても噂の空戦のエースがこんなに可愛い女の子だったなんて、プレマシー知ってた?」
いきなりそんな本気でどうでもいい話題を振ってきた。
あまりに面倒な質問だったので心の中で溜め息吐きながらそっちを見ると、エースさんが「か、可愛い……」なんて言いながら顔を真っ赤にして俯いていた。
……なんだろう。こう言う場合はそうですねと同意した方がいいのだろうか……。
けど、学生時代に考えなしにそんなこと言って大失敗したこともあった気がする。だからここははぐらかしておいた方がいいかもななんて思ったのが間違いだった。
「……いえ。特に興味もなかったですから」
これが俺の、この場で一番無難と思える一言を選択した結果で結論だったのだ。
が、言った瞬間刺すような悪寒が俺を貫いて、反応してそちらを見たら空曹さんがこちらを睨んでいた。
……しまった。どうやら今のセリフは、彼女にとっての地雷だったようだ。
俺の方にはそんなつもりは無かったけど、今の言い方じゃあエースさんのことを馬鹿にしたようにとられてもおかしくない。
そりゃ、自分の上司でもあり友達でもある人物をけなされたら怒るだろう。……相変わらず短慮である、俺。
もっと他人の心の琴線を見極める術を身につけなくてはなあと思いつつ、ここはどう謝罪しておくべきかと焦っていると、
「うーわ本人目の前にしてその態度は無いわー。ねー、なのはちゃーん」
「そ、そんな……。気にしてないですから……っ」
隣にいた先輩に問われ、困ったように言い淀むエースさん。ちなみに、相変わらず彼女の隣の空曹さんは俺の方を睨んでいる。
……もしかしなくともこれは、先輩がわざわざ謝罪のチャンスを作ってくれた構図になるのだろうか。狙ってやってくれたのならありがとうございます。なんて心の中で言いながら、俺は頭を下げた。
「いえ、すみません。今のは私の配慮が足りませんでした。失礼なことを言って申し訳ありません、高町空曹長」
最後まで言い切ると、俺を突き刺す視線の槍は、鋭い気配を散在させて、先ほどまでの辛辣な様子は薄れた。
どうやら怒りを納めてもらえたようだとほっと溜息をついていると、よしよしちゃんと謝れたわねとかなんとかいいながら、先輩が俺の頭をポンポンと叩いた。
正直そんなことをされるのは苦痛だったが、真意はどうあれ助けてもらった手前文句を言うこともできずそれを受け入れていると、俺の正面でエースさんが瞳をぱちくりさせていた。
先輩はそれを目ざとく見つけ、
「んー、どうしたの変な顔しちゃってー。何か聞きたいことがあるなら、お姉さんきっちりかっちり答えちゃうぞ!」
少女に向かってなぜか右腕で力瘤を作りながら得意げにそんなことを言う。相変わらず、行動の一つ一つの意味が分からない割には、他人の表情の変化の機微にはさとい人だ。
彼女は先輩の言葉に多少逡巡していたようだが、聞きたい気持ちには勝てなかったのかおずおずと口を開く。
「えと……。二人とも、凄く仲いいんですね」
「あんたの目は節穴か」
「……え?」
こっちに驚きの視線を寄越す彼女を見て、しまったと思った。しかもまた。空曹さんがこっちを睨んでる。
あまりに俺としては不本意な評価に、つい本音が漏れてしまった。さっきから失態だらけである。
何とかごまかさねーと……なんて焦ってると、横にいた先輩がまたもやフォローを入れてくれた。
「まあ、私こいつと恋人同士だったこともあるし」
「え」
「え」
「おい……」
と思ったらさらっと会話の隙からダイナマイトを御投入である。確かに話を逸らしてくれるのは助かる、助かるのだが他にもう少し言い方が無いものだろうか。
……いや、俺が悪いのだから、文句なんて言えるような立場であるはずもない。
「えぇ!?」
「はぁ!?」
一方、いきなり色恋沙汰について暴露された彼女たちは、目を見開いて驚いていた。
この年頃のやつらの恋愛話についての反応なんて、こんなものだろうか。
彼女たちがそのままこっちを見たので、俺はさっきの失言の件は何とか流れたようだと心の中でそっと安堵の溜め息一つ吐いてから事情を話す。
「……この人が、「あんたみたいなのと付き合ってみるのも楽しそうね。よし、今からあんたと私は恋人よ」とか勝手に言いだしたので、波風立てるのもどうかと思ったものですから、「……お好きにどうぞ」と流しただけです。まあ、次の日には破局しましたが」
「は、破局……」
「……それっていろいろ酷くねーか?」
まあ、端から見ればただの気の多い女性ですよね。とポロっと漏らすと、先輩が不満そうに「あー、失礼しちゃうわねー」と口を尖らせた。
「私、これでもちゃんと相手は選んでるわよ。勘違いしないような奴にしかこんなこと言わないし。人を見る目には、結構自信あるんだから」
「しかし結局のところ、散々なことを言われて振られた記憶しか私の脳裏には残っていないわけですが。あんたつまんないわよー、とか。それはつまるところ、人を見る目が無いのと同義なのでは?」
「だってあんた最初のころ、「ええ」とか「はい」とか「いいえ」しか言わないんだもん」
「それでこと足りていたのだから、別にいいじゃないですか」
「それでももうちょっと頑張っていろいろと彼女と話をしようとする姿勢ってのが甲斐性の有り無しにかかわってくるんじゃないの?」
まあ、一理あるかもしれない。
「で、その態度があんまりにも頭に来たから、やっぱり別れましょうって言ったら、「そうですか」って言ってそのまま仕事に戻っちゃうんだもん。マジでつまんない男だったわ、当時」
「す、すごいお話ですね……」
「てか、告白する方も大概だけど、される方も大概だな」
余計なお世話である。
「でしょー? まあ、この何年かで、こいつも随分態度が軟化したんだけどねー。でもま、今でも仕事中とプライベートじゃ────」
「もういいでしょう。……ほら、向こうで分隊長たちが呼んでいますよ。方向からして演習場へ向かうのでしょうから、さっさと行きましょう」
話を打ち切って踵を返すと、では高町空曹長、ヴィータ空曹、こちらへどうぞと声をかけてから廊下を進む。
「え、あ、ちょっとー」
後ろで俺の呼びとめる声を聞きながら、ああ、どうせ今回の誤魔化し貸しとくわねーとか後で言われてまた飯奢らされるんだろうなーなんて思っていた。
まあ、それどころではなくなってしまう俺だったわけなのだが。
2009年11月9日 投稿
2010年8月29日 改稿
2015年7月27日 再改稿